特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

酒肴

2016-09-14 09:14:56 | 特殊清掃 消臭消毒
早いもので、九月も もう半ば。
朝晩は涼が感じられるようになってきた。
過去形にして油断するのは少し早いかもしれないけど、夏の酷暑は過ぎ去った。

幸い、今年は熱中症にはならなかった。
そうならないよう気をつけたのはもちろん、例年に比べて暑さが少し楽だったから。
そうは言っても、「暑くなかった」というわけではない。
多くはなかったけど、強烈な暑さに襲われてしんどい思いをしたことは何度かあった。

特にキツいのが、前回書いたようなサウナ部屋での作業。
そして、炎天下、階上から階段を使って荷物(不用家財等)を搬出する作業。
階段の上り下りは、かなり身体に堪える。
上るときは手ブラなのに、やたらと足(身体)が重い。
体重を増やしていないから少しはマシだと思うけど、汗が滝のように流れるのはもちろん、腕を見ると、汗が皮膚から噴き出しているように見えることもしばしば。
心臓はバクバクと鼓動するし、身体も、その核でマグマが燃えているように熱を帯びる。
酷いときは呼吸が苦しくなり危険な状態に陥る。
ここまでくると危険。
どんなに忙しくても、作業を中断して小休止しないと、とんでもないことになる。

そんな状態では、とにかく、日陰に入って水分補給。
そして、乱れた心動と呼吸を、ゆっくり整える。
あまり長く休むと気持が萎えてくるのだが、それが整わないうちに作業を再開しても、またすぐに休むハメになり、結局、作業効率が落ちる。
そうなると元も子もないので、ある程度、呼吸が整うまで待ってから作業を再開。
「ツラいなぁ・・・キツいなぁ・・・苦しいなぁ・・・」
そうボヤキつつも、
「何のため?・・・自分のため!生きるため!」
と、自分を励ましながら、再び熱暑の中に身を投じるのである。

それでも、過酷な労働は永久ではない。
一仕事終えれば休息が待っている。
特に、肉体労働に汗した日には、どうしても晩酌がしたくなる。
日常に楽しみが少ない私にとって、晩酌は大きな楽しみ。
「今日は飲んでいい日」だと思うと、朝から少し気分が明るくなり、昼間の仕事にも精がでる。
ただ、決めた数の休肝日を守るのは自分と約束したこと。
その敗北感・劣等感を思うと、到底、約束を破る気にはなれない。

現在、週休肝二日を越えて週休肝三日を堅持している私は、仕事のスケジュールに合わせて日程を調整している。
「明日はキツい作業だから晩酌したくなるはず」
「だから、今日は我慢して休肝日にしとこう」
と言った具合に。
でも、飲みたい日に我慢するのは楽じゃない。
だから、「飲まない」と決めた日は、多目の夕飯を早々と食べたり、喉がどうしても欲しがるときはノンアルコールビールを飲んだりしてしのいでいる。

現在、私は、ウイスキー党。
糖分と懐具合を気にして、大好物の にごり酒も、近年は手を出していない。
また、もともとはロックで飲むのが好きだったのだけど、身体と懐具合を考慮して、近年はハイボールで楽しんでいる。
銘柄は、スコッチか国産が好みだけど、もちろん、高級酒には手が出ない。
一本700mlで数百円の庶民的なヤツ。
更に、コストパフォーマンスをよくするために、二週間ほど前に、これの4ℓの大ボトルを買った。
それでも、味は悪くなく、充分に美味しい。
“安い=美味くない”なんてことはまったくない。
また、ウイスキーは肴を選ばない。
個人的には、唐揚や刺身を好んでしまうが、野菜や乾物・菓子だって上等のツマミになる。
味や香はもちろん、色味も気に入っているけど、この、肴を選ばないところも大いに気に入っている。

・・・なんて、読み手にはつまらない(?)ウイスキー談義はこれくらいにしておこう。


出向いた現場は郊外の一戸建。
築年数は古いものの、部屋数は多くしっかりした造り。
新築当時は、結構な高級感をもっていたであろうことは、家の雰囲気から伝わってきた。

家には、かつて老夫婦が住んでいたのだが、夫は90を越えて他界。
80代の妻も、介護が必要な状態になり、老人施設に入所。
結局、この家には住む人がなくなり、また、子供達もそれぞれに家族を持って自前の居を構えていたため、将来に渡っても住む人はおらず。
結局、売却処分することになり、長男が担って家財生活用品を片付けることになったのだった。

リビングには、暖炉を模した立派なカウンターがあった。
そして、その上には色々な調度品が並んでいた。
中でも目を惹いたのは、大きなウイスキーボトル。
そのウイスキーは“SUNTORY OLD(特級)”の4ℓ大瓶。

私が、マジマジとそれを眺めているのに気づいた依頼者の男性は、
「これ・・・だいぶ前にオヤジが買ってきたんだよね・・・」
「いつだったっけな・・・え~っと・・・38年!38年前だ!」
と、その瓶を見つめながら、懐かしそうにそう言った。
そして、亡き父親から聞いた話を、懐かしそうに私に聞かせてくれた。

男性が生まれるずっと前、戦争末期の昭和19年、独身だった父親に赤紙(召集令状)が届いた。
戦局は悪化の一途をたどり、敗戦の色が濃くなってきた時期で、本人も家族も、生きて帰れないことを覚悟する必要があった。
しかし、命じられた任務は本土防衛。
激戦の外地に送られなかったことが、結果的に、落としかけた命をつなぎとめた。
そうして、そのまま終戦を迎え、父親は復員することができた。
当時は皆がそうだったように、戦後、父親は、仕事を選ばずガムシャラに働き、結婚し、家族を持ち、この家を建てた。
そして、やっと上向きになった暮らしの中で、父親は、日本酒党なのに、このウイスキーを買ってきたのだった。

その昔、税制が変わる前は、ウイスキーは高かった。
“OLD”は、今では高級酒の部類ではないが、「特級」と書いてあるくらいだから、当時は高級品だったのかもしれない。
しかも、4ℓの大瓶となると、結構な金額だったはず。
男性の父親は、はなから飲むためではなく、飾っておくために買ってきたのだろう。
豊かで平和な暮しを手に入れたことの証として、また、“国産の洋酒”という点に 貧しいながらも夢と希望に満ちていた時代を重ねて。
それを想うと、乾いた時代に生きる他人の私でも感慨深いものを感じた。

ウイスキーは、アルコール度数が高いため「腐らない」とされている。
だから、賞味期限は設定されていないし、現に、どのウイスキーをみても、ラベルにも賞味期限や消費期限らしき印字はない。
実際に私も何年も前のウイスキーを飲んだことが何度かあるけど、味も体調も何の問題もなかった。
それを知っていた私は、
「これ、未開封ですから、まだ充分に飲めますよ」
と、言いながら、滅多にお目にかかれない珍品でも見るようにボトルに顔を近づけた。
すると、男性は、
「よかったら、どうぞ・・・持って帰って」
「これも何かの縁でしょう・・・美味しく飲んでくれる人に飲んでもらったほうがいいから・・・」
と言う。
自身でもウイスキーは飲むそうなのだが、どうも、そのウイスキーを自分で飲む気にはなれない様子。
その想い出があまりにも懐かしく、自分の中で重すぎて、飲むと涙酒になってしまいそうに思えたのかもしれなかった。

しかし、それは、38年もの間、リビングのカウンターに置かれて、家族の歴史を見てきた品・・・家族の想い出を象徴する品。
そんな宝物のようなモノを、アカの他人の私がもらうなんて恐縮しきり。
だから、私は丁重に断った。
が、それでも、男性は「遠慮なくどうぞ!」と強くすすめてくれ、固辞し続けるのも失礼かと思い、結局、私は、そのウイスキーをもらうことに。
仕事終わりに何度も礼を言って、赤子を抱くように“ダルマ”を抱え、持ち帰ったのだった。

瓶は、ホコリを被って汚れ、長く放置されていたせいでガラス面にツヤもなくなっていた。
そのままでは見た目も悪いし不衛生なため、私は、濡タオルを持ってきて拭いてみた。
すると、色褪せたラベルがボロボロと剥離。
それが垢のように汚くみえるものだから、更に擦り続けたら、ラベルはどんどん剥がれていき、文字のほとんどが見えなくなってしまった。
その様は、人生の儚さを象徴しているようにも見えて、少し物悲しいような切ないような気分にさせられた。
ただ、それも、過ぎた時間と事物の有限性が成したこと。
人間の領域を超えたところにある、人の手ではどうすることもできない真理。
しかし、外見は損じても中身は充分にイケるはず。
くたびれた外見を持つこの中年男も、「中身はまだイケるかな?」と酒味と人間味を重ねて、美味を期待したのだった。


私にとって、晩酌の時間は格別のひと時。
好きな酒が好きなように飲めるわけで、飲んでいるときは、それなりに楽しい。
そして、口に入れる肴だけではなく、心に湧く想い出を肴に酒を飲むのも、なかなか乙なもの。
甘味や旨味だけではなく、苦味もあれば妙味もあるけど、それらも私にとっては いい肴になる。
過酷な仕事や凄惨な光景を思い出しながらでも美酒が飲める私は変態なのかもしれないけど、それが自分を支える糧になっていることに間違いはないから。

ホロ酔の心には、色々な想い出が湧いてくる。
楽しかった想い出、嬉しかった想い出、苦しかった想い出、辛かった想い出、悲しかった想い出・・・
あんなこともあった こんなこともあった あんな人もいた こんな人もいた と想い出を掘り返しては、微笑んだり しんみりしたり・・・
先日なんて、チビ犬が死んだときのことを想い出して、ポロポロと涙酒になってしまった。

それでも、人生は短い・・
人生なんてアッという間・・・
自分が生まれる前の時間、死んだ後の時間、人類が生まれる前の時間、人類が滅びた後の時間、地球の歳、太陽の寿命、宇宙の始まりと終わり・・・
それらと比べると、自分が生きている時間なんて無に等しい。
だから、生まれてきたことに、生きていることに、生きることに意味がないというのではない。
逆に、だからこそ意味がある。
苦悩を流せる感性が芽吹き、幸福を尊ぶ志向が実り、短い人生にある一瞬一瞬が輝くのである。

今日は休肝日にしようか、どうしようか迷っている。


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クスクス

2016-08-29 08:05:44 | 特殊清掃 消臭消毒
晩夏、九月ももう目前。
台風頻発のせいか、朝晩は、明らかな秋の気配が感じられるようになっている。
もちろん、このまま秋へ一直線というわけにはいかず、この先 厳しい残暑に見舞われることもあるのだろうけど、とにもかくにも今年の夏も一段落ついた。

しかし、今年の夏は、例年に比べると暑さが楽だったように思う、
梅雨明けも遅かったし、その後も雨天・曇天が多く、猛暑日が長く続くこともなかった。
不安定な空模様で、空は晴れているのに、いきなりドシャ降りの雨が降ったり、何の前ぶれもなく雷鳴が響いたりしたことも多かった。
もちろん、酷暑にヒーヒー言わされたことはあったけど、それも散発。
例年だと、毎晩のようにクーラーをつけないと寝付けなかったように思うけど、今年は、扇風機だけでしのげた夜が何度もあった。

私は、車に乗っているときは、基本的にエアコン(冷房)は使わないのだが、耐え難い猛暑で走ったのはほんの数日だったように思う。
暑かったことは暑かったけど、あとは、少しの辛抱で乗りきれた。

ちなみに、その様を見た部外者から、
「エアコン使わないんですか?」
と訊かれたことがある。
暑いのにエアコンを使わないでいることが、変に見えるのだろう。
訊かれた私は、
「気持ちが萎えて、かえってキツい思いをしますから・・・」
と応えた。

涼を与え過ぎると、暑を避けようとする自分、暑から逃げようとする自分がでてくる。
すると、現場に入ることを億劫がる自分が生まれ、“効率”を名目に仕事の手を抜こうとする怠惰な(本来の)自分が生まれる。
そうして、堕落の一途をたどってしまう。
ストイックになりすぎるのもよくないけど、自分を甘やかして困るのは他でもなく自分。
ある程度の忍耐、自制をきかせるのは、結局、自分のためなのである。

もちろん、それは、自分一人で乗っている場合にかぎる。
誰かと乗っているときは、そんなことはしない。
「エアコンなしでいい?」
なんて、意味不明なことも言わない。
真夏にエアコンもつけないで車を走らせるなんて、同乗者にとっては極めて迷惑な話だし、常識的に考えて無理があるから。
だから、黙って自分も涼に身を置き、しばし自分を甘やかす。

自分を甘やかさない方法としては、先方切って現場に走ることも挙げられる。
また、できる限り、作業を一人でやりきることも。
何度も書いてきた通り、私の場合、特殊清掃作業は一人でやることがほとんど。
複数人でやるのは、広範囲に渡る血痕清掃や何十匹の動物死骸処理、大型家財・大量家財の処分くらい。
「一人でやるんですか!?」
と驚かれることも多いけど、人が一人亡くなったくらいの痕清掃は、ほとんどの場合 大の大人二人分の作業量はない。
ただ、人は、肉体作業の観点から驚くのではなく、メンタルな部分で驚くのだと思う。
「恐くないのか?」「一人で心細くないのか?」と。
凄惨な現場に対して、「恐い」「不気味」「気持ち悪い」等と思い、嫌悪するのだと思う。
私だって、一応(?)ただの人間だから、少なからずの嫌悪感や恐怖感は覚える。

それでも、私は、一人のほうが楽。
肉体的に少々キツい思いをしても、誰に気を使う必要もなく、自分のペース・自分のやり方で好きなようにできる。
誰かと組んだ場合、その者がやる気満々の動きをみせないとストレスがかかるし、楽しようとする姿勢が見えたりすると怒りさえ覚えてくるから。
結局、一人の方が、余計なストレスがかからず、仕事に集中できるのだ。


酷暑のある日、例によって、私は特掃の現場へ一人で出向いた。
現場は、マンションの上階一室。
その部屋の住人が孤独死し、一ヶ月近い時間の中で腐乱。
部屋には、おびただしい量の腐敗汚物が残留し、おびただしい数のウジ・ハエが発生。
同時に、“鼻を突く”どころの話ではないハイレベルな悪臭が腹をえぐってきた。

エアコンを使わない主義であっても、それは車の場合。
車は窓を全開にできる。
温風(ときに熱風)ながら、風が吹けば空気が通るし、走れば風が吹き込んでくる。
しかし、汚部屋の場合、窓は開けられない。
外への悪臭の漏洩やハエの飛散を防ぐために。
だから、風が吹き込むこともなければ、空気が流れることもない。
いわば、蒸風呂・サウナ状態。
さすがに、これでの作業は辛く、ときに危険。
ましてや、部屋には一人きり。
熱中症で倒れても、電話でもしないかぎり、すぐには気づかれない。
意識を失いでもしたら、自分が死体になってしまう。

したがって、許可があれば、エアコンを使わせてもらう。
ここでも、依頼者は、
「どうせ、エアコンは新品に交換しないとダメでしょうから、遠慮なく使って下さい」
と、猛暑の中、部屋に入る私に気を使ってくれた。

「エアコンが使えるなら、終わるまで中にいられるな・・・」
私は、そう思いながら作業をシミュレーション。
作業途中に部屋から出ないで済むよう、必要になりそうな備品・道具に漏れがないか頭の中で念入りに確認した。
そして、それら一式と多目の飲料を持って部屋に入った。

「うわッ!暑ッ!・・・とりあえずエアコンをつけるか・・・」
蒸し上げられた部屋の熱気に包まれた私は、腐敗痕を横目に、まずはエアコンのリモコンを探した。
しかし、それらしきモノはどこにも見当たらず。
故人も、普段からエアコンは使っていたはずなのに、目についたのはTVやDVDのリモコンだけ。
肝心のエアコンのリモコンはどこにも見えず。
私は、目の錯覚を疑いながら部屋のテーブル・ソファーから床一面を凝視し、リモコンを探した。

そうして、しばらく探し回ったが、結局、見つけることはできず。
本体に作動スイッチを探したが、それもなし。
時間ばかりが経過する中、そんなことばかりやっていては仕事にならない。
結局、私は、エアコンを使うことを諦めて、特掃作業にとりかかることに。
噴き出す汗で貼りつく作業服に動きづらさを感じながら、いつもにセオリーに従って作業を開始した。

そこは、ハンパじゃない暑さ。
汗は作業服だけでは吸いきれず、服の端からポタポタと滴り落ちた。
更に、作業を進めていくうちに心臓の鼓動は大きくなり、呼吸もやや困難に。
作業も山場を越え終盤になった頃、危険を感じた私は、一旦、外に出ることに。
作業途中に休憩を入れると気持ちが萎えるし、もう少し頑張れば終わるので、あまりそうしたくはなかったけど、そこは、そんなこと言っていられるほど甘い状況ではなかった。

そんな中、時間を見るため、私は壁にかかった時計を見上げた。
すると、あるモノが視界に。
それは、エアコンのリモコン。
リモコンは、どこかに紛れていたわけでもなく、隠されていたわけでもなく、柱に取り付けられたケースに収まっており、ずっと私の目に見えるところにあったのだ。
ただ、酷な作業を前に緊張していたのか、暑さから逃れようと焦っていたのか、または、引力に従った一種の先入観が働いたのか、私がそれに気づかなかっただけ。
私は、自分のマヌケさに呆れながら、
「こんなところにあったのか・・・」
「また一つ、訓練してもらったな・・・」
と、いらぬ酷暑の中で汗と脂にまみれた醜態をクスッと笑った。

リモコン発見によって、そのまま部屋で休息する手もでてきたが、部屋が不衛生極まりないことには変わりはない。
無臭の空気に触れたかったし冷たい飲み物も欲しかった私は、やはり外で休憩をとることにした。
が、私は、立派なウ○コ男に変身済み。
自分自身が腐乱死体になったごとく、凄まじい悪臭を放つわけで、エレベーターに乗ることはもちろん、共用廊下やエントランスを歩くこともままならず。
私は、廊下や階段に人気がないことを確認し、スプレー式の消臭剤を噴射しながら逃げる泥棒のように廊下を走り、非常階段を駆け降りた。


