マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

韓流ドラマはしばらく休みまして・・・

2011年02月26日 18時21分56秒 | ひとりごと
さる人から「マヨさんはブログの更新を週一にしたの?」と聞かれた。特に決めているわけではないけど、たまたまそうなっているのだから仕方がない。まあ、最低ノルマみたいなものかな・・・。

さて、150話にもなる韓流ドラマ「女人天下」をようやく見終え、少しゆっくりしようと思い、久しぶりに普通のテレビをつけてみると・・・ニュージーランドの地震報道ばかり、一体視聴者は本当にこのニュースばかり見るのを望んでいるのだろうか、行方不明者の名前、写真、あるいは家族を露出させ、一体何が言いたいのか。被害者が気の毒で、その家族がどんな気持でいるのか、それは察するに余りあるが、報道されることで何も癒されるわけはないし、そっとしてあげることも必要ではないのだろうか。
まあ、テレビを消せばいいのだけど。

もう一つはリビアの反政府運動かな。どうせ商品相場でひと儲けをもくろんでる奴らの悪だくみに違いない。八百長革命に真実などあるものか、カダフィーが正義かどうかはさっぱりわからないが、外国の政治が民主的かどうかより、自国の足元の政治をもう少し正確に報道するほうが重要なのではないかな。だいたい民主的かどうかなんて、何を基準にしているのか?まさか日本やアメリカが民主的な国だと思っているんじゃないだろうね。まさかね・・・。
それにしてもカリスマというのもかわいそうなものだ、要は使い捨てということだろう、ご主人様は身勝手なんです。

さて、私が愛読する月刊日本の三月号は全国的に注目されています。なぜなら原口さんが「管政権は打倒せねばならない」として明確に管政権にNOを突き付けているのだ。もっとも記者の質問に「倒閣などとんでもない・・・」と否定したという報道もあるが。
「社会保険財源を名目にした増税に大義はない。そのような大義のない総選挙を決断するというのならば、私は「民主党A」として戦う。国民の方々に、既得権益に塗れて醜く膨れ上がった「民主党B」とは違う選択肢を提示する。」として地域主権改革を掲げた日本維新の会という政治団体を準備し、河村たかしや橋下徹らと協力していくという。
個人的な好みとして橋下氏は置いといて、河村氏の人気はとどまるところを知らず、名古屋人としてやや誇らしい気がする。いよいよ「減税日本」全国展開開始です。

さあ、管政権の寿命はそれほど長くはない。解散?いいですね、民主でも自民でもない、第三極としての受け皿は整いつつあるし、はい、早く解散しましょ。

落合莞爾さんの連載「疑史(77回)」で、幕末維新において世間には死んだことにするも、実際に死ぬ必要はないから生き延びたとして孝明天皇、睦仁親王(明治天皇の幼名)、壽萬宮、徳川家茂、小栗忠順らの名をあげている。
彼は大室寅之助の明治天皇すり替えの際、堀川御所に孝明天皇、睦仁が潜み、京都皇統として残したとする。私は基本的にその説を信じているし、堀川辰吉郎が実在していた以上、そう簡単に否定はできまい。
私たちが知っていたつもりの明治維新ですらこんな按配である。だとするなら、大化の改新が真実とはかけ離れていたとしても不思議はあるまい。もちろん他の時代においておやである。

それにしても、落合さんの「疑史」ほど中身の濃い筋書きは是非ドラマ化してほしいものである。くだらない報道や、国民を洗脳するための刑事ドラマ、検事ドラマ、裁判官ドラマなどはすべて打ち切り、新しい明治維新ドラマや昭和のドラマをやってもらいたいな・…無理だろうけど。
そうすれば韓流ドラマなど見る必要がなくなるじゃん。

いよいよ始まります。

2011年02月20日 06時57分14秒 | ひとりごと
さあ、倒閣の準備ができつつある。言うまでもなく予算案が立ち往生するうえ、地方からこのままでは地方選が戦えないという声が上がってきているからである。
16人の反乱はほんの始まりに過ぎない。来週早々には送られてくるだろう「月刊日本」の三月号に原口氏が寄稿し、はっきりと「倒閣」の意志を表明しているという。その後。本人は否定したともいわれるが、文字として表明した以上、もはや後戻りはできない。
小沢さんがゆとりたっぷり、堂々としていたのはこの筋書きが出来ていたからだろう。
で、どうするのか?さあ、わからないな・・・、でも、間違いないのは誰も解散はしたくないということで、管さんがよほどブチ切れて破れかぶれ解散をしない限り、あくまで民主党内の内乱で済ませるのだろう。

この半年で民主党内部に潜伏していたいわゆる新自由主義の売国奴が浮き彫りにされてきた。この際、自民党も含めて大掃除をしてほしいな。

さて、もはや問題は次の首相は誰なのかである。世論調査では前原さんがトップなのだそうだが、あくまでそれは財界と官僚の意見で、私はもちろん小沢さんが望ましい。が、公判を控えている今、これは少々無理がある。一番いいのは亀井さんだ、でも少数政党から首相が出るのも反発理がある。やはり、鳩山氏の再登板が一番ふさわしいのかも。
最初の登板では挙党一致にこだわり反対派を起用しすぎた。今回は遠慮なく自分の思った通りの人材を登用すべきである。
そして、残念だが社民党は離れていただき、公明党を抱きこもう。
そして「消費税の論議は白紙に戻し、政権交代を果たしたマニフェストの精神に戻る」のである。
予算案は公明党に協力してもらい、地方選まで新体制を整えれば最悪の事態は避けられるであろう.


