goo blog サービス終了のお知らせ 

その蜩の塒

徒然なるままに日暮し、されど物欲は捨てられず、そのホコタテと闘う遊行日記。ある意味めんどくさいブログ。

想い雲

2014年08月18日 | 本・雑誌
 みをつくし料理帖第三弾想い雲を読みました。芳の簪(かんざし)が種市の手で買戻されたんですが、坂村堂の料理人で元は天満一兆庵で働いていた富三に騙され、再び芳の髪から離れることに。はたして再々度戻ってくるんでしょうか? それに反して、佐兵衛の花魁を手にかけたという疑いが晴れたことは幸いでした。やはり包丁を大事にしない料理人は失格ですね。それは料理人に限らず、職人すべてに共通したことだと思います。とこの辺りで、「湯文字」という耳慣れない言葉が出てきますが、いわゆる腰巻のことです。小松原の正体もおぼろげながら見えてきました。どうやら御膳奉行の公算が強いです。鱧料理で吉原へ呼ばれ、あさひ太夫と再会を果たしたのも意外な展開でしたね。それとシリーズを通して季節の移ろいの描写が見事です。月見、あるいは食材でじゅんさいとわさびについては、旬の終わりと走りの刹那的な出会いと。もう一つ、健坊の行方不明事件でも考えさせられました。甘やかされることより辛抱と精進が必要な時期があるということを、それぞれのキャラの口を借りて述べてるわけですが、現代にこそ奉公人的制度が必要かもしれませんね。人間の営みは一筋縄ではいかないものです。


 道の駅にしめの向日葵畑に立ち寄ってみました。頭ほどもある向日葵を見てたら気持ち悪くなってきました。昨日も朝は快晴かと思ったら、またまた雨。ススキも出てきており、このまま夏らしさを感じずに秋突入でしょうか?

八朔の雪

2014年08月17日 | 本・雑誌
 PCの調子が悪く、ファイルが全部とんでしまって参りました。フラッシュプレーヤーのバージョンアップがPCに悪さしたみたいです。元々 firefox と flashplayer の相性の悪さは指摘されてたんですが。。 OSの再インストールになったら、今度はIMEが抜け落ちてて結局メディアを使ってのインストになってしまったりで。やはりバックアップは必要かもしれませんね。

 さて、みをつくし料理帖なんですが、順序立てて読めばいいものを今ごろ第一巻を読みました。八朔(はっさく)の雪とは、ここでは八月朔日(ついたち)の遊女の白無垢にかけた、砂糖がかかった心太(ところてん)のことです。最初から上手くいくわけはなく、牡蠣鍋、牡蠣の時雨煮と立て続けに失敗。濃口醤油で殻焼きにするのが好きな江戸っ子の口に合うわけがありません。江戸は職人が多く汗を大量にかくため味の濃いものを好むという道理とか、水の違い、鰹と昆布出汁の違いなど徐々にわかっていって、ようやく里芋の煮付けで成功。小松原の助言により唐辛子入りのピリ辛鰹鰹田麩もヒットし、心太、江戸で嫌われる戻り鰹を使った“はてなの飯”と軌道にのり、合わせ出汁を発見しとろとろ茶碗蒸しで番付に載るにつれ、登龍楼に真似され嫌がらせを受けることに。終いには付け火で店まで失ってしまいます。それにもめげずに屋台見世で正月早々酒粕汁売りで孤軍奮闘。でも小松原の助言の他に、源斉の食べ物の薬としての側面という示唆を受けたり、野江やおりょう、その旦那の伊佐三、子の太一と多くの方々の助けがあってのことなんですよね。化け物稲荷も心の拠り所、精神安定剤として大いに寄与してることは間違いありません。ひとつ読んでて気になったのは、四つ(午後十時)の鐘が鳴ったとありましたが、昔はその時間は節約と火事防止のため寝てたと思われるんですがどうなんでしょ。それと、小松原の正体が土圭(とけい)の間の小野寺とは、相当な身分のお方なんでしょうか?

