2017.6.9~11 静岡・愛知方面へ出かけました。
あちこち神社にも寄ってきましたよ。
まずは、豊積神社へ。由比の辺りは、いつも東名自動車道で通過してしまってて、立ち寄るのは初めてですねー。
背後がすぐに山で、なかなか狭い地域ですね。
由比町
「東海道の親不知」と呼ばれる断崖に位置し、歴史地理学的には関東政権(江戸・鎌倉・小田原)と東海政権(駿府)
の境界となってきた。江戸時代には東海道由比宿の宿場町であった。現在では、サクラエビとシラスの漁業基地としても
有名である。by wikipedia
で、豊積神社へ。
豊積神社(とよづみじんじゃ)
静岡県静岡市清水区にある神社。式内社、駿河国二宮で、旧社格は郷社。祭神:木之花佐久夜毘売命
・社伝では、延暦10年(791年)の創建。
・坂上田村麻呂は東征の途中で戦勝を祈願、そして帰途に戦勝祝いとして神楽を奉納したといい、
お太鼓祭(県指定無形民俗文化財)の起源はその神楽にあるという。
・延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では駿河国廬原郡(庵原郡)に「豊積神社」と記載があり、当社をこれに
比定する説が有力視される。
・寛文年間(1661年-1673年)頃の偽書とされる『駿河国風土記』では、「豊積神社或止由気神社日本武尊祭之地也、
国中之二宮也」と記載されていることから、当社は駿河国において富士山本宮浅間大社(一宮)に次ぐ二宮の地位に
あったと推測されている。ただし、同記でそのように記す根拠は明らかではない。
・江戸時代の朱印地は16石余。なお、天正17年(1589年)の文書に見えるように、近世には「浅間」とも称していた。
享保21年(1736年)の口上書では、「豊積浅間社」と称したうえで、式内社「豊積神社」の後裔と主張している。
・明治維新後、明治6年(1873年)3月に近代社格制度において郷社に列した。 by wikipedia
拝殿
綺麗な緑色の注連縄が印象的です。ビニール製なんでしょうか?
本殿
立派な大銀杏でした。
神社の北側は東海道、東側は蒲鉾工場とお寺、南側は公園とお寺。この狭い地域にお寺・公園も含めてかなりの広さです。
由来の看板によると、古代には物々交換の市場の場所だったようですね。何となく当時の人々が集まっている様子が浮かん
できました。
この大銀杏の上で、カラスがとんでもない声で鳴いていました。理由は分かっていますが書くのは避けます。その光景に
気が吸い取られたようで・・・神社は素晴らしかったのですが・・・残念でした。