まず必要なのは、水分の補給。
冷えた飲み物を手に入れるには、どこかで買い求めるしかない。
しかし、当然、コンビニ等の店には入れない。
警察に通報こそされないだろうけど、店や他の客から顰蹙を買うことは必至。
となると、自販機で買うしかない。
私は、陽がジリジリと照りつける中にも涼を感じながら、また、きれいな空気で深呼吸をしながら自販機を探して歩いた。

自販機は近所にすぐに見つかった。
私は、周囲に誰もいないことを確認した上で自販機の前に立ち、スポーツドリンクと水を買うため財布から二本分の小銭をとりだして投入した。
すると、運の悪いことに、そこへいきなり自転車に乗った小学3~4年くらいの女の子が二人現れ 近寄ってきた。
そして、私の不安をよそに、自販機の脇に自転車をとめ、私の後ろに並んだ。

すると、私の不安は的中。
二人は、ハモるように、
「ウッ!クサイ!何!?コレ何!?」
と驚嘆の声をあげた。
そう・・・私が放つ、それまでに嗅いだことのない凄まじい悪臭が、二人の鼻を突いたのだ。
そして、その元が私であることはすぐにわかったみたいで、二人は驚愕の表情で、私の身体とお互いの顔に交互に視線をやった。
それは、私が放つ悪臭に驚き、その信じ難い現実が現実であることを確認するための自然の動作だった。

好奇の笑みでもいいから二人がクスッとでも笑ってくれれば 少しは気が楽だったのだが、二人はそんな余裕もない感じで強ばった表情。
その困惑ぶりを目の当たりにした私は、いたたまれない心境に。
そして、慌てて商品ボタンを連打。
飲料を持って さっさと自販機から離れたかったのだが、狭い受取口に二本が詰まり、なかなか取り出せず。
突き刺さる二人の視線が気を焦らせ、それが更に手をモタつかせ、あたふた あたふた。
その動きが、一層、私を異様に映したのだろう、二人は、私から距離を空けたところに退き、珍獣でも見るような目でその様を見ていた。

逃げるように自販機を後にした私は、罪人になったような気分で人気のない日陰を探し、そこに身を隠すように座った。
そして、買ってきた飲料二本を、むさぼるように飲み干した。
そうして、一息つきながら、
「あの子達・・・俺の話で盛り上がっただろうな・・・」
「家に帰って、家族にもハイテンションで話すかもな・・・」
と、私に近づいて目を丸くした女の子達を思い出してクスッと笑った。
一時だけでも、子供達の間で“伝説の悪臭怪人”になるかもしれないことがおかしかった。

惨めな気持ちにはならなかった。
寂しい気分にもならなかった。
ただ、おかしかった。
自分の姿がおかしかったのか、自分の生き様がおかしかったのか、そんな状況でも笑う自分がおかしかったのか、よくわからなかったけど、日々、つまらないことでクヨクヨしてしまうことがバカバカしく思えた ひと時だった。


普段から、私は、自分の境遇や愚弱さを嘆くことが多い。
だけど、凄惨な状況で、悲惨な姿で、辛い作業に従事している中でもクスッと笑える自分が ちょっとたけ頼もしく思える。
そして、そんな自分の人生が、ちょっとだけ喜ばしく思えて、またクスッと笑うのである。


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Battle

2016-08-22 09:00:35 | Weblog

昨日、やっと、リオデジャネイロオリンピックが終わった。
事前には心配の種がたくさんあったようだが、大きな事件や事故はなく終わったようで(知らないだけ?)、何よりである。
開催中は、日々、色々な戦いが繰り広げられた。
もちろん、“戦い”は、試合本番だけではない。
そこにたどり着く前にも、様々な戦いがあったはず。
そして、選手本人はもちろん、関係者も、それに勝つために、並々ならぬ努力を積み重ねてきたはず。
もちろん、努力が報われるとは限らない。
報われた人より、報われなかった人の方が多いかもしれない。
が、努力してきたことは、間違いのない事実。
そう考えると、メダル以外の収穫も大きいのではなかと思う。
また、多くの人の人生に、たくさんのいい思い出も残ったはず。
それもまた、かけがえのない宝物だと思う。

そう賞賛しつつも、実のところ、私は、オリンピックにほとんど興味がない。
上記一行目に「やっと」と入れた理由はそこにある。
スポーツに縁のない人生を生きてきた私はTV観戦するほどの興味もなく、夜中に試合を観て、翌朝、眠い目をこすりながら仕事に出かけるなんてことはまったくありえない。
だから、世間は、連日、オリンピックの話題で持ちきりだったけど、私の目や耳がそれに惹かれることもなし。
もちろん、日本選手の健闘を願う気持ちはあったけど、それも社交辞令的に少しだけ。
日本の選手がメダルをとったときなどは、どのTVチャンネルもその話題でもちきりだったが、興味のない私は飽き飽きして、
「もういい加減にしてほしいよなぁ・・・そんなにみんなオリンピックが好きなのか!?」
と、イラついたりもした。

こんな、私は、おかしい? 珍しい? 少数派?
誰に非難されたわけでもないけど、社会に馴染めてない感じがして、自分に不愉快な思いをしている。
ま、何はともあれ、次は東京だ。
四年後・・・もちろん、その時、生きているかどうか、どこで何をしているかもわからないけど、東京開催のときくらいは、その戦いを熱く応援したいものである。



出向いた現場は、とある賃貸マンションの一室。
そこの浴室内で、住人が練炭自殺。
発見はかなり遅れ、浴室は、極めて深刻な状況になっていた。

時季は暑い季節。
玄関ドアを開けると、蒸された空気がムアッと噴出。
更に、浴室の扉を開けると、モノ凄い悪臭が鼻を突いてきた。

浴室には窓はなく、電気はとめられており、玄関ドアを閉めるとほぼ真っ暗。
ベランダからの外陽も、離れたうえ直線で結べない浴室にはまったく届かず。
懐中電灯なしでは、身動き一つとれなかった。

場所を問わす“暗闇”というものは、あまり気味のいいものではない。
ましてや、そこは、自殺腐乱死体現場。
気温は高いはずなのに、私は、何とも寒々しいものを感じた。

私は、尻ポケットに差し込んでいた懐中電灯をつけ、中を照らした。
すると、想像していた通りの凄惨な光景が目に飛び込んできた。
そして、依頼があれば、それを掃除しなければならない自分を見つめ、“それが生きるための手段”と、気持ちを奮い立たせた。

汚染は浴室全体に広がっていたが、最も酷く汚染されていたのは浴槽の底。
故人は浴槽に座り込んでいたのだろう、大量の腐敗粘度が浴槽底を埋め尽くし、部分カツラのような頭髪も残留。
また、遺体を引きずり出すときに剥がれたのだろう、浴槽の縁や側面には、乾いた皮膚がオブラートのように付着していた。

浴槽側の壁二隅には天井に向かって三角錐形の汚染。
それは、無数のウジが登った痕。
それが、まるで鬼の角のように私を見下ろしていた。

扉の通気口、換気扇、点検口、排水口、穴や隙間はすべてガムテープで密閉。
もちろん、それらは、死を目前にした故人が貼ったもの。
死への意思の固さを表すかのように、強固に貼り込まれていた。

それらを剥がす作業は、独特の気重さがある。
「生きるためとはいえ・・・俺も、よくやるよな・・・」
私は、作業の重さを想像しながら、人生との戦いを諦めた者のような溜息をついた。


亡くなったのは、私には縁もゆかりもない人。
顔も名前も年齢も、もちろん、最期に至った経緯も何も知らない。
故人に関して知っているのは、練炭自殺で亡くなったことと、その後、長く放置され腐乱死体で発見されたということだけ。
だけど、そこには一人の人が生きていた。
私と同じ、一つの命と一つの身体を持った一人の人が生きていた。

練炭が燃え、室温が上がる中で、浴槽にうずくまった故人・・・
酸素が薄くなり、遠のく意識の中で、故人は何を思ったか・・・
戦い疲れ、「これで楽になれる・・・」と安堵の気持ちを抱いたか・・・
戦い敗れ、「もっと生きていたかった・・・」と悲壮感を漂わせていたか・・・
私は、考えても仕方のないことを頭に巡らせながら、
「それでも生きなきゃならないんだよ・・・」
「そのために頑張らなきゃならないんだよ・・・」
と、故人を責めるつもりも見下すつもりもなく、ただ、私は、似たような自分と故人を重ねながら、故人に応えるように、重くなった心の中で何度もそうつぶやいた。

嫌悪感や気重のピークは最初の段階にくる。
身の毛もよだつ光景、腹をえぐる悪臭、何かの気配を感じながらの静寂、皮膚に浸み込んできそうな毒感・・・
そして、最期の様、そこに至った経緯etc・・・
そういったものが、私の精神を圧してくるのだ。
ただ、作業にとりかかると、次第にそれは中和されていく。
これまでにも何度か書いてきたように、腐敗汚物が人に戻ってくるような感覚を覚えるのだ。
そうすると、嫌悪感や気重は徐々に薄まっていき、そのうち、ほとんど気にならなくなる。
更には、自分のため?故人のため?依頼者のため?・・・自分でもよくわからないけど、「徹底的にきれいにしてやろう」と熱くなってきて、必死に生きていることの実感が湧いてくる。
そうなると、もう嫌悪感や気重はなくなっている。
後に残るのは闘争心。
様々な敵がいる中で、自分を相手にした戦いに入っていくのである。

この世界に飛び込んで(逃げ込んで?)、二十四回目の辛夏。
それなりに戦い、それなりに努力し、それなりに耐えてきた。
その効か、人の役に立つような仕事もできるようになり、たまには、誰かの支えになるような言葉も吐けるようになってきた。
ただ、決して気分のいい仕事ではないし、陽の当る場所で誉めてもらえるような仕事でもない。
所詮は、自分の中で妥協と迎合を使い分けながら満足するしかない仕事なのである。

そんな仕事に、四捨五入すると五十歳になる私は、色んな意味で“限界”を感じつつある。
もちろん、世の中には、五十になっても六十になっても、もっとハードな仕事をこなしている人、こなさざるを得ない人はたくさんいると思う。
そう思えば、私も、まだまだ頑張れるはずなのだろうけど、身体だけでなく精神も磨り減っているような気がしている。
磨り減るものがなくなったときが“終わり”なのかもしれないけど、それはそれで切ないものがある。
疲れて倒れるように終わるのも悪くないのかもしれないけど、できることなら、満たされて終わりたい。

だったら、一生懸命やるしかない。
何事も、一生懸命やらなくて後悔することはあっても、一生懸命にやって後悔することはないから。
もちろん、その一生懸命さが報われるとは限らない。
自分が期待していた結果がもたらされなかったり、期待していなかった結果がもたらされたりする。
それでも、一生懸命やったことに対して後悔はないはず。
後悔は、一生懸命やらなかったことに対して湧いてくるもの。
だから、
「こんな仕事だって、自分に与えられている限りは一所懸命にやらなければならない」
と、自分に言いきかせている。
そして、そうすると、実際、必死に生きていることが強く実感できるのである。


人生は、旅のようであり、冒険のようであり、そして、戦いのようなものでもある。
その時々で、その場 その場で色々な戦いが起こる。
人を相手に、社会を相手に、仕事を相手に、金を相手に、病を相手に、老いを相手に、生活を相手に、時間を相手に、自分を相手に、戦いに事欠くことはない。
だから、苦・辛・悲は多く、楽・幸・喜は少なく感じてしまう。
しかし、だからこそ、戦う意味があるのかもしれない・・・
戦うおもしろさがあるのかもしれない・・・

愚弱な私が私である限り、この“かもしれない・・・”が確信に変わる日はこないかもしれないけど、それでも、私は、それを肯定し続けて生きたいと思っているのである。

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蕁麻心

2016-08-15 08:25:26 | Weblog
二週間ほど前のことになる。
午前中、とある現場に現地調査に出かけた。
依頼の内容は、家財生活用品(遺品)処理。
家屋は古い一戸建で、家主は数年の入院の末に逝去。
当人は、早期に退院できると思っていたため、家は、入院時そのままの状態で維持。
しかし、そのまま数年が経過。
そして、結局、日常の生活に戻ることはできす、とってあった家財生活用品は丸ごと遺品となった。
私は、部屋一つ一つ、収納庫や押入れ一つ一つを確認はもちろん、物置、鉢植、ガラクタetc、荒れ放題の庭や外周も確認。
行く手を阻む草樹をはらいながら、まとわりつく蚊や蜘蛛の巣をはらいながら検分を進めた。

そうこうして約一時間。
調査を終えた私は、少し離れたコインPにとめておいた車に戻った。
そして、書類を片付けたり、靴を履き替えたりして帰り支度をはじめた。
そうしていると、腹部に違和感が。
ベルトラインに沿って痒みが発生。
シャツをめくり上げて覗いてみると、痒い部分が帯状のミミズ腫に。
私は、そこをポリポリ掻きながら、
「あそこの庭で、虫にでも刺されたんだな・・・」
「ま、放っとけば、そのうち治るだろ・・・」
と、まったく気にせず、次の仕事に車を走らせた。

そうしてしばし、治まるはずの痒みは一向に治まらない。
それどころか、酷くなる一方。
そのうちに、今度は両脇の下が痒くなりだした。
「何!?こりゃ、蚊じゃなさそうだな・・・毛虫か?」
何年か前、とある現場の庭で作業していて毛虫にやられたことがあった私は、その時の症状に似ていたので、そう思った。
ただ、それでも大して気にせず、身体のあちこちをポリポリやりながら、そのまま車を走らせたのだった。


会社に戻る頃には、痒みを感じる箇所がだいぶ増えていた。
同僚も異変に気づき「首筋が赤くなっている」と、驚き気味に教えてくれた。
同僚が大袈裟に言うものだから慌てて鏡を見ると、確かに右の首筋がヒドく赤くなっていた。
「チッ!・・・今日の現場で、虫にやられたみたいなんだよね・・・」
私は、その後の自分に深刻な状況が待ち受けているとは露知らず、舌打ちしながら苦笑いした。

帰宅する頃には、胸元・膝裏・肘裏・股間等々、あちこちの皮膚が赤くなっていた。
「虫刺されじゃなく、汗疹(あせも)か?」
私は、妙な症状を怪訝に思いながら、慌てて入浴。
毛虫なら毒毛を、汗疹なら汗を洗い流さない症状は改善しないと思ったから。
しかし、入浴は何の役にも立たなかった。
皮膚の赤味は、身体の至るところに発生し、その面積は急速に拡大。
更には、痒みと熱をともないながら、ボコボコに腫れあがってきた。

夜にかけて、症状は更に深刻化。
赤腫は、熱と痒みをともないながら全身に拡大。
ほとんど全身がミミズ腫状態(模様は地図状)でボコボコ。
これと関係あるのかどうかわからなかったが、胸に痛みまででてきた。
ここまでくると、さすがに焦り始め、そのうち恐怖感すら覚えてきた

慌てた私は、似たような症状をスマホで検索。
すると、自分の症状と酷似した画像を発見。
それは、虫刺され中毒でも汗疹でもなく、“蕁麻疹(ジンマシン)”。
そして、
「原因不明のものも少なくない」
「同じような時間帯に再発することが多い」
「薬が効かないことがある」
「痒みに悩まされる」等々・・・
ネガティブな情報がたくさんでてきた。
呼吸が苦しくなったり口の中にまで異常がでたりするようなら、救急で病院に行った方がいいみたいだったが、まだ、そこまでの症状はなかったので自宅で様子をみることにした。

ただ、症状は深刻化の一途をたどった。
赤みと腫れは、ピリピリ・チクチクとした痒みを連れて、頭・顔・手平・足裏以外のほとんど全身に拡大。
我ながら、それが自分の身体とは思えないくらい悲惨な状態になってしまった。
そうして、皮膚の痒み・火照り・違和感とバトルを繰り返しながら、長い夜を過ごしたのだった。


幸い、朝になる頃には、7~8割くらいの症状が収束。
顔にも異常はなく(先天的な異常は除く)、私は、いつも通り仕事にでた。
そして、足に残っていた複雑模様の赤腫を同僚に見せながら、前夜の武勇伝(?)をハイテンションで話した。

しかし、峠を越えた安堵感を味わえたのも束の間のことだった。
昼頃になると、赤腫は再発生。
「同じような時間帯に再発生することが多い」とネットに書いてあった通り、首筋・股間・腕・胸等々、あちこちに出始めた。
そのうち、首筋にとどまっていた赤腫は顎にまで進出。
三枚目でも、顔だけは勘弁してほしかった私。
かなり焦り、仕事を早退して動揺とともに皮膚科へ急行したのだった。


病院の待合室。
Tシャツ短パン姿の私は、腕や脚を丸出し。
特に、両腕の症状は酷く、ボコボコに赤く腫れあがった
大人達は、「ジロジロ見るのは失礼」と心得ているのだが、子供達にそんな心遣いはない。
「何!?この人、気持ち悪ッ!」とばかり、私に好奇の視線を送ってきた。
人にうつるようなものではないはずなのだが、客観的に見れば、気持ち悪いのも事実。
私は、患部を隠すように腕組をして、誰とも視線を合わせないようにうつむき加減で自分の番がくるのを待った。

診断は、やはり蕁麻疹。
食べ物や接触物、アレルギー等の持病を中心に問診が繰り返されたが、前日も当日も普段と変わらないものを食べ、普段と変わらない生活しており、原因は特定できず。
私自身も、原因について、まったく心当たりなし。
思い当たるのは、せいぜい、現場で触れた草樹やまとわりついてきた虫くらい。
しかし、症状からすると、それとの因果関係はほとんどなさそう。
結局、「ストレス・疲労で、身体がSОS信号をだしているのでは?」ということになり、三種の飲み薬と一種の塗薬が処方され、診察は終わった。

幸いだったのは、発症部位が前日より少なく、変異面積が前日より小さかったこと。
その分、精神的な負荷も軽かった。
しかし、いいことばかりでもなかった。
前日はでなかったのに、症状が手平や足裏にまで発生したのだ。
他のところの痒さは何とか我慢できたものの、手平と足裏の痒みというのは、他の部位とは別格!
チリチリとした独特の痒みで、私くらいの精神力ではとても太刀打ちできず。
早々と降参し、ヤケクソ気味に掻きむしってしまった。

それでも、薬が効いたのか、たまたまなのか、その日の夕方から少しずつ症状は治まっていった。
前夜のような惨状になることもなく、就寝する頃には、ほとんど消えていた。
精神的に追い込まれていた私は、そのことがかなり嬉しくて、何もないのに上機嫌になり、前夜の睡眠不足も手伝って二日目の夜はよく眠れたのだった。


ちなみに、それ以降、大きな蕁麻疹は発症していない。
ただ、左脇腹を中心に怪しい赤斑はいくつかあり、脇下などに小さいものが出たり消えたりしている。
幸い、今現在は、それはそのまま大人しくしてくれているけど、重症化すると、斑点が面に広がり、それが赤く腫れあがってくる。
原因不明にあって油断はできない。
だから、もう薬は常用していないけど、携行はしている。
あの時の恐怖感は、まだまだ脳裏に残っているから。

とは言え、それだけではなく、学ばされたこともある。
ありきたりだけど、特に感じたのは健康の大切さとありがたさ。
昨年の夏、熱中症(?)になったとき、今年の冬、インフルエンザにかかったときにも感じたことだが、今回あらためて痛感した。
そして、好奇の視線を送られる人の気持ち。
仕事柄、好奇の視線はイヤというほど浴びてきた。
だから、その類の不快感や悲哀は知っているつもりでいた。
しかし、今回、感じたのはそれとは種を異にし、言葉の使い方を間違っているかもしれないけど“新鮮”なもので、以後、忘れてはいけないと思わせるようなものだった。


病院で渡された小冊子に、こう書いてある。
「蕁麻疹は原因不明のことが多く、原因を特定できないことも少なくない」
「疲労やストレスが原因になることがある」
そして、対策としてこう書いてある。
「ストレスをためない」
「リラックスして規則正しい生活を心がける」
「疲労・睡眠不足は避ける」

ん~・・・正直、どうすればいいのかわからない。
そもそも、「ストレス」って何? 「疲労」って何?
「リラックス」ってどうやってするの? どうやったらできるの?

