特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

2016-07-27 08:57:02 | 特殊清掃 消臭消毒
今年の梅雨明けはいつになるのか・・・
このままだと「○日に梅雨は明けていた」といった過去形の宣言になるのではないだろうか。

このところ、関東は曇天が多く、過ごしやすい日が続いている。
朝晩は涼しさが感じられ、このまま秋になるんじゃないかと錯覚するくらい。
陽が照らないと困る人もいるのだろうけど、私個人としては、この涼は歓迎できる。
日中はムシムシするけど、カンカン照りに比べたらマシ。かなり。
猛暑に比べたら、身体が随分と楽だからである。

しかし、残念ながら、それも束の間のことだろう。
暑さの本番はすぐにやってくる。
そんな中での現場作業は、ホントにキツい!!
暑い中、多くの人が頑張っているのだから、愚痴ばかり言ってはいられないけど、ホントにツラい!
汗は滝のように流れるし、心臓もバクバクしてくる。
目眩を起こしそうな、危険な状況になることもある。

昨年の今頃も、私は著しく体調を崩した。
夕飯を食べた直後から吐気をもよおし、夜通しそれに苦しんで、何度か嘔吐。
翌日も体調は回復せず、吐気と倦怠感に襲われ続けた。
それでも仕事の約束を違えるのは憚(はばか)られ、身体を引きずるように現場へ。
フラフラの状態で、何度も座り込みながら汚仕事に従事したのを憶えている。

病院に行ってないから、あれが熱中症だったのかどうかわからないけど、油断は大敵。
常日頃から注意が必要。
こまめな水分補給はもちろん、作業を急く気を抑えてチャンと休憩をとる必要もある。
また、食事も三食バランスよくしっかりとり、夜もゆっくり休養することが大切。
酒を飲み過ぎないこともそう。

そうは言っても、この時季は、一段と酒が美味い。
一本目、350mlの缶ビールなんて、1分ともたない。
二息半くらいで飲み干してしまう。
そして、それを皮切りに、ハイボール、缶チューハイと立て続けに喉に流し込んでいく。
自分と約束した週休肝二日(実際は三日)を堅持している分、一晩の酒量が増えてしまっているが、これも庶民のささやかな幸せ。
健康と翌日の仕事に気を配りつつ楽しみたい。

健康管理の術は、減酒だけではなく体重管理もある。
一昨年の秋から冬にかけて、私は、標準体重を目標に数kgダイエット。
それから今日に至るまでリバウンドに気をつけながら、体重を維持している。
結果的に、このダイエットは正解だった。
たった6~7kgの減量だけど、身体が軽いと動いて楽。
特に、現場作業では、その効果が覿面(てきめん)に表れる。
疲れはするけど、テキパキと身軽に動くことができるのである。
体重を増やさないためには“食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲む”なんてことはもちろん、“時間が空けば、とにかくダラダラ・ゴロゴロ”なんてことはできないけど、結局のところ、小さな自制が自分を大きく助けてくれている。

ただ、留意しなければならないこともある。
体重は標準でも体脂肪率が高くてはどうしようもない。
体重だけでなく体脂肪率も適正値にしなければ意味がない。
そう・・・“隠れ肥満”にならないようにしなければならないのだ。
しかし、私は、その辺の意識に欠けていた。
だから、手法は食事制限のみ。
「運動で消費できるカロリーなんて、たかが知れている」と、運動には一切注力せず過ごし、体重減だけで満足していた。

そんな中で、昨年秋からはじめたウォーキング。
運動不足解消や体脂肪率減少が目的で始めたことではなく、第一の目的は、気晴らし・気分転換・日光浴。
冬に向かって欝っぽくなっていく自分がイヤで、できる努力はしようと思い立ったのだ。
結果的に、それが運動不足解消や体脂肪率減少の一助になり、まさに一石三鳥となった。

ただ、このところは、股関節を傷めたこともあり、現場も忙しくなってきたため、毎日のようには歩けなくなっている。
「一日一万歩が理想」とも言われるけど、無意識のうちに、なかなかそこまで歩けるものではない。
そうなると、日常生活や仕事上で動き回って歩を重ねるしかない。
ただ、難なのは、自分の怠け心、だらしなさ。
コイツが、私の邪魔をする。
何事も面倒臭がるコイツをいかに始末するか、これが難題なのである。


「異臭が漏れて近隣から苦情がきている」
「できるだけ急いで来てほしい!」
不動産管理会社から連絡が入った。
他の現場で作業をしていた私は、急務ではなかったそれを途中で切り上げ、依頼の現場へ急行した。

訪れたのは、街中に建つ小規模マンション。
全戸、ワンルームタイプで、学生や独身者向けの建物。
問題の部屋は、その上階。
エレベーターを降りると、すぐに覚えのあるニオイが私の鼻をくぐってきた。
そして、部屋に近づくにつれ、異臭の濃度はどんどんと高くなっていった。

とりあえず、近隣の異臭騒ぎを収めるのが、求められた私の役目。
そのためには、とりあえず、室内の遺体痕を処理するのが先決。
しかし、権利者(相続人・遺族など)の許可なくして立ち入るのはリスキー。
したがって、室内の処理は権利者に確認した上で行うことになり、管理会社は鍵を持ってはいたものの開錠まではせず。
私は、共用廊下に消臭剤と消毒剤を撒いて、ドアの隙間や換気口をテープで塞ぎ、その場を収めた。

数日後、「遺族から立ち入りの許可がもらえた」とのことで、私は再び現場に呼ばれた。
「遺族」というのは、故人と何年も前に別れた元妻と子。
ただ、別れて以降は絶縁状態で、故人との付き合いは一切なかったよう。
だから、よくよく聞くと、遺族は“立ち入りを許可した”のではなく「関知しない」「すきなようにしていい」と放任しただけ。
「知らぬ、存ぜぬ」と、血縁によってふりかかりそうになった火の粉を避けただけだった。

亡くなったのは初老の男性、生活保護受給者。
故人の部屋は、いわゆる“ゴミ部屋”。
「山積み」という程ではなかったものの、床はゴミに覆われほとんど見えておらず。
また、掃除らしい掃除は一切していなかったようで、風呂はカビと水垢だらけ、トイレは糞尿まみれ、台所流台のステンレスも厚みを感じさせるくらいの汚れが付着。
体調を崩していたが故にそうなったのか、部屋には何種類もの薬が散乱。
それでも酒の瓶缶がたくさん転がっており、結構、荒んだ生活をしていたことがうかがえた。

遺体汚染痕は、ベッドの布団に一部、その脇の床に一部残留。
私には、ベッドに座った状態で、そのまま横に倒れたと思われ、布団には上半身の型が浮き出ていた。
ただ、その布団は、まるで雑巾のようで、遺体痕があってもなくても大差ないくらいボロボロ。
また、その下の床もゴミだらけで、腐敗液が広がっていたものの、それがあってもなくても大差ないくらい酷い有様だった。

凄まじく汚らしい光景だったけど、私にとっては驚くほどのものではなし。
私は、とりあえず、腐敗液が浸みた布団をウジごとたたんでビニール袋へ。
そして、それを、ニオイが漏れないよう何重にも固く梱包。
それから、遺体搬出時に警察が放り投げたと思われる掛布団も拾い上げ、汚れていることを確認して同じように梱包した。

次は床。
先に片付けた布団は、汚れてない部分を選んで掴むことができ、手を汚さなくても済んだが、ここはそういうわけにはいかない。
腐敗液は大量のゴミに絡みついており、ゴミごと処理するより術はなし。
私は、腐敗液でヌルヌルになったゴミを掴んでゴミ袋に詰めていった。

汚物を始末したら、今度は掃除。
ベッドに着いた腐敗液、床に広がった腐敗液、その下に凝固した腐敗粘度、それらを拭き取り、削り取っていく作業。
床にしゃがみ込んで黙々と行う地味な作業で、頭に湧いたことが否応なく巡っていった。

そこは、物理的にも心的にも凄惨な腐乱死体現場・・・
その痕を始末することによって生きている私。
人生を終えた故人と、人生の只中にいる自分を頭の演壇に上げ、働けることのありがたさ、仕事があることの嬉しさ、汚仕事のツラさ、珍業の惨めさ等々、私は、そういった心情をグルグルと回しながら、同時に、元肉体で汚れる手に自分の強さではない他の何かの強さを感じながら作業を進めていった。


故人は、どんな人生を歩いてきたのか・・・
若いときは元妻と恋愛し、好きで結婚したのだろう。
そして、望んで子を授かったのだろうし、幸せな家庭を築いたことだろう。
しかし、故人は、そこからは想像もできない晩年を迎えた・・・
妻子と絶縁状態になったのには、相応の経緯と理由があったのだろう。
荒れた生活をしていたのにも、相応の原因があったのだろう。
健康を失い、仕事も金もなく、そして夢も希望もなく、一日一日をただただ生きていたのか・・・
「侘(わび)しい晩年だった」なんて、他人が浅はかに決めつけてはいけないけど、どう見ても幸せに暮らしていたようには思えなかった。

私は、故人が生活保護費で酒を飲んでいたことに引っかかりも覚えたし、他人の迷惑も省みず部屋を著しく汚損させなかったことに違和感も覚えた。
ただ、これもまた、一人の人間の歩み。
終わってしまった人生に負の足を踏み入れても益はない。
私は、故人のためではなく自分のために、正の足をもって心を運動させ、自分なりにそれを鍛えようと努力した。


人それぞれに人生の歩みがある。
進む速さは皆同じながらも、長さと道は皆違う。
人が羨むような道もある。
逆に、人が嫌悪し蔑む道もある。
望む道だけではなく、望まぬ道を歩かなければならないときもある。
私自身、望むような道とは程遠い道を歩いている。
やりたくない仕事をやり、行きたくない現場に向かい、
逃げたいのに逃げられず、楽したいのに楽できず、
泣きたいのに泣けず、笑いたいのに笑えず、
「いつまでもこんなことやってたらマズい」と憂う自分と、「この道を究めるしかないのか・・・」と諦める自分の狭間で、頭を抱えている。
ただ、どんなに嘆いても、後戻りはできない。
どんなに肉体や精神を鍛えようが、気力を振り絞って念じようが、若返ることはできない。
間違いなく、歩は進み、月日は過ぎ去っているのである。

ならば、楽な方ではなく楽しめる方へ、逃げる方ではなく挑む方へ、下の方ではなく上の方へ歩きたいもの。
こうして悩んでいるうちに、いつの間にか終わってしまうのが人生かもしれないけど、尽きない不平・不満・不安を、限りない感謝・喜び・希望に変えて歩いていきたいものである。
この歩・・・この一歩一歩そのものが、輝ける唯一生なのだから。


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追憶の影

2016-07-06 07:56:51 | 特殊清掃
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は老年の男性。
「自宅の一部屋に家族の遺品がまとめてあるので、それを片付けてほしい」
とのこと。
私は、例によって、事前の現地調査が必要であることを説明し、その日時を約した。

訪れた現場は、古びた感のある一般的な一軒家。
約束の時間の五分前に家の前に車をとめると、その音を聞きつけてだろう、インターフォンを押す前に家の中から一人の男性がでてきた。
「こんにちは」
「お待ちしてました」
お互い、お互いのことはすぐにわかったので、すぐに 視線を合わせて挨拶を交わした。

目的の部屋は、家の二階の一室。
玄関を通された私は、男性の後をついて二階へ。
そこは、普通の六畳間ながら、日常の生活で立ち入っているような生活感はなく、色々なモノが所狭しと並べられ、また積み重ねられ、様相はまるで物置。
段ボール箱に入った荷物も多く、引っ越してきたばかりの家で、荷解きする前の荷物を仮置きしているような光景だった。

部屋には、老年の女性がいた。
女性は、男性の妻で、小さな椅子に腰掛け、自宅に現れた見ず知らずの私には目もくれず、ただ宙を見つめていた。
その顔は無表情で弱々しく、私は、ちょっと異様な空気を感じたが、とりあえず笑顔をつくって
「お邪魔します」
と挨拶。
すると、女性は、うつろな視線を私に移し、椅子に座ったまま私にお辞儀をしてくれた。

女性が身体の健康を損ねていることは一目瞭然。
それだけではなく、精神を弱めていることも容易に察せられた。
ただ、そんな心情を態度に出すと男性が余計な気を使うと思い、私は、そんなことは気にも留めていないフリをして事務的に事をすすめた。

勉強机、本棚、ゲーム玩具、レコード、カセットテープ、ミニコンポ、雑誌書籍、辞典辞書、洋服etc・・・
部屋には色々なモノがあったが、どれもこれも、時代を感じさせる古びたモノばかり。
ただ、よく見ると、「家族」と言っても夫妻の親兄弟が使っていたモノではなさそう。
私は、荷物の持主が誰であるかということが気になってきて、黙って荷物を見分しながら、そのことについて考えを巡らせた。

思いついた“答”は、夫妻の子供。
置いてある品物を確認すればするほど、それが最も合理的な結論となった。
成人し独立した子が昔使っていたモノで、実家に放置したままにしている可能性はあったが、ただ、男性は最初に電話で話したとき、荷物を「遺品」と呼んでいた。
と言うことは、夫妻の子は、もう亡くなっているということになるわけで・・・
つまり、“夫妻は子に先立たれた親”ということになり、私は、礼儀のつもりで浮かべていた笑顔を消し、神妙な面持ちに変えていった。
そして、訊かれたくないことかもしれなかったので、私は余計なことを訊かず、黙々と見分を進めていった。

荷物は六畳一部屋分のみで、散らかっているわけでもなし。
現地作業は半日もあれば充分で、必要な作業内容もかかる費用もシンプルなものとなった私は、それを男性に説明し、男性は、それについて私にいくつかの質問をした。
そして、男性は、傍らでそのやりとりを聞いていた妻の同意を丁寧に確認したうえで、契約書にサインと押印をした。


作業日は、双方の都合を調整し、現地調査から一週間後のある日に決定していた。
しかし、作業日の前日になって、男性が電話をかけてきた。
用件は、作業中止の申し出。
日時の都合が悪くなっての延期とかではなく、作業(契約)そのもののキャンセルを依頼するものだった。

一旦結んだ契約が解除になるのは仕方がない。
予期せぬ事情が後から生じたり、気が変わったりするなんてことは珍しいことではない。
そうは言っても、一旦成立した契約をキャンセルされるのは、決して気分のいいものではない。
しかも、前日になってのキャンセルはマナー違反。
気分を悪くした私は、相応の理由、もしくは相応のキャンセル料がないと承諾したくなく、権利をもってその理由を訊ねた。

「妻が拒んでいるもので・・・」
男性の口から出たのは、身勝手にも思われる理由だった。
現地調査のときには、妻も荷物の片付けに同意したはずであり、その場にいた私も自分の目でそれを確認していた。
が、その直後、妻は翻意し、荷物を片付けることを拒否。
その抵抗は強く、男性が説得を試みても、頑として受け付けず。
結局、男性は、作業中止を判断せざるを得なくなったのだった。

とりあえずの理由を聞いた私だったが、それでも納得はできず。
「だったら、もっと早く言ってくれればいいのに・・・」
と、不満を覚え、その気持ちを口から吐き出しそうになった。
しかし、目くじらを立てるほどの実害を被ったわけではない。
また、男性は、礼をもって詫びてくれている。
連絡が間際になったのも、直前まで妻を説得し続けていたことによるものと推察できたし、私は、不満を爆発させるエネルギーを、頭を冷やすほうに向けた。

男性は、とにかく私に平謝り。
電話の向こうで平身低頭になっている姿が思い浮かぶくらい、何度も何度も詫びの言葉を口にした。
そして、事情を詳しく説明する責任があると思ったようで、今回の遺品処理にまつわる経緯を話し始めた。


夫妻は、子供を三人もうけた。
最初は女の子。
しかし、長女は生後間もなく先天性の病で死去。
次は男の子が生まれた。
が、長男も若くして病死。
三人目の子、次男がいたが、一人残っていた彼も、中年を迎えることなく病気で亡くなってしまった。
つまり、夫妻は、せっかく授かった三人の子供全員を亡くしていたのだった。

夫妻が味わった悲しみは、どれほどのものか・・・
襲ってきた喪失感と寂しさはどれほどのものか・・・
その悲哀は、辛酸の真味を知らない私が想像できるものではなく・・・
亡くした子の人数で親の悲嘆の大きさが計れるものではないはずだけど、経緯を聞いた私は自分の耳を疑いながら絶句。
電話の場合、相手の表情や態度が見えないから、私は、「話はちゃんと聞いてますよ」という意思の表れとして、相槌の代わりに小刻みに返事をしていたのだが、あまりの気の毒さに、その短い返事すら口にすることができなくなった。

三人の子を授かって、三人とも自分達(親)より先に死ぬなんて・・・
普段の行いが悪いせいか、何かの罰か、何かの祟りか・・・夫妻は、そんな風に考えたかもしれない。
私は、そんなところに理由はないと思うけど、自分達の子供が短命で人生を終わらなければならない理由、自分達が子供を奪われる理由を欲しただろう。
そして、それが、“運命”“宿命”“摂理”等・・・人の力ではどうすることもできない領域にあるものだと頭では理解しても、心底では納得することができず、悲しみを超えた強い憤りを覚えただろう。
それでも、前向きに生きようと、出口の見えないトンネルを夫妻は必死で歩いたものと思われた。

