特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

曇空の下

2017-02-21 08:50:34 | 特殊清掃
二月も早下旬。
立春を過ぎても、まだまだ寒い日が続いている。
とは言え、私の感覚では、今年の冬は暖かい。
雨(雪)も少なく、青空を仰げる日が多い。
寒いことは寒いけど、例年に比べると穏やかだと思う。
しかしながら、このところ、気分が晴れない日が続いている。
特に悪いことがあったわけでもないのに、身に周りに いいことはたくさんあるはずなのに、漠然とした過去の後悔と現在の不満と将来の不安が心を曇らせている。

例によって、最もキツいのは起床前の朝。
まだ夜も明けきらぬ暗いうちから、重い虚無感・疲労感・倦怠感に襲われて難儀している。
それでも、毎朝、重い身体を引きずり起こし、決めた時間に決めた通り動かす。
そしてまた、重い足を引きずるように、会社に向かって家を出る。
その壁を越えると、少しずつながら、気分は落ち着いてくる。
そして、会社に着く頃には、だいぶフツーに戻っている。
更に、現場に出てしまえば、欝々している余裕(?)もなくなるので、欝気は楽になる(別の意味での苦しさはあるけど)。

コイツとはもう長い付き合いなので、自分がどういう状況に陥っているのか、わりと客観的に把握することができていると思う。
で、その対処法も、いくつか持っているつもり。
しかし、それらを駆使しても、一向に気分は晴れていかない。
虚無感は感性が鈍いせい、疲労感は怠け心のせい、倦怠感は心構えが悪いせい・・・
旧態依然・・・燃えない自分が、強くならない自分が、賢くならない自分が情けなくて、涙が出ることもある。

本当は・・・
もっとポジティブな人間になりたい。
もっと強い人間になりたい。
もっと明るい人間になりたい。
ずっとずっと昔から、そう思っている。
しかし、いつまで経っても変わらない・・・
変わりたくても変われない自分が、ここにいる。

心の調子ばかりでなく、身体にも難があった。
同僚からうつったものと思われるが、先月下旬、A型インフルエンザ(多分)にかかってしまった。
しかも、休めない現場作業が重なり、病院にいくこともできず。
市販の咳止薬と栄養ドリンクを飲みながら、昼間は現場作業に勤しみ、夜はシッカリ御飯を食べ、シッカリ風呂に浸かり、早い時間から布団で休養。
もちろん、晩酌はなし。
それでも、一週間ばかり具合は悪く、なかなかしんどい思いをした。

例の目眩(めまい)は、たまに「?」と思うような軽いフラつきを覚えるくらいで、ほとんど治まっている。
蕁麻疹については、たまに、腰のベルト回り等に怪しい発疹がでることがある。
そして、重症化すると見た目も悲惨で痒みもツラいので、三種の飲薬は常時携帯している。
ただ、幸いなことに、重症化したのは最初だけで、それ以降の発疹は極小規模で治まっている。
あれから、原因とされるストレスが解消できた自覚もないし、疲労感が拭えたわけでもないし、リラックスして過ごせるようになっているわけでもないのだけど・・・
どちらかと言うと、その辺のところは何も改善されていないような気がしており、喜ぶべきか悲しむべきか悩ましいところに立っている。



出向いた現場は、立派な造りのアパート。
その一階一室で住人の男性が孤独死。
死後経過日数は2~3日。
季節は晩春で、遺体の腐敗はそれなりに進んでいた。
それでも、汚損レベルはライト級。
家財も少なく、汚染や異臭もほどほど。
一般の人には大きな難のある部屋だったが、私にとっては特に難のない部屋だった。

依頼者は、不動産管理会社の社長。
そして、このアパートのオーナーでもあった(いわゆる自社物件)。
社長は長年に渡って不動産業を経営。
しかし、管理物件で孤独死・腐乱死体が発生したのはこれが初めて。
何をどうしたらよいのか、何をどうすべきかわからず戸惑っていた。

「この部屋に次に入ってくれる人はいないかもしれない・・・」
「気持ち悪がって、他に出ていく住人がいるかもしれない・・・」
と、社長はヒドく心配していた。
しかし、外にまで異臭が漏洩したり、ハエが窓に張りついたりしたわけでもなく、そんなに悲観的になるような状態ではなし。
私は、社長が冷静になれるよう、もっと深刻な現場でも原状回復させてきた経験を話した。
そして、個人的見解であることを前置きし、人間(生き物)にとって死はごく自然なことであり、過剰に嫌悪することには抵抗感を覚える旨を伝え、
「あまり深刻に考えないほうがいいと思いますよ!」
と、熱っぽく自論を語り、社長を励ました。
しかし、それでも、その表情は晴れず。
何のリスクも負わない私が発する言葉は社長の心に届かなかったのか、残念ながら、その表情は曇ったままだった。


家財生活用品の撤去は後回しにし、とりあえず、私は汚れた布団・衣類とその下の畳を撤去することに。
愛用の道具類を備え、部屋に入った。
そして、軽症の汚腐団をビニール袋に梱包。
更に、その下の畳の隙間にマイナスドライバーを差し込み、両手に力を込めてコジ上げた。
腐敗液のほとんどは敷布団が吸収し、畳の汚染は極めて軽度。
水をこぼしたようなシミが小さくついているくらい。
そこそこの悪臭は放っていたものの、運び出す際に人目を気にしなければならない程の問題はなく、私は「エッサ」と担ぎ上げ「ホイサ」と運び出した。

そうこうしていると、窓ガラスに人影がうつった。
他の部屋の住人だろう、作業の物音を聞きつけて出てきたよう。
目を向けると、年配の男性がガラス越しにこちらを覗きこんでいた。
しかし、「野次馬?」と思った私は、男性を無視して作業を続行。
それでも、男性はいつまでもそこに立って動かない。
そして、再び私と目が合うと、私に向かって軽く会釈。
男性は何か言いたげで、無視するわけにいかなくなった私は、作業の手を止めて窓を開けた。

男性の用件がわからないため、私は、とりあえず、
「クサイですか? うるさいですか? ご迷惑をお掛けしてたらスイマセン・・・」
と頭を下げた。
すると、男性はすぐに、
「いやいや・・・そういうことじゃなくて・・・」
と、顔の前で手を横に振りながら、気マズそうに愛想笑いを浮かべた。

男性は、隣の部屋の住人。
そして、故人の死に最初に気づいたのもこの男性。
きっかけは、あるときからパッタリとしなくなった故人宅の生活音。
それまでは、物音が聞えてくるのが当り前の日常だったのに、ある日を境にそれがまったく聞えなくなった。
男性は、そのことを不審に思った。
と同時に妙な胸騒ぎを覚えた。
そうしてドタバタの末、還らぬ人となった故人は発見されたのだった。

故人と男性は、生前、特別に親しくしていたわけではなく、隣同士ながら、お互いの部屋を行き来したり飲食や外出を共にしたりするほどの間柄ではなかった。
ただ、玄関前で顔を合わせたときは、よく立ち話をした。
お互い、同性・同年代で近しい身寄りもない一人暮らし、時間に大きな余裕と金に少しの余裕がある境遇も似ていて、一身上のことが話題になることも多かった。
自分達の死について語り合ったこともあった。

「ついこの間まで元気にしてたのに・・・アッケなく逝っちゃったな・・・」
男性は、感慨深げにそう言って表情を曇らせた。
そして、それは、故人の人生を儚むと同時に、“自分もそうなるかも・・・”といった不安を抱える表情にも見えた。

「死は避けられないけど、他人に余計は迷惑はかけたくない・・・」
「そうは言っても、最期の世話や死後の始末を頼める人はいない・・・」
と、男性は、故人の最期と自分の行く末を重ねて悩んでいた。
しかし、老いには逆らえないながらも身体は健康そうで、経済的に困窮しているわけでもない。
焦って悲観的になるような状態ではなし。
私は、男性が冷静になれるよう、一般に認知されつつある“終活”をベースに、準備できることはいくつもあることを話した。
そして、個人的見解であることを前置きし、人間(生き物)にとって死はごく自然なことであり、過剰に不安視することは生きている時間を暗くしてしまうことを伝え、
「あまり深刻に考えないほうがいいと思いますよ!」
と、熱っぽく自論を語り、男性を励ました。
しかし、それでも、その表情は晴れず。
何の責任も負わない私が発する言葉は男性の心に届かなかったのか、残念ながら、その表情は曇ったままだった。


ありきたりの言葉だけど、“人生、晴れたり曇ったり”。
風も吹くし、雨も降れば雪も降る。
幼少期以降、雲ひとつない快晴の日なんて“ない”に等しい。
ほとんどの日は、多かれ少なかれ、雲がかかっている。
そして、心が曇ると、生きることが面倒に思えてしまうことがある。
ただ、青空を求める心を持っているからこそ頑張れる。
青空を期待する心を持っているからこそ耐えられる。
青空を信じる心を持っているからこそ上を向くことができる。

月並みに生かされたとしても、私の残人生は10年~20年くらいのものだろう。
誰にも予測できないことだけど、心身メンテナンスの粗さを考えると、到底、平均寿命には届かないと考えている。
だとすると・・・・・終わりは近い・・・・・あともう少し。

私は、時々見える青空を仰いでは、ささやかに笑っている。
また、人生の終わりがくるのを楽しみにしているわけではないけど、終わりがあること、終わりが近いことを頼みに、曇空の下で泣きながらも、粘って生きている。
「思い通りにいかないから人生は面白い」と、一途に自分を励ましながら。


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生きじまい

2017-01-17 08:10:18 | 生前相談
ある年の晩秋、空気が涼から冷に変わりはじめた頃。
私は、都会の喧騒遠い閑静な住宅地に建つ依頼者宅を訪れた。
依頼者は、高齢の女性。
病気を患っており、病院や老人施設を転々としながらの療養生活。
依頼の内容は、家財生活用品の処分・・・いわゆる生前整理について。
老いには逆らえず、身体は徐々に弱まっており、人生をしまう仕度をしようとしているのだった。

女性宅のエリアは、区画整理された住宅地。
だいぶ前の分譲地で、一帯は古い建物ばかり。
しかも、人影や車の通りもなく、寂しい雰囲気。
その中にある女性宅は、一段と寂れた様相。
庭や外周の手入れも行き届いておらず荒れ気味で、また、建物のメンテナンスもキチンとされておらず。
空き家っぽい雰囲気・・・生活の体温が感じられない冷えた佇まい(たたずまい)で、周囲の家とは趣を異にしていた。

私は、指定されていた時刻ピッタリにインターフォンをプッシュ。
すると、玄関ドアの向こうから「どうぞ~」と声が聞えてきた。
その返事を“入って来て下さい”の意と汲んだ私は、「こんにちは~・・・」とドアを引き、「失礼しま~す・・・」と玄関に足を踏み入れた。
そして、近づいてくるスローな足音を聞きながら、女性が出てくるのを待った。

女性は、ゆっくり ゆっくり、一歩一歩が前に出ているか確かめるように歩いてきた。
老齢病弱ということは先に聞いていたので、そのスローペースにも特に違和感は持たなかったが、女性は気になるものを身に着けていた。
それは、何かのボンベらしきものがついた機材。
そして、そこから伸びた管が鼻孔につながり固定されていた。
女性は、キャスター付のそれを傍らに引きずりながら出てきたのだった。

女性は特に苦しそうにしていたわけではなかったが、その装置は見た目に重々しく、それだけで、その場の雰囲気は重苦しいものになった。
が、女性はそんな私の小驚など気にもせず、やや苦しそうに息をしながらも丁寧な言葉で私を居間に招き入れ、ソファーに座るよう促した。
そして、
「病院からの一時帰宅なものですから、何のお構いもできなくてスミマセン・・・」
「買ってきたもので申し訳ないんですけど、どうぞ・・・」
と、傍らのレジ袋からペットボトルのお茶を出し、私の前に置いてくれた。

いつもの私なら、
「どこを悪くされているんですか?」
「それは何のための機械なんですか?」
等と、余計なことを根掘り葉掘り訊いていくのだが、医学に見識のない私でも、その病気が軽いものではないことは察せられた。
しかも、治る見込みも低そうに見えたため、私は、女性の病気や機材については何も触れなかった。
そして、その後、女性の口からは、“病気について触れなくてよかった”と思うような話が出てきたのだった。


女性には夫がいたが、その夫は数年前に先逝。
家族としては息子が一人いるのだが、息子のほうも重い病気と障害を負っており、長く施設で生活。
将来、社会にでて自立生活できる可能性は、極めて低かった。
となると、女性がいなくなった後、もうこの家は用なしに。
しかも、土地家屋や家財を置いたまま逝った場合、息子に負担がかかってしまう。
しかし、女性の身体は衰えるばかり。
生前にどうにもできないことは息子の成年後見人に頼むとしても、頭がシッカリしているうちに、身体が動かせるうちに家財を始末し、残して逝く息子のために家を金に換えておこうと算段。
そして、その一助になればと、私が呼ばれたのだった。

愛着ある品々も、想い出がタップリ詰まった家も、天国に持って行くことはできない。
それは、誰にだって、すぐわかること。
しかし、実際にそれを手放すとなると、なかなか理屈通りにはいかない。
懐かしい想い出や深い思い入れが邪魔をする。
それが、自分の死をリアルに悟れない時期であるなら尚更。
しかし、女性は、自分の死をリアルに想像していた。
そう遠くない将来にやってくるであろうこと悟っていた。
だから、自分の持ち物を始末することについて迷いはなく、感銘を受けるほど潔かった。

「もう、この家には、二度と戻ってくることはないでしょうから・・・」
「苦労は色々ありましたけど、過ぎてみると人生なんて短かいものですね・・・」
「もうじきこの人生が終わると思うと、寂しい気がしますよ・・・」
「楽しくないことが多くても、それでも、人生は楽しいものですね・・・」
少し前の女性が複雑な心境であったことは、容易に察せられた。
特に、病弱な息子を残して逝かなければならないことを思うと、胸が張り裂けそうになったかもしれない。
しかし、その類のことは相当の覚悟をもって片づけたのだろう、この時の女性は、穏やかな笑みを浮かべていた。
そして、外見は老い衰えた女性だったけど、その内面は、生気にも似た輝きを放っていた。

そこには、死を受け入れざるを得ない者の弱さと、終焉の閑寂があった。
死を覚悟した者の強さと、人生の輝きがあった。
そして、私にとっては、そのことを決して他人事として済ませてはいけない機会があった。
私には、とてもその境地に至ることはできなかったけど、できるかぎり自分に当てはめてみたかった。
銭金のためにやっている仕事だけど、銭金では買えないものを手に入れたかった。
せっかくの自分の人生、せっかくの人の死。
後悔の念にとらわれながらも 頑張っている仕事、人生の多くの時間を費やし 続けている仕事なのだから。



2015年の日本人の平均寿命は女性87.05歳、男性80.79歳で、いずれも過去最高を更新したとのこと。
うちの会社には「エンゼルケア事業部」という遺体処置(死後処置、死化粧、身体の清め、着せ替え、納棺など)を担う部署がある(かつて、私もここに所属していたこともあったけど、近年は「ライフケア事業部」いう部署に所属して活躍?している)。
そこで扱う遺体の多くは、やはり70代・80代の故人。
もちろん、もっと高齢の人もいるし、もっと若い人もいるけど、上数値を反映して高齢者が多い。

もちろん、皆、赤の他人。
見ず知らずの人、生前の縁は皆無。
だから、これといった情もなく、悲哀を感じることもない。
ただ、
「一人一人の人生が終わっていってるんだな・・・」
しみじみそう思う。
そして、
「俺の人生も終わりに向かってるんだよな・・・」
と、再認識する。

また、仕事のせいか性質のせいか、私は、
「“死”というものを想わない日はない」
と言っても過言ではないくらいの毎日を送っている。
「俺、死ぬんだよな・・・」
しみじみと そう想い、同時に不思議にも想う。
また、街の雑踏を眺めながら、
「この人達、いつか皆 死んでいなくなるんだよな・・・」
と現実的かつ不気味なこと?を想う。

生と死は常に隣あわせで、死の機会は、老若男女を問わず、万民平等。
すべての死は不可抗力。
この摂理は、多くの人が知っている。
しかし、平均寿命というデータによって、一般的には“若者より高齢者のほうが死に近い”と考えることが多い。
しかし、あくまで、それは全体的・相対的な数値。確率の問題。
人間個々で考えると、まったく当てはまらない。
幼少・若年で亡くなる人も多くいるわけで、だからこそ、“人生の終わり”を意識すること、考えることは、誰にとっても必要なことなのである。

“死”に教わること、“死”に気づかされることってたくさんある。
が、“死”というものは、かなりデリケートなもの。
揚々としたときには怖れ、欝々としたときには憧れたりもする。
人生を輝かせる遠因にもなれば、暗くする原因にもなる。
そして、“死”それ自体は、なかなかポジティブに捉えられるものではない。
そこから派生する思想や価値観は、容易にポジティブなものになりうるけど、死そのものはそうならない。
未知の恐怖、消滅の寂しさ、有限の切なさ、無力の虚しさ等、ネガティブなものが多く浮かんでくる。
気分の位置によっては、悲観的・短絡的な志向に傾いてしまうから難しい。

老齢や病など、自分の死をリアルに悟る時がきたとき、どういう心境になり、そういう心情になるだろう。
何を考え、何を想うだろう。
悲哀か、緊張か、恐れか、未練か、寂しさか、虚しさか、後悔か、諦めか・・・
それとも、笑顔の想い出か、安堵か、平安か、希望か・・・
そして、何をするだろう。
慌てて遺言を書くか、焦って生前整理をするか、別れを告げに誰かに会いに行くか、懐かしの地を訪れるか・・・
それとも、お金も人目も気にせず、楽しみに興じるか・・・
具体的には想像するのは難しいけど、理想は、穏やかな笑みを浮かべながら生きてきた道程を回顧し、また、天国に希望をもつこと。

死に対してどう向き合うか、どう備えるか、答をだすのは簡単ではない。
生きることとどう向き合うか、どう生きるか、それも同じ。
死を想うことは、生の力を削ぐものではない。
死を想うことは、生を力づけること。
死の準備は時間の密度を上げる。
そして、自分の人生を熱くするエネルギーが宿る。

“死を想いながら生きること”は、“人生を充実させること”“力強く生きること”の基となる。
本ブログにもしつこく書いているけど、私は、それを愚弱な自分に訴え続けていこうと思っている。
人生をしまう日がくるまで。


