特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

2017-07-17 08:14:33 | Weblog
梅雨入りが宣言されてしばらくたつけど、その梅雨はどこへ行ったのか。
東京近郊に限っていうと、梅雨らしい日はほとんどない。
猛暑!酷暑!強い陽射しが照りつける毎日、強い熱波に曝される毎日。
気の毒なことに、雨が降らなさ過ぎて、紫陽花の花ビラも干からびている。
このままいくと水不足になるのは必至。
飲水が欠くような事態は想像しにくいけど、異常気象? 恐怖感すら覚えるような空梅雨である。

そんな季節の現場作業は、ホントにツラい!
あまりのしんどさや、はかどらなさに、イラついてくることもままある。
全身から汗が吹き出し、いくら飲んでも喉の渇きが癒えることはない。
心臓のバクバク感もハンパじゃない。
日陰で休んでも、少々のことでは治まらない。
若くない身体には、相当に堪える。

だけど、猛暑の中でキツい労苦を強いられているのは私だけではない。
外で働く多くの肉体労働者も同じこと
冷房のない所で汗をかいている人は巨万といる。
建築現場、工事現場、運配送etc・・・そんな異業の人達のがんばる姿に、私も励まされている。

気をつけなければならないのは熱中症。
特に、私の場合、一人作業が少なくないので、慎重に自己管理しなければならない。
しかし、まだ若いつもりでいる私。
どこからどう見ても若くないアラフィフのくせに、作業に没頭してしまい、ついつい休憩を後回しにしてしまう。
で、知らず知らずのうちに身体の水分が抜け、体温が上がっていく危険を放置してしまうのである。

孤独死現場で孤独死するのは私らしい死に方かもしれないけど、当然、そんなの本望ではない。
「死んでしまいたい」と思ってしまうような虚無感・疲労感・倦怠感に襲われることはしばしばあるけど、その根底には「健康で長生きしたい」という本性がある。
そして、“死”は、毎日 想うことだし、覚悟がいることはわかっているけど、やはり、恐怖感・切なさ・寂しさ・嫌悪感等を覚える
だから、もう少し悟れるくらいまでは生きていたい・・・今、壊れるわけにはいかない。

幸い、この猛暑にあっても、身体の調子を崩さず仕事ができている(相変わらず、精神のほうは不調が多いけど)。
しいて言えば、時折、軽い目眩と蕁麻疹がでるくらい。
病院にかかるほどのことにはなっていない。
とにもかくにも、生活がキツかろうが 仕事がツラかろうが、とりあえず、変わらぬ日常を過ごすことができていることに感謝!している。


先日、何度か取引したことのある不動産会社から、
「住人が孤独死した部屋があるので見てほしい」
との依頼が入った。
“この時季だから、結構なことになってるだろうな・・・”
“百聞は見にしかず、いちいち細かなことを訊くより現場に行ったほうがはやい”
と思った私は、ややテンションを上げながら、早速、その翌日に現地調査の予定を入れた。

訪れたのは、古いアパートの一室。
先入観が働いて、その部屋からは“いかにも”といった雰囲気が漂っているように見えた。
私は、現場に設置されたkeyboxの鍵を使って開錠。
やや緊張しながら、手袋をつけた右手でゆっくりとドアを引いた。

凄まじい悪臭が噴出してくることを予想し、専用マスクを首にブラ下げて構えていた私。
しかし、中から漂ってきたのは、熱せられた空気とホコリっぽい臭いだけ。
私のテンションと部屋の実情は、明らかにミスマッチ。
私は、“安堵”というより“怪訝”な気持ちを抱きながら、部屋に足を踏み入れた。

間取りは1DK。
狭い部屋で、一目で部屋全体を見渡すことができた。
が、明確な汚染痕はどこにも見当たらず。
また、ウジも這っておらず、ハエも飛んでおらず。
部屋の中央に敷かれた薄汚れた布団が、故人の最期の姿を想像させるくらいだった。

部屋の状態は、それと言われなければわからないくらいのライト級。
もちろん、それは、故人、遺族、大家、不動産会社、他住民、そして私、誰にとっても幸いなこと。
本来なら安堵すべきことなのに、私は、拍子抜けした感じの妙な感覚を覚えた。
私は、へビー級を覚悟して現場に出向いたわけで、せっかく火をつけた特掃魂が無駄になったことに対するもったいなさ・寂しさみたいなものを感じたのだ。

もちろん、作業は楽なほうがいい。
キツい作業なんてまっぴらゴメン。
だけど、皮肉なもので、やり終えたときの清々しさ(満足感?達成感?)は、仕事がハードであればあるほど高い。
晩酌の味も同じ。
がんばった分だけ、味が上がる。
そんな日は、「今日もよく働いた!」「美味しく飲めてありがたい!」と、ビールやハイボールをリットル単位で飲んでいく。
最近は、生涯を通じて縁遠かったブランデーやワインを飲むこともある。
そうして、次のエネルギーをチャージして後、疲れた身体を汗臭い布団に横たえるのである。

その旨味を覚えたせいでもないだろうけど、現場の状況が酷ければ酷いほど熱を帯びる私。
「いよいよ変態になってきたか?」
と、自分でもそう思う。
だけど、私は、要領よく楽する自分より、真正面でがんばる自分の方が好き。
労苦に喘いでも、辛酸を舐めても、がんばったことは無駄にならないから。
不本意な結果しか得られなくても、希望が失われても、その欠片は残るから。
そして、がんばった経験と希望の欠片は、次の自分と新たな未来をつくってくれるから。


例によって、ブログの更新がとまっている。
重症化しやすい現場と この暑さで、肉体的にも精神的にも時間的にも、ブログを書く余裕がなくなっているから。
多分、次回の更新も、しばらく先になることだろう。
だけど、「がんばりたい!」という情熱は持っている。
そして、生きているかぎり、この想いは持ち続けていたいと思っている。

略儀ながら、がんばって生きている・・・がんばって生きようとしていることの報告まで。

2017年 盛夏 特掃隊長
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逃げ道

2017-05-22 08:50:50 | 腐乱死体
特殊清掃の依頼が入った。
依頼者は初老の男性で、現場となったアパートの大家。
男性は客面することもなく、礼儀正しく言葉遣いも丁寧。
その語り口は、謙虚な人柄を感じさせるものだった。

いつものごとく、私は、男性と日時を合わせて現地へ。
まずは、男性の要望に従って、現場近くの男性宅を訪問。
男性の腰の低さからは想像できないくらいの豪邸で敷地も広く、何度も番地と表札をみて間違いがないことを確認。
金の力に弱い私は、やや緊張しながら門扉のインターフォンを押した。

男性は、すぐに表にでてきた。
そして、電話と同じ雰囲気で、丁寧に頭を下げてくれた。
私は、玄関先で簡単な挨拶を済ませて鍵を預かるつもりだったが、男性は先に話したいことがあるようで、私を家の中へ上がるよう促した。

足元に置かれた高級そうなスリッパをすすめられた私は、靴下の汚れを気にしながらそれを履き、応接間の扉をくぐった。
通された応接間は豪華、置かれた調度品もまた高そうなものばかり。
一方の私は、くたびれた中年男+貧相な作業服姿。
どう見てもミスマッチな私は、ソファーに腰掛けるのが躊躇われたが、立ったままというわけにはいかない。
背もたれに背中をつけないよう浅く腰掛け、出されたコーヒーの苦味に起こった出来事を重ねながら、男性の話に耳を傾けた。


男性は、地主の家系で結構な資産家。
下衆な言い方をすると“お坊ちゃん育ち”“育ちのいい人”。
裕福な家庭に育ち、窮々とした生活には縁がなかったよう。
そのせいか、のんびりした感じの、おっとりした感じの、温和な人柄。
見栄や虚勢を張る必要がないものだから人に偉そうにすることもなく、年下の珍業者である私にも 終始 礼をもって接してくれた。

不動産経営を始めたのは先代。
その昔、所有地の大半は畑だったが、時代の波に乗って男性の親がアパートを建てはじめた。
そして、男性の代になってからも、新しくアパートを造ったり、畑をつぶして駐車場にしたりして、少しずつその規模を拡大させていった。
また、一部は畑として残し、道楽で土いじり(耕作)もしていた。
そんな風に悠々自適に暮らしていた男性に、いきなり衝撃の災難が降りかかってきた。
それは、長年にわたって不動産賃貸業を営んできた男性にとって初めての出来事・・・住人がアパートで孤独死したのだ。

最初に異変が表れたのはポスト。
故人宅のポストから郵便物が溢れていることを変に思った他の住人が、そのことを大家である男性に連絡。
しかし、当初、男性は、
「チラシやDMを取り出さずに放っているだけじゃない?」
と、室内で重大なことが起こっていることを微塵も疑わず。
ただ、アパートの住人は男性にとって“客”でもあるので、住人の要請を無視するわけにもいかず、男性は、とりあえずアパートに行ってみた。

見ると、確かに、数あるポストの中で、故人宅のポストだけが荒れていた。
たくさんのチラシや郵便物が押し込まれ、それが口から溢れていた。
その様を見た男性は、さすがに
「フツーじゃないな・・・」
と思った。
そして、
「もしかして、夜逃げ?」
と思った。
が、家賃の滞納はないし、電気メーターも動いていたため、
「仕事で長期出張にでも出ているのか?」
と思いなおした。

しかし、考えてばかりいても仕方がない。
とりあえず、その部屋を訪問してみることにし、インターフォンを押した。
が、応答はなし。
ドアをノックしても同様。
そうは言っても、居留守を使っている感じもしない。
となると、あとは、室内を確認するしかない。
ただ、いくら所有者でも、貸した部屋は他人の家。
気にはなっても、住人の許可なく開錠して入室するのは犯罪になるような気がした。

考えた末、男性は、玄関ドアにメッセージを書いたメモを貼って二~三日様子をみることに。
しかし、数日経っても応答はなし。
その頃になると、もう、“長期外出ではなく室内で孤独死している?”という不安が頭を占めていた。
そして、男性は、いよいよ室内を確認することを決意。
合鍵を使って玄関を開錠し、恐る恐るドアを引いた。

室内は薄暗く、物音もなくシ~ン。
そして、それまで体験したことのない異臭がプ~ン。
それを感じた瞬間、嫌な予感が現実味を帯びて脳裏に走った。
が、先走って110番して、何もないのに騒ぎになってはマズい。
とりあえず、男性は、奥へ進んでみることに。
異臭に耐えながら、勇気を振り絞って室内へ足を踏み入れた。

「こんにちは・・・大家です・・・○○(故人名)さん・・・いらっしゃいます?」
足を進めるにしたがって異臭の濃度は高くなっていった。
また、心臓の鼓動も大きくなっていった。
同時に、恐怖感に襲われ、また、引き返したい衝動にかられた。
しかし、この役目を頼める人は他にいないこと、自分には逃げ道がないことを悟って耐え、足を進めた。

「!!!!!」
2DKの狭い間取りに故人を見つけるのは容易かった。
部屋の扉を開けると、住人は、部屋のベッドの上、こちらに背中を向ける格好で身体を曲げて横たわっていた。
それは、一見、普通に寝ているようにも見えなくはなかった。
しかし、部屋に充満する異臭と、そんな劣悪な環境でもジッと寝ている住人が、その“普通”を真っ向から否定していた。

「○○さん!○○さ~ん!!」
声をかけても無反応、ピクリとも動かない。
男性の心臓は、飛び出しそうなくらい激しく鼓動。
更に、頭はクラクラしだし、手足はワナワナと震えだし、結局、足がそれ以上前に出ず。
男性は、住人の安否を確認しないまま、逃げるように部屋を跳び出した。

男性の動揺は、部屋を出てからも治まらず。
激しく揺れる気持ちに目眩を起こしそうになりながら、110番に電話するべきか、それとも119番に電話するべきか迷った。
ただ、どうみても、住人は死んでいる。
119に電話しても無駄だと思った男性は110番に電話。
しかし、返ってきたのは「119番が先」とのつれない返事。
警察が助けてくれることを信じ、門前払いされることなんかまったく予期していなかった男性は、一時、頭が真っ白に。
そして、震えがくるほど心細くなってきた。

しかし、警察にそう言われてしまえば従うしかない。
納得できないものを感じながら、急いで119番。
「これで何とかなるだろう・・・」
と、少しは落ち着きを取り戻すことができた。
が、そんな安息も束の間。
消防は、
「救急車が到着するまで、心臓マッサージと人工呼吸をして下さい」
と、耳を疑うような、予想だにしない無茶なことを言ってきた。

黒く変色した皮膚、その周囲に浸み出している得体の知れない液体、立ちこめる異臭・・・
住人は既に命を落とし、その肉体の腐敗がすすんでいることは一目瞭然。
そんな人間に「救命処置を施せ」なんて・・・
救急対応のマニュアルなんだろうし、事後の批判を避けるためのリスク管理でもあるのだろうけど、それは、あまりに現実離れした指示。
それによって、使命感・責任感のようなものを負わされた男性は、逃げるわけにもいかなくなり、泣きそうになりながら、勇気を振り絞って、再度、部屋に入った。

住人は、先程と同じ姿勢のまま、顔は男性の反対側を向けていた。
少し近づいてみると、耳や横顔は、腐ったバナナのように黒く変色。
自分を奮い立たせようと自分なりに努力はしたけど、もう恐ろしくて恐ろしくて・・・結局、故人の顔を見ることができず。
そんな状態で、心臓マッサージなんてもってのほか、人工呼吸なんてできるはずがない。
及び腰で背中側から近寄り、その辺にあったモップの柄で肩をチョンチョンとつつくのが精一杯だった。

男性が、戸惑って右往左往しているうちに救急車が到着。
隊員は玄関を開けるなり、異臭に顔をゆがめた。
そして、まだ住人の身体を診たわけでもないのに、
「ダメだこりゃ!」
と一言。
そして、室内に入ったかと思うとすぐに出てきて警察に通報。
心臓マッサージや人工呼吸をした様子は微塵もなし。
電話対応した職員と現場に来た隊員は別の人物とはいえ、そんな乾いた対応に、男性は、自分に遺体への人工呼吸と心臓マッサージを指示してきたこととのギャップを感じて歯ぎしりしたのだった。

「これまでの人生で、一番の試練でしたよ・・・しかし、人って死んでしまうと、あんな風になるんですね・・・」
男性は、大きな試練に立ち向かった自分と、また、人生の最終解答の一つを直視した自分に満足したようにそう言った。
確かに、腐乱死体との遭遇は、平穏裕福に生きてきた男性に限らず、誰にとっても稀な出来事。
「災難」と言い切るのは故人に失礼なような気もするけど、人生において かなりの災難だと思う。
しかし、“人生の最終解答の一つ”ではありながらも、住人はまだ生前の原形を留めていた。
遺体の腐敗過程には、それから まだ先がある。
肉体は何倍にも膨張し、体表には水疱が現れ、皮膚から腐敗ガスと腐敗体液が漏れ出し、肉が崩れていく・・・
そして、骨・爪・髪などを残し、最後は液状化し、そのまま、虫や微生物の餌食になり、その屑糟だけが残るのである。

見るに耐えない、嗅ぐに耐えない・・・そのプロセスは凄まじい・・・
私は、そのことを説明したかった。
そして、そういう凄惨な状況からも逃げずに頑張っていることを自慢したかった。
しかし、それは、ただの邪心、下衆の自己満足。
それが事実であるとはいえ、日常生活に必要な知識でもなければ、男性の幸せに貢献できる情報でもない。
場合によっては、自分の人の格を下げてしまう(もともと大した格ではないけど)。
男性の屈託のない表情によって それに気づかされた私は、余計なことは言わず、腹底で自己顕示にならない自己顕示欲を消化した。


人生には大きな試練が何度かある。
日常には小さな試練が何度もある。
私もそう、多くの人がそうだろう。
試練は耐えるしかない。
しかし、私の場合、「試練」と言えば試練かもしれないけど、試練じゃないような気もする。
ブログにおいて、この仕事を“試練に立ち向かっている”っぽく描写することが多いけど、この感性は、ある種の“甘え”からくるものかもしれない。
だから、「試練に立ち向かう」というより、「自分が撒いた種を刈り取らされているだけ」と言ったほうが正確かもしれない。

ま、そういうこともひっくるめて「試練に立ち向かう」というのかもしれないけど、悲しいかな、私は、耐えることができず、逃げてしまうことが多い。
そして、何事においても、逃げ道を考えるのが癖になってしまっている。
この仕事だってそう、“辞めたい”という逃げ根性は常にある。
だから、逃げ道があれば、とっくに逃げているだろう。
ただ、残念ながら、生きていくための逃げ道はない。
逃げ道はほしいけど、逃げ道はない。

しかし、私のような弱い人間にとって“逃げ道がない”というのは ありがたいことなのかもしれない。
どうしたって、あれば逃げてしまうから。
逃げてばかりの人生に幸福をイメージすることはできないから。

後悔と不満と不安を抱えながらも、この不運に、時折、ほんのちょっとだけ感謝している私である。


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嫌われ者

2017-05-12 08:36:46 | 動物死骸特殊清掃
自分の能を棚に上げて人を羨み、自分の格を棚に上げて自分を蔑みながら、人がやりたがらないことをやって、それでお金をもらって生きている私。
これもまた誰もやりたがらないことだけど、動物死骸の始末も仕事の一つ。
ただ、現場は、あくまで私有地や私有建物内。
誰しも、公共の道路に転がる犬猫等の轢死骸を見たことがあると思うけど、そういうのは範疇外。
役所と混同して無料処理を依頼してくる人も少なくないけど、さすがに無料ではできない。
「無料ではやれません」と断ると、「悪い業者」「冷たいヤツ」みたいな雰囲気で憮然とされて電話は終わるのだが、何か悪いことをしたみたいで後味が悪い。
そして、精神が弱っているときには、こんな些細なことがいつまでも心に引っかかったりして、自己嫌悪に陥ってしまうこともある。

対象物として圧倒的に多いのは猫。
少し前も、とある会社の工場で、機械に入りこんだ猫を取り出した。
充分に腐敗し、ウジも大量発生。
とっくになくなった眼球跡に掬うウジを見たら、可哀想やら気味悪いやら。
しかも、硬直した脚が機械に挟み込まれて なかなか抜けず。
しかし、骨を折るのは躊躇われるし、足を切断するのは心情的に不可能。
直視すると気持ち悪さが倍増するので、視線は他に向け、手探りで猫を掴み、頭の半分では猫の形状と動きを想像しながら、もう半分では“晩酌の肴は何にしようかな”なんて 全然違うことを考えて気を紛らわしながら、何とか猫を引っぱり出した。