しかし、紆余曲折を経て、女性は鬱病を発症。
結構な重症で、通院と服薬だけではラチがあかず、一時は入院し療養。
症状が深刻な時期、男性は「後追い自殺するんじゃないか」と、女性を独りにしておくことが心配でならなかった。
そして、男性の口から具体的な話はでなかったけど、夫妻の過去に、男性が心配していたような良からぬ出来事が残ったことは、受話器から流れてくる空気が感じさせた。

そう・・・現地調査の日、私が部屋で見た品々は、三人の子の遺品。
夫妻は、その部屋には三人の子の遺品と想い出を大切にしまっていたのだった。
ただ、時間は人の心に関係なく流れていく。
「一周忌を過ぎたら片付けよう」と思っているうちに三回忌が過ぎ・・・そのうち、七回忌、十三回忌、十七回忌、そして、二十三回と、事あるごとに気持ちを固めながらも、結局、寂しさに負けて、それを延々と引きずってきた。
しかし、夫妻も齢には勝てず。
自分達の死も視野に入れて生きなければならない年齢になってきた。
そして、子供達の遺品を片付けることをようやく決意し、今回の件に至った次第だった。


男性は、思い出したくないはずの苦しい過去を話してくれた。
私は、そんな男性の心情に報いたいという気持ちもでてきたし、夫妻の悲哀と苦悩を想うと、ここは後腐れなく承諾するのが私の道だと思った。
だから、
「事情はよくわかりましたので・・・気になさらないで下さい」
と、男性には見えない顔を真摯にして、電話を終えたのだった。


“笑顔の想い出”は、人生の宝物。
今の自分にも笑顔をくれる。力をくれる。
では、“悲涙の想い出”はどうだろうか・・・
今の自分に笑顔をくれるだろうか・・・力をくれるだろうか・・・
苦しみを甦らせ、悲しみを煽るばかりではないだろうか・・・
そして、人生に影を落とすのではないだろうか・・・

また、人生には、色んなことがある。
色んなことに遭遇する。
嬉しいこと、楽しいことばかりではない。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことも多い。
乗り越えられそうにない壁にブチ当ることがある。
奈落の底が見える崖淵に立たされることもある。

それでも、人は生き、時間は流れる。
人には自分では如何ともし難い、無力さ、愚かさ、悲しさ、寂しさ、切なさがある中で、時間は人の苦悩を癒してくれ、人の精神を練ってくれる。


確かに、子供達の死は、夫妻の人生に暗い影を落としていた。
しかし、そこに光を当てるのもまた、亡くなった子供達の笑顔・・・
影があるから光があるのではなく、光があるから影がある・・・
そして、そこに“想い出”という名の希望があると、私は思うのである。


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追憶の光

2016-06-10 07:17:21 | 特殊清掃

「死後、約一ヵ月余」
「汚れ具合はわからないけど、ニオイが酷くて入れない」
「とりあえず、中に入れるようにして欲しい」

依頼者は中年の女性。
亡くなったのは女性の叔母、つまり女性は故人の姪。
現場は、故人所有の一戸建。
遺体の処理は終わっており、あとは、その痕を始末するのみ。
境を狭く隣接した家屋はなく、メンタル的な部分を除けば、近隣に迷惑はかかっていないよう。
そして、亡くなって一ヵ月余も経っていれば、慌てる領域は越えている。
私は、気持ちが落ちつかなそうな女性に慌てる必要はないことを伝え、当日の夕方まで時間をもらい、現地調査に出向く約束をした。

人に頼られたときの私は、素の性質に似合わずパワフルになる。
依頼者が困った状況に遭い、自分が役に立てそうな場合は尚更。
自己を顕示するようで話でみっともないだけかもしれないけど、決して奇特な性格でもなければ、隣人愛を持っているわけでもないのに何となく張り切ってしまうのだ。
そんな私は、日中の作業を手早く片付け、予定より早く約束の現場へ向かった。

到着したのは、のどかな風景に佇む、少し古ぼけた感のある木造二階建の一軒家。
女性は、私より先に来ており、家の前に車をとめて待機。
私の車に気づくとそそくさと車を降り、私の車を敷地内に誘導。
そして、イヤなことをやらせることに罪悪感を覚えたのか、車を降りた私に、どっちが客なのかわからないくらいペコペコと頭を下げてくれた。
一方、そんな女性の心情を気の毒に思った私は、平然と受け答えし、あえて場に合わない笑顔を浮かべ、暗に“ドンマイ”という意思を示した。

故人には夫も子もおらず、身内らしい身内は女性くらい。
だからか、故人は女性のことを娘のように可愛がってくれ、若い頃、実母を亡くした女性もまた故人を母親のように慕っていた。
そんな故人は、生前から「少しは財産を残すから、自分が死んだ後のことはよろしくね」といった趣旨のことを言っていた。
だから、女性は、その義理に報いるべく、一度は家に入ることを試みたよう。
しかし、玄関を開けた途端に噴出してきた猛烈な悪臭に阻まれ、それ以上 前進することが叶わず。
結局、一歩も足を踏み入れることなく、後退したのだった。

私にとっては“いつものニオイ”ながら、確かに、悪臭は強烈だった。
ただ、それは、玄関に近いところで亡くなっていたせいでもあった。
が、どちらにしろ、素人には耐え難いニオイ。
女性が中に入れないのも当然といえば当然。
私は、専用マスクを装着して、遺体痕まで歩を進めた。

一ヶ月余が経過しているわりには、遺体痕は生々しく残っていた。
身体の型もクッキリ残り、頭があった部分には大量の毛髪も残留。
ウジ・ハエの発生はとっくに峠を越えていたが、その代わり、蛹殻とハエ死骸が広範囲に渡って無数に転がっていた。

汚染レベルはミドル級。
私にとっては、さして大変な作業ではない。
作業をやる前から、頭の中で、その段取りを組み立てることができ、更に、スムーズに痕が消えていく画まで思い浮かべることができた。

私の場合、原則として、死体現場の特掃作業は一人でやる。一人のほうがやりやすい。
心細さや不気味さを覚えることはあるけど、そんなものは、作業を始めてしまえば消えてなくなる。
そして、亡くなった人のことを想いながら、
「どんな人生だったんだろうな・・・」
等と思いを巡らせることがある。
更に、
「どんな人生でしたか?」
と、心の中で、故人に向かって訊ねるようなことがある。
もちろん、答は返ってこない。
ただ、それを問うことで、偶然に思える必然の摂理が与えてくれようとしている何かを掴もうとするのである。
深い事情を知らなかった私は、ここでもそんな単純な思いを巡らせながら、汚物と化した元肉体の痕を人の跡へと昇華させていった。


それから何日か後。
特殊清掃・消臭消毒作業も無事に完了し、女性が遺品をチェックできる環境が整った。
が、初回のトラウマもあり、女性は、「一人で家に入るのは心細い」という。
結局、私も一緒に遺品確認を手伝うことになり、女性とともに家に入った。
そして、死後処理や相続手続に必要な書類等の取捨選択をアシストした。

主だった貴重品類は事前に警察が持ち出して保管していた。
そして、先に女性に手渡されていた。
その中には、財布やカード類が入った故人愛用のバッグもあった。
女性は、その中から、小さな四角形を取り出し、
「こういうものは、どう処分したらいいんでしょうか・・・」
と、私に差し出した。
それは、手製風の布袋に入った箱のようなもの・・・手に取ってみると中を見ると、それは、あちらこちらで何度か見たことのあるモノ・・・人の“ヘソの緒”が入った木箱だった。
よく見ると、箱に貼られた紙には、氏名・生年月日・身長・体重などが明記。
それによると、どうやら、それは故人の息子のもののよう。
息子がいるのに死後処理を女性(姪)がやっていることを怪訝に思う私の心持ちが伝わったのか、女性は事の経緯を話し始めた。

故人は、今でいうシングルマザー。
世間の風当たりが強い中、一人息子を女手一つで育てた。
片親のハンデを息子に背負わせたくなくて、頑張って働き、教育にも注力。
それに応えるように息子も道を外すことなく勉学に励み、大学まで進学。
卒業後も大手の系列企業に就職し、安定した収入を元手に故人(母親)と共有名義で中古の一戸建を購入。
そして、親子二人、平穏な生活を送っていた。
しかし、悲劇は何の前ぶれもなく起こった。
ある年の梅雨の時季、車の事故で息子は突然に死去。
行年は20代後半、故人の死の十数年前の出来事だった。

母と息子、苦楽を共にし、二人三脚で歩いてきた人生。
その息子が、急にいなくなってしまったわけで・・・
どれほど悲しかったことか・・・
どれほど淋しかったことか・・・
どれほど辛かったことか・・・
周囲の人は、「後を追って自殺するんじゃないか?」と心配した。
が、そんな故人にどんな言葉をかければいいのか、どう接すればいいのかわからず、ただ、黙って見守るしかなかった。
しかし、故人の立ち直りは意外に早かった。
もちろん、“何事もなかったかのように”とはいかなかったけど、失われた息子の人生を取り戻そうとするかのように、その年の秋、息子の誕生日を過ぎた頃から、以前と人を異にしたような落ち着いた快活さをみせるようになり、とりあえず、周囲をホッとさせた。

先に亡くなった息子の部屋は二階の一番奥にあった。
部屋の主は、もう十数年前にいなくなったのに、人気のない冷たさはなし。
家具も家電も服も雑誌も仕事のモノも趣味のモノも部屋の装飾も、ほとんど生前そのままの様相。
“帰ってきてほしい”という想いの表れだったのか、それとも、遺品をも葬り去ることに抵抗があったのか、整理清掃が行き届いており、意図的に生前のままを保とうとした様子が伺え、少し切ないものがあった。


生まれて死んでいくは命の定め。
そして、生まれてきた順に死んでいくわけではない。
摂理と宿命には逆らえず、後先が逆になることもザラにある。
しかし、人は、生まれた順に死んでいくことが道理のように思ってしまう。
そして、これが理不尽なことに思え、大きな悲哀や怒りを生まれる。
それを平常心で受け入れることなんて、到底できない
人が生まれ死んでいくかぎり、悲しみは続いていく。
ただ、悲しみの中で生きる力が生まれることもある。
悲しみの中でこそ生まれる力がある。
そして、それは、一生に携えていくことができるのである。

故人が息子のヘソの緒を肌身につけるようになったのは、亡くなって間もない頃からだと思われた。
それで、悲しさや寂しさを紛らわそうとしたのだろう・・・
そして、自分を励まし、勇気づけようとしたのだろう・・・
子を胎に宿したときの喜び、産んだときの幸せ、幼少期の愛らしさ、その後の苦楽等々・・・小さな木箱に たくさんの想い出を詰め込んで、その光を携え、悲しみや寂しさに立ち向かって精一杯生きたのだろう・・・
息子を亡くしてからの十数年、故人は一人で生活してはいたけど、一人で生きていたのではないと私は思った。


私は、故人が抱いた喜びや悲しみに想いを巡らせ、同時に、人間が抱える宿命的な喜びや悲しみにも想いを巡らせた。
そして、人生の半分以上を死体業に携わり、数多くの先逝人と会ってきたこれまでの年月に立ち戻りながら、「人は死んでも、残された人の心の中で生き続ける」という、誰でも言うよな、どこででも聞くようなありきたりの言葉を自分のものにして、たまにそれを思い出しては自分を静かに励ましているのである。


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水無月の空

2016-06-06 08:47:51 | 特殊清掃
立ち止まってみれば、もう六月。
前回更新から、「あれよあれよ」と言う間に一ヶ月半が経ってしまった。
その間、相も変わらず私は現場を走り回っていた。
遺品処理、腐乱死体現場の始末、便所掃除、汚腐呂掃除、殺人事件現場の始末、ゴミの片付け、動物死骸処理etc・・・
“フツーの人間じゃない”と思わるのがイヤで、フツーの人はやらないフツーじゃない仕事をフツーの人間のフリをしてこなしていた。

晩春から初秋にかけてブログ更新が停滞するのは近年の傾向。
遊び呆けているわけでも、ケガや病気等で書けないわけでもないことは前述の通り。
(仮に、私が死んでしまって更新できない場合は、ブログ管理人が何らかの告知をするだろう。)
そうは言っても、ボロボロになるほどの重労働が続いているわけではない。
休みは少ないけど、体力も精神力も余力を残している。
それでも、この時季の私には、ブログを書くことより休養することの方が必要。
やがてくる残酷な夏に備えて、心身を整えておかなければならないのだ。
ま、とにもかくにも、「音沙汰ないのは達者な証拠」と思ってもらうしかない。

ただ、「休養」ったって、趣味らしい趣味を持っているわけでもないし、そんなことをやっている余裕もない。
とりあえず、一日の仕事が終わるとさっさと家に帰って、ゆっくり過ごすだけのこと。
休肝日にしていない日は、のんびり晩酌。
ビール・ウィスキー・チューハイの順で流していく。
面白いことに、今、飲んでいる酒はすべて頂きモノ。
もちろん、周囲に無心しているわけではないけど、なくなりそうになると、タイミングよく誰かがくれるのである。
だから、自分で買うのは、ハイボール用の炭酸水くらい。
ある種、図々しいような、ありがたい話である。

だいたいのパターンは、まずビールを350ml飲んで、次にハイボールを1ℓ余飲んで、最後にチューハイを350ml飲んで、それでおしまい。
これで、ホロ酔い・・・いい感じにできあがる。
酔いがまわってくるともっと飲みたくなるのだけど、これ以上飲むと翌朝不快感が残る。
それがわかっているから、そこでやめておく(少しは成長した)。
そうして、ちょっとヨロヨロしながら布団に入るのである。

就寝時刻は、とても早い。
まるで子供、もしくは老人・・・九時台に布団に入ることも珍しくない。
そして、翌朝の憂鬱を考えないようにしながら眼を閉じるのである。
しかし、このところ、不眠症が酷くて早朝(夜中)に目が醒めて、それ以降、寝付けなくなることもしばしば。
そういう時は、自分の“死”ばかりが頭を過ぎる。
「俺、死ぬんだよなぁ・・・」「そのうち、この世界とサヨナラするんだなぁ・・・」と、不思議な感覚に包まれる。
しかし、物思いにふけってばかりもいられない。
ダラダラと横になっているのは時間の無駄のような気がして、結局、早朝から起きだして、早々と仕事に出掛けるのである。

昨秋から日課にしていたウォーキングも、先日まで調子よく続けていた。
「続けていた」と過去形で書くのには理由がある。
左の股関節が不具合を起こしてしまい、数日間、普通に歩行することが困難になったのだ。
前々から、ウォーキング中に股間接がズレるような違和感を覚えることがあったけど、痛みをともなったわけでもなく、更に、頻繁に起こることでなかったので気にしないで放っておいた。
ところが、二週間余前のウォーキング中、急に痛みがではじめ、その痛みは歩けば歩くほど深刻なものに。
早い段階で歩くのを中止すればよかったのに、変なところに几帳面な性格が災いし、我慢しながら決めた距離を歩ききってしまったが故に症状は悪化。
結局、その時から数日間、股関節の痛みと違和感が続き、日課のウォーキングは中断せざるをえないハメになってしまった。

それからは、できるかぎり安静に。
歩かないでは仕事も生活も成り立たない中で、歩行は必要最小限にとどめ、なるべくゆっくり歩幅を小さく歩くよう心がけた。
そうして様子をみていると、幸いなことに、日に日に痛みも違和感もおさまっていった。
が、私は、ここで学習。
ウォーキングって健康にいいイメージばかりがあるけど、“歩き過ぎ”は逆によくないらしく、これまで6~7kmを目処にしていた歩行距離を3~4kmに短縮することに。
そうして三日前からウォーキング再開。
今のところ、問題は起こっていないから、これで、しばらく様子をみていこうと思っている。

「不具合」と言えば、持病?の胸痛もある。
もう十数年の付き合いになるけど、たまに原因不明の胸痛に襲われるのだ。
胃カメラをのんでも、レントゲンを撮っても、心電図をとっても、原因はわからず。
ただ、慣れたもので?数分前から現れる前兆で、痛みがでることが予測(覚悟)できる。
だから、慌てることはなくなった。
が、コレといった対処策もないので、痛みが自然におさまるまで耐えるしかない。
平均すると30分~1時間程度だろうか、その間は結構なツラさがある。
多くは普段の姿勢でやり過ごすことができるけど、酷いときは、息をすることも忘れ、胸を抱えてうずくまってしまうこともある。
そして、「このまま死んじゃったりして・・・」なんて、一抹の不安が過ぎるである。


身体の調子はそんなところ。
一方の精神は、相変わらず、些細なことで一喜一憂。
定まらない空模様のように不安定。
雨も降れば雪も降る。
風も吹けば雷も鳴る。
もちろん、晴れることもある。
ただ、雲が切れることはない。
私の気分には常に雲がかかっている。
「後悔」「不満」「不安」という雲が。

雲の原因は色んなところにある。
自分以外に原因を探したくなる。
しかし、究極的には、それは社会にでも他人にでもなく、自分にある。
そして、
「人生、その気になれば、いつでもやり直すことができる」
とは言えない一面がある。
「人生はやり直せない・・・」
引き返せない一方通行の人生にあって、つくづく、そう思う。
また、どんなに頑張っても、人生には、思い通りにならないこともある。
いや・・・「思い通りにならないことだらけ」と言っても過言ではない。
人生には、悲しくも厳しい現実があるのである。

