マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

日本の支配者はどこから?

2021年11月14日 09時50分16秒 | 歴史の翻訳

読者の方からハプログループに関するコメントがありました。

Y染色体を調べることで人類の移動の実態が分かるという優れものです。ただし男系に限るためすべてが分かるわけではないし、また調査した数量(人員?)に依存するため絶対的なものではなく、ある程度の傾向が分かるということでしょう。

しかし、私が調べているのは支配者たちのことであり、一般的?な日本人、まあ普通に日本に暮らしている人々の出自にはそれほど興味はありません。ただ言語学的にウラルアルタイ語系に属している以上、ウラル・アルタイ地方からやってきた人々が全土に広がったのだろうと。しかしどう見ても南方系の人も、まさにモンゴロイドの見本みたいな人も、あるいはペルシャ系のエキゾッチクな美形、ロシア系、半島系・・・まあ、日本は人種の坩堝なのですよ。

まず、今はブログごと消えてしまったのですが「集団ストーカー」さんがとても素晴らしい記事を書いていまして、その中にドルイドの大航海時代の地図があります。以下にそれを載せますが、その前に煩悩さんの記事から日本へやってきたイスラエル族の分類を引用します。

********** 引用ここから**********

「大陸の地殻変動により現在とは陸地の状態が大分異なっていたようです。この日本列島到着第一陣は、現在の中国、ロシア方面を産地とする黒曜石を矢じりの材料として日本に持ち込み、青森の十三湊を拠点として、日本全国に交易していたようです。縄文時代の武器の元締めで、仙台辺りに都を築いていたようです。そしてBC7世紀のアッシリアを出た北イスラエル族が、シルクロード、朝鮮半島を経て、遥かに遅れて第2陣として日本列島に到着し、出雲に都を作ったと言われています。これが地祇系です。第3陣は紀元1世紀にローマを出た南イスラエル海洋族が、稲作と天孫降臨伝説を日本列島にもたらしたとされている訳です。しかし第1陣の別動隊は地中海方面に向かいサルディーニャを中継基地にしていたとの事で、第2,3陣の祖にもなってしまいます。日本列島での古代文明区分では、1,2陣が縄文族、3陣が弥生族となり反目になります。

■天神系・・・アラスカから日本に入った流れ【第1弾】
■天孫系・・・ダビデの父エッサイからの南イスラエルの流れ【第3弾】
■地祇系・・・アッシリアを出で朝鮮半島を経た北イスラエルの流れ【第2弾】

************************

白状すると、実は私は長いこと勘違いをしていまして、第一陣を地祇(ちぎ)だと思っていました。ある時S氏から指摘されましたが「まあ、大した違いではないから訂正する必要もないだろう。」と言われ訂正せぬままここまで来ました。実際、第一陣と第二陣は密接で、実際のところこちらを北朝、天孫族を南朝としてもそれほど間違いではないというのが現状のようです。

要は天神族はレビ族で、レビ族の系図を調べれば当然エフライムも権利が出てくるということで仲が良いのでしょう。

さて、集団ストーカーさんの描いたドルイド第一次大航海時代の地図です。要は船で川という川をすべて遡っていったわけでロシアのエニセイ川をさかのぼりそこから草原の道を通りバイカル湖から沿海州へ着く。そこからまた北海道や青森に至る。これが最古のドルイドと日本とのかかわりと考えます。

第一次はBC4000から5000年ぐらいと考えられます。つまり氷河時代を終え再び活発に活動を開始したころでしょう。つまりユダヤ教も一神教もない時代ですから自然崇拝のドルイド神官が指導していた時代と考えられます。

これは第三次航海の図になりますが、これはBC4000と記されやはりまだイスラエル王国も存在しない時代です。ここは地中海からペルシャ地域の侵略を表わしています。

重要なのは古代デーン人が地中海のサルディニアからクレタを経てエジプト、イラクに入る経路が描かれていることで、この神官たちは第一次のドルイドと同族で最終的に日本でこんにちはとなる落ちがあるわけです。

