「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
行く手に喪失体験が待ち受けているかどうかがはっきりしないとき、人は地獄の苦
しみを味わいます。大手術が終わるのを待つ時間、検査結果が分かるのを待つ日々、
愛する人が重体になり、予後が未確定なときなどです。喪失するかもしれないとい
う地獄の苦しみもまた、喪失の一つです。
どうして自分を見捨てるような相手ばかりに出会ってしまうのかと悩んでいる人は、
それがレッスンだと考えたほうがいいかもしれません。さらに喪失する事を警戒し
過ぎると、逆に喪失を招くことにもなります。愛する人を失わないようにするため
に人を愛さずに遠ざけていれば、その事自体が一つの喪失となるからです。
将来の事は誰にも分かりません。どんなに望んでも喪失を防ぐことができず、絶対
に喪失のない状況を作れるはずもありません。喪失は大人になるためのイニシエー
ションの役割を果たしています。喪失によって、私たちは本物の男、本物の女にな
ります。本物の友人、本物の夫、本物の妻になります。喪失は成長への王道です。
喪失の劫火をくぐることによって、私たちは人生の向こう側へ行く事ができるので
す。
喪失体験の癒しには多くの段階があります。その準備ができたら、まず喪失を実感
し、その事実を事実として認めることです。拒絶という恩寵の働きに身を任せ、心
に感じるべきことを感じているだけだと銘記すればいいのです。そうすれば、苦し
みから逃れる唯一の方法が味わいつくすことだという真理が見えてきます。
すると、重要なのは自分の心と、自分が愛した人たちの心であり、そこに喪失を超
越するものを見出します。自己の本物の部分、愛した人たちの本物の部分が失われ
ることはありません。本当に重要なものは永遠に失われない。受け取り、与えてき
た愛が失われることは無いのです。
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私たちは、いつ頃から(何歳ごろ)から、物に執着するのでしょうか?女の子ならば、
大好きなぬいぐるみを抱いていないと眠れないとか、聞いたことがありますね。私は、
5~6歳の頃に戦いで集めた(笑)、メンコとかベーゴマですかね^^
初めての強烈な喪失体験は、5~6歳の頃、飼っていた白い文鳥のピーコちゃんを
母親が白い座布団の上に居たことに気づかず、踏んづけてしまった(寝るとき以外は、
部屋の中に放し飼いにしていた)時です。
思い起こしてみると、こんなに小さな頃から喪失体験は始まっていました。中学三年
の時の失恋も、その後の何度かの失恋も、なかなか強烈な喪失体験だったように思
います(苦笑)
しかし、最大の喪失感は、やはり母親が他界したときであり、父親が他界したときです。
母親は難病で、亡くなる3~4年前から告知を受けていましたから、ある程度の心の準
備はできていました。それでも辛かったですけどね。父親の場合は、突然でしたから、し
ばらくは、この世からいなくなった事が信じられず混乱していました。
親友も二人、あの世に見送りました。こうして、身近に心を通わせた人たちが、向こうの
世界に行ったわけですけど、今では、いつも彼らが、近くにいて見守ってくれているよう
に感じるようになりました。
愛する人をたくさん持てば、見送ることは悲しいかもしれませんが、たくさんの愛する人が
向こうの世界で待っていると思えば、死の関門もより怖くなくなるかもしれません・・・ね^^
あっ、もちろん、自分が先に行くこともあるでしょうけれど(笑
次回より「力のレッスン」です。