特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

特別な日

2016-12-01 07:25:14 | 遺品整理
このところの私、色々と弱っているため体調を崩したネタが多い。
体調が悪くても頑張っていることを自慢しているみたい?だけど、無論、そんなつもりはなくない。
それはさておき、今度は風邪をひいてしまった話。
この前の日曜から喉が少し痛み始め、次第にその痛みはヒドくなっていき、翌月曜の夜になると唾を飲み込むのも躊躇われるほどのツラい痛みに。
そんな具合だから、夜中もしょっちゅう目が醒める。
おまけに、汗をかくくらいの熱がでてしまい、熱いやら寒気がするやら。
ただでさえ目眩でヨロヨロしてるのに、更に、倦怠感まで加わって、結構 大変。
それでも、体調不良にかこつけて、むやみやたらにゴロゴロ・ダラダラするのは、逆に、心身によくないから、“よく食べ よく動き よく寝る”の生活を心がけている。

何はともあれ、今日から12月、何かと慌ただしくなる師走に突入。
桜や新緑を愛でたのは、ついこの前のような気がするのに、もう冬。
それまでは寒暖を繰り返していた気温も、下降の一途をたどりはじめたよう。
先月24日、季節はずれの雪が降った日を境に、寒さも厳しくなってきているように感じる。

夏の暑さも堪えるけど、冬の寒さも相当に堪える。
現場作業は冬のほうが楽だけど、冬場は気分まで冷えてきて苦悩する。
そういって不満を覚えながらも春夏秋冬を愛でたがるこのワガママ人間は、結構なエコイスト(≒ドケチ)でもあり、寒くなっても暖房は最低限。
今年も、バームクーヘン調ファッションで寒さを凌(しの)ごうと思っている。

重ね着もそうだけど、寒さを吹き飛ばすには、積極的に身体を動かすことも有効。
そうすれば、始めは寒くても、じきに温かくなる。
現場仕事となると、真冬でも汗をかくことがある。
また、現場作業だけでなく、ちょっとした運動でも身体は温まる。
私にとっての運動はウォーキングだけど、股関節痛と仕事の都合で、ここ二ヶ月弱の間、それまで日課にしていたウォーキングを中断していた。
しかし、最近、股関節痛も和らいだし(代わりに目眩を発症してしまったけど・・・)、仕事にも余裕がでてきたので、目眩による多少のフラつきをともないながらも、徐々に再開している。
やはり、適度に身体を動かすのは、身体的健康だけではなく精神衛生上もいいことのように思えるから、身体と時間がゆるすかぎり日課としていきたい。

日課といえは、最近、新しい日課ができた。
それは、朝の独り言。
“朝の独り言”だなんて、根クラで変態的な感じがするけど、詳細は以下。

人の死に日常的に接している私は、時間の有限性や希少性を痛感している。
事故、事件、災害、急病・・・
亡くなった人や悲哀に苦しむ遺族に対して無神経な言い方かもしれないけど、人間ってものが呆気なく死んでしまう場面は少なくない。
最も多いのは闘病の末に亡くなる人なのだろうけど、そうでない人も意外と多い。
そう・・・“死”というものは、いつ どんなかたちで現れるかわからない。
また、いつ どんなかたちで現れてもおかしくない。
“必然”は“生”ではなく“死”。
にも関わらず、当り前のような気分で生きている(生かされている)。
その辺のギャップが、人(自分)を滑稽に映し、また、人間らしく映している。
そして、その辺りの見識を活かした生き方ができないため、苦悩している。
そこで、それを少しでも解決するために思いついたのがコレなのである。

朝の起床時や出勤時などに
「2016年12月1日、一度きりの今日 二度とない今日は、俺にとって 俺の人生にとって特別な日! 大切に過ごさなきゃ!」
と、口にするようにしている。
小声で一度つぶやくだけだけど、心で思うだけではなく声をだして言うようにしているのだ。

何のためか。
今日一日を頑張るため、今日一日を充実させるため、今日一日を無駄にしないため、
自分を励ますため、自分を鍛えるため、自分を喜ばせるため、
・・・意味や目的は色々ある。

どうでもいいような些細なことだけど、実際、このセリフを口にするだけで、ちょっと気分が変わる。
憂鬱な気分に支配されることが多い私にとっては、これがちょっとした妙薬になる。
ドシャ降り雨の気分が いきなり快晴に変わるような劇的な変化はないけど、曇空に薄日が差すくらいの好転はみられる。
また、時間に対する意識と、その使い方が少し変わってくる。
そして、それが、うつむきがちな顔を上げ、止まりがちな足を進める。
働くうえでも、休むうえでも、学ぶうえでも、遊ぶうえでも、これを意識して、とにかく、ただの“ひまつぶし”で時間を浪費しないための自律訓にしているのである。



遺品処理の依頼が入った。
現場は、郊外の閑静な住宅地にある、やや古い一戸建。
故人は、その家の主で、行年は初老。
残されたのは、その妻で、夫と同じ年代。
傷心を癒すために遺品を片付けないでおいたのだが、夫の死からしばらくの時が経つうち、自分の先々にとってそれはプラスにならないような気がし始めて、思い切って片付けることを決意したのだった。

女性の夫(故人)は、とある企業で、長くサラリーマンをしていた。
仕事人間で、もともと健康志向は薄く、酒を飲みタバコも吸い、運動らしい運動もせず、食生活も自分の好みに従った食事が中心だった。
60歳で定年退職すると、不摂生生活は更に加速。
生活の足しにするためアルバイトを始めたが、それでも、サラリーマン時代に比べると時間は有り余った。
時間を持て余す日々が続き、タバコや酒の量は増え、おまけに食事や間食の量まで増えていった。

そんな夫を女性(妻)は心配した。
が、夫は、そのまま不摂生な生活スタイルに陥ることはなかった。
生活習慣病による同年代の友人の壮絶な闘病生活とその後の寂しい死を目の当たりにし、自分の老後の生活や健康寿命が急に気にし始めた。
そして、それまでの欲に任せた生活スタイルや嗜好を見直し、改善すべきところは改善するべくチャレンジすることにしたのだった。

まず始めた着手したのは、タバコと酒の減量。
長年に渡って嗜好し続けたタバコや酒を急にやめるのが不可能なことくらいは、自分でもわかっていた。
だから、ストレスとのバランスをとりながら、徐々に減らすことに。
収入が減ったことに対する家計節約も一助にしながら、少しずつ減らしていった。
また、多めだった体重を適正値に減らすべく、ダイエットも実施。
そのため、それまではまったく縁がなかった運動・・・ウォーキングをするように。
食事にも気をつかい、肉中心だった食生活も野菜穀類中心に切り替え、更に、腹八分を心がけた。

はじめは、少し辛そうにしていた夫だったが、しばらくすると、逆に健康管理を楽しむように。
いそいそとウォーキングに出かけるようになり、以前なら車を使っていたような距離でも、わざわざ歩いて出かけるように。
また、それまでは興味を示さなかった地域のイベントにも積極的に参加。
家にいるときも、ゴロゴロ・ダラダラするのをやめ、家事を積極的に手伝うようになった。
女性には、そんな夫の時間が充実しているように見え、またその性格も、以前より明るく温和になったように思えた。

そんな具合に、“血の滲むような努力”というほどではなかったものの、余生を家族に迷惑かけることなく健康に快適に過ごすため、故人なりに努力していたのだった。


朝、夫は、女性より先に起きるのが日常だった。
そして、極端に寒い日や悪天候の日でなければ、早朝からウォーキングに出かけていた。
その日の朝も、夫はいつもの時刻に起き出していった。
女性も、いつも通り布団に横になったまま「いってらっしゃい・・・気をつけて」と、寝室を出ていく夫に声をかけた。
ただ、いつもなら、すぐに玄関を出て行く音が聞えてくるのに、その日は、その音が聞えてこない。
女性は、少し変に思ったけど、たいして気にすることもなく、自分の起床時刻がくるまで布団の温かさに身体を委ねた。

起床時刻になり、いつも通り起きだした女性は、いつも通り着替えて、いつも通り洗面。
そして、朝食の支度にとりかかるべく、いつも通り台所に向かった。
すると、その視界に夫の姿が入ってきた
夫は、ウォーキングには出かけず、食卓の椅子に座っていた。
寒い中 暖房もつけずに。

変に思った女性は、すぐに声をかけたが、返答はなし・・・
夫は、グッタリと首を下げたまま動かない・・・
女性は、“居眠りでもしている?”と思いながらも、日常では見たことがない姿なので心配になり、すぐさま駆け寄った。
すると・・・
夫は息をしておらず・・・
耳元で大きく声を発しても、身体をゆすっても反応はなし・・・
すぐに救急車を呼んだが、時すでに遅し・・・
必死の救命処置にもかかわらず、夫の蘇生はかなわず・・・
穏やかな老後を過ごすつもりでいたのに、人生の終わりは、突然やってきたのだった。

死因は、高血圧の中高齢者がなりやすい急性の血管系疾患。
事前の兆候はほとんどないうえ、発症した場合の致死率は高く、危険な病気。
それまでの故人は、大病を患ったことはなかったが、気づかないところで色んなところが傷んでいたのかもしれなかった。


「健康には、かなり気を使っていたのに・・・」
「何のために我慢してきたのか・・・ 何のために頑張ってきたのか・・・」
「こんなことになるんだったら、好きなようにしてればよかったのかも・・・」
女性は、そう嘆き悲しんだ。
対する私の胸内には、
“そんなことはない・・・故人なりに頑張って生き、その時間は充実していたはず”
との思いが湧いてきた。
が、そこには、そんなセリフで女性を慰められるほど やわらかい空気は流れておらず。
私は、故人の晩年に賛同の意を持ちつつも、女性の話を、ただただ黙って聞くことしかできなかった。


世の中、“結果がすべて”みたいな価値観や風潮は蔓延しているけど、そんなことはない。
もちろん、直接的な結果や成果は大きな意味がある。
しかし、努力した事実、辛抱した事実 チャレンジした事実が無意味なわけではない。
間接的な結果や成果もたくさんある。
大切なのは時間の使い方、無意味なのは時間の無駄遣い。
いちいちそんなことを深刻に考えながら生きるのは窮屈かもしれないけど、少なくとも“ひまつぶし”のような生き方をするほどの退屈さはない。

死は、誰にもやってくる。
死は、どうしたって避けることはできない。
結局、みんな死んでしまう。
だからといって、“どうせ死ぬんだから、生きても無駄”なんてことはない。
それは、“どうせ腹は減るんだから、食べても無駄”と悲観するのと同じこと。
食べ物があること、食べられること、美味しいこと、腹が満たされることは幸せなこと。
同じように、生まれてきたこと、生きること、生きていること・・・生きるプロセス(時間)に意味(楽しさ)があるのだ。
だから、そのプロセスを無駄にするのはもったいない・・・無駄にしちゃいけないと思う。


2016年12月1日。
一度きりの今日 二度とない今日は、誰にとっても 誰の人生にとっても特別な日!
大切に過ごさなきゃ!  ・・・ね。


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Photograph

2016-11-25 07:31:10 | 特殊清掃
寒暖の差に振り回されつつ、早、11月も下旬。
今年も、残すところ一ヵ月余り。
昨日と打って変わって、今朝の東京は、気持ちのいい快晴。
しかし、その爽快感をよそに、私は、相変わらず、目眩(めまい)と付き合っている。

この目眩、発症してから三週間経つけど、治る気配はない。
前ブログを書いた前後、二日くらいは治まっていたのだけど、三日目の作業中に再発。
「治った?」と期待したところだっただけに、治っていないことが判明して少し元気をなくしてしまった。
ただ、発症当初のように、天井がグルグル回るようなことや、視界がハイスピードでスライドしていくような深刻な症状はなくなった。
更に、フラつくことに身体も慣れてしまって、結構、うまく操ることができるようになっている。
だから、今は、他に注意しなければならないこともたくさんあるし、目眩は気にしないようにして生活している。

昨日の雪も、目眩を忘れさせてくれた。
それどころか、季節はずれの雪に、私は、ちょっとテンションを上げた。
“雪”というものに、特別な想いがあるわけではないのだが、11月に雪が降るのが珍しくて、何だか新鮮な感覚をおぼえた。
晩秋の街に深々と降り続く雪を見ながら、
「“儚さにこそ輝く風情”ってあるよなぁ・・・」
「道路に積もると困るけど、しばらく降り続いてほしいなぁ・・・」
なんて思ったくらい。
そして、季節の情緒を撮ること多い私は、これもまた一つの想い出にするつもりで、この雪模様をスマホの写真におさめた。

そう言えば、この時代は、写真を撮るということが、随分と日常的になり手軽になった。
今は、スマホを持っていれば、気の向くまま、好きなように撮ることができる。
また、試し撮りもどんどんできるし、気に入らない写真もどんどん捨てられる。
しかし、昔は、写真を撮るにはカメラが必要だった。
しかも、フィルム枚数にも限りがあり、撮影は、特別な日・特別な場面に限られ、写り具合の良し悪しも一発勝負だった。
今思うと、そんな昔が滑稽に感じられる。

私は、自撮り棒を持つほどの写真好きではないけど、どこかに出掛けたときとかは記念に写真を撮ってもらうことがある。
そして、写真の自分を見て思うことがある。
写真の自分は、普段、鏡で見る自分とは、また違う感じ。
ハッキリ言うと、写真の自分は、鏡の自分より老けて見える。
もちろん、この歳になって若いつもりはないけど、写真の自分の老け具合は、その覚悟を越えてしまっている。
「俺って、こんなんなっちゃってるんだ(こんな酷い有様なんだ)・・・」
と、自分だけが一人で歳をとっていくような寂しさ覚えて、ちょっとしたショックを受けてしまう。
だからといって、歳に似合わない若作りをしたってイタイばかり。
写真に写る老顔は事実として素直に受け入れ、それよりも面構え(つらがまえ)を気にするほうに気持ちを切り替えて生きたいと思っている。



郊外の分譲マンションで一人暮らしをしていた老齢男性が亡くなった。
お互い干渉せず、一定の距離をあけた社交辞令的な付き合いをするのが、マンション生活のマナーなのか、近所付き合いもなく、同じマンションに親しい人もおらず。
また、故人は高齢で無職、介護・家事援助サービス等も利用しておらず。
そんな暮らしぶりで、発見がかなり遅れたのだった。

依頼者は、故人の兄。
妻子のない故人にとって、最も近い血縁者。
故人も高齢であり、当然、依頼者(以降、男性)も高齢で、八十を迎えようとしていた。
しかし、男性は、足腰も丈夫で話の受け応えもしっかりしていた。
そして、「血の遠い親族に迷惑は掛けられない」と、率先して事の後始末にあたっていた。

遺体痕は、玄関を入って左側の寝室、ベッドではなくドア付近の床にあった。
視界を和らげるためか、靴が汚れないようにするためか、警察が掛けたのだろう、そこはシーツで覆われていた。
しかし、大量の腐敗液を薄いシーツで隠しおおせるわけはない。
そのシーツ自体も腐敗液を吸いきれず、ほぼ全部が赤黒色の腐敗液に染まった上、濡湿してベトベトになっていた。

そんな状況だから、室内には著しい悪臭が充満。
それは、鍛えられた私の鼻を生々しく突いた後、更に腹までえぐってきた。
また、ウジ・ハエも大量発生。
ただ、その峠は越えており、ほとんどは死骸となって部屋のあちこちに転がり、無数の黒い点になっていた。

汚れたシーツの下からでてきた遺体汚染はミドル級よりもやや重いものだったが、私にすれば見慣れた汚れ。
しかも、ベッドの脚やタンスの下に絡んではいたものの、大半は平な床面に付着。
汚腐呂や汚便所に比べれば、その作業は格段に楽。
腐乱死体痕を見てホッとする自分を妙に思いながら、私は、作業の段取りを頭で組み立てた。

部屋中の建材や家財に浸透付着した悪臭を除去するのは一朝一夕にはいかないけど、腐敗液や腐敗粘度を除去するだけなら、そんなに長い時間は必要ない。
私は、
「フローリングにシミが残る可能性が高いですが、一~二時間もらえれば、ほぼきれいにできると思います」
と説明。
すると、男性は、
「是非、お願いします! このままだと気持ちも落ち着かないので・・・」
「ちょっと持って帰りたいものがあるので、作業の間、私は他の部屋でそれを探しますから」
と、即座に返答。
それを聞いた私の頭には、
“こんなにクサイ中で探し物をするなんて・・・よっぽどの御宝でもあるのかな・・・”
と下衆な考えが浮かんできた。
けど、そんなこと作業には関係ない。
とにもかくにも、話はまとまったわけで、私は、早速、準備を整え、作業に取り掛かった。
そして、我ながら感心するくらいスマートに、遺体痕を消していった。

男性には、どうしても探し出したいモノがあった。
それは、写真。
私が考えていたような金品や貴重品類ではなく、古い一冊のアルバム。
昔の思い出がたくさん詰まったもので、男性にとって大切なモノのようだった。

「しまってありそうなところは見たんですけど、見つからなくて・・・」
「確かに、弟(故人)が持っていたはずなんですが・・・」
「弟にとって大切なものですし、どこかにしまってあるはずなんです」
と、男性は、困惑した表情に寂しげな雰囲気を漂わせながら、そう言った。
「家財を片付ける中で見つかる可能性はあると思いますけど・・・」
「申し訳ないのですが、見つけ出すことを約束することはできません・・・」
「ただ、“見つけ出す努力はする!”ということはお約束できます!」
と、私は、後々のトラブル回避を担保しつつ、できるかぎりの誠意をみせた。

その数日後、家財を片付ける過程でアルバムは見つかった。
それは、問題の部屋に置いてあったベッドの枕元にある小さな引き出しに収まっていた。
かなりの年季が入ったもので、片手で持てるほどの小さなサイズ、ページ数が多くて分厚いもの。
そして、その中にはたくさんの白黒写真が貼ってあった。
私は、それが見つかってすぐにそのことを男性に電話し、現地にやってきた男性に手渡した。

「これ!これ!これを探してたんですよ!」
「どこにありました!?」
「実は、諦めかけてたんですよ・・・」
「よく見つけてくれました!ありがとうございます!」
「いや~・・・ホントに嬉しいなぁ!」
男性は、かなりのハイテンションで喜び、何度も何度も礼を言ってくれた。
一方の私の、男性がそこまで喜ぶことは想定しておらず、少し戸惑いつつも、嬉しさがこみ上げてきた。