さて、最後にWIKIからハプログループの地図を載せます。

これを見ると人類の移動の実態はわかりますが、これがすべてではないこともわかります。歴史の解明はそれほど簡単ではないということですね。

ただ、ハプロの地図を眺めるとバイカル湖やギリシャが世界の中心みたいになっています。言ってみれば渋谷の交差点状態ではないですか。

さて、今週はこれらの地図を眺め皆さんも支配者の気分になって世界征服の計画でも立ててみてください。

今からフルーツケーキとマドレーヌを作らなければならないので今日はここまでです。

 

 

 

 


格の違い

2021年11月07日 06時55分14秒 | 歴史の翻訳

数年前、無料でイラストレータCS2(アドビ社のソフト)がダウンロードでき、このソフトでうどん屋やカフェのPOPを作っていました。とても優秀なソフトでプロの道具になっているものです。当時10万円ほどしたソフトが無料で使えるということでとても重宝していました。ところがある日突然ソフトが壊れ、修復が不能になりました。フォトショップCS2はまだ使えます。

買えばいいじゃないかとお思いでしょうが、現在そのソフトはダウンロード版しかなく、毎月定額で使用料を払うという形式になっています。年に何回かしか使わないソフトに月々何千円はあまりにも過酷です。

店のPOP が色褪せとても不細工になってきましたが、ソフトがなくては何ともなりません。エクセルやワードでもできないこともないのですが、貧乏人の私はそれらすら持っていませんていうか、なんとかそれらを使わずに工夫しなければなりません。

で、Inkscapeというソフトを見つけました。使ってみると慣れていないのでまだまだ不自由ですが、イラストレーターでできることの大半はできるみたいです。毎日少しづつ勉強していますが無料でこのレベルのソフトが手に入るというのはありがたいことです。

フォトショップで画像を切り抜きイラストレータに張り付け印刷するという手順でしたが、インスケープは線ツールでくり抜きクリップという処理で出来上がります。さあ、がんばりましょう。

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昨日いただいた3388さんのコメントへの返事を兼ねて書いてみます。

S氏に出会う前は私も陰謀論に凝り固まっており、いわゆるユダヤ人が世界を支配しているんだという妄想にとりつかれていました。太田龍氏の本をむさぼり読みましたね。

ところが結論から言うとユダヤ人というのは民族でもなんでもなく、単にユダヤ教を信じれば誰でもなれることを知り、さらに旧約聖書に描かれる約束の民の存在自体が怪しげで、要はアッシリア近辺で勢力を伸ばしたウバイド文明の指導者、つまりドルイド神官に操られた単なる放浪者の群れだということが分かってきたのです。

とはいえ、彼らは専門職の職人や農業、灌漑のプロ集団であり優秀だったことは間違いなく、各地に移住し差別されながらも実質的にその地域を支配するという高度な手法を身に着けてきました。

同じような放浪民族にロマ人がいます。菊の紋章を持つ民族で、一般的にはジプシーと言われています。彼らは世界中各地で差別され悲惨な放浪民とされていますが実は情報を収集し、独自のネットワークを作っていたという。その差別された民族ですが、日本を支配する天皇家は実はロマ人だと言われています。面白いですね、差別されいじめられている人たちが実は日本を支配しているのです。同じように、日本人は朝鮮人を差別してきましたが、実質日本を支配している支配者はほぼ朝鮮民族です。ユダヤ人も差別されながらも実態は貸金業で世の中を動かしていたと。このように最上位の人たちは皮肉な仕打ちを民衆にし笑っていることでしょう。

ウバイドはトロイ戦争の後、アルメニア方面からシベリア経由日本へもやってきました。また、本体は中国の中原から朝鮮半島を経て日本にもやってきます。別の部隊がアルメニア、ウクライナ経由でドイツ地域に入ります。これがのちにフランク王国を作りドイツ、イタリア、フランスの元になります。さらにドイツから英国に渡る連中がいわゆるアングロサクソン人になります。

アルメニアからウクライナあたりの民族がいわゆるアッシュケナジーユダヤと呼ばれますが、もともとこれらの民族はコーカソイド種であり、ここからアーリア、セム、ハム種が出ます。