常日頃から、多くのことに不平・不満・不安を抱えている私は、ストレスとは切ってもきれない仲にあり、逆に、リラックスとは縁がない。
これを、どう整えればいいのか・・・
また、疲労といったって、精神疲労もあれば肉体疲労もある。
肉体疲労は、科学的・生物学的対処法で癒せるのかもしれないが、精神疲労は、そういうわけにいかない。
気分次第、気の持ちようで、疲れもするし、疲れをとることもできる。

「俺は疲れている・・・俺は疲れているんだ」
と、思い込むことはいくらでもできるし、
「だから、休まないとダメだ」
と、自分を甘やかすこともいくらでもできる。
しかし、自分を甘やかしていいことはない。
そうは言っても、ストイックになりすぎて、“自分イジメ”をしては元も子もない。
何事も適度なバランスが必要。
このバランスが、うまい具合にストレスを発散させ、抑えるのだろう。

禁酒もストレスになれば、飲みすぎもストレスになる。
週休肝三日くらいが、私にはちょうどいい。
運動不足もストレスになれば、運動過剰もストレスになる。
一日3~4kmのウォーキングが、私にはちょうどいい。
怠けすぎもストレスになれば、働きすぎもストレスになる。
週休三日くらいが、私にはちょうどいい?(願望)

しかし、仕事は選べない。
腐乱死体現場でも、自殺現場でも、殺人現場でも、動物死骸でも、ゴミ部屋でも、糞尿トイレでも、大きなストレスがかかろうが、疲労困憊に陥ろうが、自分が取捨選択できるわけでもなければ、避けて通れるわけでもない。
この仕事に従事し、この仕事で生活している以上は、やりたくなくてもやらなければならないのだ。
ただ、それは、この仕事に限ったことではない。
程度にこそ差はあるだろうけど、私の仕事に限らず、ほとんどの仕事が同じだと思う。

ストレスの原因を掘り下げてみると、やはり仕事が第一のように思われる。
が、その元凶は、自分の怠惰性・不甲斐なさ・だらしなさ等だったりする。
不平を謙虚さで、不満を感謝の念で 不安を勇気で覆せない自分の弱い心だったりする。
そして、そんな自分の弱さと戦えない自分だったりして、単なる思い込みや自己洗脳では決着がつけることができないものだったりする。

どちらにしろ、それらが生みだすストレスや疲労は小さくはない。
これとどう対峙し、どう片付けていくか・・・苦悩は尽きない・・・
時に心を掻きむしり、時に心を掻きむしられるような思いに苛まれることを繰り返している。
何かの因果か悲しい性か、私という人間の心には、ストレス・疲労が大きくなるようなことばかりが湧いてしまう。
その症状は、一向によくならず、ここまでくると愚を通り越して滑稽なくらいである。

それでも私は、探したい・・・
自分の蕁麻心を治す薬を。
一時の人生を必死実直に生きることによって煎じられる、その薬を探し続けたい。

金も能も地位もない、小さく弱い人間だけど、せっかくの人生、せっかくの自分。
そうして生きてきたことを、こうして生きていることを、他の誰にでもなく自分自身に証したいのである。


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おもいやり

2016-08-09 08:52:14 | 特殊清掃 消臭消毒
出向いた現場は、“超”をつけてもいいくらいの老朽アパート。
その一室で、高齢の住人が孤独死。
死後、約一週間
夏も盛りを越えていたが残暑厳しく、遺体は重度に腐乱。
外部に異臭が漏れ出し、また、窓に無数のハエがたかり、事が明るみになった。

玄関前に立つと、私の鼻は早々と異臭を関知。
中が相当なことになっていることを想像しながら、私は、鍵を挿入。
ドアを開けると、それまでのものより数ランク上の異臭と熱気が噴出。
中が相当なことになっていることを更に想像しながら、私は、室内に足を踏み入れた。

間取りは2DK。
昔よくあった造りで、玄関を入るとすぐに小さな台所があり、その奥の左右に和室が二部屋。
遺体痕は、左側の和室の布団にあり、クッキリとした黒色の人型を形成。
その周囲には大量のウジが湧いており、それらが次々と無数のハエとなって羽化。
部屋に入ってきた私に反応して、騒々しいくらいの羽音を立てながら縦横無尽に飛び始めた。

部屋にある家財は少なめ。
故人は、几帳面な性格できれい好きだったと思われ、整理整頓・清掃は行き届いていた。
しかし、そこは重度の腐乱死体現場。
その痕は、生前の整理整頓も行き届いた清掃も、すべてを台なしにしていた。

特掃検分を依頼してきたのは、故人の娘。
見たところ私と同年代、または少し若いくらいの女性で、緊張の面持ちながら、キチンとした言葉づかいと落ち着いた物腰。
女性は、故人のアパートの賃貸借契約の保証人にもなっており、仮に道義的なことが除けたとしても、法的には、ある程度の責任を負わなければならない立場にあった。
ただ、女性は、道義的な責任も充分に感じ、相応の責任を負う覚悟も持っており、私に好印象を与えた。
また、部屋を原状回復させるには、それなりの内装改修工事を要することも察しており、かかる費用が大きなものになることも想像できているようだった。

故人が、このアパートに暮らしたのは数年。
数年前までは息子(女性の兄)と同居していたのだが、嫁と折り合いが悪く、その家を出た。
そして、女性宅からさほど遠くなく、しかも家賃が安いということで、このアパートに移り住んだ。

生活の糧は、現役の頃にコツコツ掛けてきた年金。
限られた収入の中での節約生活。
それでも、好きな酒を飲んだり、趣味の釣りに出かけたり、たまに孫に会いに来ては小遣いを渡したりと、分相応の楽しみをもって暮していた。
が、そんな平穏な日々は、何の前ぶれもなく突然に、本人の意を介することなく、ひっそりと終わりを告げたのだった。

「自分達はきれいな家に住んで、父だけこんなところで生活させて・・・」
「しかも、一人で死なせてしまって・・・」
「本当に・・・親不孝ですね・・・」
多額の費用がかかっても、女性は、責任をもって償うつもりだった。
その姿は、“大家に対して償う”というより故人に対して何かを償おうとしているようにも見えた。

しかし、このアパート、だいぶ古びているし、共用部の清掃やメンテナンス等、日常の維持管理業務もキチンと行われていない感じ。
更には、他に空部屋もあるよう。
私は、
「一人の生活のほうが気楽ってこともありますから・・・」
「人が死ぬことも、肉体が腐敗するのもフツーのことで、世間が思うほど特別なことじゃありませんよ・・・」
「勝手に算段しないで、とりあえず、大家さんと相談されたほうがいいと思いますよ」
と沈む女性をフォロー。
そして、
「作業内容にも関わるので、私も大家さんの考えを聞きたいですし・・・」
と、女性の誠実さに勇気をもらったような気がした私は、暗に、大家との折衝に助太刀するつもりがある旨を示した。


一口に「大家」と言っても、色んなタイプの人がいる。
資産家でも強欲で冷たい人もいれば、金持ちじゃなくても大らかで優しい人もいる。
部屋の原状回復責任はもちろん、減額分の家賃を将来に渡って遺族に補償させる大家もいれば、必要最小限の処理で了承する大家もいる。
ただ、どちらにしろ、遺族の立場ではなかなか抗弁しにくいものがある。
特定の誰かが悪いわけではないのだけど、人々の目には、孤独死腐乱は、どうしたって故人(遺族側)に落度があるように見えてしまうから。
また、遺族も、後ろめたさや罪悪感のようなものを抱いてしまうから。

ただ、遺族も、そんな人達ばかりではない。
手間や費用を負担するのがイヤで、一切関知しない遺族もいる。
法的にも道義的にも社会通念上も責任を負わなくて済む立場にあれば、それもゆるされるだろうけど、法的義務や道義的責任があろうが、そんなのお構いなしに放置する人達がいる。
「ない袖は振れない」「裁判でも何でもすきにすればいい」と開き直るならまだしも、極端な場合、貴重品類だけ持ち出して、「あとは知らない」と無視を決め込む人達もいるのだ。

したがって、“大家vs遺族”、バトルになるケースも少なくない。
そして、仕事柄、それに巻き込まれることも少なくない。
互いに利己主義をぶつけ合う、そんな殺伐とした人間関係を目の当たりにすると、何とも寂しいような寒々しさを感じる。
そして、第三者ながら、不快感や憤りを覚えることもある。
ただ、どちらの味方をするかは、その時々の状況と立ち位置で変わる。
この仕事も一応は“客商売”なので、ほとんどの場合、“客”の味方をすることになる。
大家が客の場合は大家の味方、遺族が客の場合は遺族の味方をするわけ。
判断基準は、“正義”ではなく“金”というのが悩ましいところ。
ただ、これが現実、これも現実。
幸いなのは、それが不本意なものになることが少ないこと。
大方の人が“珍業の達人”(?)として一目置いてくれ、私の意見を尊重してくれ、結果的に、正義に大きく反することを強いられるハメにはならないことが多いのである。


その日の夜、私は、大家に電話を入れた。
大家の声から想像できる年齢は私と同年代・・・または少し上くらいの男性。
言葉遣いは礼儀正しく丁寧で、ゆったりした口調。
今回の件について目くじらを立てているような様子はなく、まずは好印象。
とはいえ、それだけで“大家のタイプ”が見極められるわけではない。
私は、最初から核心(汚染状況)には触れず、部屋の概況と原状回復に必要なプロセスを説明。
男性が抱く先入観がマイナス方向に働いてはいけないので、グロテスクな表現は極力避け、ネガティブな場面はソフトに表現し、一通りの説明を終えた。
そして、遺族(女性)は、責任をとる覚悟をもった誠実な人物であることを念押しした上で男性の見解を尋ねた。

このアパートを建てたのは男性の親。
だから、厳密に言うと男性は大家ではなく“大家代理”。
真の大家は、老齢で病床にあり身動きがとれないため、息子である男性が代理で必要業務を担っているとのこと。
また、大家は、他にも何棟かアパートを所有しているそうで、結構な資産家であることを匂わせた。
が、団扇を左で扇げたのは、遠い昔のこと。
今は、どのアパートも老朽化が激しく、空室も少なくなく、更に、建物管理費・修繕費・固定資産税などを差し引くと利益はほとんどなし。
家賃収入が極端に落ち込むようなときや、修繕費が想定外にかさんだときは、トータルの損益がマイナスになることもあるようだった。

そんな状況で、男性は、アパート経営にはかなり消極的。
自分はサラリーマンとして生計を立てているし、人口(賃借人)が減少している時勢において、借金して建て直すのもハイリスクだし、日々における維持管理の負担も重い。
本当のところは、旨味のないアパート経営なんてさっさとやめて身軽になりたいよう。
しかし、もともとは、親が夢を持って始めたアパート経営。
当初は、多額の借金もして苦労したわけで、そんな親が生きているうちにアパート経営をやめることは親の意思にも義理にも反する。
どちらにしろ、親が亡くなったときは、相続税支払いのために売ることになるわけで、それまでは、何とか頑張って現状を維持するつもりでいるようだった。

「父も、もう長くなさそうですし・・・最後の親孝行ですよ」
と、男性は気恥ずかしげに笑った。
そして、
「こんなボロアパート、なおしたところで誰も入らないですよ・・・」
「そもそも、空いている部屋が他にあるわけですし・・・」
「御遺族も、こんなことになって大変な思いをされているでしょうし、家財の処分と近隣に迷惑がかからないくらいの消臭消毒をしてもらえれば、あとはそのまま放ってもらって構いませんから」
と、客観的な判断にもとづいた寛容は考えを示してくれた。

男性が、強欲冷酷なタイプでなく、また、こじれる可能性も充分にあった懸案が予想以上にスムーズに解けて、私はホッとした。
と同時に、そういう人の存在を嬉しくも思った。


男性も女性も、それぞれにそれぞれの親を想っていた。
それは、例え小さくても、人にあたたかいものを抱かせる。
思いやられる側の人だけではなく、思いやる側の人にも。
そして、それは、天の恵雨が地に浸み広がるように、当事者を越えて多くの人々の心に沁み渡っていく。
男性の親を想う気持ちが間接的に女性を助けたように、女性の親を想う気持ちが間接的に男性の寛容さを後押ししたように。
そして、二人の思いやりが、汚仕事に汗する私を励ましたように。

これも、人が人と交わり、人が人と生きることの醍醐味なのだろう・・・
そして、人が人であるための大切な意味なのだろう・・・
常日頃、「一人が気楽」とイキがっている冷淡薄情な私でも、少しはそのことがわかった。
そして、“自分本位の感傷”と知りつつも、上の方から、故人が男性と女性にペコリと頭を下げて笑いかけているように思えて、臭く汚れた顔の右半分に小さな笑みを浮かべたのだった。



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2016-08-01 08:09:39 | 特殊清掃
今日から八月、盛夏。
前回、「梅雨明けはいつ?」なんて余裕こいたこと言っていたら、その翌日、さっさと梅雨は明け、猛暑・酷暑の時季がスタート。
ただでさえ、日々、色んなものと戦わなければならないのに、これから更に“暑”を相手に戦わなければならないわけ。
で、不快指数は急上昇。
ちょっと動いただけで、身体は汗まみれ脂まみれ。
お陰で、些細なことでイライラしてしまう。

この暑さは、結構、厄介。
やはり、気温が高いと肉は腐りやすく、現場が凄惨なものになりやすい。
肉体は腐敗ガスを含んでスポンジのようになり、それがどんどん膨張していく。
想像しにくいと思うけど、生前の2倍・3倍に膨れ上がる。
そして、体表(側面が多い)の各所には水疱が現れ、その中には腐敗ガスとともに黄・赤・茶、時には緑色の腐敗体液がたまる。
そのうち、肉は固体の維持力を失い、著しい悪臭を放ちながら溶解を始める・・・髪、爪、骨などの固形物を残し、液状化していくのである。

そうなるのは、長期放置の遺体ばかりではない。
敗血症の遺体の場合、極めて短時間でこの症状が現れる。
前夜には眠っているようにしか見えなかった故人が、翌朝になると、まるで別人のようになっていたということは珍しくなく、家族でさえ遺体に恐怖心を抱く人もいる。

私も、これまで、何度となく腐敗の進んだ遺体を柩に納めてきた。
その作業は、かなりキツいものがある。
特殊清掃の相手は、髪、爪、歯、皮膚、骨、血、脂、体液、溶肉、あっても小骨や耳くらい。
そういった“部品”が相手。
しかし、遺体処置業務の場合は、遺体本体が相手。
変容著しいとはいえ人間のかたちをしており、特殊清掃とは次元を異にした過酷さがある。


呼ばれた現場は、街中に建つ古いマンション。
依頼者は、故人の息子(以後、遺族男性)。
約束の日時、1Fエントランスで待ち合わせた我々は、周囲に目立たないよう小声で短く挨拶。
それから、私は遺族男性に、遺体発見の経緯や部屋の状況を訊ねた。

亡くなったのは老年の男性(遺族男性の父親)。
死後数日が経過して後の発見。
ただ、季節は真冬。
暖房がついていると夏場に近い感じの変容が起こる可能性が高かったが、不幸中の幸いで、部屋の暖房を切られた状態。
低温乾燥の影響だろう、死後数日が経過していても特段の腐敗は進行せず。
変容と言えば、肌の色がわずかに黒ずんでいたことくらいだった。

したがって、検分に入った部屋にも違和感はなし。
一般的な生活臭や、どこの家にもある固有臭は感じられたけど、いわゆる腐乱死体臭も感じず。
亡くなっていたのは寝室のベッドだったが、そこに汚染痕もなし。
ウジ・ハエの発生もなく、事前情報以外に人の死を知らせるものは何もなかった。

