マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

ウクライナは支配者たちの故郷?

2022年02月20日 07時29分10秒 | 世界の支配者

Kcyanさんからウクライナ情勢に対しコメントが来ています。

まずお伝えしなければならないのは、S氏自体がお忙しいようで、最近は音信が途絶えています。そのためウクライナ情勢に関する正確な情報がありません。したがって「私の頭」の中にある知識、すなわち原理・原則で判断するしかありません。つまり素人の判断ですので、っていうか、私の希望的観測と考えていただきたいのです。もし正しい予測が私にできるのなら私はテレビに出て有名人になれるでしょう。

さて、原理・原則からすると、世の中は現在シオニスト、〇〇宮、米北軍の三つが主体となって動かしているとみるべきです。シオニストはウクライナ、ヨーロッパ各国もちろんロシアの主体ですが、いうまでもいなくウクライナは彼ら生誕の土地みたいなもので、コーカソイド族のたまり場です。したがってロイター通信をはじめ世界のマスコミを操っているのが彼らなので、当然マスコミの報道姿勢はシオニストのそれそのものです。要は、現在戦争を仕掛けるためロシア、ウクライナとも彼らが両側の内部から煽っています。さらにシオニストであるバイデンを見れば彼が今でも戦争を始めたい意欲があふれているではないですか。非常に危険な状況ですね。

そのウクライナ軍のシオニストがウクライナ東部に多いロシア系、つまりスラブ人に対しテロ活動をしている。これに対し反シオニストのプーチンが怒るのは当然です。彼はトランプと同様〇〇宮がバックと考えます。彼らはグローバリズムではなく民族独立を唱えます。したがってプーチンがウクライナ内の親ロシア人を守るためにウクライナ周辺に軍を進行させシオニストに対し圧力をかけるのは当然であり「正義」でもあるでしょう。

その両者の対立はいずれ軍事衝突を起こすことは当然です。しかしそこで黙っていないのが米北軍です。彼らのヨーロッパでの主体はNATO軍です。NATOは要は民主主義か社会主義かのリトマス試験紙みたいなもので、第二次大戦後に生まれた軍事同盟であり日本でいうと安保条約のようなものです。日本でいうNSA協定と同様、米北軍との軍事同盟と財政支援(簿外資金)とがセットになっています。

NATOは強力な軍隊を持っているので仮に軍事衝突が起きればすかさず介入するでしょう。ここで注意するのはそれら三者には国の概念はないのです。確かに戦場はウクライナだし被害を受けるのはウクライナ国民となります。しかし裏側で情報戦を仕掛けているのは支配者たちで、戦争の裏側で自分たちの権益を拡大するのが彼らの本当の目的でもあります。

NATOで現在中途半端な立ち位置にいるのがトルコですが、ここの大統領のバックは〇〇宮とみられています。つまりNATOに属しながらも必ずしも役割を果たしていない。おそらくウクライナもその方向になるでしょう。

残念ですがウクライナがどうなるのかを正確に予想できる人はいないでしょう。当事者たちもどうなるかわからないのが実情のはずです。ただし支配者たちの中では落としどころは決まっているはずです。要は米北軍にしても産軍複合体からの圧力で戦争を望んでいるところであり戦争の可能性はかなり高いといえます。

私たちにできるのは支配者の立場に立ち冷静に状況を見守るぐらいしかありません。マスコミの報道は鵜呑みにせず事実だけを見てください。少なくともロシアが・・・とか、アメリカが・・・という論議ではなく、シオニストが〇〇宮が・・・といいう観点でお願いします。

それにしても我々の経済に及ぼす影響は多大なものが予想され、エネルギーや食糧などが高騰するでしょう。そしてロシアに対する経済制裁は世界中に影響を及ぼすはずです。

コロナで痛めつけられた我々の生活はさらにつらいことになるやも。この辺りは覚悟をしなければならないでしょうね。

コーカサス地域で生まれたスキタイ族ですが、彼らが世界に散り厄災をばらまくわけで、まさに史上最悪のウイルスといえます。ワクチンが欲しいな。


女系部族ってなんだ?

