マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

すずさん、ひさしぶり

2009年12月28日 08時47分15秒 | 古代史
久しぶりにすずさんからコメントをいただいた。彼女(女だと勝手に思っているだけで、本当はわからないけど・・・)は日本歴史を大変に細かいところまで研究をしていて、とても私の手には負えないのです。
ただ、私は古事記や日本書紀が日本の地から始まったと考えるのではなく、それが「お種」の放浪の歴史だったと考えているため、若干アプローチがちがうのかな?とは思います。大体、大雑把な性格なので、細かいところまでこだわらずなるべくユーラシア規模で考えたいのです。

天孫降臨の地を私はアマール、即ち満州とロシアの境目、いわゆる黒龍江から始まったとして日本の歴史を考えてきた。しかし、一番最初、天地創造の場所が必ずしも日本ではなく、アッシリアやシュメールだったとしても何ら問題はないはずです。極端な話、天照はトルコ人だったなんて面白いじゃないですか。(右翼に殺されるかも・・・・)

現在、栗原氏がHAARPの連載をしていて、「それはアッシリアから始まった。」と述べている。サムライさんはハープの秘密が古事記にあると言われるが、私はそうは思わない。つまり、ハープはアッシリアから始まる部族が保有していると言う意味であると考える。だから、ツラン同盟という連合体を考える時、古代にさかのぼりアッシリアから最終到達地、日本に到る経路を知る必要があるのである。それが歴史上では最古のスキタイ、そして匈奴、フン族、突厥、モンゴルへとつながるのである。
ただし、いずれもいわゆる歴史を残さない部族であり、その詳細を知ることは今のところ非常に困難である。しかしながら彼らの組織、戦闘方法、掟などは極めて似ているため、同じ種族と考えることはそれほど無謀ではないと考える。
しかし、彼らは宗教的にも、人種的にも極めてオープンな民族で、混血しながら宗教的にも習合しながら成長し、没落したのである。これは想像だが、その支配部族自体はゾロアスターやミトラだったのではないかと考えている。
これらの論証をどのようにするのかですが、たくさんのことは調べたうえで、最後は「えい、やっ!」ってとこもあるので・・・汗、汗・・・、ですね。どうしてこのように考えるようになったのかはいずれ本として出版しなければと思っています。つまり、説明が簡単ではないという事です。

話がややこしくなってきた。日本の皇室があくまで日本で誕生し、純粋日本種であると考えて譲らない方々には、確かに鳩山氏の大アジア構想は危険なものにしか見えないであろうが、ユーラシア規模で歴史を見ている人にとっては何もおかしくはないし、実に当たり前の発想にしか思えないのである。

日本にはいろいろなルートでいろいろな部族が渡来し、全国の非常に多くの地域に王朝なり、集落を築いてきた。だから全国に邪馬台国が出来るのである。
そして、日本が古代から大和朝廷あるいは倭国としてひとつに統一されていたと洗脳されているから困るので、あくまで日本がひとつになったのは、早くても奈良時代、完全には平安時代なのである。それまでは日本各地に邪馬台国みたいな国が存在したのである。
ただし、魏志倭人伝に書かれている倭の女王が住んでいた邪馬台国は残念ながら日本にはなかった。

すずさんに返事を書くつもりがまったく違う話になってしまった。申し訳ないけど、マヨのぼやきのカテゴリ「古代史」でさかのぼりながら読んでいただくと良いと思います。徐々に進化してきたため、最初から読むより、後ろから読んだほうが解り易いと思います。

安宿姫の出典はあまり覚えがないけど、http://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%89%E5%AE%BF%E5%AA%9Bかな?確か飛鳥を調べていて出てきた気がします。書紀にも出ていたような気がするが、忘れた。ごめん。
一応、WIKIをのせておきますね。
「光明皇后(こうみょうこうごう、大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時代の人。聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。名は安宿媛(あすかべひめ)。光明子(こうみょうし)、藤三娘(とうさんじょう)ともいう。 なお、「光明皇后」というのは諡号や追号の類ではなく通称で、正式な尊号は天平応真仁正皇太后という。」