ところが、遺族男性は、
「隣の人から苦情がきてまして・・・」
という。
そして、
「苦情???」
と、首を傾げる私に、
「後で、そちらに、室内の状況と作業の説明をしに行ってもらえますか?」
「第三者の客観的な意見だったら、聞いてもらえるかもしれないので・・・」
と、何やら事情ありげなことを言ってきた。

怪訝に思いながら、我々は、高齢の男性が一人で暮している隣の部屋を訪問。
遺族がインターフォンを鳴らすと、中から住人の男性(以後、隣室男性)がでてきた。
隣室男性は憮然とした表情で、
「換気扇・換気口・排水口は全部ふさげ!」
「窓・ドアは眼張りしろ!」
「玄関を開けるときは、事前にその日時を知らせて許可をとれ!」
「作業内容を事前に説明し、許可をとれ!」
「エレベーターは使うな!階段を使え!」
「室内で着ていた作業服で外へ出るな!」
等と、こちらの説明には聞く耳も持たず、一方的に注文をつけてきた。

故人の部屋からは異臭がでているわけでもなければ、害虫がでているわけでもなし。
したがって、周囲に目に見える実害はなし。
ただ、「亡くなって数日の間、その身体が部屋にあった」というだけのこと。
にも関わらず、隣室男性は大騒ぎ。
その態度に、「何様のつもりだ?」と、私の不快指数は急上昇。
故人にどれほどの落ち度があって、また、隣室男性にどれほどの権利があってそんな命令をするのか、到底、納得できるものではなかった。

それでも、遺族男性は、隣室男性に対して平身低頭。
「隣の部屋で死んでたわけですから・・・」
「イヤな思いをさせてしまったのは事実ですから・・・」
と、謙虚に隣室男性の文句を聞き、ひたすら頭を下げていた。
また、その様は、発見まで時間がかかったことに対し、故人に頭を下げている姿にも見え、遺族男性のただならぬ心痛が察せられた。

それからも、隣室男性からのクレームや注文は頻発した。
私は、元来、気の弱い臆病者ではあるけど、そんな私でもそれに対して内々でキレまくっていた。
しかし、矢面に立たされてもジッと辛抱している遺族男性を前に表立ってキレるわけにはいかない。
結果、遺族男性に迷惑がかからぬよう、私も辛抱に辛抱を重ねながら仕事を進めていった。

それから後のある日、必要ではなかった消臭消毒作業をあえて行い、家財の荷造梱包を終わらせた段階で、家財の搬出作業についての許可を得るべく、管理会社と管理組合に申請した。
ただ、双方とも作業は了承してくれたものの“隣室男性とは関わりたくない”といった物腰で
「隣と揉めないように気をつけて下さい」
「あの人、こっちにも苦情を入れてくるので・・・」
と、揉め事に巻き込まれるのを嫌って、我々と距離を空けてきた。
ただ、私と遺族男性は、それはそれで仕方がないものと割り切り、次に、家財搬出の件を伝えるため、足取り重く隣室男性宅を訪れた。

出てきた隣室男性は、相変わらず憮然とし、横柄な態度。
家財搬出の日時と、その際は玄関ドアを開けたまま作業させてほしい旨を伝えると、
「ダメ!ダメ!」
と、あっさり却下。
更に、
「少しは、人の迷惑も考えなよ!」
と、人を見下すように鼻で笑った。

人間の堪忍袋の尾の耐久力は、人それぞれ。
遺族男性の尾は、かなり強い方だった。
しかし、隣室男性の度を超した言い草に、とうとう、その尾はプチッと切れた。
「迷惑」という言葉と鼻で笑った隣室男性の態度が、遺族男性の逆鱗に触れたようだった。

「迷惑!? 迷惑って何ですか!!」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ!!」
と、それまでの温和な顔を鬼の形相に豹変させ、遺族男性は、いきなり怒鳴り始めた。
そして、
「父はそんなに悪いことをしたんですか!?」
「自分の家で亡くなるのが、そんなに悪いことですか!?」
「アナタの身内は誰も亡くなっていないんですか!?」
「アナタは死なないんですか!?」
と大爆発!
相当に鬱憤がたまっていたようで、敬語が敬語に聞えないくらいの勢いで、隣室男性に言弾を撃ちまくった。

その場にいた私は、胸のすくような思いがしたものの、それに対して罪悪感・羞恥心みたいなものを感じなくもなかった。
ただ、とりあえず、何かのときには男性の援護射撃をするつもりで言弾は用意した。
が、結局、その出番はなし。
怒ることには慣れていても、怒られることには慣れていないのか、隣室男性は驚きの表情を浮かべて沈黙。
何か言い返したようだったが、遺族男性のパワーに圧倒されて声も出ないよう。
動揺も露にシドロモドロ、モゴモゴと口ごもるばかり。
結局、
「う・・・う・・・うるさい!」
と一言吠えただけで玄関を閉めてしまった。


幸いなことに、その後、二度と隣室男性の顔を見ることはなかった。
ただ、振り返ると、隣室男性の心を怒らせたのは“死”だったのかもしれないと思う。
高齢独居の隣室男性にとって、隣人の孤独死は他人事では済まされなかったのかもしれない。
そして、あれは、死を嫌悪し、死を恐れるあまりの態度だったのかもしれない。
激高した遺族男性も然り。
父親を一人で死なせ、また、すぐに気づけなかったことで湧いてきた後悔や罪悪感のようなものが、感情を極端に激させたのかもしれなかった。
そう思うと、あの仕事の時々で隣室男性に対して抱いた不快感も少しは中和されるような気がするし、怒りを抑えることができなかった遺族男性の心の痛みも少しはわかるような気がする。
私も、死を前にし、死に悩み、死を避けられない ただの人間だから。

とにもかくにも、“怒”というヤツは面白いもの。
感情の中でも特に“怒”は、自分でコントロールすることが難しい。
そして、まるで別人格のように人を変え、また、普段にはないパワーを発揮させる。
しかし、それがプラスに働くことは少ないような気がする。
制御可能な怒りならまだしも、制御不能の怒りは自分に災いをもたらす。
多くは、時に自分を見失わせ、時に取り返しのつかないことを引き起こす。

怒りを鎮めるのは理性良心の中にある寛容さ、冷静さ、謙虚さ、そして、忍耐力。
では、それらを育むのは何か。
それは、“自己愛”・・・多くの人が持っている、“自分のため”という自分を大切に想う気持ち。
大局的にみて、長期的にみて、それが自分のためになるかどうか考えれば、自ずと答は現れる。
そして、その答に従えばいいのである。

なんて、偉そうなことを言いながら・・・
友達でもないのに年下の人間にタメ口をきかれたとき、
渋滞で自車の前に割り込ませてやった車がハザードランプを点滅させないとき、
レジで、手を触ろうとしていると思われたくなくて掌を平にしているにも関わらず、女性店員に釣銭を落とすように渡されたとき、
等々・・・
つまらないことにムッとして余計なストレスを抱えてしまう、歳の割に未熟な私である。


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2016-07-27 08:57:02 | 特殊清掃 消臭消毒
今年の梅雨明けはいつになるのか・・・
このままだと「○日に梅雨は明けていた」といった過去形の宣言になるのではないだろうか。

このところ、関東は曇天が多く、過ごしやすい日が続いている。
朝晩は涼しさが感じられ、このまま秋になるんじゃないかと錯覚するくらい。
陽が照らないと困る人もいるのだろうけど、私個人としては、この涼は歓迎できる。
日中はムシムシするけど、カンカン照りに比べたらマシ。かなり。
猛暑に比べたら、身体が随分と楽だからである。

しかし、残念ながら、それも束の間のことだろう。
暑さの本番はすぐにやってくる。
そんな中での現場作業は、ホントにキツい!!
暑い中、多くの人が頑張っているのだから、愚痴ばかり言ってはいられないけど、ホントにツラい!
汗は滝のように流れるし、心臓もバクバクしてくる。
目眩を起こしそうな、危険な状況になることもある。

昨年の今頃も、私は著しく体調を崩した。
夕飯を食べた直後から吐気をもよおし、夜通しそれに苦しんで、何度か嘔吐。
翌日も体調は回復せず、吐気と倦怠感に襲われ続けた。
それでも仕事の約束を違えるのは憚(はばか)られ、身体を引きずるように現場へ。
フラフラの状態で、何度も座り込みながら汚仕事に従事したのを憶えている。

病院に行ってないから、あれが熱中症だったのかどうかわからないけど、油断は大敵。
常日頃から注意が必要。
こまめな水分補給はもちろん、作業を急く気を抑えてチャンと休憩をとる必要もある。
また、食事も三食バランスよくしっかりとり、夜もゆっくり休養することが大切。
酒を飲み過ぎないこともそう。

そうは言っても、この時季は、一段と酒が美味い。
一本目、350mlの缶ビールなんて、1分ともたない。
二息半くらいで飲み干してしまう。
そして、それを皮切りに、ハイボール、缶チューハイと立て続けに喉に流し込んでいく。
自分と約束した週休肝二日(実際は三日)を堅持している分、一晩の酒量が増えてしまっているが、これも庶民のささやかな幸せ。
健康と翌日の仕事に気を配りつつ楽しみたい。

健康管理の術は、減酒だけではなく体重管理もある。
一昨年の秋から冬にかけて、私は、標準体重を目標に数kgダイエット。
それから今日に至るまでリバウンドに気をつけながら、体重を維持している。
結果的に、このダイエットは正解だった。
たった6~7kgの減量だけど、身体が軽いと動いて楽。
特に、現場作業では、その効果が覿面(てきめん)に表れる。
疲れはするけど、テキパキと身軽に動くことができるのである。
体重を増やさないためには“食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲む”なんてことはもちろん、“時間が空けば、とにかくダラダラ・ゴロゴロ”なんてことはできないけど、結局のところ、小さな自制が自分を大きく助けてくれている。

ただ、留意しなければならないこともある。
体重は標準でも体脂肪率が高くてはどうしようもない。
体重だけでなく体脂肪率も適正値にしなければ意味がない。
そう・・・“隠れ肥満”にならないようにしなければならないのだ。
しかし、私は、その辺の意識に欠けていた。
だから、手法は食事制限のみ。
「運動で消費できるカロリーなんて、たかが知れている」と、運動には一切注力せず過ごし、体重減だけで満足していた。

そんな中で、昨年秋からはじめたウォーキング。
運動不足解消や体脂肪率減少が目的で始めたことではなく、第一の目的は、気晴らし・気分転換・日光浴。
冬に向かって欝っぽくなっていく自分がイヤで、できる努力はしようと思い立ったのだ。
結果的に、それが運動不足解消や体脂肪率減少の一助になり、まさに一石三鳥となった。

ただ、このところは、股関節を傷めたこともあり、現場も忙しくなってきたため、毎日のようには歩けなくなっている。
「一日一万歩が理想」とも言われるけど、無意識のうちに、なかなかそこまで歩けるものではない。
そうなると、日常生活や仕事上で動き回って歩を重ねるしかない。
ただ、難なのは、自分の怠け心、だらしなさ。
コイツが、私の邪魔をする。
何事も面倒臭がるコイツをいかに始末するか、これが難題なのである。


「異臭が漏れて近隣から苦情がきている」
「できるだけ急いで来てほしい!」
不動産管理会社から連絡が入った。
他の現場で作業をしていた私は、急務ではなかったそれを途中で切り上げ、依頼の現場へ急行した。

訪れたのは、街中に建つ小規模マンション。
全戸、ワンルームタイプで、学生や独身者向けの建物。
問題の部屋は、その上階。
エレベーターを降りると、すぐに覚えのあるニオイが私の鼻をくぐってきた。
そして、部屋に近づくにつれ、異臭の濃度はどんどんと高くなっていった。

とりあえず、近隣の異臭騒ぎを収めるのが、求められた私の役目。
そのためには、とりあえず、室内の遺体痕を処理するのが先決。
しかし、権利者(相続人・遺族など)の許可なくして立ち入るのはリスキー。
したがって、室内の処理は権利者に確認した上で行うことになり、管理会社は鍵を持ってはいたものの開錠まではせず。
私は、共用廊下に消臭剤と消毒剤を撒いて、ドアの隙間や換気口をテープで塞ぎ、その場を収めた。

数日後、「遺族から立ち入りの許可がもらえた」とのことで、私は再び現場に呼ばれた。
「遺族」というのは、故人と何年も前に別れた元妻と子。
ただ、別れて以降は絶縁状態で、故人との付き合いは一切なかったよう。
だから、よくよく聞くと、遺族は“立ち入りを許可した”のではなく「関知しない」「すきなようにしていい」と放任しただけ。
「知らぬ、存ぜぬ」と、血縁によってふりかかりそうになった火の粉を避けただけだった。

亡くなったのは初老の男性、生活保護受給者。
故人の部屋は、いわゆる“ゴミ部屋”。
「山積み」という程ではなかったものの、床はゴミに覆われほとんど見えておらず。
また、掃除らしい掃除は一切していなかったようで、風呂はカビと水垢だらけ、トイレは糞尿まみれ、台所流台のステンレスも厚みを感じさせるくらいの汚れが付着。
体調を崩していたが故にそうなったのか、部屋には何種類もの薬が散乱。
それでも酒の瓶缶がたくさん転がっており、結構、荒んだ生活をしていたことがうかがえた。

遺体汚染痕は、ベッドの布団に一部、その脇の床に一部残留。
私には、ベッドに座った状態で、そのまま横に倒れたと思われ、布団には上半身の型が浮き出ていた。
ただ、その布団は、まるで雑巾のようで、遺体痕があってもなくても大差ないくらいボロボロ。
また、その下の床もゴミだらけで、腐敗液が広がっていたものの、それがあってもなくても大差ないくらい酷い有様だった。

凄まじく汚らしい光景だったけど、私にとっては驚くほどのものではなし。
私は、とりあえず、腐敗液が浸みた布団をウジごとたたんでビニール袋へ。
そして、それを、ニオイが漏れないよう何重にも固く梱包。
それから、遺体搬出時に警察が放り投げたと思われる掛布団も拾い上げ、汚れていることを確認して同じように梱包した。

次は床。
先に片付けた布団は、汚れてない部分を選んで掴むことができ、手を汚さなくても済んだが、ここはそういうわけにはいかない。
腐敗液は大量のゴミに絡みついており、ゴミごと処理するより術はなし。
私は、腐敗液でヌルヌルになったゴミを掴んでゴミ袋に詰めていった。

汚物を始末したら、今度は掃除。
ベッドに着いた腐敗液、床に広がった腐敗液、その下に凝固した腐敗粘度、それらを拭き取り、削り取っていく作業。
床にしゃがみ込んで黙々と行う地味な作業で、頭に湧いたことが否応なく巡っていった。

そこは、物理的にも心的にも凄惨な腐乱死体現場・・・
その痕を始末することによって生きている私。
人生を終えた故人と、人生の只中にいる自分を頭の演壇に上げ、働けることのありがたさ、仕事があることの嬉しさ、汚仕事のツラさ、珍業の惨めさ等々、私は、そういった心情をグルグルと回しながら、同時に、元肉体で汚れる手に自分の強さではない他の何かの強さを感じながら作業を進めていった。


故人は、どんな人生を歩いてきたのか・・・
若いときは元妻と恋愛し、好きで結婚したのだろう。
そして、望んで子を授かったのだろうし、幸せな家庭を築いたことだろう。
しかし、故人は、そこからは想像もできない晩年を迎えた・・・
妻子と絶縁状態になったのには、相応の経緯と理由があったのだろう。
荒れた生活をしていたのにも、相応の原因があったのだろう。
健康を失い、仕事も金もなく、そして夢も希望もなく、一日一日をただただ生きていたのか・・・
「侘(わび)しい晩年だった」なんて、他人が浅はかに決めつけてはいけないけど、どう見ても幸せに暮らしていたようには思えなかった。

私は、故人が生活保護費で酒を飲んでいたことに引っかかりも覚えたし、他人の迷惑も省みず部屋を著しく汚損させなかったことに違和感も覚えた。
ただ、これもまた、一人の人間の歩み。
終わってしまった人生に負の足を踏み入れても益はない。
私は、故人のためではなく自分のために、正の足をもって心を運動させ、自分なりにそれを鍛えようと努力した。


人それぞれに人生の歩みがある。
進む速さは皆同じながらも、長さと道は皆違う。
人が羨むような道もある。
逆に、人が嫌悪し蔑む道もある。
望む道だけではなく、望まぬ道を歩かなければならないときもある。
私自身、望むような道とは程遠い道を歩いている。
やりたくない仕事をやり、行きたくない現場に向かい、
逃げたいのに逃げられず、楽したいのに楽できず、
泣きたいのに泣けず、笑いたいのに笑えず、
「いつまでもこんなことやってたらマズい」と憂う自分と、「この道を究めるしかないのか・・・」と諦める自分の狭間で、頭を抱えている。
ただ、どんなに嘆いても、後戻りはできない。
どんなに肉体や精神を鍛えようが、気力を振り絞って念じようが、若返ることはできない。
間違いなく、歩は進み、月日は過ぎ去っているのである。

ならば、楽な方ではなく楽しめる方へ、逃げる方ではなく挑む方へ、下の方ではなく上の方へ歩きたいもの。
こうして悩んでいるうちに、いつの間にか終わってしまうのが人生かもしれないけど、尽きない不平・不満・不安を、限りない感謝・喜び・希望に変えて歩いていきたいものである。
この歩・・・この一歩一歩そのものが、輝ける唯一生なのだから。


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追憶の影

2016-07-06 07:56:51 | 特殊清掃
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は老年の男性。
「自宅の一部屋に家族の遺品がまとめてあるので、それを片付けてほしい」
とのこと。
私は、例によって、事前の現地調査が必要であることを説明し、その日時を約した。