2021年12月29日 16時15分24秒 | 世界の支配者

更新が遅くなり申し訳ない。さぼっていいるのかと言うとそうでもない。それほどややこしいところに追い込まれているということです。
調べているのはシオン修道会なのですが、簡単に考えていたのが調べだすともう底なし沼に引きずり込まれた感があります。一番最初に考えるのは「ダビンチコード」ですが、いわゆる聖杯伝説につながってゆく。
そしてテンプル騎士団、フリーメーソン、イエズス会,イルミナティーまで調べる羽目になってしまう。これらの秘密結社の上の組織がシオン修道会だという話もある。実際はどうなんだろう・・・。
ここでいうシオン修道会はフランク王国のメロヴィング朝を受け継ぐものとなるが、元をたどるとゲルマンの部族、シカンブリの子孫だという。これをさらにさかのぼるとギリシャ王家、トロイ王家、さらには南ユダ王国のベンヤミン族にまで行き着く。聖杯伝説とイエスは密接につながるが、イエスはユダ族で、ベニヤミンとは血統が異なる。しかし、イエスがマグダラのマリアと婚姻関係にあり、さらにマグダラのマリアがベニヤミン族の娘であるとするならイエスの息子はベニヤミンの血統に属することにはなる。マグダラのマリアの出自は闇の中であるが・・・。
三人のマリアを調べてみたら・・・?というのはS氏の言葉だが、聖母マリア、マグダラのマリア、もう一人はイエスの娘、マリアというのがいたようだ。この娘、マリアが実在したとすれば彼女こそ聖杯=つまり聖なる子宮ではあるな・・・。
残念ながら、今のところイエスの娘、マリアにはたどりついていない。知っている人がいれば情報をください。
さて、ベニヤミン族というのはあるときレビ族の娘を強姦し、全イスラエル部族を敵に回し、仕方がなくギリシャ方面に逃げたといわれる。
イスラエル部族は決してイスラエル部族以外の血を入れないと言われているが、ベニヤミンは初めてほかの血を入れたといわれる。つまり、血流を守るとしたら女系でつなぐしかないということになる。
さて、ユダの長男がエルと言い、タマルという娘と結婚する。が彼は子供に恵まれず早世してしまう。ユダヤの掟によりタマルは次男と結婚するがやはり子供が得られなかった。三男と結婚するには時期が早すぎる・・・というようなことで、彼女は娼婦のふりをしてユダと一夜を共にする。そして双子を生み、まんまとユダの息子を授かった。
この双子の一人がプレツでダビデ、ゆくゆくはイエスの血統となる。ここで問題はもう一人の兄弟、ゼラが嘘か本当か、あのヴェルフ家の血流になるのだと。
まあ、この家系を追いアルカディア(ギリシャ)、トロイ、メロヴィングと調べればメロヴィングの成立までの経過はわかるかも知れない。問題は先のマグダラのマリアやユダの娼婦タマル、あるいはヴェルフ家の生業を考察すると、要は女系だということになる。しかもあまりメジャーではないベニヤミン族だとすると歴史はにわかに面白くなる。
考えてみると女系というのは強い。男系で代々血統を繋ぐことより、強い王に嫁として入り込む方がたやすい。何よりも男子の遺伝子はY遺伝子を伝えることが主であり女系は霊能力などの資質を受け継ぐことが重要となる。
確証が得られていないので私の勝手な判断になるのですが、これら一連の女系を繋いでいる組織が「シオン修道会」なのではないかという話になります。
このシオン修道会ですが思いのほか大きく、また古い秘密結社である可能性があります。というのも、例のセミラミス、アッシリアの王女が描いた世界戦略の具体策が分かっていないのです。つまり、世の中を王様を継がせる勢力と、次の王様を生む勢力とを争わせることで自分の思い通りに世界を動かすことができるという戦略ではないかと・・・・。
修道院というのは実のところ売春宿ではないのか、神に使える巫女と床を一緒にし神の子を得る。これこそ日本では斎院・斎宮・斎王制度と呼ばれる特殊な制度であり、江戸時代は大奥、明治には鹿鳴館などで王族の婚姻を司ってきたわけです。
アブラハムは妻のサラをファラオに捧げ、不倫をネタに脅迫し巨額の賠償金をせしめた。もともとユダヤというのは金と女を武器にしてきたわけだ。
シオン修道会がそうであるという確信はありませんが、ではエジプトのファラオは皇后をどのように選んだのでしょうか、おそらくはエジプト王朝を動かしている組織からの命令で婚姻したのでしょう。まあ、これがウバイドだろうし、婚姻についてはその下部組織であるシオン修道会だったのかもしれない。

さて、一体私が何を求めているかというと、ウバイドだけが支配者ではなくほかにも支配者部族がいくつもいるようだという疑問があり、S氏に聞くと、8種いると。一つがシオニスト、華族、ヘテ族(ヒッタイト)、ゲルマン・・・もちろんウバイドも。残念ながら全部は教えてもらえなかった。その中に女真族は入るのですか?の問いに対し、女真はシオン修道会ですよと言われました。8種の中に入るかどうかはわかりませんが、「そのぐらい自分で調べなさい」ということです。

今日の記事は結論ではなく、途中経過に過ぎませんが調べることは山ほどあります。時間が必要なのです。

幸い正月休みが始まり、時間は十分にあります。良い勉強ができるとうれしいのですが、年末年始はいろいろとやることがありどうなるやら・・・。

さて、今年もそろそろ終わってゆきます。コロナで始まりコロナも終わる。来年が良い年になればいいのですが、コロナのつけが押し寄せるでしょうね。G7は大量の簿外資金が投入されていますが、入っていない国がたくさんあります。それらの国は借金するしかありません。要はインフレです。

