今日は、幸田文「崩れ」(講談社文庫)を読みながら思ったことを少し書きます。
「崩れ」といっても“山崩れ”や“地すべり”といった専門用語が飛び交うような本ではなく
著者が日本各地の「崩れ」を訪れ、そのときの雑感を書き記している本です。
その中で、男体山の薙や富山の立山の鳶崩れと、私が行ったことのある場所について
書いてあるので興味深く読んでいました。
読みながら感じていたことは、
どうしても、日本の滝のように流れる激流の川と、豊かな海、砂浜という風景が
消えてしまったというある種の危惧があるのです。
つまりは、ダム建設の問題なのです。
荒れ狂う川や土砂によって、下流域で氾濫し、住宅や人命が奪われるという
ことが少なくなって来たとはいえ、ゲリラ豪雨のような現象もあります。
治水という言葉そのものが、どういう代物なのか。
考えても“向こう側”はさっぱり見えません。
このままではいけないと思うのですが、具体策はすぐには思いつきません。
どうすればいいのかを真剣に考え続けることが必要なのでしょう。