訪れた現場は、古びた感のある一般的な一軒家。
約束の時間の五分前に家の前に車をとめると、その音を聞きつけてだろう、インターフォンを押す前に家の中から一人の男性がでてきた。
「こんにちは」
「お待ちしてました」
お互い、お互いのことはすぐにわかったので、すぐに 視線を合わせて挨拶を交わした。

目的の部屋は、家の二階の一室。
玄関を通された私は、男性の後をついて二階へ。
そこは、普通の六畳間ながら、日常の生活で立ち入っているような生活感はなく、色々なモノが所狭しと並べられ、また積み重ねられ、様相はまるで物置。
段ボール箱に入った荷物も多く、引っ越してきたばかりの家で、荷解きする前の荷物を仮置きしているような光景だった。

部屋には、老年の女性がいた。
女性は、男性の妻で、小さな椅子に腰掛け、自宅に現れた見ず知らずの私には目もくれず、ただ宙を見つめていた。
その顔は無表情で弱々しく、私は、ちょっと異様な空気を感じたが、とりあえず笑顔をつくって
「お邪魔します」
と挨拶。
すると、女性は、うつろな視線を私に移し、椅子に座ったまま私にお辞儀をしてくれた。

女性が身体の健康を損ねていることは一目瞭然。
それだけではなく、精神を弱めていることも容易に察せられた。
ただ、そんな心情を態度に出すと男性が余計な気を使うと思い、私は、そんなことは気にも留めていないフリをして事務的に事をすすめた。

勉強机、本棚、ゲーム玩具、レコード、カセットテープ、ミニコンポ、雑誌書籍、辞典辞書、洋服etc・・・
部屋には色々なモノがあったが、どれもこれも、時代を感じさせる古びたモノばかり。
ただ、よく見ると、「家族」と言っても夫妻の親兄弟が使っていたモノではなさそう。
私は、荷物の持主が誰であるかということが気になってきて、黙って荷物を見分しながら、そのことについて考えを巡らせた。

思いついた“答”は、夫妻の子供。
置いてある品物を確認すればするほど、それが最も合理的な結論となった。
成人し独立した子が昔使っていたモノで、実家に放置したままにしている可能性はあったが、ただ、男性は最初に電話で話したとき、荷物を「遺品」と呼んでいた。
と言うことは、夫妻の子は、もう亡くなっているということになるわけで・・・
つまり、“夫妻は子に先立たれた親”ということになり、私は、礼儀のつもりで浮かべていた笑顔を消し、神妙な面持ちに変えていった。
そして、訊かれたくないことかもしれなかったので、私は余計なことを訊かず、黙々と見分を進めていった。

荷物は六畳一部屋分のみで、散らかっているわけでもなし。
現地作業は半日もあれば充分で、必要な作業内容もかかる費用もシンプルなものとなった私は、それを男性に説明し、男性は、それについて私にいくつかの質問をした。
そして、男性は、傍らでそのやりとりを聞いていた妻の同意を丁寧に確認したうえで、契約書にサインと押印をした。


作業日は、双方の都合を調整し、現地調査から一週間後のある日に決定していた。
しかし、作業日の前日になって、男性が電話をかけてきた。
用件は、作業中止の申し出。
日時の都合が悪くなっての延期とかではなく、作業(契約)そのもののキャンセルを依頼するものだった。

一旦結んだ契約が解除になるのは仕方がない。
予期せぬ事情が後から生じたり、気が変わったりするなんてことは珍しいことではない。
そうは言っても、一旦成立した契約をキャンセルされるのは、決して気分のいいものではない。
しかも、前日になってのキャンセルはマナー違反。
気分を悪くした私は、相応の理由、もしくは相応のキャンセル料がないと承諾したくなく、権利をもってその理由を訊ねた。

「妻が拒んでいるもので・・・」
男性の口から出たのは、身勝手にも思われる理由だった。
現地調査のときには、妻も荷物の片付けに同意したはずであり、その場にいた私も自分の目でそれを確認していた。
が、その直後、妻は翻意し、荷物を片付けることを拒否。
その抵抗は強く、男性が説得を試みても、頑として受け付けず。
結局、男性は、作業中止を判断せざるを得なくなったのだった。

とりあえずの理由を聞いた私だったが、それでも納得はできず。
「だったら、もっと早く言ってくれればいいのに・・・」
と、不満を覚え、その気持ちを口から吐き出しそうになった。
しかし、目くじらを立てるほどの実害を被ったわけではない。
また、男性は、礼をもって詫びてくれている。
連絡が間際になったのも、直前まで妻を説得し続けていたことによるものと推察できたし、私は、不満を爆発させるエネルギーを、頭を冷やすほうに向けた。

男性は、とにかく私に平謝り。
電話の向こうで平身低頭になっている姿が思い浮かぶくらい、何度も何度も詫びの言葉を口にした。
そして、事情を詳しく説明する責任があると思ったようで、今回の遺品処理にまつわる経緯を話し始めた。


夫妻は、子供を三人もうけた。
最初は女の子。
しかし、長女は生後間もなく先天性の病で死去。
次は男の子が生まれた。
が、長男も若くして病死。
三人目の子、次男がいたが、一人残っていた彼も、中年を迎えることなく病気で亡くなってしまった。
つまり、夫妻は、せっかく授かった三人の子供全員を亡くしていたのだった。

夫妻が味わった悲しみは、どれほどのものか・・・
襲ってきた喪失感と寂しさはどれほどのものか・・・
その悲哀は、辛酸の真味を知らない私が想像できるものではなく・・・
亡くした子の人数で親の悲嘆の大きさが計れるものではないはずだけど、経緯を聞いた私は自分の耳を疑いながら絶句。
電話の場合、相手の表情や態度が見えないから、私は、「話はちゃんと聞いてますよ」という意思の表れとして、相槌の代わりに小刻みに返事をしていたのだが、あまりの気の毒さに、その短い返事すら口にすることができなくなった。

三人の子を授かって、三人とも自分達(親)より先に死ぬなんて・・・
普段の行いが悪いせいか、何かの罰か、何かの祟りか・・・夫妻は、そんな風に考えたかもしれない。
私は、そんなところに理由はないと思うけど、自分達の子供が短命で人生を終わらなければならない理由、自分達が子供を奪われる理由を欲しただろう。
そして、それが、“運命”“宿命”“摂理”等・・・人の力ではどうすることもできない領域にあるものだと頭では理解しても、心底では納得することができず、悲しみを超えた強い憤りを覚えただろう。
それでも、前向きに生きようと、出口の見えないトンネルを夫妻は必死で歩いたものと思われた。

しかし、紆余曲折を経て、女性は鬱病を発症。
結構な重症で、通院と服薬だけではラチがあかず、一時は入院し療養。
症状が深刻な時期、男性は「後追い自殺するんじゃないか」と、女性を独りにしておくことが心配でならなかった。
そして、男性の口から具体的な話はでなかったけど、夫妻の過去に、男性が心配していたような良からぬ出来事が残ったことは、受話器から流れてくる空気が感じさせた。

そう・・・現地調査の日、私が部屋で見た品々は、三人の子の遺品。
夫妻は、その部屋には三人の子の遺品と想い出を大切にしまっていたのだった。
ただ、時間は人の心に関係なく流れていく。
「一周忌を過ぎたら片付けよう」と思っているうちに三回忌が過ぎ・・・そのうち、七回忌、十三回忌、十七回忌、そして、二十三回と、事あるごとに気持ちを固めながらも、結局、寂しさに負けて、それを延々と引きずってきた。
しかし、夫妻も齢には勝てず。
自分達の死も視野に入れて生きなければならない年齢になってきた。
そして、子供達の遺品を片付けることをようやく決意し、今回の件に至った次第だった。


男性は、思い出したくないはずの苦しい過去を話してくれた。
私は、そんな男性の心情に報いたいという気持ちもでてきたし、夫妻の悲哀と苦悩を想うと、ここは後腐れなく承諾するのが私の道だと思った。
だから、
「事情はよくわかりましたので・・・気になさらないで下さい」
と、男性には見えない顔を真摯にして、電話を終えたのだった。


“笑顔の想い出”は、人生の宝物。
今の自分にも笑顔をくれる。力をくれる。
では、“悲涙の想い出”はどうだろうか・・・
今の自分に笑顔をくれるだろうか・・・力をくれるだろうか・・・
苦しみを甦らせ、悲しみを煽るばかりではないだろうか・・・
そして、人生に影を落とすのではないだろうか・・・

また、人生には、色んなことがある。
色んなことに遭遇する。
嬉しいこと、楽しいことばかりではない。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことも多い。
乗り越えられそうにない壁にブチ当ることがある。
奈落の底が見える崖淵に立たされることもある。

それでも、人は生き、時間は流れる。
人には自分では如何ともし難い、無力さ、愚かさ、悲しさ、寂しさ、切なさがある中で、時間は人の苦悩を癒してくれ、人の精神を練ってくれる。


確かに、子供達の死は、夫妻の人生に暗い影を落としていた。
しかし、そこに光を当てるのもまた、亡くなった子供達の笑顔・・・
影があるから光があるのではなく、光があるから影がある・・・
そして、そこに“想い出”という名の希望があると、私は思うのである。


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追憶の光

2016-06-10 07:17:21 | 特殊清掃

「死後、約一ヵ月余」
「汚れ具合はわからないけど、ニオイが酷くて入れない」
「とりあえず、中に入れるようにして欲しい」

依頼者は中年の女性。
亡くなったのは女性の叔母、つまり女性は故人の姪。
現場は、故人所有の一戸建。
遺体の処理は終わっており、あとは、その痕を始末するのみ。
境を狭く隣接した家屋はなく、メンタル的な部分を除けば、近隣に迷惑はかかっていないよう。
そして、亡くなって一ヵ月余も経っていれば、慌てる領域は越えている。
私は、気持ちが落ちつかなそうな女性に慌てる必要はないことを伝え、当日の夕方まで時間をもらい、現地調査に出向く約束をした。

人に頼られたときの私は、素の性質に似合わずパワフルになる。
依頼者が困った状況に遭い、自分が役に立てそうな場合は尚更。
自己を顕示するようで話でみっともないだけかもしれないけど、決して奇特な性格でもなければ、隣人愛を持っているわけでもないのに何となく張り切ってしまうのだ。
そんな私は、日中の作業を手早く片付け、予定より早く約束の現場へ向かった。

到着したのは、のどかな風景に佇む、少し古ぼけた感のある木造二階建の一軒家。
女性は、私より先に来ており、家の前に車をとめて待機。
私の車に気づくとそそくさと車を降り、私の車を敷地内に誘導。
そして、イヤなことをやらせることに罪悪感を覚えたのか、車を降りた私に、どっちが客なのかわからないくらいペコペコと頭を下げてくれた。
一方、そんな女性の心情を気の毒に思った私は、平然と受け答えし、あえて場に合わない笑顔を浮かべ、暗に“ドンマイ”という意思を示した。

故人には夫も子もおらず、身内らしい身内は女性くらい。
だからか、故人は女性のことを娘のように可愛がってくれ、若い頃、実母を亡くした女性もまた故人を母親のように慕っていた。
そんな故人は、生前から「少しは財産を残すから、自分が死んだ後のことはよろしくね」といった趣旨のことを言っていた。
だから、女性は、その義理に報いるべく、一度は家に入ることを試みたよう。
しかし、玄関を開けた途端に噴出してきた猛烈な悪臭に阻まれ、それ以上 前進することが叶わず。
結局、一歩も足を踏み入れることなく、後退したのだった。

私にとっては“いつものニオイ”ながら、確かに、悪臭は強烈だった。
ただ、それは、玄関に近いところで亡くなっていたせいでもあった。
が、どちらにしろ、素人には耐え難いニオイ。
女性が中に入れないのも当然といえば当然。
私は、専用マスクを装着して、遺体痕まで歩を進めた。

一ヶ月余が経過しているわりには、遺体痕は生々しく残っていた。
身体の型もクッキリ残り、頭があった部分には大量の毛髪も残留。
ウジ・ハエの発生はとっくに峠を越えていたが、その代わり、蛹殻とハエ死骸が広範囲に渡って無数に転がっていた。

汚染レベルはミドル級。
私にとっては、さして大変な作業ではない。
作業をやる前から、頭の中で、その段取りを組み立てることができ、更に、スムーズに痕が消えていく画まで思い浮かべることができた。

私の場合、原則として、死体現場の特掃作業は一人でやる。一人のほうがやりやすい。
心細さや不気味さを覚えることはあるけど、そんなものは、作業を始めてしまえば消えてなくなる。
そして、亡くなった人のことを想いながら、
「どんな人生だったんだろうな・・・」
等と思いを巡らせることがある。
更に、
「どんな人生でしたか?」
と、心の中で、故人に向かって訊ねるようなことがある。
もちろん、答は返ってこない。
ただ、それを問うことで、偶然に思える必然の摂理が与えてくれようとしている何かを掴もうとするのである。
深い事情を知らなかった私は、ここでもそんな単純な思いを巡らせながら、汚物と化した元肉体の痕を人の跡へと昇華させていった。


それから何日か後。
特殊清掃・消臭消毒作業も無事に完了し、女性が遺品をチェックできる環境が整った。
が、初回のトラウマもあり、女性は、「一人で家に入るのは心細い」という。
結局、私も一緒に遺品確認を手伝うことになり、女性とともに家に入った。
そして、死後処理や相続手続に必要な書類等の取捨選択をアシストした。

主だった貴重品類は事前に警察が持ち出して保管していた。
そして、先に女性に手渡されていた。
その中には、財布やカード類が入った故人愛用のバッグもあった。
女性は、その中から、小さな四角形を取り出し、
「こういうものは、どう処分したらいいんでしょうか・・・」
と、私に差し出した。
それは、手製風の布袋に入った箱のようなもの・・・手に取ってみると中を見ると、それは、あちらこちらで何度か見たことのあるモノ・・・人の“ヘソの緒”が入った木箱だった。
よく見ると、箱に貼られた紙には、氏名・生年月日・身長・体重などが明記。
それによると、どうやら、それは故人の息子のもののよう。
息子がいるのに死後処理を女性(姪)がやっていることを怪訝に思う私の心持ちが伝わったのか、女性は事の経緯を話し始めた。

故人は、今でいうシングルマザー。
世間の風当たりが強い中、一人息子を女手一つで育てた。
片親のハンデを息子に背負わせたくなくて、頑張って働き、教育にも注力。
それに応えるように息子も道を外すことなく勉学に励み、大学まで進学。
卒業後も大手の系列企業に就職し、安定した収入を元手に故人(母親)と共有名義で中古の一戸建を購入。
そして、親子二人、平穏な生活を送っていた。
しかし、悲劇は何の前ぶれもなく起こった。
ある年の梅雨の時季、車の事故で息子は突然に死去。
行年は20代後半、故人の死の十数年前の出来事だった。

母と息子、苦楽を共にし、二人三脚で歩いてきた人生。
その息子が、急にいなくなってしまったわけで・・・
どれほど悲しかったことか・・・
どれほど淋しかったことか・・・
どれほど辛かったことか・・・
周囲の人は、「後を追って自殺するんじゃないか?」と心配した。
が、そんな故人にどんな言葉をかければいいのか、どう接すればいいのかわからず、ただ、黙って見守るしかなかった。
しかし、故人の立ち直りは意外に早かった。
もちろん、“何事もなかったかのように”とはいかなかったけど、失われた息子の人生を取り戻そうとするかのように、その年の秋、息子の誕生日を過ぎた頃から、以前と人を異にしたような落ち着いた快活さをみせるようになり、とりあえず、周囲をホッとさせた。

先に亡くなった息子の部屋は二階の一番奥にあった。
部屋の主は、もう十数年前にいなくなったのに、人気のない冷たさはなし。
家具も家電も服も雑誌も仕事のモノも趣味のモノも部屋の装飾も、ほとんど生前そのままの様相。
“帰ってきてほしい”という想いの表れだったのか、それとも、遺品をも葬り去ることに抵抗があったのか、整理清掃が行き届いており、意図的に生前のままを保とうとした様子が伺え、少し切ないものがあった。


生まれて死んでいくは命の定め。
そして、生まれてきた順に死んでいくわけではない。
摂理と宿命には逆らえず、後先が逆になることもザラにある。
しかし、人は、生まれた順に死んでいくことが道理のように思ってしまう。
そして、これが理不尽なことに思え、大きな悲哀や怒りを生まれる。
それを平常心で受け入れることなんて、到底できない
人が生まれ死んでいくかぎり、悲しみは続いていく。
ただ、悲しみの中で生きる力が生まれることもある。
悲しみの中でこそ生まれる力がある。
そして、それは、一生に携えていくことができるのである。

故人が息子のヘソの緒を肌身につけるようになったのは、亡くなって間もない頃からだと思われた。
それで、悲しさや寂しさを紛らわそうとしたのだろう・・・
そして、自分を励まし、勇気づけようとしたのだろう・・・
子を胎に宿したときの喜び、産んだときの幸せ、幼少期の愛らしさ、その後の苦楽等々・・・小さな木箱に たくさんの想い出を詰め込んで、その光を携え、悲しみや寂しさに立ち向かって精一杯生きたのだろう・・・
息子を亡くしてからの十数年、故人は一人で生活してはいたけど、一人で生きていたのではないと私は思った。


私は、故人が抱いた喜びや悲しみに想いを巡らせ、同時に、人間が抱える宿命的な喜びや悲しみにも想いを巡らせた。
そして、人生の半分以上を死体業に携わり、数多くの先逝人と会ってきたこれまでの年月に立ち戻りながら、「人は死んでも、残された人の心の中で生き続ける」という、誰でも言うよな、どこででも聞くようなありきたりの言葉を自分のものにして、たまにそれを思い出しては自分を静かに励ましているのである。


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水無月の空

2016-06-06 08:47:51 | 特殊清掃
立ち止まってみれば、もう六月。
前回更新から、「あれよあれよ」と言う間に一ヶ月半が経ってしまった。
その間、相も変わらず私は現場を走り回っていた。
遺品処理、腐乱死体現場の始末、便所掃除、汚腐呂掃除、殺人事件現場の始末、ゴミの片付け、動物死骸処理etc・・・
“フツーの人間じゃない”と思わるのがイヤで、フツーの人はやらないフツーじゃない仕事をフツーの人間のフリをしてこなしていた。

