マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

部族の話し

2009年12月02日 12時57分23秒 | ひとりごと
路地好きさんへの返事で、部族の説明をしようと思うのだが、悪戦苦闘しています。少しずつ書いていきますので、待っててください。

一番簡単に言うなら、私が部族という場合、大体は出自を指します。例えば、アムール河を下って、ウラジオストックから青森に着いた部族であるとか、高句麗が亡びる時に新潟付近にたどり着いた部族だとか、韓半島南部から九州を経て飛鳥にやってきた安羅国の安氏の部族とか、そういった考え方です。

日本にはどれだけの部族がいるのかはまったく見当も付きませんが、おそらく家紋の数だけは間違いなくあるでしょう。それらを全部知ることはもちろん不可能ですが、名前、住んでる地域、そして家紋を調べることで、日本の全体像がわかってくるのではないかと、サムライさんが今がんばっています。(サムライさん、がんばってね)

このことは日本の国家がどのように成立したのかに関わる事で、そんなに簡単なことではありません。ただし、ひとつのヒントから芋づる式にたどることで思わぬ大きな成果が得られることがあります。

何度も取り上げているのが源氏の系図であります。
鮮卑の中に拓跋族という一族がいて、彼らは中国北東部から満州方面に北魏と言う国を建てた。そしてほぼ中国全土を支配した。彼らは高句麗と国境を接する中で和睦したり、争ったりしたが、互いに婚姻も繰り返し、最終北魏が亡びるに当たって、高句麗経由で日本に逃亡した可能性が高い。
近江に佐々木神社があり、ここが全国の佐々木源氏の大元となる。その佐々木と言う名前こそ、オオサザキという仁徳天皇の名前そのものではないか。
ここから頼朝、義経が出て、義経は奥州から満州へ渡り、ジンギスカンとなり、生まれ故郷の満州でモンゴル帝国を築くことになる。
この話は「シバちゃん」で何度も繰り返した。
しかも、清王朝の始祖は自分が義経の末裔であると書いてあるようで、それからすれば日本の天皇家は清王朝の本家筋に当たることになる。
日本にいる源氏の子孫達が満州で清王朝を復興しようとしたのは当然ではないか。
その考えを持っていたのが大本教の出口王仁三郎であり、石原莞爾であり、黒龍会であり、頭山満だったと考える。しかも、そのトップには明治天皇の隠し子である堀川辰吉郎がいたのである。
ただし、戦前の日本を支配したのは薩摩を中心とする英国・ワン・ワールドで、彼らは天皇を騙し?大アジア共同体の精神を捻じ曲げ、王道を覇道に変えてしまったのだ。

あまり芳しい評判ではないことを承知で書くが、笹川良一は間違いなくその堀川の理想の後継者であり、日本の影の支配者の代理人であったと考えられる。「世界はひとつ、人類はみな兄弟」なのである。これの言い方を替えれば「友愛」である。

以前、こっそりと書いたので、気づかない人もいたかもしれないが、鳩山は笹川の子供であったという。つまり、彼はある筋から特に指名され友愛を実行するため選ばれたのである。
問題なのはこの「友愛」がフリーメーソンの友愛なのか、本当の友愛なのかであろう。何度も言うが、それは紙一重の差でしかない。相互に平和条約を結び、独立して自治を尊重するのか、ひとつの帝国として管理するかは本当に際どい差でしかないのである。
それを見極めるのに、本来、一年では無理なのである。なのに、たった数ヶ月でとやかく言うのは気の毒であろう。
いうまでもなく、この友愛政策を一番嫌っているのが英国・ワンワールドである。
彼らは日本にいる工作員を動員し、全力でこの「友愛」をつぶしにかかっている。
現在、鳩山政権に断固として戦いを挑んでいるのが英国ワンワールドであるというのが私の考えである。彼らは「友愛」を英国ワン・ワールドだと主張する。どちらが正しいかは歴史に刻まれるまでわからないことであろう。