男性一家は、両親と男性と弟(故人)と妹の五人家族。
戦後、旧満州から一家で引き上げてきて父親の実家があった町に移り住んだ。
男性は、そのとき小学生。
戦中から戦後にかけて、何もかもが変わった国での新しい生活は、相応の苦労をともなうものだった。
特に、男性の両親をはじめとする大人達は苦労に苦労を重ね、辛酸を舐めるのも日常だった。
しかし、子供達は違っていた。
窮々とした世の中にあっても、悠々と過ごしていた。
貧しさも空腹もそっちのけで、楽しく闊歩していた。
そして、アルバムの写真には、そんな時代の家族や友達が写り、その情景は、白黒にもかかわらず色を感じさせるくらい鮮やかに甦っていた。

撮った経緯、場所、季節、時代、社会、写っている人物等々、男性は、アルバムのページを一枚一枚めくりながら、写真一枚一枚に詰まっている想い出を語ってくれた。
それから、男性は、
「大変な時代でしたけど、この頃は、とにかく元気でしたよ! そして、楽しかった!」
「先の短いじいさんだけど、この写真を見ると、まだまだ楽しく頑張れるような気がしてきますよ!」
と、晴々した表情で笑った。
そして、その精気を見た私は、アカの他人のことながら、長い時空を越えた人生の機微と妙味を懐かしみ、また、深い感慨とともに、自分がたどってきた道とたどっていくであろう道に想いを馳せながら、一度きりの人生(時間)が恐ろしいくらい貴重なものであることを、しみじみと噛みしめたのだった。



私にも、似たような憶えがある。
今は、身体的(健康)不安、経済的(仕事)不安、将来的(老齢生活)不安など、生きていくうえでの不安を多々抱えているけど、子供の頃はそんなものなかった。
育ったのは裕福な家ではなかったけど、身体の心配も、お金の心配も、将来の心配もなく、嫌なことと言えば、学校の授業や宿題、家の手伝いくらいで、多少の見栄はあり世間体も気にはしていたけど、屈託なく気楽・呑気に生きることができていた。
今と同じく臆病で神経質ではあったけど、感受性は豊かで小さな楽しみを大きな喜びに変えることができていた。

しかし、残念ながら、今はもう、アノ頃のような軽い身体や軟らかい感性は失ってしまっている。
人の温かさと世間の冷たさ、生きられる喜びと生活の厳しさ、人の成功と自分の失敗・・・
努力の夢と不確実さ、忍耐の期待と報われなさ、挑戦の果実とリスク・・・
・・・そんなものに志を託し、裏切り裏切られ、疲れ老い、身体は重くなり、感性は固くなってしまっている。
それでも、ここまで生きてきた・・・
こうして生きている・・・
そして、これからも生きられる限り生きる。

「アノ頃はよかったなぁ・・・」
と、過去を羨むのではなく、
「アノ頃は楽しかったなぁ・・・」
と、過去を喜び、今と未来の糧にしたい。
そしてまた、二度とない今日 一度きりの今日、未来の自分を励ますことができるようなPhotographを残したい。

そのために、私は、目の前のことを頑張れるだけ頑張りたい・・・
頑張れないことが多いのも現実だけど、それでも、頑張りたいという思いは持ち続けていたいと思っているのである。


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めまい

2016-11-12 08:39:16 | 特殊清掃
できた人に言わせれば、「そんなの苦難のうちに入らない!」と一蹴されてしまうかもしれないけど、悩みの種があって、考えなければならないこと、やらなければならないことが色々とでてきて、ブログ製作に時間を使えないでいる今日この頃。
そんな中、ちょっと時間ができたので、ブログを書くことに気持ちを向けてみることにした。
そして、「何を書こうかな・・・」と考えた。
すると、久しぶりの記事につき、まずは近況報告をすることを思いついた。
だから、そこから始める。

昨日は、チビ犬の二回忌だった。
いなくなってもう二年も経つのに、その想い出はまったく薄まらない。
新しくしたスマホの待受画面も前機と同じチビ犬の写真にしている。
「笑顔の想い出は人生の宝物」
時間や金銀には多くの限りがあるけど、笑顔に限りはない。
チビ犬は、いまだに私に笑顔をくれている。

その他も、一つのこと以外、この一ヵ月、変わったことは起きていない(例によって、仕事上では変わったことばかり起きているけど)。
“一つのこと”というのは、先日、私の身に降りかかった病災。
それは一週間余前、都内某所の故人宅で遺品処理作業をしていたときのこと。
寒い中、汗をかきながら作業をしていると、何となく足がフラつきはじめた。
同時に、脳(視界)も揺れている感じに。
「目眩(めまい)?それとも気のせい?」
私は、それまでの人生で体感したことがない感覚に、少し戸惑った。
目の前の視界が身体(視線)の動きにリンクしていないのは明らか。
普通に歩いているつもりでも、身体は自然と左側へ傾いていく。
しかし、作業の真只中。
その症状は作業を止めるほど深刻なものでもなく、フラつきを不快に感じながらも、作業はそのまま続行した。
そして、自分をダマシながら作業を進め、その日の作業はなんとか終わらせた。

症状が悪化したのは、その日の夜になってから。
夕方、私は、褒美の晩酌を楽しみにしながら退社。
依然として軽い目眩はあったものの、
「ま、そのうち治るだろう・・・」
と大して気にもせず、好きな肴を買って家路についた。
そして、いつも通り風呂に入り、一日の終わりに安堵した。
しかし、酒肴に舌鼓を打とうとしたところで、安堵は不安に変わった。
軽くおさまっていた目眩が急激に酷くなってきたのだ。

「あれ?変だな・・・」
身体(視線)は動いていないのに、視界が勝手に左スライド。
しかも、次第にそのスピードはアップ。
状態の急変に驚いた私は、辺りをキョロキョロ。
極めつきは、天井を見上げたとき。
視界は半時計回りに回り、左スライド同様、そのスピードは増すばかり。
すぐに視線を下げればよかったものを、あまりの光景に好奇心にも似た驚きを覚えて、頭を降ろすことができず。
結果、猛烈な勢いでグルグルと回る視界の下、目を回してダウンしてしまった。

この状況に、湧いていた不安感は恐怖感に変わった。
同時に、吐気も。
こんな症状に見舞われるのは、生まれて初めて。
もちろん、こうなると晩酌どころではない。
「目眩 原因 対処法」
気が動転する中、フラフラする頭でスマホを検索。
でてくるサイトを次々に開きながら、原因と対処法を探っていった。

ネットには、「頭痛や身体に痺れが発生したり呂律(ろれつ)が回らなかったりする場合は危険だから、すぐ病院へ!」とあった。
が、幸い、私にはその症状はなかった。
ただ、とにかく、横を見れば景色がスライドし、天井を見ればグルグル回る。
しかも、かなりのハイスピードで。
身を起こしているとフラフラするばかりなので、とりあえず横に。
そして、目を開けていると気持ち悪くなるので目を閉じ、何かに振り回されるような感覚に苛まれながら、しばらくジッとしていた。

結局、私は、三時間くらい横になったまま動けなかった。
そうしてしばらくすると、少しは気分も落ち着き、目を回しながらも身を起こすことはできるようになった。
ただ、最初の精神的ショックが大きすぎて、身体に力がなかなか入らず。
しかし、ゆっくり休むなら布団にかぎる。
「とにかく、今夜は安静にしていよう・・・」
と決め、同時に
「一晩寝たら治るかも・・・」
と、期待しながら這うようにして布団にもぐり込んだ。

残念ながら、夜が明けても目眩は治っていなかった。
前夜に比べれば改善したものの、視界も頭も明らかにフラついていた。
それでも、仕事は休めない(正確に言うと、会社が休ませてくれないのではなく、休む気がないのかもしれない)。
私は、いつも通り仕事にでて、いつも通り働いた。
ただ、仕事にでるとそれなりに気が張るのだろう、自覚症状はあったけど、家にいるときほど気にならず。
「どうせ治らないなら気にするだけ損」
と開き直って、時を過ごしていった。

結局、目眩は一週間ほど続いた。
“一時的に治まる”なんてことはなく、程度に波はありながらもほとんどずっと。
そんな中で、特に神経を使ったのは車の運転。
事故でも起こしたらとんでもないことになるから。
ただ、そんな緊張をよそに、車の運転は大丈夫だった。
運転中、首を急激に動かしたりしないかぎり、目眩は自覚されず。
目眩による視界変動より車の動きによる視界変動のほうが速くて大きいから、目眩が中和されたのだろう。
しかし、その反動だろうか、車を降りた途端にフラッとよろけていた。
同じように、座った状態から立ち上がる際や身体の向きを変える際にもフラついた。
また、歩いてもにわかにフラフラ。
そのうち、そんな身体の扱いにも慣れてきて(?)、吐気はもよおさなくなり食欲も回復。
自分が少し辛いくらいで、日常生活や仕事で人に迷惑をかけるようなことも起こさずに済んだ。
そして、ありがたいことに、昨日くらいから目眩はかなり治まってきている。

二月にはインフルエンザにかかり、五月には股関節を傷め、八月には蕁麻疹を発症し、九月にはスマホが壊れ(これは関係ないか・・・)、そして、十一月は目眩ときた・・・
また、蕁麻疹発症以降、原因不明の持病である胸痛に襲われる頻度も上がってきている。
ストレス、疲労、更年期障害・・・責任を押し付けられそうな要因はいくらでもあるけど、結局のところ、見た目だけではなく身体の中身も老いて衰えてきているのだろう。
そんな風に、中も外も暗いネタが尽きないけど、その都度 耐え忍び、空元気でもいいから少しでも笑って過ごしたいものである。



そこは、寒風吹くビルの屋上・・・
目の前に広がるのは、飛び散った血・肉・骨・・・
それは、健康な身体でも目眩を起こしそうになるような光景だった。

どこかの誰かが、隣のビルから飛び降りた。
そして、それよりも低いところにある隣のビルの屋上に落下。
その衝撃で、身体の多くが粉々に飛び散ったのだった。

そこはオフィスビルの屋上。
住居用マンション等とは違い、普段、人が立ち入るようなところではなく、たまに立ち入るのは設備メンテナンスの業者くらい。
色々な設備や構造物を設置するため、床面は平たい造りではなく複雑な形状をしていた。

「こりゃヒドい・・・これをやらなきゃならないのか・・・」
高所が苦手であることも相まって、私の目には、その光景がとても凄惨なものに映った。
そして、その作業が気の遠くなるようなものになることは明白で、やる気は衰えていくばかりだった。

ビル風はとても冷たく、そして、とても強く吹いていた。
それは臆病風となり、私の心身を打ち、硬直させた。
「知らない世界に飛ばされるんじゃないか?」と恐くなるくらいに。

そこは街中のオフィスビルで、地上の人通りも多い。
「不幸中の幸い」と言っていいのかどうかわからないけど、故人が地上に到達していたら、誰かがケガをし、また、誰かが巻き添いになって命を落とすことになった可能性が充分にある。
もっと大きな惨事になっていたかもしれないことを考えると、すべての物事のきわどさが身に滲みて寒々しさが増していった。

当然、周囲に人影はなし。
孤独な作業や凄惨な現場には慣れているけど、初動の心細さは否めない。
作業を進めていくうちに特掃魂に火がついて、次第に熱くなっていくのがいつものパターンだから、自分を奮い立たせるには、それを待つほかなかった。

火のついた特掃魂は、本来の私に似合わないパワフルなものになる。
ただ、そこにたどり着くまでが、結構 大変。
作業を嫌がる自分、逃げたがる自分、愚痴る自分、弱音を吐く自分・・・そういう輩といちいち対峙していなかくてはならないから。

血を拭き、肉を削り、骨を拾う・・・
構造物に頭や肘をぶつけながら、狭いところを這いずり回りながら、無理な姿勢に呻き(うめき)声を上げながら・・・
生きるための代償として、懸命に生きていることの証として、私は一人黙々と作業を続けた。

そんな仕事でも、ひと仕事やり終えたときの達成感はあった。
誰に褒められるわけでもなく、誰に喜ばれるわけでもなく、誰かに蔑まれることが多く、誰かに劣ることが多く、ただ金で依頼され請け負った仕事だけど、自分なりの達成感はあった。
そして、それが、誰に誇る必要もない自分の中のプライドになって、次の自分を支えてくれるのである。


人の心は強いものでもあるし、弱いものでもある。
フラフラしてしまうことも多く、ときに、折れて倒れてしまうこともある。
しかし、それで終わりではない・・・諦める必要はない。
時に勝てない以上 時を返してやり直すチャンスは持てないけど、今ここでリセットするチャンスは持てることを知らなければならない。
弱々しくフラつく足にも、“自分次第”といった次元を超えたところにある跳ぶ力を宿らせることができることを知らなければならない。
・・・悩める私は、弱々しく消沈することが多い中でも そう思っている。

そして、ときに、目眩を起こしながら、また、目眩を起こしそうになる出来事に遭遇しながらも、この人生旅路を、笑顔を望みつつ、一日一日大切に、かつ力強く歩いていきたいと思っているのである。


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困惑

2016-10-03 09:33:02 | 特殊清掃 消臭消毒
考えなければならないことが色々あり、気分散漫の状態が続いてブログが書けないでいるうちに、もう十月。
「早いもので、九月も もう半ば」と始めた前回記事を見ると時の速さを痛感するが、とにもかくにも季節は秋本番に入りつつある。
にも関わらず、現実は梅雨のような日々で少々困惑気味。
困惑しているのは人間ばかりではなく、私のウォーキングコース沿いにある家の生垣には、鮮やかな青紫の紫陽花が二輪咲いている。
季節はずれの曇天下にポツンと咲く様が、孤高の誉を映していると同時にどことなく寂しげでもあり、どこかの中年男に似て愛らしく思える。


・・・なんて、呑気なことばかりは言っていられない。
秋の味覚に悪影響があるからだ。
特に、農産物。
小売価格が上がるのは容易に想像できる。
ただでさえ消費税8%に日々の生活を圧迫されているのに、その上、値段が高くなるのは庶民には辛い。
もちろん、誰が悪いわけでもないのだけど、本当に困ってしまう。

最近、困ったことが他にもあった。
一週間前の午後、私のボロスマホがとうとう壊れてしまった。
四年半使ったのだが、不具合はしばらく前からありダマシダマシ使っていたのだが、寿命がきてしまった。
最終的には、画面が真っ暗に。
電源は入るし、着信音は鳴るから作動はしているようなのだが、とにかく画面が真っ暗。
画面上の操作がまるでできなくなり、まったく使いものにならなくなってしまった。

こうなると、お手上げ。
仕事に支障をきたすのだが、その日は時間がなくてショップに行けず。
翌日の午後に何とか時間をつくってショップへ。
今更、旧機を修理しても無駄が多いので、機種変更をすることに。
ショップは混雑しており、予約なしで行ったため、入店から退店するまで要した時間は約三時間。
ただ、早急に何とかしないといけなかったので辛抱して待ち、新しいスマホを手に入れた。

只今、新機の使い方に困っているところだけど、もっと困ったことになったのは電話帳。
メモリーチップには、前のガラケー時代のデータ、つまり、四年半前迄のデータしか保存されておらず。
本体以外、クラウドに保存するなんてことも一切していなかったため(そもそも、そんなもの知らなかった)、こうなってしまった。
つまり、ここ四年半の間で新規登録した氏名・電話番号・メルアドはすべてなくなってしまったわけ。
旧機を修理してデータを取り出せばいいらしいのだが、それなりの費用と時間がかかるため、それはしないことに。
結局、“知っている人からかかってくる知らない番号”を、コツコツ登録していくしかないのである。

困りごとは、まだある。
このところ、不眠症が重症化しているのだ。
夜中に何度も目が醒めるのは長年のことだから諦めているけど、寝ボケ気味の覚醒ではなくハッキリとした覚醒で、しかも色々と考え事をしてしまうため眠れなくなる。
そして、寝付けないまま朝を迎え、悶々としているのは時間がもったいないので、早朝から起きだして仕事にでるのである。

もちろん、その反動はある。
昼間、眠くなることが増えている。
もちろん、眠らないように我慢はする。
それでも、瞬間的に気絶しそうになることがある。
恐いのは、車の運転中。
これは、事故につながりかねない。
仮に事故を起こしたりすれば、自分だけの問題ではなくなり、他人に大きな迷惑をかけることになってしまう。
場合によっては、取り返しのつかない事態を引き起こしたりして、人生を狂わせる(もともと狂ってる?)。
だから、コーヒーやガムは車に常備している。
また、足をつねったり大声を出したりと、ありとあらゆる手で使って睡魔と戦う。
常日頃から心がけているけど、やはり、車をとめて仮眠をとるくらいの気持ちと時間の余裕が必要だ。

あとは、一昨日から左股関節の具合が悪い。
特に何をしたわけでもないのに、その日の早朝から急に痛くなりだしたのだ。
スクワットをしたり四股を踏んだりすればいいらしいから少しやってみてはいるけど、劇的な変化はない。
ゆっくり歩くだけでも痛みがでて、このままでは仕事にも私生活にも障害になる。
五月下旬に痛めたときは、ウォーキングをやめてできるかぎり安静にしていたら痛みは治まったので、今しばらく様子をみようと思うけど、とにかく困ったものである。
ま、スマホみたいに身種変更できないところにも人間の味があるわけで、身体の老朽化は甘んじて受け入れるしかない。



「できるだけ早く来てほしい!」
不動産管理会社から、急な依頼が入った。

自社所有の1Rマンションで住人が死亡。
そのまま相応の時間が経過し、遺体は腐敗。
「外部に異臭が漏れ出し、他の住人が騒ぎ始めたため、早急に処置をしてほしい」
という依頼で、私は、当日の作業を早々に切り上げ、その現場に走った。

現場には、管理会社の担当者が来た。
私より一回りくらい若そうな彼と私は、マンション1Fで合流。
名刺を交換しながら、定型の挨拶を交わした。

「もぉ・・・まいっちゃいましたよぉ・・・」
挨拶を交わした後の彼は、第一声でそう嘆いた。
ただ、彼が“まいった”原因は、私が思っていたものではなかった。
彼は、会社から“お前が行ってこい”と指示されたよう。
そして、“なんで俺が?”と疑問が残る中、上司の命令には逆らえず、渋々、現場にやってきたのだった。
彼は、自社物件で腐乱死体が発生したことを嘆いたのではなく、自分がその処理を担当することになってしまったことを嘆いたのだ。
それはそれで正直な気持ちなのだろうけど、本来、サラリーマンは組織人として仕事をするもの。
しかし、彼にその弁え(わきまえ)はなさそうで、個人的な愚痴を初対面の私に吐露。
私は、そこのところに、親しみを含め、ちょっとした感覚のズレを覚えた。