晩春から初秋にかけてブログ更新が停滞するのは近年の傾向。
遊び呆けているわけでも、ケガや病気等で書けないわけでもないことは前述の通り。
(仮に、私が死んでしまって更新できない場合は、ブログ管理人が何らかの告知をするだろう。)
そうは言っても、ボロボロになるほどの重労働が続いているわけではない。
休みは少ないけど、体力も精神力も余力を残している。
それでも、この時季の私には、ブログを書くことより休養することの方が必要。
やがてくる残酷な夏に備えて、心身を整えておかなければならないのだ。
ま、とにもかくにも、「音沙汰ないのは達者な証拠」と思ってもらうしかない。

ただ、「休養」ったって、趣味らしい趣味を持っているわけでもないし、そんなことをやっている余裕もない。
とりあえず、一日の仕事が終わるとさっさと家に帰って、ゆっくり過ごすだけのこと。
休肝日にしていない日は、のんびり晩酌。
ビール・ウィスキー・チューハイの順で流していく。
面白いことに、今、飲んでいる酒はすべて頂きモノ。
もちろん、周囲に無心しているわけではないけど、なくなりそうになると、タイミングよく誰かがくれるのである。
だから、自分で買うのは、ハイボール用の炭酸水くらい。
ある種、図々しいような、ありがたい話である。

だいたいのパターンは、まずビールを350ml飲んで、次にハイボールを1ℓ余飲んで、最後にチューハイを350ml飲んで、それでおしまい。
これで、ホロ酔い・・・いい感じにできあがる。
酔いがまわってくるともっと飲みたくなるのだけど、これ以上飲むと翌朝不快感が残る。
それがわかっているから、そこでやめておく(少しは成長した)。
そうして、ちょっとヨロヨロしながら布団に入るのである。

就寝時刻は、とても早い。
まるで子供、もしくは老人・・・九時台に布団に入ることも珍しくない。
そして、翌朝の憂鬱を考えないようにしながら眼を閉じるのである。
しかし、このところ、不眠症が酷くて早朝(夜中)に目が醒めて、それ以降、寝付けなくなることもしばしば。
そういう時は、自分の“死”ばかりが頭を過ぎる。
「俺、死ぬんだよなぁ・・・」「そのうち、この世界とサヨナラするんだなぁ・・・」と、不思議な感覚に包まれる。
しかし、物思いにふけってばかりもいられない。
ダラダラと横になっているのは時間の無駄のような気がして、結局、早朝から起きだして、早々と仕事に出掛けるのである。

昨秋から日課にしていたウォーキングも、先日まで調子よく続けていた。
「続けていた」と過去形で書くのには理由がある。
左の股関節が不具合を起こしてしまい、数日間、普通に歩行することが困難になったのだ。
前々から、ウォーキング中に股間接がズレるような違和感を覚えることがあったけど、痛みをともなったわけでもなく、更に、頻繁に起こることでなかったので気にしないで放っておいた。
ところが、二週間余前のウォーキング中、急に痛みがではじめ、その痛みは歩けば歩くほど深刻なものに。
早い段階で歩くのを中止すればよかったのに、変なところに几帳面な性格が災いし、我慢しながら決めた距離を歩ききってしまったが故に症状は悪化。
結局、その時から数日間、股関節の痛みと違和感が続き、日課のウォーキングは中断せざるをえないハメになってしまった。

それからは、できるかぎり安静に。
歩かないでは仕事も生活も成り立たない中で、歩行は必要最小限にとどめ、なるべくゆっくり歩幅を小さく歩くよう心がけた。
そうして様子をみていると、幸いなことに、日に日に痛みも違和感もおさまっていった。
が、私は、ここで学習。
ウォーキングって健康にいいイメージばかりがあるけど、“歩き過ぎ”は逆によくないらしく、これまで6~7kmを目処にしていた歩行距離を3~4kmに短縮することに。
そうして三日前からウォーキング再開。
今のところ、問題は起こっていないから、これで、しばらく様子をみていこうと思っている。

「不具合」と言えば、持病?の胸痛もある。
もう十数年の付き合いになるけど、たまに原因不明の胸痛に襲われるのだ。
胃カメラをのんでも、レントゲンを撮っても、心電図をとっても、原因はわからず。
ただ、慣れたもので?数分前から現れる前兆で、痛みがでることが予測(覚悟)できる。
だから、慌てることはなくなった。
が、コレといった対処策もないので、痛みが自然におさまるまで耐えるしかない。
平均すると30分~1時間程度だろうか、その間は結構なツラさがある。
多くは普段の姿勢でやり過ごすことができるけど、酷いときは、息をすることも忘れ、胸を抱えてうずくまってしまうこともある。
そして、「このまま死んじゃったりして・・・」なんて、一抹の不安が過ぎるである。


身体の調子はそんなところ。
一方の精神は、相変わらず、些細なことで一喜一憂。
定まらない空模様のように不安定。
雨も降れば雪も降る。
風も吹けば雷も鳴る。
もちろん、晴れることもある。
ただ、雲が切れることはない。
私の気分には常に雲がかかっている。
「後悔」「不満」「不安」という雲が。

雲の原因は色んなところにある。
自分以外に原因を探したくなる。
しかし、究極的には、それは社会にでも他人にでもなく、自分にある。
そして、
「人生、その気になれば、いつでもやり直すことができる」
とは言えない一面がある。
「人生はやり直せない・・・」
引き返せない一方通行の人生にあって、つくづく、そう思う。
また、どんなに頑張っても、人生には、思い通りにならないこともある。
いや・・・「思い通りにならないことだらけ」と言っても過言ではない。
人生には、悲しくも厳しい現実があるのである。

しかし、諦めることはない。
人は、やり直せなくても、変わることはできる。
中身のない価値観を捨て、鈍い感性を磨き、モノの見方や考え方の偏りを修正し、一時的な感情や自己中心的な感傷を自らが支配することができる。
そして、もうちょっと努力できる自分、もうちょっと忍耐できる自分、もうちょっと挑戦できる自分に変わることができる。
また、思い通りにならなくても、思いを持ち続けることはできる。
無意識のうちに湧いてくる後悔・不満・不安を抑え、感謝・喜び・希望を見い出すことができる。
その戦いは、人生に必要な薬味。
幸福快楽のみでは幸福快楽そのものが成り立たない。
人生を大きく晴れ渡らせることはできないかもしれないけど、一日一日にある晴れ間を見つけることはできるのである。


入梅の報は昨日、真夏の酷暑もすぐそこに来ている。
毎年のことだけど、夏の仕事は一段とキツい!!
凄惨な現場や体力が要る現場では、精根奪われ、自分自身が用なしのボロ雑巾のようになる。
これでまだ若ければ凛とした張りをみせることができるのかもしれないけど、私はもう、相当にくたびれたポンコツ親父。
「冴えない」というか、「情けない」というか、「不憫」というか・・・
それを思うと気が重い・・・考えただけでも生気が失せる。
更に、その先のことを考えると、もう気分は真っ暗。
不安感を通り越して、恐怖感すら覚えてくる。

「もっと楽に生きられる方法はないものか・・・」
頭は、そんな風なことばかりに囚われる。
が、とにかく・・・とにかく、今、目の前のことを頑張るしかない。
自分が生かされている道なのだから。
そして、その時 その時を大切に、その真味しっかり味わうしかない。
せっかくの人生なのだから。

もちろん、それで未来が開けるかどうかはわからない。
わからないから、信じることができない。
それも私(人)の限界・・・あとは期待するしかない。
ただ、人の薄慮に動かされることなく、雲の向こうには青空が存在する。
どんなに厚い雲が自分を覆っているとしても、その向こうには爽快な晴天が広がっている。

水無月の曇空の下、肉の眼には見えない晴天を心の眼で追いながら、私は、今日も生きるための涙汗を流すのである。



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2016-04-20 09:16:33 | 特殊清掃
その日、私は東京から離れたところにある とある会社の工場にいた。
用向きは、特殊清掃の事前調査。
そこで、作業員の一人が機械設備に巻き込まれて死亡。
血まみれとなった機械設備を清掃するための調査だった。

最初は、電話での問い合わせだった。
しかし、その機械設備について素人である当方が言葉で把握できることは少ない。
結果、具体的な現場の状況が想像できず。
更には、仕事として請け負えるものかどうかも判断できず。
とにかく、現場を見ずしては どうにも話を進めることができず、結局、現地調査に出向くことに。
ただ、場所は遠方で、かかる時間も交通費もバカにならない。
私は、普段は無料で行っている現地調査を今回は有料とし、更に、当方から辞退する可能性も充分にあることを承諾してもらい、現地調査の日時を約した。

訪れた現場は、ある製品の原材料をつくる大きな工場で、同じ形態の機械が整然と並んでいた。
機械は、原材料の攪拌プレスを目的とするもので、一基に一人の作業員が従事する仕様。
事故が起こったのは、その中の一基。
その傍らには白布が掛けられた台が置かれ、その上には仏具と花や飲料が供えられており、日常の悲しみとは趣を異にした不吉な雰囲気が漂っていた。

亡くなったのは私と同年代の男性で、熟練のベテラン社員。
故人のプライベートに深入りし過ぎると気が重くなりそうだったから、妻子があるのかどうか等、それ以上のことはあえて訊かず。
私は、事が起こった経緯に話題を絞って、工場の責任者の説明に耳を傾けた。

事故は、終業時の機械清掃の際に発生。
この工場の機械は、一日の作業を終えると、翌日に備えて機械を清掃メンテする必要があった。
その際は、機械が動かないよう、手元スイッチはもちろん、離れたところにある動力源も切り、更に安全バーを掛けることが規則になっていた。
しかし、動力源のスイッチがあるのは、長いハシゴの先。
清掃は試運転を行いながらやらなければならず、それを切ったり入れたりするのは結構な手間がかかる。
それが面倒だった故人は、動力源を切らないまま、手元スイッチと安全バーだけを使って清掃することを常にしていた。
そして、その日・・・
いつも通りの清掃メンテナンス作業をしていた故人は、誤って作動させてしまった機械に押し潰されてしまった。
故人の規則違反と慣れと油断によって、結果的に、取り返しのつかない事態が起きたのだった。

警察や労働局の調査は終わり、清掃の許可は降りていた。
供養式(御祓い)も施行済み。
(ちなみに、個人的には、こういう類のことは無要だと考えている。)
しかし、肝心の清掃消毒が手つかず。
責任者は、色々な業者に問い合わせしてみたが色好い返事をする者はなし。
もちろん、責任者を含め、社内の人間でそれを買って出る者もおらず。
しかし、できるだけ早く機械を再稼動させないと会社の損害は膨らむばかり。
頭を抱えた責任者は、藁にもすがるような思いで当方に連絡してきたのだった。

問題の機械設備は、血だらけ・血まみれ・・・まったく酷い有様。
薄っすら汚れている部分もあれば、濃く飛び散った部分もあれば、分厚い血塊を形成している部分もあり、汚染は複雑かつ広範囲。
また、機械の下部には、血まみれの帽子や手袋が放置されたまま。
機械ごと交換したほうがいいんじゃないかと思われるくらい凄惨な光景だったが、この機械設備は相当なもので、莫大な費用と時間がかかるのは、この分野に見識のない私でも容易に察することができた。

私が提示した金額は安くはなかった。
工場側の足元をみたつもりは毛頭なかったが、作業の難易度と危険度、そして気の重さを考えると、安価で引き受ける気にはなれなかった。
あと、“断られてもいい・・・”“断ってほしい・・・”という考えも、頭のどこかにあった。
しかし、
「料金はそれで構いません・・・誰かにやってもらわなければなりませんから・・・」
と、責任者は、料金と作業内容をすんなり承諾し、
「作業は、いつできます? なるべく早くお願いしたいんですけど・・・」
と、心の準備を整える時間が欲しかった私にプレシャーをかけてきた。

その日の夕刻、私は、臆病風に吹かれながら会社に戻った。
安請け合いしたつもりはなかったのだが、とりあえず請け負った特殊清掃がきちんとやれるかどうか、また、安全にやれるかどうかに不安を覚えたのだ。
事務所にいた同僚に現場の状況を話すと、
「その仕事、今からでも断ったほうがいいんじゃないの?」
と、“自分だったらやらない”といった表情を浮かべて心配してくれた。
しかし、かなり気が重かったことは確かだけど、私は、“断ろう”とは思わず。
責任感とか使命感とかじゃなく、また男気とか意地とかでもなく、過去の人生において、イヤなことから逃げに逃げて散々な目に遭ってきた私は、逃げることに対する恐怖感みたいなものがあったのだ。


何日か後、私は、重い気分を持ち上げて、再び工場に向かった。
前日から重かった気分は、当日の朝には一層重くなっていた。
それでも、契約を交わした以上、責任は果たさなくてはならない。
「夕方には気分は軽くなっている」
「ほんの何時間かの辛抱だ」
そう自分に言いきかせながら、同時に、
「生きて帰れなかったりして・・・」
と、冗談半分・本気半分で思った。
そして、仮にそうなったとしても、それが自然の摂理、自分の“定め”なのだろうと、覚悟や悟りよりも低いところで自分を納得させようとした。

工場に着いた私を責任者はVIP客でも来たかのようの歓迎してくれ、そこまで気を使ってもらう必要はないのに応接に通しお茶をだしてくれた。
そして、
「動力源も完全に落としてありますし、安全バーも新品にして固定してありますから大丈夫です!」
「あと、ちゃんと御祓いもしてありますから!」
と、完全が確保されていることを強調。
ただ、私にとっては、“御祓い”がしてあるかどうかなんてどうでもいいこと。
また、残念ながら、人間にミスはつきもの。
だから、私に安心感は湧いてこず、気分を落ち着かせることもできず。
私は、気持ち悪いものをブスブスと心の中にくすぶらせながら機械が誤作動しないことに念を押すのみだった。

その特掃作業が困難を極めたことは言うまでもない。
自殺や事件があった部屋の後始末は何度となくやってきたが、血痕清掃って、もともと手間がかかる。
ゴマ粒程度の血塊でも、それが水分を含んだら一筋の血流になり、ウエス(雑巾類)が汚れなくなるまできれいにするには、同じところを何度も何度も拭く必要がある。
また、血塊は洗剤をかけたくらいでは溶けず、血痕の厚みによっては、スクレイパー(金属ヘラ)で削らないと取れないこともある。
しかも、そこは、部屋ではなく勝手がわからない機械内部。
思うように身動きがとれない状況で四苦八苦、作業着も血だらけに。
時には、故人が亡くなったときと同じ姿勢になって狭い機械内に上半身を入れるハメにもなり、緊張の連続。
私は、手を変え道具を変え、休業無人で薄暗い工場で、ただ一人、恐怖心を拭えないまま、ただ血痕だけを拭った。
そうして、自分の身体に血痕を移し換えるようにしながら、少しずつ故人の死痕を消していった。

事故が起こった日、故人は、いつも通り起床し、いつも通り出勤し、いつも通り働き、いつも通り仕事を終えたはず・・・
“生きて帰れない”なんて、まったく思っていなかったはず・・・
しかし、突然、その命は失われてしまった・・・
そんな物思いにふけながら作業する私の心持ちは、悲しさもなく寂しさもなく、ただ静かに佇むばかりだった。

陽が傾きかけた頃、作業は何とか完了。
疲れた身体と精神を休めつつ、私は、工場の休憩室で、汗でふやけた手と血が飛び散った顔を洗わせてもらい、ワインレッドに染まった作業服を着替えさせてもらった。
そして、差し入れてもらった缶コーヒーを空け、その苦香で深呼吸。
元来、私は、コーヒーが嫌いなのだが、腹にたまったものはそれよりはるかに苦く、その苦味は甘ささえ感じさせるものだった。

帰り際、責任者は清塩を持ってきて、私にふってくれようとした。
しかし、私は、心づかいに感謝しつつ、それを断った。
そんなこと、まったく気にしないし、気にしていたら仕事にならないから。
また、亡くなった人に失礼なような気もするから。
そのことを話すと、責任者はちょっと気マズそうにしながらも理解を示し、笑って礼を言ってくれた。
そして、何度も頭を下げながら、遠ざかる私の車を見送ってくれた。


事件・事故・災害・紛争・病・・・
人の命が失われたニュースは、毎日、途切れることがない。
生きたくなくても生きなければならない人がいる中で、生きたくても生きられない人がいる。
先日来の九州地震もそう。
その日が人生最後の日になるなんてことは誰も思っていなかったはずなのに、多くの命が失われてしまった。

“死”というものは、いつ訪れてもおかしくないもの。
人は、不確かな毎日の上に保証のない予定を立てて生きている。
私くらいの年齢だと、うまく生きられたとしても、あと20~30年のものだろう。
これを“長い”とみるか“短い”とみるかは人それぞれだろうけど、“限り”があることに違いはない。
不本意でも心の準備ができていなくても、その中のある日が、いきなり最期の日になる可能性は充分にある。
ひょっとしたら、今日が、最期の日になるかもしれない。

そう・・・“死”というものは、元来、生のド真ん中にあるもの。
だからと言って、“死”を頭のド真ん中に置いて生きる必要はないと思うけど、頭の隅には常に置いておいたほうがいいと思う。
そして、たまにはそれを強く意識したほうがいいと思う。
今を大切にするため、未来を大切に考えるために。

私は、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けざるを得ない人間の弱さに悲しみを覚えたと同時に、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けることができる人間の強さに喜びも覚えた。
そして、やがて来る“最期の時”が教えてくれる“今”の愛おしさを噛みしめながら心を燐と立たせ、現場を後にしたのであった。


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隙間風

2016-04-15 07:02:28 | 特殊清掃

「取り壊す予定のアパートに白骨死体があった」
ある年の初冬、不動産会社から特殊清掃の依頼が入った。
“人の死”に慣れてしまっている私は、寒風吹く曇空の下、事務的に支度を整えて現場に向かった。