平成以来日本はデフレ下にあり物価も所得もほとんど増えていませんでした。増えたのは消費税と医療費ぐらいでしょう。したがって今後起こるであろうインフレは、逆に言えば待ち焦がれた物価の上昇かもしれません。ピンチはチャンスとか、インフレを怖がるよりインフレを利用する工夫をした方がよいでしょう。

もっとも、年金受給者にとっては厳しい時代になりますが、まあ発酵発芽玄米を食べて生き抜きましょう。

 

 

 

 


明治維新の考察ー3

2020年11月21日 19時05分18秒 | 世界の支配者
もう何週間調べているのだろうか・・・・何を?
「長州と水戸の関係」をです。まったく関係のないように見える二つの藩がまるで連携を取っているように同時に同じような方向へ動いたのはどうしてなのか?
ヒントはいただいていた。「水戸学」と「虎銭」、そして川崎定徳この三つである。
先日がんちゃんから牛久藩に山口氏がいることを指摘されていた。しかし、牛久と水戸は近いけれど関連は見いだせない。
やはり水戸学から探すしかないようだ。
距離的にも遠いこの二藩が、藩士レベルとはいえ、「成破の盟約」(万延元年)をむすび、水戸天狗党が滅びるまで(元治元年)、密かに協力して活動してきたことは歴史が証明するところです。
ネットには情報が溢れている、しかし長年歴史を学んできた経験からすると、最低限事実は事実として認めるにしても、その背景にある真実はまず書かれることはないということです。例えば大内家は歴史上滅びたことになっているにもかかわらず、現実には毛利家を支配していたとS氏は語っています。しかし、そんなことどこにも書いてないじゃないですか。
今回、水戸家が大内氏に支配されていた証明はなんとしても自分で見つけ出さねばならない。
水戸学を調べている中で大内正敬という人物が見いだされた。そこから遡ると常陸源氏が登場する。「佐竹氏は常陸(現在の茨城県あたり)の守護・戦国大名で、「新羅三郎義光」の流れをくむ氏族とされています。常陸国司であった義光の孫にあたる「源昌義」が、久慈郡佐竹郷に土着したことから地名を氏族の公称としたのが始まりです。」
wikiで佐竹氏を調べると「佐竹氏(さたけし)は、日本の氏族のひとつ。日本の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、常陸源氏の嫡流。武田氏に代表される甲斐源氏と同族である。」
大内氏は本姓多々良氏で百済王の流れであり新羅三郎では困るんだけど、百済も新羅も源氏になっているのかもしれない。清和源氏、河内源氏、佐々木源氏などいくつも源氏は存在する、日本に攻め込んで日本に土着した武士団がひとまとめに源氏を名乗った可能性がある。いまのところ真実は私たちにはまだわからない。

さて、水戸藩大内氏でwikiを調べると、ちゃんとあるじゃありませんか。
「水戸藩郷士 大内氏  本姓 清和源氏義光流 種別 武家 地下人 出身地 常陸国 著名な人物 大内清衛門

主家の秋田転封に随行せず、常陸国に在国した大内氏については、水戸藩により郷士に取り立てられた。大内勘右衛門は田中中村に50石を与えられたという。この郷士登用には水戸藩の新藩主となった水戸徳川家が旧領主 佐竹氏一門の西丸氏や長山氏などとともに配下に組み入れることで撫民政策を取る狙いがあったという。 また、水戸藩領内からは江戸時代中期から後期にかけて活躍した大内清衛門が出る。清衛門は諱を利貞といい代々、那珂郡前浜村に隅、後に湊村に移り、回船・海産物問屋を営み、北海道貿易で巨利を得るという。兄の大内五郎衛門彰信の養子となり、献金により郷士となるという。格式代官列、350石を給され、勘定奉行、格式小納戸役、湊殻会所仕法懸に昇るという。 また、江戸時代後期に水戸藩の百姓から藩士となった者として、大内正敬が出る。正敬は代々百姓であった久慈郡留村の大内重政の子として生まれたが、小宮山楓軒に師事して、郡方勤となり、弘道館句読師を経て彰考館に入り、歩士格・弘道館訓導、北郡勤め、南郡勤めなど歴任し、小宮山の手代として民政に尽力したという。wiki以上

ここで上の赤文字にある廻船・海産物という言葉で思い出したのは水戸藩勘定方であった川崎八右衛門です。
wikiから
「嘉永2年(1849年)数え年16歳で、家業の回漕問屋を継ぎ、初代八右衛門を襲名。翌年、現在の水戸市成沢町の私塾「日新塾」(加倉井砂山開設)に入門し、砂山の次女である香蘭と結婚。幕末には財政逼迫に苦しむ水戸藩の鋳銭事業に着手。」