そんな具合で、彼にあまり緊迫した様子はなし。
“管理会社の一社員”という気軽な立場のせいか、もともとの彼のスタンスか、事の経緯を他人事のように説明。
遺体発見時、自分の所属部署が騒動になったことを、身振り手振りも大袈裟に、時には笑いを交えながら話した。
そして、人が一人亡くなって、しかも近隣から苦情がきているにも関わらず、
「死んじゃったもんは仕方ないっすよ」
と、あっけらかん。
私は、大らかなのか無神経なのかよくわからないキャラが妙におかしくて、苦笑いを浮かべた。

玄関前周辺には確かに異臭が漏洩していた。
それを鼻に感じた彼は、
「うわぁ~・・・クセーッ! こんなニオイがするもんなんですか!?」
と、ウケでも狙っているかのように、オーバーリアクション。
そして、
「うえ・・・気持ち悪くなってきたぁ・・・ゲホゲホ・・・」
と、周囲に聞えることなんかまったく気にせず、笑いながら咳き込んだ。

そうして、場もわきまえず、しばし談笑して後、
「でも、心配しないで下さい・・・警察は、“中はそんなに酷くない”って言ってましたから・・・」
と、彼は、顔を真に変え、目を泳がせながら中の様子を教えてくれた。
ただ、ウソをつくのは下手なよう。
私が恐怖感を抱かないように気を使ってくれたようだったが、私だって素人ではない。
ニオイを嗅げば、室内がライト級でないことくらいはわかる。
そして、そんなことは、室内を見ればすぐに明らかになる。
だから、「本当ですか?」なんて野暮な質問はせず、「だといいですけどね・・・」と、彼の心遣いをありがたくもらっておいた。

困ったのは、その後、遺族も合流したときのこと。
彼のキャラは相手や空気では変わらず。
「こんなニオイ初めてでしょ!?」
「うわ・・・また気持ち悪くなってきた・・・ゲホゲホ・・・」
と、遺族に対しても変わらないノリ。
“困った人だなぁ・・・遺族がいてもこのノリとは・・・”
と、私は、内心で苦笑いしながら、
“気を悪くしてるんじゃないか?”
と、そっと遺族の顔色をうかがった。

遺族は、故人が孤独死腐乱したことについて、またそれが原因で周囲に迷惑をかけてしまっていることについて、酷く咎められることを覚悟してきたよう。
平身低頭で表情を強ばらせていた。
しかし、彼は、起こった出来事を
「死んじゃったもんは仕方ないっすよ」
と、余計な文句を言うでもなく たった一言で片付けた。
そして、今後の処理方を詳しく説明。
話の内容は、ほとんど私からの請け売りだったが、その姿は建設的というか、とても前向きなものに見え、清々しくホッとさせられるものがあった。
一方の遺族は、少し拍子抜けしたような様子。
固かった表情も和らいでいき、穏やかな表情に変わっていった。


「本当の自分」という言葉をよく耳にする。
「本当の自分を探す」とか「本当の自分を取り戻す」とかいった具合に。
しかし、本当の自分って一人だろうか・・・
私は、そうは思わない。
本当の自分は、本音と建前、礼儀と無礼、善と悪の狭間と困惑の中に何人もいる・・・何人も。
そして、本意だろうが不本意だろうが、TPOに合わせて、そいつ等を着分けるのが今の世の当り前の生き方である。

担当者の彼は、良く言えば「正直者」、悪く言えば「無礼者」。
“空気を読む”ということを知らないのかどうか・・・ただ、悪気がないことは伝わってきた。
どちらにしろ、憎めないタイプの人物だった。

「いい人なんだろうけど、出世はしなそうだな・・・」
私は、死場にいながらもストレートなセリフを吐いたり笑ったりする彼を見ながらそう思った。
そして、そんな彼に困惑しつつも、偏った幸福観しか持ち合わせていないが故に、彼の屈託のない子供のような笑顔を羨ましく思ったのだった。


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酒肴

2016-09-14 09:14:56 | 特殊清掃 消臭消毒
早いもので、九月も もう半ば。
朝晩は涼が感じられるようになってきた。
過去形にして油断するのは少し早いかもしれないけど、夏の酷暑は過ぎ去った。

幸い、今年は熱中症にはならなかった。
そうならないよう気をつけたのはもちろん、例年に比べて暑さが少し楽だったから。
そうは言っても、「暑くなかった」というわけではない。
多くはなかったけど、強烈な暑さに襲われてしんどい思いをしたことは何度かあった。

特にキツいのが、前回書いたようなサウナ部屋での作業。
そして、炎天下、階上から階段を使って荷物(不用家財等)を搬出する作業。
階段の上り下りは、かなり身体に堪える。
上るときは手ブラなのに、やたらと足(身体)が重い。
体重を増やしていないから少しはマシだと思うけど、汗が滝のように流れるのはもちろん、腕を見ると、汗が皮膚から噴き出しているように見えることもしばしば。
心臓はバクバクと鼓動するし、身体も、その核でマグマが燃えているように熱を帯びる。
酷いときは呼吸が苦しくなり危険な状態に陥る。
ここまでくると危険。
どんなに忙しくても、作業を中断して小休止しないと、とんでもないことになる。

そんな状態では、とにかく、日陰に入って水分補給。
そして、乱れた心動と呼吸を、ゆっくり整える。
あまり長く休むと気持が萎えてくるのだが、それが整わないうちに作業を再開しても、またすぐに休むハメになり、結局、作業効率が落ちる。
そうなると元も子もないので、ある程度、呼吸が整うまで待ってから作業を再開。
「ツラいなぁ・・・キツいなぁ・・・苦しいなぁ・・・」
そうボヤキつつも、
「何のため?・・・自分のため!生きるため!」
と、自分を励ましながら、再び熱暑の中に身を投じるのである。

それでも、過酷な労働は永久ではない。
一仕事終えれば休息が待っている。
特に、肉体労働に汗した日には、どうしても晩酌がしたくなる。
日常に楽しみが少ない私にとって、晩酌は大きな楽しみ。
「今日は飲んでいい日」だと思うと、朝から少し気分が明るくなり、昼間の仕事にも精がでる。
ただ、決めた数の休肝日を守るのは自分と約束したこと。
その敗北感・劣等感を思うと、到底、約束を破る気にはなれない。

現在、週休肝二日を越えて週休肝三日を堅持している私は、仕事のスケジュールに合わせて日程を調整している。
「明日はキツい作業だから晩酌したくなるはず」
「だから、今日は我慢して休肝日にしとこう」
と言った具合に。
でも、飲みたい日に我慢するのは楽じゃない。
だから、「飲まない」と決めた日は、多目の夕飯を早々と食べたり、喉がどうしても欲しがるときはノンアルコールビールを飲んだりしてしのいでいる。

現在、私は、ウイスキー党。
糖分と懐具合を気にして、大好物の にごり酒も、近年は手を出していない。
また、もともとはロックで飲むのが好きだったのだけど、身体と懐具合を考慮して、近年はハイボールで楽しんでいる。
銘柄は、スコッチか国産が好みだけど、もちろん、高級酒には手が出ない。
一本700mlで数百円の庶民的なヤツ。
更に、コストパフォーマンスをよくするために、二週間ほど前に、これの4ℓの大ボトルを買った。
それでも、味は悪くなく、充分に美味しい。
“安い=美味くない”なんてことはまったくない。
また、ウイスキーは肴を選ばない。
個人的には、唐揚や刺身を好んでしまうが、野菜や乾物・菓子だって上等のツマミになる。
味や香はもちろん、色味も気に入っているけど、この、肴を選ばないところも大いに気に入っている。

・・・なんて、読み手にはつまらない(?)ウイスキー談義はこれくらいにしておこう。


出向いた現場は郊外の一戸建。
築年数は古いものの、部屋数は多くしっかりした造り。
新築当時は、結構な高級感をもっていたであろうことは、家の雰囲気から伝わってきた。

家には、かつて老夫婦が住んでいたのだが、夫は90を越えて他界。
80代の妻も、介護が必要な状態になり、老人施設に入所。
結局、この家には住む人がなくなり、また、子供達もそれぞれに家族を持って自前の居を構えていたため、将来に渡っても住む人はおらず。
結局、売却処分することになり、長男が担って家財生活用品を片付けることになったのだった。

リビングには、暖炉を模した立派なカウンターがあった。
そして、その上には色々な調度品が並んでいた。
中でも目を惹いたのは、大きなウイスキーボトル。
そのウイスキーは“SUNTORY OLD(特級)”の4ℓ大瓶。

私が、マジマジとそれを眺めているのに気づいた依頼者の男性は、
「これ・・・だいぶ前にオヤジが買ってきたんだよね・・・」
「いつだったっけな・・・え~っと・・・38年!38年前だ!」
と、その瓶を見つめながら、懐かしそうにそう言った。
そして、亡き父親から聞いた話を、懐かしそうに私に聞かせてくれた。

男性が生まれるずっと前、戦争末期の昭和19年、独身だった父親に赤紙(召集令状)が届いた。
戦局は悪化の一途をたどり、敗戦の色が濃くなってきた時期で、本人も家族も、生きて帰れないことを覚悟する必要があった。
しかし、命じられた任務は本土防衛。
激戦の外地に送られなかったことが、結果的に、落としかけた命をつなぎとめた。
そうして、そのまま終戦を迎え、父親は復員することができた。
当時は皆がそうだったように、戦後、父親は、仕事を選ばずガムシャラに働き、結婚し、家族を持ち、この家を建てた。
そして、やっと上向きになった暮らしの中で、父親は、日本酒党なのに、このウイスキーを買ってきたのだった。

その昔、税制が変わる前は、ウイスキーは高かった。
“OLD”は、今では高級酒の部類ではないが、「特級」と書いてあるくらいだから、当時は高級品だったのかもしれない。
しかも、4ℓの大瓶となると、結構な金額だったはず。
男性の父親は、はなから飲むためではなく、飾っておくために買ってきたのだろう。
豊かで平和な暮しを手に入れたことの証として、また、“国産の洋酒”という点に 貧しいながらも夢と希望に満ちていた時代を重ねて。
それを想うと、乾いた時代に生きる他人の私でも感慨深いものを感じた。

ウイスキーは、アルコール度数が高いため「腐らない」とされている。
だから、賞味期限は設定されていないし、現に、どのウイスキーをみても、ラベルにも賞味期限や消費期限らしき印字はない。
実際に私も何年も前のウイスキーを飲んだことが何度かあるけど、味も体調も何の問題もなかった。
それを知っていた私は、
「これ、未開封ですから、まだ充分に飲めますよ」
と、言いながら、滅多にお目にかかれない珍品でも見るようにボトルに顔を近づけた。
すると、男性は、
「よかったら、どうぞ・・・持って帰って」
「これも何かの縁でしょう・・・美味しく飲んでくれる人に飲んでもらったほうがいいから・・・」
と言う。
自身でもウイスキーは飲むそうなのだが、どうも、そのウイスキーを自分で飲む気にはなれない様子。
その想い出があまりにも懐かしく、自分の中で重すぎて、飲むと涙酒になってしまいそうに思えたのかもしれなかった。

しかし、それは、38年もの間、リビングのカウンターに置かれて、家族の歴史を見てきた品・・・家族の想い出を象徴する品。
そんな宝物のようなモノを、アカの他人の私がもらうなんて恐縮しきり。
だから、私は丁重に断った。
が、それでも、男性は「遠慮なくどうぞ!」と強くすすめてくれ、固辞し続けるのも失礼かと思い、結局、私は、そのウイスキーをもらうことに。
仕事終わりに何度も礼を言って、赤子を抱くように“ダルマ”を抱え、持ち帰ったのだった。

瓶は、ホコリを被って汚れ、長く放置されていたせいでガラス面にツヤもなくなっていた。
そのままでは見た目も悪いし不衛生なため、私は、濡タオルを持ってきて拭いてみた。
すると、色褪せたラベルがボロボロと剥離。
それが垢のように汚くみえるものだから、更に擦り続けたら、ラベルはどんどん剥がれていき、文字のほとんどが見えなくなってしまった。
その様は、人生の儚さを象徴しているようにも見えて、少し物悲しいような切ないような気分にさせられた。
ただ、それも、過ぎた時間と事物の有限性が成したこと。
人間の領域を超えたところにある、人の手ではどうすることもできない真理。
しかし、外見は損じても中身は充分にイケるはず。
くたびれた外見を持つこの中年男も、「中身はまだイケるかな?」と酒味と人間味を重ねて、美味を期待したのだった。


私にとって、晩酌の時間は格別のひと時。
好きな酒が好きなように飲めるわけで、飲んでいるときは、それなりに楽しい。
そして、口に入れる肴だけではなく、心に湧く想い出を肴に酒を飲むのも、なかなか乙なもの。
甘味や旨味だけではなく、苦味もあれば妙味もあるけど、それらも私にとっては いい肴になる。
過酷な仕事や凄惨な光景を思い出しながらでも美酒が飲める私は変態なのかもしれないけど、それが自分を支える糧になっていることに間違いはないから。

ホロ酔の心には、色々な想い出が湧いてくる。
楽しかった想い出、嬉しかった想い出、苦しかった想い出、辛かった想い出、悲しかった想い出・・・
あんなこともあった こんなこともあった あんな人もいた こんな人もいた と想い出を掘り返しては、微笑んだり しんみりしたり・・・
先日なんて、チビ犬が死んだときのことを想い出して、ポロポロと涙酒になってしまった。

それでも、人生は短い・・
人生なんてアッという間・・・
自分が生まれる前の時間、死んだ後の時間、人類が生まれる前の時間、人類が滅びた後の時間、地球の歳、太陽の寿命、宇宙の始まりと終わり・・・
それらと比べると、自分が生きている時間なんて無に等しい。
だから、生まれてきたことに、生きていることに、生きることに意味がないというのではない。
逆に、だからこそ意味がある。
苦悩を流せる感性が芽吹き、幸福を尊ぶ志向が実り、短い人生にある一瞬一瞬が輝くのである。

今日は休肝日にしようか、どうしようか迷っている。
ハードな肉体労働は予定していないから休肝日にすべきところだけど、こんな記事で更新したら飲みたくなるに決まっている。
ま、どちらにしろ、飲んでるときぐらいは、美味い肴に舌鼓を打って、昨日の悔いも今日の不満も明日の不安も忘れたいものである。
そのたくましさが、また次の酒肴の味と己の心力を高めるのだから。



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クスクス

2016-08-29 08:05:44 | 特殊清掃 消臭消毒
晩夏、九月ももう目前。
台風頻発のせいか、朝晩は、明らかな秋の気配が感じられるようになっている。
もちろん、このまま秋へ一直線というわけにはいかず、この先 厳しい残暑に見舞われることもあるのだろうけど、とにもかくにも今年の夏も一段落ついた。

しかし、今年の夏は、例年に比べると暑さが楽だったように思う、
梅雨明けも遅かったし、その後も雨天・曇天が多く、猛暑日が長く続くこともなかった。
不安定な空模様で、空は晴れているのに、いきなりドシャ降りの雨が降ったり、何の前ぶれもなく雷鳴が響いたりしたことも多かった。
もちろん、酷暑にヒーヒー言わされたことはあったけど、それも散発。
例年だと、毎晩のようにクーラーをつけないと寝付けなかったように思うけど、今年は、扇風機だけでしのげた夜が何度もあった。

私は、車に乗っているときは、基本的にエアコン(冷房)は使わないのだが、耐え難い猛暑で走ったのはほんの数日だったように思う。
暑かったことは暑かったけど、あとは、少しの辛抱で乗りきれた。

ちなみに、その様を見た部外者から、
「エアコン使わないんですか?」
と訊かれたことがある。
暑いのにエアコンを使わないでいることが、変に見えるのだろう。
訊かれた私は、
「気持ちが萎えて、かえってキツい思いをしますから・・・」
と応えた。

涼を与え過ぎると、暑を避けようとする自分、暑から逃げようとする自分がでてくる。
すると、現場に入ることを億劫がる自分が生まれ、“効率”を名目に仕事の手を抜こうとする怠惰な(本来の)自分が生まれる。
そうして、堕落の一途をたどってしまう。
ストイックになりすぎるのもよくないけど、自分を甘やかして困るのは他でもなく自分。
ある程度の忍耐、自制をきかせるのは、結局、自分のためなのである。

もちろん、それは、自分一人で乗っている場合にかぎる。
誰かと乗っているときは、そんなことはしない。
「エアコンなしでいい?」
なんて、意味不明なことも言わない。
真夏にエアコンもつけないで車を走らせるなんて、同乗者にとっては極めて迷惑な話だし、常識的に考えて無理があるから。
だから、黙って自分も涼に身を置き、しばし自分を甘やかす。

自分を甘やかさない方法としては、先方切って現場に走ることも挙げられる。
また、できる限り、作業を一人でやりきることも。
何度も書いてきた通り、私の場合、特殊清掃作業は一人でやることがほとんど。
複数人でやるのは、広範囲に渡る血痕清掃や何十匹の動物死骸処理、大型家財・大量家財の処分くらい。
「一人でやるんですか!?」
と驚かれることも多いけど、人が一人亡くなったくらいの痕清掃は、ほとんどの場合 大の大人二人分の作業量はない。
ただ、人は、肉体作業の観点から驚くのではなく、メンタルな部分で驚くのだと思う。
「恐くないのか?」「一人で心細くないのか?」と。
凄惨な現場に対して、「恐い」「不気味」「気持ち悪い」等と思い、嫌悪するのだと思う。
私だって、一応(?)ただの人間だから、少なからずの嫌悪感や恐怖感は覚える。

それでも、私は、一人のほうが楽。
肉体的に少々キツい思いをしても、誰に気を使う必要もなく、自分のペース・自分のやり方で好きなようにできる。
誰かと組んだ場合、その者がやる気満々の動きをみせないとストレスがかかるし、楽しようとする姿勢が見えたりすると怒りさえ覚えてくるから。
結局、一人の方が、余計なストレスがかからず、仕事に集中できるのだ。


酷暑のある日、例によって、私は特掃の現場へ一人で出向いた。
現場は、マンションの上階一室。
その部屋の住人が孤独死し、一ヶ月近い時間の中で腐乱。
部屋には、おびただしい量の腐敗汚物が残留し、おびただしい数のウジ・ハエが発生。
同時に、“鼻を突く”どころの話ではないハイレベルな悪臭が腹をえぐってきた。

エアコンを使わない主義であっても、それは車の場合。
車は窓を全開にできる。
温風(ときに熱風)ながら、風が吹けば空気が通るし、走れば風が吹き込んでくる。
しかし、汚部屋の場合、窓は開けられない。
外への悪臭の漏洩やハエの飛散を防ぐために。
だから、風が吹き込むこともなければ、空気が流れることもない。
いわば、蒸風呂・サウナ状態。
さすがに、これでの作業は辛く、ときに危険。
ましてや、部屋には一人きり。
熱中症で倒れても、電話でもしないかぎり、すぐには気づかれない。
意識を失いでもしたら、自分が死体になってしまう。