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難儀談義

2017-01-10 08:44:20 | 特殊清掃
「全滅・・・」
汚腐呂の扉を開けた私は、呆然と立ち尽くした。

賃貸マンションの浴室で住人が死亡。
そして、そのまま約一ヵ月が経過。
故人(遺体)は、湯(水)に浸かったまま溶解し白骨化。
浴槽には、暖色の腐敗粘土が大量に溜まり、底は見えず。
また、遺体(遺骨)が引きずり出された痕の汚染も残留。
更に、発生した虫によって侵された天井・壁・洗場は原色をとどめておらず。
黒茶・黄色・緑色に変色し、夜空に輝く満天の星のごとく(表現がミスマッチ?)涌いたあとの虫殻も無数に付着していた。

悪臭は浴室内にとどまらず、部屋全体に充満。
しかも、部屋死亡の腐敗臭に比べて風呂死亡の腐敗臭は生臭さが強い。
それは、玄関を開けただけで「風呂死亡」とわかるくらい。
さすがに、私は、吐気をもよおすことはなくなったけど、慣れていない人だと吐くかもしれない(慣れている一般人なんていないけど)。
空気を肺に入れたくなくなるような、何とも不快な臭気なのである。

故人に身寄りはなし。
賃貸借契約を保証したのは個人ではなく保証会社。
そして、家財生活用品の撤去処分はそこが担うことになっていた。
が、保証会社から委託されて出向いた業者の作業員は、あまりの臭いと凄惨な光景にダウン。
特殊清掃・消臭消毒なくして撤去作業を行うことは不可能と判断。
そこで、管理会社を通じたやりとりが行われ、私が出向くことになったのだった。

腐乱死体現場なんて、一般の人が具他的に想像できるものではない。
だから、大家は、この風呂も掃除をすれば復旧できると考えていた。
もちろん、それが可能な場合もある。
しかし、この風呂はかなりの重症。
私が言うところの“スーパーヘビー級”。
各所にシミや変色が残る可能性が高いし、何より、悪臭が残留する可能性が高かった。
妙な変色や、何となくでも異臭を感じる風呂を誰が使いたがるだろうか・・・家賃を格安にすればどうかわからないけど、通常なら、好んで入居する人はいないはず。
とりわけ、遺体が一ヶ月も放置されていた風呂なんて、通常、掃除したくらいでは使いものにならない。
設備の交換(解体撤去と新設)が必要となる。
その他の改修や修繕を含めると相応の費用がかかる。
賠償を求める相手がいない上、保険もきかなければ、原状回復工事にかかる費用はすべて大家負担になる。
それを避けるため、掃除だけで部屋を原状回復させようと考えるのは自然なこと。
しかし、現実的にそれはかなり難しい。
私は、後々トラブルになっては困るので、“原状回復を保証するものではない”ということを重々承知してもらった上で、特掃を請け負った。
そして、作業前の現場を、画像や人聞きの話とかではなく、直接 自分で確認してもらうことも要望した。

別の日。
私は、大家と現地で待ち合わせた。
はやり、大家は、腐乱死体現場を具体的に想像できていなかった。
もちろん、具体的に想像しようがないのだけど、それを言葉で理解させるのは難しい。
もっと言うと、画像でも肝心なところは伝わらない。
半透明の脂やゴマ粒大の虫殻は画像には写らない。
また、画像では、汚物や汚染の重量感や質感はまったく伝えられない。
凄まじい悪臭も、まったく表すことができない。

大家は、相当に困惑。
部屋を原状回させるには、相当の費用がかかる。
そして、それを請求する相手がいない以上、自己負担になる。
さらに、新たに入居者を募集する場合、地域の相場より家賃を下げる必要がある。
それでも、人が入る保証はどこにもない。

不動産賃貸業を営むうえのリスクは色々あるけど、一般的に気にするのは、空室率や家賃の滞納くらい。
ゴミ部屋、ペット部屋、住人の孤独死や自殺、その後の腐乱等々、部屋に重汚損が生じるリスクはあまり想定されていない。
しかし、現実には、そう珍しくないことなのである。

「まさか、自分の身にこんなことが起こるとはね・・・」
大家は、不愉快そうにそう言いながら、気休め程度の効果しかない紙マスクをつけた。
そして、私が引き開けた玄関ドアから、恐る恐る室内をのぞき込んだ。
その瞬間、言い表せぬほど不快な悪臭が大家の鼻を突いた。
と同時に、大家は仰天の表情を浮かべ、一歩・・・二歩・・・とジリジリ後退していった。

「うぁぁ・・・」
大家は、自分が これまでの人生で体感した最も臭いニオイを想像して来たのだろうが、実際のニオイは、それをはるかに超越。
それまで嗅いだことのない悪臭、想像を絶する悪臭を受け、大家は、掃除くらいではどうにもならないことを理解したよう。
想像もしていなかった災難に顔を曇らせ、消沈した。

「写真で見たほうがいいかな・・・」
あまりの悪臭にショックを受けた大家は、中に入ることを躊躇。
無理矢理 浴室を見せて精神を害されては困るし、そもそも責任がとれない。
私は、一人で中に入り、ケータイに写真を数枚撮影。
そして、顔を顰め(しかめ)ながら私の説明を聞く大家に、それを一枚一枚みせた。

「もう、この部屋は諦めます・・・」
結論はすぐにでた。
頭で計算しただけで判断できたよう。
改修工事代を家賃で回収するには何年もかかる。
しかも、家賃を地域相場よりも安くしなければならないし、それで人が入居する保証もない。
つまり、高額な費用をかけるだけのメリットが見出せないわけ。
これによって、空室率は一部屋分上がってしまうけど、全体の空室率や築年数(経費の償却)を勘案すると飲み込める範囲の負担で治められる算段だった。

「最低限 必要なことをお願いします・・・」
幸い、この件で、出て行った住人もいなければ、出て行きそうな住人も見受けられず。
だからと言って、先はどうなるかわからず、汚部屋のまま放置するのは得策ではないことは、大家の目にも明らか。
したがって、他に住人に出ていかれないための処理・・・浴室の特掃、消臭消毒、家財撤去まで行い、その後はクローズすることに。
その方針が定まると難儀なプレッシャーから開放されたのだろう、暗くなっていた大家も少しは明るさを取り戻した。

しかし、難儀だったのはそれから。
私にとって、本件のメインイベントは浴室の特掃。
そう大袈裟なことを言っても、作業自体は単純。
掬い取る、削り取る、拭く、磨く、洗う・・・その繰り返し。
高等の技術や相当の体力が要るわけではない。
ただ、対象が遺体系汚物であり、汚染は重度であり、恐ろしい悪臭と人の死が充満する中での作業であるところが並の掃除とは異なる。
根性とか忍耐力とかがどれだけ要るものかわからないけど、酷な作業であることに間違いはない。
だから、さすがの?私も気分が重くなった。
それを少しでも軽くするために、その日が来るまでに現場の画を思い出し、作業手順を何度もシミュレーション。
「余計なことを考えず、一つ一つ片付けていこう」
「たった数時間の辛抱!」
と自分を励ました。

実際の作業も予定通り進行。
ただ、予想通り、楽な作業にはならなかった。
予想通りに身体は汚れ、予想通り身体は臭くなり、予想通り気分は浮かなかった。
が、故人のことを想うと、次第にそれも気にならなくなった。
死を予期できないのは不可抗力であり・・・
浴室死亡の場合、故人は苦しむことなくポックリ逝った可能性が高く・・・
のんびりと温かい湯に浸かり、バスタイムを気持ちよく過ごしたように思え・・・
そんな最期の様が、現場の凄惨さを中和してくれ、精神面で私を助けてくれたのだった。


毎年のこととはいえ、このところ陰鬱な気分に苛まれている。
それでも、昨年までは、たいして重症ではなかったが、元旦の朝以降、症状は深刻に。
疲労感、虚無感、倦怠感etc・・・特に、朝目覚めてから仕事に行くまでがキツい。
何か因果関係があるのだろう、とりわけ、酒を飲んだ日の翌朝は重い。
だったら飲まなきゃいいのだけど、肉体労働に勤しんだ日や嬉しいことがあった日とかは飲みたくなる。
休肝日にしていない日は、その辺の葛藤を経て飲んだり飲まなかったり・・・
そうして、朝になると、自分の愚かさや自分の弱さを悲しく思いながら、自分の愚かさや自分の弱さに腹を立てながら、重い身体を引きずり起こすのだ。

思い起こされるのは三年前の冬。
症状は今よりもっと深刻で、発狂しそうなほど苦しんだことを憶えている。
寒いのに身体は熱く、脂汗でジットリ。
身体を動かしているわけでもないのに息は荒く、頭は朦朧(もうろう)。
横になっていることもままならず、布団に正座した状態で上半身を前に倒し、頭を抱え込んだまま起き上がらなければならない時がくるのを待つような始末だった。

人生において、日常の生活において、軽いものから重いものまで悩みや苦しみはいくらでもある。
もちろん、それらを喜んで受け入れることはできない。
できることなら、無縁でいたい。
それでも、“それらも人生を彩る味わいの一つ”と認めることができている。
ただ、心底で開き直れない自分がいる。
無力と知りつつ抗(あらが)おうとする自分がいる。
そして、それが、新たな苦悩の生んでしまう。

以前、親しい知人に「気難しい」と評されたことがある。
自分でも心当たりが充分にあるため、私をよく知る人にならそう思われても仕方がないと思う。
しかし、「それが俺」と開き直ったり、諦めたり・・・
そういうことだけは すぐ開き直ったり諦めたりできる私・・・
そのクセ 気が難しくなるようなことは、いつまでも思い悩まずにいられない・・・

そんな難儀な性格に難儀している私は、それを憂いて泣きつつも、それを味わい笑っているのである。


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幸せのドン底

2017-01-04 09:19:25 | その他
2017謹賀新年。
古来より何ら変わることがないスピードで時は過ぎ、また新たな年が明けた。
そして、正月三が日も終わり、街は祝の余韻を残しながら乾いた日常に戻りつつある。

世の中には、私のように、年末年始関係なく働いた人もいれば、休暇を楽しんだ人もいただろう。
そして、晴々した気分で仕事始めを迎えた人もいれば、欝々とした気分で仕事始めを迎えた人もいるだろう。
私の場合、元旦の朝、快晴の空とは裏腹にちょっと欝っぽくなってしまった。
寒いはずなのにジットリと脂汗がでて、夜が明けることに疲れを覚えた。
長年の付き合い・・・慣れた症状とはいえ、なかなかしんどいものがある。
何はともあれ、こうして新年を迎えることができたことに感謝!感謝!

そんな年末年始、多くの人が財布の紐をゆるませたことだろう。
私の財布の紐も少しはゆるんだけど、ほんの少しだけ。
質素倹約生活が身に滲みついているため、そんなに出費はかさまなかった。
また、仕事柄、複数日の旅行や遠出のレジャー等に出かけられないわけで、それも出費が抑えられた要因になっていると思う(嬉しいような、嬉しくないような・・・)。

とにもかくにも、お金は、得難く、使い易いもの。
気を抜いていると、アッという間に、しかも無尽蔵になくなっていく。
だから、細かいところも意識して、質素倹約を心掛ける必要がある。
いい年した社会人のクセに、一円もお金を遣わない日だってザラにある。
自分で言うのもなんだけど、その倹約ブリ(ケチぶり)は自慢してもいいくらいのレベルだと思う。
だけど、バカ丸出しになってしまうから、あまり細かな話は差し控える。

私の場合、日常生活では、口に入れるもの(飲食料費)に費やすコストが他のコストに比べて圧倒的に多い。
もちろん、飲食しないと身体を維持できないわけだから、これは、必要経費として仕方がない。
しかし、その中身を工夫することはできる。
そして、それがもたらす節約効果は、他のモノに比べるとかなり大きい。

ただし、食欲を満たすこと、“飲む”“食べる”という行為は、大きな幸せの一つ。
これを犠牲にすることは生きる楽しみを削ぐことにもなる。
そうは言っても、不摂生は、経済的にも身体的にも害となり、場合によっては精神まで害する。
不摂生もよくなければ、過度の摂生もよくない。
自分にとって最良と思われる芯を見出して、それを軸に生活するのが肝要だと思う。

私の場合はこんな感じ・・・
原則として、定価売りのコンビニや自販機は利用しない。
また、スーパーとかに行っても、目的のモノ以外は買わない。
誘惑も多いし、ついつい買ってしまいそうになるから、目的外のモノは見もしない。
飲食料については、安いモノ、安い店を探して、まとめ買いする。
その他の買い物も、ほとんど生活必需品のみとし、余計なモノは買わない。
酒は「余計」と言えば余計だけど、安い国産ウイスキー(味は充分に美味い)で済ませている。

「質素倹約」「節約生活」と聞くと、すぐに「我慢」「忍耐」「ストレス」といったものが思い浮かぶかもしれない。
しかし、ほとんどストレスは感じていない。
それどころか、「充実感を感じる」というか、「軽快さを感じる」というか、意外と快適。
私が“筋金入りのケチ”だからそう感じるのかもしれないけど、結構 楽しいものだったりしている。
また、金銭的メリットだけでなく、結果的にカロリーの過剰摂取リスクも低減でき、適正体重維持にも貢献。
まさに、一石二鳥・三鳥。
ま、こんな小器生活は、人にバカにされるかもしれないし、女性にはもてないだろうけど、誰かに迷惑をかけているわけでもないから、堂々と続けている。

常日頃はそんな私だけど、この正月はちょっと贅沢をした。
昨年12月上旬、ひいていた風邪が治りかけた頃 無性に飲みたくなり、いつまでたってもそれが治まらなかったため、超久しぶりに にごり酒と清酒を買ったのだ。
しかし、ウイスキーに比べると、清酒・にごり酒はかなりコスパが悪い。
また、糖質も気になる(“日本酒の糖質問題に科学的根拠はない”という説もあるが・・・)うえ、私の体質だと、蒸留酒に比べて翌日まで残るリスクが高いのである。
だから、ここ何年か飲むのは控えていた。

「飲みだしたらキリがない・・・金の無駄・・・」
「ウイスキーで充分じゃないか! 我慢! 我慢!」
私は、自分なりに一生懸命 自制心を働かせて、誘惑に負けて店に向かおうとする足を何度となく止めた。
しかし、そんなことが何度か続くと、自制心も疲弊してくる。
「普段は質素倹約に努めているわけだし・・・借金して買うわけじゃないし・・・正月くらいいいかな・・・」
と、徐々に挫け(くじけ)はじめた。
そして、結局、誘惑に負けてしまった。
ちなみに、にごり酒も清酒も、自分が気に入っている銘柄がある。
それぞれ違う店で売っているのだが、誘惑に負けた私は、
「今年もがんばったし、来年もがんばんなきゃいけないんだから・・・」
と開き直り、時間も手間も惜しまず いそいそと買いに出掛けたのだった。

何年ぶりかに飲むそれは、ニヤけてしまうくらいの美味。
だから、少しずつ飲めば長く楽しめるものを、どうしても多く飲んでしまう。
大晦日の夜も、自分なりに ささやかな贅沢を楽しんだわけだけど、やはり飲みすぎてしまった。
そして、それが翌朝にまで残り、若干 二日酔い気味に。
で、それが欝を重くさせる一因となってしまったのだった。


そんな感じで精神や身体に不具合を起こすことが少なくない私。
とりわけ、昨年は、体調を崩しまくった。
蕁麻疹や目眩など、初めて経験する不調もあり、ちょっとビビッたりもした。
それでも、私は、これまで、大病を患ったり、大ケガを負ったりしたことはない。
救急車に乗ったことも、病院に入院しなければならないくらいの重症に陥ったこともない。

別な視点で見ると、贅沢な暮らしはできないながらも、喰うに困っているわけでもない。
もう何年も、一般的な生活を維持できるくらいの糧を得ることはできている。
お金があっても物がなければどうにもならないけど、衣食住、日常生活に困らないくらいの物資にも恵まれている。

にも関わらず、心に湧いてくるのは、後悔・不満・不安ばかり。
人生は思い通りにならないことが常であることを悟ったつもりでいても、所詮、それは心底からでたものではなく、自分で外側だけを拵えた(こしらえた)作り物。
だから、鬱憤はシッカリたまっていく。
そして、それらは、
「幸せを感じることが少ない」
「不幸というほどでもないけど、幸せではない気がする」
等といった、漠然とした不幸感となって心を覆う。

確かに、生活をしていく上で、仕事をしていく上で大変なことはたくさんある。
時には、逃げ出したくなるような現実が、目の前に立ちはだかることもある。
悩みや苦しみは尽きることがない。
そして、それは、自分が不幸の中にいるような、そして、そのドン底に落ちていくような錯覚を覚えさせることも多い。

そんな私は、一体、どこにいるのだろうか・・・
本当に不幸の中にいるのか? 不幸のドン底に落ちているのか?
・・・そんなことはないはず。
私は、不幸の中にいるのではない。
社会的に、経済的に低いところにいても、不幸の中にいるのではない。
少なくとも、不幸の中ではなく、幸せの中にいるはず。
幸せを感じられることが皆無なわけではないし、また、目の前、身の回りには、数え切れないほどの幸せがあるのだから。

問題なのは、不幸に敏感で、幸せに鈍感である私の心。
幸せがあることに気づかない、幸せに気づけない私の心。
皮肉なもので、私の心は、幸せを欲しながらも不幸の種ばかりを集めてしまう性質がある。
そればかりに気が向き、そればかりに気をとられる性質がある。
それをバラバラに壊して、つくり直すことができればどんなにいいか・・・


始まったばかりの2017年。
今年も、色々と大変なことがあるだろう。
凄惨な光景に顔を歪める日々が待っているだろう。
過酷な作業に涙汗をかく日々が待っているだろう。
そして、相も変わらないことに苦悩することだろう。
楽に生きさせてはもらえなそうだけど、それでも、こうして自由な意志をもって生きていられることは幸せなこと。

ケガや病を抱える人や、心身に障害を持つ人と比べるつもりはないけど、私には、考えられる頭があり、見える目があり、聞える耳があり、話せる口があり、持てる手があり、歩ける足がある。
貧困にあえぐ人と比べるつもりはないけど、私には、生活の糧となる仕事もある。
何気ないことかもしれないけど、これは、とても幸せなこと。

地には春夏秋冬それぞれの美が現れ、空には晴曇雨雪それぞれの趣がうまれる。
浮世には人それぞれの愛が現れ、社会には人それぞれの機微がうまれる。
ありきたりのことかもしれないけど、これらが与えられていること、感じられることもまた幸せなこと。

