マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

停止のお知らせ

2013年07月25日 14時41分15秒 | ABCDEまとめ
このブログを停止します。

残念ながら、継続する気が失せました。

長い間お世話になりました。マヨ君は消えます。


連絡を取りたいかたはhttp://form1.fc2.com/form/?id=213204にメールフォームがあります。
出来ましたら、そちらから連絡をお願いします。

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では、皆さん、さようなら。








明日が最終日

2013年07月20日 08時25分06秒 | ひとりごと
閉店売出し中の手芸店も明日が最終日。まだ見に行ってないが、商品はほぼ売りつくされ、展示器具までも売約済みになっているそうだ。まあ、予定通り片付きそうである。やれやれ・・・。これで少しは肩の荷が降りるということ・・・。

さて、そういえば参議院選だったな・・・・。やるまでもなく自民党の圧勝と言われている。まあ、当然だろう。私も民主党には幻滅したし、安倍さんになり経済が上向いているのは事実だし、勝って当然であろう。

先日女房が「中国人の留学生にインタビューしてて、日本の選挙を見て、どう思いますか?って質問したら、うらやましいですね。私たちも選挙と言うものをしてみたいって答えていたよ。」という。そうか、中国では選挙はないんだ。
日本人は恵まれているぞ。一応、民主主義国家なのだから、誰にでも選挙権と被選挙権があるんだ。もちろん選挙に出馬するにはそれなりの覚悟が必要だが、やろうと思えば出馬することは出来る。ありがたいことである。今さらながら日本人は恵まれているのだ、不正選挙?さあ、それは分らない。でも、ここは国民の権利としての選挙権を放棄するような愚は犯すまい。

たぶん、本当の支配者さまは表の政府に対し契約書を交わしたと思う。その契約書が憲法なのではないか。つまり、表の政府は憲法に認められている範囲で政治を行ないなさいと言う原則である。逆に言えば、憲法ほど我々国民に大事なものはないという事。「それは憲法違反です」この一言は何よりも強いのだから。
その憲法を改正する必要は基本的にはないと思うが、確かに第九条をはじめ、現実に即していない部分が出てくることは当然だ。だから憲法改正を何でも反対することもない。ただし、そう簡単に改正できなくしてあるのも事実で、それを簡単に改正出来るように憲法を改正しようという話はやや問題である。

さて、今回の選挙の最大の論点は憲法改正を簡単にする憲法改正の是非である。(ややこしい言い方だな・・・)
マヨちゃんがどの政党に入れるか?実はまだ決めていない。今夜ゆっくり検討する。でも、たぶん簡単に結論は出るはずだ。
憲法改正は反対しないが、憲法改正をやりやすくする憲法改正には反対であること。消費税率値上げに反対であること。TPPには反対ではないこと。
以上の私の考えと同じである党に入れようと思っている。残念ながら、候補者の個別の資質は私には判らない。



妄想のアジア史

2013年07月14日 14時13分14秒 | 古代史
ここ一年、私はS氏からの情報を皆さんに伝えることを使命と考え、自分の妄想を封印するように心がけてきた。なぜなら、事実は小説より奇なりと言われるように、私の妄想より現実の方がはるかに過激で、深刻なものだとわかったからである。
天皇家の系図など、物語に出来ないほど恐ろしいものである。つまり、私の妄想はまだまだ愛国的すぎて話にならないのだ。
しかし、「お種理論」のように当たらずと言えど遠からずみたいな話もあるように、ドルイド神官が日本へやってきた経路と私のクラスノヤルスクから日本へ行くルートはほとんど同じだったわけで、まぐれあたりもないわけではない。

さて、先日も考察したように、アジアは特定の姓を持つ者が王になり、特定の部族が影からそれらを裏支配したという話を調べて行くと、答えを知っていればいざ知らず、たいがいの場合は答えはわからないものである。その為にはやはり妄想を利用しないと前に進めない。で、久しぶりに妄想のアジア史と銘打ち、連休の暇つぶし(失礼ですね・・・)をしてみたい。