したがって、許可があれば、エアコンを使わせてもらう。
ここでも、依頼者は、
「どうせ、エアコンは新品に交換しないとダメでしょうから、遠慮なく使って下さい」
と、猛暑の中、部屋に入る私に気を使ってくれた。

「エアコンが使えるなら、終わるまで中にいられるな・・・」
私は、そう思いながら作業をシミュレーション。
作業途中に部屋から出ないで済むよう、必要になりそうな備品・道具に漏れがないか頭の中で念入りに確認した。
そして、それら一式と多目の飲料を持って部屋に入った。

「うわッ!暑ッ!・・・とりあえずエアコンをつけるか・・・」
蒸し上げられた部屋の熱気に包まれた私は、腐敗痕を横目に、まずはエアコンのリモコンを探した。
しかし、それらしきモノはどこにも見当たらず。
故人も、普段からエアコンは使っていたはずなのに、目についたのはTVやDVDのリモコンだけ。
肝心のエアコンのリモコンはどこにも見えず。
私は、目の錯覚を疑いながら部屋のテーブル・ソファーから床一面を凝視し、リモコンを探した。

そうして、しばらく探し回ったが、結局、見つけることはできず。
本体に作動スイッチを探したが、それもなし。
時間ばかりが経過する中、そんなことばかりやっていては仕事にならない。
結局、私は、エアコンを使うことを諦めて、特掃作業にとりかかることに。
噴き出す汗で貼りつく作業服に動きづらさを感じながら、いつもにセオリーに従って作業を開始した。

そこは、ハンパじゃない暑さ。
汗は作業服だけでは吸いきれず、服の端からポタポタと滴り落ちた。
更に、作業を進めていくうちに心臓の鼓動は大きくなり、呼吸もやや困難に。
作業も山場を越え終盤になった頃、危険を感じた私は、一旦、外に出ることに。
作業途中に休憩を入れると気持ちが萎えるし、もう少し頑張れば終わるので、あまりそうしたくはなかったけど、そこは、そんなこと言っていられるほど甘い状況ではなかった。

そんな中、時間を見るため、私は壁にかかった時計を見上げた。
すると、あるモノが視界に。
それは、エアコンのリモコン。
リモコンは、どこかに紛れていたわけでもなく、隠されていたわけでもなく、柱に取り付けられたケースに収まっており、ずっと私の目に見えるところにあったのだ。
ただ、酷な作業を前に緊張していたのか、暑さから逃れようと焦っていたのか、または、引力に従った一種の先入観が働いたのか、私がそれに気づかなかっただけ。
私は、自分のマヌケさに呆れながら、
「こんなところにあったのか・・・」
「また一つ、訓練してもらったな・・・」
と、いらぬ酷暑の中で汗と脂にまみれた醜態をクスッと笑った。

リモコン発見によって、そのまま部屋で休息する手もでてきたが、部屋が不衛生極まりないことには変わりはない。
無臭の空気に触れたかったし冷たい飲み物も欲しかった私は、やはり外で休憩をとることにした。
が、私は、立派なウ○コ男に変身済み。
自分自身が腐乱死体になったごとく、凄まじい悪臭を放つわけで、エレベーターに乗ることはもちろん、共用廊下やエントランスを歩くこともままならず。
私は、廊下や階段に人気がないことを確認し、スプレー式の消臭剤を噴射しながら逃げる泥棒のように廊下を走り、非常階段を駆け降りた。


まず必要なのは、水分の補給。
冷えた飲み物を手に入れるには、どこかで買い求めるしかない。
しかし、当然、コンビニ等の店には入れない。
警察に通報こそされないだろうけど、店や他の客から顰蹙を買うことは必至。
となると、自販機で買うしかない。
私は、陽がジリジリと照りつける中にも涼を感じながら、また、きれいな空気で深呼吸をしながら自販機を探して歩いた。

自販機は近所にすぐに見つかった。
私は、周囲に誰もいないことを確認した上で自販機の前に立ち、スポーツドリンクと水を買うため財布から二本分の小銭をとりだして投入した。
すると、運の悪いことに、そこへいきなり自転車に乗った小学3~4年くらいの女の子が二人現れ 近寄ってきた。
そして、私の不安をよそに、自販機の脇に自転車をとめ、私の後ろに並んだ。

すると、私の不安は的中。
二人は、ハモるように、
「ウッ!クサイ!何!?コレ何!?」
と驚嘆の声をあげた。
そう・・・私が放つ、それまでに嗅いだことのない凄まじい悪臭が、二人の鼻を突いたのだ。
そして、その元が私であることはすぐにわかったみたいで、二人は驚愕の表情で、私の身体とお互いの顔に交互に視線をやった。
それは、私が放つ悪臭に驚き、その信じ難い現実が現実であることを確認するための自然の動作だった。

好奇の笑みでもいいから二人がクスッとでも笑ってくれれば 少しは気が楽だったのだが、二人はそんな余裕もない感じで強ばった表情。
その困惑ぶりを目の当たりにした私は、いたたまれない心境に。
そして、慌てて商品ボタンを連打。
飲料を持って さっさと自販機から離れたかったのだが、狭い受取口に二本が詰まり、なかなか取り出せず。
突き刺さる二人の視線が気を焦らせ、それが更に手をモタつかせ、あたふた あたふた。
その動きが、一層、私を異様に映したのだろう、二人は、私から距離を空けたところに退き、珍獣でも見るような目でその様を見ていた。

逃げるように自販機を後にした私は、罪人になったような気分で人気のない日陰を探し、そこに身を隠すように座った。
そして、買ってきた飲料二本を、むさぼるように飲み干した。
そうして、一息つきながら、
「あの子達・・・俺の話で盛り上がっただろうな・・・」
「家に帰って、家族にもハイテンションで話すかもな・・・」
と、私に近づいて目を丸くした女の子達を思い出してクスッと笑った。
一時だけでも、子供達の間で“伝説の悪臭怪人”になるかもしれないことがおかしかった。

惨めな気持ちにはならなかった。
寂しい気分にもならなかった。
ただ、おかしかった。
自分の姿がおかしかったのか、自分の生き様がおかしかったのか、そんな状況でも笑う自分がおかしかったのか、よくわからなかったけど、日々、つまらないことでクヨクヨしてしまうことがバカバカしく思えた ひと時だった。


普段から、私は、自分の境遇や愚弱さを嘆くことが多い。
だけど、凄惨な状況で、悲惨な姿で、辛い作業に従事している中でもクスッと笑える自分が ちょっとたけ頼もしく思える。
そして、そんな自分の人生が、ちょっとだけ喜ばしく思えて、またクスッと笑うのである。


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Battle

2016-08-22 09:00:35 | Weblog

昨日、やっと、リオデジャネイロオリンピックが終わった。
事前には心配の種がたくさんあったようだが、大きな事件や事故はなく終わったようで(知らないだけ?)、何よりである。
開催中は、日々、色々な戦いが繰り広げられた。
もちろん、“戦い”は、試合本番だけではない。
そこにたどり着く前にも、様々な戦いがあったはず。
そして、選手本人はもちろん、関係者も、それに勝つために、並々ならぬ努力を積み重ねてきたはず。
もちろん、努力が報われるとは限らない。
報われた人より、報われなかった人の方が多いかもしれない。
が、努力してきたことは、間違いのない事実。
そう考えると、メダル以外の収穫も大きいのではなかと思う。
また、多くの人の人生に、たくさんのいい思い出も残ったはず。
それもまた、かけがえのない宝物だと思う。

そう賞賛しつつも、実のところ、私は、オリンピックにほとんど興味がない。
上記一行目に「やっと」と入れた理由はそこにある。
スポーツに縁のない人生を生きてきた私はTV観戦するほどの興味もなく、夜中に試合を観て、翌朝、眠い目をこすりながら仕事に出かけるなんてことはまったくありえない。
だから、世間は、連日、オリンピックの話題で持ちきりだったけど、私の目や耳がそれに惹かれることもなし。
もちろん、日本選手の健闘を願う気持ちはあったけど、それも社交辞令的に少しだけ。
日本の選手がメダルをとったときなどは、どのTVチャンネルもその話題でもちきりだったが、興味のない私は飽き飽きして、
「もういい加減にしてほしいよなぁ・・・そんなにみんなオリンピックが好きなのか!?」
と、イラついたりもした。

こんな、私は、おかしい? 珍しい? 少数派?
誰に非難されたわけでもないけど、社会に馴染めてない感じがして、自分に不愉快な思いをしている。
ま、何はともあれ、次は東京だ。
四年後・・・もちろん、その時、生きているかどうか、どこで何をしているかもわからないけど、東京開催のときくらいは、その戦いを熱く応援したいものである。



出向いた現場は、とある賃貸マンションの一室。
そこの浴室内で、住人が練炭自殺。
発見はかなり遅れ、浴室は、極めて深刻な状況になっていた。

時季は暑い季節。
玄関ドアを開けると、蒸された空気がムアッと噴出。
更に、浴室の扉を開けると、モノ凄い悪臭が鼻を突いてきた。

浴室には窓はなく、電気はとめられており、玄関ドアを閉めるとほぼ真っ暗。
ベランダからの外陽も、離れたうえ直線で結べない浴室にはまったく届かず。
懐中電灯なしでは、身動き一つとれなかった。

場所を問わす“暗闇”というものは、あまり気味のいいものではない。
ましてや、そこは、自殺腐乱死体現場。
気温は高いはずなのに、私は、何とも寒々しいものを感じた。

私は、尻ポケットに差し込んでいた懐中電灯をつけ、中を照らした。
すると、想像していた通りの凄惨な光景が目に飛び込んできた。
そして、依頼があれば、それを掃除しなければならない自分を見つめ、“それが生きるための手段”と、気持ちを奮い立たせた。

汚染は浴室全体に広がっていたが、最も酷く汚染されていたのは浴槽の底。
故人は浴槽に座り込んでいたのだろう、大量の腐敗粘度が浴槽底を埋め尽くし、部分カツラのような頭髪も残留。
また、遺体を引きずり出すときに剥がれたのだろう、浴槽の縁や側面には、乾いた皮膚がオブラートのように付着していた。

浴槽側の壁二隅には天井に向かって三角錐形の汚染。
それは、無数のウジが登った痕。
それが、まるで鬼の角のように私を見下ろしていた。

扉の通気口、換気扇、点検口、排水口、穴や隙間はすべてガムテープで密閉。
もちろん、それらは、死を目前にした故人が貼ったもの。
死への意思の固さを表すかのように、強固に貼り込まれていた。

それらを剥がす作業は、独特の気重さがある。
「生きるためとはいえ・・・俺も、よくやるよな・・・」
私は、作業の重さを想像しながら、人生との戦いを諦めた者のような溜息をついた。


亡くなったのは、私には縁もゆかりもない人。
顔も名前も年齢も、もちろん、最期に至った経緯も何も知らない。
故人に関して知っているのは、練炭自殺で亡くなったことと、その後、長く放置され腐乱死体で発見されたということだけ。
だけど、そこには一人の人が生きていた。
私と同じ、一つの命と一つの身体を持った一人の人が生きていた。

練炭が燃え、室温が上がる中で、浴槽にうずくまった故人・・・
酸素が薄くなり、遠のく意識の中で、故人は何を思ったか・・・
戦い疲れ、「これで楽になれる・・・」と安堵の気持ちを抱いたか・・・
戦い敗れ、「もっと生きていたかった・・・」と悲壮感を漂わせていたか・・・
私は、考えても仕方のないことを頭に巡らせながら、
「それでも生きなきゃならないんだよ・・・」
「そのために頑張らなきゃならないんだよ・・・」
と、故人を責めるつもりも見下すつもりもなく、ただ、私は、似たような自分と故人を重ねながら、故人に応えるように、重くなった心の中で何度もそうつぶやいた。

嫌悪感や気重のピークは最初の段階にくる。
身の毛もよだつ光景、腹をえぐる悪臭、何かの気配を感じながらの静寂、皮膚に浸み込んできそうな毒感・・・
そして、最期の様、そこに至った経緯etc・・・
そういったものが、私の精神を圧してくるのだ。
ただ、作業にとりかかると、次第にそれは中和されていく。
これまでにも何度か書いてきたように、腐敗汚物が人に戻ってくるような感覚を覚えるのだ。
そうすると、嫌悪感や気重は徐々に薄まっていき、そのうち、ほとんど気にならなくなる。
更には、自分のため?故人のため?依頼者のため?・・・自分でもよくわからないけど、「徹底的にきれいにしてやろう」と熱くなってきて、必死に生きていることの実感が湧いてくる。
そうなると、もう嫌悪感や気重はなくなっている。
後に残るのは闘争心。
様々な敵がいる中で、自分を相手にした戦いに入っていくのである。

この世界に飛び込んで(逃げ込んで?)、二十四回目の辛夏。
それなりに戦い、それなりに努力し、それなりに耐えてきた。
その効か、人の役に立つような仕事もできるようになり、たまには、誰かの支えになるような言葉も吐けるようになってきた。
ただ、決して気分のいい仕事ではないし、陽の当る場所で誉めてもらえるような仕事でもない。
所詮は、自分の中で妥協と迎合を使い分けながら満足するしかない仕事なのである。

そんな仕事に、四捨五入すると五十歳になる私は、色んな意味で“限界”を感じつつある。
もちろん、世の中には、五十になっても六十になっても、もっとハードな仕事をこなしている人、こなさざるを得ない人はたくさんいると思う。
そう思えば、私も、まだまだ頑張れるはずなのだろうけど、身体だけでなく精神も磨り減っているような気がしている。
磨り減るものがなくなったときが“終わり”なのかもしれないけど、それはそれで切ないものがある。
疲れて倒れるように終わるのも悪くないのかもしれないけど、できることなら、満たされて終わりたい。

だったら、一生懸命やるしかない。
何事も、一生懸命やらなくて後悔することはあっても、一生懸命にやって後悔することはないから。
もちろん、その一生懸命さが報われるとは限らない。
自分が期待していた結果がもたらされなかったり、期待していなかった結果がもたらされたりする。
それでも、一生懸命やったことに対して後悔はないはず。
後悔は、一生懸命やらなかったことに対して湧いてくるもの。
だから、
「こんな仕事だって、自分に与えられている限りは一所懸命にやらなければならない」
と、自分に言いきかせている。
そして、そうすると、実際、必死に生きていることが強く実感できるのである。


人生は、旅のようであり、冒険のようであり、そして、戦いのようなものでもある。
その時々で、その場 その場で色々な戦いが起こる。
人を相手に、社会を相手に、仕事を相手に、金を相手に、病を相手に、老いを相手に、生活を相手に、時間を相手に、自分を相手に、戦いに事欠くことはない。
だから、苦・辛・悲は多く、楽・幸・喜は少なく感じてしまう。
しかし、だからこそ、戦う意味があるのかもしれない・・・
戦うおもしろさがあるのかもしれない・・・

愚弱な私が私である限り、この“かもしれない・・・”が確信に変わる日はこないかもしれないけど、それでも、私は、それを肯定し続けて生きたいと思っているのである。

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蕁麻心

2016-08-15 08:25:26 | Weblog
二週間ほど前のことになる。
午前中、とある現場に現地調査に出かけた。
依頼の内容は、家財生活用品(遺品)処理。
家屋は古い一戸建で、家主は数年の入院の末に逝去。
当人は、早期に退院できると思っていたため、家は、入院時そのままの状態で維持。
しかし、そのまま数年が経過。
そして、結局、日常の生活に戻ることはできす、とってあった家財生活用品は丸ごと遺品となった。
私は、部屋一つ一つ、収納庫や押入れ一つ一つを確認はもちろん、物置、鉢植、ガラクタetc、荒れ放題の庭や外周も確認。
行く手を阻む草樹をはらいながら、まとわりつく蚊や蜘蛛の巣をはらいながら検分を進めた。

そうこうして約一時間。
調査を終えた私は、少し離れたコインPにとめておいた車に戻った。
そして、書類を片付けたり、靴を履き替えたりして帰り支度をはじめた。
そうしていると、腹部に違和感が。
ベルトラインに沿って痒みが発生。
シャツをめくり上げて覗いてみると、痒い部分が帯状のミミズ腫に。
私は、そこをポリポリ掻きながら、
「あそこの庭で、虫にでも刺されたんだな・・・」
「ま、放っとけば、そのうち治るだろ・・・」
と、まったく気にせず、次の仕事に車を走らせた。

そうしてしばし、治まるはずの痒みは一向に治まらない。
それどころか、酷くなる一方。
そのうちに、今度は両脇の下が痒くなりだした。
「何!?こりゃ、蚊じゃなさそうだな・・・毛虫か?」
何年か前、とある現場の庭で作業していて毛虫にやられたことがあった私は、その時の症状に似ていたので、そう思った。
ただ、それでも大して気にせず、身体のあちこちをポリポリやりながら、そのまま車を走らせたのだった。


会社に戻る頃には、痒みを感じる箇所がだいぶ増えていた。
同僚も異変に気づき「首筋が赤くなっている」と、驚き気味に教えてくれた。
同僚が大袈裟に言うものだから慌てて鏡を見ると、確かに右の首筋がヒドく赤くなっていた。
「チッ!・・・今日の現場で、虫にやられたみたいなんだよね・・・」
私は、その後の自分に深刻な状況が待ち受けているとは露知らず、舌打ちしながら苦笑いした。

帰宅する頃には、胸元・膝裏・肘裏・股間等々、あちこちの皮膚が赤くなっていた。
「虫刺されじゃなく、汗疹(あせも)か?」
私は、妙な症状を怪訝に思いながら、慌てて入浴。
毛虫なら毒毛を、汗疹なら汗を洗い流さない症状は改善しないと思ったから。
しかし、入浴は何の役にも立たなかった。
皮膚の赤味は、身体の至るところに発生し、その面積は急速に拡大。
更には、痒みと熱をともないながら、ボコボコに腫れあがってきた。

夜にかけて、症状は更に深刻化。
赤腫は、熱と痒みをともないながら全身に拡大。
ほとんど全身がミミズ腫状態(模様は地図状)でボコボコ。
これと関係あるのかどうかわからなかったが、胸に痛みまででてきた。
ここまでくると、さすがに焦り始め、そのうち恐怖感すら覚えてきた