現場は木造二階建、“超”がつくほどの老朽アパート。
最後の住人が出て行ってから数年がたち、それからは、誰の手が入ることもなく放置。
雨風に晒されるまま朽ちていき、不気味な様相を呈していた。

そこは都会の一等地。
周辺には住宅やマンションが建ち並び、ハイソな雰囲気が漂っていた。
しかし、そのアパートだけは時代を異にし、周囲の景観を不自然なものにしていた。

遺体を発見したのは、アパートの解体業者。
マンションの建替計画を進めるため、解体調査に入ったときのこと。
妙な異臭がすることを怪訝に思いながら一室ずつ検分し、そして、二階の一室で遺体を発見したのだった。

空家にホームレスが入りこんで生活し、そこで孤独死するケースはそんなに珍しいことではない。
私も、その跡片付けをしたことが何度かあった。
だから、その現場で起こったことも、私にとってそんなに珍事ではなく、私は、乾いた感情をぶら下げて、錆びてボロボロの鉄階段を昇った。

玄関に鍵はかかっておらず。
私は、艶のなくなったノブに手をかけ、軋み音を発するドアをゆっくり引いた。
すると、目の前には、異臭と共に、先の見えない暗闇が現れた。

雨戸が閉められていたため、室内は真っ暗。
所々の隙間から光が差し込んではいたけど、外も曇で陽も弱い。
私は、懐中電灯をポケットから取り出し、スイッチを入れた。

暗闇に気持ち悪さを覚えた私は、玄関ドアが自然に閉まらないよう固定してから奥へと前進。
室内は雨漏りがしていたらしく、天井の一部は剥がれ落ち、畳も腐り、床は抜けそうなくらい軟弱。
そして、部屋には、どこからともなく冷たい隙間風が吹き込んでおり、遺体痕を見る前から私の体温と心温を下げた。

間取りは2DK。
私は、懐中電灯の光を四方八方に回しながら、ゆっくり前進。
年数が経っているわりには異臭濃度は高く、甘く考えて専用マスクを持ってこなかった私の鼻を容赦なく突いてきた。

遺体痕は、奥の和室の片隅にあった。
懐中電灯の光が照らし出したそれは、既にクズ状。
腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土をはじめ、頭髪や爪などが残留するのが一般的なのだが(腐乱死体現場を“一般的”と言うのもおかしいけど・・・)、ここの遺体痕は数年が経過しており、元肉体のほとんどが乾燥したクズ状態になっていた。

足元に注意しながら遺体痕の傍に進むと、何かが私の頭に当った。
ドキッとした私が視線を上げると、目の前には一本の電気コード。
天井裏の梁からブラ下ったそれが、私にぶつかった反動で、生き物のようにブラブラと揺れていた。

よく見ると、それは、先端が結ばれて小さな輪がつくられていた。
しかも、そこには、見覚えのある汚れが付着。
似たような光景を何度も見てきた私には、それが“何”であるか、すぐにわかった。

どうみても、それは、首を吊るのに使ったもの。
故人は、自然死ではなく縊死・・・
故人の氏名・年齢・性別はもちろん、死因も知らされていなかった私は、一瞬たじろいだ。

不動産会社が、そのことを知らないわけはなかった。
そして、そのことを私に言わなかったのも意図的だと思われた。
ただ、私は、そのことに引っかかりはしなかった。

それは、私への嫌がらせや酷い悪意からきたものではなく、自殺の事実を嫌悪する気持ちが強いことからきたものだと思ったから。
また、自殺の事実を知ったことくらいでオタオタするほど、特掃隊長の心はあたたかくなかったから。
そして、「それが人間・・・」といった冷めた想いが湧いてきたから。

「自死に対して、嫌悪感や恐怖感みたいなものはまったく感じない」と言えばウソになるけど、実際ほとんど感じない(ある意味、死んだ人間より生きてる人間のほうがよっぽど恐い)。
“祟られる”とか“憑依される”とか、そんな恐怖心もない。
冷酷なのか無慈悲なのか、それとも“慣れ”なのか、この時の私の心は微動したのみで、乾いた溜息をついただけだった。

部屋に生活感はなく、故人の遺留物もなし。
残されたコードと遺体痕だけでは、故人の素性はもちろん、年齢も性別も不明。
当然、自死理由も知れるはずはなかった。

仕事か、金か、健康問題か、人間関係か、プライドか、疲労感か、虚無感か、怠け心か・・・
残念ながら、実際、この世に生きるのがイヤになると思われる理由は、その辺にゴロゴロ転がっている。
私は、その辺のところに想いを巡らせながら、また一つ溜息をついた。

故人は、最期の何日か、何週間か、何ヶ月か、ここで生活したのだろうか・・・
それとも、死に場所を探して入り込み、即座に決行したのだろうか・・・
どちらにしろ、故人は、自分に意思でこのボロアパートを最期の場所に決めたはずだった。

できるだけ人に迷惑を掛けないで済みそうなところを選んだのか・・・
一人静かになれそうなところを選んだのか・・・
その存在が消えた事実に誰も気づかないまま、歳月だけが流れていった。

故人の生い立ちや、最期を迎える気持ちを想像する必要はどこにもないのに、凄惨な場所に一人たたずむ私の頭には、そのことがグルグルと巡った。
そして、そっちに気が引っ張られ、そっちに気持ちが傾いていった。
すると、何とも言えない寂しさが心の内に込み上げてきて、同時に、その心は、部屋の暗闇に侵されるように暗くなっていった。


はたして、自殺者は愚か者なのだろうか・・・弱い人間なのだろうか・・・
もともと、人間は、自分がうぬぼれているほど賢くはないし、自分が信じているほど強くもない。
結局のところ、人間なんて皆、賢さや強さを持ってはいるけど、愚かで弱い生き物でもあるのであり、自殺する人が特別なのではない。

あくまで、「自殺は反対」というスタンスに立った上だけど、私は、自殺を、愚行・蛮行・非行だとは思わない。
“自殺”という死に方に虚しさや寒々しさを覚えることはあるけど、自殺者を嫌悪する感情はない。
死に方は否定するけど、その命と、その人生と、その人は否定しない。

自殺を決行する人の事情や心情を察すると、私は、単なる同情を越えた同志的感情を覚える。
もちろん、それは、“独り善がりの感傷”“その場かぎりの薄っぺらい同情心”かもしれない。
それでも、悩み多き私は、故人の一部を自分に重ね、また、自分の一部を故人に重ね、きわどいところで一対を成す生と死を真摯に直視しようと試みると同時に、このようなことが日常的に起こってしまうこの現実を深々と噛みしめながら、故人の過去と自分の未来をプラスに転じさせようと心を働かせるのである。


世の風、人の風、時の風・・・
今日は今日の風が吹き、明日には明日の風が吹く・・・
人生、生きていれば色んな風が吹く・・・

背中を押してくれる順風・追い風ばかりではない。
進路を阻む逆風・向かい風もある。
心に、冷たい隙間風が吹き込むこともある。

生きることが面倒臭くなるときがある。
生きることに疲れるときがある。
生きることがイヤになるときがある。

それでも、人は生きる。
生きる意味もわからないまま、苦悩を背負い、ただ生きるために生きる。
命は生きるために生まれ、命は生きたがるのだから、命は生かしてやらなければならない。

自分が可愛くて義を欠き、人を裏切ってしまうことはある。
自分が弱くて理を欠き、自分を裏切ってしまうこともある。
しかし、最期の最期まで、命は裏切ってはならないのである。

苦しいのに、辛いのに、悲しいのに、何故、生きなければならないのか。
その答(意味・意義・理由)が見えないからといって、“答はない”と思ってはいけない。
答がわからないからといって、悲観する必要はない。

自分という人間に、自分の人生に、自分の命に答がないのではない。
ただ、自分(人)にそれを解く力と、それを突き止める力がないだけのこと。
頭を抱えるほどの問題ではない。

そのことを謙虚にわきまえれば、答は見えなくても、それに近いものが見えてくる。
苦しみも、辛さも、悲しみも、遭って然るべきことがわかってくる。
そして、心に吹き込んでくる隙間風の冷たさにも、静涙の向こうに見える明日に向かってジッと耐えることができるようになるのである。



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春爛漫

2016-04-07 09:07:26 | 特殊清掃
春本番。
ただ、今日の東京は、あいにくの雨天。
そして、終盤に入ってきた桜花も、今日でだいぶ散ってしまうだろうか。
それでも、低温のおかげで、咲いた状態が長く続いた。
だから、日々、あちこちの現場に走り回っている私も、多くの街に咲く桜を楽しむことができた。

咲き様、散り様が、日本の文化やそこで育まれた日本人の性質にマッチしているのだろうか、日本人はホントに桜が好き。
「狂ったように咲く様が気持ち悪い」と言う知人もいるけど、大半の人は、桜をみて心湧くものがあると思う。

私も、桜を愛でる気持ちは持っている。
「またこの季節が来たんだなぁ・・・」
と、時の移ろいのはやさをしみじみ感じながら、桜を見上げる。
そして、
「こうして春を過ごせるのも、あと何回かな・・・」
と、この命と人の世の儚さに切なさを覚える。

昨年は、夜桜見物に出かけたけど、今年は行かなかった。
気分を変えるために出かけてみようかとも思ったのだが、結局、行かず。
以前に書いたけど、どうにもクサクサした気分が抜けないのだ。

その反動か、この前、久しぶりに泥酔するまで飲んだ。
“家飲み派”の私が外で飲むことは滅多にないのだが、20年来の知人に誘われたため、「たまには・・・」と思って都心の酒場に出かけたのだ。

一件目は居酒屋。
まずはビールを一杯。
次に氷ぬきのハイボールを数杯。
この辺で、だんだんと酔いが回りはじめ、その後は、相手に付き合ってあまり好きじゃないワインをボトル飲み。
酔いが回っていく中で味なんかどうでもよくなり、ボトルが空くたびに追加。
そして、結構酔ったところで、一軒目は終わった。

しかし、酔うと気持ちが大きくなるのは小心者の典型パターン。
そんな私が、それで大人しく帰るわけはなく、「たまには羽をのばしてやろう!」という気持ちもどこかにあり、馴染みの街に電車で移動し飲みなおし。
ウイスキーの水割りを・・・もう何杯飲んだか憶えていないくらい好きなように飲み続け、更に、「どこでどう飲もうが俺の自由!」とばかり、気の向くままハシゴ酒。
結果、諭吉先生は愛想をつかして次々と出て行き、残ったのは英世先生たった一人。
ケチな私に似合わず散財し、“春乱漫”の頭を置いて懐は真冬に逆戻り。
深夜の一時頃、振る袖と体力がなくなったところで御開きとなり、ようやく帰途についたのだった(その数時間後、ヒドい二日酔で仕事に行ったのは言うまでもない)。



出向いた現場は、閑静な住宅地にある賃貸マンション。
間取りは、広めの2LDK
その分、家賃は高めで、住宅ローンを組んだほうが安く済むんじゃないかと思うような金額。
しかし、生前の故人は、「財産を残してやりたい人もいないから」と、あえて賃貸暮しを選択。
“家は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

亡くなったのは50代の男性。
独身の一人暮らし。
結婚歴もなく、一番近い親族は兄弟。
いい女(ひと)の一人や二人はいたのかもしれなかったけど、「家族に縛られるのはイヤ」と、持ち込まれる縁談も断り続け、結局、結婚せず。
“家族は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

職業は“物書き”。
どこで区別するのはよくわからないけど、「フリーライター」「コピーライター」「エッセイスト」とかいう類の仕事。
若い頃から、「好きな仕事をしたい」という志向が強かった故人。
一流大学を出たのに、大企業や役所等には目もくれずフリーランスの道へ。
“固い仕事に就いたほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

死因は病死。
寝室のベッドに横になり、そのまま死去。
死後経過日数は約一ヵ月。
皮膚は茶黒に変色し、顔も、すぐに本人確認できないほど変容。
ただ、季節は晩冬。
気温も低く乾燥した季節で暖房もついていなかったことが、事を小さく治めていた。

汚染痕は寝室にあり、ベッドマットに薄っすらと残る人型が、故人の最期の姿を映し出していた。
それは、リラックスして安眠している姿。
腐乱死体痕なんて、一見すると気味悪い光景ではあるけど、そこには、ありがちな寒々しさはなく、逆に、まだ故人の体温が残っているような気さえするほどだった。

そこから感じ取れたのは、“故人は最期に苦しまなかった” “眠るように、穏やかに逝った”ということ。
もちろん、真偽は定かではないけど、最期に苦しんだかどうかは遺体痕から観ることもできる。
不自然な姿勢だったり、身体を曲げた状態だったり、身体の一部をベッドからハミ出させた状態だったりすると、苦しんだ様が読み取れるのだ。

具合が悪くなったとき、119番くらいできたかもしれないのに、それはしなかったよう。
時間的な寿命より健康寿命を重んじ・・・最期まで好きなように生きようとしたのか。
ベッドに横たわり、朦朧(もうろう)としていく意識の中で、故人は最期を覚悟したかもしれなかった。

どういった想いが頭を廻っただろうか・・・
寂しさや虚しさではなく、好きなように生きたこと、好きなように生きてこられたことへの感謝の気持ちや満足感に満たされて逝ったのではないか・・・
目の前の光景を一連の想像でソフトに受け止めた私は、何の確証もない勝手な推察であることは承知のうえで、ホッと安堵した。


部屋の各所には、故人の几帳面な性格が表れていた。
汚れがちな水廻りもきれいに掃除され、整理整頓もきちんとできていた。
また、キッチンには、男の一人暮らしとは思えないほどの調理器具や調味料が揃えられていた。
そして、缶ビール・缶チューハイ、そして、ウイスキーのボトルもたくさんあった。
銘柄こそ劣るけど、この“三点セット”と炭酸水は私の家にも常備してあるもので、似たような好みに、私は勝手に親近感をもった。

故人は、それなりの経済力を持っていた。
また、趣味も多かった。
酒の銘柄もそうだし、部屋に置いてあるモノからは、その余裕と嗜好をうかがい知ることができた。
もちろん、それは、単に、時勢が合っていただけでも運が良かっただけでもなく、仕事の能力が高かったことはもちろん、相応の努力・忍耐・挑戦、ストレス受容等の結果がもたらした実のはずだった。

人の世話になることと迷惑をかけることは違う。
我流を通すことと社会に反することは違う。
自制できないことを自由とは言わない。
そして、自分を厳しく律しないと自立した生き方を貫くことはできない。

保守的で臆病者の私は、自立して生き通したであろう故人に興味を覚えた。
そして、自分にない素質に触れてみたいとも思った。
もちろん、苦労したこともたくさんあっただろう。
それでも、できるかぎり、自分の思うがままに生きようとした姿に、私は惹かれるものがあった。


人生なんて、なかなか好きなようには生きられないもの。
多くの人が、大きな不自由の中で、小さな自由を選び取って生きている。
自分次第で、小さな自由が大きな自由になることを学びながら。

「逃避」「諦め」「保守」「弱腰」「ネガティブ思考」
私は、つまらないことを恐れ、無用なことを心配し、消極的選択でここまで生きてきた。
楽しく幸せに生きるための選択をしてきたつもりなのに、逆に、それが、それらを遠ざけてきたような気がする。
本質的な何かを考え違いしていた・・・考え違いしているのだろう・・・
そして、そんな自分に、しばしばうなだれる。

「挑戦」「冒険」「革新」「自信」「ポジティブ思考」
私は、失敗を恐れず、自分を信じ、積極的選択で生きることができる人が羨ましい。
そして、そんな生き方ができる人を尊敬する。
例え、それが、他人から“負け”に見えるような生き方でも。

「過ぎた時はどうあれ、残された人生に、小さくてもいいから、きれいな花を咲かせたいもんだな・・・・・」
散り逝く桜花を愛でながら、なかなか熱を帯びない心に春爛漫を描いている私である。


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再出発

2016-04-01 08:01:23 | 不用品

「引越しをするので、不要品の処分をお願いしたい」
依頼者は女性。
一人暮らしで、仕事の合間をぬって引越しの準備を進めているよう。
特別汚損が発生している現場でもなく、通常なら、私が出る幕ではなかったのだが、現地調査の希望時刻は女性の仕事が終わった後の夜。
しかも、仕事が忙しいらしく、結構な遅い時間。
そんな時間に動きたがるスタッフはいない。
また、同じような依頼で現地に出向くと、“実はゴミ部屋だった”なんてことも珍しくない。
人が行きたがらないところへ行き、やりたがらないことをやるのが特掃隊長。
気が向こうが気が向くまいが、そんなこと関係なく私が出向くことになり、約束の日の夜、私は女性宅に赴いた。

現場は、低層小規模の賃貸マンション。
オートロックもなく、玄関までは誰でも素通りが可能。
夜遅い時刻に女性一人の部屋を訪れるのは、ちょっと抵抗がある。
自分が頼んだこととはいえ、見ず知らずの男が部屋に入り込んでくることには、女性のほうも少なからずの不安感を覚えるはず。
私は、“マジメな人間”であることを少しでもアピールするため約束の時刻ピッタリにマンション下から女性の携帯電話を鳴らし、その上で玄関前に行きインターフォンを押した。
そして、ドアの覗き窓からこちらを見られることを意識してキリッとした顔をつくった。

女性はすぐにドアを開けてくれた。
見たところ、年齢は40歳前後か・・・
そして、
「こんな時間にスミマセン・・・お疲れ様です・・・」
と、私を労ってくれ、
「どうぞ・・・」
と、玄関内に招き入れ、スリッパをだしてくれた。

「この際、使わないモノは思い切って捨てて、身軽になろうと思いまして・・・」
引っ越す理由はわからなかったが、女性は、張り切っている様子。
自分でマンションでも買ったのか、それとも、新しい仕事への転職による転居なのか、夜遅くまで仕事をしていたことを感じさせないくらいハツラツとしていた。
そして、そんな女性の姿は、夜間仕事に消沈気味の私に気を使ってくれようとしているようにも見え、私も、その日最後の仕事を明るくこなそうと気持ちを入れ替え、笑顔を浮かべた。