つまり、この川崎八右衛門と大内清衛門は同じ人物ではないのか?まあ、ちょっと飛躍した可能性はあるが、川崎と大内は同じような経歴で偶然にしてはできすぎじゃないのか。
川崎氏をこれ以上調べることはできない。どこにも書かれていないからだ。つまり不都合な真実なのだろう。

そういえば、もう一つ課題を忘れていた。榎本武揚という不思議な人物である。後に北海道で蝦夷共和国を建国しようとしたのだが、S氏によれば水戸(大内家から?)から出ているのだという。で、大内清衛門を調べる過程で「大内清右衛門という名で、徳川斉昭の密命で蝦夷地から千島・樺太を調査し、海を渡って沿海州も調査した。その後の経過は、はっきりしないが「蛮社の獄」に連座し、命を落とした。」という話が出てきた。
なぜ榎本にこだわるかと言うと、日本製原爆の起爆スイッチを押した人物は彼の縁者である。まあ、榎本に関してはまた別の機会に書くつもりだが、今回の清右衛門と蝦夷地とのかかわりは偶然とは思えない。
要は、清右衛門は役職であり、該当する人間は複数いたのかもしれない。


まあ、これで大内家と水戸藩のつながりを調べることは終了します。
そうそう、虎銭ですが、鋳銭の技術も必要ですが、なによりも裏付けとなる資金がなければ信用されません。大内家は石見銀山を支配しており、当時世界の銀の産出量の三分の一と言われるほどであったわけで、どこの藩でも可能だったわけではないのです。
川崎氏=大内氏という仮説が成り立つ理由はそこにあります。

さて明治維新を調べるとまだまだ伝えなければならないことがたくさんあることが分かってきます。
つまり、水戸家も大内家も明治維新の主役級ではありますがまだまだ主役ではありません。岩倉具視にはまだ触れていません。
でわまた。

追記 まゆみさんからコメントをいただきました。ありがとうございます。僕がブログを始めてまもなく知り合った方です。最初のブログは「マヨのぼやき」だったかな・・・2007年ですからもうひと昔前ですね。
当時は何もわからないまま、思ったことを思いつくまま書いていたので今読むのは怖いですね。(絶対に読みません)
一番最初は鬼塚英昭さんの応援ブログから始まり、鬼塚さんとけんかして「シバちゃんのため息」に移ります。そしてそのころサムライさんと知り合い影響を受けます。そしてまた彼とケンカして「マヨの本音」に移ります。そしてS氏と知り合い大変なことになりました。従来の常識をひっくり返されました。しかし残念ながらさることで破門されブログは休止しました。そして今年の夏に再開しました。メソポタミア・ヴァレーの紹介ブログとしての再開です。私の役割は正式には何も決まっていませんが勝手に食育と歴史シュミレーションだと考えています。今回の明治維新のシリーズはその準備の一環ですが、私としての訓練でもあります。要は、歴史書に書かれていない真実を明らかにすることです。簡単に終わるつもりだったのですがやはりとても大変です。日本も世界の一部であることを意識しないと意味がなくなります。だから時間を縦軸に、世界を横軸に見て考察しなければなりません。
まだまだ思う通り行きませんがもう少し我慢してお付き合いください。


明治維新の考察ー2(長くなってしまいました。)

2020年10月18日 07時23分03秒 | 世界の支配者
明治維新を調べると言ったものの、すごく欲が出てきてしまい、どこから書けばよいのか迷っていますが、でも行けるところまで頑張ってみます。
先ほどS先生から電話をいただき、少々手直しをしました。