慌てた私は、似たような症状をスマホで検索。
すると、自分の症状と酷似した画像を発見。
それは、虫刺され中毒でも汗疹でもなく、“蕁麻疹(ジンマシン)”。
そして、
「原因不明のものも少なくない」
「同じような時間帯に再発することが多い」
「薬が効かないことがある」
「痒みに悩まされる」等々・・・
ネガティブな情報がたくさんでてきた。
呼吸が苦しくなったり口の中にまで異常がでたりするようなら、救急で病院に行った方がいいみたいだったが、まだ、そこまでの症状はなかったので自宅で様子をみることにした。

ただ、症状は深刻化の一途をたどった。
赤みと腫れは、ピリピリ・チクチクとした痒みを連れて、頭・顔・手平・足裏以外のほとんど全身に拡大。
我ながら、それが自分の身体とは思えないくらい悲惨な状態になってしまった。
そうして、皮膚の痒み・火照り・違和感とバトルを繰り返しながら、長い夜を過ごしたのだった。


幸い、朝になる頃には、7~8割くらいの症状が収束。
顔にも異常はなく(先天的な異常は除く)、私は、いつも通り仕事にでた。
そして、足に残っていた複雑模様の赤腫を同僚に見せながら、前夜の武勇伝(?)をハイテンションで話した。

しかし、峠を越えた安堵感を味わえたのも束の間のことだった。
昼頃になると、赤腫は再発生。
「同じような時間帯に再発生することが多い」とネットに書いてあった通り、首筋・股間・腕・胸等々、あちこちに出始めた。
そのうち、首筋にとどまっていた赤腫は顎にまで進出。
三枚目でも、顔だけは勘弁してほしかった私。
かなり焦り、仕事を早退して動揺とともに皮膚科へ急行したのだった。


病院の待合室。
Tシャツ短パン姿の私は、腕や脚を丸出し。
特に、両腕の症状は酷く、ボコボコに赤く腫れあがった
大人達は、「ジロジロ見るのは失礼」と心得ているのだが、子供達にそんな心遣いはない。
「何!?この人、気持ち悪ッ!」とばかり、私に好奇の視線を送ってきた。
人にうつるようなものではないはずなのだが、客観的に見れば、気持ち悪いのも事実。
私は、患部を隠すように腕組をして、誰とも視線を合わせないようにうつむき加減で自分の番がくるのを待った。

診断は、やはり蕁麻疹。
食べ物や接触物、アレルギー等の持病を中心に問診が繰り返されたが、前日も当日も普段と変わらないものを食べ、普段と変わらない生活しており、原因は特定できず。
私自身も、原因について、まったく心当たりなし。
思い当たるのは、せいぜい、現場で触れた草樹やまとわりついてきた虫くらい。
しかし、症状からすると、それとの因果関係はほとんどなさそう。
結局、「ストレス・疲労で、身体がSОS信号をだしているのでは?」ということになり、三種の飲み薬と一種の塗薬が処方され、診察は終わった。

幸いだったのは、発症部位が前日より少なく、変異面積が前日より小さかったこと。
その分、精神的な負荷も軽かった。
しかし、いいことばかりでもなかった。
前日はでなかったのに、症状が手平や足裏にまで発生したのだ。
他のところの痒さは何とか我慢できたものの、手平と足裏の痒みというのは、他の部位とは別格!
チリチリとした独特の痒みで、私くらいの精神力ではとても太刀打ちできず。
早々と降参し、ヤケクソ気味に掻きむしってしまった。

それでも、薬が効いたのか、たまたまなのか、その日の夕方から少しずつ症状は治まっていった。
前夜のような惨状になることもなく、就寝する頃には、ほとんど消えていた。
精神的に追い込まれていた私は、そのことがかなり嬉しくて、何もないのに上機嫌になり、前夜の睡眠不足も手伝って二日目の夜はよく眠れたのだった。


ちなみに、それ以降、大きな蕁麻疹は発症していない。
ただ、左脇腹を中心に怪しい赤斑はいくつかあり、脇下などに小さいものが出たり消えたりしている。
幸い、今現在は、それはそのまま大人しくしてくれているけど、重症化すると、斑点が面に広がり、それが赤く腫れあがってくる。
原因不明にあって油断はできない。
だから、もう薬は常用していないけど、携行はしている。
あの時の恐怖感は、まだまだ脳裏に残っているから。

とは言え、それだけではなく、学ばされたこともある。
ありきたりだけど、特に感じたのは健康の大切さとありがたさ。
昨年の夏、熱中症(?)になったとき、今年の冬、インフルエンザにかかったときにも感じたことだが、今回あらためて痛感した。
そして、好奇の視線を送られる人の気持ち。
仕事柄、好奇の視線はイヤというほど浴びてきた。
だから、その類の不快感や悲哀は知っているつもりでいた。
しかし、今回、感じたのはそれとは種を異にし、言葉の使い方を間違っているかもしれないけど“新鮮”なもので、以後、忘れてはいけないと思わせるようなものだった。


病院で渡された小冊子に、こう書いてある。
「蕁麻疹は原因不明のことが多く、原因を特定できないことも少なくない」
「疲労やストレスが原因になることがある」
そして、対策としてこう書いてある。
「ストレスをためない」
「リラックスして規則正しい生活を心がける」
「疲労・睡眠不足は避ける」

ん~・・・正直、どうすればいいのかわからない。
そもそも、「ストレス」って何? 「疲労」って何?
「リラックス」ってどうやってするの? どうやったらできるの?

常日頃から、多くのことに不平・不満・不安を抱えている私は、ストレスとは切ってもきれない仲にあり、逆に、リラックスとは縁がない。
これを、どう整えればいいのか・・・
また、疲労といったって、精神疲労もあれば肉体疲労もある。
肉体疲労は、科学的・生物学的対処法で癒せるのかもしれないが、精神疲労は、そういうわけにいかない。
気分次第、気の持ちようで、疲れもするし、疲れをとることもできる。

「俺は疲れている・・・俺は疲れているんだ」
と、思い込むことはいくらでもできるし、
「だから、休まないとダメだ」
と、自分を甘やかすこともいくらでもできる。
しかし、自分を甘やかしていいことはない。
そうは言っても、ストイックになりすぎて、“自分イジメ”をしては元も子もない。
何事も適度なバランスが必要。
このバランスが、うまい具合にストレスを発散させ、抑えるのだろう。

禁酒もストレスになれば、飲みすぎもストレスになる。
週休肝三日くらいが、私にはちょうどいい。
運動不足もストレスになれば、運動過剰もストレスになる。
一日3~4kmのウォーキングが、私にはちょうどいい。
怠けすぎもストレスになれば、働きすぎもストレスになる。
週休三日くらいが、私にはちょうどいい?(願望)

しかし、仕事は選べない。
腐乱死体現場でも、自殺現場でも、殺人現場でも、動物死骸でも、ゴミ部屋でも、糞尿トイレでも、大きなストレスがかかろうが、疲労困憊に陥ろうが、自分が取捨選択できるわけでもなければ、避けて通れるわけでもない。
この仕事に従事し、この仕事で生活している以上は、やりたくなくてもやらなければならないのだ。
ただ、それは、この仕事に限ったことではない。
程度にこそ差はあるだろうけど、私の仕事に限らず、ほとんどの仕事が同じだと思う。

ストレスの原因を掘り下げてみると、やはり仕事が第一のように思われる。
が、その元凶は、自分の怠惰性・不甲斐なさ・だらしなさ等だったりする。
不平を謙虚さで、不満を感謝の念で 不安を勇気で覆せない自分の弱い心だったりする。
そして、そんな自分の弱さと戦えない自分だったりして、単なる思い込みや自己洗脳では決着がつけることができないものだったりする。

どちらにしろ、それらが生みだすストレスや疲労は小さくはない。
これとどう対峙し、どう片付けていくか・・・苦悩は尽きない・・・
時に心を掻きむしり、時に心を掻きむしられるような思いに苛まれることを繰り返している。
何かの因果か悲しい性か、私という人間の心には、ストレス・疲労が大きくなるようなことばかりが湧いてしまう。
その症状は、一向によくならず、ここまでくると愚を通り越して滑稽なくらいである。

それでも私は、探したい・・・
自分の蕁麻心を治す薬を。
一時の人生を必死実直に生きることによって煎じられる、その薬を探し続けたい。

金も能も地位もない、小さく弱い人間だけど、せっかくの人生、せっかくの自分。
そうして生きてきたことを、こうして生きていることを、他の誰にでもなく自分自身に証したいのである。


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おもいやり

2016-08-09 08:52:14 | 特殊清掃 消臭消毒
出向いた現場は、“超”をつけてもいいくらいの老朽アパート。
その一室で、高齢の住人が孤独死。
死後、約一週間
夏も盛りを越えていたが残暑厳しく、遺体は重度に腐乱。
外部に異臭が漏れ出し、また、窓に無数のハエがたかり、事が明るみになった。

玄関前に立つと、私の鼻は早々と異臭を関知。
中が相当なことになっていることを想像しながら、私は、鍵を挿入。
ドアを開けると、それまでのものより数ランク上の異臭と熱気が噴出。
中が相当なことになっていることを更に想像しながら、私は、室内に足を踏み入れた。

間取りは2DK。
昔よくあった造りで、玄関を入るとすぐに小さな台所があり、その奥の左右に和室が二部屋。
遺体痕は、左側の和室の布団にあり、クッキリとした黒色の人型を形成。
その周囲には大量のウジが湧いており、それらが次々と無数のハエとなって羽化。
部屋に入ってきた私に反応して、騒々しいくらいの羽音を立てながら縦横無尽に飛び始めた。

部屋にある家財は少なめ。
故人は、几帳面な性格できれい好きだったと思われ、整理整頓・清掃は行き届いていた。
しかし、そこは重度の腐乱死体現場。
その痕は、生前の整理整頓も行き届いた清掃も、すべてを台なしにしていた。

特掃検分を依頼してきたのは、故人の娘。
見たところ私と同年代、または少し若いくらいの女性で、緊張の面持ちながら、キチンとした言葉づかいと落ち着いた物腰。
女性は、故人のアパートの賃貸借契約の保証人にもなっており、仮に道義的なことが除けたとしても、法的には、ある程度の責任を負わなければならない立場にあった。
ただ、女性は、道義的な責任も充分に感じ、相応の責任を負う覚悟も持っており、私に好印象を与えた。
また、部屋を原状回復させるには、それなりの内装改修工事を要することも察しており、かかる費用が大きなものになることも想像できているようだった。

故人が、このアパートに暮らしたのは数年。
数年前までは息子(女性の兄)と同居していたのだが、嫁と折り合いが悪く、その家を出た。
そして、女性宅からさほど遠くなく、しかも家賃が安いということで、このアパートに移り住んだ。

生活の糧は、現役の頃にコツコツ掛けてきた年金。
限られた収入の中での節約生活。
それでも、好きな酒を飲んだり、趣味の釣りに出かけたり、たまに孫に会いに来ては小遣いを渡したりと、分相応の楽しみをもって暮していた。
が、そんな平穏な日々は、何の前ぶれもなく突然に、本人の意を介することなく、ひっそりと終わりを告げたのだった。

「自分達はきれいな家に住んで、父だけこんなところで生活させて・・・」
「しかも、一人で死なせてしまって・・・」
「本当に・・・親不孝ですね・・・」
多額の費用がかかっても、女性は、責任をもって償うつもりだった。
その姿は、“大家に対して償う”というより故人に対して何かを償おうとしているようにも見えた。

しかし、このアパート、だいぶ古びているし、共用部の清掃やメンテナンス等、日常の維持管理業務もキチンと行われていない感じ。
更には、他に空部屋もあるよう。
私は、
「一人の生活のほうが気楽ってこともありますから・・・」
「人が死ぬことも、肉体が腐敗するのもフツーのことで、世間が思うほど特別なことじゃありませんよ・・・」
「勝手に算段しないで、とりあえず、大家さんと相談されたほうがいいと思いますよ」
と沈む女性をフォロー。
そして、
「作業内容にも関わるので、私も大家さんの考えを聞きたいですし・・・」
と、女性の誠実さに勇気をもらったような気がした私は、暗に、大家との折衝に助太刀するつもりがある旨を示した。


一口に「大家」と言っても、色んなタイプの人がいる。
資産家でも強欲で冷たい人もいれば、金持ちじゃなくても大らかで優しい人もいる。
部屋の原状回復責任はもちろん、減額分の家賃を将来に渡って遺族に補償させる大家もいれば、必要最小限の処理で了承する大家もいる。
ただ、どちらにしろ、遺族の立場ではなかなか抗弁しにくいものがある。
特定の誰かが悪いわけではないのだけど、人々の目には、孤独死腐乱は、どうしたって故人(遺族側)に落度があるように見えてしまうから。
また、遺族も、後ろめたさや罪悪感のようなものを抱いてしまうから。

ただ、遺族も、そんな人達ばかりではない。
手間や費用を負担するのがイヤで、一切関知しない遺族もいる。
法的にも道義的にも社会通念上も責任を負わなくて済む立場にあれば、それもゆるされるだろうけど、法的義務や道義的責任があろうが、そんなのお構いなしに放置する人達がいる。
「ない袖は振れない」「裁判でも何でもすきにすればいい」と開き直るならまだしも、極端な場合、貴重品類だけ持ち出して、「あとは知らない」と無視を決め込む人達もいるのだ。

したがって、“大家vs遺族”、バトルになるケースも少なくない。
そして、仕事柄、それに巻き込まれることも少なくない。
互いに利己主義をぶつけ合う、そんな殺伐とした人間関係を目の当たりにすると、何とも寂しいような寒々しさを感じる。
そして、第三者ながら、不快感や憤りを覚えることもある。
ただ、どちらの味方をするかは、その時々の状況と立ち位置で変わる。
この仕事も一応は“客商売”なので、ほとんどの場合、“客”の味方をすることになる。
大家が客の場合は大家の味方、遺族が客の場合は遺族の味方をするわけ。
判断基準は、“正義”ではなく“金”というのが悩ましいところ。
ただ、これが現実、これも現実。
幸いなのは、それが不本意なものになることが少ないこと。
大方の人が“珍業の達人”(?)として一目置いてくれ、私の意見を尊重してくれ、結果的に、正義に大きく反することを強いられるハメにはならないことが多いのである。


その日の夜、私は、大家に電話を入れた。
大家の声から想像できる年齢は私と同年代・・・または少し上くらいの男性。
言葉遣いは礼儀正しく丁寧で、ゆったりした口調。
今回の件について目くじらを立てているような様子はなく、まずは好印象。
とはいえ、それだけで“大家のタイプ”が見極められるわけではない。
私は、最初から核心(汚染状況)には触れず、部屋の概況と原状回復に必要なプロセスを説明。
男性が抱く先入観がマイナス方向に働いてはいけないので、グロテスクな表現は極力避け、ネガティブな場面はソフトに表現し、一通りの説明を終えた。
そして、遺族(女性)は、責任をとる覚悟をもった誠実な人物であることを念押しした上で男性の見解を尋ねた。

このアパートを建てたのは男性の親。
だから、厳密に言うと男性は大家ではなく“大家代理”。
真の大家は、老齢で病床にあり身動きがとれないため、息子である男性が代理で必要業務を担っているとのこと。
また、大家は、他にも何棟かアパートを所有しているそうで、結構な資産家であることを匂わせた。
が、団扇を左で扇げたのは、遠い昔のこと。
今は、どのアパートも老朽化が激しく、空室も少なくなく、更に、建物管理費・修繕費・固定資産税などを差し引くと利益はほとんどなし。
家賃収入が極端に落ち込むようなときや、修繕費が想定外にかさんだときは、トータルの損益がマイナスになることもあるようだった。

そんな状況で、男性は、アパート経営にはかなり消極的。
自分はサラリーマンとして生計を立てているし、人口(賃借人)が減少している時勢において、借金して建て直すのもハイリスクだし、日々における維持管理の負担も重い。
本当のところは、旨味のないアパート経営なんてさっさとやめて身軽になりたいよう。
しかし、もともとは、親が夢を持って始めたアパート経営。
当初は、多額の借金もして苦労したわけで、そんな親が生きているうちにアパート経営をやめることは親の意思にも義理にも反する。
どちらにしろ、親が亡くなったときは、相続税支払いのために売ることになるわけで、それまでは、何とか頑張って現状を維持するつもりでいるようだった。

「父も、もう長くなさそうですし・・・最後の親孝行ですよ」
と、男性は気恥ずかしげに笑った。
そして、
「こんなボロアパート、なおしたところで誰も入らないですよ・・・」
「そもそも、空いている部屋が他にあるわけですし・・・」
「御遺族も、こんなことになって大変な思いをされているでしょうし、家財の処分と近隣に迷惑がかからないくらいの消臭消毒をしてもらえれば、あとはそのまま放ってもらって構いませんから」
と、客観的な判断にもとづいた寛容は考えを示してくれた。

男性が、強欲冷酷なタイプでなく、また、こじれる可能性も充分にあった懸案が予想以上にスムーズに解けて、私はホッとした。
と同時に、そういう人の存在を嬉しくも思った。


男性も女性も、それぞれにそれぞれの親を想っていた。
それは、例え小さくても、人にあたたかいものを抱かせる。
思いやられる側の人だけではなく、思いやる側の人にも。
そして、それは、天の恵雨が地に浸み広がるように、当事者を越えて多くの人々の心に沁み渡っていく。
男性の親を想う気持ちが間接的に女性を助けたように、女性の親を想う気持ちが間接的に男性の寛容さを後押ししたように。
そして、二人の思いやりが、汚仕事に汗する私を励ましたように。

これも、人が人と交わり、人が人と生きることの醍醐味なのだろう・・・
そして、人が人であるための大切な意味なのだろう・・・
常日頃、「一人が気楽」とイキがっている冷淡薄情な私でも、少しはそのことがわかった。
そして、“自分本位の感傷”と知りつつも、上の方から、故人が男性と女性にペコリと頭を下げて笑いかけているように思えて、臭く汚れた顔の右半分に小さな笑みを浮かべたのだった。



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2016-08-01 08:09:39 | 特殊清掃
今日から八月、盛夏。
前回、「梅雨明けはいつ?」なんて余裕こいたこと言っていたら、その翌日、さっさと梅雨は明け、猛暑・酷暑の時季がスタート。
ただでさえ、日々、色んなものと戦わなければならないのに、これから更に“暑”を相手に戦わなければならないわけ。
で、不快指数は急上昇。
ちょっと動いただけで、身体は汗まみれ脂まみれ。
お陰で、些細なことでイライラしてしまう。