アーリアというのはイラン人という意味を含んでいますがヒットラーが主張するアーリア至上主義はインド北部に移動してきた民族で彼らこそが世界を支配する権利があるという話になります。つまりこのアーリアの下にゲルマンやウバイドがいて〇〇宮こそがアーリア本部にあたると。どうもこの本部は8つの民族で構成されているようなのですが今のところ詳細は聞いていません。ただ八岐大蛇の伝説があるように、八という数はそそられますね。

序列でいうとアーリア<〇〇宮<ウバイド<ユダヤ・・・になるわけで、要はユダヤなどは駒になるわけです。その頂点など我々には見えるわけないですね。

さて、インド北部の上にアフガン高原が広がっていますが、そこがツラン高原となります。ここはモンゴロイド人種が多数います。彼らは騎馬民族でフン族、匈奴となりアジア全土を駆け回ったわけです。彼らは実をいうと世界帝国モンゴル帝国を打ち立てています。チンギスの血はロシアをはじめアジアでいまだに王族の中に存在しているはずです。ハンガリーというのはフンガリー、フィンランドはフンランドで彼らは周りのスラブ人とは違うという認識があるはずです。実はこのツランはトルコから中央アジア、シベリア、朝鮮半島から日本へとつながってきます。これらを女真族と呼び今でも隠然たる力を持っていると考えています。なぜならモンゴル帝国が蓄積した富はいまだにどこかに隠されているとみるべきでその後継である清王朝も北京政府の中に生きていることでしょう。

現在日本の中にもロシアと仲良くしたいという派閥がいるのです。〇〇宮にとって彼らは結構手ごわい存在ではないかというのが私の考え方になります。

以前、月刊日本という雑誌を購読しいわゆる正統派右翼の心情に触れる期間がありました。その著者の中に栗原茂というすごい?人がいました。彼の論文が一部公開されています。http://ashidasan.web.fc2.com/kurihara/319abs_26700701.html

引用します。「前1213年~1203年のエジプト王メルエンプタハの代に、海賊衆とリビア人の連合体がエジプト本土を襲ったとき、ファラオの軍は浸入軍を撃退させており、その際に敵方の戦死者名と捕虜の数を記録に刻んでいる。さらに、前1182年~1151年のラムセス三世の代に、再びエジプト領内に侵犯した海賊集団がおり、その際にも撃退に成功したエジプトは初めて海賊集団を「海の民」と記録に刻んだとされる。これらは神話トロイの木馬を解く発掘調査と関連するなど、本稿も前記したので繰り返さないが、東地中海に巣立つ群雄割拠とヒッタイトの行方を追えば、そこにはユダヤを解く以上の問題が潜んでいるはずである。実はそれがツランと気づいても、その本義は意の理に順うほか分かるまい。」

相変わらず栗原氏の主張は難解だ。私はなるべくわかってもらいたい一心で分かりやすく書くが、彼はそうではなく、分からない奴には用事はないと切り捨てるがごとくである、がそれだけ奥行きのある文章ではある。

先日来、木村鷹太郎氏の古代史を研究していたのですが、実は古代オリエントの最大の謎はアッシリアとヒッタイトさらにはメタンニがいつの間にか消滅してゆくことです。つまりトロイ戦争にその謎が詰まっていると。これを日本に当てはめると白村江の戦いで百済と倭国が負け、唐と新羅が勝つ。しかし、唐はなぜか周と名を変え、倭国は日本に代わり、そののち高句麗は滅びる。時代はまったく違うが、アジアとオリエントで同じようなことが起きている。これは偶然ではなく、トロイの戦いの真実をアジアの歴史で明らかにしようとしたのではないかと思うのです。唐はエジプト、ヒッタイトが高句麗、ミタンニは百済、イタリアが新羅、日本がギリシャになります。で、アッシリアは周です。この謎解きは今のところ仮説にすぎず、もう少し時間が必要です。