しかし、諦めることはない。
人は、やり直せなくても、変わることはできる。
中身のない価値観を捨て、鈍い感性を磨き、モノの見方や考え方の偏りを修正し、一時的な感情や自己中心的な感傷を自らが支配することができる。
そして、もうちょっと努力できる自分、もうちょっと忍耐できる自分、もうちょっと挑戦できる自分に変わることができる。
また、思い通りにならなくても、思いを持ち続けることはできる。
無意識のうちに湧いてくる後悔・不満・不安を抑え、感謝・喜び・希望を見い出すことができる。
その戦いは、人生に必要な薬味。
幸福快楽のみでは幸福快楽そのものが成り立たない。
人生を大きく晴れ渡らせることはできないかもしれないけど、一日一日にある晴れ間を見つけることはできるのである。


入梅の報は昨日、真夏の酷暑もすぐそこに来ている。
毎年のことだけど、夏の仕事は一段とキツい!!
凄惨な現場や体力が要る現場では、精根奪われ、自分自身が用なしのボロ雑巾のようになる。
これでまだ若ければ凛とした張りをみせることができるのかもしれないけど、私はもう、相当にくたびれたポンコツ親父。
「冴えない」というか、「情けない」というか、「不憫」というか・・・
それを思うと気が重い・・・考えただけでも生気が失せる。
更に、その先のことを考えると、もう気分は真っ暗。
不安感を通り越して、恐怖感すら覚えてくる。

「もっと楽に生きられる方法はないものか・・・」
頭は、そんな風なことばかりに囚われる。
が、とにかく・・・とにかく、今、目の前のことを頑張るしかない。
自分が生かされている道なのだから。
そして、その時 その時を大切に、その真味しっかり味わうしかない。
せっかくの人生なのだから。

もちろん、それで未来が開けるかどうかはわからない。
わからないから、信じることができない。
それも私(人)の限界・・・あとは期待するしかない。
ただ、人の薄慮に動かされることなく、雲の向こうには青空が存在する。
どんなに厚い雲が自分を覆っているとしても、その向こうには爽快な晴天が広がっている。

水無月の曇空の下、肉の眼には見えない晴天を心の眼で追いながら、私は、今日も生きるための涙汗を流すのである。



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2016-04-20 09:16:33 | 特殊清掃
その日、私は東京から離れたところにある とある会社の工場にいた。
用向きは、特殊清掃の事前調査。
そこで、作業員の一人が機械設備に巻き込まれて死亡。
血まみれとなった機械設備を清掃するための調査だった。

最初は、電話での問い合わせだった。
しかし、その機械設備について素人である当方が言葉で把握できることは少ない。
結果、具体的な現場の状況が想像できず。
更には、仕事として請け負えるものかどうかも判断できず。
とにかく、現場を見ずしては どうにも話を進めることができず、結局、現地調査に出向くことに。
ただ、場所は遠方で、かかる時間も交通費もバカにならない。
私は、普段は無料で行っている現地調査を今回は有料とし、更に、当方から辞退する可能性も充分にあることを承諾してもらい、現地調査の日時を約した。

訪れた現場は、ある製品の原材料をつくる大きな工場で、同じ形態の機械が整然と並んでいた。
機械は、原材料の攪拌プレスを目的とするもので、一基に一人の作業員が従事する仕様。
事故が起こったのは、その中の一基。
その傍らには白布が掛けられた台が置かれ、その上には仏具と花や飲料が供えられており、日常の悲しみとは趣を異にした不吉な雰囲気が漂っていた。

亡くなったのは私と同年代の男性で、熟練のベテラン社員。
故人のプライベートに深入りし過ぎると気が重くなりそうだったから、妻子があるのかどうか等、それ以上のことはあえて訊かず。
私は、事が起こった経緯に話題を絞って、工場の責任者の説明に耳を傾けた。

事故は、終業時の機械清掃の際に発生。
この工場の機械は、一日の作業を終えると、翌日に備えて機械を清掃メンテする必要があった。
その際は、機械が動かないよう、手元スイッチはもちろん、離れたところにある動力源も切り、更に安全バーを掛けることが規則になっていた。
しかし、動力源のスイッチがあるのは、長いハシゴの先。
清掃は試運転を行いながらやらなければならず、それを切ったり入れたりするのは結構な手間がかかる。
それが面倒だった故人は、動力源を切らないまま、手元スイッチと安全バーだけを使って清掃することを常にしていた。
そして、その日・・・
いつも通りの清掃メンテナンス作業をしていた故人は、誤って作動させてしまった機械に押し潰されてしまった。
故人の規則違反と慣れと油断によって、結果的に、取り返しのつかない事態が起きたのだった。

警察や労働局の調査は終わり、清掃の許可は降りていた。
供養式(御祓い)も施行済み。
(ちなみに、個人的には、こういう類のことは無要だと考えている。)
しかし、肝心の清掃消毒が手つかず。
責任者は、色々な業者に問い合わせしてみたが色好い返事をする者はなし。
もちろん、責任者を含め、社内の人間でそれを買って出る者もおらず。
しかし、できるだけ早く機械を再稼動させないと会社の損害は膨らむばかり。
頭を抱えた責任者は、藁にもすがるような思いで当方に連絡してきたのだった。

問題の機械設備は、血だらけ・血まみれ・・・まったく酷い有様。
薄っすら汚れている部分もあれば、濃く飛び散った部分もあれば、分厚い血塊を形成している部分もあり、汚染は複雑かつ広範囲。
また、機械の下部には、血まみれの帽子や手袋が放置されたまま。
機械ごと交換したほうがいいんじゃないかと思われるくらい凄惨な光景だったが、この機械設備は相当なもので、莫大な費用と時間がかかるのは、この分野に見識のない私でも容易に察することができた。

私が提示した金額は安くはなかった。
工場側の足元をみたつもりは毛頭なかったが、作業の難易度と危険度、そして気の重さを考えると、安価で引き受ける気にはなれなかった。
あと、“断られてもいい・・・”“断ってほしい・・・”という考えも、頭のどこかにあった。
しかし、
「料金はそれで構いません・・・誰かにやってもらわなければなりませんから・・・」
と、責任者は、料金と作業内容をすんなり承諾し、
「作業は、いつできます? なるべく早くお願いしたいんですけど・・・」
と、心の準備を整える時間が欲しかった私にプレシャーをかけてきた。

その日の夕刻、私は、臆病風に吹かれながら会社に戻った。
安請け合いしたつもりはなかったのだが、とりあえず請け負った特殊清掃がきちんとやれるかどうか、また、安全にやれるかどうかに不安を覚えたのだ。
事務所にいた同僚に現場の状況を話すと、
「その仕事、今からでも断ったほうがいいんじゃないの?」
と、“自分だったらやらない”といった表情を浮かべて心配してくれた。
しかし、かなり気が重かったことは確かだけど、私は、“断ろう”とは思わず。
責任感とか使命感とかじゃなく、また男気とか意地とかでもなく、過去の人生において、イヤなことから逃げに逃げて散々な目に遭ってきた私は、逃げることに対する恐怖感みたいなものがあったのだ。


何日か後、私は、重い気分を持ち上げて、再び工場に向かった。
前日から重かった気分は、当日の朝には一層重くなっていた。
それでも、契約を交わした以上、責任は果たさなくてはならない。
「夕方には気分は軽くなっている」
「ほんの何時間かの辛抱だ」
そう自分に言いきかせながら、同時に、
「生きて帰れなかったりして・・・」
と、冗談半分・本気半分で思った。
そして、仮にそうなったとしても、それが自然の摂理、自分の“定め”なのだろうと、覚悟や悟りよりも低いところで自分を納得させようとした。

工場に着いた私を責任者はVIP客でも来たかのようの歓迎してくれ、そこまで気を使ってもらう必要はないのに応接に通しお茶をだしてくれた。
そして、
「動力源も完全に落としてありますし、安全バーも新品にして固定してありますから大丈夫です!」
「あと、ちゃんと御祓いもしてありますから!」
と、完全が確保されていることを強調。
ただ、私にとっては、“御祓い”がしてあるかどうかなんてどうでもいいこと。
また、残念ながら、人間にミスはつきもの。
だから、私に安心感は湧いてこず、気分を落ち着かせることもできず。
私は、気持ち悪いものをブスブスと心の中にくすぶらせながら機械が誤作動しないことに念を押すのみだった。

その特掃作業が困難を極めたことは言うまでもない。
自殺や事件があった部屋の後始末は何度となくやってきたが、血痕清掃って、もともと手間がかかる。
ゴマ粒程度の血塊でも、それが水分を含んだら一筋の血流になり、ウエス(雑巾類)が汚れなくなるまできれいにするには、同じところを何度も何度も拭く必要がある。
また、血塊は洗剤をかけたくらいでは溶けず、血痕の厚みによっては、スクレイパー(金属ヘラ)で削らないと取れないこともある。
しかも、そこは、部屋ではなく勝手がわからない機械内部。
思うように身動きがとれない状況で四苦八苦、作業着も血だらけに。
時には、故人が亡くなったときと同じ姿勢になって狭い機械内に上半身を入れるハメにもなり、緊張の連続。
私は、手を変え道具を変え、休業無人で薄暗い工場で、ただ一人、恐怖心を拭えないまま、ただ血痕だけを拭った。
そうして、自分の身体に血痕を移し換えるようにしながら、少しずつ故人の死痕を消していった。

事故が起こった日、故人は、いつも通り起床し、いつも通り出勤し、いつも通り働き、いつも通り仕事を終えたはず・・・
“生きて帰れない”なんて、まったく思っていなかったはず・・・
しかし、突然、その命は失われてしまった・・・
そんな物思いにふけながら作業する私の心持ちは、悲しさもなく寂しさもなく、ただ静かに佇むばかりだった。

陽が傾きかけた頃、作業は何とか完了。
疲れた身体と精神を休めつつ、私は、工場の休憩室で、汗でふやけた手と血が飛び散った顔を洗わせてもらい、ワインレッドに染まった作業服を着替えさせてもらった。
そして、差し入れてもらった缶コーヒーを空け、その苦香で深呼吸。
元来、私は、コーヒーが嫌いなのだが、腹にたまったものはそれよりはるかに苦く、その苦味は甘ささえ感じさせるものだった。

帰り際、責任者は清塩を持ってきて、私にふってくれようとした。
しかし、私は、心づかいに感謝しつつ、それを断った。
そんなこと、まったく気にしないし、気にしていたら仕事にならないから。
また、亡くなった人に失礼なような気もするから。
そのことを話すと、責任者はちょっと気マズそうにしながらも理解を示し、笑って礼を言ってくれた。
そして、何度も頭を下げながら、遠ざかる私の車を見送ってくれた。


事件・事故・災害・紛争・病・・・
人の命が失われたニュースは、毎日、途切れることがない。
生きたくなくても生きなければならない人がいる中で、生きたくても生きられない人がいる。
先日来の九州地震もそう。
その日が人生最後の日になるなんてことは誰も思っていなかったはずなのに、多くの命が失われてしまった。

“死”というものは、いつ訪れてもおかしくないもの。
人は、不確かな毎日の上に保証のない予定を立てて生きている。
私くらいの年齢だと、うまく生きられたとしても、あと20~30年のものだろう。
これを“長い”とみるか“短い”とみるかは人それぞれだろうけど、“限り”があることに違いはない。
不本意でも心の準備ができていなくても、その中のある日が、いきなり最期の日になる可能性は充分にある。
ひょっとしたら、今日が、最期の日になるかもしれない。

そう・・・“死”というものは、元来、生のド真ん中にあるもの。
だからと言って、“死”を頭のド真ん中に置いて生きる必要はないと思うけど、頭の隅には常に置いておいたほうがいいと思う。
そして、たまにはそれを強く意識したほうがいいと思う。
今を大切にするため、未来を大切に考えるために。

私は、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けざるを得ない人間の弱さに悲しみを覚えたと同時に、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けることができる人間の強さに喜びも覚えた。
そして、やがて来る“最期の時”が教えてくれる“今”の愛おしさを噛みしめながら心を燐と立たせ、現場を後にしたのであった。


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隙間風

2016-04-15 07:02:28 | 特殊清掃

「取り壊す予定のアパートに白骨死体があった」
ある年の初冬、不動産会社から特殊清掃の依頼が入った。
“人の死”に慣れてしまっている私は、寒風吹く曇空の下、事務的に支度を整えて現場に向かった。

現場は木造二階建、“超”がつくほどの老朽アパート。
最後の住人が出て行ってから数年がたち、それからは、誰の手が入ることもなく放置。
雨風に晒されるまま朽ちていき、不気味な様相を呈していた。

そこは都会の一等地。
周辺には住宅やマンションが建ち並び、ハイソな雰囲気が漂っていた。
しかし、そのアパートだけは時代を異にし、周囲の景観を不自然なものにしていた。

遺体を発見したのは、アパートの解体業者。
マンションの建替計画を進めるため、解体調査に入ったときのこと。
妙な異臭がすることを怪訝に思いながら一室ずつ検分し、そして、二階の一室で遺体を発見したのだった。

空家にホームレスが入りこんで生活し、そこで孤独死するケースはそんなに珍しいことではない。
私も、その跡片付けをしたことが何度かあった。
だから、その現場で起こったことも、私にとってそんなに珍事ではなく、私は、乾いた感情をぶら下げて、錆びてボロボロの鉄階段を昇った。

玄関に鍵はかかっておらず。
私は、艶のなくなったノブに手をかけ、軋み音を発するドアをゆっくり引いた。
すると、目の前には、異臭と共に、先の見えない暗闇が現れた。

雨戸が閉められていたため、室内は真っ暗。
所々の隙間から光が差し込んではいたけど、外も曇で陽も弱い。
私は、懐中電灯をポケットから取り出し、スイッチを入れた。

暗闇に気持ち悪さを覚えた私は、玄関ドアが自然に閉まらないよう固定してから奥へと前進。
室内は雨漏りがしていたらしく、天井の一部は剥がれ落ち、畳も腐り、床は抜けそうなくらい軟弱。
そして、部屋には、どこからともなく冷たい隙間風が吹き込んでおり、遺体痕を見る前から私の体温と心温を下げた。

間取りは2DK。
私は、懐中電灯の光を四方八方に回しながら、ゆっくり前進。
年数が経っているわりには異臭濃度は高く、甘く考えて専用マスクを持ってこなかった私の鼻を容赦なく突いてきた。

遺体痕は、奥の和室の片隅にあった。
懐中電灯の光が照らし出したそれは、既にクズ状。
腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土をはじめ、頭髪や爪などが残留するのが一般的なのだが(腐乱死体現場を“一般的”と言うのもおかしいけど・・・)、ここの遺体痕は数年が経過しており、元肉体のほとんどが乾燥したクズ状態になっていた。

足元に注意しながら遺体痕の傍に進むと、何かが私の頭に当った。
ドキッとした私が視線を上げると、目の前には一本の電気コード。
天井裏の梁からブラ下ったそれが、私にぶつかった反動で、生き物のようにブラブラと揺れていた。

よく見ると、それは、先端が結ばれて小さな輪がつくられていた。
しかも、そこには、見覚えのある汚れが付着。
似たような光景を何度も見てきた私には、それが“何”であるか、すぐにわかった。

どうみても、それは、首を吊るのに使ったもの。
故人は、自然死ではなく縊死・・・
故人の氏名・年齢・性別はもちろん、死因も知らされていなかった私は、一瞬たじろいだ。

不動産会社が、そのことを知らないわけはなかった。
そして、そのことを私に言わなかったのも意図的だと思われた。
ただ、私は、そのことに引っかかりはしなかった。

それは、私への嫌がらせや酷い悪意からきたものではなく、自殺の事実を嫌悪する気持ちが強いことからきたものだと思ったから。
また、自殺の事実を知ったことくらいでオタオタするほど、特掃隊長の心はあたたかくなかったから。
そして、「それが人間・・・」といった冷めた想いが湧いてきたから。

「自死に対して、嫌悪感や恐怖感みたいなものはまったく感じない」と言えばウソになるけど、実際ほとんど感じない(ある意味、死んだ人間より生きてる人間のほうがよっぽど恐い)。
“祟られる”とか“憑依される”とか、そんな恐怖心もない。
冷酷なのか無慈悲なのか、それとも“慣れ”なのか、この時の私の心は微動したのみで、乾いた溜息をついただけだった。

部屋に生活感はなく、故人の遺留物もなし。
残されたコードと遺体痕だけでは、故人の素性はもちろん、年齢も性別も不明。
当然、自死理由も知れるはずはなかった。

仕事か、金か、健康問題か、人間関係か、プライドか、疲労感か、虚無感か、怠け心か・・・
残念ながら、実際、この世に生きるのがイヤになると思われる理由は、その辺にゴロゴロ転がっている。
私は、その辺のところに想いを巡らせながら、また一つ溜息をついた。

故人は、最期の何日か、何週間か、何ヶ月か、ここで生活したのだろうか・・・
それとも、死に場所を探して入り込み、即座に決行したのだろうか・・・
どちらにしろ、故人は、自分に意思でこのボロアパートを最期の場所に決めたはずだった。

できるだけ人に迷惑を掛けないで済みそうなところを選んだのか・・・
一人静かになれそうなところを選んだのか・・・
その存在が消えた事実に誰も気づかないまま、歳月だけが流れていった。