この暑さは、結構、厄介。
やはり、気温が高いと肉は腐りやすく、現場が凄惨なものになりやすい。
肉体は腐敗ガスを含んでスポンジのようになり、それがどんどん膨張していく。
想像しにくいと思うけど、生前の2倍・3倍に膨れ上がる。
そして、体表(側面が多い)の各所には水疱が現れ、その中には腐敗ガスとともに黄・赤・茶、時には緑色の腐敗体液がたまる。
そのうち、肉は固体の維持力を失い、著しい悪臭を放ちながら溶解を始める・・・髪、爪、骨などの固形物を残し、液状化していくのである。

そうなるのは、長期放置の遺体ばかりではない。
敗血症の遺体の場合、極めて短時間でこの症状が現れる。
前夜には眠っているようにしか見えなかった故人が、翌朝になると、まるで別人のようになっていたということは珍しくなく、家族でさえ遺体に恐怖心を抱く人もいる。

私も、これまで、何度となく腐敗の進んだ遺体を柩に納めてきた。
その作業は、かなりキツいものがある。
特殊清掃の相手は、髪、爪、歯、皮膚、骨、血、脂、体液、溶肉、あっても小骨や耳くらい。
そういった“部品”が相手。
しかし、遺体処置業務の場合は、遺体本体が相手。
変容著しいとはいえ人間のかたちをしており、特殊清掃とは次元を異にした過酷さがある。


呼ばれた現場は、街中に建つ古いマンション。
依頼者は、故人の息子(以後、遺族男性)。
約束の日時、1Fエントランスで待ち合わせた我々は、周囲に目立たないよう小声で短く挨拶。
それから、私は遺族男性に、遺体発見の経緯や部屋の状況を訊ねた。

亡くなったのは老年の男性(遺族男性の父親)。
死後数日が経過して後の発見。
ただ、季節は真冬。
暖房がついていると夏場に近い感じの変容が起こる可能性が高かったが、不幸中の幸いで、部屋の暖房を切られた状態。
低温乾燥の影響だろう、死後数日が経過していても特段の腐敗は進行せず。
変容と言えば、肌の色がわずかに黒ずんでいたことくらいだった。

したがって、検分に入った部屋にも違和感はなし。
一般的な生活臭や、どこの家にもある固有臭は感じられたけど、いわゆる腐乱死体臭も感じず。
亡くなっていたのは寝室のベッドだったが、そこに汚染痕もなし。
ウジ・ハエの発生もなく、事前情報以外に人の死を知らせるものは何もなかった。

ところが、遺族男性は、
「隣の人から苦情がきてまして・・・」
という。
そして、
「苦情???」
と、首を傾げる私に、
「後で、そちらに、室内の状況と作業の説明をしに行ってもらえますか?」
「第三者の客観的な意見だったら、聞いてもらえるかもしれないので・・・」
と、何やら事情ありげなことを言ってきた。

怪訝に思いながら、我々は、高齢の男性が一人で暮している隣の部屋を訪問。
遺族がインターフォンを鳴らすと、中から住人の男性(以後、隣室男性)がでてきた。
隣室男性は憮然とした表情で、
「換気扇・換気口・排水口は全部ふさげ!」
「窓・ドアは眼張りしろ!」
「玄関を開けるときは、事前にその日時を知らせて許可をとれ!」
「作業内容を事前に説明し、許可をとれ!」
「エレベーターは使うな!階段を使え!」
「室内で着ていた作業服で外へ出るな!」
等と、こちらの説明には聞く耳も持たず、一方的に注文をつけてきた。

故人の部屋からは異臭がでているわけでもなければ、害虫がでているわけでもなし。
したがって、周囲に目に見える実害はなし。
ただ、「亡くなって数日の間、その身体が部屋にあった」というだけのこと。
にも関わらず、隣室男性は大騒ぎ。
その態度に、「何様のつもりだ?」と、私の不快指数は急上昇。
故人にどれほどの落ち度があって、また、隣室男性にどれほどの権利があってそんな命令をするのか、到底、納得できるものではなかった。

それでも、遺族男性は、隣室男性に対して平身低頭。
「隣の部屋で死んでたわけですから・・・」
「イヤな思いをさせてしまったのは事実ですから・・・」
と、謙虚に隣室男性の文句を聞き、ひたすら頭を下げていた。
また、その様は、発見まで時間がかかったことに対し、故人に頭を下げている姿にも見え、遺族男性のただならぬ心痛が察せられた。

それからも、隣室男性からのクレームや注文は頻発した。
私は、元来、気の弱い臆病者ではあるけど、そんな私でもそれに対して内々でキレまくっていた。
しかし、矢面に立たされてもジッと辛抱している遺族男性を前に表立ってキレるわけにはいかない。
結果、遺族男性に迷惑がかからぬよう、私も辛抱に辛抱を重ねながら仕事を進めていった。

それから後のある日、必要ではなかった消臭消毒作業をあえて行い、家財の荷造梱包を終わらせた段階で、家財の搬出作業についての許可を得るべく、管理会社と管理組合に申請した。
ただ、双方とも作業は了承してくれたものの“隣室男性とは関わりたくない”といった物腰で
「隣と揉めないように気をつけて下さい」
「あの人、こっちにも苦情を入れてくるので・・・」
と、揉め事に巻き込まれるのを嫌って、我々と距離を空けてきた。
ただ、私と遺族男性は、それはそれで仕方がないものと割り切り、次に、家財搬出の件を伝えるため、足取り重く隣室男性宅を訪れた。

出てきた隣室男性は、相変わらず憮然とし、横柄な態度。
家財搬出の日時と、その際は玄関ドアを開けたまま作業させてほしい旨を伝えると、
「ダメ!ダメ!」
と、あっさり却下。
更に、
「少しは、人の迷惑も考えなよ!」
と、人を見下すように鼻で笑った。

人間の堪忍袋の尾の耐久力は、人それぞれ。
遺族男性の尾は、かなり強い方だった。
しかし、隣室男性の度を超した言い草に、とうとう、その尾はプチッと切れた。
「迷惑」という言葉と鼻で笑った隣室男性の態度が、遺族男性の逆鱗に触れたようだった。

「迷惑!? 迷惑って何ですか!!」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ!!」
と、それまでの温和な顔を鬼の形相に豹変させ、遺族男性は、いきなり怒鳴り始めた。
そして、
「父はそんなに悪いことをしたんですか!?」
「自分の家で亡くなるのが、そんなに悪いことですか!?」
「アナタの身内は誰も亡くなっていないんですか!?」
「アナタは死なないんですか!?」
と大爆発!
相当に鬱憤がたまっていたようで、敬語が敬語に聞えないくらいの勢いで、隣室男性に言弾を撃ちまくった。

その場にいた私は、胸のすくような思いがしたものの、それに対して罪悪感・羞恥心みたいなものを感じなくもなかった。
ただ、とりあえず、何かのときには男性の援護射撃をするつもりで言弾は用意した。
が、結局、その出番はなし。
怒ることには慣れていても、怒られることには慣れていないのか、隣室男性は驚きの表情を浮かべて沈黙。
何か言い返したようだったが、遺族男性のパワーに圧倒されて声も出ないよう。
動揺も露にシドロモドロ、モゴモゴと口ごもるばかり。
結局、
「う・・・う・・・うるさい!」
と一言吠えただけで玄関を閉めてしまった。


幸いなことに、その後、二度と隣室男性の顔を見ることはなかった。
ただ、振り返ると、隣室男性の心を怒らせたのは“死”だったのかもしれないと思う。
高齢独居の隣室男性にとって、隣人の孤独死は他人事では済まされなかったのかもしれない。
そして、あれは、死を嫌悪し、死を恐れるあまりの態度だったのかもしれない。
激高した遺族男性も然り。
父親を一人で死なせ、また、すぐに気づけなかったことで湧いてきた後悔や罪悪感のようなものが、感情を極端に激させたのかもしれなかった。
そう思うと、あの仕事の時々で隣室男性に対して抱いた不快感も少しは中和されるような気がするし、怒りを抑えることができなかった遺族男性の心の痛みも少しはわかるような気がする。
私も、死を前にし、死に悩み、死を避けられない ただの人間だから。

とにもかくにも、“怒”というヤツは面白いもの。
感情の中でも特に“怒”は、自分でコントロールすることが難しい。
そして、まるで別人格のように人を変え、また、普段にはないパワーを発揮させる。
しかし、それがプラスに働くことは少ないような気がする。
制御可能な怒りならまだしも、制御不能の怒りは自分に災いをもたらす。
多くは、時に自分を見失わせ、時に取り返しのつかないことを引き起こす。

怒りを鎮めるのは理性良心の中にある寛容さ、冷静さ、謙虚さ、そして、忍耐力。
では、それらを育むのは何か。
それは、“自己愛”・・・多くの人が持っている、“自分のため”という自分を大切に想う気持ち。
大局的にみて、長期的にみて、それが自分のためになるかどうか考えれば、自ずと答は現れる。
そして、その答に従えばいいのである。

なんて、偉そうなことを言いながら・・・
友達でもないのに年下の人間にタメ口をきかれたとき、
渋滞で自車の前に割り込ませてやった車がハザードランプを点滅させないとき、
レジで、手を触ろうとしていると思われたくなくて掌を平にしているにも関わらず、女性店員に釣銭を落とすように渡されたとき、
等々・・・
つまらないことにムッとして余計なストレスを抱えてしまう、歳の割に未熟な私である。


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2016-07-27 08:57:02 | 特殊清掃 消臭消毒
今年の梅雨明けはいつになるのか・・・
このままだと「○日に梅雨は明けていた」といった過去形の宣言になるのではないだろうか。

このところ、関東は曇天が多く、過ごしやすい日が続いている。
朝晩は涼しさが感じられ、このまま秋になるんじゃないかと錯覚するくらい。
陽が照らないと困る人もいるのだろうけど、私個人としては、この涼は歓迎できる。
日中はムシムシするけど、カンカン照りに比べたらマシ。かなり。
猛暑に比べたら、身体が随分と楽だからである。

しかし、残念ながら、それも束の間のことだろう。
暑さの本番はすぐにやってくる。
そんな中での現場作業は、ホントにキツい!!
暑い中、多くの人が頑張っているのだから、愚痴ばかり言ってはいられないけど、ホントにツラい!
汗は滝のように流れるし、心臓もバクバクしてくる。
目眩を起こしそうな、危険な状況になることもある。

昨年の今頃も、私は著しく体調を崩した。
夕飯を食べた直後から吐気をもよおし、夜通しそれに苦しんで、何度か嘔吐。
翌日も体調は回復せず、吐気と倦怠感に襲われ続けた。
それでも仕事の約束を違えるのは憚(はばか)られ、身体を引きずるように現場へ。
フラフラの状態で、何度も座り込みながら汚仕事に従事したのを憶えている。

病院に行ってないから、あれが熱中症だったのかどうかわからないけど、油断は大敵。
常日頃から注意が必要。
こまめな水分補給はもちろん、作業を急く気を抑えてチャンと休憩をとる必要もある。
また、食事も三食バランスよくしっかりとり、夜もゆっくり休養することが大切。
酒を飲み過ぎないこともそう。

そうは言っても、この時季は、一段と酒が美味い。
一本目、350mlの缶ビールなんて、1分ともたない。
二息半くらいで飲み干してしまう。
そして、それを皮切りに、ハイボール、缶チューハイと立て続けに喉に流し込んでいく。
自分と約束した週休肝二日(実際は三日)を堅持している分、一晩の酒量が増えてしまっているが、これも庶民のささやかな幸せ。
健康と翌日の仕事に気を配りつつ楽しみたい。

健康管理の術は、減酒だけではなく体重管理もある。
一昨年の秋から冬にかけて、私は、標準体重を目標に数kgダイエット。
それから今日に至るまでリバウンドに気をつけながら、体重を維持している。
結果的に、このダイエットは正解だった。
たった6~7kgの減量だけど、身体が軽いと動いて楽。
特に、現場作業では、その効果が覿面(てきめん)に表れる。
疲れはするけど、テキパキと身軽に動くことができるのである。
体重を増やさないためには“食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲む”なんてことはもちろん、“時間が空けば、とにかくダラダラ・ゴロゴロ”なんてことはできないけど、結局のところ、小さな自制が自分を大きく助けてくれている。

ただ、留意しなければならないこともある。
体重は標準でも体脂肪率が高くてはどうしようもない。
体重だけでなく体脂肪率も適正値にしなければ意味がない。
そう・・・“隠れ肥満”にならないようにしなければならないのだ。
しかし、私は、その辺の意識に欠けていた。
だから、手法は食事制限のみ。
「運動で消費できるカロリーなんて、たかが知れている」と、運動には一切注力せず過ごし、体重減だけで満足していた。

そんな中で、昨年秋からはじめたウォーキング。
運動不足解消や体脂肪率減少が目的で始めたことではなく、第一の目的は、気晴らし・気分転換・日光浴。
冬に向かって欝っぽくなっていく自分がイヤで、できる努力はしようと思い立ったのだ。
結果的に、それが運動不足解消や体脂肪率減少の一助になり、まさに一石三鳥となった。

ただ、このところは、股関節を傷めたこともあり、現場も忙しくなってきたため、毎日のようには歩けなくなっている。
「一日一万歩が理想」とも言われるけど、無意識のうちに、なかなかそこまで歩けるものではない。
そうなると、日常生活や仕事上で動き回って歩を重ねるしかない。
ただ、難なのは、自分の怠け心、だらしなさ。
コイツが、私の邪魔をする。
何事も面倒臭がるコイツをいかに始末するか、これが難題なのである。


「異臭が漏れて近隣から苦情がきている」
「できるだけ急いで来てほしい!」
不動産管理会社から連絡が入った。
他の現場で作業をしていた私は、急務ではなかったそれを途中で切り上げ、依頼の現場へ急行した。

訪れたのは、街中に建つ小規模マンション。
全戸、ワンルームタイプで、学生や独身者向けの建物。
問題の部屋は、その上階。
エレベーターを降りると、すぐに覚えのあるニオイが私の鼻をくぐってきた。
そして、部屋に近づくにつれ、異臭の濃度はどんどんと高くなっていった。

とりあえず、近隣の異臭騒ぎを収めるのが、求められた私の役目。
そのためには、とりあえず、室内の遺体痕を処理するのが先決。
しかし、権利者(相続人・遺族など)の許可なくして立ち入るのはリスキー。
したがって、室内の処理は権利者に確認した上で行うことになり、管理会社は鍵を持ってはいたものの開錠まではせず。
私は、共用廊下に消臭剤と消毒剤を撒いて、ドアの隙間や換気口をテープで塞ぎ、その場を収めた。

数日後、「遺族から立ち入りの許可がもらえた」とのことで、私は再び現場に呼ばれた。
「遺族」というのは、故人と何年も前に別れた元妻と子。
ただ、別れて以降は絶縁状態で、故人との付き合いは一切なかったよう。
だから、よくよく聞くと、遺族は“立ち入りを許可した”のではなく「関知しない」「すきなようにしていい」と放任しただけ。
「知らぬ、存ぜぬ」と、血縁によってふりかかりそうになった火の粉を避けただけだった。

亡くなったのは初老の男性、生活保護受給者。
故人の部屋は、いわゆる“ゴミ部屋”。
「山積み」という程ではなかったものの、床はゴミに覆われほとんど見えておらず。
また、掃除らしい掃除は一切していなかったようで、風呂はカビと水垢だらけ、トイレは糞尿まみれ、台所流台のステンレスも厚みを感じさせるくらいの汚れが付着。
体調を崩していたが故にそうなったのか、部屋には何種類もの薬が散乱。
それでも酒の瓶缶がたくさん転がっており、結構、荒んだ生活をしていたことがうかがえた。

遺体汚染痕は、ベッドの布団に一部、その脇の床に一部残留。
私には、ベッドに座った状態で、そのまま横に倒れたと思われ、布団には上半身の型が浮き出ていた。
ただ、その布団は、まるで雑巾のようで、遺体痕があってもなくても大差ないくらいボロボロ。
また、その下の床もゴミだらけで、腐敗液が広がっていたものの、それがあってもなくても大差ないくらい酷い有様だった。

凄まじく汚らしい光景だったけど、私にとっては驚くほどのものではなし。
私は、とりあえず、腐敗液が浸みた布団をウジごとたたんでビニール袋へ。
そして、それを、ニオイが漏れないよう何重にも固く梱包。
それから、遺体搬出時に警察が放り投げたと思われる掛布団も拾い上げ、汚れていることを確認して同じように梱包した。

次は床。
先に片付けた布団は、汚れてない部分を選んで掴むことができ、手を汚さなくても済んだが、ここはそういうわけにはいかない。
腐敗液は大量のゴミに絡みついており、ゴミごと処理するより術はなし。
私は、腐敗液でヌルヌルになったゴミを掴んでゴミ袋に詰めていった。

汚物を始末したら、今度は掃除。
ベッドに着いた腐敗液、床に広がった腐敗液、その下に凝固した腐敗粘度、それらを拭き取り、削り取っていく作業。
床にしゃがみ込んで黙々と行う地味な作業で、頭に湧いたことが否応なく巡っていった。

そこは、物理的にも心的にも凄惨な腐乱死体現場・・・
その痕を始末することによって生きている私。
人生を終えた故人と、人生の只中にいる自分を頭の演壇に上げ、働けることのありがたさ、仕事があることの嬉しさ、汚仕事のツラさ、珍業の惨めさ等々、私は、そういった心情をグルグルと回しながら、同時に、元肉体で汚れる手に自分の強さではない他の何かの強さを感じながら作業を進めていった。


故人は、どんな人生を歩いてきたのか・・・
若いときは元妻と恋愛し、好きで結婚したのだろう。
そして、望んで子を授かったのだろうし、幸せな家庭を築いたことだろう。
しかし、故人は、そこからは想像もできない晩年を迎えた・・・
妻子と絶縁状態になったのには、相応の経緯と理由があったのだろう。
荒れた生活をしていたのにも、相応の原因があったのだろう。
健康を失い、仕事も金もなく、そして夢も希望もなく、一日一日をただただ生きていたのか・・・
「侘(わび)しい晩年だった」なんて、他人が浅はかに決めつけてはいけないけど、どう見ても幸せに暮らしていたようには思えなかった。

私は、故人が生活保護費で酒を飲んでいたことに引っかかりも覚えたし、他人の迷惑も省みず部屋を著しく汚損させなかったことに違和感も覚えた。
ただ、これもまた、一人の人間の歩み。
終わってしまった人生に負の足を踏み入れても益はない。
私は、故人のためではなく自分のために、正の足をもって心を運動させ、自分なりにそれを鍛えようと努力した。