新居はここより手狭らしく、荷物の量を減らす必要があった。
ただ、その“要らないモノ”は、まったく分別されておらず。
引っ越しの日が近いとみえて、ある程度の荷造はすすめられていたが、それでもまだ要るモノと要らないモノが家財生活要品の中に混在していた。
例えば・・・
本棚の中に、要る本と要らない本があり、
タンスの中に、要る服と要らない服があり、
下駄箱の中に、要る靴と要らない靴があり、
食器棚の中に、要る食器と要らない食器があり、
収納ラックの中に、要るCD・DVDと要らないCD・DVDがある。
そんな具合で、その他、押入れや収納ケースにも、必要品と不要品が混在したままだった。

“この仕事、気がすすまないなぁ・・・”
私は、そう思った。
何故なら、作業が面倒臭いものになるのは目に見えているから。
しかも、要るモノを捨ててしまったり、要らないモノを残したりしてしまうミスが起こりやすい。
つまり、“トラブルが起こる可能性が高い”ということ。
更に、汚物がからんでいないため、料金もほどほどにしか見積れない。
“作業が面倒なわりに、それに見合った料金がもらえない”となると、やる気がでないのも仕方がない。
私は、やる気のない心持ちが言動や態度にでないよう気をつけながら、契約不成立を覚悟の上で、トラブルが起こった際の責任のほとんど女性に負ってもらうかたちで打ち合わせを進めていった。

当の女性も、自分が依頼する作業がかなり面倒臭いものであることは理解していたようで、
「貴重品はあらかじめ取り避けておきますし、細かいことは言いませんから・・・」
と、少々の取捨錯誤は気にしないとのこと。
結局、“必要品・不要品の取捨錯誤及び貴重品類の滅失・損傷について、当社は一切の責任を負わない”という条項が付いた契約が成立した。

このケースのように、依頼者が女で、かつ細かな関わりが必要な作業の場合、ムサ苦しい男と一緒にやるより女同士の方がやりやすいため、女性スタッフを希望されることが多い。
しかし、女性は、
「誰でもいい(私でいい)」
という。
結果、この仕事は、私が担当することに。
“うまくいけば、この面倒な作業を他のスタッフに押しつけられるかも”
と悪知恵を働かせていた私は一時消沈。
まだ何十分とたっていないのに、この仕事を明るくこなすことにしたことを忘れて不満を覚えてしまった。
しかし、本来、仕事があること・仕事ができるのはありがたいこと。
私は、感謝すべきことを不満に思ってしまう悪いクセをすぐに反省し、また、この仕事を明るくこなすことにしたこと思い出し、気を取り直して作業の話を進めた。


作業の日・・・
覚悟していたより、作業はスムーズにすすんだ。
そして、その労働は、一次消沈したことが恥ずかしいくらい軽くすんだ。
それは、女性が、ある程度の取捨基準を伝えただけで、それ以上のことは私の判断に任せてくれ、いちいち細かいことを言わなかったから。
私は、女性の意図を汲んで、判断に小さく迷うモノはいちいち女性の確認をとらず、廃棄用のビニール袋に放り込んでいった。

家の中からは、色々な不要品がでてきた。
特に目についたのは“男モノ”。
服や靴はもちろん、細かな持ち物にも男性用のモノがたくさんあった。
“男モノは全部捨てる”ということは、あらかじめ指示されていたため、私は、それらを躊躇わずビニール袋に入れていった。

ただ、気にならないことがなくもなかった。
そこには、女性が男と一緒に暮らししているような雰囲気がなかったから。
ま、そうは言っても、男女の別れなんてどこにでもあることだし、別れのかたちが様々あるのも当然のこと。
一緒に暮していた男が、事情あって、私物を置いて出て行ったのかもしれず・・・
私は、頭に野次馬を走らせながら、作業の手を動かし続けた。

そうして、しばらく黙々と作業。
ただ、次から次へと目の前に現れる男モノを前に、何も訊かないのも不自然なような気がした私は、
「随分、男モノがありますね・・・」
と、独り言っぽくつぶやいた。
すると、女性は、
「これ、全部、彼のモノだったんです・・・」
と、それまでの明るい口調からトーンを落とし、神妙な表情で小さく溜息をついた。

“やっぱ、そうか・・・”
と、女性の言葉にあった“過去形”に確信を得た私は、
“余計なこと、訊いちゃったな・・・”
と、気マズさを覚えながら手綱をとって、頭の野次馬がこれ以上走らないようにした。

ところが、女性と“彼”の別れは、私が想像していたかたちではなかった・・・
「昨年、亡くなったんです・・・急に・・・」
女性は、言葉を落とすようにつぶやいた。

“生と死は隣り合わせ”
“人は、いつ死んでもおかしくない状況で生かされている”
なんて、普段から知った風なことを言っているクセに、若年という先入観が働いていたこの時の私の頭には“死別”というかたちがまったく用意されておらず、女性に、何も言葉を返すことができなかった。

聞けば・・・
女性は、“彼”とこのマンションで10年近く同棲。
「同棲」という言葉は女性が使ったものだが、そう言ったところをみると籍は入れてなかったよう。
いわゆる“内縁関係”“事実婚”というかたちだ。
まぁ、“籍”なんてものは、つくられた型に過ぎない。
もともとは、政を治める者の都合でつくられた支配制度。
今は、意識付けと利便性を求めた社会制度。
あとは、浮気の抑止力になるかどうかといったところか。
どちらにしろ、男女の愛とか情といったものを否定できるものではない。

そんなパートナーの“彼”・・・
ある日の朝、
「体調が優れない・・」
と言いながらも、いつも通り仕事に出かけた。
そして、いつも通り、仕事に励んだ。
ところが、その日の午後、勤務先の会社で急に倒れ、そのまま意識不明に。
そして、数日後、意識は戻らぬまま、帰らぬ人となってしまったのだった。


それから、約一年。
女性は、この部屋で、一人で暮らし続けた。
“彼”との想い出を背負い、部屋に残る“彼”のモノもほとんど始末できないまま。
女性が、深い悲しみに打ちひしがれたこと、寂しくて辛い日々を過ごしたこと、そして、なかなかそこから抜け出すことができなかったことは、聞かなくても想像できた。

そんな中、いわゆる“カープ女子”の友人が野球観戦に誘ってくれた。
しかし、女性は、野球なんてまったく興味はなく、プロのチーム数やチーム名はもちろん、ルールさえ知らず。
それでも、“気晴らし・気分転換になれば”と思い、その誘いに乗ってみた。
そして、友人ともども、真っ赤に染まるレフトスタンドに赤いユニフォームを羽織って座った。

初めて行った野球場には、目を見張るものがあった。
その広さ、その彩り、そのプレー、その演出、その歓声、その迫力・・・
何万もの人が集まって一つのことに集中するエネルギーはすさまじく、女性は、それまで体験したことがない熱気と興奮に包まれた。
そして、人々が喜怒哀楽の感情を露に、そのひと時を楽しむ姿は、日常の世界で目にする人々や自分の姿とはまったく異なりイキイキとしたもので、心躍らされるものがあった。
と同時に、その心に沸々と湧いてきた想いがあった。
それは、「残りの人生を楽しもう!」というもの。
そして、その想いは、日を追うごとに深々と心に刻まれていき、女性に再出発する勇気と希望を与えていったのだった。


あれから、しばらくの時がたった・・・
新しい生活は、女性の勇気と希望に応えてくれただろうか・・・
寂しさと悲しみを想い出に変えることができただろうか・・・
残された日々を楽しめているだろうか・・・
過ぎ行く時間のなかで、女性の顔も女性の声も遠くにかすみ、ほとんど忘れてしまった。

ただ、
「残りの人生を楽しもうと思う」
その言葉だけは、昨日のことのように思い出せる。
そして、私は、女性のそれが叶っていることを想い、また、自分のそれが叶うことを願っているのである。

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確執

2016-03-28 09:06:01 | 消臭 消毒
進学、就職、転職、転居・・・
この時期、人生の岐路にある人は多いと思う。
希望と期待、意地とプライドを持って新たな歩を踏み出す人もいれば、失意と不安の中、意地とプライドを捨てて歩きださざるを得ない人もいるだろう。
私は、意地もプライドもなく、絶望と不安の中、ヤケクソ気味で新たな道に進んだクチ。
もう、24年余も前のことになるけど、その経緯は、何度か書いてきた通り。
毎度のことながら、思い出してでてくるのは溜息と苦笑いくらい。
「自業自得」と、無理矢理、自分を納得させている。

とにもかくにも、新しい環境には、新しい人間関係がつきもの。
初めて会う上司・先輩・同僚、初めて会う先生・上級生・同級生etc・・・
そういった人達と仲良く、うまく付き合えれば、それに越したことはない。
ただ、人は、十人十色。千差万別。
中には、嫌いなタイプの人間、苦手なタイプの人間、ウマが合わない人間がいても不自然ではない。
もっと言うと、自分にストレスをかけてくる人間、腹の立つ人間は、「必ず」と言っていいほど、どこにでもいる。
結局のところ、自分の意に関係なく、嫌いな人間と関わらなければならない、ウマの合わない人間と付き合わなければならないこともでてくるのである。

ただ、人間関係をこじらせることは、自分にとってもマイナス。
それはそれで、違うストレスを生むから。
だから、人は、そうならないために、テキトーなところで、妥協し、我慢し、迎合し、忘却する。
時には、おもしろくもないことに愛想笑いを浮かべ、下げたくない頭を下げ、納得できないことにもうなずく。
自分を、学校で、会社で、この社会で成り立たせ、生かすために。


依頼された仕事は簡易清掃と消毒消臭。
一般家庭のトイレ漏水の後始末で、仕事としてはかなり小さいもの。
それでも、お金をいただく以上はシッカリやらなくてはいけない。
私は、事前に約束した日時に依頼者宅を訪れた。

現場は、キチンと区画整理された郊外にある一般的な住宅地。
造成分譲からまだそんなに時間がたっていないことがすぐにわかる、きれいな家並。
そして、そこに建つ家は、いわゆる“建売住宅”。
建物の形状と外壁の色が家ごとに若干違うくらいで、同じパターンの家がズラリと並んでいた。

整然と並ぶ番地を順に追っていくと、目的の依頼者宅はすぐに見つかった。
私は、その家の前に車を寄せて停車。
片側には、自家用車一台なら充分に通れる道幅が残っていたため、何も気にせず車を降りた。

すると、間髪入れず、向かいの家から一人の老年男性がでてきた。
そして、声高に、
「そこ、とめちゃダメ!」
と、一言。
戸惑った私が黙っていると、矢継ぎ早に、
「邪魔だから!すぐにどかして!」
と、更に声を大きくして言ってきた。

しかし、周囲を見渡しても、私の車は、誰の邪魔にも何の邪魔にもなっていない。
しいて言うなら、私の車があると、男性宅の車が少々出しにくいかと思われるくらい。
ただ、男性に、車を出す様子はない。
だから、私は、
「○○さん(依頼者)の御宅に来たんですけど、すぐ済む用事ですから・・・」
と、男性が了承してくれるものとばかり思って、そう応えた。

しかし、男性は、そんな言い分、意に介さず。
「そんなこと関係ない!ダメなものはダメ!」
と、一点張り。
私有地でも私道でもないのに妙に強気で、妥協する姿勢を一切みせなかった。

こんなの、“お互い様”の精神があれば何でもないこと。
しかし、まったく融通がきかず。
そんな男性に、かなりイラッときたのだが、こんなところで揉めは依頼者に迷惑がかかる。
私は、沸いてくるマグマを飲み込み、小さく舌打ちして再び車に乗り込み、少し離れた公園脇に移動してそこに車をとめ、歩いて依頼者宅に戻った。

そこは市街地でもなく、住民の通報でもないかぎり駐禁を切られることはないと思われたが、目の届かないところに車を置いておくのは、やはり不安。
そうは言っても、住宅地につき、コインパーキング等も皆無。
私は、車を公園脇に置いてきた事情を依頼者に話し、この家の近くに置けないものかどうか相談した。

すると、依頼者は、人差指で自分の頭をトントンやりながら、
「すいませんね、近所に変なのがいて・・・アノ人、ここがおかしいんで、相手にしなくていいですから」
と呆れ顔で言い、そして、
「構わないから、家の前に車をとめて下さい」
と言って、不敵な笑みを浮かべた。

またアノ男性に文句を言われるのはほぼ間違いなかったので、私はいまいち気が乗らなかったが、それでも公園脇に放置して駐禁を心配しているよりはマシ。
男性に何か言われたら、その責任を依頼者に転嫁するつもりで、再び、車を依頼者宅前に戻した。

やはり、向かいの男性はすぐにでてきた。
が、意外にも何も言わず・・・
スゴく言いたそうにしているものの、何かを飲み込むようにしながら、結局、何も言わず。
私が依頼者の指示で車をとめたことが察せられたのだろう、これ以上言うのは火傷のもとと判断したようだった。

それでも、作業中、依頼者宅に出入りする私を、男性は、いつまでも自宅の庭から塀越しにジッと睨みつけていた。
威圧してるつもりか、監視してるつもりか、まるでケンカを売られているようで、私は極めて不愉快な気分に。
普通なら、「何か用?」「失礼じゃないか?」とでも言うところだったが、この場限りの現場で揉め事を起こしても何の得もない。
結局、私は、その都度、睨み返すだけにし、口と身体は男性に向けなかった。


人の悪口って、言わずにいられないときがある。
また、それが、ストレス解消になることがある。
自分の口を汚し、同時に人の耳も汚してしまうものだけど、私にも、現在進行形で身に覚えがある。
作業が終わると、依頼者は、
「気分の悪い思いをさせて、すいませんでしたね・・・」
と、男性の件を私に詫びてくれ、ついでに、ことの経緯を話しはじめた。

ここは、数年前に分譲された新しい住宅地。
土地は広めながらも上物は量産の建売家屋で、若い世帯でも購入しやすい価格帯になっていた。
そして、依頼者家族をはじめ、マイホームを夢見る若い世帯が次々と購入していった。

少しでもいい家に住みたいから、身の丈に合わないローンを組んで失敗するような人もいるらしいけど、通常、人は、自分の経済力に見合った家を買う。
だから、こういった新興住宅地には、生活水準・生活文化・生活スタイルの似たような人達が集まりやすい。
ここもそうで、依頼者も同様、住民のほとんどは、幼稚園児や小学生・中学生の子供がいるような30代~40代の世帯。
一方、どういう事情で越してきたのはわからなかったが、向かいの男性宅は現役を退いた老後世帯。
子供もとっくに成人独立した、老夫婦二人きりの世帯だった

男性と近隣住民との間には、特に何があったわけでもなかった。
何かのトラブルはきっかけで確執が生まれたわけでもなく、引越し当初は、フツーの社交辞令関係だった。

そして、住み慣れてくると、近所同士、親しい人間関係ができてくるもの。
同年代で似たような家族構成の家族が集まっている住宅地なら尚更そうで、春には連れ立って花見に出かけたり、夏には誰かの家に集まってBBQや花火をやったり、秋には一緒にレジャーに出かけたり、冬にはクリスマス会・忘年会・新年会をやったり、たまの休日に酒宴を催したりと、気の合う家族が固まるように。
とりわけ、依頼者宅周辺の家々は、皆仲が良く、良好な関係をつくっていた。

しかし、その輪に向かいの男性夫妻は入っていなかった。
年齢も、家族構成も、生活スタイルも、嗜好も、生活上の課題も他世帯と大きく違うわけで、仕方がないことだった。
しかも、それは、住民達が意図的(悪意で)にそうしたわけではなく、自然とそうなったもの。
善悪で判断できることが原因で起こったことではなかった。

それでも、最初の頃は、気を使って男性夫妻を酒宴に誘ったりしたこともあった。
しかし、男性は、社交的な性格ではないうえ下戸で酒を好まず。
また、年上としてのプライドがあるのか、話しをする機会をつくっても、口から出るのは昔の自慢話や説教じみた御節介ネタが多く、聞いているほうも楽しい気分になれなかった。
結果、会話も自然となくなり、徐々に、距離が空いていった。

男性は、それで疎外感をもったのか・・・
それがおもしろくなかったのか・・・
次第に、周りの人に対してスネた態度をとるようになり、それが、被害妄想的にエスカレート。
近くの路上に車を停めると「邪魔だ」と文句を言うのはもちろん、
学校帰りの子供が表で遊んでいると「うるさい」と文句を言い、
子供が路面に蝋石で落書きをして遊んだ際は「景観を損ねる」と文句を言い、
時には、ゴミ収集日にゴミ袋を開けて分別をチェックしたりして、他家の粗探しをするようなこともあった。
結局、「お互い様」と融通し合うべきことも一切応じず、そういった振る舞いが、人に変人扱いされ、人から嫌われる原因になり、男性は、ますます孤立の度を深めていったのだった。


視界を狭めれば意地を張ることはできる。
広い視野を持てば、つまらない意地は捨てられる。
視線を上げなければプライドを保つことができる。
上へ視線を向ければ、つまらないプライドは捨てられる。
小さな怒りさえあれば、拳を振り上げることはできる。
だけど、振り上げた拳を下ろすには、大きな勇気が必要。

男性は、新しい暮しの中でつくっていく新しい人間関係に期待感を持っていたのだろう・・・
仲良く付き合える“ご近所”が欲しかったのだろう・・・
周りの人に、自分の存在を気に留めてほしかったのだろう・・・
しかし、現実は、確執だらけの“村八分”状態。
そして、対人関係にとどまっていたはずのその確執は“対自分”に・・・つまり、“自分の理性と良心”の間に、また、“理想の自分”との間にまで転移し、男性を蝕んでいったのか・・・

そこで目にした、「自業自得」で片付けてはいけない人間の愚弱は、持つべき意地が持てず・つまらない意地が捨てられず、また、持つべきプライドが持てず・つまらないプライドが捨てられない私の前に、大きな問を置いたのだった。



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