贅沢な暮らしができるに越したことはないかもしれない。
しかし、質素倹約生活にも それなりの楽しさがある。
贅沢暮らしでは味わえない美味がある。
それと同じように、苦労多き人生の中にも幸せはある。
私の心が、それにどう気づいていくか・・・
そして、残り少なくなってきた人生をどう楽しんでいくか・・・

私は、“幸せのドン底”にある自分の心を少しでも上にもっていくため、目の前にある幸せを、身の回りにある幸せを、一つ一つ数えているのである。


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無才凡人

2016-12-31 09:01:13 | 生前整理
「怪しそうな人が来るんじゃないかと思ってました・・・」
依頼者の女性二人は、そう言って、気マズそうに笑った・・・・・


知人を介して、現場の調査依頼が入った。
依頼の内容は遺品処理の見積り。
訪れた現場は、郊外の住宅地に建つ古いマンション。
依頼者は、二人の初老女性。
二人は姉妹で、亡くなったのは二人の姉、三姉妹の長姉。
間取りは一般的な3LDK。
一人で暮すには広すぎるくらいの部屋だったが、夫に先立たれ子がなかった故の一人暮らしだった。

故人は老齢となった頃、癌を罹患。
ただ、高齢者特有の病状で、その進行はかなり遅く、病とは長い付き合いとなっていた。
そうは言っても、病状は少しずつ進み、晩年は、ほとんど病院生活。
そんな故人は、自分の死期を悟り、少しずつ家財を片付け始めた。
それは、“自分の後始末はできるだけ自分でしたい”との意志と、“残される親族の負担を少しでも軽くしておきたい”との配慮からくる故人なりのケジメだった。
だから、残された家財の量も多くはなく、室内は生活感がないくらい整然としていた。

それでも、自分が生きているうちにすべてを片付けることは不可能。
夫も子もない故人にとって後始末を頼めるのは二人の妹だけで、故人は、死後の後始末を二人の妹に託した。
しかし、そんな二人も老齢で、しかも未経験のこと。
何をどうすればよいのかよくわからず、遺品の処分は二人の手に余った。
が、自分達がよくわからないことを見ず知らずの人間に頼むのは不安がある。
また、精一杯の終活をして逝った姉を悲しませぬよう、事はトラブルなく処理したい。
かと言って、信頼をもって頼めそうな知人もいない。
そこで、人づてに私との接点が生まれたのだった。

昨今は、「消費者契約法」などという法制が必要になるくらい物騒な世に中になっている。
二人が、何を不安に思い、何を心配しているのか、だいたいの想像はついた。
それは、「自分達が老齢の女性であることをいいことに、無茶な契約を結ばされるのではないか?」「いい加減な仕事をされるのではないか?」ということ。
そのため、見ず知らずの人間ではなく、知人を介して頼める人間を探したわけ。
それでも、二人は用心深く、私に対して強い警戒心を抱いているようで、私が穏やかな雰囲気を醸しながら挨拶をしても表情と態度は硬く、それは、中年男のつくり笑顔くらいで崩れるようなものではなかった。

二人が、私の仕事やそれに従事する人間についていい印象を持っていないのは明らかだった。
ある意味で職業に貴賎はないが、ある意味では、職業に貴賎はある。
努力・忍耐とは縁のない、低学歴で無教養の無才凡人が行き着く仕事・・・
自堕落な無才凡人が、職を転々とした挙句に行き着く仕事・・・
そんな印象を持っていたのではないかと思う。
そして、それは、あながち間違っていないと思う・・・残念ながら。

私の仕事に対して持たれる印象やイメージに“偏見”を感じることは少ない。
「それは偏見だ!」と非難したいところけど、実のところ事実であることが少なくないから。
「儲かる」「稼げる」といった金銭がらみの偏見は事実に反するけど、従事している人間の人格・キャリア・能力・資質などは「世間の偏見≒事実」である。
この仕事は、世間(人)からは、“いいイメージは持たれない=悪いイメージを持たれやすい”のである。

先入観が沸く心や偏見をもって見る目は、誰かに備えつけられたものでもなく、誰に押しつけられたものでもない。
それは、生来の人間が持って生まれた性質、人が抱く素直な気持ち。
もちろん、それらを受ける当事者(私)にとって愉快なことではない。
だけど、憤るほどのことでもなければ、非難するほどのことでもない。
私だって、先入観をもち、偏見で人や物事を見ることはあるから。

私は、それを受け入れつつも、そのマイナスイメージをプラスに転じようと努力する。
丁寧な言葉をつかい、礼儀をわきまえ、態度や表情にも注意をはらう。
名刺もキチンとしたものを持ち、資格に裏打ちされた知識も駆使する。
現場を流しているから仕方がないときも多いけど、それなりに身だしなみにも気をつける。
業務上で酷い格好になってしまったときは、
「作業をやってきたものですから、汚い格好でスミマセン」
と、最初の挨拶に一言つけ加える。
事前印象はマイナスでも、第一印象でプラマイゼロまでもっていき、作業完了までにプラスに転じることができればいいと思っている。


家財の少ない3LDKを見るのに、そんなに時間はかからず。
一通りの検分を終えた私は、すすめられるままリビングのダイニングチェアに腰を降ろした。
お茶をすすめられたものの、そこに雑談を挟むような和やかな雰囲気はなく、私は、必要な作業の内容と費用を事務的に説明。
そして、業務上の質疑応答を二~三度繰り返して、とりあえずの話を終えた。

営業上は契約を勧める必要があったのだが、二人は、押し売られることを最も警戒しているはず。
それを察していた私は、あえてそれをせず。
また、仲介してくれた知人の顔を潰すようなことになったらマズイし、二人が契約の意向を積極的にみせないかぎり、現地調査だけで退散するつもりでいた。

「他に何かお尋ねになりたいことありませんか?」
「ないようでしたら、今日はこれで失礼します・・・」
私は、暗に、“契約の強要はしない”という意思を示しつつ、無用の長居はしない姿勢をみせた。
すると、二人は、少し間を置き、ちょっと訊きにくそうにしながら、
「このお仕事、長くされているんですか?」
と、質問してきた。

実際、この類の質問を受けることは多い。
したがって、それに応えた数も多い。
私は、“よくぞ訊いてくれました”とまでは思わなかったものの、それが二人の警戒心を解く会話の糸口になりそうな気がして、そんな期待感を抱きつつ話を始めた。

私が答えた従事歴は二人の想像をはるかに越え、その動機や仕事内容は、まったくの想定外だったよう。
二人は、“職を転々とするような人がやる仕事”“仕方なくやる仕事”といった先入観を持っていたのだろう。
しかし、幸か不幸か、私は職を転々とはしていない。
他にやれることがないから、ずっとこれをやっている。
また、生活のためとは言え、結構、積極的にやっており、「金のため 自分のため」とイキがってはいるけど、依頼者や関係者に感謝されたり頼りにされたりすると、喜びを覚えたりもしている。

二人は、私の話が進むと同時に、私がそんなに怪しい人間ではない(自分で言うのも変だけど)ことがわかってきたのか、少し驚いた表情をみせた後、硬かった表情を徐々に和らげていった。
そして、それが私の信頼度を計るバロメーターになったのか、話は契約締結の方へ進んでいった。


「実のところ・・・怪しそうな人が来るんじゃないかと思ってました・・・ごめんなさいい・・・」
その言葉に悪意は感じず、むしろ好意をもってもらえたが故の言葉、私を褒めてくれる言葉だと感じた私は素直に喜んだのだった。
そして、限界を感じることが多く、後悔だらけの職業人生だけど、長くやっていることを評価してもらえるだけで、人に認めてもらえたような気がして、自分の人生を肯定できる喜びを感じることができたのだった。



今日で今年もおしまい。
凛と澄んだ空の下、今のところ、今日は小さな現場を一件予定しているだけ。
追加業務が発生しなければ、夕方も遅くならず退社できるだろう。
そして、普段は粗食でも充分に満足できる私だけど、今夜は、少しはいいモノを食べようと思っている。
ただ、明日も仕事だから、深酒はできない。
ま、仕事柄、それも仕方がない。
まずは、そんな中にあっても、一年を生き通すことができ、また新たな年を迎えることができる(多分)ことに感謝!感謝!

ブログはあまり書けなかったけど、今年も色々なことがあった。
多くの現場を走り回り、そして、色々な人との出会いがあった。
そのほとんどは良識をもった良心的な人達なのだが、少数ながら、中には、苦手なタイプの人や嫌なタイプの人もいた。
心無い態度や言葉によって、悲しい思いや悔しい思い、惨めな思いしたこともあった。
自分自身の弱さや信念のなさで、悲しい思いや悔しい思い、惨めな思いしたこともあった。
世間一般にマイナスの印象を持たれるのは仕方がない。
それは、ある種、自然なこと。
ただ、誰かにとってプラスの存在になれればいいと思っている。
依頼者との関係において価値ある仕事ができればいいと思っている。
それが、汚仕事に従事してくたびれる自分を励まし、勇気づけるのだから。

私は、何事においても、一つのことを続けていくことは大切なことだと思っている。
「究める」なんて大袈裟なことは言えないけど、そう思う。
こんな仕事だけど、現に、そうしてきてよかったと思えることは多い。
しかし、肉体は老い衰え、精神は熟し鮮を失い、社会情勢は変化していく。
この先、いつまでこの仕事を続けていけるかわからない。
この先、いつまでこの人生を続けていけるかわからない。

この先、どうなるかわからない不安がある。
この先、どうなるかわからない恐怖がある。
しかし、どうなるかわからないから希望が持てる。
どうなるかわからないから期待ができる。
自由は不確かなところにあり、不確かな明日だからこそ自由に志向できる。

2016年大晦日にあって、この無才凡人は、新たな年に向かって覚える不安と恐怖を希望と期待を変えようと、マイナスの心とプラスの心を必死に戦わせている。
そして、幾度も繰り返されてきたその戦いに、幾度も繰り返されるであろうその戦いに、「俺って、懲りないヤツだよな・・・」と、希望を誘うための笑みを浮かべているのである。


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Gambler

2016-12-27 09:26:27 | 特殊清掃
唯一年の今年も残り少なくなってきた。
唯一生の私の人生も残り少なくなってきた。
「どうすれば、なりたい自分になれるのか・・・」
と苦悩しているうちに時間ばかりが過ぎている。
「この先、どう生きていくべきか・・・」
と思案しているうちに時間ばかりが過ぎている。

そんな年の瀬にあって、先日、不気味なくらい暖かい日があった。
日中も20℃近くまで気温が上がり、夜になってもほとんど下がらず。
車中だと暑いくらいで、とても12月の下旬とは思えないような気候だった。
冬の温暖と地球温暖化を直結するのは見識がなさすぎるのだろうけど、人知を超えた力が人類の望まない方向へいっていないことを願うばかり。
ただ、このところは冬らしい寒さが再来し、身体は縮こまっている。
プラス、年末の物入りで、懐まで寒くなっている人が少なくないのではないだろうか。

そんな真冬にあって、あちこちの街を走り回っている私は、先日まで、ある光景をよく目にした。
それは、宝クジの売店とそれに並ぶ人々。
売る側はアノ手コノ手で宣伝し、庶民の金銭欲をかき立てる。
過去に当選クジがでたことがある店は、派手な看板を掲げて大々的にPR。
そして、その看板の下には、厚着をした人々の長蛇の列。
お金は万能ではないけど、大きな力を持つのも事実。
この世には、お金で解決できる悩みが多すぎるため、一攫千金を夢見る庶民は1000万分の1の紙切れに人生の大逆転を懸けてみる。
同類の私にとっては、それは、微笑ましいような、また苦笑いがでるような光景だった。

列に並ぶ人達の気持ちはよくわかる。
私だって、お金は大好き。
楽して手に入れられるものなら手に入れたい。
しかし、稼金の王道は労働・・・働くしかない、一生懸命に。
“楽して稼ぎたい”という欲望を消すことはできないけど、労働意欲も失わないでいたい。
働かずして得る富は楽しいものだけど、働いて得る富は喜ばしいもの、そして尊いものだから。



出向いた現場は、公営団地の一室。
建物はかなり古く、近年、大規模修繕がされた様子もなし。
公営住宅は定期的に修繕がなされるのだが、それがされていないということは、その建物に“取り壊し・建て替え”の計画があるケースが考えられる。
となると、役所は、住人が退去した後に新たな入居者を入れたりはしない。
つまり、空室が多くなる。
同時に、建物や他住人に対して使う神経も少なくて済み、作業もやりやすくなる。
空室の有無や数は、建物全体をベランダ側から眺めたり、集合ポストを見たりすれば一目瞭然。
私は、約束の時刻まで時間があったので、その辺のところを確認するべく、建物の周囲をブラリと歩いた。

案の定、建物には多くの空室があった。
建物をベランダ側から眺めると、カーテンのないガランとした部屋がいくつもあり、1Fの集合ポストエリアには、テープで口をふさがれたポストがたくさんあった。
あとは、住人が一人もいなくなるのを待つのみ・・・
建築物としての“死”を待つばかりの老朽建物が醸し出すもの悲しさは、そこに暮す人々の人生と重なって、私に、時の移ろいの寂しさと切なさを感じさせた。


約束の時刻の少し前、依頼者の男性は、私が待つ玄関の前に姿を現した。
その玄関前には例の異臭が漏洩。
それが共用廊下に漂っており、何とも不快な状況をつくりだしていた。
「かなりニオイますねぇ・・・」
「そうですね・・・」
我々は、そんな言葉を交わし、それを初対面の挨拶とした。
ただ、幸いなことに、両隣は空室で、同じ階に住む住人もまばら。
苦情がきても不自然ではない状況でありながら、どこからも苦情はきていなかった。

玄関を開けると、異臭濃度は急上昇。
それでも、私に気を使ってだろう、男性は私と一緒に部屋に入ろうとした。
が、男性にとって、それは相当に酷なことのはず。
だから、私は、
「私は慣れていますから・・・」
「服にニオイもつきますし・・・」
と、一人で入ることを示唆。
すると、男性は、
「申し訳ありません・・・」
「正直・・・見たくないもので・・・」
と、申し訳なさそうに、私に頭を下げた。


亡くなったのは70代の男性。
依頼者の男性はその息子。
ただ、故人と妻(男性の母親)とは、もう何年も前に離婚。
以降、関係は疎遠になり、特段の要がない限り連絡を取り合うようなこともなかった。

故人と家族の別離の原因は、金銭問題。
故人は、真面目な職業人であったのだが、大のギャンブル好き。
家族に隠れて借金をしてまでギャンブルをするような人だった。
そんな生き方が明るく想像できないのは私だけではないだろう・・・
結局、それが祟って、家庭は崩壊。
以来、故人は、この部屋で一人暮しをしていたのだった。

定年で職を辞した後、故人は年金生活となったのだが、それでもギャンブルをやめず。
生活費を切り詰めてでも、ギャンブルにつぎ込んでいたよう。
そんな故人の生活ぶりを表すかのように、部屋は荒れ放題。
水回りはカビだらけ、床はゴミだらけ、この件(遺体腐乱)を除外したとしても相当に汚損。
また、部屋には、多くの公営ギャンブルのグッズや購入券をはじめ、消費者金融の明細書等も目障りなくらい散乱していた。

社会や人に迷惑をかけることなく、自分が責任をとれる範囲内でギャンブルを楽しむのは悪いことではないと思う。
けど、家族に迷惑をかけたり、借金を返さなかったりするのはよくない。
ただ、私には到底 理解できないけど、世の中には、借金をしてまでギャンブルをする人がいるのも事実らしい。
これは、薬物のような、一種の中毒みたいものなのだろうけど、どう考えてもマトモなこととは思えない。

「これまで、家が一軒建つくらいスッたんじゃないでしょうか・・・」
「それがなきゃ、いい父親だったんですけどね・・・」
男性は、諦め顔でそう言った。
そして、
「それでも、本人は好きなように生きたんでしょうから・・・」
「家族は迷惑しましたけどね・・・」
と、苦い過去は全て水に流して、良い父親だった故人だけを残そうとするかのように、薄い笑みを浮かべた。



「人生はギャンブルみたいなもの」
そう思える局面は多いし、そう考える人も多いだろう。
確かに、人は、日々、小さな選択 大きな選択を繰り返し、そして何かに懸けて生きている。
それが、吉とでるか凶とでるかわかならい中で。
しかし、ギャンブルとは少し違う。
人生は、ギャンブルとは違い、勝ち負けがハッキリ区別できない。
また、仮に負けたと判断したとしても、ゼロにはならない。
一生懸命やったこと、頑張ったこと・・・それらは“ゼロ”ではない。
目当ての“勝ち(価値)”がもたらされなくても、何かが残る。
それは、違うときに活き、違うかたちの“勝ち(価値)”を残す。

「自分に懸けてみる」
そう言えばカッコはいいけど、この俺(自分)は人生を懸けるに値する者かどうか・・・自信はない。
しかし、自分の人生を他人に懸けることはできない。
他に懸ける者はいない・・・誰にも懸けないで終わるか、自分に懸けて生きるか、どちらかしかない。
どうせなら・・・一度きりの人生なら、自分に懸けてみたいような気がする。
自分に懸けて“ゼロ”はないのだから。
せっかく、自分として生まれ、自分として生かされているのだから。

“自分に懸ける”とは、大きな夢や高い目標を持つことばかりではない(もちろん、それらを持てたほうがいいけど)。
自信の持てる自分をなろうとすることでもなければ、誇れる自分になろうとすることでもない(もちろん、そんな自分になれたほうがいいけど)。
夢や目標が持てなくても、自信がなくても誇れなくても、まずは、目の前の役割に誠実に取り組み、日常の使命を頑張ることが大切。
休肝日を守り、ウォーキングを心がけ、汚仕事へ いの一番に走り、駄欲を遠避け・・・
笑えるくらい些細なことをコツコツと着実にこなすことで、見えてくるものがあり、作られてくるものがある。
そして、それらは配当となって、人生の各所にもたらされるのだと思う。


ケチで小心者の私は、ギャンブルには向かない。
神経質で臆病者の私は、ギャンブルには向かない。
しかし、人生の終盤にさしかかり、ようやく、私は「自分に懸けてみようかな」と思えるようになってきている。
浮き沈みのある気分の中で、ときには恐れや躊躇いも覚えるけど、自分に期待しつつ、自分なりの力量で、日々の時間=人生を懸けてみようと思っているのである。


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万歳!