しかし、こんなのまだ軽い方で、中には、ここで書くのは躊躇われるくらい悲惨・凄惨な現場もある。
昔、猫の共食い現場のエピソードを書いたことがあると思うけど、残念ながら、たまに そのレベル、またそれ以上の現場も発生する。
特に、死骸の数が多い現場は凄惨を極める。
ペットは、人間と違って自殺したりはしない。
また、余程の条件が揃わないかぎり、孤独死することもない。
大方の死因は、飼育放棄や虐待等、人間のエゴや身勝手な振る舞いによるもの。
人間の悪意によって命を落とした数々の腐乱死骸・・・
そんな目に遭った動物達があまりに哀れで 怒りの涙が滲むことがあり、また、その始末をしなければならない自分があまりに惨めで 戸惑いの涙が滲むこともある。



「マンションの屋上に鳥の死骸があるので片付けてほしい」
不動産管理会社から、そんな依頼が入った。
「気持ちが悪いので近づいて確認はしていないが、犬猫ではなく鳥であることは遠目にもわかる」
とのこと。
犬猫と違って、鳥の死骸現場はライト級であることがほとんど。
しかも、天井裏とか床下とかではなく、立ち歩ける場所なので作業はしやすい。
というわけで、私は、結構 気楽にその話を請けた。

鳥死骸があるのは、マンション屋上から更に上の給水タンク設備の上。
そこに行くには、屋上からハシゴを昇らなければならなかった。
屋上を囲っているのは細い鉄柵のみで、生暖かい風がビュービュー。
とにかく、子供の頃から高い所が苦手な私。
屋上にいるだけでも尿意が刺激されたのに、更にその上に行かなければならず、気楽に出向いたはずなのに、結局、なかなかの緊張を強いられるハメになってしまった。

私は、何度もハシゴを昇降するのはイヤだったので、必要になりそうな道具一式を袋にまとめ、それを背負い、及び腰で給水タンクのハシゴを昇った。
そうして到着した給水タンク設備の上は、平面で障害物もなく二足歩行が可能。
また、たいして広くもなく、死骸は探す間もなく発見できた。
しかし、その形が どうもおかしい。
私は怪訝に思いながら、ゆっくり死骸に近づいていった。

「アララ・・・そういうことか・・・」
大きさと色から判断すると、それは鳩とかではなくカラス。
が、頭や足はなく、肩方の翼と肉が半分なくなった胴体と内臓少々。
何がどうなってこういうことになったのか・・・気の毒というか、とても悲惨な状態になっていた。

「気持ち悪・・・さっさと片付けて、とっとと帰ろ!」
高所恐怖症に死骸の気持ち悪さが加わった私は、作業に取り掛かるべく死骸の傍にしゃがみ込んだ。
そして、片手にビニール袋を持ち、もう片方の手で翼の先を摘まもうと手を伸ばした。

「痛ッ!!」
そこは屋上、横にも上にも何もないはずの場所で、突然、私の頭に何かがぶつかった。
慌てて視線を上げて辺りを見回すと、周囲を囲む柵に二羽のカラスがおり、私の方をジッと見ていた。

「なんか恐いな・・・」
“高所”というアウェーで、しかも、私一人対して敵は二羽。
私の中には、それまで味わったことがない妙な恐怖感が沸いてきた。

「仲間を守ろうとしているのか?」
まず、私はそう思った・・・そう思いたかった。
しかし、どこからどう見ても、死骸の状態はそれを否定するものだった。

「ひょっとして、これ(死骸)はコイツらの餌?・・・餌を取られまいとしているのか?」
そう思うと、風は冷たくなかったのに寒気がしてきた。
そして、冷静に考えればただのカラスなのに、二羽が私の動きを封じるため 悪魔的な威圧感を醸し出しているように思えてきた。

「・・・ということは共食い?」
“共喰い”って独特の地獄感がある。
仲間を守ろうとしたのか、餌を奪われまいとしたのか、真のところは定かではなかったけど、状況から判断すると可能性が高いのは後者の方で、私の背筋には悪寒が走った。

「くわばら くわばら・・・」
こんな所に長居は無用。
私は、騒ぎだしたカラスを威嚇しながら、そそくさと死骸を掴んでビニール袋に突っ込み、そして、飛び降りるようにハシゴを降りていった。


通り行く車を避けながら、道端で死んでいる犬猫の死骸を喰うカラスを見かけることがある。
内臓を引きずり出し、肉を啄(つい)ばみ、生をつないでいる。
生きるために必死でやっているのだろうに、その姿は、とても浅ましいものに見える。
そして、ただのエゴと偏見でしかないのがわかっていても、 “生きようとするたくましさ”ではなく“生きることの寒々しさ”を覚える。
また、燕や雀など、可愛らしく思える鳥が多い中で、カラスにはそれがない。
全身 真っ黒の喪服色は死や悪魔を連想させ、また、その乱暴な雑食性が 悪い印象を抱かせるのだろう。
夕暮れ時など、たくさんのカラスが集まって空中を旋廻している様が、何か不吉なことが起こるような不安感を覚えさせることもある。
あと、悪意はないとはいえ、ゴミ置場を荒らされて迷惑を被ることも多い。
だから、嫌われ者になってしまうのだろう。

しかし、よくよく考えてみると、自分と重なるところがなくはない。
残念ながら、私は人に好かれるタイプの人間ではないうえ、人に嫌われる仕事をしている。
それなりに人に対する礼儀やマナーは重んじるほうだけど、それ以前に、面白味のない人間である。
バイタリティーとかユニークに欠け、眉間にシワをよせ仏頂面で過ごしていることが多い。
しかも、性格は神経質で内向的、そのうえ、笑顔も少なく暗い(こういうことを書くこと自体 性格が暗い証拠)。
ネガティブ思考が常で自虐好き。
何かと細かく、その上、結構、わがままだったりする。
したがって、人から好かれにくいのではないかと思うし、自分でも嫌っている。
もちろん、“誰からも嫌われてしまう”なんてことはないと思うけど、関わっても楽しくないなんてことは多いにあると思う。
だからと言って、極端に寂しい思いをしたり孤独感に苛まれたりすることはない。
もともと、人づき合いが苦手で、一人きりの空間や時間を好むほうだから、いつまで経っても変われないのだろう。

それでいて、気が弱いから孤高にはなれない。
人の目をかなり気にしてしまう。
しかも、年の功によって、少しずつでも それが解消しているのではなく、それどころか、歳とともに増している。
自分の仕事について外で多くを語ることはなくなり・・・語りたくもなくなっている。
今とは逆に20代の頃は自分の仕事を自慢していたくらい。
気持ち悪がられようが、奇異の目で見られようが、そんなの気にならなかった。
(極端に見下されたり敬遠されたりすると、落ち込むようなことはあったけど。)
それどころか、「フツーの人間にはできない仕事をやってるんだ!」とばかり、内心で得意になっていた。
それが、今は、この始末。

“非社会的”とはいえ反社会的なことをしているわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないのだけど、いい印象は持たれないのがこの職業。
カラス同様、生きるために必死でやっているだけなのに、
「ヤクザな感じの人が来るのかと思った」
「ぼったくられたり、強引に契約させられたりするかもと不安だった」
等と、依頼者や関係者に言われることも少なくない。
また、言葉だけではなく、実際に人からそのような扱いを受けることもあるし、明らかに気持ち悪がられることもあるし、それで、悔しい思いをしたり 惨めな思いをしたりすることもある。

だったら、人に心象や人の評価なんか気にしなければいい。
気にしなければ楽なもの。
しかし、なかなかそういかない。
どうしても人の目は気になり、ときに虚勢を張り、ときに格好をつける。
なりきれないのに八方美人になろうとする。
必要以上に好かれようとするから、大きなストレスがかかる。
必要以上に善い人に見られようとするから、大きなストレスがかかる。
だから、疲れるし、自分に嫌気がさしてくる。

私も、ただの愚人。
欠点や弱点、直したいところや変えたいところはたくさんある。
嫌いな点はたくさんあるけど、それでも、基本的に、私は自分が好き(大切)。
だって、私は自分、私の命を持っているのは自分、私の人生を生きているのは自分なんだから。
ただ、人の目や世間体を気にし過ぎて、人に好かれようとし過ぎて、いつの間にか、好きになれない自分になっていることがある。
自分の中で、世渡り上手の嫌いな自分が大きな顔をしていることがある。

そうは言っても、この世知辛い世の中を うまく渡っていくためには、自分を殺した社会性と自分を殺す術が必要なことも事実。
だからこそ、たまにでも、短い一時でも、自分と正直に向き合ってみることが必要なのかもしれない。
駄欲を捨て、見栄を捨て、怠惰を捨て、想いを“どう生きていきたいか”の一点に絞って、誰もいないところで 一対一で自分と向き合うことが大切なのかもしれない。

だからと言って、それで自分の境遇や周りの環境が激変することはない。
自分が大きく成長したり変化したりすることもない。
ただ、一時的に、自分とってマシな自分が現れるだけかもしれない。
自分の中にいる嫌われ者が、ちょっとだけ自分の中に居づらくなるだけかもしれない。
しかし、自分を“自分を大切にする”という本道に戻すきっかけにはなる。
同時に、“自分を大切にするって、自分を楽しませることばかりでも、自分を甘やかすことばかりでもない” という教示と、“自分を鍛えること、叱ること、励ますこと、養うことも然り”という教訓を受け取るための知恵を育んでくれる。
そして、そのわずかなことの繰り返しと積み重ねが、好ましい自分をつくっていく。

それが、その先にある、
“自分を大切にできなければ、人生を大切に生きることはできない”
という真理に自分を導いてくれ、人生を好ましいものにしてくれるのではないかと 私は思うのである。


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Enjoy life

2017-05-07 08:58:50 | 遺品整理
楽しかったGWも今日でお終い。
長い人は九連休だったらしい。
連休なんて私には縁がないけど、それでもGWっていいもの。
休暇やレジャーを楽しむ人々の笑顔に、平和・平穏な世の中を見ることができるから。
自分が労苦していたとしても、それだけで心は和む。
しかし、楽しい時間って過ぎるのがはやい。
アッという間に、いつもの日常に戻ってしまう。

春もまた短い。
穏やかに過ごせる季節も終わりが見えてきている。
ついこの前まで冬の寒さが残っていたのに、もう、このところは初夏が感じられるような陽気が続いている。
酷暑の夏がくるのも時間の問題。
だからこそ、この春を楽しみたい。
青い空、白い雲、新緑の樹々、色とりどりの花々を愛でては、灰色に覆われがちな心を楽しませている。

そんな心地よい春にいながらも、このところ目眩(めまい)が再発している。
ただ、これは既に経験済みの症状。
昨年の秋、初めて発症したときには泡を食ったが、今回は、そう慌ててはおらず。
知り合いの医師からも
「季節の変わり目に発症しやすい」
と言われていたので、
「またでちゃったか・・・」
と冷静に受け止め、また、抵抗せず受け入れている。

自分で抑えられない以上、うまく付き合っていくしかない。
就寝時、暗い部屋で、壁に光る蛍光灯スイッチが視界を流れる様を見ては、
「流れ星みたいできれいだな・・・」
等と思ったり、グルグル回る天井をジッと見上げては、
「回転のスピードが どれだけ上がるか試してみよう・・・」
と妙なチャレンジをしたりして遊んでいる。
ただ、現実に、フラついて尻餅をついたりすることがあるから、楽しんでばかりもいられない。
また、転倒してケガをしたりしてはいけないし、車の運転も重々注意しなければならない。

あと、このところ、不眠症も重症化。
とにかく、同じ姿勢で寝ていることができず、頻繁に寝返りをうつ。
しばらく同じ姿勢でいると、すぐに身体がだるくなってきて、ジッとしているのがキツくなる。
色々な悩みが沸いてきて、生きることが辛くなり、静かにしていられなくなることもある。
また、死ぬことが恐ろしくなり、胸が騒ぐこともある。
特に肉体疲労がたまっているような自覚もないのだけど、身体が軋むようなダルさや身体が固くなるような重さがあるのだ。
そうして、寝返りをうつ度に目が覚めるわけで、長く睡眠を続けることができないわけである。

しかし、それでも、この不眠症とは長い付き合い。
治らないものは仕方がないわけで、うまく付き合っていくしかない。
睡眠不足に不満を募らせても自分のためにならないので、
「横になって休んでいられるだけでもありがたい」
と、あえて感謝するようにしている。
ただ、日中、特に、車を運転しているときに襲ってくる睡魔には要注意。
人にケガをさせたり自分がケガをしたりしてはいけない。
だから、車にはガムやコーヒーを常備し、時間に余裕があるときは車を止めて仮眠をとるようにしている。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、初老っぽい女性。
ただ、その話しぶりは明るくハキハキ。
声にも張りがあり、耳から受話器を離してもその声は聞き取れるくらいだった。

遺品の持主は、その亡夫。
ある程度のモノは女性と子供達で処分したのだが、趣味のものを中心に故人が特に愛用していた品が残っているとのこと。
それを自分達の手でゴミ同然に始末するのに抵抗感を覚えているよう。
「細かな片付けでもやっていただけるんでしょうか・・・」
と、少し申し訳なさそうに声のトーンを落とした。

細かな事情や心の機微を汲むには、直接会って話をするのが肝要。
実際に現物を確認する必要もあるし、例によって、私は、現地に出向くことに。
女性の都合に合わせて、現地調査の日時を約束した。

現場は、一般的な分譲型のマンション。
現場である女性宅は、その一室。
約束の時間の数分前に1Fエントランスのインターフォンを押すと、女性はすぐに応答。
名乗って用件を伝えると、すぐにオートロックを開けてくれた。
そして、私がエレベーターを上がって部屋に着くときには、女性は玄関ドアを開けて待っていてくれた。

問題の遺品は、寝室押入の一角に収められていた。
モノは軽登山用の道具・装備、カメラと付属品類。
野山に出かけては四季折々の風景や草花を写真に撮るのが故人の趣味で、女性もよく一緒に出かけていた。
“自分の手で処分できないほど愛着があるモノを他人の手で処分されて平気なのか?”
“生活の邪魔になるほどの量でもないし、気持ちの整理がつくまで このまま置いておいてもいいんじゃないか?”
私はそう思ったけど、“それを口にするのは もう少し話を聞いてからにしよう”と思い、黙って女性の話に耳を傾けた。

故人は女性の夫。
享年は67歳、死因は肺癌。
故人は、若い頃から年に一度、勤務先の健康診断を受けていた。
そして、定年退職の後に再雇用された関連会社でも、続けて健康診断を受けていた。
更に、還暦を迎えたのを期に、念のため、自費で人間ドッグも受けるようにしていた。
“肺の影”は、亡くなる前の年の人間ドッグで見つかった。
詳しく調べると、それは癌。
「癌」と聞いてはじめは動揺したものの、自覚症状がでてからの発見ではなかったため、意図して楽観に努めた。
しかし、診断はステージⅢ、やや進行した状態。
「摂生してきたつもりなのに・・・」
「キチンと受けてきた人間ドッグは何だったのか・・・」
故人は、憤りにも似たショックを受けた。

しかし、現状を憂いてばかりでは何も解決しない。
とにかく、回復に向かって最善の策を講じることに。
まずは、癌が掬っている片肺を切除。
転移がなかったからできた手術だけど、二つある肺のうち一つを失うわけだから、尋常なことではない。
呼吸をするのも重く、酸素が不足することもしばしば。
退院後の私生活でも、しんどい思いをすることが多かった。

また、再発転移を防ぐための抗癌剤も繰り返し投与。
投与する度に二週間ほどの入院するのだが、入院中と退院してからの一週間ばかりが特に辛かった。
入院中は、強い吐気と倦怠感に襲われ、自宅に戻ってからもしばらく倦怠感と食欲不振は続いた。
ともなって、身体は徐々に衰弱。
食欲不振は身体の衰弱をもたらし、身体の衰弱は更なる食欲不振をもたらす・・・
この負のスパイラルが故人を弱らせ、入院中は車椅子を使用してしのいだが、自宅では立って歩くこともほとんどできなくなってしまい本人も家族も難儀した。

身体が病気に負けてきていることは、誰の目にも一目瞭然。
医師の診断を待つまでもなく、本人もそのことを自覚。
そして、嫌な予感は的中し、その後、癌は再発し転移。
リンパ節にまで転移したところで覚悟を決めた。

医師から余命宣告を受けたのは、それからほどなくして。
快方の希望は捨てなかったものの、同時に人生をしまう心積もりもした。
故人は、妻子の負担を考え、また、逝った跡が濁らないよう、できるかぎり自分の手で後始末をし、遺言を残し、死支度を整えていった。
そんな時間は、切なくもあり、寂しくもあり、また、家族にとって、かけがえのない大切なものでもあった。

「自分の家っていいな・・・家族っていいな・・・」
「人生って楽しいな・・・生きているだけで楽しいな・・・」
死期が迫ってきた故人は、よくそう言った。
その言葉が意味する深いものを家族も感じ取った。
そして、それを、後の人生に生かそうとも思った。

“生”も不思議なものだけど、“死”もまた不思議なもの。
ただ単に、“有”と“無”では片付けられないものがある。
女性の頭には まだシッカリ亡夫の姿や声が残っており、その心には亡夫との楽しい想い出が残っていた。
それが、あまりにリアルに感じられるため、夫の死を現実として受け入れることを阻んでいるよう。
だから、葬式が済んでも、身体が骨になっても、姿が見えなくなっても、夫が死んでしまったことが夢のことのように思えて仕方がないようだった。

ただ、それはそれで、一人の生き方、一つの生き方。
死人と共に生きることによって、その後の人生が楽しくなるならそうした方がいい。
愛する人との死別は、深い悲しみ、大きな悲しみをもたらすものだけど、その後の未来を照らす光にもなるのだから。
そして、それが、生きる指針や力を与えて、残された者の残された時間を濃くしてくれるのだから。