故人の生い立ちや、最期を迎える気持ちを想像する必要はどこにもないのに、凄惨な場所に一人たたずむ私の頭には、そのことがグルグルと巡った。
そして、そっちに気が引っ張られ、そっちに気持ちが傾いていった。
すると、何とも言えない寂しさが心の内に込み上げてきて、同時に、その心は、部屋の暗闇に侵されるように暗くなっていった。


はたして、自殺者は愚か者なのだろうか・・・弱い人間なのだろうか・・・
もともと、人間は、自分がうぬぼれているほど賢くはないし、自分が信じているほど強くもない。
結局のところ、人間なんて皆、賢さや強さを持ってはいるけど、愚かで弱い生き物でもあるのであり、自殺する人が特別なのではない。

あくまで、「自殺は反対」というスタンスに立った上だけど、私は、自殺を、愚行・蛮行・非行だとは思わない。
“自殺”という死に方に虚しさや寒々しさを覚えることはあるけど、自殺者を嫌悪する感情はない。
死に方は否定するけど、その命と、その人生と、その人は否定しない。

自殺を決行する人の事情や心情を察すると、私は、単なる同情を越えた同志的感情を覚える。
もちろん、それは、“独り善がりの感傷”“その場かぎりの薄っぺらい同情心”かもしれない。
それでも、悩み多き私は、故人の一部を自分に重ね、また、自分の一部を故人に重ね、きわどいところで一対を成す生と死を真摯に直視しようと試みると同時に、このようなことが日常的に起こってしまうこの現実を深々と噛みしめながら、故人の過去と自分の未来をプラスに転じさせようと心を働かせるのである。


世の風、人の風、時の風・・・
今日は今日の風が吹き、明日には明日の風が吹く・・・
人生、生きていれば色んな風が吹く・・・

背中を押してくれる順風・追い風ばかりではない。
進路を阻む逆風・向かい風もある。
心に、冷たい隙間風が吹き込むこともある。

生きることが面倒臭くなるときがある。
生きることに疲れるときがある。
生きることがイヤになるときがある。

それでも、人は生きる。
生きる意味もわからないまま、苦悩を背負い、ただ生きるために生きる。
命は生きるために生まれ、命は生きたがるのだから、命は生かしてやらなければならない。

自分が可愛くて義を欠き、人を裏切ってしまうことはある。
自分が弱くて理を欠き、自分を裏切ってしまうこともある。
しかし、最期の最期まで、命は裏切ってはならないのである。

苦しいのに、辛いのに、悲しいのに、何故、生きなければならないのか。
その答(意味・意義・理由)が見えないからといって、“答はない”と思ってはいけない。
答がわからないからといって、悲観する必要はない。

自分という人間に、自分の人生に、自分の命に答がないのではない。
ただ、自分(人)にそれを解く力と、それを突き止める力がないだけのこと。
頭を抱えるほどの問題ではない。

そのことを謙虚にわきまえれば、答は見えなくても、それに近いものが見えてくる。
苦しみも、辛さも、悲しみも、遭って然るべきことがわかってくる。
そして、心に吹き込んでくる隙間風の冷たさにも、静涙の向こうに見える明日に向かってジッと耐えることができるようになるのである。



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春爛漫

2016-04-07 09:07:26 | 特殊清掃
春本番。
ただ、今日の東京は、あいにくの雨天。
そして、終盤に入ってきた桜花も、今日でだいぶ散ってしまうだろうか。
それでも、低温のおかげで、咲いた状態が長く続いた。
だから、日々、あちこちの現場に走り回っている私も、多くの街に咲く桜を楽しむことができた。

咲き様、散り様が、日本の文化やそこで育まれた日本人の性質にマッチしているのだろうか、日本人はホントに桜が好き。
「狂ったように咲く様が気持ち悪い」と言う知人もいるけど、大半の人は、桜をみて心湧くものがあると思う。

私も、桜を愛でる気持ちは持っている。
「またこの季節が来たんだなぁ・・・」
と、時の移ろいのはやさをしみじみ感じながら、桜を見上げる。
そして、
「こうして春を過ごせるのも、あと何回かな・・・」
と、この命と人の世の儚さに切なさを覚える。

昨年は、夜桜見物に出かけたけど、今年は行かなかった。
気分を変えるために出かけてみようかとも思ったのだが、結局、行かず。
以前に書いたけど、どうにもクサクサした気分が抜けないのだ。

その反動か、この前、久しぶりに泥酔するまで飲んだ。
“家飲み派”の私が外で飲むことは滅多にないのだが、20年来の知人に誘われたため、「たまには・・・」と思って都心の酒場に出かけたのだ。

一件目は居酒屋。
まずはビールを一杯。
次に氷ぬきのハイボールを数杯。
この辺で、だんだんと酔いが回りはじめ、その後は、相手に付き合ってあまり好きじゃないワインをボトル飲み。
酔いが回っていく中で味なんかどうでもよくなり、ボトルが空くたびに追加。
そして、結構酔ったところで、一軒目は終わった。

しかし、酔うと気持ちが大きくなるのは小心者の典型パターン。
そんな私が、それで大人しく帰るわけはなく、「たまには羽をのばしてやろう!」という気持ちもどこかにあり、馴染みの街に電車で移動し飲みなおし。
ウイスキーの水割りを・・・もう何杯飲んだか憶えていないくらい好きなように飲み続け、更に、「どこでどう飲もうが俺の自由!」とばかり、気の向くままハシゴ酒。
結果、諭吉先生は愛想をつかして次々と出て行き、残ったのは英世先生たった一人。
ケチな私に似合わず散財し、“春乱漫”の頭を置いて懐は真冬に逆戻り。
深夜の一時頃、振る袖と体力がなくなったところで御開きとなり、ようやく帰途についたのだった(その数時間後、ヒドい二日酔で仕事に行ったのは言うまでもない)。



出向いた現場は、閑静な住宅地にある賃貸マンション。
間取りは、広めの2LDK
その分、家賃は高めで、住宅ローンを組んだほうが安く済むんじゃないかと思うような金額。
しかし、生前の故人は、「財産を残してやりたい人もいないから」と、あえて賃貸暮しを選択。
“家は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

亡くなったのは50代の男性。
独身の一人暮らし。
結婚歴もなく、一番近い親族は兄弟。
いい女(ひと)の一人や二人はいたのかもしれなかったけど、「家族に縛られるのはイヤ」と、持ち込まれる縁談も断り続け、結局、結婚せず。
“家族は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

職業は“物書き”。
どこで区別するのはよくわからないけど、「フリーライター」「コピーライター」「エッセイスト」とかいう類の仕事。
若い頃から、「好きな仕事をしたい」という志向が強かった故人。
一流大学を出たのに、大企業や役所等には目もくれずフリーランスの道へ。
“固い仕事に就いたほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

死因は病死。
寝室のベッドに横になり、そのまま死去。
死後経過日数は約一ヵ月。
皮膚は茶黒に変色し、顔も、すぐに本人確認できないほど変容。
ただ、季節は晩冬。
気温も低く乾燥した季節で暖房もついていなかったことが、事を小さく治めていた。

汚染痕は寝室にあり、ベッドマットに薄っすらと残る人型が、故人の最期の姿を映し出していた。
それは、リラックスして安眠している姿。
腐乱死体痕なんて、一見すると気味悪い光景ではあるけど、そこには、ありがちな寒々しさはなく、逆に、まだ故人の体温が残っているような気さえするほどだった。

そこから感じ取れたのは、“故人は最期に苦しまなかった” “眠るように、穏やかに逝った”ということ。
もちろん、真偽は定かではないけど、最期に苦しんだかどうかは遺体痕から観ることもできる。
不自然な姿勢だったり、身体を曲げた状態だったり、身体の一部をベッドからハミ出させた状態だったりすると、苦しんだ様が読み取れるのだ。

具合が悪くなったとき、119番くらいできたかもしれないのに、それはしなかったよう。
時間的な寿命より健康寿命を重んじ・・・最期まで好きなように生きようとしたのか。
ベッドに横たわり、朦朧(もうろう)としていく意識の中で、故人は最期を覚悟したかもしれなかった。

どういった想いが頭を廻っただろうか・・・
寂しさや虚しさではなく、好きなように生きたこと、好きなように生きてこられたことへの感謝の気持ちや満足感に満たされて逝ったのではないか・・・
目の前の光景を一連の想像でソフトに受け止めた私は、何の確証もない勝手な推察であることは承知のうえで、ホッと安堵した。


部屋の各所には、故人の几帳面な性格が表れていた。
汚れがちな水廻りもきれいに掃除され、整理整頓もきちんとできていた。
また、キッチンには、男の一人暮らしとは思えないほどの調理器具や調味料が揃えられていた。
そして、缶ビール・缶チューハイ、そして、ウイスキーのボトルもたくさんあった。
銘柄こそ劣るけど、この“三点セット”と炭酸水は私の家にも常備してあるもので、似たような好みに、私は勝手に親近感をもった。

故人は、それなりの経済力を持っていた。
また、趣味も多かった。
酒の銘柄もそうだし、部屋に置いてあるモノからは、その余裕と嗜好をうかがい知ることができた。
もちろん、それは、単に、時勢が合っていただけでも運が良かっただけでもなく、仕事の能力が高かったことはもちろん、相応の努力・忍耐・挑戦、ストレス受容等の結果がもたらした実のはずだった。

人の世話になることと迷惑をかけることは違う。
我流を通すことと社会に反することは違う。
自制できないことを自由とは言わない。
そして、自分を厳しく律しないと自立した生き方を貫くことはできない。

保守的で臆病者の私は、自立して生き通したであろう故人に興味を覚えた。
そして、自分にない素質に触れてみたいとも思った。
もちろん、苦労したこともたくさんあっただろう。
それでも、できるかぎり、自分の思うがままに生きようとした姿に、私は惹かれるものがあった。


人生なんて、なかなか好きなようには生きられないもの。
多くの人が、大きな不自由の中で、小さな自由を選び取って生きている。
自分次第で、小さな自由が大きな自由になることを学びながら。

「逃避」「諦め」「保守」「弱腰」「ネガティブ思考」
私は、つまらないことを恐れ、無用なことを心配し、消極的選択でここまで生きてきた。
楽しく幸せに生きるための選択をしてきたつもりなのに、逆に、それが、それらを遠ざけてきたような気がする。
本質的な何かを考え違いしていた・・・考え違いしているのだろう・・・
そして、そんな自分に、しばしばうなだれる。

「挑戦」「冒険」「革新」「自信」「ポジティブ思考」
私は、失敗を恐れず、自分を信じ、積極的選択で生きることができる人が羨ましい。
そして、そんな生き方ができる人を尊敬する。
例え、それが、他人から“負け”に見えるような生き方でも。

「過ぎた時はどうあれ、残された人生に、小さくてもいいから、きれいな花を咲かせたいもんだな・・・・・」
散り逝く桜花を愛でながら、なかなか熱を帯びない心に春爛漫を描いている私である。


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再出発

2016-04-01 08:01:23 | 不用品

「引越しをするので、不要品の処分をお願いしたい」
依頼者は女性。
一人暮らしで、仕事の合間をぬって引越しの準備を進めているよう。
特別汚損が発生している現場でもなく、通常なら、私が出る幕ではなかったのだが、現地調査の希望時刻は女性の仕事が終わった後の夜。
しかも、仕事が忙しいらしく、結構な遅い時間。
そんな時間に動きたがるスタッフはいない。
また、同じような依頼で現地に出向くと、“実はゴミ部屋だった”なんてことも珍しくない。
人が行きたがらないところへ行き、やりたがらないことをやるのが特掃隊長。
気が向こうが気が向くまいが、そんなこと関係なく私が出向くことになり、約束の日の夜、私は女性宅に赴いた。

現場は、低層小規模の賃貸マンション。
オートロックもなく、玄関までは誰でも素通りが可能。
夜遅い時刻に女性一人の部屋を訪れるのは、ちょっと抵抗がある。
自分が頼んだこととはいえ、見ず知らずの男が部屋に入り込んでくることには、女性のほうも少なからずの不安感を覚えるはず。
私は、“マジメな人間”であることを少しでもアピールするため約束の時刻ピッタリにマンション下から女性の携帯電話を鳴らし、その上で玄関前に行きインターフォンを押した。
そして、ドアの覗き窓からこちらを見られることを意識してキリッとした顔をつくった。

女性はすぐにドアを開けてくれた。
見たところ、年齢は40歳前後か・・・
そして、
「こんな時間にスミマセン・・・お疲れ様です・・・」
と、私を労ってくれ、
「どうぞ・・・」
と、玄関内に招き入れ、スリッパをだしてくれた。

「この際、使わないモノは思い切って捨てて、身軽になろうと思いまして・・・」
引っ越す理由はわからなかったが、女性は、張り切っている様子。
自分でマンションでも買ったのか、それとも、新しい仕事への転職による転居なのか、夜遅くまで仕事をしていたことを感じさせないくらいハツラツとしていた。
そして、そんな女性の姿は、夜間仕事に消沈気味の私に気を使ってくれようとしているようにも見え、私も、その日最後の仕事を明るくこなそうと気持ちを入れ替え、笑顔を浮かべた。

新居はここより手狭らしく、荷物の量を減らす必要があった。
ただ、その“要らないモノ”は、まったく分別されておらず。
引っ越しの日が近いとみえて、ある程度の荷造はすすめられていたが、それでもまだ要るモノと要らないモノが家財生活要品の中に混在していた。
例えば・・・
本棚の中に、要る本と要らない本があり、
タンスの中に、要る服と要らない服があり、
下駄箱の中に、要る靴と要らない靴があり、
食器棚の中に、要る食器と要らない食器があり、
収納ラックの中に、要るCD・DVDと要らないCD・DVDがある。
そんな具合で、その他、押入れや収納ケースにも、必要品と不要品が混在したままだった。

“この仕事、気がすすまないなぁ・・・”
私は、そう思った。
何故なら、作業が面倒臭いものになるのは目に見えているから。
しかも、要るモノを捨ててしまったり、要らないモノを残したりしてしまうミスが起こりやすい。
つまり、“トラブルが起こる可能性が高い”ということ。
更に、汚物がからんでいないため、料金もほどほどにしか見積れない。
“作業が面倒なわりに、それに見合った料金がもらえない”となると、やる気がでないのも仕方がない。
私は、やる気のない心持ちが言動や態度にでないよう気をつけながら、契約不成立を覚悟の上で、トラブルが起こった際の責任のほとんど女性に負ってもらうかたちで打ち合わせを進めていった。

当の女性も、自分が依頼する作業がかなり面倒臭いものであることは理解していたようで、
「貴重品はあらかじめ取り避けておきますし、細かいことは言いませんから・・・」
と、少々の取捨錯誤は気にしないとのこと。
結局、“必要品・不要品の取捨錯誤及び貴重品類の滅失・損傷について、当社は一切の責任を負わない”という条項が付いた契約が成立した。

このケースのように、依頼者が女で、かつ細かな関わりが必要な作業の場合、ムサ苦しい男と一緒にやるより女同士の方がやりやすいため、女性スタッフを希望されることが多い。
しかし、女性は、
「誰でもいい(私でいい)」
という。
結果、この仕事は、私が担当することに。
“うまくいけば、この面倒な作業を他のスタッフに押しつけられるかも”
と悪知恵を働かせていた私は一時消沈。
まだ何十分とたっていないのに、この仕事を明るくこなすことにしたことを忘れて不満を覚えてしまった。
しかし、本来、仕事があること・仕事ができるのはありがたいこと。
私は、感謝すべきことを不満に思ってしまう悪いクセをすぐに反省し、また、この仕事を明るくこなすことにしたこと思い出し、気を取り直して作業の話を進めた。


作業の日・・・
覚悟していたより、作業はスムーズにすすんだ。
そして、その労働は、一次消沈したことが恥ずかしいくらい軽くすんだ。
それは、女性が、ある程度の取捨基準を伝えただけで、それ以上のことは私の判断に任せてくれ、いちいち細かいことを言わなかったから。
私は、女性の意図を汲んで、判断に小さく迷うモノはいちいち女性の確認をとらず、廃棄用のビニール袋に放り込んでいった。

家の中からは、色々な不要品がでてきた。
特に目についたのは“男モノ”。
服や靴はもちろん、細かな持ち物にも男性用のモノがたくさんあった。
“男モノは全部捨てる”ということは、あらかじめ指示されていたため、私は、それらを躊躇わずビニール袋に入れていった。

ただ、気にならないことがなくもなかった。
そこには、女性が男と一緒に暮らししているような雰囲気がなかったから。
ま、そうは言っても、男女の別れなんてどこにでもあることだし、別れのかたちが様々あるのも当然のこと。
一緒に暮していた男が、事情あって、私物を置いて出て行ったのかもしれず・・・
私は、頭に野次馬を走らせながら、作業の手を動かし続けた。

そうして、しばらく黙々と作業。
ただ、次から次へと目の前に現れる男モノを前に、何も訊かないのも不自然なような気がした私は、
「随分、男モノがありますね・・・」
と、独り言っぽくつぶやいた。
すると、女性は、
「これ、全部、彼のモノだったんです・・・」
と、それまでの明るい口調からトーンを落とし、神妙な表情で小さく溜息をついた。