さあ、ここ一週間が勝負ではないだろうか。

歴史以前の歴史?スキタイへの大きなロマン

2011年02月16日 05時43分05秒 | 古代史
檀石塊か・・・・、懐かしいな・・・。飯山さんのHPに鮮卑・檀族が登場した。
朝鮮には檀君神話というのもある。ずいぶん昔、まゆみさんのブログでこの檀氏を話題にしたものである。この檀というのは弓の材料であり、音は「だん」だが、訓はなんと「まゆみ」なのだ。たまたま当時、私は「朱蒙」という韓流ドラマに夢中で、この朱蒙と神武天皇、そして檀君神話を重ね合わせ、ずいぶん妄想を膨らませたものである。結局朱蒙と神武とはずいぶん似たところがあるな・・・と。

ダンジリ祭りがそもそものきっかけだったが、このダンジリのダンは失われたイスラエル部族のダン族じゃないのか?という妄想である。(今でもそう思っているが。)
読者から、ダン族はイスラエル部族の行進ではいつもしんがりを引き受けていたという話もあり、冗談半分だが「案外そんなこともありかな・・ダン・ジリか・・・」と思ったものである。

檀石塊は遼東近辺を走り回り、倭人を捕まえて漁業に従事させたのだそうだ。しかし、なぜ急に鮮卑が山を下りてきたのか?それは気候変動である。熊やイノシシが山を降りるのは山に食料がなくなったからだ。
フン族がヨーロッパを荒らしまわったのも気候変動が原因なのであり、ちょうど西暦180年ごろから地球の寒冷化があったのだろう。

私がスキタイの本部だと目星をつけたのはロシア南部のクラスノヤルスクである。単純に地図を眺め、このあたりが中心なのではないかと考えただけなのだが、ウラル・アルタイ地域でこの場所ほど世界の中心にふさわしいところはない。しかし、どう考えても寒そうなところではある。しかし、東に向かえば樺太へは一直線だし、西に向かえばヨーロッパはすぐそこである。南はまっすぐウイグルに着く。いわゆる草原の道のど真ん中で、なおかつここは鉄鉱の産地でもある。この重要な都市には現在もロシアの軍事基地がある。つまり今でもなかなか怖いところのようなのだ。

昔は今と違い、地球は結構暖かかったようであり、その証拠に青森の丸山遺跡には太古の昔大規模集落があった。現在はとても寒い地域なのにどうして縄文人が暮らして行けたかと言えば温暖だったからとしか言えない。つまりクラスノヤルスクも温暖だった可能性は十分にある。

もともとアフリカ中部に暮らしていたスキタイ人が気象変動とともに北へ向かい、ついに温暖快適なロシアに居付いたのは、それこそ何万年も前のことではないだろうか。
スキタイの遺跡発掘はロシアが積極的に進めており、栗原氏によればロシアの起源もわかってくるため厚いベールに包まれているとのことである。

彼らには鉄を扱う技術があったため、世界中鉄を求めてさまよっていた。そして本部から各地に技術者が派遣され王族の子供が各地の支配者として赴任したのである。
日本へはアムール川を降臨し、樺太から北海道を経て本州東部に侵入。日本中の鉱山を調査開発したのであろう。この技術者達が巨石文明を日本に伝え、ついでに言語の基礎をもたらしたのではないか。これらはおそらく歴史以前の出来事であり、スキタイは文字を残さない民族だったから証明できないだけである。

えーっと、何の話だったっけ・・・、あーそうそう、檀氏の話だったな…。鮮卑なんだけど、結局、私の結論は、鮮卑とはスキタイの別働隊、匈奴の一種だけど、やはり格があり、スキタイ族の王家に対してはどうしても逆らうことができないのだ。だから日本でも、天皇家の婚礼家系になれても自分が王になることができない。日本の天皇になれるのはどうしてもスキタイのお種が必要なのだな・・・・。
このあたりが「お種理論」の本質なのだけど・・・、笑われるだけだからもうやめておこうか・・・。でも、どうして国家権力を掌握し天下を手にした秀吉や家康が、あるいは藤原道長が、源頼朝が、足利義満がなぜ天皇になろうとしなかったのか?どうして易姓革命が日本では起きなかったのかの疑問は「お種理論」以外で説明できるのか、だれか説明できるものなら説明してほしいものである。