ついでにイスラエル王国の建国について書いています、栗原氏は「前1182年~前1151年の在位ラムセス三世は、古代エジプト史上において最後の大王(だいおう)といわれ、葬祭殿マディーナト・ハブ神殿に刻む海の民に関する記録の重要性は今も史家の能力が問われる史料とされている。以後この第二〇王朝は前1070年で幕を引くことになり、三世以降ラムセスは最後の一一世まで連続使用の呼称となる。この間アテン信仰は海の民の中に芽生えた信仰ツランと並立するかのように、すでに放浪やむなき移住生活を強(し)いられていたが、その絆を刻む住民基本台帳を整え終えると、ユダヤと名を改め天啓一神教の確立を目指す準備期間としていた。前1000年の前後はオリエント全体が低迷(ていめい)し、列強も内向き傾向を示しており、小国家群にも自主性回復の機が訪れ、実体なき建国宣言が行なわれても、大した問題にならないため、ここにユダヤはイスラエルという曖昧(あいまい)な言葉を選び建国宣言だけ発し、以後その既成(きせい)事実を積み上げることに専念ひたすら富の形成に励み、覇権に狂う列強を操る存在に活路を開いていった。」

さて、そのアッシリアはペルシャに滅ぼされ、そのペルシャもアレクサンダー大王に滅ぼされる。これは決して偶然ではなくアッシリアの世界戦略のなかで、本体は裏政府となり手先としてユダヤ人を官僚とし、ヒッタイトやツランなどの騎馬民族を兵士として雇い、世界各地に散り各地に拠点を構築しようと考えたのではないか。

いずれにしてもオリエントの歴史で一番の問題は年代が確定できないことで、旧約聖書を歴史書と見るかおとぎ話と見るかということか…。

 

コメントの返事とはかけ離れた話になってしまいました。言いたかったことは世界には格付けされた階層がありトップに神官がいてその次に裏の王国が来て、さらには表の王国が来て、その下が現実の世界です。

我々に見える世界と裏の世界では国境の概念が全く違っています。米国が日本を動かすというのはあるかもしれませんが細かく言うと「米国を動かしている派閥の一つが日本を動かしている派閥を動かした。」ということになるのかな。ややこしいですが、現実はもっとややこしいと思います。

 

 

 


宋末、元初の時代に何があったのか?