〇〇宮は100年先を見ているという話だそうですが、それでは明治維新のプロジェクトはいつごろから実行に移されたのか?そして何を目指したのか?
前回少しだけ書きましたが英国とロシアのグレート・ゲームですが、これぞまさしく地政学(英国のですが)というものそのものです。メソポタミアからスタートしたウバイドが東の果てに行き着いたのが日本、西へ向かった先が英国、その両国が同盟を結んだのが日英同盟。これは日露戦争を起こすためのものって言うか、ロシアとの戦争に日本を巻き込むためのものだった。英国の最大の敵となったロシアという国はもともとはドルイドが一番最初に上陸した、言ってみれば同志ではないのだろうか。要は、ドルイドからすれば右手と左手みたいなものだろうか、そこまでは僕にはわからない、玉ねぎの皮のようにどこまで行っても答えは見つからない。
ただ言えることは、私の読者は英国、ロシア、米国などという国家という概念は間違っていることを知っている。だからあくまで便宜上であり、実はヘッセンの中のイエズス会なのかシオニストなのか、あるいは米北軍、南軍なのか、あるいは〇〇宮なのか・・・などを考えてゆかねばならない。国境で区切られた国で考えるほうがよほど簡単なのだけど‥‥。
英・ロのグレートゲームの本質はヘッセンのロマノフ王朝の持つ金塊の強奪ですが、実はギリシャ正教への妬みもあったとみるべきでしょう。まあ、第一次大戦でその決着がつきますが、よもやその金塊が最終的に中野学校の手に落ちるとは、歴史というのはたまには小説より奇なりということが起きるものですね。
とりあえずグレートゲームを調べると「第1期のグレート・ゲームは、一般にほぼ1813年から1907年の英露協商までの期間を指し、狭義には、グレート・ゲームとは専らこの時期の英露によるアフガニスタンを巡る抗争を指す。この時期の英露抗争は中央アジアからインド洋を目指すロシアの南下と、インドの征服事業を進めた英国との間で争奪ポイントとなったアフガニスタンにおいて争われた。」とある。いずれにしても不凍港を求め南下するロシア、それを封じ込めたい英国の思惑、それが日本を明治維新に導く大きな要因だったことは言うまでもない事です。
さらに英国は南アでのボーア戦争を戦っており、さすがに手一杯なので日本を味方にするか占領してしまうか慎重に調べていたことでしょう。
さて、話を日本に戻し、一体○○宮は明治維新のプロジェクトをどのあたりから始めたのかを考察してみましょう。
まず一番最初のスタートは光格天皇までさかのぼらなければならない。即位が1780年のことだから、明治維新の王政復古が1868年、本当に100年を見通しているのかも・・・。
「光格天皇は、日本の第119代天皇(在位: 1780年1月1日〈安永8年11月25日〉 - 1817年5月7日〈文化14年3月22日〉)。傍系・閑院宮家の出身であるためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。父・典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。
安永8年10月29日(1779年12月6日)、後桃園天皇が崩御したとき後継候補者として伏見宮貞敬親王・閑院宮美仁親王と美仁親王の弟・祐宮師仁親王の3人がいたが、先帝の唯一の遺児欣子内親王を新帝の妃にするという構想から既婚の美仁親王が候補から消え、残り2人のうち近衛内前は貞敬親王を、九条尚実は師仁親王を推薦した。会議の結果、貞敬親王の方が年下で内親王とも年が近いものの、世襲親王家の中で創設が最近で、天皇と血筋が近い師仁親王が選ばれ、急遽養子として迎え入れられた。」(以上wiki)
つまり、近衛(北朝)と九条(南朝)という東西両巨頭の間で張り合った中で九条家が勝利したということかな。
で、光格天皇には特筆すべきことが3つあります。
一つは天明の大飢饉の際に幕府に民衆救済を申し入れるという禁中並公家諸法度に対する違反を犯したが、幕府にも落ち度があるとして不問にとされたこと。天皇が幕府に口をはさむ最初だったと。
2つ目はゴローニン事件では幕府に経過を報告させるという強い態度を示したこと。これがのちの日米和親条約を幕府が勝手に調印した時に前例として効いてくる。
ゴローニン事件とは・・・・1811年(文化8年)、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴローニンらが、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、約2年3か月間、日本に抑留された事件である。ディアナ号副艦長のピョートル・リコルド(ロシア語版)と、彼に拿捕そしてカムチャツカへ連行された高田屋嘉兵衛の尽力により、事件解決が図られた。
3つ目は光格の息子が中山家に養子に出され、ここが京中山家となる。実にここからあの天誅組が始まるわけです。この派閥は現在でも北朝勢力として力を持っているとか…。
「京中山家初代忠伊(ただこれ)卿は119代光格天皇の第六皇子で、幼名武生長仁中山大納言家に臣籍降下し忠伊と名乗る」(観命学とはなにか?より引用)
まあ、尊王の芽生えはこのころからかな・・・・という感じですか。
さて、話は変わり、水戸へ移ります。(歴史探偵さまの記事をお借りします)
「改めて攘夷の"夷"は「えびす」で野蛮な外国人のこと。"夷"と反対の漢字は"華"。世界の真ん中で最も高い文明と華麗な力を誇る国=中華の国=中国を指す。
しかし光圀時代の日本に、日本こそ中華な国である、という意識を光圀に植えつけた人物がいた。それが明国の儒学者・朱舜水。
朱舜水は儒教の国・明の崩壊を目の当たりにする。その際、皇帝に対する忠臣が少ないことに絶望した。一方で彼は日本で水戸光圀に会う。光圀の政治家としてのふるまい、楠木正成のように後醍醐天皇への忠誠に殉じた忠臣の存在、古代から連綿と続く天皇家の存在などを知り、日本こそ、本当の中華であり、理想国家なのでは、と考えた。そしてその考えを光圀に伝えた。これが水戸藩の中に「日本こそ理想の儒教的国家であり、中華な国である」という意識を植えつける端緒となった。
また朱舜水は、そのような素晴らしい日本の歴史を日本人自身が確認するため、司馬遷の『史記』のような歴史書の編纂を光圀に勧めた。光圀はすでに『大日本史』の編纂を進めていたので、中国の学者からお墨付きをもらう形になった。」(引用以上)
以前、水戸家と近衛家のつながりは自給さんのブログが明らかにしていましたが、徳川家というよりも近衛家の血流として明治維新の役割を果たすことになったのでしょう。
「近衛 尋子(このえ ちかこ、寛永15年(1638年)10月 - 万治元年閏12月23日(1659年2月14日))は、江戸時代前期の女性。水戸藩第2代藩主・徳川光圀の正室。通称は泰姫(たいひめ)、台姫。院号は法光院。諡号は哀文夫人。」(wiki)
安政の大獄と桜田門外の変など水戸藩が中心となった幕末の出来事は多く興味深いのですが、明治維新の一連の改革が終わり、世間が落ち着いてみると、水戸藩の果たした役割は単なるきっかけ作りに過ぎないことが分かるのです。
例えば天狗党の乱などを調べると、いくら命が安かった時代とは言え、人命がいかにぞんざいに扱われたものかと思わざるを得ません。
攘夷とは、開国やむなしという幕府に対しいちゃもんをつけたい勢力が主張した無理筋の思想であり、その証拠として各陣営とも明治新政府になると攘夷どころか世界に追い付け追い越せとなんてしまったではないですか。要は、そのようなものは看板程度のものだったわけです。
さて、キリシタン禁止令だったにもかかわらず、全国にイエズス会の代理店がいくつもあったことは今ではよく知られています。例の松平姓を賜った有力大名たちです。
前田、伊達、島津、毛利、黒田、浅野、鍋島、池田、蜂須賀、山内の各大名たちで、松平姓と四品の格を当てていました。つまり、天皇の妃になることができ、つまり次期天皇を生むことができる資格を持っていたということです、キリシタン禁止令の中ですよ。
〇〇宮はイエズス会を操ることで徳川幕府を存続させながらもいつでもそれを覆せる体制を作っていたことになります。長州や薩摩、あるいは伊達家など日本の中心部から比較的離れた地域に起爆剤を埋め込んでいたことになります。
彼らを次期政権の中心に据えてやろうと誘えば喜んで参加してくることは火を見るより明らかだったはずです。