先日神武東征とアレキサンダー大王東征の伝説はまったく同じ内容の話だったということを書いた。でも、どうして神武の歴史にアレキサンダー大王が使われたのかという謎は解決していない。が、まったく無関係だったらそのようなことをするだろうか、つまり、後世に神武がアレキサンダーと共通する血流なのだと察してもらうために書き残したと見るのが普通ではないだろうか。

アレキサンダーはバクトリアで妃を娶ることになる。
まず、ソグディアナの征服(BC329-327)があったが、ここがバクトリアであり、ゾロアスターが生きた場所である。
中央アジア方面へ侵攻したアレキサンダーはソグド人勢力による激しい抵抗に直面した。ギリシャ軍はソグディアナとバクトリアにおいて過酷な戦いを強いられ,最後はそれらの地域を征服したものの,将兵の士気は低下した。アレキサンダー大王はBC328年に帰順したこの地方の有力者オクシュアルテスの娘ロクサネを妃としている。
その後、インド遠征を行い、パンジャブ地方に侵入したが、さすがに疲れたのか、スーサへ向かう。

紀元前324年にスーサに帰還した。この際、部下のネアルコスに命じてインダスからペルシア湾を通ってユーフラテス川の河口までの航海を命じた。この探検航海によりこの地方の地理が明らかになると同時に、ネアルコスの残した資料は後世散逸したもののストラボンなどに引用され、貴重な記録となっている。紀元前324年にはスーサの合同結婚式が行なわれた。

スサノウという神さまが日本にいる。スサの王であるから、まさにアレキサンダーがスサノウであることはまちがいなく、まさか本人が日本に来ることはないので、彼の子孫が日本に来たということだろう。それほど、日本とアレキサンダーは縁があるのだ。

さて、先ほどバクトリアで種まきし、さらには合同結婚式を行ったとある。つまり、この思想が朝鮮半島の血分け大好きな文氏に引き継がれたのか?・・・これは妄想だが・・・要は、種をばらまいた可能性は限りなく大きい。

さてさて、話は変わるが、秦の始皇帝(在位:前246年 - 前210年)は一体どこからやってきたのか?彼は焚書坑儒を行ったと言われ、過去の歴史、政治、伝統・・・などなどすべてをひっくり返した。つまり、秦国は実はそれ以前とは全く違う征服王朝だったのだ。
つまり、秦国はアレクサンダー大王のお種を持ったバクトリア人が中国を支配したのではないかと。まあ、これは色々な人が主張しており、妄想というより現実の話に近いと思うのだ。

そして、秦は始皇帝の死後、宦官により滅ぼされ、中国は大混乱になったと言われるが、実は秦王家はイスラエルの消えた10支族のように各地に散り、アジア全体を自分の思う通り動かすように表から消えた。つまり、秦王は裏に隠れ、表の王を立てることで二重構造の大陸を作ろうとした。そして裏の支配者にレビ、神官の秦氏が、裏の支配者に五人の王族を指名したと・・・。

ローランといえば敦煌を思い出すと思うけど、実はローラン自体は幻になっており、実態は楽浪へ移動した。その証拠に楽浪は日本ではさざなみだが、中国ではローランと読む。この楽浪の場所も謎だらけだが、私の理解では遼東にあったはずで、ここを拠点に朝鮮半島、さらには日本侵略の足がかりを得たと考える。

さて、この消えたローランからバクトリアへ移動したのが月氏であり、そこでは大月氏と呼ばれる。wikiによれば、
クシャーナ朝、「大月氏は大夏を征服すると、その地に和墨城の休密翕侯(きゅうびつきゅうこう),雙靡城の雙靡翕侯(そうびきゅうこう),護澡城の貴霜翕侯(きしょうきゅうこう),薄茅城の肸頓翕侯(きつとんきゅうこう),高附城の高附臓侯(こうふそうこう)の五翕侯を置いた。」とある。うーん、五氏だ!

さて、西欧では表の政府と地域の権益を持つ裏の支配者=領主(貴族)がいると前に述べた。現実の政治は国境を決め表の政府に預け、自らは裏支配に徹し、金儲けに励む。戦争などの殺し合いは表の政府に任せ、自分達はなにも責任をとらなくてもよいようにしたと。つまり、秦の始皇帝が考えたのは、同じようなシステムを作ることで、裏支配は秦王の子孫が受け持ち、表の王にはソグド人に産ませたアレクサンダー大王の子孫でたらいまわしにするという、二重構造である。(妄想ですが・・・)

日本に当てはめるなら、裏支配は秦氏=賀茂氏が行い、表の天皇家をソグド人の末裔に受け持たせる。藤・橘・源・平はみんなソグド人だった?