“やっぱ、そうか・・・”
と、女性の言葉にあった“過去形”に確信を得た私は、
“余計なこと、訊いちゃったな・・・”
と、気マズさを覚えながら手綱をとって、頭の野次馬がこれ以上走らないようにした。

ところが、女性と“彼”の別れは、私が想像していたかたちではなかった・・・
「昨年、亡くなったんです・・・急に・・・」
女性は、言葉を落とすようにつぶやいた。

“生と死は隣り合わせ”
“人は、いつ死んでもおかしくない状況で生かされている”
なんて、普段から知った風なことを言っているクセに、若年という先入観が働いていたこの時の私の頭には“死別”というかたちがまったく用意されておらず、女性に、何も言葉を返すことができなかった。

聞けば・・・
女性は、“彼”とこのマンションで10年近く同棲。
「同棲」という言葉は女性が使ったものだが、そう言ったところをみると籍は入れてなかったよう。
いわゆる“内縁関係”“事実婚”というかたちだ。
まぁ、“籍”なんてものは、つくられた型に過ぎない。
もともとは、政を治める者の都合でつくられた支配制度。
今は、意識付けと利便性を求めた社会制度。
あとは、浮気の抑止力になるかどうかといったところか。
どちらにしろ、男女の愛とか情といったものを否定できるものではない。

そんなパートナーの“彼”・・・
ある日の朝、
「体調が優れない・・」
と言いながらも、いつも通り仕事に出かけた。
そして、いつも通り、仕事に励んだ。
ところが、その日の午後、勤務先の会社で急に倒れ、そのまま意識不明に。
そして、数日後、意識は戻らぬまま、帰らぬ人となってしまったのだった。


それから、約一年。
女性は、この部屋で、一人で暮らし続けた。
“彼”との想い出を背負い、部屋に残る“彼”のモノもほとんど始末できないまま。
女性が、深い悲しみに打ちひしがれたこと、寂しくて辛い日々を過ごしたこと、そして、なかなかそこから抜け出すことができなかったことは、聞かなくても想像できた。

そんな中、いわゆる“カープ女子”の友人が野球観戦に誘ってくれた。
しかし、女性は、野球なんてまったく興味はなく、プロのチーム数やチーム名はもちろん、ルールさえ知らず。
それでも、“気晴らし・気分転換になれば”と思い、その誘いに乗ってみた。
そして、友人ともども、真っ赤に染まるレフトスタンドに赤いユニフォームを羽織って座った。

初めて行った野球場には、目を見張るものがあった。
その広さ、その彩り、そのプレー、その演出、その歓声、その迫力・・・
何万もの人が集まって一つのことに集中するエネルギーはすさまじく、女性は、それまで体験したことがない熱気と興奮に包まれた。
そして、人々が喜怒哀楽の感情を露に、そのひと時を楽しむ姿は、日常の世界で目にする人々や自分の姿とはまったく異なりイキイキとしたもので、心躍らされるものがあった。
と同時に、その心に沸々と湧いてきた想いがあった。
それは、「残りの人生を楽しもう!」というもの。
そして、その想いは、日を追うごとに深々と心に刻まれていき、女性に再出発する勇気と希望を与えていったのだった。


あれから、しばらくの時がたった・・・
新しい生活は、女性の勇気と希望に応えてくれただろうか・・・
寂しさと悲しみを想い出に変えることができただろうか・・・
残された日々を楽しめているだろうか・・・
過ぎ行く時間のなかで、女性の顔も女性の声も遠くにかすみ、ほとんど忘れてしまった。

ただ、
「残りの人生を楽しもうと思う」
その言葉だけは、昨日のことのように思い出せる。
そして、私は、女性のそれが叶っていることを想い、また、自分のそれが叶うことを願っているのである。

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確執

2016-03-28 09:06:01 | 消臭 消毒
進学、就職、転職、転居・・・
この時期、人生の岐路にある人は多いと思う。
希望と期待、意地とプライドを持って新たな歩を踏み出す人もいれば、失意と不安の中、意地とプライドを捨てて歩きださざるを得ない人もいるだろう。
私は、意地もプライドもなく、絶望と不安の中、ヤケクソ気味で新たな道に進んだクチ。
もう、24年余も前のことになるけど、その経緯は、何度か書いてきた通り。
毎度のことながら、思い出してでてくるのは溜息と苦笑いくらい。
「自業自得」と、無理矢理、自分を納得させている。

とにもかくにも、新しい環境には、新しい人間関係がつきもの。
初めて会う上司・先輩・同僚、初めて会う先生・上級生・同級生etc・・・
そういった人達と仲良く、うまく付き合えれば、それに越したことはない。
ただ、人は、十人十色。千差万別。
中には、嫌いなタイプの人間、苦手なタイプの人間、ウマが合わない人間がいても不自然ではない。
もっと言うと、自分にストレスをかけてくる人間、腹の立つ人間は、「必ず」と言っていいほど、どこにでもいる。
結局のところ、自分の意に関係なく、嫌いな人間と関わらなければならない、ウマの合わない人間と付き合わなければならないこともでてくるのである。

ただ、人間関係をこじらせることは、自分にとってもマイナス。
それはそれで、違うストレスを生むから。
だから、人は、そうならないために、テキトーなところで、妥協し、我慢し、迎合し、忘却する。
時には、おもしろくもないことに愛想笑いを浮かべ、下げたくない頭を下げ、納得できないことにもうなずく。
自分を、学校で、会社で、この社会で成り立たせ、生かすために。


依頼された仕事は簡易清掃と消毒消臭。
一般家庭のトイレ漏水の後始末で、仕事としてはかなり小さいもの。
それでも、お金をいただく以上はシッカリやらなくてはいけない。
私は、事前に約束した日時に依頼者宅を訪れた。

現場は、キチンと区画整理された郊外にある一般的な住宅地。
造成分譲からまだそんなに時間がたっていないことがすぐにわかる、きれいな家並。
そして、そこに建つ家は、いわゆる“建売住宅”。
建物の形状と外壁の色が家ごとに若干違うくらいで、同じパターンの家がズラリと並んでいた。

整然と並ぶ番地を順に追っていくと、目的の依頼者宅はすぐに見つかった。
私は、その家の前に車を寄せて停車。
片側には、自家用車一台なら充分に通れる道幅が残っていたため、何も気にせず車を降りた。

すると、間髪入れず、向かいの家から一人の老年男性がでてきた。
そして、声高に、
「そこ、とめちゃダメ!」
と、一言。
戸惑った私が黙っていると、矢継ぎ早に、
「邪魔だから!すぐにどかして!」
と、更に声を大きくして言ってきた。

しかし、周囲を見渡しても、私の車は、誰の邪魔にも何の邪魔にもなっていない。
しいて言うなら、私の車があると、男性宅の車が少々出しにくいかと思われるくらい。
ただ、男性に、車を出す様子はない。
だから、私は、
「○○さん(依頼者)の御宅に来たんですけど、すぐ済む用事ですから・・・」
と、男性が了承してくれるものとばかり思って、そう応えた。

しかし、男性は、そんな言い分、意に介さず。
「そんなこと関係ない!ダメなものはダメ!」
と、一点張り。
私有地でも私道でもないのに妙に強気で、妥協する姿勢を一切みせなかった。

こんなの、“お互い様”の精神があれば何でもないこと。
しかし、まったく融通がきかず。
そんな男性に、かなりイラッときたのだが、こんなところで揉めは依頼者に迷惑がかかる。
私は、沸いてくるマグマを飲み込み、小さく舌打ちして再び車に乗り込み、少し離れた公園脇に移動してそこに車をとめ、歩いて依頼者宅に戻った。

そこは市街地でもなく、住民の通報でもないかぎり駐禁を切られることはないと思われたが、目の届かないところに車を置いておくのは、やはり不安。
そうは言っても、住宅地につき、コインパーキング等も皆無。
私は、車を公園脇に置いてきた事情を依頼者に話し、この家の近くに置けないものかどうか相談した。

すると、依頼者は、人差指で自分の頭をトントンやりながら、
「すいませんね、近所に変なのがいて・・・アノ人、ここがおかしいんで、相手にしなくていいですから」
と呆れ顔で言い、そして、
「構わないから、家の前に車をとめて下さい」
と言って、不敵な笑みを浮かべた。

またアノ男性に文句を言われるのはほぼ間違いなかったので、私はいまいち気が乗らなかったが、それでも公園脇に放置して駐禁を心配しているよりはマシ。
男性に何か言われたら、その責任を依頼者に転嫁するつもりで、再び、車を依頼者宅前に戻した。

やはり、向かいの男性はすぐにでてきた。
が、意外にも何も言わず・・・
スゴく言いたそうにしているものの、何かを飲み込むようにしながら、結局、何も言わず。
私が依頼者の指示で車をとめたことが察せられたのだろう、これ以上言うのは火傷のもとと判断したようだった。

それでも、作業中、依頼者宅に出入りする私を、男性は、いつまでも自宅の庭から塀越しにジッと睨みつけていた。
威圧してるつもりか、監視してるつもりか、まるでケンカを売られているようで、私は極めて不愉快な気分に。
普通なら、「何か用?」「失礼じゃないか?」とでも言うところだったが、この場限りの現場で揉め事を起こしても何の得もない。
結局、私は、その都度、睨み返すだけにし、口と身体は男性に向けなかった。


人の悪口って、言わずにいられないときがある。
また、それが、ストレス解消になることがある。
自分の口を汚し、同時に人の耳も汚してしまうものだけど、私にも、現在進行形で身に覚えがある。
作業が終わると、依頼者は、
「気分の悪い思いをさせて、すいませんでしたね・・・」
と、男性の件を私に詫びてくれ、ついでに、ことの経緯を話しはじめた。

ここは、数年前に分譲された新しい住宅地。
土地は広めながらも上物は量産の建売家屋で、若い世帯でも購入しやすい価格帯になっていた。
そして、依頼者家族をはじめ、マイホームを夢見る若い世帯が次々と購入していった。

少しでもいい家に住みたいから、身の丈に合わないローンを組んで失敗するような人もいるらしいけど、通常、人は、自分の経済力に見合った家を買う。
だから、こういった新興住宅地には、生活水準・生活文化・生活スタイルの似たような人達が集まりやすい。
ここもそうで、依頼者も同様、住民のほとんどは、幼稚園児や小学生・中学生の子供がいるような30代~40代の世帯。
一方、どういう事情で越してきたのはわからなかったが、向かいの男性宅は現役を退いた老後世帯。
子供もとっくに成人独立した、老夫婦二人きりの世帯だった

男性と近隣住民との間には、特に何があったわけでもなかった。
何かのトラブルはきっかけで確執が生まれたわけでもなく、引越し当初は、フツーの社交辞令関係だった。

そして、住み慣れてくると、近所同士、親しい人間関係ができてくるもの。
同年代で似たような家族構成の家族が集まっている住宅地なら尚更そうで、春には連れ立って花見に出かけたり、夏には誰かの家に集まってBBQや花火をやったり、秋には一緒にレジャーに出かけたり、冬にはクリスマス会・忘年会・新年会をやったり、たまの休日に酒宴を催したりと、気の合う家族が固まるように。
とりわけ、依頼者宅周辺の家々は、皆仲が良く、良好な関係をつくっていた。

しかし、その輪に向かいの男性夫妻は入っていなかった。
年齢も、家族構成も、生活スタイルも、嗜好も、生活上の課題も他世帯と大きく違うわけで、仕方がないことだった。
しかも、それは、住民達が意図的(悪意で)にそうしたわけではなく、自然とそうなったもの。
善悪で判断できることが原因で起こったことではなかった。

それでも、最初の頃は、気を使って男性夫妻を酒宴に誘ったりしたこともあった。
しかし、男性は、社交的な性格ではないうえ下戸で酒を好まず。
また、年上としてのプライドがあるのか、話しをする機会をつくっても、口から出るのは昔の自慢話や説教じみた御節介ネタが多く、聞いているほうも楽しい気分になれなかった。
結果、会話も自然となくなり、徐々に、距離が空いていった。

男性は、それで疎外感をもったのか・・・
それがおもしろくなかったのか・・・
次第に、周りの人に対してスネた態度をとるようになり、それが、被害妄想的にエスカレート。
近くの路上に車を停めると「邪魔だ」と文句を言うのはもちろん、
学校帰りの子供が表で遊んでいると「うるさい」と文句を言い、
子供が路面に蝋石で落書きをして遊んだ際は「景観を損ねる」と文句を言い、
時には、ゴミ収集日にゴミ袋を開けて分別をチェックしたりして、他家の粗探しをするようなこともあった。
結局、「お互い様」と融通し合うべきことも一切応じず、そういった振る舞いが、人に変人扱いされ、人から嫌われる原因になり、男性は、ますます孤立の度を深めていったのだった。


視界を狭めれば意地を張ることはできる。
広い視野を持てば、つまらない意地は捨てられる。
視線を上げなければプライドを保つことができる。
上へ視線を向ければ、つまらないプライドは捨てられる。
小さな怒りさえあれば、拳を振り上げることはできる。
だけど、振り上げた拳を下ろすには、大きな勇気が必要。

男性は、新しい暮しの中でつくっていく新しい人間関係に期待感を持っていたのだろう・・・
仲良く付き合える“ご近所”が欲しかったのだろう・・・
周りの人に、自分の存在を気に留めてほしかったのだろう・・・
しかし、現実は、確執だらけの“村八分”状態。
そして、対人関係にとどまっていたはずのその確執は“対自分”に・・・つまり、“自分の理性と良心”の間に、また、“理想の自分”との間にまで転移し、男性を蝕んでいったのか・・・

そこで目にした、「自業自得」で片付けてはいけない人間の愚弱は、持つべき意地が持てず・つまらない意地が捨てられず、また、持つべきプライドが持てず・つまらないプライドが捨てられない私の前に、大きな問を置いたのだった。



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椅子とりゲーム

2016-03-22 08:44:29 | 遺品整理
“椅子とりゲーム”
子供の頃、やったことがある人は多いと思う。
頭数より少ない椅子を並べ、その回りを音楽に合わせてグルグルまわり、合図とともに座るってヤツ。
競い争い、最後まで残るのが、このゲームの目的と娯楽性。

当然、ゲームの途中で、一人一人、脱落者が生まれる。
生き残るには、相手を押しのける必要がある。
時に強引に、時に乱暴に、そして、奪い取ることが必要なときもある。
そうして、最後まで座り続けることができた者が最終的な勝者となる。
私だけかもしれないけど、何故だか、この遊びは、負けたときに独特の寂しさを覚え、勝ったとしても独特の切なさを覚える。
結局のところ、独特の虚無感を覚えるため、私のとっては、あまり楽しい遊びではなかったように記憶している。

大人になって社会にでると、また別の“椅子とりゲーム”をやるハメになる。
そう・・・朝夕の満員電車だ。
多くの人が座りたいのに、限られた人しか座れない。
車内は、冷静を装った熱気と緊迫したムードに包まれる。

通勤時間帯、始発駅でもないかぎり、乗ってすぐ座れることなんてない。
何駅が通過して、先客が降りて席が空かないと座れない。
そのためには、まず、座席の前に立つ必要がある。
ドア付近や通路に立っていては、立つ客と入れ替わって座ることなんてできないから。
更に、自分の真ん前の人が立たないかぎり座れない。
どれだけの可能性と確率があるのか、運に任せるほかない。
毎日のことだから、中には、特定の人の顔を憶え、その人が降りる駅を把握し、その人が座っている前に立つような達人もいるよう。
しかし、大方の人は、運と可能性に身を任せるしかないのである。

会社に行くと、今度は、本格的な“椅子とりゲーム”が始まる。
そう、出世競争。
電車とは違って、これは、かなりの長期戦。
新卒20代の頃は、一人前になるのが精一杯。
同年代も無役が多くて、役職はあまり気にならない。
しかし、30代に入ると役に就く者が現れ、ギアチェンジを余儀なくされる。
そうして、限られた椅子を巡っての戦いが始まる。
主任・係長・課長・部長・取締役・常務・専務・社長・会長・・・
上位にいくに従って椅子の数は減っていき、競争は激化。
篩(ふるい)は容赦なく揺れ動き、力のない者は落とされていく。
そして、勝ち残った者だけが上へ上へと登っていく。

こんな私にも大手企業に勤める知人が何人かいるけど、同期に先を越されると、かなりの敗北感や劣等感を覚えるらしい。
ましてや、後輩に追い抜かれるなんてことがあると、それが会社を辞める原因になることさえあるという。

会社や社会に競争原理は必要。
それは人に向上心をもたせ、努力や自己啓発をうながし、広くは、社会成長や経済発展につながる。
しかし、それが過度に働くと、多くの敗北感や大きな劣等感がうまれる。
そして、それらは、人の心と人生を暗い方へ追いやるようになる。
社会の競争原理と人の競争心は、適度なところで保たなければ、大きなマイナスを生むことがあるのである。

幸い?私の会社は超零細企業。
しかも、職種もかなりマイナー。
したがって、会社組織として競争原理が働くほどの体もなければ、そんな場面もない。
「特掃隊長」なんて椅子は、座りたくて座っているわけでもないし、そもそも誰も座りたがらないから競争は起こらない。
ある意味で平和である。

そのせいでもないだろうけど、私は、“椅子とりゲーム”が下手。
人を押しのけてまで座ることができない。
もちろん、座りたくなるような椅子そのものがないのだが、仮に、あったとしても大した椅子に座ることはできないだろう。
勝ち残るための能力もさることながら、競う勇気がないのである。