どうせならでっかい妄想を語りましょう。

2011年02月13日 09時53分03秒 | 古代史
やばいですね、飯山大先生がこんなちっぽけなブログを相手にされては・・・。
大先生に逆らうつもりなど毛頭ございませんが、私といくつかの点で見解が違うようです。と言っても大きな点、つまり山形史観が根底にある点では全く同じで、単に枝葉の一部が異なるだけです。
ただし、日本という国が成立するに至る経過には相当考えに開きがあることでしょう。残念ながら私の持論である「淵蓋蘇文が唐を乗っ取り、唐も高句麗も支配したという史観」はいまだ未完であり、卑弥呼と天皇家の関係を十分に説明することはできないのでとりあえず、大先生の今後の記事を待つしかない。

私の妄想はあまりにも大きく、どこの歴史書にも誰のブログにも載っていないため、いまだに何の成果も出ていないのだ。ただし、唐に、そして新羅に、そして日本にやけに女帝が多いことで説明できないものかと長い間悩んできたのだが・・・。
則天武后の即位した時期、唐は周という国名になった。しかし、現実には淵の傀儡で、同時に高句麗も滅び、淵の長男に簒奪されていた・・・もちろん妄想ですが。
そして当時倭だった韓半島の王家は九州へ逃げ込み、日本の地を征服した。これが天智天皇であり、日本を支配していた天皇家は女帝に種を託し、存続を図った。
しかし淵は追及の手を緩めることなく天武として追いかけて日本に入り、ついには天智天皇を倒し、その種の元、つまり額田王をめとり日本も手に入れる。では、淵とはだれだったか?これは突厥であろう。高句麗王を殺し、王を交代させた淵は絶対に高句麗人ではありえない。彼は高句麗を傀儡とし、唐をも簒奪した。しかし、彼が死んだことですべては元の黙阿弥となる。
私の解釈では藤原家とは鮮卑である。藤原家とは天皇家の婚礼家系として鮮卑が開発したお種保存センターで、大株主は鮮卑拓跋族で、言うまでもなく彼らの姓は元である。いやいや・・・源氏である。
私はこの時代、つまり大化の改新があったといわれる645年から周が唐に戻るまでの約50年、三国の史書に真実はないのではないかと考えている。
しかし、淵が死に政権の主が戻るべきところに戻ったのだろう。それは日本で言うなら聖武天皇であろう。平城京遷都千三百年を昨年祝ったが、その深い意味を知る者はどれぐらい居るのだろうか。

これらの妄想は鹿島昇氏の桓檀古記に645年、淵が李世民を唐の都まで追いつめ城下の礼をとらせたとあるところから考えたのであり、その「古記」が偽書と言われればそれまでである。
歴史とはそんなものである。ジンギスカーンが義経であると私は信じるが、現在の日本、中国、モンゴルの政府でそのような説を誰も喜ばないのであり、笑い話にしかしてもらえない。同じように唐が淵に征服されたなど、だれも喜ばないだろう。しかし、歴史とは支配者の都合で書かれては困るのである。だから私は妄想を語るしかないのだ。


卑弥呼は公孫氏?

2011年02月11日 07時40分39秒 | 古代史
飯山さんのHPで「卑弥呼は公孫氏」という話題が載っている。最近は古代史の研究からやや遠ざかっているものの、以前はずいぶんこの問題で悩んだものである。
「宣帝の平らげた公孫氏なり」と読むのか、「宣帝の平らげるや」と読むのか?私は鹿島昇氏のファンであったから当然前者と考えていた。しかし、何人かの中国人に聞いてみたが、どう考えても「どちらとでも取れる」のである。
そして例の「卑弥呼は公孫氏」という本の著者である山形明郷氏に手紙を書いたのである。結果、彼も「どちらでもいい」と述べたのだ。

優秀な中国の史官がどちらとも取れる書き方をするのは、やはり何らかの意図があったと思うのである。つまり官僚独特の「逃げ」であった可能性が高い。
しかし、私の解釈は晋書が言いたかったのは「卑弥呼が朝貢したのは公孫氏が滅びた後であり、魏志の記述には偽りがある。」であり、正史にケチをつけることは許されないため「卑弥呼は公孫氏である。」という新説を披露するふりをしてこっそりと真実を後世に伝えたかったものと解釈している。
いずれにしても、私は卑弥呼が天皇家の歴史に関わるとは思っていないので、彼女の出自が公孫氏だろうが、なかろうが大して意味はないのである。

以前、そのあたりの考察をシバちゃんブログで超短編小説として書いているので是非ご覧いただきたい。
先日久しぶりに読み返してみたが、我ながらなかなかのものであるよ。

私がこの小説で表現したかったのは、邪馬台国が中国の史書に登場したのは、魏が公孫氏を滅ぼすにあたり、公孫氏に接している国々と友好関係を築き、公孫氏を孤立させようと謀略をめぐらしたからだということだ。
倭という国が韓半島にあったことは中国のいくつもの史書に顔を出しており、誰も否定はできない。問題は、私が考えているように、現在の北朝鮮地域にいたのか、それとも現韓国地域に存在していたのかであるが、公孫氏が遼東、現在の遼寧省に存在したと考えると、私としてはシバちゃんで書いたように遼東半島から現北朝鮮地域にあったと確信するのである。
今日は休日である、それほど時間はかからないので笑い話として私の短編小説を読んでいただきたい。