人それぞれに人生の歩みがある。
進む速さは皆同じながらも、長さと道は皆違う。
人が羨むような道もある。
逆に、人が嫌悪し蔑む道もある。
望む道だけではなく、望まぬ道を歩かなければならないときもある。
私自身、望むような道とは程遠い道を歩いている。
やりたくない仕事をやり、行きたくない現場に向かい、
逃げたいのに逃げられず、楽したいのに楽できず、
泣きたいのに泣けず、笑いたいのに笑えず、
「いつまでもこんなことやってたらマズい」と憂う自分と、「この道を究めるしかないのか・・・」と諦める自分の狭間で、頭を抱えている。
ただ、どんなに嘆いても、後戻りはできない。
どんなに肉体や精神を鍛えようが、気力を振り絞って念じようが、若返ることはできない。
間違いなく、歩は進み、月日は過ぎ去っているのである。

ならば、楽な方ではなく楽しめる方へ、逃げる方ではなく挑む方へ、下の方ではなく上の方へ歩きたいもの。
こうして悩んでいるうちに、いつの間にか終わってしまうのが人生かもしれないけど、尽きない不平・不満・不安を、限りない感謝・喜び・希望に変えて歩いていきたいものである。
この歩・・・この一歩一歩そのものが、輝ける唯一生なのだから。


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追憶の影

2016-07-06 07:56:51 | 特殊清掃
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は老年の男性。
「自宅の一部屋に家族の遺品がまとめてあるので、それを片付けてほしい」
とのこと。
私は、例によって、事前の現地調査が必要であることを説明し、その日時を約した。

訪れた現場は、古びた感のある一般的な一軒家。
約束の時間の五分前に家の前に車をとめると、その音を聞きつけてだろう、インターフォンを押す前に家の中から一人の男性がでてきた。
「こんにちは」
「お待ちしてました」
お互い、お互いのことはすぐにわかったので、すぐに 視線を合わせて挨拶を交わした。

目的の部屋は、家の二階の一室。
玄関を通された私は、男性の後をついて二階へ。
そこは、普通の六畳間ながら、日常の生活で立ち入っているような生活感はなく、色々なモノが所狭しと並べられ、また積み重ねられ、様相はまるで物置。
段ボール箱に入った荷物も多く、引っ越してきたばかりの家で、荷解きする前の荷物を仮置きしているような光景だった。

部屋には、老年の女性がいた。
女性は、男性の妻で、小さな椅子に腰掛け、自宅に現れた見ず知らずの私には目もくれず、ただ宙を見つめていた。
その顔は無表情で弱々しく、私は、ちょっと異様な空気を感じたが、とりあえず笑顔をつくって
「お邪魔します」
と挨拶。
すると、女性は、うつろな視線を私に移し、椅子に座ったまま私にお辞儀をしてくれた。

女性が身体の健康を損ねていることは一目瞭然。
それだけではなく、精神を弱めていることも容易に察せられた。
ただ、そんな心情を態度に出すと男性が余計な気を使うと思い、私は、そんなことは気にも留めていないフリをして事務的に事をすすめた。

勉強机、本棚、ゲーム玩具、レコード、カセットテープ、ミニコンポ、雑誌書籍、辞典辞書、洋服etc・・・
部屋には色々なモノがあったが、どれもこれも、時代を感じさせる古びたモノばかり。
ただ、よく見ると、「家族」と言っても夫妻の親兄弟が使っていたモノではなさそう。
私は、荷物の持主が誰であるかということが気になってきて、黙って荷物を見分しながら、そのことについて考えを巡らせた。

思いついた“答”は、夫妻の子供。
置いてある品物を確認すればするほど、それが最も合理的な結論となった。
成人し独立した子が昔使っていたモノで、実家に放置したままにしている可能性はあったが、ただ、男性は最初に電話で話したとき、荷物を「遺品」と呼んでいた。
と言うことは、夫妻の子は、もう亡くなっているということになるわけで・・・
つまり、“夫妻は子に先立たれた親”ということになり、私は、礼儀のつもりで浮かべていた笑顔を消し、神妙な面持ちに変えていった。
そして、訊かれたくないことかもしれなかったので、私は余計なことを訊かず、黙々と見分を進めていった。

荷物は六畳一部屋分のみで、散らかっているわけでもなし。
現地作業は半日もあれば充分で、必要な作業内容もかかる費用もシンプルなものとなった私は、それを男性に説明し、男性は、それについて私にいくつかの質問をした。
そして、男性は、傍らでそのやりとりを聞いていた妻の同意を丁寧に確認したうえで、契約書にサインと押印をした。


作業日は、双方の都合を調整し、現地調査から一週間後のある日に決定していた。
しかし、作業日の前日になって、男性が電話をかけてきた。
用件は、作業中止の申し出。
日時の都合が悪くなっての延期とかではなく、作業(契約)そのもののキャンセルを依頼するものだった。

一旦結んだ契約が解除になるのは仕方がない。
予期せぬ事情が後から生じたり、気が変わったりするなんてことは珍しいことではない。
そうは言っても、一旦成立した契約をキャンセルされるのは、決して気分のいいものではない。
しかも、前日になってのキャンセルはマナー違反。
気分を悪くした私は、相応の理由、もしくは相応のキャンセル料がないと承諾したくなく、権利をもってその理由を訊ねた。

「妻が拒んでいるもので・・・」
男性の口から出たのは、身勝手にも思われる理由だった。
現地調査のときには、妻も荷物の片付けに同意したはずであり、その場にいた私も自分の目でそれを確認していた。
が、その直後、妻は翻意し、荷物を片付けることを拒否。
その抵抗は強く、男性が説得を試みても、頑として受け付けず。
結局、男性は、作業中止を判断せざるを得なくなったのだった。

とりあえずの理由を聞いた私だったが、それでも納得はできず。
「だったら、もっと早く言ってくれればいいのに・・・」
と、不満を覚え、その気持ちを口から吐き出しそうになった。
しかし、目くじらを立てるほどの実害を被ったわけではない。
また、男性は、礼をもって詫びてくれている。
連絡が間際になったのも、直前まで妻を説得し続けていたことによるものと推察できたし、私は、不満を爆発させるエネルギーを、頭を冷やすほうに向けた。

男性は、とにかく私に平謝り。
電話の向こうで平身低頭になっている姿が思い浮かぶくらい、何度も何度も詫びの言葉を口にした。
そして、事情を詳しく説明する責任があると思ったようで、今回の遺品処理にまつわる経緯を話し始めた。


夫妻は、子供を三人もうけた。
最初は女の子。
しかし、長女は生後間もなく先天性の病で死去。
次は男の子が生まれた。
が、長男も若くして病死。
三人目の子、次男がいたが、一人残っていた彼も、中年を迎えることなく病気で亡くなってしまった。
つまり、夫妻は、せっかく授かった三人の子供全員を亡くしていたのだった。

夫妻が味わった悲しみは、どれほどのものか・・・
襲ってきた喪失感と寂しさはどれほどのものか・・・
その悲哀は、辛酸の真味を知らない私が想像できるものではなく・・・
亡くした子の人数で親の悲嘆の大きさが計れるものではないはずだけど、経緯を聞いた私は自分の耳を疑いながら絶句。
電話の場合、相手の表情や態度が見えないから、私は、「話はちゃんと聞いてますよ」という意思の表れとして、相槌の代わりに小刻みに返事をしていたのだが、あまりの気の毒さに、その短い返事すら口にすることができなくなった。

三人の子を授かって、三人とも自分達(親)より先に死ぬなんて・・・
普段の行いが悪いせいか、何かの罰か、何かの祟りか・・・夫妻は、そんな風に考えたかもしれない。
私は、そんなところに理由はないと思うけど、自分達の子供が短命で人生を終わらなければならない理由、自分達が子供を奪われる理由を欲しただろう。
そして、それが、“運命”“宿命”“摂理”等・・・人の力ではどうすることもできない領域にあるものだと頭では理解しても、心底では納得することができず、悲しみを超えた強い憤りを覚えただろう。
それでも、前向きに生きようと、出口の見えないトンネルを夫妻は必死で歩いたものと思われた。

しかし、紆余曲折を経て、女性は鬱病を発症。
結構な重症で、通院と服薬だけではラチがあかず、一時は入院し療養。
症状が深刻な時期、男性は「後追い自殺するんじゃないか」と、女性を独りにしておくことが心配でならなかった。
そして、男性の口から具体的な話はでなかったけど、夫妻の過去に、男性が心配していたような良からぬ出来事が残ったことは、受話器から流れてくる空気が感じさせた。

そう・・・現地調査の日、私が部屋で見た品々は、三人の子の遺品。
夫妻は、その部屋には三人の子の遺品と想い出を大切にしまっていたのだった。
ただ、時間は人の心に関係なく流れていく。
「一周忌を過ぎたら片付けよう」と思っているうちに三回忌が過ぎ・・・そのうち、七回忌、十三回忌、十七回忌、そして、二十三回と、事あるごとに気持ちを固めながらも、結局、寂しさに負けて、それを延々と引きずってきた。
しかし、夫妻も齢には勝てず。
自分達の死も視野に入れて生きなければならない年齢になってきた。
そして、子供達の遺品を片付けることをようやく決意し、今回の件に至った次第だった。


男性は、思い出したくないはずの苦しい過去を話してくれた。
私は、そんな男性の心情に報いたいという気持ちもでてきたし、夫妻の悲哀と苦悩を想うと、ここは後腐れなく承諾するのが私の道だと思った。
だから、
「事情はよくわかりましたので・・・気になさらないで下さい」
と、男性には見えない顔を真摯にして、電話を終えたのだった。


“笑顔の想い出”は、人生の宝物。
今の自分にも笑顔をくれる。力をくれる。
では、“悲涙の想い出”はどうだろうか・・・
今の自分に笑顔をくれるだろうか・・・力をくれるだろうか・・・
苦しみを甦らせ、悲しみを煽るばかりではないだろうか・・・
そして、人生に影を落とすのではないだろうか・・・

また、人生には、色んなことがある。
色んなことに遭遇する。
嬉しいこと、楽しいことばかりではない。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことも多い。
乗り越えられそうにない壁にブチ当ることがある。
奈落の底が見える崖淵に立たされることもある。

それでも、人は生き、時間は流れる。
人には自分では如何ともし難い、無力さ、愚かさ、悲しさ、寂しさ、切なさがある中で、時間は人の苦悩を癒してくれ、人の精神を練ってくれる。


確かに、子供達の死は、夫妻の人生に暗い影を落としていた。
しかし、そこに光を当てるのもまた、亡くなった子供達の笑顔・・・
影があるから光があるのではなく、光があるから影がある・・・
そして、そこに“想い出”という名の希望があると、私は思うのである。


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追憶の光

2016-06-10 07:17:21 | 特殊清掃

「死後、約一ヵ月余」
「汚れ具合はわからないけど、ニオイが酷くて入れない」
「とりあえず、中に入れるようにして欲しい」

依頼者は中年の女性。
亡くなったのは女性の叔母、つまり女性は故人の姪。
現場は、故人所有の一戸建。
遺体の処理は終わっており、あとは、その痕を始末するのみ。
境を狭く隣接した家屋はなく、メンタル的な部分を除けば、近隣に迷惑はかかっていないよう。
そして、亡くなって一ヵ月余も経っていれば、慌てる領域は越えている。
私は、気持ちが落ちつかなそうな女性に慌てる必要はないことを伝え、当日の夕方まで時間をもらい、現地調査に出向く約束をした。

人に頼られたときの私は、素の性質に似合わずパワフルになる。
依頼者が困った状況に遭い、自分が役に立てそうな場合は尚更。
自己を顕示するようで話でみっともないだけかもしれないけど、決して奇特な性格でもなければ、隣人愛を持っているわけでもないのに何となく張り切ってしまうのだ。
そんな私は、日中の作業を手早く片付け、予定より早く約束の現場へ向かった。

到着したのは、のどかな風景に佇む、少し古ぼけた感のある木造二階建の一軒家。
女性は、私より先に来ており、家の前に車をとめて待機。
私の車に気づくとそそくさと車を降り、私の車を敷地内に誘導。
そして、イヤなことをやらせることに罪悪感を覚えたのか、車を降りた私に、どっちが客なのかわからないくらいペコペコと頭を下げてくれた。
一方、そんな女性の心情を気の毒に思った私は、平然と受け答えし、あえて場に合わない笑顔を浮かべ、暗に“ドンマイ”という意思を示した。

故人には夫も子もおらず、身内らしい身内は女性くらい。
だからか、故人は女性のことを娘のように可愛がってくれ、若い頃、実母を亡くした女性もまた故人を母親のように慕っていた。
そんな故人は、生前から「少しは財産を残すから、自分が死んだ後のことはよろしくね」といった趣旨のことを言っていた。
だから、女性は、その義理に報いるべく、一度は家に入ることを試みたよう。
しかし、玄関を開けた途端に噴出してきた猛烈な悪臭に阻まれ、それ以上 前進することが叶わず。
結局、一歩も足を踏み入れることなく、後退したのだった。

私にとっては“いつものニオイ”ながら、確かに、悪臭は強烈だった。
ただ、それは、玄関に近いところで亡くなっていたせいでもあった。
が、どちらにしろ、素人には耐え難いニオイ。
女性が中に入れないのも当然といえば当然。
私は、専用マスクを装着して、遺体痕まで歩を進めた。

一ヶ月余が経過しているわりには、遺体痕は生々しく残っていた。
身体の型もクッキリ残り、頭があった部分には大量の毛髪も残留。
ウジ・ハエの発生はとっくに峠を越えていたが、その代わり、蛹殻とハエ死骸が広範囲に渡って無数に転がっていた。

汚染レベルはミドル級。
私にとっては、さして大変な作業ではない。
作業をやる前から、頭の中で、その段取りを組み立てることができ、更に、スムーズに痕が消えていく画まで思い浮かべることができた。

私の場合、原則として、死体現場の特掃作業は一人でやる。一人のほうがやりやすい。
心細さや不気味さを覚えることはあるけど、そんなものは、作業を始めてしまえば消えてなくなる。
そして、亡くなった人のことを想いながら、
「どんな人生だったんだろうな・・・」
等と思いを巡らせることがある。
更に、
「どんな人生でしたか?」
と、心の中で、故人に向かって訊ねるようなことがある。
もちろん、答は返ってこない。
ただ、それを問うことで、偶然に思える必然の摂理が与えてくれようとしている何かを掴もうとするのである。
深い事情を知らなかった私は、ここでもそんな単純な思いを巡らせながら、汚物と化した元肉体の痕を人の跡へと昇華させていった。


それから何日か後。
特殊清掃・消臭消毒作業も無事に完了し、女性が遺品をチェックできる環境が整った。
が、初回のトラウマもあり、女性は、「一人で家に入るのは心細い」という。
結局、私も一緒に遺品確認を手伝うことになり、女性とともに家に入った。
そして、死後処理や相続手続に必要な書類等の取捨選択をアシストした。

主だった貴重品類は事前に警察が持ち出して保管していた。
そして、先に女性に手渡されていた。
その中には、財布やカード類が入った故人愛用のバッグもあった。
女性は、その中から、小さな四角形を取り出し、
「こういうものは、どう処分したらいいんでしょうか・・・」
と、私に差し出した。
それは、手製風の布袋に入った箱のようなもの・・・手に取ってみると中を見ると、それは、あちらこちらで何度か見たことのあるモノ・・・人の“ヘソの緒”が入った木箱だった。
よく見ると、箱に貼られた紙には、氏名・生年月日・身長・体重などが明記。
それによると、どうやら、それは故人の息子のもののよう。
息子がいるのに死後処理を女性(姪)がやっていることを怪訝に思う私の心持ちが伝わったのか、女性は事の経緯を話し始めた。

故人は、今でいうシングルマザー。
世間の風当たりが強い中、一人息子を女手一つで育てた。
片親のハンデを息子に背負わせたくなくて、頑張って働き、教育にも注力。
それに応えるように息子も道を外すことなく勉学に励み、大学まで進学。
卒業後も大手の系列企業に就職し、安定した収入を元手に故人(母親)と共有名義で中古の一戸建を購入。
そして、親子二人、平穏な生活を送っていた。
しかし、悲劇は何の前ぶれもなく起こった。
ある年の梅雨の時季、車の事故で息子は突然に死去。
行年は20代後半、故人の死の十数年前の出来事だった。

母と息子、苦楽を共にし、二人三脚で歩いてきた人生。
その息子が、急にいなくなってしまったわけで・・・
どれほど悲しかったことか・・・
どれほど淋しかったことか・・・
どれほど辛かったことか・・・
周囲の人は、「後を追って自殺するんじゃないか?」と心配した。
が、そんな故人にどんな言葉をかければいいのか、どう接すればいいのかわからず、ただ、黙って見守るしかなかった。
しかし、故人の立ち直りは意外に早かった。
もちろん、“何事もなかったかのように”とはいかなかったけど、失われた息子の人生を取り戻そうとするかのように、その年の秋、息子の誕生日を過ぎた頃から、以前と人を異にしたような落ち着いた快活さをみせるようになり、とりあえず、周囲をホッとさせた。

先に亡くなった息子の部屋は二階の一番奥にあった。
部屋の主は、もう十数年前にいなくなったのに、人気のない冷たさはなし。
家具も家電も服も雑誌も仕事のモノも趣味のモノも部屋の装飾も、ほとんど生前そのままの様相。
“帰ってきてほしい”という想いの表れだったのか、それとも、遺品をも葬り去ることに抵抗があったのか、整理清掃が行き届いており、意図的に生前のままを保とうとした様子が伺え、少し切ないものがあった。


生まれて死んでいくは命の定め。
そして、生まれてきた順に死んでいくわけではない。
摂理と宿命には逆らえず、後先が逆になることもザラにある。
しかし、人は、生まれた順に死んでいくことが道理のように思ってしまう。
そして、これが理不尽なことに思え、大きな悲哀や怒りを生まれる。
それを平常心で受け入れることなんて、到底できない
人が生まれ死んでいくかぎり、悲しみは続いていく。
ただ、悲しみの中で生きる力が生まれることもある。
悲しみの中でこそ生まれる力がある。
そして、それは、一生に携えていくことができるのである。

故人が息子のヘソの緒を肌身につけるようになったのは、亡くなって間もない頃からだと思われた。
それで、悲しさや寂しさを紛らわそうとしたのだろう・・・
そして、自分を励まし、勇気づけようとしたのだろう・・・
子を胎に宿したときの喜び、産んだときの幸せ、幼少期の愛らしさ、その後の苦楽等々・・・小さな木箱に たくさんの想い出を詰め込んで、その光を携え、悲しみや寂しさに立ち向かって精一杯生きたのだろう・・・
息子を亡くしてからの十数年、故人は一人で生活してはいたけど、一人で生きていたのではないと私は思った。