出向いた現場は、郊外に建つ古い一戸建。
高級住宅地に建っているわけでもないし、「豪邸」というほどでもなかったが、わりと大きくて立派な建物。
ただ、庭は荒れ、長く空き家になっているような、寂れた雰囲気。
約束の時間を待って、私はインターフォンをプッシュ。
すると、すぐに「お待ちしてました」と言う声が返ってきて、玄関から依頼者である中年の男性が出てきた。

「腐乱死体現場」と聞いてやって来たのだが、家の中に入って気になったのは、ジメっとしたカビ臭さくらいで、例の異臭は感じられなかった。
ただ、庭同様、少々荒れ気味。
全体的に薄汚れた感じで、いたるところホコリだらけ。
ゴミが散らかっているということはなく整然とはしていたけど、印象としては、モノクロの冷たい世界。
そんな荒んだ(すさんだ)雰囲気に、よんどころない事情があることを察した私だったが、その心情は男性にとって不愉快なものかもしれなかったため、平然を装い、あえて呑気な表情を浮かべた。

男性は、一階リビングにあるソファーに私を座らせると、
「何からお話すればいいんでしょうか・・・」
「恥ずかしい話なんですけど、亡くなった父と私達家族は、あまりうまくいってなくて・・・」
と、言いにくそうに事の経緯を話しはじめた。


亡くなったのは、男性の父親。
仕事はしばらく前に引退し、晩年は、慎ましい年金生活。
故人の妻、つまり男性の母は健在だったが、この家を出て男性(息子)家族と同居。
結果的に、故人は、この広い家で一人暮しとなっていた。

現場の家と男性宅は、そんなに離れていなかった。
歩いて行き来できるほど近くはなかったが、車で30分もかからない程度。
それでも、男性と故人は疎遠だったよう。
男性の母親(故人の妻)もまた同様で、特段の用事でもないかぎり連絡を取り合うこともなかった。
その結果、故人の死に気づくのも遅れてしまったようだった。

妻がいるのに一人暮らしなんて、一般的にみると不自然。
家族間に難しい問題があったことは容易に察することができた。
が、それは、私が詮索する必要のないこと。
ただ、男性は、プライベートな事情をどこまで話す必要があるのか線を引けないよう。
男性が、
「“体調が悪い”とか“病院にかかっている”等といったことは聞いてなかったんですけどね・・・」
と言ったところで、あえて私の方から話を切り、話題を実務的なことにスライドさせ、依頼の内容を尋ねた。

「父(故人)が使っていた椅子を始末と、書斎の消毒と消臭をお願いしたいんですけど・・・」
依頼を受けた私は、とりあえず、二階の書斎へ。
そこは、ドラマのセットかと思われるような本格的な書斎で、ホコリをかぶった机と、古ぼけて傷んだ椅子があった。
故人は、その椅子に座ったまま亡くなっていたよう。
ただ、不幸中の幸いで、寒い季節で暖房もついておらず、肉体の腐敗は軽度。
椅子に残った痕も、素人目にはわからないくらい薄いもの。
また、異臭レベルも低く、素人鼻には、少し強めの体臭くらいにしか感じられない程度だった。

他例では・・・
少ないけど、重汚染でも家族が自分達の手で掃除するケースはある。
「家族なんだから・・・」といった具合で。
今回の現場のような軽汚染なら尚更で、家族が始末するケースは珍しくない。
その場合、私の仕事(売上)は減ることになるのだけど、私は、そんな人達に好感を覚える。

しかし、男性と家族は、自分達の手でその椅子を片付けるのはイヤなよう。
それが、死を怖れてのことなのか、孤独死を悼んでのことなのか、はたまた、単に気持ち悪いだけのことだったのか・・・
それとも、その椅子が、故人と家族を隔てる象徴のように思えて、抵抗があったのか・・・
どちらにしろ、そこに、あたたかな家族愛は感じられなかった。

デスクマットには、何枚もの名刺が並んでいた。
そこに記されていたのは、某企業の名
そして、氏名はすべて同じ、故人の名。
ただ、所在地・部署・役職はそれぞれ異なっていた。
どうも、それは時系列に並べてあるらしく、順を追って見ていくと、故人が出世街道を歩いていく様が浮かび上がってきた。

最後は重役の肩書き。
そう・・・故人は、重役にまで登りつめたよう。
ただ、その“椅子とりゲーム”を勝ち抜くために故人がなした努力・忍耐・戦いも相当なものだったはず。
家族より仕事を優先せざるを得なかったことも多かっただろう。
家でストレスを吐き出すことも少なくなかっただろう。
知らず知らずのうちに、結構な“ワンマン親父”になっていたかもしれない。
ただ、そんな故人が獲得した経済力によって、家族の生活が守られていたのも事実のはず。
その利害が生み出す矛盾と葛藤が、徐々に故人と家族との距離をあけていったのかもしれなかった。


生前、故人は、時折この椅子に座っては、一人で過去の名刺を眺めたことだろう。
華々しい戦歴が刻まれた名刺に何が見えたか・・・
そして、どんな思いが湧いてきたか・・・
達成感を抱いたか、満足感を得たか、誇らしく思ったか・・・
疲労感を覚えたか、虚しさに苛まれたか、寂しさに襲われたか・・・
根底に流れる懐かしさは、あたたかいものだったか、それとも、冷たいものだったか・・・

冷たくくたびれた故人の椅子は、“椅子とりゲーム”の勝者が味わう人生の機微を語っているように見え、私に妙な切なさを抱かせたのだった。


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噴火

2016-03-15 09:01:15 | 特殊清掃 消臭消毒
依頼された現場は、孤独死が発生した賃貸マンション。
集まったのは、遺族・管理会社の責任者(以後「責任者」)・マンション管理人(以後「管理人」)、そして私。

遺族は、故人の遠い親戚。
悲しみのせいか、事の始末にかかる費用を心配してか、少し不機嫌な様子。
「ヨロシクお願いします・・・」
と、困惑の表情を露に私に頭を下げた。

責任者は、管理会社の管理職。
紳士的な人物で、物腰も穏やか。
「こういう経験は初めてなものですから、色々教えて下さい」
と、師に向かうかのように私に頭を下げた。

管理人は、その管理会社に有期契約で雇われた現地スタッフ。
組織上は、責任者の部下にあたり、マンション1Fに住み込み勤務。
自分の仕事場で孤独死が発生したことに戸惑っているのか、はたまた、上司が同席しているせいか緊張の面持ち。
とにかく落ち着かない様子で、意味もなくペコペコ。
「どうも・・・」
と、少しオドオドした感じで私に頭を下げた。

部屋には重汚染と重異臭があり、原状回復には大規模な内装改修工事が必要な状況。
打ち合わせの結果、費用は遺族が負担、実務は管理会社が主導するかたちで作業を進めることに。
そして、部屋も、特殊清掃から内装改修工事まで、一貫した流れで原状回復させることになった。


翌日の朝。
特掃をやるために現場を訪れた私は、まず管理人室へ。
前日に挨拶を交わした管理人はそこにいたのだが、どことなく雰囲気が違う。
前日は無口で身体を小さくしていたのに、まるで別人のように口は滑らかで椅子にふんぞり返っている。
そして、私とは親しい間柄でもなければ、縦関係もないのに、口から出るのは命令口調が混ざったタメ口。
前日の様子から、管理人のことを“謙虚で大人しい人物”と判断していた私は、気持ちの悪い違和感を覚えた。

「作業の日時を事前に連絡し許可をとること」
「土日祝祭日と夜間には作業を行わないこと」
「エレベーターは使わないこと」
「出入りを他の住人に見られないようにすること」
等々、管理人は、作業をする上での注意点を私に伝えた。
まぁ、その辺のところは理解できることだったので、私は、二つ返事で承諾した。
しかし、納得いかなかったのは、その口調・言葉遣い、物腰・態度。
「何様のつもりだ!?」
と思ってしまうくらい高慢横柄で、私は、不満や不快感というより戸惑いと嫌な予感を感じた。

そして、困ったことに、その嫌な予感は的中した・・・

「異臭がする」
「他の住民から苦情がきてるから、至急、対処しろ」
と、その翌日、管理人は電話を入れてきた。
が、私だって素人ではない。
特掃はもちろん、必要な一次作業はしっかりやったわけで、異臭の漏洩が想像できず。
が、万が一ということもある。
私は、その日のスケジュールを調整し、焦って現場に駆けつけた。

到着した現場は特に何も起こっていない。
特掃した部屋の前も、その周辺も異臭は感じられず。
そもそも、他の住民には極秘でやっているわけで、苦情がでているなんてことは考えにくい状況だった。
それでも、管理人は、
「今は平気だけど、朝はクサかった」
と、胡散クサい言い訳をしてきた。
その上、目張りなんか必要な状況ではないにも関わらず、
「ドアを外側から目張りすると目立つから、内側から目張りしろ」
なんて、無茶なことを言ってきた。
しかし、そこで楯突いて嫌われるのは得策ではない。
結局、泣き寝入るかたちで消臭剤を撒き、苦心して目張りのテープを貼り、その場を収めたのだった。

それ以降も管理人は、
「廊下が汚れている」
「ゴミが落ちている」
「エントランスのガラス扉に指紋がついている」
「共用廊下の窓が開けっ放しになっている」
「壁にキズがついている」
等と、当方に責任がないことでも、勝手に決めつけて文句を言ってきた。
また、同じ質問を何度も繰り返し、似たような書類を何度も提出させ、同じ小言を何度も言ってきた。
そして、ことある毎に、私を現場に呼びつけた。

この管理人は、まさに、人を虐めることで自分を満たすタイプ、人に八つ当たりすることでストレスを解消するタイプ、そして、自分より立場が上の人間には弱腰なくせに、自分より立場が低い人間には、とにかく偉そうにしたいタイプの人間。
何を命じても業者がペコペコと従う様が愉快だったのか、どうみても悪意をもって意地悪をしているようにしか思えなかった。

私の腹には、そんな管理人に対する鬱憤が蓄積されていった。
何度か責任者に相談しようかと思ったことはあったけど、それも幼稚なことのように思えたし、それが原因で管理人の嫌がらせがエスカレートしたら余計に困る。
とにかく、管理人を敵に回したら仕事がやりにくくなるだけ。
また、自分だけではなく、仲間にも迷惑をかけてしまう。
だから、私は、少しでも管理人に気に入ってもらえるよう、自分を押し殺し、我慢に我慢を重ね、細かなことでも「ハイ!ハイ!」と、管理人が言うがまま丁稚のように動いた。

そうして数週間、何とかたどり着いた部屋の完成。
あとは、責任者の確認と了承をもらって部屋を引き渡すだけとなった。
ところが、この期に及んでも、管理人は、
「クローゼットの扉の色が前のモノと違うから交換しろ」
と、自分の仕事の範疇ではないことを言ってきた。
ただ、建材・建具の材質・色調が原状と異なることについては、見積書をつくった段階で責任者の了解をとっているし、契約書にも記してある。
当方の落ち度ではないことは明白。
だから、その旨を冷静に説明すれば済む話だった。

ところが、私は、いとも簡単にキレてしまった・・・というより、まるで、キレるタイミングを待っていたかのように、躊躇うことなくキレた。
仕事完了の安堵感と、こちらの正当性が証せる書面を持っている強みが、溜まりに溜まった鬱憤のマグマを押し上げ、とうとう私は大噴火。
「いい加減にしろ!なんでも言うこときくと思ったら大間違いだぞ!コラ!」
と、私は管理人を一喝。
そして、
「これはアンタの指図を受けるようなことじゃねぇよ!」
「責任者の了承をとってるんだから!」
「文句があんなら責任者に言えよ!」
と、“この際、言いたいことを言ってやれ!”とばかりに、我慢せず、次から次へ頭に浮かんでくる言葉を言い放った。

管理人は、いつも通り私が「ハイ!ハイ!」と言うことをきくと思っていたのだろう。
しかし、予想に反してキレた私に驚いた様子。
「こ、ここの責任者は俺だ!会社は関係ない!」
と、しどろもどろで、訳のわからないことを言い出し、争う姿勢をみせた。
しかし、子供の頃から口答え(だけ?)は得意な私。
口でも理屈でも管理人に負ける要素はなく、私は自信満々で応戦。
口論の中、次第に口数が少なくなる管理人に、私は容赦なく口撃を続けた。
そうして、防戦一方で負け戦になることがみえてきた管理人は、
「もう、お前は、うちのマンションに出入禁止だ!」
と、幼稚なことを言って一方的に電話を切り、逃げ去ったのだった。


部屋を引き渡す日。
責任者と日時を約束していた私は、
「出入を禁止した俺が現れて、管理人はどんな顔をするだろう」
と、意地悪な気持ちをもって現地を訪れた。
そして、
「また妙な言いがかりつけてきたら、我慢せず言い返してやろう」
と、頭のギアをいつでも戦闘モードにシフトできるようニュートラルに入れてマンションに入った。

事情を知ってか知らずか、責任者は変わらず紳士的で、労いの言葉を織り交ぜながら、私に丁寧に挨拶をしてくれた。
が、管理人の方は気マズいとみえて、私と視線を合わさず。
また、前回の電話で「出入禁止!」と怒鳴ったくせに、そこでは何も言ってこず。
一言も言葉を発さず、最初に会った時と同じように、無言のまま身体を小さくしているばかりだった。

私から管理人に用はない。
したがって、話しかける必要性もない。
こんな人物(管理人)でも、世話になったことも少なからずあったはずだけど、不快感や不満の方が大きすぎて、それがただの社交辞令だとしても、到底、礼を言う気持ちにはなれず。
私は、自分の中で小さくイキがりながら、終始、管理人を「無視」というか、そこにいないものとしてスルーした。

結局、私と管理人は、一度たりとも目を合わさず、一言たりとも言葉を交わさず。
もちろん、管理人の方から挨拶してきた場合、無視するのはあまりに無礼だから、その場合に応える用意はあった。
しかし、管理人も黙って下を向いたまま。
最後くらいはキチンと挨拶して別れるべきだったのかもしれなかったけど、意地悪な私は、そこまで大人になれず、ちょっと苦い後味を残して、そのまま、その仕事を終えたのだった。


私は、もともと気が短い。
歳を重ねて少しは気長になってきた感もあるけど、ちょっとしたことで、すぐにカッとなる。
自分一人でカッとなるだけならいいけど、それを誰かに向けてしまった後は悔いることも多い。
また、原因が小さければ小さいほど、残念な自分を知ることになる。

人の理性と良心は、そんな自分を反省させ、あらためるための努力を促す。
それでも、深い部分を変えることは容易ではなく、ふとした時に、またカッとなる。
それを繰り返すことで人は成長するのだろうけど、自覚の部分では成長が見えないことがほとんどで、それが苛立ちの原因になったりする。
だけど、それが、間違いのない自分、どうにも変わらない自分のだから、それで自分を押さえつけすぎないことが大切かもしれない。

愚かだろうが弱かろうが、葛藤の中に生まれるその人間味が自分を熱くし、人生を面白くしてくれるかもしれないのだから。


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自己不満足

2016-03-10 09:06:09 | ボランティア
“死”のニュースは、毎日、世界中を駆け巡っている。
遠い世界だけのことではなく、それは、身近なところでも起こっている。
それを見れば、“死”というものは、いつ訪れてもおかしくないことがわかる。
人を死に至らしめるのは老いや病気が多いのは間違いないけど、それだけではない。
“生”というものは常に“死”と隣り合わせであり、人は、いつ死んでもおかしくない状況で生かされているのである。

あまりにインパクトが強すぎて、地が大きく揺れた恐ろしさが、まるで昨日のことのように思い出されるが、あれから明日で五年。
2011年3月11日の朝、その日で自分の人生が終わることを知って仕事や学校に出かけた人はどれだけいただろうか・・・
多分、一人もいなかったはず。
それでも、多くの人の人生が終わりを迎えた。
そして、それぞれの意思に関係なく、残された多くの人の人生が予期せぬ方向へ流されていった。

それでも、五年という時間は変わりなく過ぎた。
そして、過ぎた時間の分だけ、非被災地にとっての震災は遠くにぼやけていった。
それが、時間が持つ優しさでもあり冷たさでもある。
だからか、この時期以外、普段は、あまりニュースにもならなくなった。
どうでもいいように思える有名人のスキャンダルは飽き飽きするほど繰り返し報道されるのに、震災のニュースは、まるで“旬”でもあるかのように一時的なものになっている。
しかし、今でも、困っている人はたくさんいる。
長い苦しみに耐えている人はたくさんいる。
そして、ボランティアで、それを支えている人もたくさんいるのだろう。

当時、知人の中には、積極的に物資や義援金を募り、現地に送った人がいた。
そして、実際に、奉仕に参加する人もいた。
私も、衣類・タオル類・毛布・布団・水・食料、そして少々の金銭・・・
自分の手元に余っているモノを、支援物資として提供した。

しかし、身体は動かさなかった。
“動かせなかった”のではなく“動かさなかった”。
もちろん、給料を失う覚悟で長期休暇をとれば(もしくは退職すれば)行けなくはなかった。
しかし、そこまでの熱意もなければ覚悟も持てなかった。
そもそも、ボランティア活動に従事する人の多くは、長期休暇がとりやすい公務員や大企業の社員とのこと。
零細企業で不安定な仕事に従事する私のような者は、他人様を助けに出る余裕がない。