2016-12-07 07:28:05 | 腐乱死体
二ヶ月近く中断していたウォーキングを再開したことは、前記事で書いた通り。
寒中の外歩きは なかなか面倒なことではあるけど、どちらかと言うと、歩かない方がストレスになるような気がしている。
だから、“歩きすぎ”と左股関節の具合に注意しながら、また、日によっては休みながら続けていこうと思っている。

私のウォーキングコースは、主に二つある。
一つは会社の近くで、もう一つは自宅の近く。
早朝や夜間に歩くのは大変なので、回数的には、会社近くのコースを歩くことが圧倒的に多い。
時間帯を同じくすると、何人か同じ面々と重なる。
多いのは、高齢者。
時間があり、かつ健康が気になる年代だ。
あとは、犬の散歩で歩く奥さん方。
夕方、早い時刻だと、部活のトレーニングで走る高校生もいる。
その他、何かのトレーニングなのだろう、ハイスピードで駆けていく若者もいる。
筋力もなく、関節も痛め、心臓も弱く、とても走ることなんかできない私は、その若々しい姿を、羨ましく、また懐かしく思いながら眺めている。

今年の初めの頃だったか、会社近くのウォーキングコース近くで、私等 下々の者には縁のない利権がからんでいると思われても仕方がないような ある設備を設置する大規模な工事が始まった。
そして、現場周辺に何箇所かある工事車両通過ポイントにガードマンが立つようになった。
その中の一人に、60代後半くらいの男性ガードマンがいた。
男性の名は“Fさん”、胸元の名札に表示されていた。
毎日のように歩いていると、お互いに顔をおぼえ、そのうち挨拶を交わすようになり、次第に一言二言と言葉を交わすようになった。
そして、日が進むと、2~3分の立ち話をするように。
工事のことや天気のこと、たいして意味のない会話だけど、顔を合わせる度に何かしらの話をするようになった。
そうして、春・夏と季節は過ぎていき、仲秋になって、私はウォーキングを中断した。

そして、最近、二ヶ月近くぶりにウォーキングを再開。
再開初日、コースを進んでいくと、変わらず警備の仕事をするF氏の姿が遠くに見えはじめた。
更に進んでいくと、F氏も私に気づいて、
「最近、目が悪くなっちゃって・・・どっかで見たことある人なんだけど・・・誰だっけ?」
と、久しぶりに姿を現した私を、目をこすりながら冗談でイジり、
「久しぶりじゃないのよぉ! 何かあったのかと思って心配してたんだよ!」
と、笑って迎えてくれた。
「いや~・・・ちょっと・・・また股関節の調子が悪くなっちゃって、歩くの しばらく控えてたんですよぉ・・・」
と、私も笑いながらペコペコし、
「でも、最近、少しよくなったんで、ぼちぼち再開しようと思って・・・」
と、その場で高く腕を振り、軽快に足踏みをしてみせた。

積もる話があるような ないような妙な間柄だけど、とりあえず、股関節の具合を説明したり、工事の進捗具合を聞いたり、11月24日の雪が大変だったことを話したり、しばし、とりとめのない話をして後、
「じゃ、また近いうちに!」
と、私はF氏に浅く敬礼。
一方のF氏は、万歳をするように両腕を上げ、
「がんばって!」
と、再び歩き始めた私を見送ってくれた。

私は、F氏の正確な年齢や家族構成、この仕事に就くに至った動機や経緯などは一切知らない。
ただ、工事現場のガードマンって、決して楽な仕事ではないはず。
しかも、F氏は身体も小柄で若くもない。
夏の暑さや冬の寒さは、相当、身体に堪えるはず。
それでも、生活のため・・・生きるために頑張っている。
この工事は来春まで続くらしいから、F氏は、まだしばらくそこで頑張るのだろう。
そして、これからも、F氏と顔を合わせることは何度かあるだろう。
私は、“社交辞令かもしれない”とはいえ、自分のことを気にかけてくれる人がいることを、とても嬉しく思うと同時に、F氏が頑張って働く姿を励みにもしているのである。


腐乱死体現場の検分依頼が入った。
依頼者は、地元の不動産会社の社長。
悪く言えば「無神経」、良く言えば「腹蔵ない」、そんなニオイのする人物だった。

「店番する者が他にいないから、鍵を取りに来て」
とのこと。
現地に鍵を持ってきてもらうケースが多い私は、“面倒臭いなぁ・・・”と思いつつも、
「はい!承知しました!」
と、商売返事をして、不動産会社の住所を訊いた。

出向いた不動産会社は、小さな商店街の中にある、これまた小さな店舗。
造りも古く、店頭に掲げられている宅地建物取引業の免許更新番号も大きく(古く)、業歴が長いことがうかがえた。

狭い店に入ると、老年の男性が一人。
この人物が、依頼者である社長。
私は、客用なのかスタッフ用なのか判断つかない古い椅子に座らされ、一通りの話を聞かされた。


現場は、社長の会社が所有し賃貸しているアパートで、かなりの老朽建物。
ガタガタの木造二階建、風呂はなくトイレも共同。
部屋は四畳半で、押入とモノ凄く小さな流し台がついているだけの簡素な造りだった。

そこで、部屋の住人が、ひっそりと亡くなった。
そして、その肉体は、長い時間をかけて溶解。
発見されたときは、ほとんど原形をとどめていなかった。

狭い室内は、ゴミだらけ。
床なんて、まったく見えておらず。
壁際や隅の方にいたっては、ゴミがパズルのように結構な高さに積み上がっていた。

遺体痕は、部屋の中央、ゴミが一番低い部分に残留。
その部分だけは、使用済みの機械油をぶちまけたように変色・変質。
更には、そこを住処にするウジ達が、我が物顔(どこが顔だかわからないけど・・・)で、這いまわっていた。

当然、部屋には悪臭が充満。
しかも、恐ろしく濃厚。
干渉し合わないのがアパート生活の暗黙のルールとはいえ、これで他住人が気づかなかったことを不思議に思った。


一通りの検分を終えた私は、鍵を返すため、再び不動産会社へ。
身についた悪臭をにわかに漂わせつつ、そのことを先に断ってから店の中に入った。
そして、室内の状況を説明しつつ、必要な作業と費用を2~3パターン提示した。

部屋は、一度、社長も見ており、大方の状況は把握していた。
しかし、“気持ち悪い”やら“クサイ”やらで、室内には一歩も足を踏み入れることはできず。
何をどうすればいいのか、何からどう手をつければいいのか、見当もつかないようだった。

私の提案を聞いた社長は、
「次、人に貸す予定はないから、最低限の仕事でいいんだけど・・・」
「おたくだって、こんな大変なことやらされて儲からないんじゃ、やってらんないだろうしねぇ・・・」
と、配慮をみせてくれ、私の要望も寛容に受け入れてくれた。

「仕事とはいえ、大変だねぇ!・・・」
「俺も、仕事で散々苦労してきたクチだけど・・・」
私の身体から漂い出る“ニオイ”に苦笑いしながら、社長はそう言った。
そして、
「こっちから頼んどいて こんなこと言っちゃ悪いけど、“なんで、そんな仕事やってんのかな”って思っちゃうよ・・・」
「その金額じゃ、そんなに儲かるとは思えないしねぇ・・・」
と、溜息まじりの呆れ顔でそう言った。

これは、多くの人が抱く、率直な疑問だと思う。
これまで、似たようなことを訊かれたことは数知れず。
きれいな言葉を使って遠まわしに探られるよりは、よっぽど気分が悪くない。
だから、この時も、「まったく」と言っていいほど気分は害さなかった。

私は、
「詳しく話すと長くなりますから・・・」
と前置きしたうえで、この仕事に就いた動機や経緯、そして、続けている理由をできるだけ簡略に伝えようと試みた。
が、要点があまりに多すぎて、たいして話を短くすることはできず。
それでも、社長は、真正面からジーッと私の目を見つめ、最後まで黙って私の話を聞いてくれた。

一応の話が済んだところで、私は、引き上げることに。
私が席を立つと、社長も席を立ち、手振りで私を制止。
そして、
「いい話を聞かせてもらったから、これは、その御礼だ」
と言ったかと思うと、
「○○君(私のフルネーム)の前途を祝して、万歳!万歳!万歳!」
と、大きな声で万歳三唱。
そして、
「これからも頑張んなよ!」
と、豪快な笑顔で励ましてくれた。

私は、社長の思いがけない行動に、ちょっとビックリ。
そして、しばし唖然。
しかし、そのうちに、胸の内に熱い喜びがジ~ンと込み上げてきた。
そして、目の前の問題や人生の不安が解決したわけでもないのに、晴々とした気分が身を覆い、また、“元気に頑張ろう!”と自分に思わせる力が身体の芯から漲ってきたのだった。


もう何年も前の話になるけど、あの時の万歳三唱は、今でも、思い出すと笑みがこぼれる。
誰かに気にかけてもらえたこと、励ましてもらったことは、とても嬉しいことだから。
また、社長がそれを知ったうえで声を張ってくれたのかどうかわからないけど、「万歳」という言葉には“生きろ”という意味もあるらしい。
それ思うと、一時的な喜びを超越した、自分に対する責任感のようなものが湧いてくる。

このブログにだって、同じようなことが言える。
その根底には、「生きろ」というメッセージが流れている。
もちろん、特定の誰かを意識して書いているものではないけど(あえて言うと“自分”だけど)、それでも、読んでくれる誰かのことを気にしながら書いているのも事実であり、読んでくれる誰かのことを励ましたいと思いながら書いているのも事実。
そしてまた、読んでくれる人の存在と、また、何の応答もしないのに、わざわざ書いてもらえるコメントに、私も、大いに励まされている。

共に笑い、共に泣き、
共に考え、共に悩み、
共に生き、共に生かされ、
自分の人生のひと時、誰かの人生のひと時、この小さなブログが、その舞台になるとするなら、それは、私にとって万々歳!なことなのである。


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特別な日

2016-12-01 07:25:14 | 遺品整理
このところの私、色々と弱っているため体調を崩したネタが多い。
体調が悪くても頑張っていることを自慢しているみたい?だけど、無論、そんなつもりはなくない。
それはさておき、今度は風邪をひいてしまった話。
この前の日曜から喉が少し痛み始め、次第にその痛みはヒドくなっていき、翌月曜の夜になると唾を飲み込むのも躊躇われるほどのツラい痛みに。
そんな具合だから、夜中もしょっちゅう目が醒める。
おまけに、汗をかくくらいの熱がでてしまい、熱いやら寒気がするやら。
ただでさえ目眩でヨロヨロしてるのに、更に、倦怠感まで加わって、結構 大変。
それでも、体調不良にかこつけて、むやみやたらにゴロゴロ・ダラダラするのは、逆に、心身によくないから、“よく食べ よく動き よく寝る”の生活を心がけている。

何はともあれ、今日から12月、何かと慌ただしくなる師走に突入。
桜や新緑を愛でたのは、ついこの前のような気がするのに、もう冬。
それまでは寒暖を繰り返していた気温も、下降の一途をたどりはじめたよう。
先月24日、季節はずれの雪が降った日を境に、寒さも厳しくなってきているように感じる。

夏の暑さも堪えるけど、冬の寒さも相当に堪える。
現場作業は冬のほうが楽だけど、冬場は気分まで冷えてきて苦悩する。
そういって不満を覚えながらも春夏秋冬を愛でたがるこのワガママ人間は、結構なエコイスト(≒ドケチ)でもあり、寒くなっても暖房は最低限。
今年も、バームクーヘン調ファッションで寒さを凌(しの)ごうと思っている。

重ね着もそうだけど、寒さを吹き飛ばすには、積極的に身体を動かすことも有効。
そうすれば、始めは寒くても、じきに温かくなる。
現場仕事となると、真冬でも汗をかくことがある。
また、現場作業だけでなく、ちょっとした運動でも身体は温まる。
私にとっての運動はウォーキングだけど、股関節痛と仕事の都合で、ここ二ヶ月弱の間、それまで日課にしていたウォーキングを中断していた。
しかし、最近、股関節痛も和らいだし(代わりに目眩を発症してしまったけど・・・)、仕事にも余裕がでてきたので、目眩による多少のフラつきをともないながらも、徐々に再開している。
やはり、適度に身体を動かすのは、身体的健康だけではなく精神衛生上もいいことのように思えるから、身体と時間がゆるすかぎり日課としていきたい。

日課といえは、最近、新しい日課ができた。
それは、朝の独り言。
“朝の独り言”だなんて、根クラで変態的な感じがするけど、詳細は以下。

人の死に日常的に接している私は、時間の有限性や希少性を痛感している。
事故、事件、災害、急病・・・
亡くなった人や悲哀に苦しむ遺族に対して無神経な言い方かもしれないけど、人間ってものが呆気なく死んでしまう場面は少なくない。
最も多いのは闘病の末に亡くなる人なのだろうけど、そうでない人も意外と多い。
そう・・・“死”というものは、いつ どんなかたちで現れるかわからない。
また、いつ どんなかたちで現れてもおかしくない。
“必然”は“生”ではなく“死”。
にも関わらず、当り前のような気分で生きている(生かされている)。
その辺のギャップが、人(自分)を滑稽に映し、また、人間らしく映している。
そして、その辺りの見識を活かした生き方ができないため、苦悩している。
そこで、それを少しでも解決するために思いついたのがコレなのである。

朝の起床時や出勤時などに
「2016年12月1日、一度きりの今日 二度とない今日は、俺にとって 俺の人生にとって特別な日! 大切に過ごさなきゃ!」
と、口にするようにしている。
小声で一度つぶやくだけだけど、心で思うだけではなく声をだして言うようにしているのだ。

何のためか。
今日一日を頑張るため、今日一日を充実させるため、今日一日を無駄にしないため、
自分を励ますため、自分を鍛えるため、自分を喜ばせるため、
・・・意味や目的は色々ある。

どうでもいいような些細なことだけど、実際、このセリフを口にするだけで、ちょっと気分が変わる。
憂鬱な気分に支配されることが多い私にとっては、これがちょっとした妙薬になる。
ドシャ降り雨の気分が いきなり快晴に変わるような劇的な変化はないけど、曇空に薄日が差すくらいの好転はみられる。
また、時間に対する意識と、その使い方が少し変わってくる。
そして、それが、うつむきがちな顔を上げ、止まりがちな足を進める。
働くうえでも、休むうえでも、学ぶうえでも、遊ぶうえでも、これを意識して、とにかく、ただの“ひまつぶし”で時間を浪費しないための自律訓にしているのである。



遺品処理の依頼が入った。
現場は、郊外の閑静な住宅地にある、やや古い一戸建。
故人は、その家の主で、行年は初老。
残されたのは、その妻で、夫と同じ年代。
傷心を癒すために遺品を片付けないでおいたのだが、夫の死からしばらくの時が経つうち、自分の先々にとってそれはプラスにならないような気がし始めて、思い切って片付けることを決意したのだった。

女性の夫(故人)は、とある企業で、長くサラリーマンをしていた。
仕事人間で、もともと健康志向は薄く、酒を飲みタバコも吸い、運動らしい運動もせず、食生活も自分の好みに従った食事が中心だった。
60歳で定年退職すると、不摂生生活は更に加速。
生活の足しにするためアルバイトを始めたが、それでも、サラリーマン時代に比べると時間は有り余った。
時間を持て余す日々が続き、タバコや酒の量は増え、おまけに食事や間食の量まで増えていった。

そんな夫を女性(妻)は心配した。
が、夫は、そのまま不摂生な生活スタイルに陥ることはなかった。
生活習慣病による同年代の友人の壮絶な闘病生活とその後の寂しい死を目の当たりにし、自分の老後の生活や健康寿命が急に気にし始めた。
そして、それまでの欲に任せた生活スタイルや嗜好を見直し、改善すべきところは改善するべくチャレンジすることにしたのだった。

まず始めた着手したのは、タバコと酒の減量。
長年に渡って嗜好し続けたタバコや酒を急にやめるのが不可能なことくらいは、自分でもわかっていた。
だから、ストレスとのバランスをとりながら、徐々に減らすことに。
収入が減ったことに対する家計節約も一助にしながら、少しずつ減らしていった。
また、多めだった体重を適正値に減らすべく、ダイエットも実施。
そのため、それまではまったく縁がなかった運動・・・ウォーキングをするように。
食事にも気をつかい、肉中心だった食生活も野菜穀類中心に切り替え、更に、腹八分を心がけた。

はじめは、少し辛そうにしていた夫だったが、しばらくすると、逆に健康管理を楽しむように。
いそいそとウォーキングに出かけるようになり、以前なら車を使っていたような距離でも、わざわざ歩いて出かけるように。
また、それまでは興味を示さなかった地域のイベントにも積極的に参加。
家にいるときも、ゴロゴロ・ダラダラするのをやめ、家事を積極的に手伝うようになった。
女性には、そんな夫の時間が充実しているように見え、またその性格も、以前より明るく温和になったように思えた。

そんな具合に、“血の滲むような努力”というほどではなかったものの、余生を家族に迷惑かけることなく健康に快適に過ごすため、故人なりに努力していたのだった。


朝、夫は、女性より先に起きるのが日常だった。
そして、極端に寒い日や悪天候の日でなければ、早朝からウォーキングに出かけていた。
その日の朝も、夫はいつもの時刻に起き出していった。
女性も、いつも通り布団に横になったまま「いってらっしゃい・・・気をつけて」と、寝室を出ていく夫に声をかけた。
ただ、いつもなら、すぐに玄関を出て行く音が聞えてくるのに、その日は、その音が聞えてこない。
女性は、少し変に思ったけど、たいして気にすることもなく、自分の起床時刻がくるまで布団の温かさに身体を委ねた。

起床時刻になり、いつも通り起きだした女性は、いつも通り着替えて、いつも通り洗面。
そして、朝食の支度にとりかかるべく、いつも通り台所に向かった。
すると、その視界に夫の姿が入ってきた
夫は、ウォーキングには出かけず、食卓の椅子に座っていた。
寒い中 暖房もつけずに。

変に思った女性は、すぐに声をかけたが、返答はなし・・・
夫は、グッタリと首を下げたまま動かない・・・
女性は、“居眠りでもしている?”と思いながらも、日常では見たことがない姿なので心配になり、すぐさま駆け寄った。
すると・・・
夫は息をしておらず・・・
耳元で大きく声を発しても、身体をゆすっても反応はなし・・・
すぐに救急車を呼んだが、時すでに遅し・・・
必死の救命処置にもかかわらず、夫の蘇生はかなわず・・・
穏やかな老後を過ごすつもりでいたのに、人生の終わりは、突然やってきたのだった。