私は、故人が抱いた喜びや悲しみに想いを巡らせ、同時に、人間が抱える宿命的な喜びや悲しみにも想いを巡らせた。
そして、人生の半分以上を死体業に携わり、数多くの先逝人と会ってきたこれまでの年月に立ち戻りながら、「人は死んでも、残された人の心の中で生き続ける」という、誰でも言うよな、どこででも聞くようなありきたりの言葉を自分のものにして、たまにそれを思い出しては自分を静かに励ましているのである。


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水無月の空

2016-06-06 08:47:51 | 特殊清掃
立ち止まってみれば、もう六月。
前回更新から、「あれよあれよ」と言う間に一ヶ月半が経ってしまった。
その間、相も変わらず私は現場を走り回っていた。
遺品処理、腐乱死体現場の始末、便所掃除、汚腐呂掃除、殺人事件現場の始末、ゴミの片付け、動物死骸処理etc・・・
“フツーの人間じゃない”と思わるのがイヤで、フツーの人はやらないフツーじゃない仕事をフツーの人間のフリをしてこなしていた。

晩春から初秋にかけてブログ更新が停滞するのは近年の傾向。
遊び呆けているわけでも、ケガや病気等で書けないわけでもないことは前述の通り。
(仮に、私が死んでしまって更新できない場合は、ブログ管理人が何らかの告知をするだろう。)
そうは言っても、ボロボロになるほどの重労働が続いているわけではない。
休みは少ないけど、体力も精神力も余力を残している。
それでも、この時季の私には、ブログを書くことより休養することの方が必要。
やがてくる残酷な夏に備えて、心身を整えておかなければならないのだ。
ま、とにもかくにも、「音沙汰ないのは達者な証拠」と思ってもらうしかない。

ただ、「休養」ったって、趣味らしい趣味を持っているわけでもないし、そんなことをやっている余裕もない。
とりあえず、一日の仕事が終わるとさっさと家に帰って、ゆっくり過ごすだけのこと。
休肝日にしていない日は、のんびり晩酌。
ビール・ウィスキー・チューハイの順で流していく。
面白いことに、今、飲んでいる酒はすべて頂きモノ。
もちろん、周囲に無心しているわけではないけど、なくなりそうになると、タイミングよく誰かがくれるのである。
だから、自分で買うのは、ハイボール用の炭酸水くらい。
ある種、図々しいような、ありがたい話である。

だいたいのパターンは、まずビールを350ml飲んで、次にハイボールを1ℓ余飲んで、最後にチューハイを350ml飲んで、それでおしまい。
これで、ホロ酔い・・・いい感じにできあがる。
酔いがまわってくるともっと飲みたくなるのだけど、これ以上飲むと翌朝不快感が残る。
それがわかっているから、そこでやめておく(少しは成長した)。
そうして、ちょっとヨロヨロしながら布団に入るのである。

就寝時刻は、とても早い。
まるで子供、もしくは老人・・・九時台に布団に入ることも珍しくない。
そして、翌朝の憂鬱を考えないようにしながら眼を閉じるのである。
しかし、このところ、不眠症が酷くて早朝(夜中)に目が醒めて、それ以降、寝付けなくなることもしばしば。
そういう時は、自分の“死”ばかりが頭を過ぎる。
「俺、死ぬんだよなぁ・・・」「そのうち、この世界とサヨナラするんだなぁ・・・」と、不思議な感覚に包まれる。
しかし、物思いにふけってばかりもいられない。
ダラダラと横になっているのは時間の無駄のような気がして、結局、早朝から起きだして、早々と仕事に出掛けるのである。

昨秋から日課にしていたウォーキングも、先日まで調子よく続けていた。
「続けていた」と過去形で書くのには理由がある。
左の股関節が不具合を起こしてしまい、数日間、普通に歩行することが困難になったのだ。
前々から、ウォーキング中に股間接がズレるような違和感を覚えることがあったけど、痛みをともなったわけでもなく、更に、頻繁に起こることでなかったので気にしないで放っておいた。
ところが、二週間余前のウォーキング中、急に痛みがではじめ、その痛みは歩けば歩くほど深刻なものに。
早い段階で歩くのを中止すればよかったのに、変なところに几帳面な性格が災いし、我慢しながら決めた距離を歩ききってしまったが故に症状は悪化。
結局、その時から数日間、股関節の痛みと違和感が続き、日課のウォーキングは中断せざるをえないハメになってしまった。

それからは、できるかぎり安静に。
歩かないでは仕事も生活も成り立たない中で、歩行は必要最小限にとどめ、なるべくゆっくり歩幅を小さく歩くよう心がけた。
そうして様子をみていると、幸いなことに、日に日に痛みも違和感もおさまっていった。
が、私は、ここで学習。
ウォーキングって健康にいいイメージばかりがあるけど、“歩き過ぎ”は逆によくないらしく、これまで6~7kmを目処にしていた歩行距離を3~4kmに短縮することに。
そうして三日前からウォーキング再開。
今のところ、問題は起こっていないから、これで、しばらく様子をみていこうと思っている。

「不具合」と言えば、持病?の胸痛もある。
もう十数年の付き合いになるけど、たまに原因不明の胸痛に襲われるのだ。
胃カメラをのんでも、レントゲンを撮っても、心電図をとっても、原因はわからず。
ただ、慣れたもので?数分前から現れる前兆で、痛みがでることが予測(覚悟)できる。
だから、慌てることはなくなった。
が、コレといった対処策もないので、痛みが自然におさまるまで耐えるしかない。
平均すると30分~1時間程度だろうか、その間は結構なツラさがある。
多くは普段の姿勢でやり過ごすことができるけど、酷いときは、息をすることも忘れ、胸を抱えてうずくまってしまうこともある。
そして、「このまま死んじゃったりして・・・」なんて、一抹の不安が過ぎるである。


身体の調子はそんなところ。
一方の精神は、相変わらず、些細なことで一喜一憂。
定まらない空模様のように不安定。
雨も降れば雪も降る。
風も吹けば雷も鳴る。
もちろん、晴れることもある。
ただ、雲が切れることはない。
私の気分には常に雲がかかっている。
「後悔」「不満」「不安」という雲が。

雲の原因は色んなところにある。
自分以外に原因を探したくなる。
しかし、究極的には、それは社会にでも他人にでもなく、自分にある。
そして、
「人生、その気になれば、いつでもやり直すことができる」
とは言えない一面がある。
「人生はやり直せない・・・」
引き返せない一方通行の人生にあって、つくづく、そう思う。
また、どんなに頑張っても、人生には、思い通りにならないこともある。
いや・・・「思い通りにならないことだらけ」と言っても過言ではない。
人生には、悲しくも厳しい現実があるのである。

しかし、諦めることはない。
人は、やり直せなくても、変わることはできる。
中身のない価値観を捨て、鈍い感性を磨き、モノの見方や考え方の偏りを修正し、一時的な感情や自己中心的な感傷を自らが支配することができる。
そして、もうちょっと努力できる自分、もうちょっと忍耐できる自分、もうちょっと挑戦できる自分に変わることができる。
また、思い通りにならなくても、思いを持ち続けることはできる。
無意識のうちに湧いてくる後悔・不満・不安を抑え、感謝・喜び・希望を見い出すことができる。
その戦いは、人生に必要な薬味。
幸福快楽のみでは幸福快楽そのものが成り立たない。
人生を大きく晴れ渡らせることはできないかもしれないけど、一日一日にある晴れ間を見つけることはできるのである。


入梅の報は昨日、真夏の酷暑もすぐそこに来ている。
毎年のことだけど、夏の仕事は一段とキツい!!
凄惨な現場や体力が要る現場では、精根奪われ、自分自身が用なしのボロ雑巾のようになる。
これでまだ若ければ凛とした張りをみせることができるのかもしれないけど、私はもう、相当にくたびれたポンコツ親父。
「冴えない」というか、「情けない」というか、「不憫」というか・・・
それを思うと気が重い・・・考えただけでも生気が失せる。
更に、その先のことを考えると、もう気分は真っ暗。
不安感を通り越して、恐怖感すら覚えてくる。

「もっと楽に生きられる方法はないものか・・・」
頭は、そんな風なことばかりに囚われる。
が、とにかく・・・とにかく、今、目の前のことを頑張るしかない。
自分が生かされている道なのだから。
そして、その時 その時を大切に、その真味しっかり味わうしかない。
せっかくの人生なのだから。

もちろん、それで未来が開けるかどうかはわからない。
わからないから、信じることができない。
それも私(人)の限界・・・あとは期待するしかない。
ただ、人の薄慮に動かされることなく、雲の向こうには青空が存在する。
どんなに厚い雲が自分を覆っているとしても、その向こうには爽快な晴天が広がっている。

水無月の曇空の下、肉の眼には見えない晴天を心の眼で追いながら、私は、今日も生きるための涙汗を流すのである。



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Last moment

2016-04-20 09:16:33 | 特殊清掃
その日、私は東京から離れたところにある とある会社の工場にいた。
用向きは、特殊清掃の事前調査。
そこで、作業員の一人が機械設備に巻き込まれて死亡。
血まみれとなった機械設備を清掃するための調査だった。

最初は、電話での問い合わせだった。
しかし、その機械設備について素人である当方が言葉で把握できることは少ない。
結果、具体的な現場の状況が想像できず。
更には、仕事として請け負えるものかどうかも判断できず。
とにかく、現場を見ずしては どうにも話を進めることができず、結局、現地調査に出向くことに。
ただ、場所は遠方で、かかる時間も交通費もバカにならない。
私は、普段は無料で行っている現地調査を今回は有料とし、更に、当方から辞退する可能性も充分にあることを承諾してもらい、現地調査の日時を約した。

訪れた現場は、ある製品の原材料をつくる大きな工場で、同じ形態の機械が整然と並んでいた。
機械は、原材料の攪拌プレスを目的とするもので、一基に一人の作業員が従事する仕様。
事故が起こったのは、その中の一基。
その傍らには白布が掛けられた台が置かれ、その上には仏具と花や飲料が供えられており、日常の悲しみとは趣を異にした不吉な雰囲気が漂っていた。

亡くなったのは私と同年代の男性で、熟練のベテラン社員。
故人のプライベートに深入りし過ぎると気が重くなりそうだったから、妻子があるのかどうか等、それ以上のことはあえて訊かず。
私は、事が起こった経緯に話題を絞って、工場の責任者の説明に耳を傾けた。

事故は、終業時の機械清掃の際に発生。
この工場の機械は、一日の作業を終えると、翌日に備えて機械を清掃メンテする必要があった。
その際は、機械が動かないよう、手元スイッチはもちろん、離れたところにある動力源も切り、更に安全バーを掛けることが規則になっていた。
しかし、動力源のスイッチがあるのは、長いハシゴの先。
清掃は試運転を行いながらやらなければならず、それを切ったり入れたりするのは結構な手間がかかる。
それが面倒だった故人は、動力源を切らないまま、手元スイッチと安全バーだけを使って清掃することを常にしていた。
そして、その日・・・
いつも通りの清掃メンテナンス作業をしていた故人は、誤って作動させてしまった機械に押し潰されてしまった。
故人の規則違反と慣れと油断によって、結果的に、取り返しのつかない事態が起きたのだった。

警察や労働局の調査は終わり、清掃の許可は降りていた。
供養式(御祓い)も施行済み。
(ちなみに、個人的には、こういう類のことは無要だと考えている。)
しかし、肝心の清掃消毒が手つかず。
責任者は、色々な業者に問い合わせしてみたが色好い返事をする者はなし。
もちろん、責任者を含め、社内の人間でそれを買って出る者もおらず。
しかし、できるだけ早く機械を再稼動させないと会社の損害は膨らむばかり。
頭を抱えた責任者は、藁にもすがるような思いで当方に連絡してきたのだった。

問題の機械設備は、血だらけ・血まみれ・・・まったく酷い有様。
薄っすら汚れている部分もあれば、濃く飛び散った部分もあれば、分厚い血塊を形成している部分もあり、汚染は複雑かつ広範囲。
また、機械の下部には、血まみれの帽子や手袋が放置されたまま。
機械ごと交換したほうがいいんじゃないかと思われるくらい凄惨な光景だったが、この機械設備は相当なもので、莫大な費用と時間がかかるのは、この分野に見識のない私でも容易に察することができた。

私が提示した金額は安くはなかった。
工場側の足元をみたつもりは毛頭なかったが、作業の難易度と危険度、そして気の重さを考えると、安価で引き受ける気にはなれなかった。
あと、“断られてもいい・・・”“断ってほしい・・・”という考えも、頭のどこかにあった。
しかし、
「料金はそれで構いません・・・誰かにやってもらわなければなりませんから・・・」
と、責任者は、料金と作業内容をすんなり承諾し、
「作業は、いつできます? なるべく早くお願いしたいんですけど・・・」
と、心の準備を整える時間が欲しかった私にプレシャーをかけてきた。

その日の夕刻、私は、臆病風に吹かれながら会社に戻った。
安請け合いしたつもりはなかったのだが、とりあえず請け負った特殊清掃がきちんとやれるかどうか、また、安全にやれるかどうかに不安を覚えたのだ。
事務所にいた同僚に現場の状況を話すと、
「その仕事、今からでも断ったほうがいいんじゃないの?」
と、“自分だったらやらない”といった表情を浮かべて心配してくれた。
しかし、かなり気が重かったことは確かだけど、私は、“断ろう”とは思わず。
責任感とか使命感とかじゃなく、また男気とか意地とかでもなく、過去の人生において、イヤなことから逃げに逃げて散々な目に遭ってきた私は、逃げることに対する恐怖感みたいなものがあったのだ。


何日か後、私は、重い気分を持ち上げて、再び工場に向かった。
前日から重かった気分は、当日の朝には一層重くなっていた。
それでも、契約を交わした以上、責任は果たさなくてはならない。
「夕方には気分は軽くなっている」
「ほんの何時間かの辛抱だ」
そう自分に言いきかせながら、同時に、
「生きて帰れなかったりして・・・」
と、冗談半分・本気半分で思った。
そして、仮にそうなったとしても、それが自然の摂理、自分の“定め”なのだろうと、覚悟や悟りよりも低いところで自分を納得させようとした。

工場に着いた私を責任者はVIP客でも来たかのようの歓迎してくれ、そこまで気を使ってもらう必要はないのに応接に通しお茶をだしてくれた。
そして、
「動力源も完全に落としてありますし、安全バーも新品にして固定してありますから大丈夫です!」
「あと、ちゃんと御祓いもしてありますから!」
と、完全が確保されていることを強調。
ただ、私にとっては、“御祓い”がしてあるかどうかなんてどうでもいいこと。
また、残念ながら、人間にミスはつきもの。
だから、私に安心感は湧いてこず、気分を落ち着かせることもできず。
私は、気持ち悪いものをブスブスと心の中にくすぶらせながら機械が誤作動しないことに念を押すのみだった。

その特掃作業が困難を極めたことは言うまでもない。
自殺や事件があった部屋の後始末は何度となくやってきたが、血痕清掃って、もともと手間がかかる。
ゴマ粒程度の血塊でも、それが水分を含んだら一筋の血流になり、ウエス(雑巾類)が汚れなくなるまできれいにするには、同じところを何度も何度も拭く必要がある。
また、血塊は洗剤をかけたくらいでは溶けず、血痕の厚みによっては、スクレイパー(金属ヘラ)で削らないと取れないこともある。
しかも、そこは、部屋ではなく勝手がわからない機械内部。
思うように身動きがとれない状況で四苦八苦、作業着も血だらけに。
時には、故人が亡くなったときと同じ姿勢になって狭い機械内に上半身を入れるハメにもなり、緊張の連続。
私は、手を変え道具を変え、休業無人で薄暗い工場で、ただ一人、恐怖心を拭えないまま、ただ血痕だけを拭った。
そうして、自分の身体に血痕を移し換えるようにしながら、少しずつ故人の死痕を消していった。

事故が起こった日、故人は、いつも通り起床し、いつも通り出勤し、いつも通り働き、いつも通り仕事を終えたはず・・・
“生きて帰れない”なんて、まったく思っていなかったはず・・・
しかし、突然、その命は失われてしまった・・・
そんな物思いにふけながら作業する私の心持ちは、悲しさもなく寂しさもなく、ただ静かに佇むばかりだった。

陽が傾きかけた頃、作業は何とか完了。
疲れた身体と精神を休めつつ、私は、工場の休憩室で、汗でふやけた手と血が飛び散った顔を洗わせてもらい、ワインレッドに染まった作業服を着替えさせてもらった。
そして、差し入れてもらった缶コーヒーを空け、その苦香で深呼吸。
元来、私は、コーヒーが嫌いなのだが、腹にたまったものはそれよりはるかに苦く、その苦味は甘ささえ感じさせるものだった。

帰り際、責任者は清塩を持ってきて、私にふってくれようとした。
しかし、私は、心づかいに感謝しつつ、それを断った。
そんなこと、まったく気にしないし、気にしていたら仕事にならないから。
また、亡くなった人に失礼なような気もするから。
そのことを話すと、責任者はちょっと気マズそうにしながらも理解を示し、笑って礼を言ってくれた。
そして、何度も頭を下げながら、遠ざかる私の車を見送ってくれた。


事件・事故・災害・紛争・病・・・
人の命が失われたニュースは、毎日、途切れることがない。
生きたくなくても生きなければならない人がいる中で、生きたくても生きられない人がいる。
先日来の九州地震もそう。
その日が人生最後の日になるなんてことは誰も思っていなかったはずなのに、多くの命が失われてしまった。

“死”というものは、いつ訪れてもおかしくないもの。
人は、不確かな毎日の上に保証のない予定を立てて生きている。
私くらいの年齢だと、うまく生きられたとしても、あと20~30年のものだろう。
これを“長い”とみるか“短い”とみるかは人それぞれだろうけど、“限り”があることに違いはない。
不本意でも心の準備ができていなくても、その中のある日が、いきなり最期の日になる可能性は充分にある。
ひょっとしたら、今日が、最期の日になるかもしれない。

そう・・・“死”というものは、元来、生のド真ん中にあるもの。
だからと言って、“死”を頭のド真ん中に置いて生きる必要はないと思うけど、頭の隅には常に置いておいたほうがいいと思う。
そして、たまにはそれを強く意識したほうがいいと思う。
今を大切にするため、未来を大切に考えるために。

私は、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けざるを得ない人間の弱さに悲しみを覚えたと同時に、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けることができる人間の強さに喜びも覚えた。
そして、やがて来る“最期の時”が教えてくれる“今”の愛おしさを噛みしめながら心を燐と立たせ、現場を後にしたのであった。


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