ただ、私の場合、“余裕がない”という以前に、その精神がない。
“人にために何かをやる”なんて思考回路を持ち合わせていない。
ついでに言うと、三食や酒を減らしてまで義援金を出そうとも思わない。
つまり、“自己犠牲をともなう支援はしたくない“ということ。

更に、それに対して、大した罪悪感はない。
もちろん、“俺が悪いんじゃない”とか“俺の責任じゃない”等と、開き直っているわけでもないけど、そんなに罪なことだとは思っていない。
これを「悪」と呼ぶかどうかはさておき、どちらにしろ、あまり好ましい人間ではないだろう。
それは、わかっている。
が、小さな罪悪感や後ろめたさを、小さな罪悪感や後ろめたさを抱くことでごまかしている。
結局のところ、自分が一番かわいいから。

「人間なんてそんなもの」
「皆、似たようなもの」
そんな考えに逃げ道をもらうこともあるけど、悲しいかな、それは自分がそんな人間でいい理由にはならない。
これは、自分個人、一人の人間の問題。
物事の良し悪しは、多数決で決まるものではない。
「多くの人がそうなのだから、自分もそれでいい」
なんて理屈はまったく成り立たない。

私は、自分を“心のあたたかい人間”だとは思っていない。
このブログにおいて、“心のあたたかい人間”であるような風体を醸し出してはいるけど、わりと冷たい人間。
だから、何事も、自分本位。
自分にとって自分は世界の中心。
標準であり、基準であり、常識。
何をやるにも、まずは自分のため。
他人のためのように見えることも、まずは自分のため。
自分さえよければ、それでいい。
すべての動機は、“自分のため”からきている。

何年も前になるけど、自殺現場に残されていたチビ犬を引き取ったときもそう。
“犬のためを思って引き取った”みたいな雰囲気でブログを書いたけど、実は自分のため。
犬を見殺しにすることによる罪悪感や後ろめたさを抱えるのがイヤだったから。
犬を引き取ることによって善人気分を味わいたかったから。
そして、それを回りに言うことによって、賞賛を浴びたかったから。
所詮、動機はそんなところである。
もちろん、それでチビ犬が救われたこともたくさんあると思うし、一緒に暮すようになってたくさんの幸せが生まれたことは事実だけど、ただ、それは二次効・三次効。
まずは、自分のためだった。

仕事もそう。
目的の本質は“自己満足”。
“世のため、人のため”でもなければ、“会社のため”でもない。
金銭獲得のため、人格形成のため、自己研鑽のため、あくまで自分のため。
人や社会への貢献があるとするなら、それは、二次効・三次効。
結果の実であり、私が第一に求めているものではない。

頑張っている自分を褒めながら、頑張っている自分を慰めながら、
頑張れない自分を嘆きながら、頑張れない自分を憂いながら、
得は増やさず、歳ばかり増やして、
「自分のため」「自分のため」と、私は、生きている。

それが悪いとは思わない。
ただ、そんな自分の窮屈さと満たされない現実に、時にフテ腐れ、時に苛立っている。
そんな自分に満足しているわけでもない。
しかし、自分では、どうしようもないのである。


インフルエンザにかかって以降、なんだか調子が悪い。
食欲は戻っているし、ウォーキングも、たまの晩酌も再開できているので、身体は、ほとんど回復したと思う。
そして、思考がおかしいのも、精神の調子が悪いのも、今に始まったことではない。
何と言うか・・・その類じゃなく、気分がイライラするというか、クサクサすることが多いのだ。
それが、よくない状態であることが自分でわかっていながら、どうすることもできない。
自分で自分の心は変えられない。
反面、自分の意を無視したところで、簡単に変わる。
その軽率さに翻弄されて、キレそうになることもある。

これだけ、めいっぱい利己的に生きている私なのに、何故、満たされないのだろうか。
利己的すぎるからか・・・
欲が大きすぎるからか・・・
「自分のため」と思ってやっていることが、本当は、自分のためになっていないからか・・・
心を満たしてくれるモノを見当違いしているのか・・・
心の持ち方が間違っているのか・・・

私は、自分の欲求を満たすモノで心を満たそうとしているから、いつまでたっても、満たされないのかもしれない。
本当に心を満たしてくれるのは、自分の欲求しているモノではないのかもしれない。
例えば、チビ犬と暮すことによって与えられた幸福感とか、人から感謝されることによって気づかせてもらう自分の存在価値とか、一生懸命働くことによって得られる平和な生活とか、そういったもの。
自分の欲が追う目先の一次効ではなく、その向こうにある二次効・三次効こそが、真に自分の心を満たしてくれるものなのかもしれない。

満足感を高めるには、心の持ち方を変えることが必要。
利己的な思考に支配されないよう気をつけ、
無駄な欲を持たないよう心がけ、
得ることよりも、まずは、与えてみることを志向し、
どこかに、人の幸せで満足できる自分がいないか探し、
そして、自分の心と冷静に向き合い、自分の心を賢明に整える。
そんな人間になれれば、自分の満足度を上げることができるかもしれない。

ただ、私が、そういう人間になるには、まだ、しばらくの時間と修練が必要。
いや・・・一生かかっても、そうなれない可能性も充分にある。
だけど、この隙間だらけの心を持つ者は、それを埋める何かを探すくらいのことはできるかもしれない。

とにもかくにも、気分が優れないときは汗をかくにかぎる。
我武者羅に、無心で、ひたむきに、目の前の事象にあたるにかぎる。
重作業に従事すれば身体は重くなるけど、その分、心の荷は軽くなるような気がする。
汚仕事に従事すれば身体は汚れるけど、その分、心の垢はとれるような気がする。

クサクサした気分を持て余している私は、この重苦しい生業が生みだす“きれいごと”という名の真実を心にかき集めて、その隙間を埋めようとしているのである。


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孤軍糞闘

2016-03-04 09:40:27 | 特殊清掃 消臭消毒
しばらく更新していないうちに、暦はもう3月。
外は、日に日に春めいてきている。
寒くて暗い冬は何かとツラいことが多いので、春は大歓迎・・・
なんだけど、このところの私は、心身ともに不調が続いている。

滅多に風邪なんてひかない私なのに、先月中旬、風邪をひいてしまった。
異変に気づいたのは、2月16日(火)の夜。
腹は減っているはずなのに、思うほどモノが食べられず、妙に思った。
そして、翌日。
倦怠感・食欲不振・発熱・喉痛・間接痛・頭痛・咳・鼻水etc・・・一通りの症状がではじめた。
ただ、その時点ではまだ軽症。
「一晩、二晩、辛抱すれば治るだろう・・・」
と、高を括って、特段の策を打たず放置してしまった。

病原は、B型インフルエンザ。
どうも、同僚からもらったようで、私の他にも同僚二名がダウン。
結構な重症で、二人は長期休暇を余儀なくされた。
しかし、悪化の一途をたどる症状の中にあっても、私は、仕事を休むことができず。
自慢すべきことなのか、悲しむべきことなのか、代役を立てられない仕事を何件か抱えていたためだった。

そのうちの一件は、終活イベントでの講演。
わずか45分の話だったのだが、それなりに前準備も必要で、急に代役を立てるわけにはいかなかった。
もう一件は、指名付きの現地調査。
わざわざ私を指名してくれるなんて、とてもありがたいことなので、病を押して出張っていった。

そして、代役を立てられなかった仕事の最たるもの・・・“メインイベント”は、便所特掃。
しかも、特掃屋に頼んでくるわけだから、フツーの便所ではない。
便器には、糞便がテンコ盛り。
例えるなら、大盛カキ氷のような状態でエベレスト級。
最後のほうは、一体、どういう姿勢で用を足していたのか、不思議に思えるくらい。
そして、便器に乗り切らなくなった糞便は床に堆積。
便器の手前の床には富士山級の糞山が形成され、二つの糞山の麓には糞野が広がっていた。
更には、配管が詰まっている可能性が高く、また漏水する危険もあったため、水は使えず。
体調が悪くないときでも、この便所掃除には、相当の覚悟と気合を要するのに、よりによって、そのときはインフルエンザの真っ只中。
車に乗っているだけでもツラい状態だったのに、その上、特掃をやらなければいけないなんて・・・
腹が立つやら悲しいやら、身体だけでなく精神のほうも相当なダメージを喰らってしまった。
そして、あまりの惨状を前に、弱音を吐く自分に言い訳する気持ちさえ萎えていった。
しかし、こんな現場を処理できるのは、うちの会社でも特掃隊長くらい。
しかも、事前の現地調査から契約まで、一貫して私が担当していたわけで、本番だけ逃げるわけにはいかなかった。

部屋の住人は入院中で、帰宅予定は立っておらず。
この仕事の依頼者は、住人の親族で、鍵も私に預けてくれていたし、特段の期日も設けられておらず、作業スケジュールは、私の裁量で決めることができた。
だから、作業を延期することが、自然と頭を過ぎった。
しかし、どちらにしろ、この作業は、自分がやらなければならない。
そして、多くの場合、目の前の現実から逃げても何も好転しないことも知っていた。
何もしないで退散することに抵抗を覚えた私は、無理のないペースで仕事を進めることに。
頭に描いた作業手順に則って装備を固めながら、
「最後までやれなくてもいいから、できるところまで頑張ろう・・・」
と、弱った心身に余計な負荷がかからないよう、あらかじめ目標までのハードルを下げた。
それから、意を決し、作業の安全を祈願する地鎮祭でも行うかのように持ってきた小型のシャベルを糞便山に差し込み、作業をスタートさせた。

“便所特掃”は、大きく三つのカテゴリーに分けることができる。
一つ目は“腐乱死体系”、二つ目は、“ゴミ部屋系”、そして三つ目は今回の現場のような“糞尿系”。
私が踏んできた現場では、三つそれぞれに“伝説”が生まれているが、今回の便所は“糞尿系”の第二位にランクインするレベル。
いきなり“二位”に躍り出るくらいのレベルだから、相当のモノであることがわかるだろう(わからないか・・・)。

ちなみに、これで“二位”ってことは、“一位”はどれだけのモノか、興味を覚える?
ただ、それを文字で表すのは難しい。
あえて言うなら、今回の便所は「糞便山野」、一位の便所は「糞尿山沼」。
あとは想像に任せるしかないけど(想像できるわけないか・・・)、そんなのを掃除するわけだから、ちょっとイカれてないとできないかもしれない。

やはり、身体は、かなりしんどかった。
だから、作業中、頻繁に休憩をとらざるを得なかった。
時折、陽の当る奥の部屋で横にならせてもらったりもした。
ただ、そんな状況でも、作業は確実に進めた。
足元はウ○コまみれ、身体はウン粉まみれ・・・もう、ヒドい有様になりながら。
そうして、いつもの何倍もの時間をかけて作業を完了させた。
しかし、達成感なんかなく、あったのは、少しの安堵感と大きな疲労感と倦怠感のみ。
私は、作業終了の余韻に浸る余裕もなく、重い身体を引きずるようにして部屋から車へ移動し、座席に身体を放り投げて、しばし呆然としたのだった。


結局、不調は二週間くらい続いた。
その間、日課のウォーキングも中断。
立っていることもままならないのに、歩けるわけがない。
また、食欲がでず、食事をまともに摂ることもできず。
もちろん、酒も飲めず。
少しも「飲みたい」なんて思わなかった。
しかし、何か食べないと身体がもたない。
結局、バナナ・リンゴ、プリン・ゼリー、そして、栄養ドリンクetc・・・そんなモノを口に入れながら、日々をしのいだ。

風邪は治ったはずなのだが、今もまだ、咳が残る。
食欲は、ほぼ元に戻っている。
ただ、体力は落ちてしまった。
体重もだいぶ減ってしまった。
また、倦怠感が抜けない。
精神が萎えたままで、明るい気分になれないでいる。
できるだけ食べるようにし、ウォーキングも再開したから、徐々に復調してくるだろうけど、ゆっくり養生できなかったことが、そのまま将来を暗示しているみたいに思えて、私の心に暗い影を落としている。


とにもかくにも、「健康」は宝物。
そして、健康はすべての源。
金や時間がどんなにあっても、健康がなければ、それらを活かすことはできない。
そうは言っても、病気やケガは、自分に力で防ぎきれるものではない。
どんなに用心していたって、ケガをすることもあれば病気にかかることもある。
残念ながら、その大半は、自分の力ではコントロールできないもの。

しかし、健康は、水や空気と同じように、あることが当り前のように錯覚し、普段は気にも留めない。
この世の中には、人の目を惹くものが他にたくさんあるから、意識がそっちにもっていかれる。
目に見えるモノは感謝の対象になりやすいが、目に見えないモノは感謝の対象になりにくい。
だから、日常では、なかなか健康の“宝性”に気づくことができない。
しかし、いざ、病にかかったりケガを負ったりすると、それを痛感する。

普段は、不平・不満・不安だらけの生活を送っている私。
欲しいモノがたくさんあり、不足に思うことも多々ある。
何もかも面倒臭く感じるときも多ければ、何もかもが煩わしく思えることも多い。
そして、大したことはやっていないのに、すぐに疲労感と虚無感に苛まれる。
けど、事実、「健康」というかけがえのない宝物が与えられている。
そう考えると、私のような知恵のない者には、たまの小病や小ケガは必要かもしれない。

もちろん、大病や大ケガは困る。
また、大病や大ケガ等で難儀している人と自分を比べて、「何かを感じる」「何かを思う」「何かを受け止める」という類の思考は賢くないような気がする。
私は、あくまで、自分個人として、何を感じるか、何を思うか、何を受け止めるか、そこのところに焦点を当てて、“健康の宝性”を肝に銘じたいと思う。


傍から見れば、便所特掃なんて極めてヘンテコな仕事だろう。
蔑むことはあっても、憧れることなんてないだろう。
唖然とすることはあっても、感心することなんてないだろう。
使命感もないし、誇りなんて、とても持てやしない。
あくまで生活のため。
それでも、それでも、私は、「仕事ができる」「そのための健康が与えられている」という喜びと感謝の気持ちは持つべきだろうと思う。

人生なんて、孤独な戦いの連続。
正直なところ、このカッコ悪い仕事と格闘しながら一生を終えていくことを想うと、全然 元気がでないけど、このまま終わってしまうことを考えると震えがくる。
刻一刻と残り少なくなっている人生を、不完全燃焼してくすぶっているのはイヤ。
本当は、私は、もっと頑張りたい。
もっと頑張れる人間になりたい。

私は、病み上がりの自分が教えてくれているこの感覚を心に刻みながら、頑張って生きる上で必要な知恵と力を得るため、孤軍奮闘していきたいと思っているのである。



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山場 ~大山編~

2016-02-01 07:04:16 | Weblog
先日、予定通り、大山(神奈川県伊勢原市)に行ってきた。
その日の朝は、快晴で気温2℃。
時刻は7:00過。
例によって、混雑を避けるため、早朝からスタート。
それでも、私は一番手ではなく、何人かの登山客が私より先に出発していった。
ただ、山登りは、人と競うものではなく、自分と競うもの。
私は、緊張感にも似た期待感をもって、ゆっくりと坂道を登り始めた。

とりあえずの目的地は、阿不利神社下社。
私は、開店前の土産物店や食堂が並ぶ「こま参道」を抜け、女坂へ。
阿不利神社下社へ上がるには、男坂と女坂の二コースあるのだが、スケベな私が“女”を選ぶのは至極当然。
迷うことなく女坂を選んだ私は、意気揚々と歩を進めた。
が、この女坂、女性と同じで簡単には進ませてくれない。
急な階段が幾重にも続き、まったく侮れない。
一昨秋に経験済みなので覚悟はできていたけど、それでも、早々と息はあがり臓もバクバク。
小刻みに休息を入れないと、とても登れたものではなかった。

阿不利神社下社に着いたのは8:00過。
他の登山客が恭(うやうや)しく社に向かって手を合わせる中、神道信仰を持たない私は気にせずスルー。
眺めのいいベンチに腰を降ろし、汗ダクの身体を外の冷気に晒した。
そして、リュックから朝食用に持ってきたパンを一個取り出し、それをウーロン茶とともに胃へ流し込んだ。
大食いの私がパン一個で満足できるわけはなかったけど、山登りの本番はそこから。
腹を重くしては差し障りがあるため、朝食はパン一個にとどめ、澄んだ空気で深呼吸をして後、山頂への登山口へ進んだ。

いくつかある山頂までのルートのうち、私は、最もオーソドックスな(?)“本坂”へ。
これは、急な階段から始まるルートで、多くの人が使うルート。
私は、大汗をかきかき、息を切らし、黙々と登っていった。
もちろん、休息をとりながら。
ただ、女坂の石段に比べたら断然登りやすく、頻繁には足をとめなかった。
そして、体力・精神力が少しは鍛えられているのか、結構、楽しい気分を味わう余裕を持ちながら登ることもできた。