勝手に“十年から二十年くらい”と想定しているけど、私の余命はどれくらい残されているのかわからない。
一日かもしれないし、一週間かもしれないし、一ヵ月かもしれないし、一年かもしれない。
また、それ以上かもしれない。
ただ、ハッキリしているのは、死にたかろうが死にたくなかろうが、いつか死ななければならないということ。
そして、人生は、自分が思っているほど長くはないということ。

過ぎてみれば、時が経つのははやい。
節目の時季にかぎらず、日常でそれを感じることも多い。
したがって、多分、過ぎてみれば、人生もアッという間なのだろう。
ということは・・・“短く感じる”ということは、“楽しい”ということでもあるのではないだろうか。
もちろん、人生には悲哀や苦悩が少なくない。
楽しいことばかりではないし、笑ってばかりで生きられるわけでもない。
しかし、苦と楽も、不幸と幸も表裏一体。
苦の中に楽があり 楽の中に苦があり、不幸の中に幸があり 幸の中に不幸がある。
苦楽ある人生そのものが楽しいものなのではないか・・・
人生の根底には普遍的な楽しさがあるのではないか・・・
達観しているわけでもなければ確証があるわけでもないけど、私は、そんな風に思う。

大切なのは、その楽しさに気づくこと。
苦労の真味が美味であるように、遊興快楽ばかりが心を楽しませるのではない。
ただ、重い生活の中にあって、それに気づくことは難しい。
どうしても、目に見えるものに流され、表面的な感覚に惑わされてしまう。

能書きだけは上等(?)の私もそう。
日常の楽しみは たまの晩酌くらいで、特に楽しみがない日々を送っている。
代わり映えのない毎日、平凡な毎日、わずかなお金に執着して大きな労苦を背負い、つまらない世間体に囚われ大きなストレスを抱えている。
しかし、そんな つまらない人生が、とても贅沢なものに思えるときがある。
それは、自分の晩年と死を想ったとき・・・
漠然とではなく、他人事としてではなく、それを 恐怖感を覚えるくらいリアルに感じたとき。
意識して得られる感覚ではないけど、その心境に至ると気分はとても清々しくなる。

子供も、若者も、中年も、老人も、私も、我々に残された時間は短い。
そして、残りの人生は、楽しく清々しく生きていきたい。
だからこそ、“死がくれる生”に想いを馳せながら、“今を楽しもう!”と強く思うのである。


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思い 思われ

2017-04-24 12:13:25 | 自殺 腐乱
不動産会社から、とある相談が入った。
相談の内容は、特殊清掃と御祓いについて。
管理物件で自殺があり、その遺体はヒドく腐敗。
家財は保証会社(有償で賃貸借契約の連帯保証人を務める会社)が撤去したが、保証会社の仕事はそこまで。
特殊清掃はもちろん、消臭消毒もされず放置。
不動産会社には工事部門があったが、そこの作業員は気持ち悪がってやりたがらず。
そこで、相談の電話が入ったのだった。

「費用は、当社負担になるものですから、あまり料金が高いとお願いできないんですけど・・・」
「それでも、とりあえず、見にきてもらいたいんです・・・」
と、担当者は事情を説明してくれた。
私の仕事は、相手が法人・個人を問わず、
「とりあえず、見積だけだして!」
と、ぶっきらぼうに指示されることも少なくなく、また、現地調査に出向いて見積を提出しても、以降、何の連絡もよこさず無視されることも多い。
そんな中で、事情を正直に話してくれた不動産会社に、私は好印象を抱いた。

現地調査の日。
訪れたのは、住宅地に建つ低層の賃貸マンション。
現場には、電話で話した不動産会社の担当者、そして、工事部門の責任者と作業員が来た。
全員と初対面の私は、一人一人と名刺を交換し挨拶。
そして、
「平気ですか?」
「“全然平気”ってことはないですけど、ほぼ平気です」
「そうなんですかぁ・・・」
「そんなこと気にしてたら仕事になりませんし、自分が苦労するだけですから・・・」
と、慣れた質問にいつも通り応え、場の雰囲気をやわらかくした。

我々四人は階段を使って現場の部屋へ。
玄関ドアの前に立つと、担当者が鞄から鍵を取り出し、それを鍵穴に挿入。
そこで担当者は動きを止め、そして、三人は顔を見合わせた。
「どうする?」
「誰が入る?」
「自分は入りたくない」
三人の表情から、そんな意思が読み取れた私は、
「大丈夫ですよ・・・私一人で見てきますから」
と声をかけた。
すると、三人はそれぞれ申し訳なさそうな表情で頭を下げ、私に進路を譲った。

ドアを引くと異臭が噴出。
ただ、「異臭」と言っても、私にとってはライト級。
しかも、あらかじめ心積もりはしていたので、動揺はまったくなし。
私は、顔を顰めて後ずさりする三人を背に、室内に素早く身体を滑り込ませた。
そして、いち早く汚染痕を見つけると、それに近寄って現況の検分を始めた。

間取りは1R。
40代の男性が単身で居住。
しかし、一ヵ月ほど前に、そこで自殺。
無職で人づき合いもなかったらしく、発見は遅れて それなりに腐敗。
家財はすべて片付いていたが、部屋には、遺体の汚染痕とウジ殻とハエ死骸が残っていた。
ただ、汚染痕も薄く、害虫も少数。
清掃作業は簡単に済むレベルだった。

作業員にとっては、ハードも問題だったが、それよりもメンタルの問題の方が大きかった。
工事部門の作業員は、それまでにも何度か、孤独死現場の工事を施工したことがあった。
中には、汚い現場やクサい現場もあった。
その処理作業に従事するのは気が進まなかったが、上司の指示もあったし仕事の責任感もあった。
だから、ギリギリのところで頑張ってきた。
しかし、今回は、勝手が違った。
それまでの現場は、すべて、老衰死や病死などの自然死。
しかし、今回は自殺。
そこのところに気持ちが引っかかり、恐怖感にも似た不安感が沸いてきたのだった。


実際、私の会社のサービスには、“遺品の供養処分(想い出供養)”や“御祓い(供養式)”といったアイテムがある。
“御祓い”は、寺院の僧侶が現場に出向いて読経・焼香するもの。
(※本来、「御祓い」は神道行為だが、ここでは意を汲みやすくするため、仏式の場合も「御祓い」という言葉を使用する。)
もちろん、御布施・運転手代・車代等、一定の料金はかかる。
しかも、問題は、目に見えないところにあり、非常にデリケート。
当然、“成果”の保証はできない。
“御祓い”をした後も不安感や恐怖感が抜けなかったり、また、よからぬことが起こって“御祓い”のせいにされたりしても困る。
だから、自分から勧める(売り込む)ようなことはしない。
「やったほうがいい?」「やる必要ない?」
といった質問を受けても、責任が取れることではないので、あえて どちらとも応えない。

ただ、私個人は、そういった類の信心を持たないから、個人的には、“御祓い”は重視しない。
霊や魂の存在を信じないわけではないけど、“故人の霊が何かよからぬことを引き起こす”なんて気はしないから。
そうは言っても、気になる人は気になるし、気にする人は気にする。
大切なのは、そんな人の気持がどこまで和むか、心の平安がどこまで得られるかということ。
これは、私の浅知恵や精神論ではどうこうできるものではないし、人の心に深入りした後の責任も持てない。
だから、私は、“御祓いをやるorやらない”は、依頼者自身の考えと責任において決めてもらうよう促すのである。


私に霊感はない(多分)。
だから、俗に言う“幽霊”といった類のものと遭遇したこともなければ、霊的な体験をしたこともない。
しかし、私の周囲には、そんな体験を持つ人が少なくない。
昔の同僚女性に、幽霊がよく見える人がいた。
一緒に現場に行くと、
「故人が、遺族の中に混ざってこっちを見ていた」
等とよく言っていた。
また、一緒に車に乗っていると、
「今、歩道橋から人が首を吊った!」
と、急に悲鳴をあげたりもした。
私の両親は、真夜中、台所のガラス戸に映る青白い炎(人玉?)を見たことがあった。
二人で同時に見たわけだから、ウソではないと思う。
取引先の男性は、妻と就寝中、寝室に近づく足音で目が覚めた。
誰かが部屋に入ってきたことを感じて、恐る恐る目を開けると、そこには女が立っていた。
これも、二人で同時に見たわけだから、ウソではないと思う。
知り合いの医師は、宿直で仮眠中、誰かが馬乗りになってきて首を絞められたことがあった。
そして、似たような目に何度もあった。
その他、誰も乗っていないはずの霊柩車から人が降りてくるのを見た人もいれば、よく金縛りにあう人もいる。
また、我々の仕事では、職務上、現場の作業前写真と作業後写真を撮ることが多いのだけど、同僚が自殺腐乱現場で撮った写真に、故人の最期の姿が煙のように写っていたこともあった。

しかしながら、私自身、そういう経験はない。
ただ、その存在は信じている・・・というか、どことなく感じている。
が、“それらが自分を祟る”とか、“それらによって悪いことが引き起こされる”とは考えていない。
仮に、不運が続いたとしても、原因は他にあると考える。
普段はとことんネガティブな人間なのに、こういうところだけは悲観的にならない。
それは、私が、固有の信心を持っているが故だろう。
ただ、そういう信心は、私が優しい善人だから持てているわけではない。
故人や遺族・関係者に対して罪悪がないから持てているわけではない。
もちろん、「故人が感謝してくれている」なんて思い上がった考えを持っているからでもない。

「亡くなった人に対して誠意を尽くしているから、後ろめたいことなんか何もない」
「仕事には誠心誠意あたっているから、故人に顰蹙(ひんしゅく)をかうわけない」
そう言えればいいのだけど、残念ながら、そんなことは言えない。
私は、この仕事は“ビジネス”としてやっている。
このケチぶりが物語っているように、実際 大して儲かりはしないけど、その目的は金儲け。
正直なところ、依頼者の足元を見てしまうこともある。
そうでなくても、打算の上で作業内容と料金を提案し、契約を成立させるべく交渉する
怠心や邪心もある。
余計な手間をかけず、作業を効率的・合理的に進めるよう努める。
もちろん、約束した仕事は手を抜かずやる。
礼儀やマナーは重んじるし、時には、相手の立場になってものを考えたり、同情心や親切心が働いたりすることもある。
ただ、結構、事務的で冷淡だったりする。

しかし、ビジネスでやっている以上、それも悪いことではないと思っている。
ただ、人としての私には悪所=短所・欠点・弱点がたくさんあり、そのために、多くの苦悩や労苦を抱え、重い気病を患っている。
そして、それらが、情けないくらい、恥ずかしいくらい、悲しいくらいに曝け出る。
それが仕事中の現場でも、曝け出てしまう。

これまで生きてきて、泣いた、悩んだ、苦しんだ、逃げた・・・でも、がんばったこともあった。
肉体の有無が違うだけで、亡くなった人も 同じように“人”。
私と似たようなところが少なからずあったと思う。
そんな故人に、私は、同情してもらっている、わかってもらっている、思いやってもらっている・・・
“自分本位”“独り善がり”は承知のうえでも、私は そんな気がするから、故人の霊・魂の類をネガティブに捉えずに済んでいるのではないかと思う。

故人を思いやることがある私。
私を思いやってくれているかもしれない故人。
この共感が、この共生が、私を前方へ誘ってくれ、また、私の前進を後押ししてくれているのかもしれない・・・
だからこそ、私は、懲りもせず、光に導かれるかのように現場に走るのかもしれない・・・
そして、それもまた、自分に一つの意義(幸せ)をもたらすものなのかもしれないと思うのである。


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ぼっち

2017-04-17 08:43:37 | 腐乱死体
客観的にみると、私は、結構“寂しいヤツ”である。
なにせ、今、「友達」と呼べる人が一人もいない。
三十代前半の頃は、学生時代と友達と付き合いがあっだけど、それも自然になくなった。
共通の趣味があるわけでも、家が近所にあるわけでもなく、仕事とか自分の生活で手一杯で関係は自然消滅した。
もちろん、職場には仲間がおり、プライベートには共に飲食を共にできる知人はいる。
だけど、誰もが“友達”という感じではない。
ま、もともと、私は、内向的で暗い性格だし、人づきあいも苦手。
多くの友達を持ってワイワイ楽しくやるタイプではない。
だから、“寂しい”とは思わない。
ただ、欲を言えば、「仕掛人・藤枝梅安」に出てくる“彦さん(彦次郎)”みたいな友達なら欲しいと思うけど、ま、これは まったく現実的ではない。

寂しさを覚えるのは、花びらがほとんど散ってしまった後の桜を見るとき。
開花から満開になるまで時間がかかり、更に、その後も低温の日が多くて花が保たれ、例年に比べてだいぶ長く楽しむことができたけど、今日この頃は、ほとんど散ってしまっている。
「もう散っちゃったか・・・」
「儚いなぁ・・・」
葉桜を見るたびにそう思う。
桜って、人々に愛でられるのは花が咲いている二週間程度の間だけ。
一年のうちで、たったの二週間・・・ホント短い。
あれだけ褒め愛でるのに、散ってしまった後は見向きもせず放ったらかし。
何とも気の毒なような、寂しい感じがする。

ま、その儚さが桜花の“価値”なのだろう。
そして、その儚さが桜花の“美”なのだろう
咲きっぱなしでは、人々に ここまで愛されはしないだろう。
儚いからこそ美しさが増し、儚いからこそ一層愛でられるのだと思う。
更に、寒くて暗い冬は永遠ではないことを教えてくれているようでもあって、心があたためられるのだろうと思う。


まだ肌寒さが残る浅春の昼下がり、私の携帯が鳴った。
画面に映ったのは、知らない番号。
ただ、仕事柄、知らない番号で携帯が鳴るのは珍しくない。
ほとんどは過去に仕事で関わったことがある人で、
この仕事は、依頼者を中心に色々な人と関わるわけで、携帯番号もフツーに交換する。
ただ、その場合でも、その番号はメモで残すのみで、氏名とともに登録したりはしない。
そして、仕事が終われば必要なくなるので、メモも削除する。
しかし、相手の方は、イザというときのためか、私の番号を残しておいてくれる場合がある。

ただ、不特定多数の依頼者や関係者と、しかも長年に渡って関わってきている私。
記憶に残っているのは印象に残っている人や、複数回の仕事をした不動産会社くらい。
ほとんどの人は、私の記憶から消えている。
だから、相手は私のことを憶えていても、私が相手のことを忘れていることってよくある。
「以前にお世話になった○○と申しますけど、憶えておられますか?」
とでも言ってくれれば、
「申し訳ありません・・・色々な方と関わる仕事なものですから・・・」
と、憶えていないことを正直に言いやすい。
しかし、
「もしもし、○○ですけど、この前はありがとうございました」
等と、その第一声がフレンドリーで“当然、憶えてるでしょ?”みたいなニュアンスだと、
「憶えてないんですけど、どちら様でしたっけ?」
なんて応答はしにくい。
相手は、残念なような寂しいような、不快な思いをするはずだから。
なので、
「どうも、どうも、御無沙汰しております・・・」
等とテキトーなことを言って、さも憶えていたかのように応対する。
そして、前回 作業した時期と現場の概要を聞けば ほとんど思い出すことができるので、会話の中でそれを探っていき、記憶を手繰り寄せるのである。

幸いなことに、この時の電話は、以前に一度 仕事をしたことがある不動産会社の担当者からのもの。
最後に関わったのは もう何年も前のことだったけど、インパクトのある現場だったので、会社名と名前を聞いただけですぐに思い出すことができた。

「いきなり携帯にかけてスイマセン・・・」
「どうも・・・御無沙汰しております」
「ひょっとしたら、もう辞められてるかとも思ったんですけど・・・」
「いえいえ・・・幸か不幸か、ずっと続けてます」
「がんばってますね・・・私も見習わないとな」
「転職できるほどの能力がないだけですよ・・・」
「そんなことないでしょうけど・・・」
旧知の友に再会したときのように、私達の話は、くだけた会話から始まった。

「ところで、私のこと憶えておられます?」
「えぇ、よく憶えてますよ! 凄まじい現場でしたからね!」
「ホント!大変だったでしょ!?」
「そりゃもう!」
「今回は、あれほどじゃないと思うんですけど・・・」
「ま、“あれほど”でもやりますけどね」
笑えるような用件ではないのに、私達は、お互いの労をねぎらうように笑った。

もともとの人柄だろう。
彼は、“気さく”というか“フレンドリー”というか、私にはない明るさと社交性を持っていた。
そして、たった過去一度きりのことでも、腐乱死体現場処理を共にあたったことで私を戦友のように思ってくれたのか、私に随分と親しみをもってくれているよう。
一時的な出会いでも、私は、そんな彼に対して友達みたいな感覚をおぼえ、そのことを嬉しくも思った。

用件は、前回同様、腐乱死体現場の処理。
鍵は、現地のKeybox(暗証番号で開く鍵の保管ケース)に保管。
「近隣から苦情がでると困るから、できるだけ早く」という要望はあったものの、「現地調査の日時は任せる」とのこと。
しかし、想像された現場は、後回しにはできない状況。
私は、その日の夕方に行くことを約束して電話を終えた。

現場は、込み入った住宅地に建つ少し古めのアパート。
その一階の一室。
私は、PS(Pipe space=ガスメーターや水道バルブ等の設置庫)に設置されたKeyboxを教えられた番号で開け、鍵を取り出した。
そして、そのまま玄関を開錠。
異臭の漏洩もなければ窓にハエの影もなく、また、気温も高くなく、私は、たいして緊張もせずドアを開けた。

室内は洋室一間の1K。
水廻りは汚く、プチごみ部屋。
遺体痕は、部屋の隅に敷かれた布団に残留。
そこには、クッキリと人の形。
ただ、気温の低い時季に亡くなっており、汚染も異臭もそれほどの重症ではなかった。

亡くなったのは、この部屋に住む高齢の男性。
生活保護受給者で、賃貸借契約の保証人はおろか、身寄りらしい身寄りもおらず。
晩年は仕事も退き、近所付き合いもせず、孤独にひっそりと暮らしていたよう。
そんな故人が、どういう経緯でここに住みついたのか、どういう経緯で生活保護受給者になったのか知れるはずもなかった。
ただ、あまり明るい想像はできず。
人生の後半は、失業・病気・家族離散・貧困などに苛まれた人生であったことが想像された。

