マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

そろそろですかね

2010年08月29日 09時15分08秒 | ひとりごと
今朝の中日新聞の一面の見出しを見てぶったまげた。「菅首相支持69%」だそうである。小見出しは「全国世論調査 小沢氏低迷15%」である。
共同通信社が27,28日に実施した電話調査なのだという。相手を選んだんじゃないの?
まあ、毎度のことなのでその結果は笑っておきましょう。
ただ、はっきりしているのはいかに小沢首相を恐れているかと言うことである。誰が?これが見えてこないが・・・、やはり従来の支配者たちだろう。自民党を買収し、日本を食いつぶしてきた連中である。

何を恐がっているのか?早い話、日本が成立する時代、つまり平安時代のころ全国へ逃亡した旧ヤマト国家?の残党たちを恐がっているのである。私は単純にサンカと呼ぶが、実態はもちろん定かではない。しかしはっきりしているのは全国津々浦々に草のように潜み、頭領の支持ひとつで行動を起すのだ。
現在その頭領が小沢氏なのだと私は考える。従って小沢氏個人を恐れているのではなく小沢氏の率いるサンカ集団を恐れているのである。なぜなら支配者たちもその実態がつかめていないからだ。小沢氏の組織は皇統奉公衆と呼ばれる天皇直属の秘密組織から世直し指令を受けた。この秘密組織のひとつが大江山衆であり、他にも仏教系、神道系の組織がいくつも存在しているようである。鳩山氏はそれらの組織の最高幹部の一人と考えるのである。だから私は小沢氏のご主人様は鳩山氏だというのだ。
大江山衆はよく私もブログに取り上げているが、修験道を装い、各地に拠点を設け、戦前には大本教を組織した皇統奉公衆のことである。彼等は日本の歴史に精通し、全国に潜む同胞を捜し出す能力に長けている。

いずれにしても今後三年間は選挙がないという絶好の条件の下、ようやく山が動き出す。私の予想と違い、小沢氏が偽右翼が批判するようなあくどい政治家だったら日本も終わりかも知れない。しかし、大局的に見るなら事は私の予想通り進んでいる。つまり、今上天皇がいよいよ東アジア共同体の構築に動き出したのである。
金正日の訪中で見えてきたように、北朝鮮の次期将軍である正雲氏のお披露目の日が近づいている。この秋には大きな動きが起きるであろう。
色々遠回りをしてきたが、そろそろだな。


秋の新メニューを考えましょう

2010年08月28日 19時23分31秒 | ひとりごと
くたびれたなー、本当に、こんなに働いた一週間は久しぶりだ。朝4時に起き、夕方の4時までバンバンに働いた。まさに肉体労働者である。なんてビールがうまいのだろう。読書やブログの更新の邪魔になるからと言ってビールを封印してきたけど、この一週間は自分に対するいたわりとして封印を解いた。うまいのだ、そして大好きな高橋真梨子のDVDを見ながら充実した気分にひたっている。

さて、私は3台のパソコンを持っている。家にemachinesのXP仕様、会社にEGGコンピューターのXPとVISTA、しかし、VISTAは使っていない。一応XPがパンクした時の予備であり、XPが快適に動いている以上、使う気にはならない。

ここ一週間、家のXPマシン、「リカちゃん」(ちなみに会社にあるのは愛子(ビスタ)と蘭ちゃん(XP)だ。)の調子が悪く、立ち上がりは遅いはネットはなかなか繫がらないわ・・・、ちょっと困った。
そこでHDの使用状況を調べると、例によって音楽ファイルを取り込みすぎて、40ギガの容量のほぼ90%使っているではないか。これでは動くわけがない。しかたがない、音楽ファイルをばっさり削除し、デフラグし、ついでにディスクのクリーンアップをした。
さすが、サクサク動く。なんだ、ちっとも悪くないや・・・。
やはりXPからビスタに変えると動かなくなるソフトがあるらしいから、いけるところまで行く事にしよう。

さてさて、うどん屋のリニューアルオープンから一週間たち、目論見どおりメニューの絞込みはほぼ成功だ。この後の方針はなんといっても女性客の獲得。あらかじめ私の読者の中からチャコさんと虹さんに頼み?女性向けのメニュー開発をしていただいた。ズバリねらい目はサラダうどんの冬版だ。
いわゆるあったかいサラダうどんですね。(写真は虹さんからいただいたもので、チャコさんからもたくさんの写真を送っていただいていますよ。この場をかりてお礼を申し上げます。)


見た目はこのままで十分である。味はとりあえずうどん汁を使い、レタス、トマトをやや暖めて、あとは緑野菜をなににするかだな・・・。
さあ、秋に向けて考えよっと。楽しいな。
零細うどん屋とはいえ、立派な製造業である。何を作ろうと自分の勝手だし、どう売ろうが、いくらで売ろうが自分の自由である。だから製造業は止められない。人生の大半を繊維卸に費やして来たが、残り少ない人生はコーヒーの焙煎とうどんの製造販売で終わることになるようだ、いや、終わることにしよう。