死因は、高血圧の中高齢者がなりやすい急性の血管系疾患。
事前の兆候はほとんどないうえ、発症した場合の致死率は高く、危険な病気。
それまでの故人は、大病を患ったことはなかったが、気づかないところで色んなところが傷んでいたのかもしれなかった。


「健康には、かなり気を使っていたのに・・・」
「何のために我慢してきたのか・・・ 何のために頑張ってきたのか・・・」
「こんなことになるんだったら、好きなようにしてればよかったのかも・・・」
女性は、そう嘆き悲しんだ。
対する私の胸内には、
“そんなことはない・・・故人なりに頑張って生き、その時間は充実していたはず”
との思いが湧いてきた。
が、そこには、そんなセリフで女性を慰められるほど やわらかい空気は流れておらず。
私は、故人の晩年に賛同の意を持ちつつも、女性の話を、ただただ黙って聞くことしかできなかった。


世の中、“結果がすべて”みたいな価値観や風潮は蔓延しているけど、そんなことはない。
もちろん、直接的な結果や成果は大きな意味がある。
しかし、努力した事実、辛抱した事実 チャレンジした事実が無意味なわけではない。
間接的な結果や成果もたくさんある。
大切なのは時間の使い方、無意味なのは時間の無駄遣い。
いちいちそんなことを深刻に考えながら生きるのは窮屈かもしれないけど、少なくとも“ひまつぶし”のような生き方をするほどの退屈さはない。

死は、誰にもやってくる。
死は、どうしたって避けることはできない。
結局、みんな死んでしまう。
だからといって、“どうせ死ぬんだから、生きても無駄”なんてことはない。
それは、“どうせ腹は減るんだから、食べても無駄”と悲観するのと同じこと。
食べ物があること、食べられること、美味しいこと、腹が満たされることは幸せなこと。
同じように、生まれてきたこと、生きること、生きていること・・・生きるプロセス(時間)に意味(楽しさ)があるのだ。
だから、そのプロセスを無駄にするのはもったいない・・・無駄にしちゃいけないと思う。


2016年12月1日。
一度きりの今日 二度とない今日は、誰にとっても 誰の人生にとっても特別な日!
大切に過ごさなきゃ!  ・・・ね。


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Photograph

2016-11-25 07:31:10 | 特殊清掃
寒暖の差に振り回されつつ、早、11月も下旬。
今年も、残すところ一ヵ月余り。
昨日と打って変わって、今朝の東京は、気持ちのいい快晴。
しかし、その爽快感をよそに、私は、相変わらず、目眩(めまい)と付き合っている。

この目眩、発症してから三週間経つけど、治る気配はない。
前ブログを書いた前後、二日くらいは治まっていたのだけど、三日目の作業中に再発。
「治った?」と期待したところだっただけに、治っていないことが判明して少し元気をなくしてしまった。
ただ、発症当初のように、天井がグルグル回るようなことや、視界がハイスピードでスライドしていくような深刻な症状はなくなった。
更に、フラつくことに身体も慣れてしまって、結構、うまく操ることができるようになっている。
だから、今は、他に注意しなければならないこともたくさんあるし、目眩は気にしないようにして生活している。

昨日の雪も、目眩を忘れさせてくれた。
それどころか、季節はずれの雪に、私は、ちょっとテンションを上げた。
“雪”というものに、特別な想いがあるわけではないのだが、11月に雪が降るのが珍しくて、何だか新鮮な感覚をおぼえた。
晩秋の街に深々と降り続く雪を見ながら、
「“儚さにこそ輝く風情”ってあるよなぁ・・・」
「道路に積もると困るけど、しばらく降り続いてほしいなぁ・・・」
なんて思ったくらい。
そして、季節の情緒を撮ること多い私は、これもまた一つの想い出にするつもりで、この雪模様をスマホの写真におさめた。

そう言えば、この時代は、写真を撮るということが、随分と日常的になり手軽になった。
今は、スマホを持っていれば、気の向くまま、好きなように撮ることができる。
また、試し撮りもどんどんできるし、気に入らない写真もどんどん捨てられる。
しかし、昔は、写真を撮るにはカメラが必要だった。
しかも、フィルム枚数にも限りがあり、撮影は、特別な日・特別な場面に限られ、写り具合の良し悪しも一発勝負だった。
今思うと、そんな昔が滑稽に感じられる。

私は、自撮り棒を持つほどの写真好きではないけど、どこかに出掛けたときとかは記念に写真を撮ってもらうことがある。
そして、写真の自分を見て思うことがある。
写真の自分は、普段、鏡で見る自分とは、また違う感じ。
ハッキリ言うと、写真の自分は、鏡の自分より老けて見える。
もちろん、この歳になって若いつもりはないけど、写真の自分の老け具合は、その覚悟を越えてしまっている。
「俺って、こんなんなっちゃってるんだ(こんな酷い有様なんだ)・・・」
と、自分だけが一人で歳をとっていくような寂しさ覚えて、ちょっとしたショックを受けてしまう。
だからといって、歳に似合わない若作りをしたってイタイばかり。
写真に写る老顔は事実として素直に受け入れ、それよりも面構え(つらがまえ)を気にするほうに気持ちを切り替えて生きたいと思っている。



郊外の分譲マンションで一人暮らしをしていた老齢男性が亡くなった。
お互い干渉せず、一定の距離をあけた社交辞令的な付き合いをするのが、マンション生活のマナーなのか、近所付き合いもなく、同じマンションに親しい人もおらず。
また、故人は高齢で無職、介護・家事援助サービス等も利用しておらず。
そんな暮らしぶりで、発見がかなり遅れたのだった。

依頼者は、故人の兄。
妻子のない故人にとって、最も近い血縁者。
故人も高齢であり、当然、依頼者(以降、男性)も高齢で、八十を迎えようとしていた。
しかし、男性は、足腰も丈夫で話の受け応えもしっかりしていた。
そして、「血の遠い親族に迷惑は掛けられない」と、率先して事の後始末にあたっていた。

遺体痕は、玄関を入って左側の寝室、ベッドではなくドア付近の床にあった。
視界を和らげるためか、靴が汚れないようにするためか、警察が掛けたのだろう、そこはシーツで覆われていた。
しかし、大量の腐敗液を薄いシーツで隠しおおせるわけはない。
そのシーツ自体も腐敗液を吸いきれず、ほぼ全部が赤黒色の腐敗液に染まった上、濡湿してベトベトになっていた。

そんな状況だから、室内には著しい悪臭が充満。
それは、鍛えられた私の鼻を生々しく突いた後、更に腹までえぐってきた。
また、ウジ・ハエも大量発生。
ただ、その峠は越えており、ほとんどは死骸となって部屋のあちこちに転がり、無数の黒い点になっていた。

汚れたシーツの下からでてきた遺体汚染はミドル級よりもやや重いものだったが、私にすれば見慣れた汚れ。
しかも、ベッドの脚やタンスの下に絡んではいたものの、大半は平な床面に付着。
汚腐呂や汚便所に比べれば、その作業は格段に楽。
腐乱死体痕を見てホッとする自分を妙に思いながら、私は、作業の段取りを頭で組み立てた。

部屋中の建材や家財に浸透付着した悪臭を除去するのは一朝一夕にはいかないけど、腐敗液や腐敗粘度を除去するだけなら、そんなに長い時間は必要ない。
私は、
「フローリングにシミが残る可能性が高いですが、一~二時間もらえれば、ほぼきれいにできると思います」
と説明。
すると、男性は、
「是非、お願いします! このままだと気持ちも落ち着かないので・・・」
「ちょっと持って帰りたいものがあるので、作業の間、私は他の部屋でそれを探しますから」
と、即座に返答。
それを聞いた私の頭には、
“こんなにクサイ中で探し物をするなんて・・・よっぽどの御宝でもあるのかな・・・”
と下衆な考えが浮かんできた。
けど、そんなこと作業には関係ない。
とにもかくにも、話はまとまったわけで、私は、早速、準備を整え、作業に取り掛かった。
そして、我ながら感心するくらいスマートに、遺体痕を消していった。

男性には、どうしても探し出したいモノがあった。
それは、写真。
私が考えていたような金品や貴重品類ではなく、古い一冊のアルバム。
昔の思い出がたくさん詰まったもので、男性にとって大切なモノのようだった。

「しまってありそうなところは見たんですけど、見つからなくて・・・」
「確かに、弟(故人)が持っていたはずなんですが・・・」
「弟にとって大切なものですし、どこかにしまってあるはずなんです」
と、男性は、困惑した表情に寂しげな雰囲気を漂わせながら、そう言った。
「家財を片付ける中で見つかる可能性はあると思いますけど・・・」
「申し訳ないのですが、見つけ出すことを約束することはできません・・・」
「ただ、“見つけ出す努力はする!”ということはお約束できます!」
と、私は、後々のトラブル回避を担保しつつ、できるかぎりの誠意をみせた。

その数日後、家財を片付ける過程でアルバムは見つかった。
それは、問題の部屋に置いてあったベッドの枕元にある小さな引き出しに収まっていた。
かなりの年季が入ったもので、片手で持てるほどの小さなサイズ、ページ数が多くて分厚いもの。
そして、その中にはたくさんの白黒写真が貼ってあった。
私は、それが見つかってすぐにそのことを男性に電話し、現地にやってきた男性に手渡した。

「これ!これ!これを探してたんですよ!」
「どこにありました!?」
「実は、諦めかけてたんですよ・・・」
「よく見つけてくれました!ありがとうございます!」
「いや~・・・ホントに嬉しいなぁ!」
男性は、かなりのハイテンションで喜び、何度も何度も礼を言ってくれた。
一方の私の、男性がそこまで喜ぶことは想定しておらず、少し戸惑いつつも、嬉しさがこみ上げてきた。

男性一家は、両親と男性と弟(故人)と妹の五人家族。
戦後、旧満州から一家で引き上げてきて父親の実家があった町に移り住んだ。
男性は、そのとき小学生。
戦中から戦後にかけて、何もかもが変わった国での新しい生活は、相応の苦労をともなうものだった。
特に、男性の両親をはじめとする大人達は苦労に苦労を重ね、辛酸を舐めるのも日常だった。
しかし、子供達は違っていた。
窮々とした世の中にあっても、悠々と過ごしていた。
貧しさも空腹もそっちのけで、楽しく闊歩していた。
そして、アルバムの写真には、そんな時代の家族や友達が写り、その情景は、白黒にもかかわらず色を感じさせるくらい鮮やかに甦っていた。

撮った経緯、場所、季節、時代、社会、写っている人物等々、男性は、アルバムのページを一枚一枚めくりながら、写真一枚一枚に詰まっている想い出を語ってくれた。
それから、男性は、
「大変な時代でしたけど、この頃は、とにかく元気でしたよ! そして、楽しかった!」
「先の短いじいさんだけど、この写真を見ると、まだまだ楽しく頑張れるような気がしてきますよ!」
と、晴々した表情で笑った。
そして、その精気を見た私は、アカの他人のことながら、長い時空を越えた人生の機微と妙味を懐かしみ、また、深い感慨とともに、自分がたどってきた道とたどっていくであろう道に想いを馳せながら、一度きりの人生(時間)が恐ろしいくらい貴重なものであることを、しみじみと噛みしめたのだった。



私にも、似たような憶えがある。
今は、身体的(健康)不安、経済的(仕事)不安、将来的(老齢生活)不安など、生きていくうえでの不安を多々抱えているけど、子供の頃はそんなものなかった。
育ったのは裕福な家ではなかったけど、身体の心配も、お金の心配も、将来の心配もなく、嫌なことと言えば、学校の授業や宿題、家の手伝いくらいで、多少の見栄はあり世間体も気にはしていたけど、屈託なく気楽・呑気に生きることができていた。
今と同じく臆病で神経質ではあったけど、感受性は豊かで小さな楽しみを大きな喜びに変えることができていた。

しかし、残念ながら、今はもう、アノ頃のような軽い身体や軟らかい感性は失ってしまっている。
人の温かさと世間の冷たさ、生きられる喜びと生活の厳しさ、人の成功と自分の失敗・・・
努力の夢と不確実さ、忍耐の期待と報われなさ、挑戦の果実とリスク・・・
・・・そんなものに志を託し、裏切り裏切られ、疲れ老い、身体は重くなり、感性は固くなってしまっている。
それでも、ここまで生きてきた・・・
こうして生きている・・・
そして、これからも生きられる限り生きる。

「アノ頃はよかったなぁ・・・」
と、過去を羨むのではなく、
「アノ頃は楽しかったなぁ・・・」
と、過去を喜び、今と未来の糧にしたい。
そしてまた、二度とない今日 一度きりの今日、未来の自分を励ますことができるようなPhotographを残したい。

そのために、私は、目の前のことを頑張れるだけ頑張りたい・・・
頑張れないことが多いのも現実だけど、それでも、頑張りたいという思いは持ち続けていたいと思っているのである。


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めまい

2016-11-12 08:39:16 | 特殊清掃
できた人に言わせれば、「そんなの苦難のうちに入らない!」と一蹴されてしまうかもしれないけど、悩みの種があって、考えなければならないこと、やらなければならないことが色々とでてきて、ブログ製作に時間を使えないでいる今日この頃。
そんな中、ちょっと時間ができたので、ブログを書くことに気持ちを向けてみることにした。
そして、「何を書こうかな・・・」と考えた。
すると、久しぶりの記事につき、まずは近況報告をすることを思いついた。
だから、そこから始める。

昨日は、チビ犬の二回忌だった。
いなくなってもう二年も経つのに、その想い出はまったく薄まらない。
新しくしたスマホの待受画面も前機と同じチビ犬の写真にしている。
「笑顔の想い出は人生の宝物」
時間や金銀には多くの限りがあるけど、笑顔に限りはない。
チビ犬は、いまだに私に笑顔をくれている。

その他も、一つのこと以外、この一ヵ月、変わったことは起きていない(例によって、仕事上では変わったことばかり起きているけど)。
“一つのこと”というのは、先日、私の身に降りかかった病災。
それは一週間余前、都内某所の故人宅で遺品処理作業をしていたときのこと。
寒い中、汗をかきながら作業をしていると、何となく足がフラつきはじめた。
同時に、脳(視界)も揺れている感じに。
「目眩(めまい)?それとも気のせい?」
私は、それまでの人生で体感したことがない感覚に、少し戸惑った。
目の前の視界が身体(視線)の動きにリンクしていないのは明らか。
普通に歩いているつもりでも、身体は自然と左側へ傾いていく。
しかし、作業の真只中。
その症状は作業を止めるほど深刻なものでもなく、フラつきを不快に感じながらも、作業はそのまま続行した。
そして、自分をダマシながら作業を進め、その日の作業はなんとか終わらせた。

症状が悪化したのは、その日の夜になってから。
夕方、私は、褒美の晩酌を楽しみにしながら退社。
依然として軽い目眩はあったものの、
「ま、そのうち治るだろう・・・」
と大して気にもせず、好きな肴を買って家路についた。
そして、いつも通り風呂に入り、一日の終わりに安堵した。
しかし、酒肴に舌鼓を打とうとしたところで、安堵は不安に変わった。
軽くおさまっていた目眩が急激に酷くなってきたのだ。

「あれ?変だな・・・」
身体(視線)は動いていないのに、視界が勝手に左スライド。
しかも、次第にそのスピードはアップ。
状態の急変に驚いた私は、辺りをキョロキョロ。
極めつきは、天井を見上げたとき。
視界は半時計回りに回り、左スライド同様、そのスピードは増すばかり。
すぐに視線を下げればよかったものを、あまりの光景に好奇心にも似た驚きを覚えて、頭を降ろすことができず。
結果、猛烈な勢いでグルグルと回る視界の下、目を回してダウンしてしまった。

この状況に、湧いていた不安感は恐怖感に変わった。
同時に、吐気も。
こんな症状に見舞われるのは、生まれて初めて。
もちろん、こうなると晩酌どころではない。
「目眩 原因 対処法」
気が動転する中、フラフラする頭でスマホを検索。
でてくるサイトを次々に開きながら、原因と対処法を探っていった。

ネットには、「頭痛や身体に痺れが発生したり呂律(ろれつ)が回らなかったりする場合は危険だから、すぐ病院へ!」とあった。
が、幸い、私にはその症状はなかった。
ただ、とにかく、横を見れば景色がスライドし、天井を見ればグルグル回る。
しかも、かなりのハイスピードで。
身を起こしているとフラフラするばかりなので、とりあえず横に。
そして、目を開けていると気持ち悪くなるので目を閉じ、何かに振り回されるような感覚に苛まれながら、しばらくジッとしていた。

結局、私は、三時間くらい横になったまま動けなかった。
そうしてしばらくすると、少しは気分も落ち着き、目を回しながらも身を起こすことはできるようになった。
ただ、最初の精神的ショックが大きすぎて、身体に力がなかなか入らず。
しかし、ゆっくり休むなら布団にかぎる。
「とにかく、今夜は安静にしていよう・・・」
と決め、同時に
「一晩寝たら治るかも・・・」
と、期待しながら這うようにして布団にもぐり込んだ。

残念ながら、夜が明けても目眩は治っていなかった。
前夜に比べれば改善したものの、視界も頭も明らかにフラついていた。
それでも、仕事は休めない(正確に言うと、会社が休ませてくれないのではなく、休む気がないのかもしれない)。
私は、いつも通り仕事にでて、いつも通り働いた。
ただ、仕事にでるとそれなりに気が張るのだろう、自覚症状はあったけど、家にいるときほど気にならず。
「どうせ治らないなら気にするだけ損」
と開き直って、時を過ごしていった。

結局、目眩は一週間ほど続いた。
“一時的に治まる”なんてことはなく、程度に波はありながらもほとんどずっと。
そんな中で、特に神経を使ったのは車の運転。
事故でも起こしたらとんでもないことになるから。
ただ、そんな緊張をよそに、車の運転は大丈夫だった。
運転中、首を急激に動かしたりしないかぎり、目眩は自覚されず。
目眩による視界変動より車の動きによる視界変動のほうが速くて大きいから、目眩が中和されたのだろう。
しかし、その反動だろうか、車を降りた途端にフラッとよろけていた。
同じように、座った状態から立ち上がる際や身体の向きを変える際にもフラついた。
また、歩いてもにわかにフラフラ。
そのうち、そんな身体の扱いにも慣れてきて(?)、吐気はもよおさなくなり食欲も回復。
自分が少し辛いくらいで、日常生活や仕事で人に迷惑をかけるようなことも起こさずに済んだ。
そして、ありがたいことに、昨日くらいから目眩はかなり治まってきている。