元妻や子息の所在はわかっていた。
が、皆、「知らぬ、存ぜぬ」と冷たい対応。
それなりの遺産があれば対応も変わったのかもしれなかったけど、故人は財産らしい財産を持たず。
遺産の有無によって遺族の反応が変わることを考えると道義的に引っかかるものはあった。
ただ、生前の故人に重大な落度があったのかもしれないし、よい別れ方をしたのではなかったのかもしれないし、どちらにしろ、長い間、関係は断絶していだだろう。
だから、“金の切れ目が縁の切れ目”であっても仕方がないことだと思った。

しかし、後始末を負う人がいないのは大家や管理会社にとって災難なこと。
そうは言っても、もともと、そのリスクは想定できたはず。
故人は、連帯保証人もつけられないような高齢の生活保護受給者だったわけだから。
となると、その災難は甘受するしかなかった。


「アパート経営」「不動産運用」というと聞えはいい。
しかし、それで左団扇を扇げるのは一部の資産家のみ。
一般庶民が借金をしてアパート経営等の不動産運用をするケースをよく見かけるけど、冒険嫌いな私の目には、かなりリスキーなことのように見える。
家賃収入のほとんどは、返済と建物の維持管理費用と税金に消えてしまう。
投資した分を回収するには何年かかることか・・・その一生では賄えないかもしれない。
だから、空室をださないようにし、一定の家賃収入を確保し続けないといけない。
しかし、少子高齢化、労働人口減少の時代にあって、並みの物件では、入居者を確保するのは難しくなっている。
にも関わらず、資金力のある企業やオーナーによって、新しいアパートや綺麗なマンションはどんどん建てられている。
当然、入居者は、立地の良い物件や、築浅の物件に集まる。
同時に、立地が悪かったり古かったりする建物は敬遠されるようになる。
ちょっとしたリフォームくらいでは付加価値は増さず、当然のように家賃を下げることになる。
それでもダメな場合は、生活保護受給者等の低所得者とか、連帯保証人をつけられない独居老人とか、言葉は悪いけど“訳あり”の人を入居させる。
実際、独居の高齢者や生活保護受給者ばかりが集まっているアパートも珍しくない。
少しでも家賃収入を確保するため“空けておくよりマシ”と、多少のリスクがあることを承知でそういった孤独な人を入居させるのである。


「無縁社会」「孤立社会」
世の中でそういった言葉が囁かれるようになって久しい。
故人も、晩年は、社会との縁を結ばず、人との縁を切り、その一生を終えた。
多分、意図的にそうしたわけではなく、その時その時の選択によって、結果的にそうなったのだろうと思う。
もちろん、それが悪いわけではない。
ただ、どうしても、暗く寂しい想像が頭に浮かんだ。
同時に、私は、意図して“本人は、笑顔の想い出を胸に逝ったのかもしれない・・・”と、明るく温かな想像も巡らせた。
それが、故人に対して必要な“礼儀”“誠意” ・・・この仕事ならではの“一期一会”みたいに思えたから。

私も“友達”はいない。
人づき合いが あまり得意ではないから、これが自然の姿。
また、人と人との絆が薄らぎ、個人個人が絆を求めなくなっている時代のニーズでもあるのかもしれない。
だけど、社会に参画する一員として、一人では生きていけない人間として人との縁はある。
目に見えるところに人がおり、目に見えないところにも人がいる。
過去の想い出に人がおり、未来の想像に人がいる。
心の中には、私が必要とする人、私を必要としてくれる人、たくさんの人がいる。
仕事でもそう。
短い出会いがある。
ブログでもそう。
小さな出会いがある。
「一期一会」なんて大仰なことは言えないけど、私は、この出会いを大切に刻みたいと思っている。

最期は皆“ぼっち”・・・・・だけど“ぼっち”ではない。
人を愛しながら、人から愛されながら、人と共に生きた笑顔の想い出は、人を孤独な最期に追いやったりはしないだろうと思うのである。


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生き疲れ

2017-04-11 08:54:41 | その他
陽春の候、一年半近くかかった工事も終わり、 桜花より先に“ガードマンF氏”の姿はなくなった。
(※昨年12月7日「万歳!」 本年3月3日「努め人」参照)

私にとってF氏は、まったくのアカの他人。
日課のウォーキング中、ほんの数分の立ち話をするだけの関係。
だけど、雑談を重ねるうちに、何かが情を厚くしていった。
F氏が親と同年代だからか・・・
自分と同じく、ハードな肉体労働者だからか・・・
自分と同じく、社会の底辺に生きているからか・・・
後悔多そうな過去が自分と重なったからか・・・
生きることに苦しむ姿が自分と重なったからか・・・
・・・どことなく自分を見ているようで、自分の将来を見ているようで、とにかく、アカの他人のようには思えなくなっていた。

最後の日の三週間余前のこと、
「ここの仕事もそろそろ終わりだね・・・」
照れ臭そうに私に伝えたF氏。
「そうですよね・・・さびしくなるなぁ・・・」
その日が近いことはわかっていたものの、あらためて言われて、ややしんみりした私。
「おかげで楽しく仕事ができたよ」
F氏はそう言って笑った。
「こちらこそ!」
私も、そう言って笑顔を返した。

最初に声をかけてきたのはF氏のほうだった。
人見知りで会話を盛り上げるのが苦手な私は、他人と関わることが得意ではない。
だけど、自覚のないところに“人を恋しがる自分”がいるのか、人から声を掛けられると、結構 愛想よく応えるのが常。
仕事以外でも、知らない人と言葉を交わすことが少なくない。
このときも、立ち止まって二・三の言葉を交わした。

F氏の主な担当業務は、工事用車両が出入りする際の誘導と歩行者の警護。
ただ、車両は頻繁に出入りするわけではなければ、歩行者も多いわけではない。
八時半の朝礼の後、九時~五時の勤務時間の中では、ただ立って歩行者を見守ったり、付近を見回ったりする時間のほうが圧倒的に長かった。
だから、呑気に立ち話をしていても、F氏の仕事に支障をきたすことはなかった。

「暖かい」「暑い」「涼しい」「寒い」
「晴れそう」「曇りそう」「降りそう」
等と、始めのうちは、ほとんど季節や空模様の話ばかり。
興味はあったけど、そう親しいわけでもないから、プライベートなことを訊くのははばかられた。
しかし、顔なじみを相手にいつまでも季節や天気の話ばかりしているのは何とも不自然。
嫌がられる心配はあったけど、とりあえず歳を訊いてみた。
すると、F氏は、気分を害した様子もなく、年齢を即答。
また、それだけではなく、その他のプライベートな話もし始めた。
そして、以降、我々の話題は多岐に渡っていった。

前にも書いたとおり、歳は七十六。
身体は小さく、もっと若く見えた。
西日本の とある街の出身。
東京にでてきて商売をしたけど、うまくいかず。
それで東京の商売をたたみ、地元に近い街で再チャレンジ。
しかし、悲運なことに、これも失敗。
妻とは離婚となり、二人の息子とも離ればなれになってしまった。
そして、再び、単身で上京。
以来、孤独な生活を続けていた。
唯一の家族は犬。
離れた息子二人の名前の頭文字をとり命名した愛犬(トイプードル)と二人(一人と一匹)で生活していた。
犬は八歳で、可愛い盛り。
かなり可愛がっているようで、犬の話になると満面の笑みを浮かべた。
身体は健康そうに見えたが、大腸癌の疑いがあるそうで、精密検査を予定していた。
しかし、酒も飲みタバコも吸う。
人生の先は見えているため、控えるつもりは毛頭ないよう。
年金だけで悠々自適な暮らしが成り立てばいいのだけど、それが叶わないため警備の仕事に従事。
夏は酷暑に、冬は厳寒にさらされる仕事で、老いた身体にはかなり堪えるようだった。

「いつ死んだっていいんだ・・・」
「早く死にたいよ・・・」
口癖のように、そう言っていた。
口では冗談っぽく言いながらも、目はその本心を表しており、F氏が生きることに疲れているのは確かなようだった。
ただ、そう言われても、気の効いた言葉が思いつかない私。
その都度、切ない寂しさを覚えたけど、思いつく言葉は決まっており、
「そんなこと言ったって、まだワンちゃんがいるじゃないですか・・・」
「八歳だから、まだ平均寿命の半分くらいでしょ?」
と返し、あとは苦笑いするばかりだった。

苦労や苦悩の多い生活なのだろう。
過去に後悔もあり、先々に不安もあるのだろう。
仕事が楽じゃないのもわかる。
年金だけじゃ満足のいく暮らしができないのも知っている。
明るい人柄で自殺を図りそうな暗さはなかったけど、気にかかるものはあった。

最初は、工事現場のガードマンとただの通行人。
一時的とはいえ、それが、ちょっとした友達みたいになった。
そして、時間と共に別れのときもやってきた。
嬉しいような寂しいような・・・人の縁、出会いと別れなんてそんなものかもしれない。
だからこそ、大切にしなければならないのかもしれない。

F氏がいなくなるのを前に、私は、F氏が愛飲している芋焼酎を一升と、同じ銘柄で一つ上のランクのものを一升買った。
あと、小型犬用のドッグフードも。
そして、最後の日に会えるとはかぎらないので、その何日か前、いつもは何も持たない手にそれを持ち、私はいつものコースに歩きにでた。

F氏はいつもと同じ場所に立っていた。
そして、いつも通り、私の姿を見つけると、いつもと変わらないWelcome modeの敬礼で迎えてくれた。
そして、いつもと違う雰囲気を感じたのか、
「どうかしたの?」
と、声を掛けてきた。
「これ・・・焼酎・・・あと、ワンちゃんのおやつ・・・餞別です・・・どうぞ・・・」
私は、そう言って、それを入れた紙袋を渡した。
「え!?・・・こんなことしてもらって・・・ホント、悪いねえ・・・ありがとうございます!」
F氏は、驚きとともに恐縮しきり。
普段、私に対して敬語なんか使わないのに“ありがとうございます”なんてよそよそしい言葉を使って礼を言ってくれた。

「もしかのときには、犬は僕が預りますから・・・」
「縁起でもないこと言って申し訳ないですけど・・・例えば、入院とか・・・もちろん、そんなことにならない方がいいですけど・・・」
私は、スマホに納まる亡チビ犬の写真をF氏にみせ、そして、その想い出を話しながら連絡先のメモを渡した。
するとF氏は笑顔を浮かべ、
「そうか・・・じゃ、その時は遠慮なく連絡させてもらうよ・・・」
と、大事そうに そのメモを懐にしまった。
そして、
「これからも身体を大切に・・・どうぞお元気で・・・」
と、何とも言えない寂しさを引きずりながら その場を立ち去さろうとする私を、
「まだ何日か残ってるし、先々、追加工事もあるみたいだから、またここに来ることがあるかもよ・・・またね・・・」
と、F氏は、寂しさと照れ臭さを紛らわすように明るく手を振って見送ってくれた。

せっかく生まれてきたのに、“早く死にたい・・・”は寂しい。
せっかく生かされているのに“早く死にたい・・・”は悲しい。
私にも覚えがあるけど、自分のことを気にかけてくれる人がいたり、自分を必要としてくれる人がいたりすることは、気持ちに張りがでて嬉しいもの。
私は、F氏に、
「生きててよかった!」
「生きてりゃいいことある!」
とまではいかないにしても、
「ありがたいな・・・」
「嬉しいな・・・」
と、ささやかでも生きていることの喜びを味わってほしかった。
そして、これは、F氏だけのことではなく、私自身にも言えることだけど、“早く死にたい・・・”と思いながら生きるのではなく、生かされていることを喜びながら生きていってほしいと思った。


ブログにしつこいくらい書いてきているように、私だって、生きていることに疲れること、これから生きなけらばならないことに疲れることがよくある。
朝っぱらからクタクタだったりすることもしばしば。
それでも、とにかく身体は起こす。
以前の私は、この精神疲労と肉体疲労を混同して、とにかくグータラしていた。
昼間の眠気にもよく襲われていたため、“少しでも長く布団に入っていよう”と、仕事以外では病人のような生活を送っていた。

しかし、いくら身体を休めても心の疲れはとれない。
それどころか、倦怠感が増長される一方、鬱憤がたまる一方。
それに気づいた私は、精神疲労と肉体疲労をできるかぎり区別することに。
「疲れたら休む」から「疲れをとるために動く」という発想に切り替え、なくならない疲労感は無視して、仕事でもプライベートでも、とにかく身体を動かすことを心掛けている。
また、昼間の睡魔は改善していないけど、それでも寝坊はしない。
必要がなくても朝は早く起き、必要がなくても早く出社する。
現場にも率先して走り、率先して汗をかく。
時間があればウォーキングに出かけ、家でも立ったままTVを観ることもある。
明らかな肉体疲労なら休んだほうがいいけど、そうでないなら動いた方がいい。
仕事でも趣味でも遊びでも、自分を疲れさせる場所とは違う場所で身体を動かした方がいいと思う。
そして、いつの間にか、それについて心も動いてくるようになり、その凝りがほぐれてくるようになるのではないかと思う。
もちろん、それですべてが解決するとは思っていないし、解決しているわけでもない。
だけど、欝々とした気分でジッとしているより随分マシだと思うし、その実感もある。

F氏だってそうかもしれない。
七十代も後半になれば楽隠居もしたいだろうけど、働いて稼ぐことで車も持てるし、タバコも吸えるし、酒肴を楽しむことや可愛い犬を飼うこともできるわけで、ギリギリに切り詰めた年金生活より、多少の労苦がともなっても、経済的に余裕のある生活をしたほうが楽しいと思う。
あと、仕事というものは金銭以外にも恩恵を与えてくれるもので、仕事で身体を使うことで守られる健康があるかもしれない。
また、社会参加することで老いが跳ね返され、自分らしい自分が維持できるのかもしれない。
労働というものは、単に“キツい!!”“ツラい!”というだけのものでなく、体力や精神力の維持増進に大いに役立つものだと思う。

もちろん、F氏が、そういうことを考えていたかどうかわからない。
ただ、外見は、老いた身体に くたびれた作業着姿だったけど、その内からは、苦悩に向かう“人間の美”が滲み出ており、それが、私の日々の疲れを癒してくれていたのかもしれず、また、そのため、私は、誘われるようにF氏のもとへ歩いて行っていたのかもしれなかった。


余命にかぎりがあるのは、高齢のF氏ばかりではない。
私もそう、誰だってそう。
だから、この先、F氏と再び顔を会わせることがあるかどうかわからない。
ただ、これからしばらくの間は、ウォーキングに出る度にF氏のことを思い出すだろう。
そして、
「元気でいるかな・・・元気にやっててほしいな・・・」
と、いつもの空を見上げては、そう願うのだろうと思うのである。


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大海知らず

2017-04-06 13:30:18 | その他
桜花爛漫の候。
進学、卒業、就職、転職等々、環境や気分も新たに新生活をスタートさせた人も多いだろう。
新生活のスタートにあたっては、旧知の人との別れもあれば、新たな人との出会いもあっただろう。
いい出会いがあれば結構なことだけど、この人間社会では、そうでないことも少なくない。そこが悩ましいところ。

“人間関係”は、人の幸福感に大きな影響を及ぼし、人生を左右することもある。
人によって よい方向に導かれることもあれば、よくない方向に流されることもある。
人を好きになることもあれば、嫌いになることもある。
友人、知人、夫婦、親子、親族、上司、同僚、部下、取引先、近所・・・
パワハラ、セクハラ、いじめ、陰口、争い事・・・
歪んだ人間関係が、せっかく入った学校を去らせ、せっかく就いた仕事を辞めさせ、せっかく着いた住居を移させる事態に追い込むこともある。
逆に、良好な人間関係は、生活を楽しくさせ 人を幸せにする。
だから、人は、良好な人間関係を築くことに努め、良好な人間関係を保つことに努める。

しかし、正悪は別にして、世の中には自分とウマが合わない人・反りが合わない人がいる。
そして、イヤでもそんな人と関わらざるを得ないことがある。
プライベートだと距離を空けやすいけど、仕事の場合、そんなワガママは許されない。
関わる人を選ぶことはできず、気の合う相手とだけ付き合うなんて不可能。
不自然な作り笑いと、本音を隠した建前と、心にもない社交辞令を駆使して、ときにストレスでアップアップしながらも荒れる人波を泳いでいかなければならない。
それが、なかなか楽じゃないことなのである。



呼ばれて出向いたのは、都心の一等地、高層ビルの建設現場。
そこで労災事故が発生し、周辺を血液が汚染。
説明を聞くと、特掃をやるのは容易ではない状況のよう。
ただ、私は、その業界の人間ではないので、事前の電話だけは具体的な画を思い浮かべることができず。
電話口の人物の印象もよくないし、仕事になるのかならないのかよくわからない中で、私は少し躊躇したが、
「とりあえず、一度、見に来てよ!」
と強く求められ、それに圧されるように現地を訪問したのだった。

現場は、大手ゼネコンがJVで施工している高層オフィスビルの建築現場。
結構なセキュリティーが敷かれており、私は、事前に指示された手続きを経て、依頼者が待つ管理室へ。
そこには、電話で話した依頼者=担当責任者とその部下らしいスタッフがおり、私を迎えてくれた。
ただ、その態度に、私は、戸惑いを覚えた。
依頼を受けて、しかも無料で来たわけだから、それなりの礼をもって迎えられると思っていたのだが、それは大間違い。
ビジネスマナーに則って、私は、名乗りながら両手で名刺を差し出したのだが、責任者は面倒臭そうにポケットから名刺を出し、名も名乗らず片手で突き出してきた。
更に、足労を労う言葉も礼の言葉もなく、初対面にも関わらず、電話で話したとき以上のタメ口で一方的に事の経緯を説明。
そして、一通り話し終えると、
「じゃ、現地に行こうか! おたく、ヘルメットは!?」
と、突拍子もないことを言ってきた。

「え!?ヘルメット?」
「そう、ヘルメット・・・持ってきてないの!?」
「はぃ・・・」
「ダメじゃん!持ってこなきゃ!」
「・・・・・」
「当り前だろ!」
「・・・・・」
「しょうがねぇなぁ・・・」