2021年08月29日 09時43分28秒 | 歴史の翻訳
少し追加記事を書きました。

前回は神武天皇の東征がモロッコから始まったと述べました。なぜモロッコなのかがいまいち不明なのですが、そもそも始まりの天照様が降臨したのは天国アルメニアとなっていて、そこからイザナギ、イザナミ、海幸・山幸の物語などがあり、結果そうなったのしょうが、順番通り歴史を調べると意外と退屈なもので、気になることを重点的に調べるのが私のやり方なのです。わからないことはまたの機会に調べればいいのです。
私が最も知りたいのは日本の支配者がいつごろ、どのような経路で日本にやってきたか、そして彼らはその足跡をどのように残してきたかであります。
神武が実在したとして、その年代、さらにオリエントの歴史の中ではたしてどのように描かれているのか・・・・疑問は山ほどあるのですが、少しづつ解明してゆくしかありません。
現在研究対象にしているのが国立国会図書館デジタルコレクションでダウンロードした古書「日本民族祖先の雄図」(著者 木村鷹太郎 出版 大正9年)です。
古書をスキャンし、そのままPDF化したもので、入手困難な書物を我々が無料で読むことができる非常にありがたいサイトです。https://dl.ndl.go.jp/
もちろん「日本太古史(上、下)もダウンロードしましたが、「雄図」がおそらく木村氏の最新版で一番新しい考えが書かれていると思い、まずはこの本を読んでみようと考えました。(年代により少しづつ主張が変わってゆく。当然ですね。)
ただし、今日話題にするのは「日本太古小史」で、これは太古史の縮小版といえるもので、いわばダイジェスト版と言えます。これを少しずつプリントアウトし読んでいますが、時間が限られているため一日に何ページも読めません。まあ、ライフワークとしてゆっくりやっています。
何度も言いますが、私は木村氏の考えとは明らかに違います。彼は日本の天皇は世界を支配するべきだというような超右翼的な考えを持っていて、それこそ日本は世界のひな型だという危険な思想を持っています。しかし日本の天皇がエジプト・ギリシャ方面から移動してきたことを明らかにし、移動の経過を詳細に記すことは支配者層にとって実は「不都合な真実」であり、「ありがた迷惑」な話になっていたと思います。だからこそ史学会はシカトし彼の挑発を無視し続けたわけです。
さて、木村氏の説を鹿島氏がさらに進め、「史記解」(鹿島昇著)で、中国の歴史はオリエント史の借りものであることを証明し、さらに、日本史も朝鮮史のコピーだと論証してきた。しかし鹿島説をさらに進めたのが稲羽太郎で、鹿島氏の見逃してきた部分を大幅に見直し、おおむねオリエント史と中国史の対比がほぼ完成できてきた。
鹿島氏は司馬遷が漢の史家で、漢以降の歴史は正しいものと考えています。稲羽氏は中国史の宋代以前をすべてオリエントの借史とし、さらに高句麗・新羅・百済までもオリエントの歴史としています。ここまでくると中国・日本・韓国の歴史はほぼ全部が歴史とは言えず、支配者たちの出世物語に過ぎないことになります。
とはいえ、トロイ戦争と白村江の真実、ヘブライ王国の誕生年など本当に正しいのかは現状では仮説にすぎない。そんな中でデジタルコレクションで木村氏の著書が見ることができるとわかり現在夢中で読んでいるわけですが、そこで気が付いたのは「木村が一番過激」なことです。
まずは少し読んでみましょう。とはいえ、長くなるかも…ですが、本物は旧字体で格調高い代わりに読みにくいのでマヨ流に翻訳してあります。
「これより後代に関し、古典に書かれているのはアフリカ南部一帯より、インド、チベット、中国西南方面を含み日本書紀、天智、持統、天武天皇の時代においては日本国家の中心はインド・チベットとなりバンコク、ウイグル、デリー、カシミールの地は古典では他の名称をもって記載していることは新研究の発見でした。かくて日本歴史は奈良朝、平安朝、源平時代、鎌倉時代、南北朝時代となるものがあったと言うが、それらの時代の地理的舞台はどこであったのだろう。私はこれを極東島国日本ですとは言うわけにはいけないという者であります。なぜなら源平時代と南北朝時代とは実は連携する時代とは言えず重複していると考えるべきで、南北朝時代の末期、光厳院の行脚記事なるものは明らかにビルマ方面からインド南方一帯及び、セイロン島地誌を示しているわけで、しかもその年代は中国史に当てはめると宋末・元初のころになってしまう。
その日本書紀以後太平記に至る間に包有される地域は西北はエジプトギゼーの三角塔地からアフリカ南端に居たり、現在のアルベルト・ニャンザ湖、ビクトリア・ニャンザ湖等をはじめそのほか詳細なる地誌が存在する。また、マダガスカル及びその東方の再会島(リュニオン島・近松門左衛門は又会う島という)は鬼界島(オデッシーKirkao島)の名で書かれている。・・・・・略・・・・・・
その果たしていずれの時より現在島国日本の国家的活動の歴史の始まったのだろうか。私もいまだに十分明らかにできていないところではありますが、意外と新しいものであることは感じているところであります。」(「日本太古小史」p128)
まあ、さすがに平安時代や鎌倉時代まで日本列島の出来事ではないと言われるとちょっとびっくりせざるを得ないが、南北朝が別々の場所で起きたことを重ね合わせた歴史だとすると・・・・うーん何も信じられなくなるが…。
ただ、以前S氏から「亀山天皇の時代に日本の地政学的重要性」が高まってきたため、〇〇宮を設置し、日本を南北朝に分断し支配することにした。」と聞いている。その時代と木村氏の指摘する光厳上皇の宋末、元初が奇しくも一致する。
さらに稲羽氏の「中国の歴史は宋、元の時代から本当の歴史になる」という主張とも一致する。
それ以前に日本に歴史がなかったとは言わない。十分な長い歴史はあったのですが、書き換えられ、以前の歴史は破り捨てられたということでしょう。
宋はAD960年に建国された国家でこの国の歴史から本当の歴史だと稲羽氏は述べる。つまり元、つまり女真族とイスラエル部族の本格的な争いが起き、日本の地政学的位置が重要になってきたものと思われる。春秋時代の宋は実はヘブライ王国の歴史を中国語に翻訳したもので中国本土の歴史ではない。
また、木村氏は日本の元寇がペルシャとギリシャの戦争と全く同じであると述べている。つまり元寇があったとする北条時代に疑問を呈している。まあ、この件は別の機会に検証しよう。