二月にはインフルエンザにかかり、五月には股関節を傷め、八月には蕁麻疹を発症し、九月にはスマホが壊れ(これは関係ないか・・・)、そして、十一月は目眩ときた・・・
また、蕁麻疹発症以降、原因不明の持病である胸痛に襲われる頻度も上がってきている。
ストレス、疲労、更年期障害・・・責任を押し付けられそうな要因はいくらでもあるけど、結局のところ、見た目だけではなく身体の中身も老いて衰えてきているのだろう。
そんな風に、中も外も暗いネタが尽きないけど、その都度 耐え忍び、空元気でもいいから少しでも笑って過ごしたいものである。



そこは、寒風吹くビルの屋上・・・
目の前に広がるのは、飛び散った血・肉・骨・・・
それは、健康な身体でも目眩を起こしそうになるような光景だった。

どこかの誰かが、隣のビルから飛び降りた。
そして、それよりも低いところにある隣のビルの屋上に落下。
その衝撃で、身体の多くが粉々に飛び散ったのだった。

そこはオフィスビルの屋上。
住居用マンション等とは違い、普段、人が立ち入るようなところではなく、たまに立ち入るのは設備メンテナンスの業者くらい。
色々な設備や構造物を設置するため、床面は平たい造りではなく複雑な形状をしていた。

「こりゃヒドい・・・これをやらなきゃならないのか・・・」
高所が苦手であることも相まって、私の目には、その光景がとても凄惨なものに映った。
そして、その作業が気の遠くなるようなものになることは明白で、やる気は衰えていくばかりだった。

ビル風はとても冷たく、そして、とても強く吹いていた。
それは臆病風となり、私の心身を打ち、硬直させた。
「知らない世界に飛ばされるんじゃないか?」と恐くなるくらいに。

そこは街中のオフィスビルで、地上の人通りも多い。
「不幸中の幸い」と言っていいのかどうかわからないけど、故人が地上に到達していたら、誰かがケガをし、また、誰かが巻き添いになって命を落とすことになった可能性が充分にある。
もっと大きな惨事になっていたかもしれないことを考えると、すべての物事のきわどさが身に滲みて寒々しさが増していった。

当然、周囲に人影はなし。
孤独な作業や凄惨な現場には慣れているけど、初動の心細さは否めない。
作業を進めていくうちに特掃魂に火がついて、次第に熱くなっていくのがいつものパターンだから、自分を奮い立たせるには、それを待つほかなかった。

火のついた特掃魂は、本来の私に似合わないパワフルなものになる。
ただ、そこにたどり着くまでが、結構 大変。
作業を嫌がる自分、逃げたがる自分、愚痴る自分、弱音を吐く自分・・・そういう輩といちいち対峙していなかくてはならないから。

血を拭き、肉を削り、骨を拾う・・・
構造物に頭や肘をぶつけながら、狭いところを這いずり回りながら、無理な姿勢に呻き(うめき)声を上げながら・・・
生きるための代償として、懸命に生きていることの証として、私は一人黙々と作業を続けた。

そんな仕事でも、ひと仕事やり終えたときの達成感はあった。
誰に褒められるわけでもなく、誰に喜ばれるわけでもなく、誰かに蔑まれることが多く、誰かに劣ることが多く、ただ金で依頼され請け負った仕事だけど、自分なりの達成感はあった。
そして、それが、誰に誇る必要もない自分の中のプライドになって、次の自分を支えてくれるのである。


人の心は強いものでもあるし、弱いものでもある。
フラフラしてしまうことも多く、ときに、折れて倒れてしまうこともある。
しかし、それで終わりではない・・・諦める必要はない。
時に勝てない以上 時を返してやり直すチャンスは持てないけど、今ここでリセットするチャンスは持てることを知らなければならない。
弱々しくフラつく足にも、“自分次第”といった次元を超えたところにある跳ぶ力を宿らせることができることを知らなければならない。
・・・悩める私は、弱々しく消沈することが多い中でも そう思っている。

そして、ときに、目眩を起こしながら、また、目眩を起こしそうになる出来事に遭遇しながらも、この人生旅路を、笑顔を望みつつ、一日一日大切に、かつ力強く歩いていきたいと思っているのである。


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困惑

2016-10-03 09:33:02 | 特殊清掃 消臭消毒
考えなければならないことが色々あり、気分散漫の状態が続いてブログが書けないでいるうちに、もう十月。
「早いもので、九月も もう半ば」と始めた前回記事を見ると時の速さを痛感するが、とにもかくにも季節は秋本番に入りつつある。
にも関わらず、現実は梅雨のような日々で少々困惑気味。
困惑しているのは人間ばかりではなく、私のウォーキングコース沿いにある家の生垣には、鮮やかな青紫の紫陽花が二輪咲いている。
季節はずれの曇天下にポツンと咲く様が、孤高の誉を映していると同時にどことなく寂しげでもあり、どこかの中年男に似て愛らしく思える。


・・・なんて、呑気なことばかりは言っていられない。
秋の味覚に悪影響があるからだ。
特に、農産物。
小売価格が上がるのは容易に想像できる。
ただでさえ消費税8%に日々の生活を圧迫されているのに、その上、値段が高くなるのは庶民には辛い。
もちろん、誰が悪いわけでもないのだけど、本当に困ってしまう。

最近、困ったことが他にもあった。
一週間前の午後、私のボロスマホがとうとう壊れてしまった。
四年半使ったのだが、不具合はしばらく前からありダマシダマシ使っていたのだが、寿命がきてしまった。
最終的には、画面が真っ暗に。
電源は入るし、着信音は鳴るから作動はしているようなのだが、とにかく画面が真っ暗。
画面上の操作がまるでできなくなり、まったく使いものにならなくなってしまった。

こうなると、お手上げ。
仕事に支障をきたすのだが、その日は時間がなくてショップに行けず。
翌日の午後に何とか時間をつくってショップへ。
今更、旧機を修理しても無駄が多いので、機種変更をすることに。
ショップは混雑しており、予約なしで行ったため、入店から退店するまで要した時間は約三時間。
ただ、早急に何とかしないといけなかったので辛抱して待ち、新しいスマホを手に入れた。

只今、新機の使い方に困っているところだけど、もっと困ったことになったのは電話帳。
メモリーチップには、前のガラケー時代のデータ、つまり、四年半前迄のデータしか保存されておらず。
本体以外、クラウドに保存するなんてことも一切していなかったため(そもそも、そんなもの知らなかった)、こうなってしまった。
つまり、ここ四年半の間で新規登録した氏名・電話番号・メルアドはすべてなくなってしまったわけ。
旧機を修理してデータを取り出せばいいらしいのだが、それなりの費用と時間がかかるため、それはしないことに。
結局、“知っている人からかかってくる知らない番号”を、コツコツ登録していくしかないのである。

困りごとは、まだある。
このところ、不眠症が重症化しているのだ。
夜中に何度も目が醒めるのは長年のことだから諦めているけど、寝ボケ気味の覚醒ではなくハッキリとした覚醒で、しかも色々と考え事をしてしまうため眠れなくなる。
そして、寝付けないまま朝を迎え、悶々としているのは時間がもったいないので、早朝から起きだして仕事にでるのである。

もちろん、その反動はある。
昼間、眠くなることが増えている。
もちろん、眠らないように我慢はする。
それでも、瞬間的に気絶しそうになることがある。
恐いのは、車の運転中。
これは、事故につながりかねない。
仮に事故を起こしたりすれば、自分だけの問題ではなくなり、他人に大きな迷惑をかけることになってしまう。
場合によっては、取り返しのつかない事態を引き起こしたりして、人生を狂わせる(もともと狂ってる?)。
だから、コーヒーやガムは車に常備している。
また、足をつねったり大声を出したりと、ありとあらゆる手で使って睡魔と戦う。
常日頃から心がけているけど、やはり、車をとめて仮眠をとるくらいの気持ちと時間の余裕が必要だ。

あとは、一昨日から左股関節の具合が悪い。
特に何をしたわけでもないのに、その日の早朝から急に痛くなりだしたのだ。
スクワットをしたり四股を踏んだりすればいいらしいから少しやってみてはいるけど、劇的な変化はない。
ゆっくり歩くだけでも痛みがでて、このままでは仕事にも私生活にも障害になる。
五月下旬に痛めたときは、ウォーキングをやめてできるかぎり安静にしていたら痛みは治まったので、今しばらく様子をみようと思うけど、とにかく困ったものである。
ま、スマホみたいに身種変更できないところにも人間の味があるわけで、身体の老朽化は甘んじて受け入れるしかない。



「できるだけ早く来てほしい!」
不動産管理会社から、急な依頼が入った。

自社所有の1Rマンションで住人が死亡。
そのまま相応の時間が経過し、遺体は腐敗。
「外部に異臭が漏れ出し、他の住人が騒ぎ始めたため、早急に処置をしてほしい」
という依頼で、私は、当日の作業を早々に切り上げ、その現場に走った。

現場には、管理会社の担当者が来た。
私より一回りくらい若そうな彼と私は、マンション1Fで合流。
名刺を交換しながら、定型の挨拶を交わした。

「もぉ・・・まいっちゃいましたよぉ・・・」
挨拶を交わした後の彼は、第一声でそう嘆いた。
ただ、彼が“まいった”原因は、私が思っていたものではなかった。
彼は、会社から“お前が行ってこい”と指示されたよう。
そして、“なんで俺が?”と疑問が残る中、上司の命令には逆らえず、渋々、現場にやってきたのだった。
彼は、自社物件で腐乱死体が発生したことを嘆いたのではなく、自分がその処理を担当することになってしまったことを嘆いたのだ。
それはそれで正直な気持ちなのだろうけど、本来、サラリーマンは組織人として仕事をするもの。
しかし、彼にその弁え(わきまえ)はなさそうで、個人的な愚痴を初対面の私に吐露。
私は、そこのところに、親しみを含め、ちょっとした感覚のズレを覚えた。

そんな具合で、彼にあまり緊迫した様子はなし。
“管理会社の一社員”という気軽な立場のせいか、もともとの彼のスタンスか、事の経緯を他人事のように説明。
遺体発見時、自分の所属部署が騒動になったことを、身振り手振りも大袈裟に、時には笑いを交えながら話した。
そして、人が一人亡くなって、しかも近隣から苦情がきているにも関わらず、
「死んじゃったもんは仕方ないっすよ」
と、あっけらかん。
私は、大らかなのか無神経なのかよくわからないキャラが妙におかしくて、苦笑いを浮かべた。

玄関前周辺には確かに異臭が漏洩していた。
それを鼻に感じた彼は、
「うわぁ~・・・クセーッ! こんなニオイがするもんなんですか!?」
と、ウケでも狙っているかのように、オーバーリアクション。
そして、
「うえ・・・気持ち悪くなってきたぁ・・・ゲホゲホ・・・」
と、周囲に聞えることなんかまったく気にせず、笑いながら咳き込んだ。

そうして、場もわきまえず、しばし談笑して後、
「でも、心配しないで下さい・・・警察は、“中はそんなに酷くない”って言ってましたから・・・」
と、彼は、顔を真に変え、目を泳がせながら中の様子を教えてくれた。
ただ、ウソをつくのは下手なよう。
私が恐怖感を抱かないように気を使ってくれたようだったが、私だって素人ではない。
ニオイを嗅げば、室内がライト級でないことくらいはわかる。
そして、そんなことは、室内を見ればすぐに明らかになる。
だから、「本当ですか?」なんて野暮な質問はせず、「だといいですけどね・・・」と、彼の心遣いをありがたくもらっておいた。

困ったのは、その後、遺族も合流したときのこと。
彼のキャラは相手や空気では変わらず。
「こんなニオイ初めてでしょ!?」
「うわ・・・また気持ち悪くなってきた・・・ゲホゲホ・・・」
と、遺族に対しても変わらないノリ。
“困った人だなぁ・・・遺族がいてもこのノリとは・・・”
と、私は、内心で苦笑いしながら、
“気を悪くしてるんじゃないか?”
と、そっと遺族の顔色をうかがった。

遺族は、故人が孤独死腐乱したことについて、またそれが原因で周囲に迷惑をかけてしまっていることについて、酷く咎められることを覚悟してきたよう。
平身低頭で表情を強ばらせていた。
しかし、彼は、起こった出来事を
「死んじゃったもんは仕方ないっすよ」
と、余計な文句を言うでもなく たった一言で片付けた。
そして、今後の処理方を詳しく説明。
話の内容は、ほとんど私からの請け売りだったが、その姿は建設的というか、とても前向きなものに見え、清々しくホッとさせられるものがあった。
一方の遺族は、少し拍子抜けしたような様子。
固かった表情も和らいでいき、穏やかな表情に変わっていった。


「本当の自分」という言葉をよく耳にする。
「本当の自分を探す」とか「本当の自分を取り戻す」とかいった具合に。
しかし、本当の自分って一人だろうか・・・
私は、そうは思わない。
本当の自分は、本音と建前、礼儀と無礼、善と悪の狭間と困惑の中に何人もいる・・・何人も。
そして、本意だろうが不本意だろうが、TPOに合わせて、そいつ等を着分けるのが今の世の当り前の生き方である。

担当者の彼は、良く言えば「正直者」、悪く言えば「無礼者」。
“空気を読む”ということを知らないのかどうか・・・ただ、悪気がないことは伝わってきた。
どちらにしろ、憎めないタイプの人物だった。

「いい人なんだろうけど、出世はしなそうだな・・・」
私は、死場にいながらもストレートなセリフを吐いたり笑ったりする彼を見ながらそう思った。
そして、そんな彼に困惑しつつも、偏った幸福観しか持ち合わせていないが故に、彼の屈託のない子供のような笑顔を羨ましく思ったのだった。


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酒肴

2016-09-14 09:14:56 | 特殊清掃 消臭消毒
早いもので、九月も もう半ば。
朝晩は涼が感じられるようになってきた。
過去形にして油断するのは少し早いかもしれないけど、夏の酷暑は過ぎ去った。

幸い、今年は熱中症にはならなかった。
そうならないよう気をつけたのはもちろん、例年に比べて暑さが少し楽だったから。
そうは言っても、「暑くなかった」というわけではない。
多くはなかったけど、強烈な暑さに襲われてしんどい思いをしたことは何度かあった。

特にキツいのが、前回書いたようなサウナ部屋での作業。
そして、炎天下、階上から階段を使って荷物(不用家財等)を搬出する作業。
階段の上り下りは、かなり身体に堪える。
上るときは手ブラなのに、やたらと足(身体)が重い。
体重を増やしていないから少しはマシだと思うけど、汗が滝のように流れるのはもちろん、腕を見ると、汗が皮膚から噴き出しているように見えることもしばしば。
心臓はバクバクと鼓動するし、身体も、その核でマグマが燃えているように熱を帯びる。
酷いときは呼吸が苦しくなり危険な状態に陥る。
ここまでくると危険。
どんなに忙しくても、作業を中断して小休止しないと、とんでもないことになる。

そんな状態では、とにかく、日陰に入って水分補給。
そして、乱れた心動と呼吸を、ゆっくり整える。
あまり長く休むと気持が萎えてくるのだが、それが整わないうちに作業を再開しても、またすぐに休むハメになり、結局、作業効率が落ちる。
そうなると元も子もないので、ある程度、呼吸が整うまで待ってから作業を再開。
「ツラいなぁ・・・キツいなぁ・・・苦しいなぁ・・・」
そうボヤキつつも、
「何のため?・・・自分のため!生きるため!」
と、自分を励ましながら、再び熱暑の中に身を投じるのである。

それでも、過酷な労働は永久ではない。
一仕事終えれば休息が待っている。
特に、肉体労働に汗した日には、どうしても晩酌がしたくなる。
日常に楽しみが少ない私にとって、晩酌は大きな楽しみ。
「今日は飲んでいい日」だと思うと、朝から少し気分が明るくなり、昼間の仕事にも精がでる。
ただ、決めた数の休肝日を守るのは自分と約束したこと。
その敗北感・劣等感を思うと、到底、約束を破る気にはなれない。

現在、週休肝二日を越えて週休肝三日を堅持している私は、仕事のスケジュールに合わせて日程を調整している。
「明日はキツい作業だから晩酌したくなるはず」
「だから、今日は我慢して休肝日にしとこう」
と言った具合に。
でも、飲みたい日に我慢するのは楽じゃない。
だから、「飲まない」と決めた日は、多目の夕飯を早々と食べたり、喉がどうしても欲しがるときはノンアルコールビールを飲んだりしてしのいでいる。

現在、私は、ウイスキー党。
糖分と懐具合を気にして、大好物の にごり酒も、近年は手を出していない。
また、もともとはロックで飲むのが好きだったのだけど、身体と懐具合を考慮して、近年はハイボールで楽しんでいる。
銘柄は、スコッチか国産が好みだけど、もちろん、高級酒には手が出ない。
一本700mlで数百円の庶民的なヤツ。
更に、コストパフォーマンスをよくするために、二週間ほど前に、これの4ℓの大ボトルを買った。
それでも、味は悪くなく、充分に美味しい。
“安い=美味くない”なんてことはまったくない。
また、ウイスキーは肴を選ばない。
個人的には、唐揚や刺身を好んでしまうが、野菜や乾物・菓子だって上等のツマミになる。
味や香はもちろん、色味も気に入っているけど、この、肴を選ばないところも大いに気に入っている。

・・・なんて、読み手にはつまらない(?)ウイスキー談義はこれくらいにしておこう。


出向いた現場は郊外の一戸建。
築年数は古いものの、部屋数は多くしっかりした造り。
新築当時は、結構な高級感をもっていたであろうことは、家の雰囲気から伝わってきた。

家には、かつて老夫婦が住んでいたのだが、夫は90を越えて他界。
80代の妻も、介護が必要な状態になり、老人施設に入所。
結局、この家には住む人がなくなり、また、子供達もそれぞれに家族を持って自前の居を構えていたため、将来に渡っても住む人はおらず。
結局、売却処分することになり、長男が担って家財生活用品を片付けることになったのだった。

リビングには、暖炉を模した立派なカウンターがあった。
そして、その上には色々な調度品が並んでいた。
中でも目を惹いたのは、大きなウイスキーボトル。
そのウイスキーは“SUNTORY OLD(特級)”の4ℓ大瓶。

私が、マジマジとそれを眺めているのに気づいた依頼者の男性は、
「これ・・・だいぶ前にオヤジが買ってきたんだよね・・・」
「いつだったっけな・・・え~っと・・・38年!38年前だ!」
と、その瓶を見つめながら、懐かしそうにそう言った。
そして、亡き父親から聞いた話を、懐かしそうに私に聞かせてくれた。