法令で定められているのだろうか、こういった建築現場に入る際は、工事用のヘルメットを着用するのが当り前らしい。
そして、それは自前で用意するのがフツーらしい。
しかし、業界の人間ではない私は、そんなの知ったこっちゃない!
事前の案内があったならまだしも、それも聞いてない。
(聞いてたとしても、わざわざ用意なんてしないけど。)

責任者は、
“ヘルメットも持ってこないなんて常識のないヤツだな!”
と言わんばかりのムッとした表情で、“来客用”と書かれた自社のヘルメットを、ぶっきらぼうに私に投げよこした。
一方の私は、強い不快感を覚えつつ
“なんだ・・・来客用があるんじゃないかよ!”
と心中で文句を言い、そのヘルメットを受け取って黙って着用。
そして、
“たまにいるんだよな・・・こういう 井の中のアホ蛙 が”
と、これまた心中でボヤきながら、先を歩く責任者の後姿を鼻で笑った。

目的の現場は、ビルの何十階も上。
工事用エレベーターは使用が止められており、そこまで階段・徒歩で上がる必要があった。
外壁の代わりに足場が組み立てられ、その周囲はネットで覆われていたが、風もビュービュー吹いているし、上下左右 視界もスカスカ。
私は、責任者と部下の後をついて、手すりもない階段を一歩一歩上がった。

もともと、私は、“超”がつくほどの高所恐怖症。
螺旋状に上がる階段と外を隔てるのは一枚のネットだけ。
空も下界も丸見えの状態。
完全にビビッてしまい、足腰は、まる宙を浮いているかのように力が入らず。
私は、外の景色が視界に入らないよう視線を足元に向け、階段の最も内側を“はやく着かないかなぁ・・・”と弱音を吐きながら、ぎこちなく歩を進めた。

やっとのことで昇りきった先には、“立入禁止”のロープに囲まれた物体。
それは、仮設の工事用エレベーター。
操作を間違えたのか、乗り方が悪かったのか、はたまた機械が誤作動を起こしてしまったのか、作業員の一人が籠と枠の間に挟まれて負傷。
幸い、近くにいた別の作業員が素早くエレベーターを緊急停止させたおかげで、重傷を負ったものの命には別状なし。
そのままエレベーターが動いていたら、命を落としていたかもしれなかった。

ロープのくぐった先には多くの血痕。
しかも、横面だけに広がっているだけでなく、縦長にも拡散。
横面は普段の特殊清掃とそう変わりなく、“施工可能”と判断。
しかし、縦方向は、かなり高所での作業となり、しかも、鉄骨が幾重にも組まれた複雑な構造に血痕は飛散・付着。
特掃が困難を極めることは明らか。
私は、あちこちを見て回り、施工方法をあれこれと考えた。
が、いい案は頭に とんと浮かんでこず。
安全が確保できない作業を無理に引き受けて二次災害でも発生させたら元も子もない。
しかも、責任者の性質からみると、作業後にどんな難癖をつけられるかわからない。
結局、私は、“作業の安全を確保するのが困難”“すべての血痕をきれいに消す約束はできない”との結論を得て、“施工不能”と判断した。

私は、あえて苦悩の表情を浮かべながら、
「費用の問題ではない」
「作業の安全が確保できない」
「清掃の成果が保証できない」
「したがって、この作業は辞退させていただく」
旨を責任者に説明した。

しかし、責任者は、それをすんなりとは承諾せず。
「こっちは急いでんだよ!」
「血を拭くだけだよ!?」
「そんなに難しいことじゃないでしょ!?」
「安全帯をつければ平気だよ!」
等と強引なことを言ってきた。


すべてではないのだろうけど、私の経験したところだけで言うと、建設業界の現場って、元請会社があって下請会社があって孫請会社があって、更に、多くの“一人親方(個人事業の職人)”が集まって体を成している。
つまり、“仕事を出す側”と“仕事をもらう側”の人間がおり、“客と業者”が上位から下位に向かって相互につながったような組織となっているわけ。
したがって、縦関係は自ずとできあがる。
そのせいか、年上だろうが初対面だろうが、上位者が下位者にタメ口をきくのは当り前のよう。
私のような部外者でさえ下っぱ扱いされ、やたらと横柄な態度で接してくる。
それが、建設業界の慣習・文化なのかもしれないけど、部外者にとっては、不快以外の何物でもない。

そして、これは、あくまで想像だけど・・・
責任者に対しては、部下はもちろん、下請会社・孫請会社の作業員や職人達は、普段、ペコペコと頭を下げるのだろう。
歯向かうこともせず、逆らうこともせず、「ハイ!」以外の返事はせず、ほとんど言いなりに動くのだろう。
人に頭を下げられることに慣れ、自分に人が従うことが当り前で、謙虚さや人に諭されることの必要性を失った責任者は、相手の立場に立つ思いやりや、礼儀の感覚が麻痺してしまったのではないかと思った。


工期に悪影響がでることを怖れ、焦っていたのだろうけど、それにしても、責任者の態度はよくなかった。
顔を怒らせ、ぶっきらぼうな言い方で、
「ったく、呼んだ意味ないじゃないか!」
と、私に悪態をついた。
それでも、普段、取引のある下位業者なら辛抱せざるを得ないのだろう。
しかし、請負業者でない私は、この責任者に嫌われても痛くも痒くもない。
キレて言い返したってよかったはず。
ただ、感情のまま言い争っても何の徳もない。
後に苦味と恥を残すだけ。
そして、元来 気が弱く、争い事が嫌いな私。
“勝手なこといいやがって!”
“だったら、自分でやりゃいいだろ!”
そんな風に思いはしたけど、その言葉を飲み込み、
「ひょっとして、ケンカ売ってます!?」
と、口元だけに笑みを浮かべながら目を怒らせて、責任者の目をジーッと凝視。
そして、気マズそうに視線を泳がせはじめた責任者に借りていたヘルメットを返し その中にもらった名刺を放り込んで、憮然とその場を立ち去ったのだった。



私は、吹けば飛ぶような小さな業界で仕事をしている。
そして、極めて狭い世界で生活している。
付き合いのある人の数も少ない。
仕事の仲間や知人は何人かいるけど、“友達付き合い”している人はいない。
だから、才覚がないのは置いておいたとしても、人に偉そうにできる機会も相手もいない。
また、高い所には慣れていないから、頭も、自然と あまり高くならないようになっている。
そんな私でも、たまには人に褒められたり、煽(おだ)てられたりすることもあり、ちょっと高ぶってしまうことがある。

相手の多くは、ブログを通じて仕事を依頼してくる人。
ブログでそのように装っていることも否めないけど、“善人”“それなりの人格者”みたいに扱ってくれる。
すると、嬉しいような、気恥ずかしいような、照れ臭いような・・・そんな心持ちになる。
それだけならまだいいのだけど、調子に乗って高飛車にでてしまうことがある。
もちろん、横柄な態度にでたり偉そうにしたりするわけではないけど、くだらないことを自慢したり、目上の人に知った風なことを言ってしまったりするのだ。
聞いてる人に不快な思いをさせることを気にもせず。
結果、自分で自分の格を下げてしまい、後で自己嫌悪に陥るのである。

私は、大海を知らない井の中の蛙。
今更、大海に出られるわけもない。
仮に出られたとしても、今の泳力では溺れ沈むのがオチ。
だから、生きる世界は狭くてもいい。
多くの人と付き合えなくてもいい。
ただ、広い世界にいる多くの人を大切にすることはできなくても、この狭い世界にいる身近な人くらいは大切にしなければならないと思う。

その人の幸せのために・・・・・私自身の幸せのために。


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つぼみ

2017-03-27 08:17:53 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
三月も下旬。
冬の残寒の中にも春暖が感じられるようになってきた。
が、今日の東京の空は、まるで真冬に戻ったかのような厳寒冷雨。
桜の開花は既に宣言されているものの、ぶり返す寒さの中で、まだ ほとんど蕾(つぼみ)の状態。
とは言え、それも丸々と膨らんでおり、それが、一花咲かせるのをワクワクしながら待ちわびているようにも見え、何とも愛らしい。

一昨年は、仕事が終わってから夜桜を見に出かけた。
そして、他の花見客に混じって、弁当を食べたり露店を見て回ったりした。
桜もそうだけど、露店というものは人々の笑顔が集まるせいか、見ているだけでも楽しい。
ささやかなレジャーだったけど、幸福が味わえたひとときだった。
しかし、夜桜と露店を両方楽しもうすると時間が限られる。
昨年は、残念ながら都合がつかず、夜桜現物は叶わなかった。
さて、今年はどうなるか・・・暗い仕事からの いい気分転換になるから、できることなら楽しく出かけたいものである。


ゴミ部屋の片付けについて、相談の電話が入った。
依頼の声は、若い男性。
現場は、街中の賃貸マンション。
間取りは1K。
男性の説明によると、どうもライト級っぽい感じだった。

“ゴミ部屋”と言っても、そのレベルは様々。
ヘビー級になると、玄関ドアの向こうにゴミ壁が立ちはだかっているなんてことも。
ゴミと天井との隙間が数十センチで、匍匐前進(ほふくぜんしん)せざるをえないこともある。
あとは、腐敗食品や糞尿汚物が大量で異臭が充満している部屋とか、害虫・害獣が大量発生している部屋とか。
それでも、ほとんどのケースで、部屋の主は、他人から察知されることなく、きれいな身なりで、人と同じように働き、自宅以外では一般人と同じように生活している。
唯一、一般の人と違うのは、“自宅がゴミだらけ”ということだけ。
その私生活は興味深いところではあるが、実体験がないため、具体的には想像しにくい。
トイレ・風呂・食事等、一般の人は思いつかないような工夫を凝らして暮らしているのだろう。
ひょっとしたら、涙ぐましい努力をしているかもしれない。

ただ、男性宅は、そこまでの重症ではなさそう。
また、現地調査が無料(原則)であることをいいことに、“冷やかし”(情報収集のみ)で呼ばれることも少なくないため、私は、
「依頼があれば喜んでやりますけど、自分でやれば余計な費用をかけないで済みますよ・・・」
と、親切心を匂わせて、それを逆手に男性の真意を探ろうと試みた。
すると、男性は、
「それはわかってるんですけど・・・なかなか難しくて・・・」
とのこと。
男性に“冷やかし”のつもりがないことがわかった私は、それ以上言うと“やる気のない業者”と思われかねないので、その話はすぐにやめた。

電話で判断するかぎり、部屋はライト級。
だから、私は、そんなに緊張もせず男性宅を訪問。
実際、男性の部屋は、「ゴミ部屋」と言えばゴミ部屋だったけど、ゴミは山にはなっておらず。
床は所々に見えており、“散らかっている部屋に多目のゴミがある”といった程度。
決して、ヒドい方ではなかった。

しかし、男性は、自らの手で自宅をこんな風にしてしまったことを気に病んでいた。
「自分が、こんなにだらしない人間だとは思っていなかった・・・」
「自分に嫌気がさす・・・」
と、深刻に悩んでいた。
そして、ネットでヘビー級のゴミ部屋を見ては、“自分の部屋もいずれこうなるんじゃないか・・・”と、恐怖感を募らせていた。

平日は、早朝に家を出て、夜遅く帰宅するのが常の生活だから、家事はろくにできない。
しかし、週末には休みがある。
そして、その都度、「片付けなきゃ!」と決意する。
が、その意気はすぐにしぼんでしまう。
家事をやるも、ある程度のところで力尽きてしまう。
そんなことを繰り返しているうち、部屋は、次第にゴミ部屋化していった。

男性は、もともと几帳面な性格で、きれい好き。
部屋の隅や家具の上に薄っすら積もるホコリや、床の髪の毛も気になるくらいに。
そんな自分が変わってしまった原因について、男性自身、心当たりがあった。
それは、仕事。
今の会社に転職したのを機に、生活が変わってきた。
仕事の疲労とストレスが、男性の私生活を蝕んだのだった。

もともと、男性は、前職に大きな不満を持っていたわけではなかった。
多少の労苦はあったものの、大組織の歯車として安定したサラリーマン生活を送ることができていた。
ただ、将来に対して失望感のような危機感のようなものも抱えていた。
そんな中、転職の誘いが舞い込んだ。
それは、先に移っていた元上司からのものだった。

「現状に感謝して満足するべき」or「現状に満足せず向上心を持つべき」
“30代”という“攻”“守”どちらにつくか悩ましい年齢も相まって、男性の中で その二つが戦った。
そして、仕事のやり甲斐と出世できる可能性を天秤にかけ、
「せっかくの人生、小さくても一花咲かせたい」
と、男性は、転職を決意したのだった。

移った先は、同業他社。
前職よりも小さな会社だったが、右肩上がりの成長過程にあった。
だから、将来に夢が持てそうに思えた。
実際、就職から程なくして、肩書も給与も前職を上回り、表面上、転職は成功に見えた。
しかし、目に見えないストレスは、それらをはるかに上回った。

肌に合わない社風、ウマが合わない上司や同僚。
同じ会社で働く仲間のはずなのに、陰口と陽口を露骨に使い分け、責任を擦りつけ合い、足を引っ張り合う・・・
業績を上げるため、会社側も意図的にそんな風土をつくっているような感もあり、何とも殺伐とした雰囲気・・・
そんな人間関係に嫌悪感を覚え、人間不信・・・ひいては自分不信に陥った。

そうは言っても、それなりの決意をもってした転職。
簡単に辞めることはできない。
また、再度の転職先にアテもなく、再び転職を試みるパワーも残っていない。
となると、当面は、我慢して続けるしかない。
結果、男性は、会社に大きなストレスを抱え、ゴミ部屋にも大きなストレスを抱え、そんな自分に対しても大きなストレスを抱えることになってしまったのだった。

それでも、男性は、
「会社が悪いわけでも、誘った元上司が悪いわけでもない」
「ただ、自分の考えが甘かっただけ、すべては自分の責任」
「人のせいにして自分を慰めても自分のためにならない」
と潔かった。
私なんて、自己中心的な独善者になりやすい。
何かあるとすぐに他人のせいにして、他人を悪人にしてしまう癖がある。
しかし、男性はそうではなかった。
そこのところに、“男性の強さ”というか“成熟した人格”というか、そんなものを感じ、随分と年上の私も何かを教えられたような気がした。

片付け・清掃作業は、私一人で施工。
風呂、トイレ、キッチン等の水廻りは、そこそこ汚れていたけど、「特殊清掃」と呼ぶほどの仕事ではなかった。
また、過述にとおり、ゴミの量もほどほど。
トラックを乗りつけなければならないほどの量ではなく、愛車の1tワンボックス充分。
熟練技を発揮するまでもない作業で、ものの二~三時間で終了した。

「二度とこんなことしない!」
部屋がきれいになった後、男性はそう決意したはず。
しかし、根本原因がなくならない以上、あまり楽観はできない。
私の経験で考えると、ゴミ部屋を再発させてしまう可能性は低くなかった。
だから、
「○○さん(男性)を脅すつもりも売り込むつもりも毛頭ないですけど・・・」
と前置きした上で、私は、“ゴミ部屋の持つ常習性”を男性に語った。
そして、
「プレッシャーに思うと それがストレスになりますから、“散らかったら、また頼めばいい”くらいに割り切ったほうがいいですよ」
「また、必要があったらいつでも連絡下さい・・・重症になる前にね」
と、商売っ気をだしつつ男性を励ました。
すると、男性は、少しは気が楽になったのか、こんな仕事でも嬉しそうにやるオッサンが滑稽に見えたのか、
「ハイ・・・わかりました」
「でも、できるかぎり頑張ってみます」
と笑って応えてくれた。

今のところ、男性から再依頼はない。
その必要がないくらいの部屋を維持しているのかもしれないし、先々呼ばれることがあるかもしれない。
また、今の会社で頑張る決意をしたのかもしれないし、再度の転職を試みるための努力をはじめたのかもしれない。
どちらにしろ、「自分の考えが甘かっただけ」と自省できる誠実さを有し、自分の人生に責任を持って生きようとしている男性が道を外すようなことはなさそうに思えた。
誠実の樹からのびる希望の枝に蕾はつく。
人生の蕾は、そういう人格につくもの。
いつになるかわからないけど、この先、男性が今の苦境から脱し、一花咲かせることは充分に期待できると思った。


過ぎた日より来る日のほうが少なくなっている私。
残念ながら、「一花咲かせよう」なんて熱い思いを持ったこともなければ、花が咲いた時季があったかどうか憶えもない。
猜疑心が強く、冷めた性格で、花のない人生を送っている。
誰よりも勉強ができた小学時代、大人の建前に歯向かった中学時代、女の子にモテた高校時代、酒と車とバイクに費やした大学時代、自分を“できる人間”と勘違いした二十代後半、特掃隊長に就任(?)した三十代後半・・・
しいて言えば、あの頃、チョコチョコと小さな雑花が咲いていたのかもしれない。
それでも、大輪の花を咲かせたような記憶はない。
そうして、四十代後半・・・もう身体も精神も“枯れかけた葉桜”。
できることなら、「これから咲く蕾が まだ残っている」って思いたい。
だけど、「んなわけないか・・・」と、今の歳と能と境遇がそれを阻む。

しかし、それでも期待したい。
年甲斐もないし、期待と諦めの狭間にいるけど、自分なりの花を咲かせたい。
そのためには、ささやかでも 先の人生に夢の蕾をつける必要がある。
だから、私は、日当たりが悪く痩せた土地でも、今もこの場所に根を張り続けているのである。


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老の行方 ~その二~

2017-03-21 07:40:01 | その他
先月下旬、久しぶりに実家に行った。
数えてみると、両親と顔を合わせるのは三年九ヶ月余ぶりで、
「え!?もうそんなに経った!?」
と、自分でも驚いた。
ただ、よくよく振り返ってみると、それも仕方なかった。
私の仕事は、土日祝祭日も盆も正月も関係なく、私には“盆暮に実家に顔を出す”という習慣がない。
おまけに、私などは、あまり休みをとらないものだから、たまの休暇は自分のことをこなすだけで手一杯で、“親の顔を見に行こう”なんて気は起きない。
せいぜい、一~二ヶ月に一度くらい、様子伺いの電話を入れるくらい。
今回も特段の用があったわけではなく、たまたま仕事のタイミングがよかったのと、老い先短い両親ことが ふと頭に浮かんだからだった。