さて、小沢さんが代表選に出馬するということらしいが、本当のところいまだに私は半信半疑であり、それについての論評をする気にはならない。今のマスコミ報道はとても信じるに値しないのだから、間違いのない事実関係だけで自分が憶測するしかないのである。下手な予想をすると恥をかくのでもうしばらく静観しましょ。
皆さんのご意見はどうですか、私が小沢ファンだからといって遠慮は要りませんよ。ただし、菅さんと小沢さんが全面対決すると考えるのはマスコミの誘導です。話し合いは絶対に出来ていて、あとはそのシナリオを我々が劇場感覚で見せていただくということである。断言しておくが、今でも鳩山氏はご主人様のままである。

気分は最高!

2010年08月26日 19時59分06秒 | ひとりごと
いやー、毎日うどん屋での重労働で、とてもブログまで手が回らなかったけど、今日の「小沢氏、代表選への出馬表明」と聞けば、ブログを更新せざるを得まい。
何よりも、私は小沢氏出馬はとうにあきらめていた。小沢さんは表には立たず、キングメーカーとして闇将軍になるものだと決め付けていた。
潔く見通しが狂っていた事を認めよう。でも、うれしい誤算なのだから、構うものか。

いよいよ閉じ込められた神が動き出すぞ、時間は三年間もある。自民党はもう立ち直れまい。さあ、新しい連立を模索するもよし、挙党体制もよし、何でもありだ。
小沢首相が実現すれば、かつての田中政権以上の強力な内閣が誕生するである。田中角栄が失脚するすべてを目撃した小沢には死角はない、同じ徹を踏む恐れはないだろう。
私は政治に関する期待をすべて小沢氏に賭けている。もし私の期待に背くようであれば、私は二度と政治に関心を持たなくなるだろう。

小沢氏が首相になり、何が起こるのかは、まったく予測がつかないが、中央から地方も含め、かつて経験したことがないほどの変革がおきるはずである。
とりあえず、名古屋は明日から市議会のリコール運動が始まる。楽しみなことである。
思ったより遅れた気もするが、これもなにかの準備期間だったのだろう。
さあ、政治から目が離せなくなった。期待しても良いぞ。

さて、うどん屋のオープンから4日間たった。数字は期待には届かないが、なにより自分の考える最高の品質をお客に提供できることは幸せである。
数字など後からついてくる。身体はボロボロだけど、何より精神的には充実しているし、従業員の士気も高い。
小沢さんのニュースを聞き、なにやら楽しみな秋がそこまで来ている気がする。円高?株安?そんなもの私には関係ない。誰も助けてくれるわけではない、自分で出来る事を全力でやるのみである。

何を書いているのか訳がわからなくなってしまったが、とにかく、今日はとても気分がいいのだ。皆さんにこの喜びを分けてあげたいな。


冥福を祈るのではなく、悼むのです。

2010年08月22日 08時30分43秒 | 古代史
めったに小説は読まないマヨちゃんですが、天童荒太の「悼む人」という風変わりな小説を読んだ。あらすじをここで言うほど熱心に読んだわけではない。
ただ、この本の主人公はちょっと変わっている。色々な事故や事件で死んだ人の現場を訪れ、故人がどんな人で、誰に愛され、そして誰を愛したのかを聞きまくり、そして故人がそこに生きていた事をいつまでも覚えていると誓い、お参りするのではなく、哀れむわけでもなく、故人の死を「悼む」というのだ。特徴としては死んだ原因にはこだわらないことだろうか。

物語は主人公が全国を回り悼む旅をつづけるうちにそれに関わることになる雑誌記者、あるいは愛する人に殺すよう頼まれ、愛するがゆえに彼の命を奪った幸薄い女、そして悼む人の家族などを中心に、終わってみるとなんだったの?という結末なのである。
だが、肝心なことは私と同じように、現在の殺人事件などのマスコミの報道への痛烈な批判が隠れた主題なのである。

殺されて当然と思われる凶悪犯、寿命が尽きる寸前で自ら命を絶った老人、理不尽な乱暴狼藉によって殺されたかわいそうな被害者、しかし、いずれも人の死に変わりはない。マスコミはその殺され方で報道姿勢を変える。人の死に区別はつかないはずなのに。悲惨な殺され方を劇場的に伝えることで、読者の注目を集め、いかにもお涙頂戴型のドキュメンタリーを作れば、確かに雑誌は売れ、テレビは視聴率を稼ぐ。しかし、後に残るのは加害者への憎しみと、被害者遺族への憐れみである。