みをつくし料理帖~花散らしの雨

2014年08月12日 | 本・雑誌
 みをつくし料理帖最終話“天の梯”は8/9に発売になりましたが、売り切れ続出のようです。そちらは追々読むとして、シリーズ第二弾「花散らしの雨」を読みました。口入れ屋経由で採用になった「ふき」が、元の奉公先登龍楼へまさかのレシピ横流し。雪ノ下の精進揚げ、三つ葉尽くしと悉く被ります。それを「ふき」だけに、ほろにがふきご飯で決着させたのはさすがです。おそらく三つ葉尽くしには、土筆(つくし)もかかってるんでしょうね。

 つる家は忙しい店なのに、花見や花火を皆で見るために早仕舞いするのはいかにも江戸っ子です。話の中では、太一とおりょうの麻疹(はしか)が一番よかったですね。眉下げと双眸が度々登場する言葉でしたが、逆にこちらが双眸を濡らしてしまいましたよ。特効薬がない時代に、食べることはかなりのウエイトを占めてたわけですが、決して強制されたものであってはならないという意味を、きれいに葛饅頭で結んでます。

 下馬評と鮗(このしろ)には、そういう意味があったのですね。
下馬評…下馬先で城内や社寺に入った主人を待ちながら、お供の者が噂や評判を交わしていたところから。
鮗…「この城を焼く」「この城を食う」

 徳川の三葉葵に似てるから二本挿しは胡瓜を食べない、のを逆手にとるように「忍び瓜」で人気料理に仕立て上げるのも上手いですね。

※耳を欹(そばだ)てる…この漢字初めて目にしました。

みをつくし料理帖~美雪晴れ

2014年08月03日 | 本・雑誌
 ついに「みをつくし料理帖」完結編「天の梯(かけはし)」が今月刊行予定です。干し芋茎(ずいき)と干し湯葉で作った「昔ながら」を食べた美緒が、はたしてお乳が出るようになるのかといったところからの話になりそうです。澪自身の一柳への移籍と、芳の息子佐兵衛を一柳店主柳吾は料理人として復帰させることができるかも見所です。それと合わせて、佐兵衛と登龍楼の軋轢も解明されるんでしょうか?そして何より、四千両という途方もない「あさひ太夫」の身請け銭をどう工面するのかでしょうね。それにしても四千両は吹っかけすぎのような気がします。天明あたりに相場が吊り上がった年もありますが、ほとんどは五~六百両で多くても千両程度であったようです。ちまちまと一個百六十文で卸すことになった鼈甲珠を売っても、何年もかかりますからね。本書でも触れてるように、品物にもよりますが薄利多売でいくのか、利を厚くしてそれが買える人にだけ買ってもらうのかは難しいところです。

 話を本書に戻しますと、蒲鉾作りで坂村堂がイカを混ぜては?というヒントを出すんですが、完全に無視された形ですね。随所で彼の発言は軽んじられてるような気がしました。その蒲鉾の話では、「板蒲鉾と板挟み」とか白い贈り物に蒲鉾をかけてたり、「黒豆の皺と眉間の皺」だったりの言葉遊びが面白かったですね。普通は「美味しい」とか「旨い」ぐらいしか思いつかないのに、流石料理に関する小説だけあって表現が深いです。特に、月に三の付く日だけ酒を出すという「三方よしの日」の料理は、思わず食べたくなってしまいました。

『大地のゲーム』

2014年07月27日 | 本・雑誌
 独特の感性は健在で、2回目の震災が起こった後のテンポの速さは見事でしたが、いかんせんストーリーの統一感がまるでないように感じました。私がその域に達してないのかもしれませんが、何を言いたいのか分かりかねます。ジャンルとしては震災後小説なんでしょうけど、21世紀終盤という時代設定にもムリがあるような気がします。第一、誰が生き残るのかという脱出ゲームじゃないんですから、震災をゲーム呼ばわりしちゃいかんでしょ。大学のキャンパスが舞台というのも、30歳にもなってまだ学生気分を引き摺ってるような気がしますね。社会人経験がないので引き出しが浅いと捉える方もいるでしょう。

 カリスマリーダーに対する恋心は、「私の男」という彼がいることもあり、マリに殺意を抱くほどぞっこんだったとは到底思えないのですが。。そのマリの人物像もハーフっぽい感じはしましたが、随分描写が荒いですね。そういえば、地学の専攻の彼も曖昧な立ち位置でした。ストーリーは、マリのいじめだったり、学園祭やカリスマリーダーの演説とふらつきながら、結局そのリーダーは行方不明になってしまいます。ドラッグで廃人化しかけた「私の男」は、最後にはすっかり立ち直ってしまい、いちゃつきのハッピーエンドってなんだそれ?

 ですがAmazonの未来版「罪と罰」というコメントをみて考え直してみました。集団暴行の首謀者だった「私の男」は、いつまでもそれを引き摺っていて、ドラッグに手を出したのもそれが原因。実際に刑を受けたわけではありませんが、自分の中ではいつまでも罪が消えないものなのですね。あるいは震災に被せて消してしまいたい衝動に駆られることも、想像しただけで怖いですが内在してることなのかも。行間を読まないとその辺の深い意味は伝わってこないでしょうね。