さて、重要なことを書きます。おそらくほとんどの人が知らないことだと思いますが水戸藩というのは実は牛久で勢力を広げていた長州の大内家が作ったものだということです。大内家は田布施、その前が多々良、その前が済州島、その前が百済王、そして実態はヒッタイトの鉄鋼部隊だった。その大内家は地元長州では毛利家に滅ぼされたように見えるが、実は毛利家に名を変えただけで生き延びており、さらに牛久に移り住んでいたのだと‥‥。まあ、びっくりですね。
そんなことで、水戸学と吉田松陰が結び付き尊王攘夷の旗印を掲げるのは至極当たり前のことだったでしょう。
この水戸から出たのが榎本武揚だそうで、彼の話と輪王寺天皇の件は次回に書く予定です。

薩摩と長州が手を取り合う状況に至るまでの経過は長いだけでたいした意味がないため割愛します。なぜなら〇〇宮のシナリオに沿って、なおかつ明治以降に書き直され正当化された歴史になっているだけですから巷にあふれる歴史小説でお楽しみください。

要は、○○宮は自分の右手、北朝を公武合体へ、南朝を尊王攘夷派へと分断し、なおかつシオニスト=マセソン、つまりフリーメーソンを使い日本の現体制を転覆するように仕組んだということです。


退屈だけど、水戸で起きたことを「少しだけ書いておきますね。退屈だから読み飛ばしても結構です。

安政5年8月8日(1858年9月14日)、水戸藩は、幕府による日米修好通商条約調印を不服とする孝明天皇から直接に勅書を下賜されたと称した(戊午の密勅)。折しも将軍継嗣問題を巡って前藩主徳川斉昭らは、一橋徳川家当主で斉昭の実子でもある一橋慶喜を擁立し(一橋派)、大老井伊直弼と対立していた。直弼は、一橋派の中心人物は斉昭であり、密勅の降下にも彼が関与していたとの疑いを強めた。やがて直弼によって一橋派や尊攘派への大弾圧が開始され(安政の大獄)、水戸藩に対しては、斉昭に永蟄居を命じて再び失脚させ、京都での工作に関わったとみられる藩士に厳しい処分を行った。
ペリーの黒船来航のころアメリカ。軽工業が発達し、製品輸出のための市場を欲していた。ペリーは英国に対抗し中国市場を獲得すべく、太平洋航路を開きたい。そのため日本を拠点としたい。そのための最新鋭の軍艦で日本にやって来た。
ペリーに相対したのが老中・阿部正弘だったのは幸いだった。彼はアヘン戦争のことも知っており、日本が開国して豊かになり、強い軍隊を作らないと清のようになってしまうこともわかっていた。
尊王攘夷運動 八月十八日の政変
「尊王攘夷運動の展開地図 ©世界の歴史まっぷ」より引用
この前後、京都の動きに呼応して、公家の中山忠光(1845〜64)、土佐藩士の吉村虎太郎(1837〜63)らが大和五条の幕府代官所を襲った天誅組の変また、福岡藩を脱藩した平野国臣(1828〜64)、公家の沢宣嘉さわのぶよし(1835〜73)らが但馬生野の幕府代官所を襲った生野の変、藤田小四郎(1842〜65)ら水戸藩尊攘派が筑波山に挙兵した天狗党の乱など、尊攘派の挙兵が相ついでおこったがいずれも失敗に終わった。