つまり、マスコミは被害者の遺族に感情移入し、読者を被害者の遺族の気持と共有させ、加害者を社会的に裁こうとしているのである。
しかし作者が考えたのは、被害者の家族が本当に望むのは死者の存在を忘れてほしくないということなのであった。
私は現在のマスコミの事件報道があまりにも一方的で、いかにも遺族の気持を汲む様に見せて、単に興味本位に読者を裁判官にさせ、世論で加害者を裁こうとしているだけだと思う。
肝心なことは、ある人間の存在が消えてしまったことであり、消えてしまった原因とはまったく別の問題である。遺族にとって消えた存在が悲しいのであって、憎しみや怒りへ摩り替えても心は癒されはしない。

私の自宅のそばで女性が三人の男に嬲り殺された悲惨な事件があった。現在裁判で三人を全員死刑にするかどうかで争っている。いわゆる私的には一番の首謀者と思われるものが無期懲役になったいる。
マスコミは早速その悲惨な殺し方から、いかに加害者が残酷で、死刑が相当だとの誘導をしているが、だったらきれいな殺し方なら良かったのか、苦しまずに殺したなら死刑にはならなかったのか?
遺族は三人全員の死刑が確定して気が治まるのだろうか。でも、恐らく加害者が全員死刑を宣告されるころに、いつしかこの事件は風化し、被害者の生きていたと言う事実も忘れ去られるのである。

私は毎日その事件の発生した場所を通過する。通るたびに私も彼女の事を「悼む」ことにした。大事なことは、加害者を死刑にすることではなく、彼女が生きていた事を覚えていくことなのだ。
「お前は被害者の事を考えたことがあるのか?」と言われそうだが、毎日世界で、日本で色々な事件や事故が起きている。どうして私がすべての被害者の立場に立つことが出来よう。私は自分の回りで、自分の立場で目先の問題を解決するのが精一杯である。そしてなるべく感情移入しないよう心がけている。そうしないと生きていけない気がするからである。

誰がチェックするの?

2010年08月20日 09時38分20秒 | ひとりごと
今日のニュースを見て恐れていたことが始まりつつあることに気づいたのは私だけではあるまい。
まずはニュースから。

「提供の臓器摘出、各地に搬送へ 移植終了は20日午前

 書面による臓器提供の意思表示がなく、家族の承諾で脳死と判定された男性からの臓器摘出手術が19日午後、男性が入院していた近畿地方の病院で行われた。
 摘出された臓器は各地の移植施設に順次搬送。心臓は東京大病院で40代の男性、両方の肺は大阪大病院で20代の男性、肝臓は京都大病院で40代の男性、片方の腎臓は神戸大病院で60代の男性、もう片方と膵臓は名古屋第二赤十字病院で30代の女性に、それぞれ移植される予定。
 日本臓器移植ネットワークによると、各施設での移植手術は臓器が到着し次第開始され、すべて終了するのは20日午前になるとみられる。
 今月9日に、臓器移植法の改正後初めて家族の承諾のみで脳死と判定された関東地方の男性は事前に家族に口頭で提供意思を伝えていたのに対し、今回の男性は、本人の意思が完全に不明で脳死判定と臓器摘出が行われる初めてのケース。」(引用以上)

このニュースでは家族の希望で、脳死した?男性の年齢、死因、病院等の情報は公表されていない。誰も何もわからない。臓器移植ネットワークの人たちが記者会見しなければ、まったくその事実さえ知ることはない。
これが党議拘束なしで採決された新しい臓器移植法案の真髄だったのである。みんな法案の中身を知っていて賛成したのだろうか。

これを認めると、あとは歯止めはかけようがない。現在はいちいち記者会見が行われるが、徐々に新聞にも載らなくなり、平然と当たり前にすべてが秘密のうちに移植が行われるようになるのではないか。
本人の意思が確認できなくとも、極端な話し、金で家族が買収されることも十分にありえるだろう。最低でも何らかの第三者が、脳死の判定が妥当だったかどうか、そして家族が本当に同意したのかの確認が必要なのではないのか。

日本の医療は越してはいけない川を越えてしまったような気がする。

私は人間の実体は脳ではなく腸にあると考えている。脳死が人間の死であるという定義は単に医師の方便で、脳死と判定された人も実は腹を立てているかもしれない。痛いよ、痛いよと悲鳴を上げながら、はらわたが煮えくり返っていても表現できないだけかもしれないではないか。もし、私の考えが正しければ、移植手術は立派な殺人である。医師たちは合法的に殺人を行っていることになる。私は脳死を以って死と判定することには反対する。心臓が停止したのを以って人間が死んだものと認めるものである。
本人が同意したなら他人がとやかく言う必要はないかもしれないが、人間には安らかに死ぬ権利があるのではないだろうか。家族にそれを妨げる権利があるとは思えない。