登頂は9:00過。
山頂には雪が薄っすらと積もり、空気は燐と冷えていた。
周囲に目をやると、真っ白に輝く富士山が間近にそびえ、眼下には、喧騒遠い街が広がっていた。
ただ、時間が早かったためか、人影はまばら。
私は、一人の登山客に声を掛け、とりあえず、“大山山頂”と刻まれた標柱の脇で記念撮影。
そして、汗ビッショリになったアンダーウェアを物陰で着替えてから、陽のあたるベンチへ移動。
そして、目の前に広がる景色に向かって、疲れた脚と街から持ってきた心のモヤモヤを放り投げた。
と同時に、深呼吸を何度かしてみると、私をクヨクヨさせる小さなことが白い息となって出て行き、私の心には、柔らかい心地よさだけが残ってくれた。

そうして、30分ほど山頂を満喫。
下山用のエネルギーとして再びパン一個を食べ、下山の途へ。
往復同じではつまらないので、下山は、“カゴヤ道”を行くことに。
ただ、どこを歩くにせよ、膝の問題があるのでペースは超スローが肝要。
増え始めた登り客とすれ違いながら、一歩一歩慎重に足を降ろしていった。

カゴヤ道に入ると、急に人影が消えた。
そのコースを行く人は少なく、周囲を見回しても360度 人影がない時間が何度もあり、しかも、それが長く続いた。
ただ、山深いところに一人でいても、不気味さや心細さは皆無。
同じ地上なのに、そこは喧騒ある街とは別世界・・・
私を取り囲むのは、青い空、緑の樹々、陽の光、風の音のみ・・・
まるで、夢の中にいるみたいで、言葉では言い表せないくらい心地よいものだった。

そんなのんびり下山が功を奏し、私の右膝は、無痛のまま阿不利神社下社まで持ち堪えた。
当初は、痛みがでることを予想して、阿不利神社下社から先はケーブルカーを使って下りるもりだったけど、何とかいけそうに思えたため、結局、そこから先も徒歩で行くことに。
急な女坂の石段を、より慎重に下っていった。

結局、こま参道に下りてからも右膝は痛みを発さず。
山頂まで無事に行ってくることができた達成感と安堵感に包まれながら、私は、気になる“ロール大福”を目で探しながら、最後のこま参道をゆっくり進んだ(2015年3月24日「大福中毒」参照)。

その店は、こま参道の入口に近いところ、麓に向かって右手にあった。
そして、前回同様、“ロール大福”も売られていた。
正式名称は「五郎餅」(一個¥150)。
昨今のラグビー人気に乗っかったような名前だけど、この餅はこの店のオリジナルではなく、こういう類の餅を一般的に「五郎餅」というらしい(初めて知った)。
ま、名称はともかく、相変わらず、美味そうな風体をしていた。
が、大食いの私のリュックには、山食用のパンがまだ二個も残っていた。
それを無駄にするわけにもいかないわけで、私は、餅を買うのを断念。
“冷やかし見物”は店の人に失礼なので店頭に立ち止まることはせず、横目で味わいながら、そして、懐かしいような感慨を覚えながら通り過ぎ、昼を前に大山登山を無事に終えたのだった。


退屈な登山報告はこれくらいにして、今回は、もう一つネタがある。
それは、朝、登りの女坂で出会った老人(以後、男性)のこと。

フーフー息を切らしながら、しばらく女坂を登っていると、前方(上方)を進む一人の登山客が私の視界に入ってきた。
男性らしきその人は、最初は私よりかなり先を進んでいたのだが、そのペースは私より遅いらしく、その距離は自然と縮まっていった。
そして、そばらくして、男性が石段の途中に腰をおろし小休止したところで私は追いついた。

私が、男性の数段下で立ち止まって見上げると、それに気づいた男性もこちらを見下ろした。
知らない人にでも挨拶をするのが山のマナー。
しかも、まだ登山客の少ない時刻で、上にも下にも人影はなし。
言葉を交わさないほうが不自然な雰囲気で、自然と視線を合わせた私達は、
「おはようございます」
と、挨拶を交わした。

男性は、決して若くは見えなかった・・・というより、結構な高齢に見えた。
老齢にもかかわらず、こんな険しい階段を登っていることに興味を覚えた私は、二~三段ほど男性に近づいて段の端に腰掛け、口を開いた。
例によって(?)、仕事場でもないのに、仕事場と同じような感覚で、悪いクセ(?)をだしてしまった。
しかも、訊いた男性の年齢は87歳。
その年齢に驚いた私は、ますます男性に興味を覚え、初対面、しかも登山中なんてことはそっちのけで、次々と湧いてくる「?」を男性にぶつけた。

「Q:健康の秘訣は?」
「A:適正体重の維持」
太りすぎもよくないけど、痩せすぎもよくない。
大きな増減なく適正体重を維持することが重要。
ただ、「適正体重維持」と一口に言っても、それを成すための要素は多岐にわたる。
基本的には、適切な食生活と適度な運動が欠かせない。
食事制限のみで体重を維持することも、運動のみで体重を維持することも、心身によろしくない。
体重は適正でも“隠れ肥満”というパターンもあるし、太っていても脂肪が少ない場合もある。
大事なのは、体重だけでなく体脂肪率も適正値にしておくこと。
それを維持することが男性の健康の秘訣だった。

「Q:運動は何を?」
「A:女坂の往復を日課にしている」
男性は、若い頃から山登りが好きで、全盛の頃は年に50回くらい、つまり週に一度のペースで全国各地の山を登った。
しかし、寄る年波には勝てず、次第に、出掛ける回数も山の難易度も下がるように。
更に、70歳の頃に胃癌を罹患。
「年齢も年齢だったし、これで人生も終わりかな・・・」と、半ば、覚悟を決めた。
が、幸い、手術後の転移再発はなく、妻の助力と男性のたゆまぬ努力の甲斐もあって体力は回復していった。
しかし、その後、今度は、妻が病気になり、その世話をする必要がでてきて体力づくりどころではなくなってしまった。
幸い、一年くらいすると、妻の病状は回復。
ただ、それを機に男性の体力はかなり落ち、以前は難なく登れていた坂も休み休みのスローペースでないと登れなくなってしまった。
それでも、男性は、歳に負けて諦めることはせず、再起を期して体力づくりをすることを決意。
地元に暮す男性は、バス一本で通うことができる大山の女坂往復を日課にすることに。
天気と妻の体調が悪くない限り、毎日、早朝からバスに乗り、大山まで来ているのだった。

「Q:どんな食生活?」
「A:食事は米ぬきで、酒は毎晩飲んでいる」
男性は、自分の胃腸には米が合わないような気がして、胃癌を患って以降は米を食べないようになった。
口に入れる炭水化物は、主にパンとうどん。
朝食は、6枚切の食パン一枚を妻と半分ずつ分けて食べ、コーヒーを飲むくらい。
昼食は、うどんを食べることが多い。
夕食は、肉でも魚でも野菜でも、好きなものを食べる。
そして、晩酌。
コップに軽く一杯の泡盛は、ほとんど毎晩欠かさないそうだった。

訊きたいこと、聞きたいことはまだまだあったけど、お互い、お喋りをしにではなく山を登りに来た身。
自分の足を長く止めておくわけにはいかず、また、男性の足を長く止めておくわけにもいかず、私は、健康の秘訣を一通りきいたところで話を締めることに。
会話の間が空いたところで新たな質問はせず、歩を再開するため、ゆっくりと立ち上がった。

「お先にどうぞ・・・気をつけて・・・」
「がんばって!まだまだ若い!まだまだ登れる!」
と、男性は、笑顔で私を励まし、道を譲ってくれた。

「タメになる話を、ありがとうございました!」
「お気をつけて・・・」
と、私は、男性を追い越し、一度だけ振り向いて会釈をし、足取り軽く上へと登っていった。

87年の男性の人生、山場はいくつもあっただろう。
時々は、それを避けて歩いたこともあったかもしれない。
時々は、くじけてしまったことがあったかもしれない。
だけど、多くの山は乗り越えてきたはず。
私より40年も長く生き、充分過ぎるほど山を越えてきたはず。
それでも尚、山に登ろうとするその生き方・その姿には、おおいに学ばされるものがあった。


40代も後半になれば、どこからどう見たって若くはない。
服装や容姿で若づくりしたって痛いだけだし、私は、自分の歳も顧みず、いつまでも若いつもりでいることは、「往生際が悪い」というか「みっともない」というか、あまりよいことだと思っていない。
何となくだけど、潔く老齢を受け入れることに“美”があると思っている。
しかし、“受け入れる”と“諦める”は違うし、“勝てない”と“逃げる”は違う。
確かに、時間には逆らえないわけで、頑張れないこと・頑張らないことを年齢のせいにしてしまえばうまく収まる。
私も、何かのつけ、頑張れないことの責任を年齢に押しつけてしまう。
だけど、「それでいい」とは思っていない自分がいる。
「できるかぎり力強くありたい」と思っている自分がどこかにいる。

今までと同じように、これからも巡ってくるであろう人生の山々。
こんな人間だから、そんな山に不満を抱え、不平を言い、不安に思うことが多いかもしれない。
だけど、
「まだ登れる!」「もっと登れる!」
と、この先、そう信じて進みたい。
これまで見たことがないような絶景が見えるかもしれないから。
そして、新しい自分に出会えるかもしれないから

がんばろ!



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山場 ~筑波山編~

2016-01-18 09:48:16 | Weblog
前ブログに書いたとおり、このところ精神状態がいまいち。
次々と襲ってくる虚無感や疲労感に翻弄されながら低空飛行を続けている。
それでもまだ“飛行”しているからマシ。
現実から逃げて着陸なんかしようものなら、二度と離陸できなくなるかもしれない。
再び飛び立つにしても、相当に難儀するはず。
力尽きての墜落なんか論外。
どうしたって避けなければならない。

私の人生が虚しいものなのではない。
私が人生を虚しく生きてしまっているだけ。
私は疲労を抱えているのではない。
私が疲労感を抱えてしまっているだけ。

つまり、問題なのは、この現実ではなく、この感性・感覚。
それは、気分にUp・Downがあることや、欝状態だけでなく躁状態もあることが証明している。
ただ、どんなに虚無感に襲われようが、どんなに疲労感を覚えようが、ジッとしているのはよくない。
気分転換なんて、そう簡単にできるものではないけど、何もせず悶々としていてもいいことはない。
何かすれば、少しは気が紛れるし、同じ憂鬱状態でも自分なりに策を講じている感が持てる。
だから、些細なことでもいいから、何かに努力し、何かに忍耐し、何かに挑戦したいと思っている。

以前は、「虚無感や疲労感を癒す方法は休息しかない」と思っていた。
身体の休息と精神の休息を完全に混同して。
だから、時間があれば身体を横にすることが多く、暇さえあればゴロゴロ。
不眠症で夜は熟睡できないものだから、たまの休みは、とにかく昼寝が重要課題。
何年も、それが最善の策だと思っていた。
しかし、そんな生活をしていても、疲労感は一向になくならず。
それでも、怠け者(私)の考えは頑なで、それが、私を更なる休息に走らせた。
休日に昼寝できないと倦怠感に襲われ、ヒマな時間は横になれないとイライラ。
そして、それが、更なる疲労感を呼び込んでいることに気づかないまま、悪循環に陥っていた。
そうして時が経ち・・・
長い試行錯誤と悪戦苦闘の末、私は、“疲労”は頭と身体を休めることによって癒えるけど、“疲労感”はそうではないことが何となくわかってきた。
一昨年の秋くらいから、やっとそこのところに気づき、その考え方を切り換えることに努めている。

そんな中、私は登山に出かけることに。
休日の前日にいきなり思い立った次第で、もともと、その日は午前中に予定があったのだが、それはキャンセル。
昨季からずっと「行ってみたい」と思っていた筑波山(茨城県つくば市)に行くことを計画。
前夜のうちに準備を済ませ、当日は、混雑を避けるため夜も明けきらない早朝に出発した。

麓に到着したのは、AM7:30頃。
空は快晴、気温は0℃。
まだ混雑はしていなかったけど、続々と登山客が集合しつつあった。
そこで、私は、まず軽く腹ごしらえ。
そして、持ち物に不備がないか確認し、トイレを済ませ、登山口へ進んだ。

まずは、男体山頂を目指して御幸ヶ原コースへ。
もちろん、ケーブルカーやロープウェイは使わず。
心臓は鼓動を大きくし、息もあがる中、ひたすら、急な山道を一歩一歩前進。
汗ダクになりながら、登っていった。

山頂手前の御幸ヶ原に到着すると、一気に景色はひらけた。
そこには、ケーブルカーの「山頂駅」があり、土産物屋や食堂もズラリと並び、多くの人で賑わっていた。
ただ、単独登山の私には談笑する相手もおらず、手持ち無沙汰。
しかも、寒風吹きさらしで、それが汗で濡れた下着にまで浸み込んできて、寒いこと!寒いこと!
あまりに寒くて、ゆっくり休憩どころではなく、義務であるかのようにそそくさと周囲の景色を眺め、足早に男体山頂へ向かった。

到着した男体山頂も、寒風がピューピュー 極寒!
それでも、空は広く晴れわたり、景色も広大!
霞む遠方には、ボンヤリとだけど富士山やスカイツリーまで見え、登ってきた甲斐は充分にあった。
せっかくだから、居合わせた登山客にスマホのシャッターを押してもらい、展望デッキでニッコリと記念撮影。
それから、数分、眼下の景色を楽しんでから、次は、女体山頂へ。
そこもまた絶景だったが、狭い岩場に人がごったがえしており、記念撮影は断念。
自分が入らない景色だけを撮って、下山の途についた。

同じコースの往復ではつまらないので、下りでは白雲橋コースを選択。
古傷がある私の右膝にとって、長い下り坂は難敵。
だから、登りより距離が長い分、少しは傾斜が緩いことも期待してそのコースを選んだ。
しかし、残念ながら、そのコースも結構な急勾配
結果、やはり右膝は問題を起こした。
痛みが出始めるとフツーに歩くことも困難になるため、意識してゆっくり進み、休憩もこまめにとったのに、下山終盤で痛みが出始めたのだ。
ま、それでも、それは麓に近いところだったので、残りの道程は超スローペースの横歩きでしのぐことができ、大事に至らずに済んだ。

筑波山は百名山の中でも最も標高が低いそうで、私のような初級者向きの山。
上級者はもちろん、中級者にとっても物足りない山らしいけど、それでも、平地のウォーキングとは訳が違う。
平地なら6~7kmでも難なく歩けるけど、山の場合は2~3kmでもキツい思いをする。
ま、それでも、筑波山の難度は、私にはちょうどいい。
休み休み歩いて4時間かかり、結構ハードな道程だったけど、ヘトヘトになるほどでもなく心地よさが残るから。
そして、「楽しい!」というものとは少し違うけど、得られる達成感と爽快感をともなう疲労感は、日常生活や仕事では味わえないもので、これが、今の私に効く薬なのだと思えるから。


今、人生の山場にさしかかっている人は多いだろう。
病気やケガ、事故や事件、就職や転職、入学や卒業、受験や進路、結婚や出産、離婚や死別etc・・・
人生には山場がたくさんある。
高い山もあれば低い山もある。
険しい山もあればなだらかな山もある。
乗り越えられる山もあれば乗り越えられない山もある。
頂上に達することさえできない山に遭遇することもある。
麓から見上げる頂上は、やたらと高く見える・・・
想像される道程の険しさは、前進を躊躇させる・・・
人生の山場には、ケーブルカーもロープウェイもない。
けれど、それに挑んでいくこともまた、人の大切な生き方。
「山は登るためにある」とまでは言えないけど、登らないと得られないもの、登ってこそ成せることがあるのだから。

振り返ってみて、私の人生にも大小様々な山場があった。
大きな山場だったのは、この仕事への就業前後。
もちろん、それ以前、それ以後にも紆余曲折はあったけど、これが人生の大きな転機になったのは事実。
良し悪しの判断は私ができることではないけど、これで、私の人生は大きく変わった。
「後悔はない」と言えばカッコいいけど、正直なところ、後悔はある・・・というか、正直言うと後悔ばかり。
学歴や能力を考えると、一流企業は無理だったろうけど、週休二日で、今より安定した労働条件・労働環境で、社会的にも陽があたる仕事に就けたかもしれない。
・・・考えても仕方がないこと、考えないほうがいいことだけど、そんなことを考えると、虚しく疲れる。

後悔という山をなかなか下りることができない。
過去という山をなかなか下りることができない。
希望という山になかなか登れない。
未来という山になかなか登れない。
それでも、時間は確実に過ぎている。
移ろう季節の中で、遠い未来だと思っていたことが、いつの間にか遠い過去になり、この歳になっている。
私は、後ろ向きの人生を卒業するには遅すぎるくらい、充分な歳を重ねた。
だからこそ、今、歯を食いしばっても山を登らなければならないような気がする。

これまで同様、これからも巡ってくるであろう人生の山場。
頂上にたどり着くことも大切だし、無地に乗り越えて下りることも大切。
しかし、もっと大切なのは、
麓に立つこと・・・
山を見上げること・・・
そして、勇気をだして一歩踏み出すこと・・・
・・・なのではないだろうか。


次は、近いうちに大山(神奈川県伊勢原市)へ行くつもり。
一昨年の秋以来、二度目。
季節も違うし、前回とは違った趣が感じられるだろう。
また、前回同様、キツい思いをするだろう。
これが、自己研鑽になるのか、精神修養になるのか、気分転換になるのかわからない。
でも、そうなることを期待して歩を進めることが大切だと思っている。
それが、後悔をもって過去に生きるのではなく、希望をもって未来に生きるための一助になるのだから。

がんばろ!



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