マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

糖尿病と言う闇に光を当てる

2020年12月13日 07時10分35秒 | 道成チャンネル
糖尿病と言う闇に光を当てる


道成チャンネルの第二弾です。内容は糖尿病に焦点を当て、現在の医療の闇に光を当てようという話です。

私も実は糖尿病と診断されたのですが、医者が奨める薬を拒み食事療法で何とか克服してきました。
1、夕食はサラダと少々の肉類とする。
2、寝る前3時間はなるべく物を食べない。
3、朝昼は食べたらすぐ活動する。要は取った糖質をなるべく早く消費する。
4、たばこはなるべく一日に30本吸う。
5、口がさみしいときは酢昆布とかキシリトールガムを食す。
6、スナック菓子は絶対に買わない。
7、どうしても食べたいときは少しだけ食べる。
これが私の糖尿病克服のプログラムです。最初は苦労しましたが、今は逆にこれを破ると体が拒否反応を起こします。もちろんMMSは一日二回服用しています。現状では全く健康体です。

いずれにしてもこれを守ればほとんどの人は糖尿病から脱出できます。もちろん他にも方法はたくさんありますが、その人の程度により処方箋は変える必要はあります。ただ、インシュリンが出ない人、あるいは少ない人は残念ながら現代医学のお世話にならなければならないでしょう。そんな大変な状況、つまり糖尿病になる前の予防医学が絶対に必要なのです。それでも糖尿病の入り口にいる人のほとんどは食事療法を導入すれば医者と製薬会社だけが喜ぶ薬を飲む必要はないのです。
薬を飲み人為的に血糖値を下げると体は必ず自分から血糖値を下げる努力をしなくなります。つまり薬に依存するようになります。また、薬により血糖値を下げ過ぎ低血糖症を引き起こす可能性も高いのです。
人間の遺伝子は普通に生活していれば病気にならず健康に人生を全うできるようにプログラミングされています。要は、健康でない人は普通の生活をしていないということです。

今回、成道成さんの提案が発酵発芽玄米なのですが、何が優れているか少し調べてみましょう。
まず白米と玄米の違いですが、白米は土の上に撒いても腐るだけです。玄米は土地の上で発芽します。つまり命を持っているわけです。一粒の中にバランスが取れたエネルギを持っています。玄米の持つ優れた栄養分のほぼ全部を削り、カス=粕だけを今の日本人は喜んで食べているのです。玄米とあとは梅干し、漬物、みそ汁などの発酵食品を少々取ればほかに何も取らなくても十分に生活が可能となっています。日本人の体の中の消化酵素のほとんどは炭水化物を分解するためにあり、タンパク質を消化する酵素はそれほど備わっていません。肉などはそれほど必要でないということです。
でも、玄米を現代人はあまり食べませんね。どうしてか?
要は、おいしくないからです。
ではどうすればおいしく食べれるか。それが発芽玄米です。玄米を洗い、水に浸し季節にもよりますが一昼夜、すると玄米は発芽を始めます。するとどうなるのか、実は玄米にはフィチン酸、アブシジン酸という成分を含み玄米の栄養素が働かないようにブロックしています。が、発芽するとブロックが外れ栄養素が解放されます。ただ、完全に発芽してしまうと栄養がそちらに使われてしまいます。つまり、発芽しかけたときが一番良いわけです。
発芽しかけたときの玄米が発芽玄米といいます。実際に食べていないので味のことは言えませんが、とてもおいしくなるとのことです。
さて、発酵発芽玄米というのは二つの考え方があります。一つは発酵(寝かせ)発芽玄米で発芽玄米を炊き、そのまま三日間保温するもので、食感はさらにもちもちするそうです。小豆と塩を混ぜて炊くとまるで赤飯のようだとか。
さて、もう一つは発芽させるときに乳酸菌などの菌を投入し発芽と同時に発酵させるのだそうです。これがどのような物か、今のところ見たことがないのでできてからのお楽しみということですか。
自然というのはすごいもので、白米と違い玄米には最初から血糖値が上がりにくい成分が含まれていて急激な血糖の上昇を防ぎます。数値を見ると糖質の差はそれほどないように見えますが、主食ですからその差はとても大きいものです。
ただ、現在のコンビニ・スーパーなどで売っている味噌、醤油、漬物などはほとんど添加物まみれで、しかも発酵を止めた状態にして売られています。本当の自然食品のパワーを得られていないことはう憂慮すべきことではあります。

さて、長々と何を書いてきたのか、糖尿病に限らず、主食に白米や食パンなどの精製品を使っていると体はどんどん悪くなる。主食を発芽玄米にすれば人間はDNAに定められた寿命を全うできるという話です。
問題は発芽玄米は主食にするにはちょっと高価だということで、そのあたりをメソポタ・ヴァレーで何とかできないかという提案なのです。