木村氏は出雲風土記はエジプト史だとも言っている。この分でいうと各地に残る風土記も怪しいものである。wikiで風土記を調べると、「現存するものは全て写本で、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態で残る。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用されるのみである。ただし、逸文とされるものの中にも、本当にオリジナルの風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。」まあ、すべてをつじつまを合わせて改修するのはなかなか大変で、重要なものは書き換え、面倒なものは焼き捨てのだろう。

それにしても、支配者たちの歴史に対する執念には恐ろしいものを感じる。ウバイド=倭国は世界の王を決める権利を持っているという。国の代表が王だとしてその王を選ぶのはもはや神の仕事である。倭国は表面的には消えているが、既得権益を所持したまま影の存在として今もどこかに存在しているようだ。
私の研究はどこへ向かうのか、今は何も見えていない。

追加分

神武の兄弟で、稲氷命が新羅、つまりローマの始祖となったと書きましたが、もう一人の兄弟、三毛入野命はエジプトに入ったという。これがミケリヌスと言い、該当するエジプトの王とは、ギザの三大ピラミッドのうち第三ピラミッドを建造したとみられるメンカウラー王のことです。この王について、ギリシャの歴史家ヘロドトスがミケリヌス(Mykerinos)という名で伝説を残しているんですね。つまりメンカウラーのギリシャ語読みがミケリヌス。これはもうビンゴでしょう。このことでうれしいことは年代がほぼ確定できることです。この王のミイラが英国博物館に現存しているともいわれます。これで神話が現実とつながります。
要は、神武兄弟の活躍した時代がほぼBC2500年前後となります。
まあ、このような小さな積み重ねで歴史を構築してゆくわけです。

木村鷹太郎の世界(神武天皇)

2021年08月22日 15時42分12秒 | 歴史の翻訳
さて、ここ数か月にわたり古代史の研究をしてきて、日本(倭国)とエジプトとの関係が少しずつ明らかになってきました。日本の天皇がエジプト王の中にいたとして一つ解決しておくことがあります。古事記や日本書紀に書かれている神武天皇の真実です。つい先日まで私は神武東征はアレクサンダー大王のペルシャ征伐のことだと思っていました。また、歴代天皇に関しても史実と認めていませんでした。しかし、木村鷹太郎の「日本太古史」を読んでゆくと全く驚きます。世の中には本当にすごい人がいるものです。

私は実を言うと、古事記や日本書紀を最初から偽書と決めつけ、真剣に研究する必要はないと思っていました。ところが木村鷹太郎の著書を読み進めるとすぐに大きな発見が出てまいりました。それは「古事記とギリシャ神話」は同じ内容だという話です。
ギリシャ神話に登場する神のいくつかは聞いたことがある程度で、世の中に古事記に精通し、さらにギリシャ神話も十分知識がある人がいるなら、恐らくそういえばそうだな…と感じるかもしれません。残念ながらこの私は両者とも詳しくなく、簡単にそれを認めるわけにはいかず、神様ひとつづつ調べて行く必要が出てきました。