残念ながら、この歳になっても、私達は決して良好な親子関係ではない。
子供の頃から色々なことがあり、高校生の頃は、かなり親を困らせた。
また、大学を卒業してからこの仕事に就くまでの“修羅場”は、過去のブログに書いた通り。
そして、就業から数年間は絶交状態が続いた。
特に、母親とは折り合いが悪く、大喧嘩をしたことも数知れず。
その度に長い絶交を繰り返してきた。
となると、関係が疎遠になるのは必然。
干渉し合わないことが暗黙のルールのように。
結果、関わることも顔を合わせることも極めて少なくなったのである。

もちろん、私に“親を想う気持ち”がないわけではないし、親も“子(私)を想う気持ち”がないわけではないはず。
親の愛情を感じたこともたくさんあるし、感謝していることもたくさんある。
また、生み育ててもらったことに恩義も感じている。
ただ、私も短所欠点を持つ人間だし、親だって同じこと。
反りが合わないところがあっても不自然ではない。
で、私達親子の場合、それが極端なのである。

父親は齢八十。
手本にしなければならないくらい勤勉な人。
趣味らしい趣味を持たず、タバコもギャンブルもやらず、年がら年中、とにかく働いていた。
ただ、酒は好き。
泥酔したときの悪態はヒドく、子供の頃は、嫌な(恐い)思いをすることが年に数回はあった。
そんな始末だったのに、ある小さな失態がきっかけで、十年くらい前に酒はピタリとやめた(酒の誘惑と毎日戦って勝ち負けしている私は心底感心している)。
酒以外の問題が、もう一つあった
それは女性問題。
私が小学校低学年の頃だったと思うから、もう四十年くらい前になるだろうか、一度、浮気がバレたことがあった。
相手は、水商売の女性とか職場の女性とかではなく、よりによって近所の奥さん! しかも、同じ小学校の友達の母親! 更に、その夫は父の同僚!
この状況を見ただけでも、その後、大騒動になったことが容易に想像できると思う。
(実際、短編ブログが書けるくらいのドラマがあった。リクエストが集まれば「戦う男たち ~番外編~」として書くかも。)
そんな父も、老いて性格もまるくなった。
幸い頭もシッカリしており、車も普通に運転できているし、日常生活で人の手を借りなければならないことはないみたい。
近年は、血糖値が高めで、食事前に薬を飲むようになっているけど、健康寿命を意識して、摂生した食事と適度な運動を心掛け、また、ほとんどボランティアのようだけど やるべき仕事をみつけては積極的に動いているようで、“このまま元気でいてほしい”と願うばかりである。

母親は七十四・・・今年で七十五歳。
裕福な家庭ではなかったため、外で働くことが多かった。
外の仕事と家事・育児を両立し、苦労も多かったと思う。
そんな頑張り屋の母だけど、気性には難がある。
人からよく見られたいものだから、世間的には温厚な人柄で通してきたが、実は、感情の起伏が激しい。
わがままでヒステリックな性格は、年老いた今でも変わらない。
そして、上記の女性問題を今だに根に持っており、父に向かって時々悪態をついている始末。
ま、これも、気持ちが若い証拠、元気の源なのかもしれない。
そんな具合に精神は老いない母だけど、五十代で糖尿病を発症。
インシュリンを打つようになって十年くらいは経つと思うけど、医師も褒めるくらいの自己管理ができているため、それ以上は悪化していない様子。
九年前には肺癌を罹患。
片肺の大半を切除。
それでも、酸素量が不足することはなく、軽登山くらいはできるみたい。
何年か前には小さな再発が見つかったらしいが、進行が極めて遅いし歳も歳だし、医師の指導のもと定期健診だけで済ませている。
もっと柔和な性格になってほしいけど、二つの大病を患っているわりには元気にやれているので ありがたいかぎりである。

今は、二人とも、のんびりと年金生活を送っている。
今のところ、要介護認定の必要もない。
しかし、この先はどうなるかわからない。
仮に、人の手を借りなければ生活できなくなった場合でも、私に、親と同居して世話できる余裕はなく、自宅でポックリ逝くようなことでもないかぎり、いずれは病院や老人施設のお世話になることになるだろう。
そんなことを考えると、「死ぬまでの道程って、なかなか楽じゃないよな・・・」とあらためて思う。

世間の感覚では、死は自然なことだけど、孤独死は不自然なこと。
しかし、私の感覚では両方とも自然なこと。
だから、私は、親が自宅で孤独死することを想像することがある。
冷たいかもしれないけど、ポックリ逝くなら、それも悪くないと思っている。
長患いして苦しんだり、死を待つばかりの病院で、窮屈で退屈な日々に苦悩したりするより、死の間際まで愛着のある我が家で暮らし、ポックリ逝くほうがいいのではないかと思う。
その後、時間経過とともにその遺体が腐ってしまうのは自然なこと、仕方がないこと
その身体がおぞましい姿に変容しようと、肉体は、この世で使った“服”みたいなもの。
人生や生き様が朽ちたものでもなければ、魂・霊・心が現れたものでもない。
だから、発見が遅れてしまっても、そんなに悲しむ必要はない。
更に、その身内には“Spacialな奴”がいる。
現場が“ヘビー級”になっていようとも、そいつが掃除すればいいだけのこと。
もちろん、そうなって欲しいわけでも、親の特掃をしたいわけでもないけど、そんなに悲観はしていない。

この感覚は、周囲には理解できないかもしれない。
そして、世間体も悪いだろう。
亡親は“誰にも看取られず、寂しく死んでいった”と同情されるだろう。
子である私などは“冷たい息子”と揶揄されるかもしれない。
それでも、私は、そうなってもいいから、死の間際まで、健康な日々を、喜びをもって楽しく過ごしてもらいたいと思っている。

ただ、老いるのは、親ばかりではない。
私だって同じこと。
若いつもりでいても、あれよあれよという間に中年になっている。
老い先のことばかり心配して 今を暗く過ごしては元も子もない、されど看過もできない。
人に迷惑はかけたくないけど、老い先ながく生きれば人の世話にならざるをえない状況になる。
その弊害を少しでも小さくするためには、少しでも長く健康を維持し、少しでも大きい財を蓄えることが必要。
だから、日々の食生活や消費生活において、大きなストレスがかからない程度で、自制・摂生を心掛けている。

ありがたいとに、今のところ、私は だいたい健康(だと思う)。
振り返っても、半世紀近く生きてきて、大ケガや大病をしたことがない。
霊柩車には何度も乗ったけど、救急車に乗ったことはない。
入院というものもしたことがない。
若い頃、胃にポリープが見つかったり、暴飲暴食の結果 激太りして肝臓を悪くしたりしたこともあったけど、結果的に大事にはならなかった。
中年になってからも、原因不明の胸痛、腰・股関節・膝の不具合、目眩、蕁麻疹、風邪などに悩まされるくらい。
加齢にともなう衰えや不具合は色々とあるけど、とりあえず、身体は ちゃんと動いている。

それでも、私は、日々着実に老いている。
写真にうつる自分を見れば明らか。
白髪が目立ってきた髪はコシがなくなり、肌から艶やハリは消え、逆に、シミやシワは増えてきた。
肥満ではないはずなのに、皮膚もたるみ気味。
視力も低下。
もともと視力はいい方だったのだけど、だんだんと見えにくくなってきている。
次の運転免許更新時には 引っかかるのではないかと思っている。

一体、私は、この先、どんな老い方をするのだろう・・・
知りたいような、知りたくないような・・・
自分では短命と思っていても、そうなるとは限らない・・・
しかし、下手に長生きして苦労するのも難なもの・・・
そうは言っても早死にしたいわけではない・・・
心身ともに健康なら、長生きしたいような気もする・・・

この私、今しばらくは「中年」でいられるけど、「中高年」「初老」と言われるようになるのは、そう遠いことではない。
もちろん、老いた先に悠々自適な暮らしが待っていれば言うことない。
しかし、現実は、前にも書いた通り、年金だけで生活は成り立たないだろうから、どのみち、死ぬまで働く必要はあるだろう。
ただ、これは私だけの個人的な問題ではなく、これからますます深刻化する人口減少・少子高齢化社会において多くの人が潜在的に抱える共通の問題。
結局、将来、多くの庶民が私と似たような境遇で生きることになるのではないかと思う。
だから、この先、不慮の事故はもちろん、働けなくなるほどの病気やケガに勘弁してもらいたい。
そして、働くに必要なだけの体力と精神力は保っていきたい。

一体、自分は、どこに向かって老いていくのか・・・
どこに向かって老いていけばいいのか・・・
老い先のことを考えると、明るい想像はしにくい。
まさか・・・ひょっとしたら、このまま“特掃おやじ”から“特掃じじい”になるかも?
・・・死ぬまで特掃やらなきゃならないなんて・・・そんな人生、気が沈む。
でもまぁ、こんな仕事でも 悪いことばかりじゃない。
“楽しいこと”“嬉しいこと”“感謝なこと”・・・幸せを感じられることも間々ある(人の不幸を前にして言葉の使い方を間違えているかもしれないけど)。

“特掃じじい”か・・・ここまでくると、この人生は、悲劇を通り越して、もう喜劇。
・・・あまりに滑稽で、何だか笑える。
そうして、くだらないことに笑いながら働き続ける・・・
「これも俺の人生・・・“いい老い方”とは言えないけど、わるい老い方でもないのかもな・・・」
と、まるで趣味嗜好のように、今日も悩みながら生きている私である。

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老の行方 ~その一~

2017-03-15 08:50:14 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
「ゴミの処分をお願いしたいんですけど・・・」
「ただ、“ゴミ”といっても、普通のゴミじゃなくて・・・」
ある日、中年の男性からそんな電話が入った。

「ゴミの処分」と言ったって、自分で片付けることができれば、ほとんどの人は自分でやるはず。
自分の手には負えないから、他人に頼むわけで・・・
で、“自分の手に負えない”ということは、“それだけ困難な事情が発生している”ということ。
“ゴミが大量にたまってしまっている”とか、“ゴミが極めて不衛生”とか、または、その両方であるとか。
したがって、私は、すぐにゴミ部屋を想像し、また、男性が いよいよ追い詰められて相談をよこしたであろうことを察し、その緊張感や羞恥心を刺激しないよう、終始 明るい応対に努めた。

しかし、相談の内容は、私の想像とは少し違っていた。
現場は、男性の自宅ではなく、男性の両親が暮す家、つまり男性の実家。
両親は、数十年に渡り そこで生活。
が、寄る年波には勝てず、身体を動かすことが億劫になり、それに従って家事が疎かに。
掃除洗濯をはじめ、食事の支度や後片付けをキチンしなくなった。
更に、近年は、両親共に認知症が疑われるようになり、荒れた生活は深刻化していった。

息子である男性は、週末等、こまめに両親宅を訪れることを心掛けたが、自分にも都合があり、毎週のように訪れることはできず。
月に一~二度訪れるのが精一杯。
そして、その都度、たまったゴミを片付けてきたのだけど、それももう限界に。
特に、難題となったのが食品の始末と糞尿の清掃。
食べ残しはもちろん、まったく手をつけずに腐らせてしまった食品が大量に発生。
次々に買ってくるものの、食欲が湧かないのか買ってきたことを忘れるのか、食品はたまる一方、腐る一方。
とりわけ、生鮮食品は、凄まじい腐り方をする。
それらが、冷蔵庫や棚から溢れ、収拾がつかなくなった。
また、トイレの失敗や失禁も多くなり、便器だけではなく、トイレの床や廊下のあちこちを糞が汚染。
その掃除も手に負えなくなったのだった。

一通りの事情を聞いた私は、いつも通り現地調査に出向くことに。
「見たら驚くと思いますよ・・・」
男性は、恥ずかしそうに、また申し訳なさそうにそう言った。
けど、私は、
「慣れてるから大丈夫ですよ・・・伺った感じだと、今まで私が経験した中で一番ヒドいってことはなさそうですから」
と、男性の荷を軽くするつもりでそう応えた。
すると、男性は、
「え!?これよりスゴいところがあるんですか!?」
と、少し気が楽になったように言葉を躍らせた。
「あります!あります!詳しいことは言えませんけど、ありますよ!」
と、私はテンションを上げて男性の笑いを誘った。


訪れた現場は、古い一戸建。
荒れた庭、窓越に見えるガラクタ、薄汚れた玄関ドアからは「いかにも」といった雰囲気が漂っていた。
そして、そんな予想に反さず、玄関を開けると、糞尿のニオイと腐った食べ物のニオイと全体的なカビ・ゴミ臭が混ざり合った悪臭が噴出。
私は、本当は臭くて仕方がなく 顔を歪めたかったのだけど、申し訳なさそうにする男性が気の毒に思えたので、“慣れてるから まったく平気!”といった表情で平然を装った。
また、腐乱死体現場等で重宝する専用マスクを用意していたのだけど、それはフツーの紙マスクなどとは違って見た目が結構ゴツいため、男性に失礼なような気がして、それも使わなかった。

悪臭が証するとおり、家の中も酷い有様。
所狭しと家財生活用品が並び積まれ、ゴミかゴミじゃないのか判断つかないようなモノが床を覆い尽くしていた。
特に深刻だったのは台所と冷蔵庫。
台所には、食べ物ゴミ、残飯、手をつけず腐らせた食品etcが散乱。
また、流し台やテーブルには、汚れたままの鍋や食器が並び重ねられていた。
中には、食べ残したものが入ったままのものもあり、あるものはヘドロのようになり、またあるものはフサフサのカビで覆われていた。
また、冷蔵庫も腐敗食品で満パン。
特に、肉や魚などの生鮮食品や調理済みの惣菜などは酷いことに。
パックの中でドロドロに溶け、凄まじい異臭を放っていた。

トイレも重症。
失禁や失敗を繰り返したようで、糞は便器やトイレだけでなく、その前の廊下のあちこちまで汚染。
長く放っておいたせいでそれは乾いて黒くなり、まるで溶岩のように固く付着。
私のようにコツを心得ている者ならまだしも、男性の手に負えないことは一目瞭然。
また、同じように、尿痕もあちこちに散在。
更には、床板は今にも腐り朽ちそうになっており、そこから上がるアンモニア臭が他の悪臭を刺激し、悪臭濃度を高めていた。

「父は、潔癖症かと思うくらいきれい好きだったんですけど・・・」
「母も、家事はキチンとする人だったんですけど・・・」
「まさか、年老いてこんな生活になるとは、思ってもみませんでした・・・」
気マズそうに話す男性の言葉は、何か悪いことでもしたときの言い訳のように聞こえた。
そして、そんな男性の姿が気の毒に見え、また、何となく他人事とは思えず同情する気持ちが湧いてきた。

私の目には、両親二人だけの生活は、もう限界・・・いや、限界を越えているように見えた。
衛生的な問題はもちろん、急な病気やケガにも対処できないし、火事などの事故も起きかねない。
ただ、私が言うまでもなく、それは男性もわかっていた。
わかっているからこそ、男性は悩んでいた。

男性には家庭があり、また、できあがった生活スタイルがある。
家のスペースや自分や妻子にかかる負担を考えると、とても引き取れるものではない。
そうなると、第三者の手を借りるしかない。
訪問医療や訪問介護を受けたり、医療施設や介護施設に入ったりと。
民間の老人施設だと希望すればすぐに入れることが多いだろうけど、その分、費用も高額になる。
この家を処分して費用を捻出するにしても、値段がつけられるのは土地のみ。
ただ、一等地でもないうえ、面積も小さい。
更に、使い物にならない老朽家屋が乗っかっているわけで、とても満足のいく値段では売れそうにない状況だった。

また、男性の経済力にも限界がある。
家族の生活は優先して守らなければならないわけで、有料老人ホーム等の費用までは負担できず。
そうは言っても、二人の年金もそれには足りない。
特別養護老人ホーム等は比較的安く入れるけど、入所を希望する待機者が多過ぎて、すぐに入れる見込みはなし。
しかし、事は一刻の猶予のならない状況。
とりあえず、特別養護老人ホーム等の入所を申し込んでおくとして、当面は、介護保険を利用した訪問介護と家事援助を受ける方向で着地点を見出した。

私は、両親を自宅に引き取らない男性のことを
“血を分けた親子なのに、薄情だな・・・”
なんて、少しも思わなかった。
年老いた親を持つ私にとってもリアルな問題だから。
そして、私が同じような立場に置かれたら、同じようにするだろうから。

どちらにしろ、部屋があまりに不衛生だと介護ヘルパーも来てくれない。
仮に、それがなくても、現状のままにはできない。
今後の生活を考えると、ゴミを始末し、掃除し、害虫駆除と消臭消毒をかけることは必要。
提案した作業内容と費用に折り合いがついたので、その作業は、私の方で請け負うことになった。

食べ物が腐ったニオイは、人間が腐ったのとはまた違う凄まじさがある。
そして、それを片付ける際には、そのニオイは一段と放出される。
あと、見た目もグロテスク。
ほとんどのモノが原形をとどめず、ドロドロの正体不明物体に。
フサフサの毛(カビ)がはえた鍋皿も、何かの生き物のように見えて不気味。
しかし、このくらいなら まだかわいいもの。
この家ではないけど、ガスコンロにのせたまま長く放置された鍋の蓋を開けたら、雑炊と見間違えるほどのウジが溜まっていたこともある(この時は、蓋を開けた途端 驚嘆の声を上げてしまった)。
そんな類のモノをいちいち手に取って始末していかなければならないわけで、糞尿まみれのトイレを掃除する方がよっぽど楽だった。

ただ、どんなに大変な作業でも仕事は仕事。
親切心がないわけではなかったけど、ボランティアではない。
有料の請負契約なわけで、売上利益を手に入れることができた。
ただ、それ以上の収穫・・・自分が必要とされたこと、頼りにされたこと、役に立てたこと・・・も得ることができた。
とりわけ、男性の両親の行く末について思案することに関わらせてもらったことは大きな収穫だったように思う。


先々の心配ばかりしていては、人生 楽しくない。
だけど、“楽観的”と“無責任”とを混同してはいけない。
もちろん、“悲観的に考えること”が“責任感を持つこと”にはならないけど、現実に起こりうる可能性が高くなってきたことについては考える必要がある。
考えなければならないことを考えず、考える必要のないことを考えてしまうのが私の悪い癖だけど、親の老い先はもちろん、自分の老い先もキチンと考えておきたい。