男性が生まれるずっと前、戦争末期の昭和19年、独身だった父親に赤紙(召集令状)が届いた。
戦局は悪化の一途をたどり、敗戦の色が濃くなってきた時期で、本人も家族も、生きて帰れないことを覚悟する必要があった。
しかし、命じられた任務は本土防衛。
激戦の外地に送られなかったことが、結果的に、落としかけた命をつなぎとめた。
そうして、そのまま終戦を迎え、父親は復員することができた。
当時は皆がそうだったように、戦後、父親は、仕事を選ばずガムシャラに働き、結婚し、家族を持ち、この家を建てた。
そして、やっと上向きになった暮らしの中で、父親は、日本酒党なのに、このウイスキーを買ってきたのだった。

その昔、税制が変わる前は、ウイスキーは高かった。
“OLD”は、今では高級酒の部類ではないが、「特級」と書いてあるくらいだから、当時は高級品だったのかもしれない。
しかも、4ℓの大瓶となると、結構な金額だったはず。
男性の父親は、はなから飲むためではなく、飾っておくために買ってきたのだろう。
豊かで平和な暮しを手に入れたことの証として、また、“国産の洋酒”という点に 貧しいながらも夢と希望に満ちていた時代を重ねて。
それを想うと、乾いた時代に生きる他人の私でも感慨深いものを感じた。

ウイスキーは、アルコール度数が高いため「腐らない」とされている。
だから、賞味期限は設定されていないし、現に、どのウイスキーをみても、ラベルにも賞味期限や消費期限らしき印字はない。
実際に私も何年も前のウイスキーを飲んだことが何度かあるけど、味も体調も何の問題もなかった。
それを知っていた私は、
「これ、未開封ですから、まだ充分に飲めますよ」
と、言いながら、滅多にお目にかかれない珍品でも見るようにボトルに顔を近づけた。
すると、男性は、
「よかったら、どうぞ・・・持って帰って」
「これも何かの縁でしょう・・・美味しく飲んでくれる人に飲んでもらったほうがいいから・・・」
と言う。
自身でもウイスキーは飲むそうなのだが、どうも、そのウイスキーを自分で飲む気にはなれない様子。
その想い出があまりにも懐かしく、自分の中で重すぎて、飲むと涙酒になってしまいそうに思えたのかもしれなかった。

しかし、それは、38年もの間、リビングのカウンターに置かれて、家族の歴史を見てきた品・・・家族の想い出を象徴する品。
そんな宝物のようなモノを、アカの他人の私がもらうなんて恐縮しきり。
だから、私は丁重に断った。
が、それでも、男性は「遠慮なくどうぞ!」と強くすすめてくれ、固辞し続けるのも失礼かと思い、結局、私は、そのウイスキーをもらうことに。
仕事終わりに何度も礼を言って、赤子を抱くように“ダルマ”を抱え、持ち帰ったのだった。

瓶は、ホコリを被って汚れ、長く放置されていたせいでガラス面にツヤもなくなっていた。
そのままでは見た目も悪いし不衛生なため、私は、濡タオルを持ってきて拭いてみた。
すると、色褪せたラベルがボロボロと剥離。
それが垢のように汚くみえるものだから、更に擦り続けたら、ラベルはどんどん剥がれていき、文字のほとんどが見えなくなってしまった。
その様は、人生の儚さを象徴しているようにも見えて、少し物悲しいような切ないような気分にさせられた。
ただ、それも、過ぎた時間と事物の有限性が成したこと。
人間の領域を超えたところにある、人の手ではどうすることもできない真理。
しかし、外見は損じても中身は充分にイケるはず。
くたびれた外見を持つこの中年男も、「中身はまだイケるかな?」と酒味と人間味を重ねて、美味を期待したのだった。


私にとって、晩酌の時間は格別のひと時。
好きな酒が好きなように飲めるわけで、飲んでいるときは、それなりに楽しい。
そして、口に入れる肴だけではなく、心に湧く想い出を肴に酒を飲むのも、なかなか乙なもの。
甘味や旨味だけではなく、苦味もあれば妙味もあるけど、それらも私にとっては いい肴になる。
過酷な仕事や凄惨な光景を思い出しながらでも美酒が飲める私は変態なのかもしれないけど、それが自分を支える糧になっていることに間違いはないから。

ホロ酔の心には、色々な想い出が湧いてくる。
楽しかった想い出、嬉しかった想い出、苦しかった想い出、辛かった想い出、悲しかった想い出・・・
あんなこともあった こんなこともあった あんな人もいた こんな人もいた と想い出を掘り返しては、微笑んだり しんみりしたり・・・
先日なんて、チビ犬が死んだときのことを想い出して、ポロポロと涙酒になってしまった。

それでも、人生は短い・・
人生なんてアッという間・・・
自分が生まれる前の時間、死んだ後の時間、人類が生まれる前の時間、人類が滅びた後の時間、地球の歳、太陽の寿命、宇宙の始まりと終わり・・・
それらと比べると、自分が生きている時間なんて無に等しい。
だから、生まれてきたことに、生きていることに、生きることに意味がないというのではない。
逆に、だからこそ意味がある。
苦悩を流せる感性が芽吹き、幸福を尊ぶ志向が実り、短い人生にある一瞬一瞬が輝くのである。

今日は休肝日にしようか、どうしようか迷っている。
ハードな肉体労働は予定していないから休肝日にすべきところだけど、こんな記事で更新したら飲みたくなるに決まっている。
ま、どちらにしろ、飲んでるときぐらいは、美味い肴に舌鼓を打って、昨日の悔いも今日の不満も明日の不安も忘れたいものである。
そのたくましさが、また次の酒肴の味と己の心力を高めるのだから。



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クスクス

2016-08-29 08:05:44 | 特殊清掃 消臭消毒
晩夏、九月ももう目前。
台風頻発のせいか、朝晩は、明らかな秋の気配が感じられるようになっている。
もちろん、このまま秋へ一直線というわけにはいかず、この先 厳しい残暑に見舞われることもあるのだろうけど、とにもかくにも今年の夏も一段落ついた。

しかし、今年の夏は、例年に比べると暑さが楽だったように思う、
梅雨明けも遅かったし、その後も雨天・曇天が多く、猛暑日が長く続くこともなかった。
不安定な空模様で、空は晴れているのに、いきなりドシャ降りの雨が降ったり、何の前ぶれもなく雷鳴が響いたりしたことも多かった。
もちろん、酷暑にヒーヒー言わされたことはあったけど、それも散発。
例年だと、毎晩のようにクーラーをつけないと寝付けなかったように思うけど、今年は、扇風機だけでしのげた夜が何度もあった。

私は、車に乗っているときは、基本的にエアコン(冷房)は使わないのだが、耐え難い猛暑で走ったのはほんの数日だったように思う。
暑かったことは暑かったけど、あとは、少しの辛抱で乗りきれた。

ちなみに、その様を見た部外者から、
「エアコン使わないんですか?」
と訊かれたことがある。
暑いのにエアコンを使わないでいることが、変に見えるのだろう。
訊かれた私は、
「気持ちが萎えて、かえってキツい思いをしますから・・・」
と応えた。

涼を与え過ぎると、暑を避けようとする自分、暑から逃げようとする自分がでてくる。
すると、現場に入ることを億劫がる自分が生まれ、“効率”を名目に仕事の手を抜こうとする怠惰な(本来の)自分が生まれる。
そうして、堕落の一途をたどってしまう。
ストイックになりすぎるのもよくないけど、自分を甘やかして困るのは他でもなく自分。
ある程度の忍耐、自制をきかせるのは、結局、自分のためなのである。

もちろん、それは、自分一人で乗っている場合にかぎる。
誰かと乗っているときは、そんなことはしない。
「エアコンなしでいい?」
なんて、意味不明なことも言わない。
真夏にエアコンもつけないで車を走らせるなんて、同乗者にとっては極めて迷惑な話だし、常識的に考えて無理があるから。
だから、黙って自分も涼に身を置き、しばし自分を甘やかす。

自分を甘やかさない方法としては、先方切って現場に走ることも挙げられる。
また、できる限り、作業を一人でやりきることも。
何度も書いてきた通り、私の場合、特殊清掃作業は一人でやることがほとんど。
複数人でやるのは、広範囲に渡る血痕清掃や何十匹の動物死骸処理、大型家財・大量家財の処分くらい。
「一人でやるんですか!?」
と驚かれることも多いけど、人が一人亡くなったくらいの痕清掃は、ほとんどの場合 大の大人二人分の作業量はない。
ただ、人は、肉体作業の観点から驚くのではなく、メンタルな部分で驚くのだと思う。
「恐くないのか?」「一人で心細くないのか?」と。
凄惨な現場に対して、「恐い」「不気味」「気持ち悪い」等と思い、嫌悪するのだと思う。
私だって、一応(?)ただの人間だから、少なからずの嫌悪感や恐怖感は覚える。

それでも、私は、一人のほうが楽。
肉体的に少々キツい思いをしても、誰に気を使う必要もなく、自分のペース・自分のやり方で好きなようにできる。
誰かと組んだ場合、その者がやる気満々の動きをみせないとストレスがかかるし、楽しようとする姿勢が見えたりすると怒りさえ覚えてくるから。
結局、一人の方が、余計なストレスがかからず、仕事に集中できるのだ。


酷暑のある日、例によって、私は特掃の現場へ一人で出向いた。
現場は、マンションの上階一室。
その部屋の住人が孤独死し、一ヶ月近い時間の中で腐乱。
部屋には、おびただしい量の腐敗汚物が残留し、おびただしい数のウジ・ハエが発生。
同時に、“鼻を突く”どころの話ではないハイレベルな悪臭が腹をえぐってきた。

エアコンを使わない主義であっても、それは車の場合。
車は窓を全開にできる。
温風(ときに熱風)ながら、風が吹けば空気が通るし、走れば風が吹き込んでくる。
しかし、汚部屋の場合、窓は開けられない。
外への悪臭の漏洩やハエの飛散を防ぐために。
だから、風が吹き込むこともなければ、空気が流れることもない。
いわば、蒸風呂・サウナ状態。
さすがに、これでの作業は辛く、ときに危険。
ましてや、部屋には一人きり。
熱中症で倒れても、電話でもしないかぎり、すぐには気づかれない。
意識を失いでもしたら、自分が死体になってしまう。

したがって、許可があれば、エアコンを使わせてもらう。
ここでも、依頼者は、
「どうせ、エアコンは新品に交換しないとダメでしょうから、遠慮なく使って下さい」
と、猛暑の中、部屋に入る私に気を使ってくれた。

「エアコンが使えるなら、終わるまで中にいられるな・・・」
私は、そう思いながら作業をシミュレーション。
作業途中に部屋から出ないで済むよう、必要になりそうな備品・道具に漏れがないか頭の中で念入りに確認した。
そして、それら一式と多目の飲料を持って部屋に入った。

「うわッ!暑ッ!・・・とりあえずエアコンをつけるか・・・」
蒸し上げられた部屋の熱気に包まれた私は、腐敗痕を横目に、まずはエアコンのリモコンを探した。
しかし、それらしきモノはどこにも見当たらず。
故人も、普段からエアコンは使っていたはずなのに、目についたのはTVやDVDのリモコンだけ。
肝心のエアコンのリモコンはどこにも見えず。
私は、目の錯覚を疑いながら部屋のテーブル・ソファーから床一面を凝視し、リモコンを探した。

そうして、しばらく探し回ったが、結局、見つけることはできず。
本体に作動スイッチを探したが、それもなし。
時間ばかりが経過する中、そんなことばかりやっていては仕事にならない。
結局、私は、エアコンを使うことを諦めて、特掃作業にとりかかることに。
噴き出す汗で貼りつく作業服に動きづらさを感じながら、いつもにセオリーに従って作業を開始した。

そこは、ハンパじゃない暑さ。
汗は作業服だけでは吸いきれず、服の端からポタポタと滴り落ちた。
更に、作業を進めていくうちに心臓の鼓動は大きくなり、呼吸もやや困難に。
作業も山場を越え終盤になった頃、危険を感じた私は、一旦、外に出ることに。
作業途中に休憩を入れると気持ちが萎えるし、もう少し頑張れば終わるので、あまりそうしたくはなかったけど、そこは、そんなこと言っていられるほど甘い状況ではなかった。

そんな中、時間を見るため、私は壁にかかった時計を見上げた。
すると、あるモノが視界に。
それは、エアコンのリモコン。
リモコンは、どこかに紛れていたわけでもなく、隠されていたわけでもなく、柱に取り付けられたケースに収まっており、ずっと私の目に見えるところにあったのだ。
ただ、酷な作業を前に緊張していたのか、暑さから逃れようと焦っていたのか、または、引力に従った一種の先入観が働いたのか、私がそれに気づかなかっただけ。
私は、自分のマヌケさに呆れながら、
「こんなところにあったのか・・・」
「また一つ、訓練してもらったな・・・」
と、いらぬ酷暑の中で汗と脂にまみれた醜態をクスッと笑った。

リモコン発見によって、そのまま部屋で休息する手もでてきたが、部屋が不衛生極まりないことには変わりはない。
無臭の空気に触れたかったし冷たい飲み物も欲しかった私は、やはり外で休憩をとることにした。
が、私は、立派なウ○コ男に変身済み。
自分自身が腐乱死体になったごとく、凄まじい悪臭を放つわけで、エレベーターに乗ることはもちろん、共用廊下やエントランスを歩くこともままならず。
私は、廊下や階段に人気がないことを確認し、スプレー式の消臭剤を噴射しながら逃げる泥棒のように廊下を走り、非常階段を駆け降りた。


まず必要なのは、水分の補給。
冷えた飲み物を手に入れるには、どこかで買い求めるしかない。
しかし、当然、コンビニ等の店には入れない。
警察に通報こそされないだろうけど、店や他の客から顰蹙を買うことは必至。
となると、自販機で買うしかない。
私は、陽がジリジリと照りつける中にも涼を感じながら、また、きれいな空気で深呼吸をしながら自販機を探して歩いた。

自販機は近所にすぐに見つかった。
私は、周囲に誰もいないことを確認した上で自販機の前に立ち、スポーツドリンクと水を買うため財布から二本分の小銭をとりだして投入した。
すると、運の悪いことに、そこへいきなり自転車に乗った小学3~4年くらいの女の子が二人現れ 近寄ってきた。
そして、私の不安をよそに、自販機の脇に自転車をとめ、私の後ろに並んだ。

すると、私の不安は的中。
二人は、ハモるように、
「ウッ!クサイ!何!?コレ何!?」
と驚嘆の声をあげた。
そう・・・私が放つ、それまでに嗅いだことのない凄まじい悪臭が、二人の鼻を突いたのだ。
そして、その元が私であることはすぐにわかったみたいで、二人は驚愕の表情で、私の身体とお互いの顔に交互に視線をやった。
それは、私が放つ悪臭に驚き、その信じ難い現実が現実であることを確認するための自然の動作だった。

好奇の笑みでもいいから二人がクスッとでも笑ってくれれば 少しは気が楽だったのだが、二人はそんな余裕もない感じで強ばった表情。
その困惑ぶりを目の当たりにした私は、いたたまれない心境に。
そして、慌てて商品ボタンを連打。
飲料を持って さっさと自販機から離れたかったのだが、狭い受取口に二本が詰まり、なかなか取り出せず。
突き刺さる二人の視線が気を焦らせ、それが更に手をモタつかせ、あたふた あたふた。
その動きが、一層、私を異様に映したのだろう、二人は、私から距離を空けたところに退き、珍獣でも見るような目でその様を見ていた。

逃げるように自販機を後にした私は、罪人になったような気分で人気のない日陰を探し、そこに身を隠すように座った。
そして、買ってきた飲料二本を、むさぼるように飲み干した。
そうして、一息つきながら、
「あの子達・・・俺の話で盛り上がっただろうな・・・」
「家に帰って、家族にもハイテンションで話すかもな・・・」
と、私に近づいて目を丸くした女の子達を思い出してクスッと笑った。
一時だけでも、子供達の間で“伝説の悪臭怪人”になるかもしれないことがおかしかった。

惨めな気持ちにはならなかった。
寂しい気分にもならなかった。
ただ、おかしかった。
自分の姿がおかしかったのか、自分の生き様がおかしかったのか、そんな状況でも笑う自分がおかしかったのか、よくわからなかったけど、日々、つまらないことでクヨクヨしてしまうことがバカバカしく思えた ひと時だった。


普段から、私は、自分の境遇や愚弱さを嘆くことが多い。
だけど、凄惨な状況で、悲惨な姿で、辛い作業に従事している中でもクスッと笑える自分が ちょっとたけ頼もしく思える。
そして、そんな自分の人生が、ちょっとだけ喜ばしく思えて、またクスッと笑うのである。


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Battle

2016-08-22 09:00:35 | Weblog

昨日、やっと、リオデジャネイロオリンピックが終わった。
事前には心配の種がたくさんあったようだが、大きな事件や事故はなく終わったようで(知らないだけ?)、何よりである。
開催中は、日々、色々な戦いが繰り広げられた。
もちろん、“戦い”は、試合本番だけではない。
そこにたどり着く前にも、様々な戦いがあったはず。
そして、選手本人はもちろん、関係者も、それに勝つために、並々ならぬ努力を積み重ねてきたはず。
もちろん、努力が報われるとは限らない。
報われた人より、報われなかった人の方が多いかもしれない。
が、努力してきたことは、間違いのない事実。
そう考えると、メダル以外の収穫も大きいのではなかと思う。
また、多くの人の人生に、たくさんのいい思い出も残ったはず。
それもまた、かけがえのない宝物だと思う。

そう賞賛しつつも、実のところ、私は、オリンピックにほとんど興味がない。
上記一行目に「やっと」と入れた理由はそこにある。
スポーツに縁のない人生を生きてきた私はTV観戦するほどの興味もなく、夜中に試合を観て、翌朝、眠い目をこすりながら仕事に出かけるなんてことはまったくありえない。
だから、世間は、連日、オリンピックの話題で持ちきりだったけど、私の目や耳がそれに惹かれることもなし。
もちろん、日本選手の健闘を願う気持ちはあったけど、それも社交辞令的に少しだけ。
日本の選手がメダルをとったときなどは、どのTVチャンネルもその話題でもちきりだったが、興味のない私は飽き飽きして、
「もういい加減にしてほしいよなぁ・・・そんなにみんなオリンピックが好きなのか!?」
と、イラついたりもした。