さて、今日は神武天皇の東征を明らかにしてみましょう。細かな証明はブログの中ではなかなか難しく、単に木村鷹太郎氏の記事から抜き出しとします。引用元は「日本太古小史」です。
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ジブラルタル海峡のアフリカ側は鸕鶿草葺不合尊の陵(陵)ある地なるに考へ、また天皇の妃の名を吾平津姫というに考え、天皇の東征は、このアビラの地(ミューサギ=宮崎)より出発ありしものの如く地中海を東進し、シチリア島の南方マルタ島において海路の手助けとして珍彦(うづひこ)を得給へり。このマルタ海をギリシャ神話は渦即ち「カリブラ」の海といい、古事記はこれを甲斐辨羅(カヒベラ)の神という。
珍彦の珍(うづ)は「渦」と同語であります。使徒ポールの難船伝説はまたこの島におけるものなり。
天皇はさらに東航して北ギリシャの西方アカル・ナニアに上陸したまえり。ナニア、すなわち難波なり。天皇アカル・ナニアより東行し北行し給えり。アカル・ナニヤよりアイトリヤの岸を東行しロクリス・オゾーリス国即ち「毒気国」の山中にて山神の毒気に当たり給ひ、ドーリス国即ち「剣奉献国」にて高倉下(たかくらげ)の剣を天皇に奉献するあり、高倉下とはヘラクレス族の別名なり。烏山(からすやま)の名に八咫烏の古跡を留め、またアイトリヤの吉野に入り伊奈佐即ちイナスの地に転戦し諸方の賊を滅ぼし、アハヤに入り、ナルタキウスなる長髄村、鵈の村に至りて長髄彦を誅し、ついにテッサリヤのクランノンに達し給う。クランノンは橿原を意味する。
・・・・・・・略・・・・・・・
神武天皇より崇神天皇に至るまでは、日本はギリシャにあり、八代の皇都皇陵所在地はギリシャ地圏明らかにこれを私に教える
神武天皇はギリシャに建国し給えり。他に三皇兄の中、五瀬命は長髄彦の矢に薨し給ひしといえど、他の二皇兄のうち一人が海原(イタリア)に入り、他は常世国(エジプト)に入りてその地の大王となりませり。
海原に入りましたところの「稲氷命は新羅の祖なり」とは姓氏録に記せるところ。
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きりがないので今日はこの辺までにしておきます。なにせ大正3年に書かれた本であり、旧字ばかりで非常に読みづらく、疲れますね。
いずれにしても、ここに書かれているのが本当なら、ギリシャ、エジプト、そして新羅が鸕鶿草葺不合尊の子供から始まることになります。日本ってすごいんだと思うのは勝手ですが、あくまでも「日本を支配している倭国(ウバイド)」がすごいのですから、お間違えないよう。
まあ、そんなわけで、しばらくは木村鷹太郎の世界にどっぷりつかることにします。

アタリアと皇極天皇は同一?

2021年08月08日 07時18分19秒 | 歴史の翻訳
コロナ感染者数が急増している。と言っても陽性率が異常なだけであまり気にする必要はないでしょう。この騒動がいつ終わるかは見当もつかないのですが、支配者たちの究極の目的は富の独占なのだから、産業の寡占化が目標通り進めば満足するのだろう。
また、幸せを世界中で共有する気は全くないから貧困者がふえれば自分たちがより幸せに感じるのではないだろうか。
現状が続くとおそらく企業は大半の従業員を派遣に切り替えてゆくことになるだろう、正社員は本当に最小限にまで減らしてゆくことになる。また、現在のパワハラやセクハラ、マタハラ告発は企業家が社員を雇う気を徐々になくしてゆくだろう。
みんなが貧乏になると金はますます金持ちの元に集まる。まあ、今回のコロナ騒動を奇貨として格差拡大を狙っているのは間違いないのだから、国民は貧乏を嘆くより貧乏に慣れたほうが楽だろう。まあ、生きていればいいこともあるさ。
さて、愚痴はこれぐらいにして、歴史捏造の研究を続けよう。

毎日オリエントの歴史を勉強していますが一番難しいのが年代の確定です。歴史書というのは調べればわかることですがいわゆる暗号書なわけで、単純に書かれたものをそのまま受け取っていては真の歴史は見えてきません。歴史書を作った人たちはわかる人にはわかる、いわゆる「トリック」を埋め込んでいるはずです。
稲羽氏はそのトリックを女王に求めています。具体的に言うなら聖書のシバの女王をハトシェプスト女王で、卑弥呼をセベクネフィル女王に・・・・のように当てはめるように。
そして一番大きな暗号がセミラミスとなります。