私も、もうそんなことを考えなければいけないお年頃。
それにともない、少しばかり落ち着きをなくしている。
されど、進まされる人生に逆らうことはできない。
そんな人生途上にあって、
「このままじゃダメだ!」「このままはイヤだ!」
と、まるで趣味嗜好のように、今日も悩みながら生きているのである。


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大心災

2017-03-11 16:35:21 | その他
今日は、2017年3月11日。
あれから六年が経った・・・
“六年”という年月は、長いようで短く、短いようで長い・・・
ある人にとっては長く、また、ある人にとっては短かっただろう。
ほとんど第三者の私が、わざわざこのタイミングを選んで大震災のことに触れるのは“ありきたり”で安っぽいことかも。
また、まるで何かの記念日のように、節目の日だけ感傷に浸っているようで、偽善色を濃くするだけかもしれない。
しかし、地震大国に暮す以上、他人事にはできない現実があるわけで、そこのところを啓蒙するため、また、自分(人)にとって大切なことを訓ずるため、繰り返しになる内容を承知で書こうと思い立った。

被災地に比べれば、私の生活圏はほとんど“無傷”。
当初は色々な不自由が発生したけど、どれもこれも早々に解決。
街にも身体にも心にも、コレといった傷跡は残っていない。
ただ、この小さな一生において、あれほどの出来事に遭遇することは稀だろう。
そして、アノ時の衝撃は、生涯忘れることはないだろう。

大きな揺れがきたのは、アノ日の午後。
隣県某市のゴミ部屋を片付けて帰社して少し後、積んできたゴミを車から降ろしているとき。
“ザーザー”というか“ゴーゴー”というか、それまでに聞いたことがない類の騒音のような異音とともに、立っていられないくらいの揺れが襲ってきた。
そして、それは長く続き、また、大きな余震も何度となくやってきた。

「こりゃ、ただごとじゃないぞ!」
そう思った私は、情報を得るためすぐさま車のTVをON。
すると、どこの局も慌てふためきながら地震を報道。
そのうちに、あちこちの港、街、田畑が津波に襲われる映像が流れてきた。
その映像は、あまりに衝撃的で、
「大事になってる・・・」
と、胸が騒ぎはじめ、少し遅れて嫌な予感もしはじめた。

とにかく、揺れは凄まじいものだった。
本震だけでなく、何度もくる余震の揺れも大きかった。
もちろん、それは、それまでの人生で経験したことがないもの。
私は、仕事を切り上げて一刻も早く家に帰るべきか、それとも、このまま会社に留まっていた方が安全なのか、迷いに迷った。
しかし、いつまでも会社で途方に暮れていても仕方がない。
私は、余震が少なくなるのを待って家路についた。
そして、いつもより時間はかかったけど、無事に帰宅することができた。

TVは、どのチャンネルも地震のニュース一色。
バラエティーやドラマ、CMをはじめ、人の顔からは笑顔まで消えてしまった。
悲惨な津波の映像も繰り返し流された。
そんな中で、まったくの想定外だったのは原発事故。
結果的に、これも大惨事に。
「メルトダウン」「爆発」「核」そんな言葉が飛び交い、私の頭には一抹の不安が過ぎった。

その分野に明るくない私は、「爆発」と聞いてすぐに“原爆(核兵器)”を連想してしまった。
そして、そうなると私の生活圏にも影響は及ぶわけで、不安感は膨らんでいった。
しかし、それとこれとはまったく違うことはすぐに判明。
私は、TVの向こうで忙しそうに働く専門家の説明に胸をなでおろした。

そんな中でもデマは流れた。
そして、身近なところにも、それに踊らされる者がでてきた。
「国は情報を操作している!」
「福島原発から半径300km以内は危険だから西日本へ逃げたほうがいい!」
仕事の関係者の中には(同じ会社の人間ではない)、夜中にもかかわらず、私にそんな電話を入れてきた自称紳士もいた。
「東電の幹部は極秘で西日本に逃げているらしい!」
「私も実家(西日本)に帰るための飛行機をおさえた!」
近所には、そう宣う(のたまう)、オシャベリ好きの自称淑女もいた。

当人達は親切のつもりなのかもしれなかったけど、私は、
「余計なお世話! 逃げたきゃ勝手に逃げろ!」
と不愉快に思った。
もちろん、自分の生活圏にまで及んでくるかもしれない放射線が気にならいことはなかったけど、それにしたってレベルは低いはず。
私は、普段、それよりもっと身体に悪そうなものに遭遇しているわけで、あまり気にならず。
また、こんな私でも“責任”ってものがある。
いきなり仕事を辞めて逃げるなんてことできるわけがない。
だから、回りに騒ぐ輩がいても、行政の指示でもないかぎり自主的に避難する気は起きなかった。

スーパーやコンビニは薄暗く、棚の商品は疎(まばら)に。
それでも、
「口に入れられるものなら イザというときの足しになる・・・」
と、先走る不安感によって、普段なら食べないようなモノでも買い求めた。
GSは長蛇の列で、一台あたりの給油量を制限。
それでも、
「イザというとき車が動かせないとどうにもならないから・・・」
と、燃料が半分以上残っていても、給油できるかどうかわからない列に加わった。

いつ電気がとまってもおかしくない状況は続いた(結果的に、会社も家も長い停電には見舞われなかったけど)。
TVでも、節電が頻繁に呼びかけられた。
「俺一人が節電したって何も変わりはしない・・・」
普段ならそのように思ってしまう私だけど、原発のニュースを目の当たりにすると、
「微力でも協力しないよりはマシ!」
と、積極的に節電する気になった。
それで、寒い中でも暖房はつけず厚着でしのぎ、蛍光灯も最小限に早寝を心掛けた。
ただ、依然として、余震も原発も予断を許さない状況。
一刻を争うようなことが起きないともかぎらず、リアルタイムに情報を得るため、目を醒ましている間 TVだけはずっとつけていた。

震災以降の三月と翌四月、仕事は激減。
世の中、それどころではなかった。
ただ、その状態が長く続くと会社は立ち行かなくなる。
そうなると、当然、そこで働く者も職を失うことになる。
「失業・・・」
そんな不安を抱えながらも何の手を打つこともできず、私は、ただ厚着をして、ひたすら暗いニュースばかりを観ては気分を沈ませていた。

幸い(と言っていいのかどうか、ビミョーな仕事だけど)、五月に入ると少しずつ復調。
飽き飽きしていたはずの“日常”が、ありがたさとともに戻ってきて、とりあえず一息つくことができた。
そして、この六年、山もあり谷もあったけど、何とかこうして生きつないでいる。

しかし、この大震災を越えたからといって、先の心配が消えたわけではない。
「首都直下型地震」「東海地震」「東南海地震」「南海トラフ地震」・・・果ては「富士山噴火」等々、まだまだ色々な惨事が想定されている。
私と関わりが深いのは、「近いうちにくる」「いつきてもおかしくない」といわれて久しい首都直下型地震。
平和な日常にいても、私は、常にこのことを頭の隅に置いている。
だから、家には多めの水や米、生活消耗品等を備蓄している。
また、一都三県、あちこちの街に出かけることが多い私は、大地震が起こり、出先で足止めを喰らって帰れなくなったときのことを想定して、車にも水・非常食・防寒具をはじめとする非常用品を備えている。

その目的は、イザというとき、自分が助かること、自分が生きながらえること。
ただ、同時に、ある想いも沸いてくる。
それは、
「水を欲しがっている人がいたらどうするだろう・・・」
「お腹を空かせている人がいたらどうするだろう・・・」
「寒さに震えている人がいたらどうするだろう・・・」
といったもの。
そして、
「そういった人達に、俺は、自分が持っているモノを分け与えることができるだろうか・・・」
と自分に訊いてみる。
・・・残念ながら、返ってくる答は、
「・・・無理だろうな・・・多分・・・」
といったもの。
もちろん、命にかかわるような緊急事態や極限状態だったら、そんな邪心も消えるかもしれな。
だけど、私だって咽は渇くし腹も減る。
寒ければ身体も凍える。
そして、やはり、私は、自分が大事、自分が可愛い。
「自分を守るために自分で用意したモノを自分のために使って何が悪い」
てな具合に開き直って、自分の行いを“良し”としてしまうのではないかと思う。

ブログでは何かとカッコつけてるけど、私は、結構、冷酷非情な人間。
そこのところは、ある程度 自覚もできている。
そういった性質の悪さが、ときに自分を悩ませ、ときに自分を苦しめることもわかっている。
私が、晴々と生きていけない一因でもあると思う。
その証拠に、飢え渇いている人がいる中で、そういった人達の目を盗んでコソコソと咽を潤し空腹を満たす己の姿を想像すると、何ともおぞましく惨めな気持ちになる。
それでも、その性質の悪さは消えない、変わらない。

「人間なんてそんなもの」
「多かれ少なかれ、皆、似たようなもの」
そうやって、自分を慰め、ごまかしてはいるけど、結局のところ、これは一個人の“愛”の問題。
人のそれとは関係ないし、人と比べて優劣を決める類のことではない。

私の悩みが消えないのは、少しでも自分が楽できる方向へ逃げ回るばかりで、利己に対峙する勇気を持とうとしないから。
私の苦しみが消えないのは、人が本当に大切にしなければならないものを蔑ろにし、大切にする必要のないものに執着するから。
私の心が凍えるのは、人が冷たいからではなく自分が冷たいから。

究極の愛は、“自己犠牲”“利他愛”・・・・・つまり“隣人愛”。
「人に、世に、愛がないのは大きな災い」
例によってカッコつけてるみたいだけど、私は、自戒を込めてそう思うのである。


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ドンマイ!ドンマイ!

2017-03-07 08:51:38 | 特殊清掃
つい先日、一件目の現場から二件目の現場に行く途中のこと。
通りはかなり渋滞しており、車は、ノロノロ動いたり止まったりの繰り返し。
それに退屈した私はスマホを手に取り、自分で撮った写真を開き 思い出を楽しんでいた。
すると、“ピピーッ!!”と笛の音が。
スマホを手にした姿が、歩道をパトロール中の警官の目にとまったのだった。
とっさのことで少々慌てた私だったが、すぐに状況を把握。
「ハァ~・・・ついてねぇな・・・」
と、溜息まじりに苦笑い。
しかし、運転中にスマホを手にしたのは事実。
端から抵抗するつもりはなく、
「ルールはルールですからね・・・」
と、素直に非を認め、指示通りに路肩に車をとめた。
そんな私の態度が意外だったのか、警官は、同僚を呼ぶ無線で
「当人は認めています!認めています!」
と、ややハイテンションで業務連絡。
そして、言われる前に車検証と免許証を差し出した私に(←違反キップに慣れている)、
「お仕事中、申し訳ありません・・・急いで済ませますから・・・」
と、どっちが悪者なのかわからないくらい腰を低くした。

聞くところによると、運転中の携帯電話については、それを認めない人が多いらしい。
長時間に渡って揉めることも珍しいことではないとのこと。
確かに、スピード違反や飲酒運転と違って、携帯電話の使用は客観的に計測できるものではない。
しかも、明るい外から暗い車内は見えにくく、明らかに耳に当てていれば別だけど、そうでなければ判断しにくい。
となると、証拠写真でもないかぎり言い逃れができそうな気もしてくる。
だから、違反を認めないで抵抗する人が多いのではないかと思う。

私もスマホを耳に当てていたわけではなく、ただ手に持っていただけ。
しかも、外からは見えにくい低い位置で。
抵抗しようと思えばできたかもしれない。
警官も「多分、抵抗するだろう」と思っていたよう。
しかし、そこは小心者の私。
権力に抵抗できるほどの意気地は持ち合わせておらず、あっさり白旗をあげたのだった。

罰金は¥6,000・・・普段の節約生活が水の泡・・・
財布の都合で我慢している“にごり酒”が三升弱買える金額。
トホホホホ・・・溜息まじりの苦笑いしかでない。
しかし、思い直してみると、一年で5~6万km車を運転する私。
運転しない日は、年に数える程度。
そんな私には、交通事故のリスクが常につきまとっている。
それを考えると、今回も物損事故や人身事故じゃなかっただけよかった。
私は、
「ドンマイ!ドンマイ!」
と、自分を慰めながら、次の現場に向かって気持ちを入れ替えた。



「また でちゃいまして・・・」
「隣近所から苦情がきてまして・・・」
「ニオイがでてるみたいなんです・・・」
何度か仕事をしたことがある不動産管理会社から、そんな電話が入った。

現場は、郊外の賃貸マンションの一室。
時季は、酷暑の夏。
ニオイを嗅ぎたくないのだろう、管理会社の担当者は現場の部屋に近づきたがらず。
「大丈夫ですよ・・・フツーの人はそうですから、気にしないで下さい」
その心情は充分に理解できたので、私は担当者のそう声をかけ部屋の鍵を預った。
そして、一人、エレベーターに乗り上の部屋に向かった。

エレベーターを降りると、例の異臭はすぐに私の鼻に飛び込んできた。
共用廊下の片側は建物だけど、反対側はそのまま外で、充分外気に触れていた。
ただ、風向きが悪いのか、廊下全体がやたらとクサい!
「これじゃ、他の住人が黙ってるはずないよな・・・」
私は、これから入る部屋が至極凄惨な状態になっているであろうことを想像しつつ、目的に部屋に歩を進めた。

玄関前の異臭濃度は更に高かった。
近隣住民が置いたのだろう、その足元には、市販の芳香剤がいくつも並べられていた。
ただ、残念ながら、それは“焼け石に水”。
芳香剤のいい匂いは、玄関ドアの隙間から漏れ出る不快な臭いにかき消されていた。
更に、それだけでなく、ドアの隙間からはウジまでが這い出ていた。

「こりゃイカンなぁ・・・」
ウジを見つけた私は、思わずつぶやいた。
そして、ドアを開けた瞬間に這い出る奴等をどう始末しようか思案。
結局、周囲の様子を伺いながら小刻みにドアを開閉し、ドア付近を徘徊する連中を先に回収。
それから、特掃の下調べをするため、思い切って室内に飛び込んだ。

「うわぁぁ・・・凄いことになってんな・・・」
遺体系腐敗汚物は、無数のウジを泳がせながら畳三枚くらいの広さに流出。
オリーブオイルのような黄色の腐敗脂、赤ワインのような赤黒色の腐敗液、チョコレートのような黒茶色の腐敗粘度は重力にまかせて縦横無尽に拡散。
また、凄まじい悪臭が、無数のハエを遊ばせながら、肌にまで滲み込まんばかりの勢いで作業服に浸透。
私は、数分の時間を置くことなく“ウ○コ男”に変身したのだった。


亡くなったのは50代の男性。
病死で、死後約二週間。
真夏の出来事で、遺体はヒドく腐敗。
玄関から異臭がしだしたことで、近隣住民が異変を察知。
管理会社を通じて知らせを受けた警察が、人間の体をなしていない故人を発見したのだった。

部屋には、インシュリンの注射器や、たくさんの針・薬液があった。
どうも、故人は糖尿病を患っていたよう。
しかし、台所の床には、紙パックの日本酒と焼酎も並んでいた。
また、その隅には、折りたたまれたそれらの紙パックが、古新聞のようにきれいに積み重ねられていた。
医師から酒は止められていただろうに・・・それでも故人は、酒がやめられなかったようだった。

インシュリンを打ちながら酒を楽しむなんて、ある種の自殺行為・・・
それだけを見れば愚行にしか思えない・・・
しかし、人は、そんなに強くない・・・
人は弱い・・・
「いけないこと」と知りつつもやめられないことってある。
特に、酒やタバコといった嗜好品は、麻薬みたいな性質があるのだろう。
やめたくても なかなかやめられるものではない。

その辺の意志の弱さは私にも共通する。
当初は休肝日予定にしていても、
「休肝日は、また後日にしよう」
と、飲んでしまうこともしばしば。
また、もう充分に酔いが回っているのに、
「もう一杯くらいいいだろう・・・」
と、翌朝の後悔がわかっているのに負けてしまう。
挙句の果てには、
「一度きりの人生、楽しまなきゃもったいない」
と、大袈裟ないい言い訳をして自分の弱さを誤魔化す。
私は、そんな自分と自分が想像する故人像を重ね、故人に対して妙な親近感を覚えたのだった。


故人の部屋は至極凄惨。
更に、ムンムンに熱されたサウナ状態。
その暑苦しさはハンパなものではない。
しかも、相手は重篤な遺体系腐敗汚物と無数のウジ・ハエ。
だけど、「恐い」「気持ち悪い」等と弱音を吐いていては仕事にならない。
とにかく、自分の意思なんか放っておいて、義務的に、事務的に身を投じるしかない。

作業に入ると、そのうちに無我夢中になり、自分が何者なのかわからなくなってくる。
職務を負った会社人から、ただの人間になってくる。
もちろん仕事でやっているのだけど、次第にその域を越えてくる。
腐敗汚物との戦いが、自分との戦い、生きることとの戦いに変わってくる。
すると、自分自身が雑巾のようになる。
自分自身をボロ雑巾のようにしてこそ前に進める。

腐乱死体現場を描写すると、どうしても、暗く悲惨な表現ばかりになってしまう。
だけど、これが偽りない事実だから、どうしたって明るく華やかには描けない。
ただ、故人だって、こうなりたくてなったわけではないはず。
自殺という死に方に故意があることは認めざるをえないけど、孤独死(自然死)に故意は認められない。
「一人で死んでやる」なんて思いながら暮らしている人は、まずいないはず。
また、「酷く腐ってやる」なんて思っている人も。
管理会社、大家、近隣住民に迷惑をかけることになってしまったことも不本意のはず。
“ゆるされる”とか“ゆるされない”といった類のことは結論を得ることができないけど、少なくとも悪意はなかったはずである。

「こうなりたくてなったわけじゃないですよね・・・」
こんな現場で腐敗汚物と格闘する私は、心の中で、勝手に故人に話しかける。
もちろん、返事はない。
けど、
「もちろん!」
と、そんな声が返ってくるような気がする。
と同時に、
「ヨロシクたのむよ!」
という声も聞えてくるような気がして、一人でやる過酷な特殊清掃を何かの力(故人の力?)が支えてくれるような気がしてくる。