倒幕に成功したが新政府内にはまだまだ尊王攘夷を捨てられない人がいた。そのため大久保らは彼らの価値観を転換させることを目的として、欧米外遊を決める。それが岩倉使節団。大臣の半分以上が二年も欧米に外遊するという無茶な話だったが、リーダー層の価値観を転換させるのには奏功した。
また岩倉使節団は日本と世界の国力を正確に分析していた。使節団がめぐった国の順番はGDPの大きさ順になっている(アメリカ→イギリス→フランス→ドイツ)。」

〇〇宮は公武合体で北朝の天皇を維持するつもりだったのに明治維新では南朝になってしまった。さらに、廃藩置県で今までの既得権益が大きく棄損される、さらにさらに廃仏毀釈では従来の寺社権益の多くが神社へと移ってしまった。要は、〇〇宮は大敗北だったのか?いえいえ、これらを仕組んだのは岩倉具視です。つまり、彼は〇〇宮の上、さらにはマセソン陣営の上、両者を天秤にかける地位にいたということになります。
岩倉は北朝孝明のすぐそばに居ながら南朝に政権を与えるという裏切りをする。彼が天皇を殺したとは言わないが、真剣に攘夷を主張する天皇が邪魔だったのは間違いないでしょう。また、德川に対しては和宮を家茂に降嫁させることで公武合体を進め、慶喜には身の安全を保証することで江戸城を無血開城させる。要は両天秤を掛ける役目を持っていたということです。
つまり日本の〇〇宮はあくまでも日本の支店であり、この上にさらに本店の〇〇宮があるということで、動いている当人ですらその上がどう動いているかはわからないわからないというのだという。ここが世界支配の奥深いところで、どこまでが手のひらの上なのか各陣営のトップでもよくわからないという話です。
岩倉具視をもう少し書いておきます。堀川康親の次男に生まれ岩倉家へ養子となる。妹の紀子は孝明天皇の側室に入る。できた子供が堀河辰吉郎である。この辰吉郎が上田なにがしである。ここから大日本皇道会となり大本、北朝鮮・・・・怖くて書けない・・・となってゆく。日本の中に当時大きな起爆剤が埋め込まれたということで、明治が南朝になったとしてもいつでも体制をひっくり返せる準備は整えたということになります。
S氏から聞いた話によれば、〇〇宮は第二次大戦を南朝のせいにし、大戦後は北朝に戻そうという意図があり、そのために大正時代は昭和へのつなぎでしかなく、最初から短期で終わることは決まっていたという。そのため裕仁の兄弟はすべて父親が違いいくつかの派閥が相争っている状況だったそうです。
とりあえず、今回はここまでにします。長くてごめんなさい。でもまだまだ書かなければならないことがたくさんあるのです。

明治維新の考察ー1

2020年10月11日 08時05分57秒 | 世界の支配者
ここのところケトン食の研究をしながらも歴史の勉強を続けています。現在のテーマは明治維新です。WIKIを読めばわかるという話ではなく、明治維新はどうして起きたのかを世界史の中でとらえるというのはそれほど簡単じゃないのです。
日本で明治維新の起きた19世紀を知るには最低でも18世紀からの世界を十分に知らなければならないでしょう。
かと言ってすべてを調べることなどできるわけもないし、要はポイントを押さえなるべく簡略化した中で大きな流れをつかむという、言葉では簡単だが、非常に難しい作業になっています。
18世紀で最も変わったことはやはりアメリカでしょう。1776年の独立戦争まで米国はスペイン、フランス、英国などの植民地だったのです。植民の時期、そして場所、派閥により出来上がった13州が団結し独立を勝ち取ったわけですが、やはり一つになるには無理があり南北戦争が起きる。ちょうどこの南北戦争の前後と明治維新が重なるわけで、本来ならわざわざ東南アジアの小さな国、日本にやってくる理由はどこにあったのだろうという話になりますね。もちろん当時、クジラの油がもてはやされていてその船の補給基地が欲しかったという理由はありますが、そろそろ石油の時代が来ていたわけで、実際のところフリーメーソンによる世界制覇がすでに始動しつつあったというのが正しい解釈ではないでしょうか。
例の南部の将軍、アルバートパイクの書簡は有名ですが、彼がマッチーニにあてた手紙の内容とは、
「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう」
「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである」
「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」
「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……」
あまりにも有名で深刻な内容で、すでに百年以上の予定表がそこには書かれているのです。まあ、本物かどうかは定かではないのですが、残念ながらこの予定表の少なくとも二回の世界大戦で実現しているだけに、彼らの組織は間違いなく最終戦争を予定していることは間違いのないところです。ちょっと明治維新とかけ離れた話になりますが、ここは絶対に抑えておくべき話でしょう。
ちなみに以前読んだ本「11の国のアメリカ史」に書かれているのはアメリカは11の国に分かれていて現在もそれは続いているという。ただし、この本はユダヤ人移民の問題を完全に無視しており、この本の内容にユダヤ人の移民の波を付け加えないと実態は見えてこないでしょう。トランプの支持者の多くは低賃金の白人たちだと言われるが、多くはスコットランド、アイルランド移民でアパラチアに住み各地に散っていった白人である。彼らの敵は自分たちの仕事を奪う黒人や東洋人で、もちろん日本人もそこに含まれるのです。アメリカ人はそれほど優秀でも優しくもなく、粗野で無教育な素朴な者どもが多い。それがトランプの支持者であり、彼らが米国の本音でもある。きれいごとばかり述べる民主党にはうんざりしているです。トランプの再選はもろ刃ですが、それほどシオニスト達の考えが危ないという北軍の判断なのでしょう。