なぜこのようなテクニックを使うかと言えば、各歴史書にはそれぞれの相対年代が存在します。現在のように世界統一の西暦年代がない中で各王朝の歴史はほぼ相対年代が使われます。各王朝が自分たちの相対的な年代を使って歴史を作ったのはやむを得ないし、それなりに正しかったとしても世界全体を見回すとそれでは困ることが出てきます。
まあ、聖書や中国史、朝鮮史、日本書紀などを残した史家は間違いなくユダヤ人であり、彼らはほぼ真実の歴史を知っていた。ただそのまま残すと彼らの不都合な真実がばれてしまうし、彼らが各地を征服してきた歴史まで明らかになってしまう。
そのために真実をオブラードにくるみ普通に読むと真実が見えない歴史書に仕上げたのです。ただ、ヒントを入れておかないと今度は自分たち自身が分からなくなってしまう。
そこで考え付いたのが同一人物の複製で、これの整合性を取ると年代の整合性も取れるということです。
卑弥呼がセベクネフィルと分かると我々はそれがエジプト第十二王朝でBC1806ごろのことだとわかるのです。魏志倭人伝ではAD180年ごろと習いましたよね。また、ハトシェプスト女王がエジプト十八王朝でBC1473ごろの人で、ソロモンが生きた時代が500年ほど古くしなければならないことが分かります。
さて、もう一人、最大のトリックがセミラミスとなります。なぜならオリエント史のすべての謎がここに集約されるからです。
S氏からセミラミスとニムロデの話を聞いたことがあります。ニムロデはサルゴンと勝手に決めつけていましたが、そうではなくサルゴン二世だった可能性が高いのです。もちろんまだ決定できません。というのも、ニムロデとアブラハムは同一の時代の人間だったのであり、アブラハムはソロモンより少なくとも百年は古いはずで、整合性が取れません。

ニムロデが世界征服の戦略を立てそれが現在まで継続されているというのが私の認識で、その始まりが紀元前12世紀のカタストロフなわけで、オリエント史の一番不明瞭な部分なのです。言うまでもなく、それがトロイ戦争につながります。

ではこのセミラミス女王とは誰なのか・・・・です。稲羽氏によると極端な話、則天武后でもありユダ王国のアタリヤでもあり、エジプトのタウセルトでもあると・・・つまり、それらは同一人物であり、我々歴史を研究する人間に与えられている重要なヒントです。

これで年代がはっきりできます。要は、WIKIに載っているアッシリアやヘブライなどの年表は当てにできないということになります。
さて、セミラミスも興味深いのですが、ユダ王国のアタリアも非常に興味深い女王です。母親がイゼリアと言い、フェニキア人でシリアの王女だったという。北イスラエル王国の王妃となり娘のアタリアをユダ王国に嫁がせ、南北ユダ国家をバール教にしてしまったという。このあたりに預言者エリアが登場してきます。中国の史書では孔子ですね。この時代にバール教、すなわち偶像崇拝を崇拝するアタリアとそれを攻撃するエリアの争いが起きます。この経過を研究してゆくと、この話がひょっとすると朝鮮史の善徳女王、日本における大化の改新と重ね合わせることができるように感じます。

トロイ戦争が白村江の戦いと同意だとすると、日本史では天智天皇と斉明天皇、そして中臣鎌足が登場します。そして朝鮮史では金春秋、善徳女王、そして金ユシンですね。悪役としてヒドンと蘇我入鹿・・・・役者はそろうのです。ひょっとすると聖徳太子はエリア?
ただし、聖書と書記では善悪が逆になりますがそこが面白い。要は、ユダヤ側、一神教側から見た正義とバール教側、つまり仏教側から見る正義は逆になるわけで、日本が神道の物部氏と蘇我氏の対立や聖徳太子と蘇我氏の対立が聖書の中に見えてくるのです。
これらの分析はあまりにも面白いのでもう少し時間をいただき研究を続けようと思います。
さて、セミラミスに関してはその次の段階ですね。

さあ、今日から連休です。コロナの影響で毎日毎日苦労の連続でした。本当はこれほど休みたくはないのですが、営業してもおそらく暇でしょうから思い切って休みます。さあ、時間があるので勉強をします。