そして、私は、それに応えるように、
「ドンマイ!ドンマイ!」
と、誰もが恐怖する凄惨な痕を残してしまった故人に、そしてまた、誰もが嫌悪する日陰に生きている自分に、そう声をかけるのである。


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努め人

2017-03-03 09:07:23 | その他
暦のうえでは、三月は春。
気象の世界でも三月からは“春”とされるらしい。
しかしながら、春暖は、少しずつやってくるもの。
三月に入ったからといって、急に暖かくなるわけではない。
したがって、今、春になってもまだ寒い日が続いている。

寒暖の苦楽はあっても、春夏秋冬には、四季折々の趣と深い味わいがある。
そういった意味では、寒いことも暑いことも悪くはない。
ただ、日々の生活においては、寒冷より温暖のほうがいいし、暑熱より涼冷のほうがいい。
寒暑の酷は心身に堪えるから。

寒さが堪えるのは起床時。
多くの人がそうだろうけど、あたたかい布団から寒空に出ていくのは なかなかツラい。
あとは、入浴(シャワー)時。
水道光熱費を考えると(←ケチでしょ!)、毎晩、熱い湯に浸かるわけにもいかず、ガタガタと身を震わせながらシャワーを浴びている(当然、湯は出しっぱなしにしない)。
熱い湯に浸かるのは、重労働に疲れたときや、余程 身体が冷えたとき。
それでも、湯量は最低限にし、寝そべるように浸かっている。

汗をかくくらい湯に浸かった風呂上りにはビールでも飲みたくなるけど、冬期において、普段の晩酌でビールはほとんど飲まない。
ハイボールは毎度よく飲むけど、ビールは飲みたくならない。
だから、冷蔵庫には何ヶ月か前のビールがそのまま入れっぱなしになっている。
また、部屋には、あちこちでもらったビールがたまっている。
もちろん、賞味期限が切れる前に飲むつもりだけど、今、無理矢理飲んだりはしない。
暖かく(暑く)なってくると飲みたくなるに決まっているから、それまで待機させておくのだ。

ビールに関してはそんなところだけど、今季は、久方ぶりに“にごり酒”を飲んだ。
ここ数年は、コストと糖分を嫌って遠ざけていたのだけど、「たまにはいいか・・・」「少しならいいか・・・」と飲んでみた。
その様は、ついこの前のブログにも書いたとおりで、やはり格別だった。
私が愛飲している品は、アルコールが15度くらいあるのだけどツンとせず、まるでノンアルコールのように風味は極めて優しい。
だから、チビチビやりながらでも、かなりの量をイってしまう。

放っておくと、そのままズルズルと深みにハマる。
そうなっては、元も子もない。
私は、自制心を取り戻すため、スマホを手に「にごり酒 糖分」で検索。
そこで情報を収集して、にごり酒が自分の身体には不向きな酒種であることを再認識しようとした。
すると、トップ画面の上から四番目に、あるモノが映った。
それは、私自身のブログ。
2007年10月20日更新の、「のんだくれ(前編)」という記事がでてきた。
まったく違う世界を検索したのに、思いもよらず“過去の自分”がでてきて、この寄寓には、我ながらちょっと驚いた(妙に嬉しかった)。

それは自分が書いたもので、わざわざ読む必要もなかったのかもしれなかったけど、「このタイミングで目の前に現れたもの何かの縁」と思い、ホロ酔の頭で読んでみた。
内容は、好物の“にごり酒”について懇々と語ったもの。
読みすすめるうち次第に記憶が甦ってきて、十年近くも前のことなのに、まるで昨日のことのように思い出された。
そして、懐かしさとともに、あまりの進歩・成長のなさに呆れたような笑みがこぼれた。

歳をとるばかりで進歩・成長がない・・・
時の只中にいると、目も前のことを追うばかり、目の前のことに追われるばかりの生活で、無意識のうちに、自分が理想とする生き様とは程遠いに生き方をしてしまう。
そして、過ぎた日々を振り返るたび、「こうすればよかった」「あぁすればよかった」と後悔を繰り返す。
そして、過ぎ去っていく時間の中で、進歩のなさを嘆き、成長のなさを悲しむ。

それでも、日々、生きることに努めている。
「全力」とは言えないまでも、皆、それぞれの立場で、何らかのかたちで働いている。
地味な勤めでも、小さな務めでも、生きる努力をしている。
仕事に勤しむこと、勉学に励むこと、病気と闘うこと、人世に奉仕すること、社会の務めを果たすこと等々・・・
人と比べることなく一人一人の努力に目を向けてみれば、その実の美しさと、それがもたらす素晴らしさに気づくことができる。



昨年12月7日更新「万歳!」に登場した工事現場のガードマンのF氏。
今でも、ウォーキング中に顔を合わせることがある。
仕事中、少し離れたところにいても、私の姿を見るとわざわざ近寄ってきてくれる。
そして、その都度、とりとめもない話題で立ち話をし、日を追ってその深度は増している。

「歳はねぇ・・・え~っと・・・来月で76になるんだ」
「もう、いつ死んでもおかしくないよ」
てっきり60代後半くらいだと思っていた私は驚いた。
そして、“もっと若い”と思っていたことを伝えた。

「体か小さいから、そう(若く)見えるだけだよ」
「よく見れば、歳はわかるよ」
と、年甲斐もなく照れる自分が恥ずかしいのか、モゾモゾと落ち着きなく笑った。
その人柄が微笑ましく思えた私も、笑いながら御世辞じゃないことを伝えた。

「年金だけじゃ生活できないんでね・・・」
「(仕事は)楽じゃないけど、やるしかないもんね・・・」
その境遇が気の毒で切なくも思ったが、決して他人事ではない。
自分の老い先が重なり、私は、恐怖感にも似た緊張感を覚えた。

「若い頃から酒は好きでね・・・」
「今でも25度の焼酎をね、毎晩一合、ストレートでチビチビやるんだ」
日々の楽しみは晩酌だそう。
その“味”を知っている私も大きく頷きつつ、休肝日を一大イベントのようにしている自分に苦笑いした。

「今更やめるつもりはないね・・・」
「この歳まで生きると (余命には)もう関係ないからね・・・」
若い頃は健康のためにタバコをやめようと思ったことはあったけど、結局、やめられず。
F氏に残された時間を考えると、私は、即座に否定はできなかった。

「毎晩一緒に寝てるんだよ~」
「かわいいよぉ~!」
トイプードルを飼っているそうで、大層 可愛がっているよう。
今は亡きチビ犬で同じような思い出を持つ私は、目に涙が滲みそうになるくらい聞き入った。
「縁石に乗り上げて、車をオシャカにしちゃったんだよ」
「もう直せなくて、新しいの買ったんだよ」
近年、全国各地で高齢者運転の車による重大事故が多発している。
とんだ災難だったかもしれないけど、私は他人をケガさせなかったこと、またF氏がケガしなかったことを幸いに思った。

「暑いのも寒いのもツラいけど、どちらかというと寒いほうがいいかな・・・」
「暑いのはどうにもならないけど、寒いのは着込めば何とかなるからね・・・」
職種は違えど、私も一介の肉体労働者。
詳しい説明がなくても、その苦境は充分過ぎるほど理解できた。

「もうすぐお別れだね・・・」
「この現場、三月いっぱいで終わるから・・・」
一昨年12月からの長い現場も、今月末で終わるそう。
今生の別れになるのかどうかわからないけど、私は、少し寂しく思った。

「もう、いつ死んでもいいんだ・・・」
「でも、犬より先に死んじゃいけないけどね・・・」
同意するのは失礼、しかし、安易に否定するのもわざとらしくて不親切。
返事に困った私は、ただただ笑って聞いていたけど、諦めながらも、開き直りながらも、悟りながらも、とりあえず、毎日を直向に生きている姿に敬意を覚えた。



「F氏は将来の自分かもしれない・・・」
そんな風に思うことがある。
老齢で身体が衰えるのはF氏ばかりではなく、私だって同じこと。
筋力が弱まるだけでなく、各所に不具合が起きるだろう。
経済的にもそう。
私だって年金はかけているけど、年金だけでは食べていけないのは その受給金額を試算すれば一目瞭然。
そうなると、何らかの仕事に就いて働き続ける必要がある。
ただ、専門スキルや特別なキャリア、有力な人脈がない一般の高齢者がやれる仕事といったら限られている。
残念ながら、楽な仕事に就ける可能性は低い。
とりあえず、就かせてもらえる仕事があるなら、辛抱してそれをやるしかない。

だからと言って、悲観ばかりしているわけではない。
思いもよらない苦があるけど、思いもよらない楽もあるのが人生。
どんな仕事にせよ、“働ける”ってありがたい。
心身が、働けるくらいの健康を持っているわけだし、それで暮らしも少しは楽になるだろうし。
また、社会参加は健康維持に大きく貢献してくれそうだから。

とにもかくにも、まずは時間を大切に生きていきたい。
心身の健康に留意して歳を重ねていきたい。
と同時に、私は、仕事においては ただの勤め人だけど、人生においては ただならぬ努め人になっていきたいと思うのである。


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曇空の下

2017-02-21 08:50:34 | 特殊清掃
二月も早下旬。
立春を過ぎても、まだまだ寒い日が続いている。
とは言え、私の感覚では、今年の冬は暖かい。
雨(雪)も少なく、青空を仰げる日が多い。
寒いことは寒いけど、例年に比べると穏やかだと思う。
しかしながら、このところ、気分が晴れない日が続いている。
特に悪いことがあったわけでもないのに、身に周りに いいことはたくさんあるはずなのに、漠然とした過去の後悔と現在の不満と将来の不安が心を曇らせている。

例によって、最もキツいのは起床前の朝。
まだ夜も明けきらぬ暗いうちから、重い虚無感・疲労感・倦怠感に襲われて難儀している。
それでも、毎朝、重い身体を引きずり起こし、決めた時間に決めた通り動かす。
そしてまた、重い足を引きずるように、会社に向かって家を出る。
その壁を越えると、少しずつながら、気分は落ち着いてくる。
そして、会社に着く頃には、だいぶフツーに戻っている。
更に、現場に出てしまえば、欝々している余裕(?)もなくなるので、欝気は楽になる(別の意味での苦しさはあるけど)。

コイツとはもう長い付き合いなので、自分がどういう状況に陥っているのか、わりと客観的に把握することができていると思う。
で、その対処法も、いくつか持っているつもり。
しかし、それらを駆使しても、一向に気分は晴れていかない。
虚無感は感性が鈍いせい、疲労感は怠け心のせい、倦怠感は心構えが悪いせい・・・
旧態依然・・・燃えない自分が、強くならない自分が、賢くならない自分が情けなくて、涙が出ることもある。

本当は・・・
もっとポジティブな人間になりたい。
もっと強い人間になりたい。
もっと明るい人間になりたい。
ずっとずっと昔から、そう思っている。
しかし、いつまで経っても変わらない・・・
変わりたくても変われない自分が、ここにいる。

心の調子ばかりでなく、身体にも難があった。
同僚からうつったものと思われるが、先月下旬、A型インフルエンザ(多分)にかかってしまった。
しかも、休めない現場作業が重なり、病院にいくこともできず。
市販の咳止薬と栄養ドリンクを飲みながら、昼間は現場作業に勤しみ、夜はシッカリ御飯を食べ、シッカリ風呂に浸かり、早い時間から布団で休養。
もちろん、晩酌はなし。
それでも、一週間ばかり具合は悪く、なかなかしんどい思いをした。

例の目眩(めまい)は、たまに「?」と思うような軽いフラつきを覚えるくらいで、ほとんど治まっている。
蕁麻疹については、たまに、腰のベルト回り等に怪しい発疹がでることがある。
そして、重症化すると見た目も悲惨で痒みもツラいので、三種の飲薬は常時携帯している。
ただ、幸いなことに、重症化したのは最初だけで、それ以降の発疹は極小規模で治まっている。
あれから、原因とされるストレスが解消できた自覚もないし、疲労感が拭えたわけでもないし、リラックスして過ごせるようになっているわけでもないのだけど・・・
どちらかと言うと、その辺のところは何も改善されていないような気がしており、喜ぶべきか悲しむべきか悩ましいところに立っている。



出向いた現場は、立派な造りのアパート。
その一階一室で住人の男性が孤独死。
死後経過日数は2~3日。
季節は晩春で、遺体の腐敗はそれなりに進んでいた。
それでも、汚損レベルはライト級。
家財も少なく、汚染や異臭もほどほど。
一般の人には大きな難のある部屋だったが、私にとっては特に難のない部屋だった。

依頼者は、不動産管理会社の社長。
そして、このアパートのオーナーでもあった(いわゆる自社物件)。
社長は長年に渡って不動産業を経営。
しかし、管理物件で孤独死・腐乱死体が発生したのはこれが初めて。
何をどうしたらよいのか、何をどうすべきかわからず戸惑っていた。

「この部屋に次に入ってくれる人はいないかもしれない・・・」
「気持ち悪がって、他に出ていく住人がいるかもしれない・・・」
と、社長はヒドく心配していた。
しかし、外にまで異臭が漏洩したり、ハエが窓に張りついたりしたわけでもなく、そんなに悲観的になるような状態ではなし。
私は、社長が冷静になれるよう、もっと深刻な現場でも原状回復させてきた経験を話した。
そして、個人的見解であることを前置きし、人間(生き物)にとって死はごく自然なことであり、過剰に嫌悪することには抵抗感を覚える旨を伝え、
「あまり深刻に考えないほうがいいと思いますよ!」
と、熱っぽく自論を語り、社長を励ました。
しかし、それでも、その表情は晴れず。
何のリスクも負わない私が発する言葉は社長の心に届かなかったのか、残念ながら、その表情は曇ったままだった。


家財生活用品の撤去は後回しにし、とりあえず、私は汚れた布団・衣類とその下の畳を撤去することに。
愛用の道具類を備え、部屋に入った。
そして、軽症の汚腐団をビニール袋に梱包。
更に、その下の畳の隙間にマイナスドライバーを差し込み、両手に力を込めてコジ上げた。
腐敗液のほとんどは敷布団が吸収し、畳の汚染は極めて軽度。
水をこぼしたようなシミが小さくついているくらい。
そこそこの悪臭は放っていたものの、運び出す際に人目を気にしなければならない程の問題はなく、私は「エッサ」と担ぎ上げ「ホイサ」と運び出した。

そうこうしていると、窓ガラスに人影がうつった。
他の部屋の住人だろう、作業の物音を聞きつけて出てきたよう。
目を向けると、年配の男性がガラス越しにこちらを覗きこんでいた。
しかし、「野次馬?」と思った私は、男性を無視して作業を続行。
それでも、男性はいつまでもそこに立って動かない。
そして、再び私と目が合うと、私に向かって軽く会釈。
男性は何か言いたげで、無視するわけにいかなくなった私は、作業の手を止めて窓を開けた。

男性の用件がわからないため、私は、とりあえず、
「クサイですか? うるさいですか? ご迷惑をお掛けしてたらスイマセン・・・」
と頭を下げた。
すると、男性はすぐに、
「いやいや・・・そういうことじゃなくて・・・」
と、顔の前で手を横に振りながら、気マズそうに愛想笑いを浮かべた。

男性は、隣の部屋の住人。
そして、故人の死に最初に気づいたのもこの男性。
きっかけは、あるときからパッタリとしなくなった故人宅の生活音。
それまでは、物音が聞えてくるのが当り前の日常だったのに、ある日を境にそれがまったく聞えなくなった。
男性は、そのことを不審に思った。
と同時に妙な胸騒ぎを覚えた。
そうしてドタバタの末、還らぬ人となった故人は発見されたのだった。

故人と男性は、生前、特別に親しくしていたわけではなく、隣同士ながら、お互いの部屋を行き来したり飲食や外出を共にしたりするほどの間柄ではなかった。
ただ、玄関前で顔を合わせたときは、よく立ち話をした。
お互い、同性・同年代で近しい身寄りもない一人暮らし、時間に大きな余裕と金に少しの余裕がある境遇も似ていて、一身上のことが話題になることも多かった。
自分達の死について語り合ったこともあった。

「ついこの間まで元気にしてたのに・・・アッケなく逝っちゃったな・・・」
男性は、感慨深げにそう言って表情を曇らせた。
そして、それは、故人の人生を儚むと同時に、“自分もそうなるかも・・・”といった不安を抱える表情にも見えた。

「死は避けられないけど、他人に余計は迷惑はかけたくない・・・」
「そうは言っても、最期の世話や死後の始末を頼める人はいない・・・」
と、男性は、故人の最期と自分の行く末を重ねて悩んでいた。
しかし、老いには逆らえないながらも身体は健康そうで、経済的に困窮しているわけでもない。
焦って悲観的になるような状態ではなし。
私は、男性が冷静になれるよう、一般に認知されつつある“終活”をベースに、準備できることはいくつもあることを話した。
そして、個人的見解であることを前置きし、人間(生き物)にとって死はごく自然なことであり、過剰に不安視することは生きている時間を暗くしてしまうことを伝え、
「あまり深刻に考えないほうがいいと思いますよ!」
と、熱っぽく自論を語り、男性を励ました。
しかし、それでも、その表情は晴れず。
何の責任も負わない私が発する言葉は男性の心に届かなかったのか、残念ながら、その表情は曇ったままだった。


ありきたりの言葉だけど、“人生、晴れたり曇ったり”。
風も吹くし、雨も降れば雪も降る。
幼少期以降、雲ひとつない快晴の日なんて“ない”に等しい。
ほとんどの日は、多かれ少なかれ、雲がかかっている。
そして、心が曇ると、生きることが面倒に思えてしまうことがある。
ただ、青空を求める心を持っているからこそ頑張れる。
青空を期待する心を持っているからこそ耐えられる。
青空を信じる心を持っているからこそ上を向くことができる。

月並みに生かされたとしても、私の残人生は10年~20年くらいのものだろう。
誰にも予測できないことだけど、心身メンテナンスの粗さを考えると、到底、平均寿命には届かないと考えている。
だとすると・・・・・終わりは近い・・・・・あともう少し。

私は、時々見える青空を仰いでは、ささやかに笑っている。
また、人生の終わりがくるのを楽しみにしているわけではないけど、終わりがあること、終わりが近いことを頼みに、曇空の下で泣きながらも、粘って生きている。
「思い通りにいかないから人生は面白い」と、一途に自分を励ましながら。


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