さて、18世紀はやはり英国が中心で、特にナポレオン戦争の終結しウイーン体制が始まる。「ウィーン体制(ウィーンたいせい、Vienna system, Vienna Settlement)とは、ウィーン会議(1814-1815年)以後のヨーロッパの国際秩序である。1848年革命を経てクリミア戦争(1853年-1856年)によって完全に崩壊するまで続いた国際的体制であった。」とある。さて、この体制が崩れる。
19世紀の開始を告げる戦争といわれた「ナポレオン戦争」の勝者はイギリスとロシアでした。その後、この2カ国が世界帝国としてユーラシア大陸の各地で対峙したことを「グレート・ゲーム」と言います。海洋国・イギリスと大陸国・ロシアの対立でもあり、衝突点はバルカン半島、中央アジア(今のアフガニスタンあたり)、そして東アジアの3カ所でした。
要は、日本が鎖国している間にもオホーツク海も含む日本周辺では英国、オランダ、スペイン、そしてロシアの艦船がうようよしていて幕府はそれらに全く無頓着だったかと言うとそうではなく、十分に注意を払っていたのです。
特にアヘン戦争が幕府に与えた影響は大きかったと思います。
その前にグレート・ゲームをもう少し勉強しなければなりません。
英国に関しては日本人は結構詳しいと思いますが、ロシアについてはそれほど知らないと思います。
さて、「神道8道、仏道12道と言われていますが‥‥」とS氏は語る。
「実は日本の神道はギリシャ正教の流れで、東ローマ帝国からロシア、日本へと伝わってきたのですよ。それが八つの流れで、もう一つ丸を増やすと九鬼の紋章になります。」
うーん?九鬼が親玉?さてさて、わからない。これはもう半年前に聞いた話なのですが、いまだにその答えは見つかっていない。
でもこれだけは言える。つまり、ドルイド神官がロシアに上陸し、それから左右に分かれ遠路はるばる日本にもたどり着いたのだと。この派閥は今でも日本に存在する。つまりロシアにシンパシーを持っているグループがあるのだ。
はて?この流れとスキタイの流れはまったく同じではないのか?ロシアには「スク」という地名が多いのはお気づきかと思いますが、これはスキタイの名残と考えます。世界で一番スキタイの遺跡を残しているのがロシアです。さらに私が興味が尽きないのが「好太王」です。これはそのまま読めば「スキタイ王」、高句麗の王がスキタイ王だったという話。要は、扶余から始まる満州の強国はスキタイの流れであり、その流れは中臣鎌足となり現在もその派閥が日本に存在しているという話になる。
先ほどの神道の流れと高句麗の流れは一見関係ないようにも見えますが、実はギリシャから始まりロシアを経て、草原のシルクロードを通り沿海州で栄えた縄文文化と、朝鮮半島を経て日本に上陸した派閥はいずれにしてもツングース系のオロチョン同士だったというのが私の結論であります。
さてと・・・明治維新の話をしようと思ったのに、周辺の話だけで十分に長くなってしまった。今回はこれぐらいにしないときりがない。まだまだオランダや清、イエズス会、フリーメーソン・・・・調べることが多すぎる。

煩悩さんがトランプ再選?を書いてますが、私もそう思います。今回の対戦相手はやや弱すぎる。今回の民主党は本気ではないと感じますね。トランプが前回当選したのはペンシルベニアの意向だったわけで、つまり米国北軍はより危険なシオニストより民族独立派である〇〇宮のトランプを選んだのであり、今回も同じ結論になるということでしょう。トランプが勝てばコロナ騒動もやや収まる可能性があり我々もそのほうが嬉しい。

中途半端な記事で申し訳ない。