こんな、私は、おかしい? 珍しい? 少数派?
誰に非難されたわけでもないけど、社会に馴染めてない感じがして、自分に不愉快な思いをしている。
ま、何はともあれ、次は東京だ。
四年後・・・もちろん、その時、生きているかどうか、どこで何をしているかもわからないけど、東京開催のときくらいは、その戦いを熱く応援したいものである。



出向いた現場は、とある賃貸マンションの一室。
そこの浴室内で、住人が練炭自殺。
発見はかなり遅れ、浴室は、極めて深刻な状況になっていた。

時季は暑い季節。
玄関ドアを開けると、蒸された空気がムアッと噴出。
更に、浴室の扉を開けると、モノ凄い悪臭が鼻を突いてきた。

浴室には窓はなく、電気はとめられており、玄関ドアを閉めるとほぼ真っ暗。
ベランダからの外陽も、離れたうえ直線で結べない浴室にはまったく届かず。
懐中電灯なしでは、身動き一つとれなかった。

場所を問わす“暗闇”というものは、あまり気味のいいものではない。
ましてや、そこは、自殺腐乱死体現場。
気温は高いはずなのに、私は、何とも寒々しいものを感じた。

私は、尻ポケットに差し込んでいた懐中電灯をつけ、中を照らした。
すると、想像していた通りの凄惨な光景が目に飛び込んできた。
そして、依頼があれば、それを掃除しなければならない自分を見つめ、“それが生きるための手段”と、気持ちを奮い立たせた。

汚染は浴室全体に広がっていたが、最も酷く汚染されていたのは浴槽の底。
故人は浴槽に座り込んでいたのだろう、大量の腐敗粘度が浴槽底を埋め尽くし、部分カツラのような頭髪も残留。
また、遺体を引きずり出すときに剥がれたのだろう、浴槽の縁や側面には、乾いた皮膚がオブラートのように付着していた。

浴槽側の壁二隅には天井に向かって三角錐形の汚染。
それは、無数のウジが登った痕。
それが、まるで鬼の角のように私を見下ろしていた。

扉の通気口、換気扇、点検口、排水口、穴や隙間はすべてガムテープで密閉。
もちろん、それらは、死を目前にした故人が貼ったもの。
死への意思の固さを表すかのように、強固に貼り込まれていた。

それらを剥がす作業は、独特の気重さがある。
「生きるためとはいえ・・・俺も、よくやるよな・・・」
私は、作業の重さを想像しながら、人生との戦いを諦めた者のような溜息をついた。


亡くなったのは、私には縁もゆかりもない人。
顔も名前も年齢も、もちろん、最期に至った経緯も何も知らない。
故人に関して知っているのは、練炭自殺で亡くなったことと、その後、長く放置され腐乱死体で発見されたということだけ。
だけど、そこには一人の人が生きていた。
私と同じ、一つの命と一つの身体を持った一人の人が生きていた。

練炭が燃え、室温が上がる中で、浴槽にうずくまった故人・・・
酸素が薄くなり、遠のく意識の中で、故人は何を思ったか・・・
戦い疲れ、「これで楽になれる・・・」と安堵の気持ちを抱いたか・・・
戦い敗れ、「もっと生きていたかった・・・」と悲壮感を漂わせていたか・・・
私は、考えても仕方のないことを頭に巡らせながら、
「それでも生きなきゃならないんだよ・・・」
「そのために頑張らなきゃならないんだよ・・・」
と、故人を責めるつもりも見下すつもりもなく、ただ、私は、似たような自分と故人を重ねながら、故人に応えるように、重くなった心の中で何度もそうつぶやいた。

嫌悪感や気重のピークは最初の段階にくる。
身の毛もよだつ光景、腹をえぐる悪臭、何かの気配を感じながらの静寂、皮膚に浸み込んできそうな毒感・・・
そして、最期の様、そこに至った経緯etc・・・
そういったものが、私の精神を圧してくるのだ。
ただ、作業にとりかかると、次第にそれは中和されていく。
これまでにも何度か書いてきたように、腐敗汚物が人に戻ってくるような感覚を覚えるのだ。
そうすると、嫌悪感や気重は徐々に薄まっていき、そのうち、ほとんど気にならなくなる。
更には、自分のため?故人のため?依頼者のため?・・・自分でもよくわからないけど、「徹底的にきれいにしてやろう」と熱くなってきて、必死に生きていることの実感が湧いてくる。
そうなると、もう嫌悪感や気重はなくなっている。
後に残るのは闘争心。
様々な敵がいる中で、自分を相手にした戦いに入っていくのである。

この世界に飛び込んで(逃げ込んで?)、二十四回目の辛夏。
それなりに戦い、それなりに努力し、それなりに耐えてきた。
その効か、人の役に立つような仕事もできるようになり、たまには、誰かの支えになるような言葉も吐けるようになってきた。
ただ、決して気分のいい仕事ではないし、陽の当る場所で誉めてもらえるような仕事でもない。
所詮は、自分の中で妥協と迎合を使い分けながら満足するしかない仕事なのである。

そんな仕事に、四捨五入すると五十歳になる私は、色んな意味で“限界”を感じつつある。
もちろん、世の中には、五十になっても六十になっても、もっとハードな仕事をこなしている人、こなさざるを得ない人はたくさんいると思う。
そう思えば、私も、まだまだ頑張れるはずなのだろうけど、身体だけでなく精神も磨り減っているような気がしている。
磨り減るものがなくなったときが“終わり”なのかもしれないけど、それはそれで切ないものがある。
疲れて倒れるように終わるのも悪くないのかもしれないけど、できることなら、満たされて終わりたい。

だったら、一生懸命やるしかない。
何事も、一生懸命やらなくて後悔することはあっても、一生懸命にやって後悔することはないから。
もちろん、その一生懸命さが報われるとは限らない。
自分が期待していた結果がもたらされなかったり、期待していなかった結果がもたらされたりする。
それでも、一生懸命やったことに対して後悔はないはず。
後悔は、一生懸命やらなかったことに対して湧いてくるもの。
だから、
「こんな仕事だって、自分に与えられている限りは一所懸命にやらなければならない」
と、自分に言いきかせている。
そして、そうすると、実際、必死に生きていることが強く実感できるのである。


人生は、旅のようであり、冒険のようであり、そして、戦いのようなものでもある。
その時々で、その場 その場で色々な戦いが起こる。
人を相手に、社会を相手に、仕事を相手に、金を相手に、病を相手に、老いを相手に、生活を相手に、時間を相手に、自分を相手に、戦いに事欠くことはない。
だから、苦・辛・悲は多く、楽・幸・喜は少なく感じてしまう。
しかし、だからこそ、戦う意味があるのかもしれない・・・
戦うおもしろさがあるのかもしれない・・・

愚弱な私が私である限り、この“かもしれない・・・”が確信に変わる日はこないかもしれないけど、それでも、私は、それを肯定し続けて生きたいと思っているのである。

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蕁麻心

2016-08-15 08:25:26 | Weblog
二週間ほど前のことになる。
午前中、とある現場に現地調査に出かけた。
依頼の内容は、家財生活用品(遺品)処理。
家屋は古い一戸建で、家主は数年の入院の末に逝去。
当人は、早期に退院できると思っていたため、家は、入院時そのままの状態で維持。
しかし、そのまま数年が経過。
そして、結局、日常の生活に戻ることはできす、とってあった家財生活用品は丸ごと遺品となった。
私は、部屋一つ一つ、収納庫や押入れ一つ一つを確認はもちろん、物置、鉢植、ガラクタetc、荒れ放題の庭や外周も確認。
行く手を阻む草樹をはらいながら、まとわりつく蚊や蜘蛛の巣をはらいながら検分を進めた。

そうこうして約一時間。
調査を終えた私は、少し離れたコインPにとめておいた車に戻った。
そして、書類を片付けたり、靴を履き替えたりして帰り支度をはじめた。
そうしていると、腹部に違和感が。
ベルトラインに沿って痒みが発生。
シャツをめくり上げて覗いてみると、痒い部分が帯状のミミズ腫に。
私は、そこをポリポリ掻きながら、
「あそこの庭で、虫にでも刺されたんだな・・・」
「ま、放っとけば、そのうち治るだろ・・・」
と、まったく気にせず、次の仕事に車を走らせた。

そうしてしばし、治まるはずの痒みは一向に治まらない。
それどころか、酷くなる一方。
そのうちに、今度は両脇の下が痒くなりだした。
「何!?こりゃ、蚊じゃなさそうだな・・・毛虫か?」
何年か前、とある現場の庭で作業していて毛虫にやられたことがあった私は、その時の症状に似ていたので、そう思った。
ただ、それでも大して気にせず、身体のあちこちをポリポリやりながら、そのまま車を走らせたのだった。


会社に戻る頃には、痒みを感じる箇所がだいぶ増えていた。
同僚も異変に気づき「首筋が赤くなっている」と、驚き気味に教えてくれた。
同僚が大袈裟に言うものだから慌てて鏡を見ると、確かに右の首筋がヒドく赤くなっていた。
「チッ!・・・今日の現場で、虫にやられたみたいなんだよね・・・」
私は、その後の自分に深刻な状況が待ち受けているとは露知らず、舌打ちしながら苦笑いした。

帰宅する頃には、胸元・膝裏・肘裏・股間等々、あちこちの皮膚が赤くなっていた。
「虫刺されじゃなく、汗疹(あせも)か?」
私は、妙な症状を怪訝に思いながら、慌てて入浴。
毛虫なら毒毛を、汗疹なら汗を洗い流さない症状は改善しないと思ったから。
しかし、入浴は何の役にも立たなかった。
皮膚の赤味は、身体の至るところに発生し、その面積は急速に拡大。
更には、痒みと熱をともないながら、ボコボコに腫れあがってきた。

夜にかけて、症状は更に深刻化。
赤腫は、熱と痒みをともないながら全身に拡大。
ほとんど全身がミミズ腫状態(模様は地図状)でボコボコ。
これと関係あるのかどうかわからなかったが、胸に痛みまででてきた。
ここまでくると、さすがに焦り始め、そのうち恐怖感すら覚えてきた

慌てた私は、似たような症状をスマホで検索。
すると、自分の症状と酷似した画像を発見。
それは、虫刺され中毒でも汗疹でもなく、“蕁麻疹(ジンマシン)”。
そして、
「原因不明のものも少なくない」
「同じような時間帯に再発することが多い」
「薬が効かないことがある」
「痒みに悩まされる」等々・・・
ネガティブな情報がたくさんでてきた。
呼吸が苦しくなったり口の中にまで異常がでたりするようなら、救急で病院に行った方がいいみたいだったが、まだ、そこまでの症状はなかったので自宅で様子をみることにした。

ただ、症状は深刻化の一途をたどった。
赤みと腫れは、ピリピリ・チクチクとした痒みを連れて、頭・顔・手平・足裏以外のほとんど全身に拡大。
我ながら、それが自分の身体とは思えないくらい悲惨な状態になってしまった。
そうして、皮膚の痒み・火照り・違和感とバトルを繰り返しながら、長い夜を過ごしたのだった。


幸い、朝になる頃には、7~8割くらいの症状が収束。
顔にも異常はなく(先天的な異常は除く)、私は、いつも通り仕事にでた。
そして、足に残っていた複雑模様の赤腫を同僚に見せながら、前夜の武勇伝(?)をハイテンションで話した。

しかし、峠を越えた安堵感を味わえたのも束の間のことだった。
昼頃になると、赤腫は再発生。
「同じような時間帯に再発生することが多い」とネットに書いてあった通り、首筋・股間・腕・胸等々、あちこちに出始めた。
そのうち、首筋にとどまっていた赤腫は顎にまで進出。
三枚目でも、顔だけは勘弁してほしかった私。
かなり焦り、仕事を早退して動揺とともに皮膚科へ急行したのだった。


病院の待合室。
Tシャツ短パン姿の私は、腕や脚を丸出し。
特に、両腕の症状は酷く、ボコボコに赤く腫れあがった
大人達は、「ジロジロ見るのは失礼」と心得ているのだが、子供達にそんな心遣いはない。
「何!?この人、気持ち悪ッ!」とばかり、私に好奇の視線を送ってきた。
人にうつるようなものではないはずなのだが、客観的に見れば、気持ち悪いのも事実。
私は、患部を隠すように腕組をして、誰とも視線を合わせないようにうつむき加減で自分の番がくるのを待った。

診断は、やはり蕁麻疹。
食べ物や接触物、アレルギー等の持病を中心に問診が繰り返されたが、前日も当日も普段と変わらないものを食べ、普段と変わらない生活しており、原因は特定できず。
私自身も、原因について、まったく心当たりなし。
思い当たるのは、せいぜい、現場で触れた草樹やまとわりついてきた虫くらい。
しかし、症状からすると、それとの因果関係はほとんどなさそう。
結局、「ストレス・疲労で、身体がSОS信号をだしているのでは?」ということになり、三種の飲み薬と一種の塗薬が処方され、診察は終わった。

幸いだったのは、発症部位が前日より少なく、変異面積が前日より小さかったこと。
その分、精神的な負荷も軽かった。
しかし、いいことばかりでもなかった。
前日はでなかったのに、症状が手平や足裏にまで発生したのだ。
他のところの痒さは何とか我慢できたものの、手平と足裏の痒みというのは、他の部位とは別格!
チリチリとした独特の痒みで、私くらいの精神力ではとても太刀打ちできず。
早々と降参し、ヤケクソ気味に掻きむしってしまった。

それでも、薬が効いたのか、たまたまなのか、その日の夕方から少しずつ症状は治まっていった。
前夜のような惨状になることもなく、就寝する頃には、ほとんど消えていた。
精神的に追い込まれていた私は、そのことがかなり嬉しくて、何もないのに上機嫌になり、前夜の睡眠不足も手伝って二日目の夜はよく眠れたのだった。


ちなみに、それ以降、大きな蕁麻疹は発症していない。
ただ、左脇腹を中心に怪しい赤斑はいくつかあり、脇下などに小さいものが出たり消えたりしている。
幸い、今現在は、それはそのまま大人しくしてくれているけど、重症化すると、斑点が面に広がり、それが赤く腫れあがってくる。
原因不明にあって油断はできない。
だから、もう薬は常用していないけど、携行はしている。
あの時の恐怖感は、まだまだ脳裏に残っているから。

とは言え、それだけではなく、学ばされたこともある。
ありきたりだけど、特に感じたのは健康の大切さとありがたさ。
昨年の夏、熱中症(?)になったとき、今年の冬、インフルエンザにかかったときにも感じたことだが、今回あらためて痛感した。
そして、好奇の視線を送られる人の気持ち。
仕事柄、好奇の視線はイヤというほど浴びてきた。
だから、その類の不快感や悲哀は知っているつもりでいた。
しかし、今回、感じたのはそれとは種を異にし、言葉の使い方を間違っているかもしれないけど“新鮮”なもので、以後、忘れてはいけないと思わせるようなものだった。


病院で渡された小冊子に、こう書いてある。
「蕁麻疹は原因不明のことが多く、原因を特定できないことも少なくない」
「疲労やストレスが原因になることがある」
そして、対策としてこう書いてある。
「ストレスをためない」
「リラックスして規則正しい生活を心がける」
「疲労・睡眠不足は避ける」

ん~・・・正直、どうすればいいのかわからない。
そもそも、「ストレス」って何? 「疲労」って何?
「リラックス」ってどうやってするの? どうやったらできるの?

常日頃から、多くのことに不平・不満・不安を抱えている私は、ストレスとは切ってもきれない仲にあり、逆に、リラックスとは縁がない。
これを、どう整えればいいのか・・・
また、疲労といったって、精神疲労もあれば肉体疲労もある。
肉体疲労は、科学的・生物学的対処法で癒せるのかもしれないが、精神疲労は、そういうわけにいかない。
気分次第、気の持ちようで、疲れもするし、疲れをとることもできる。

「俺は疲れている・・・俺は疲れているんだ」
と、思い込むことはいくらでもできるし、
「だから、休まないとダメだ」
と、自分を甘やかすこともいくらでもできる。
しかし、自分を甘やかしていいことはない。
そうは言っても、ストイックになりすぎて、“自分イジメ”をしては元も子もない。
何事も適度なバランスが必要。
このバランスが、うまい具合にストレスを発散させ、抑えるのだろう。

禁酒もストレスになれば、飲みすぎもストレスになる。
週休肝三日くらいが、私にはちょうどいい。
運動不足もストレスになれば、運動過剰もストレスになる。
一日3~4kmのウォーキングが、私にはちょうどいい。
怠けすぎもストレスになれば、働きすぎもストレスになる。
週休三日くらいが、私にはちょうどいい?(願望)

しかし、仕事は選べない。
腐乱死体現場でも、自殺現場でも、殺人現場でも、動物死骸でも、ゴミ部屋でも、糞尿トイレでも、大きなストレスがかかろうが、疲労困憊に陥ろうが、自分が取捨選択できるわけでもなければ、避けて通れるわけでもない。
この仕事に従事し、この仕事で生活している以上は、やりたくなくてもやらなければならないのだ。
ただ、それは、この仕事に限ったことではない。
程度にこそ差はあるだろうけど、私の仕事に限らず、ほとんどの仕事が同じだと思う。

ストレスの原因を掘り下げてみると、やはり仕事が第一のように思われる。
が、その元凶は、自分の怠惰性・不甲斐なさ・だらしなさ等だったりする。
不平を謙虚さで、不満を感謝の念で 不安を勇気で覆せない自分の弱い心だったりする。
そして、そんな自分の弱さと戦えない自分だったりして、単なる思い込みや自己洗脳では決着がつけることができないものだったりする。

どちらにしろ、それらが生みだすストレスや疲労は小さくはない。
これとどう対峙し、どう片付けていくか・・・苦悩は尽きない・・・
時に心を掻きむしり、時に心を掻きむしられるような思いに苛まれることを繰り返している。
何かの因果か悲しい性か、私という人間の心には、ストレス・疲労が大きくなるようなことばかりが湧いてしまう。
その症状は、一向によくならず、ここまでくると愚を通り越して滑稽なくらいである。

それでも私は、探したい・・・
自分の蕁麻心を治す薬を。
一時の人生を必死実直に生きることによって煎じられる、その薬を探し続けたい。

金も能も地位もない、小さく弱い人間だけど、せっかくの人生、せっかくの自分。
そうして生きてきたことを、こうして生きていることを、他の誰にでもなく自分自身に証したいのである。


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