話は変わって、煌さんのコメントの中のリンクを眺めていて興味深い話があった。
http://www10.plala.or.jp/mituha/sa_na/lunaandsolu.htm

「世界の神話を見ていると、どの神話にも少なからず共通項が存在することに気が付きます。その共通項の一つ、太陽族と太陰族(月)の対立構造で世界は成り立っている。と言う仮説を立ててみます。・・・略・・・
まず、太陽族とは、トーテム(ここでは、部族のシンボル程度の意味)を太陽に関連するモノを持つ部族です。そのトーテムとは、鳥(鷲や鷹が多い)、牛、菊の花、色として黄金、などがあげられます。日本に限定するならば、ご神体が鏡であることもあげられるでしょう。太陽はもちろん、風や雨の神とされることも多いのが特徴です。
続いて、太陰族は、トーテムに月に関するモノを持つ部族です。そのトーテムは、蛇、もしくは竜です。日本では、勾玉をご神体とする神です。水、銀と言ったものに関連する傾向があるようです。ただし、天から降る雨は、太陽神族のモノである。と言う認識なのか、雨は除外され、河川や海、湖と言った、地に貯まった水が支配領域となります。」
うーん、そうか・・・、太陽と月、陰と陽。太陽は表に出て、月は裏に回る。これかも・・・・。


ほんの愚痴です、読み飛ばしてください。

2013年07月13日 22時01分26秒 | ひとりごと
まったくブログとは関係ない私ごとの話だけど・・・実は名古屋市内のスーパーにテナントとして手芸店を出していたのだが、今月で撤退することになった。まあ、30坪ほどの小さな手芸店で、私が経営し始めてから25年になる。ほとんどは女性の店長任せで、私は月に一二度訪問し、様子を見る程度だった。まあ、楽なものである。もちろん、儲かっていればだけど・・・。

きっかけは私の本業である卸業の顧客先の社長に頼まれたことから始まった。そのお客は瀬戸の本店を始め、名古屋市、豊田市などに7店舗を持つ結構大きな呉服・洋品・手芸のチェーン店の社長だった。
ある日、「おい、マヨ君、実は頼みがある・・・。」、「はあ、何でしょうか」「実は・・・」で始まる話は若かったマヨちゃんには結構重い話であった。(38歳だったかな・・・?)
「実は、血便が出て、てっきり痔だと思い医者へ行ったんだが、どうも大腸がんらしく、手術をしてもせいぜい5年の命らしいわ。」、「えー?そんな・・・」
「それでだが、俺の女房や子供に持っている7つの店の運営は無理だろう。で、順々に店をたたんで行かなければならんのだ。頼みというのはだな、その中の一つ、●●ストアーの中村店をお前が買ってくれんか?」
というような話だった。
「いや、権利関係は今のままで、要は在庫の買い取り、権利金の譲渡、それと従業員の継続雇用をしてもらえばそれでいい。俺はなんとかすべてを損しないよう撤退したいだけだから・・・。」
話はそれほど難しいことはなかったが、そのスーパーは当時開店10週年を迎え、改装オープンの予定だった。テナントもそれにしたがって場所変えも含め、改装をしなければならず、その店としても撤退するチャンスでもあったが、店ごと売却したほうが損が少ないという判断だったようだ。
「わかりました。なんとかやってみます。」と、私。それほど混乱もなく私がその店の運営を任され、きっちり5年後、その社長は亡くなられた。上手に店を撤退され、本店のみを残し、あの世に逝かれた。まことに偉大な方だった。

それから25年。早いものである。だが、その間、世の中は急激に変化し、当時結構繁盛していたスーパーも他社との競合に苦戦し、●●ストアーは投資ファンドに売却され、さらに二年ほど前には和歌山の食品スーパーに転売される。
私の店もなんとかやってきたが、その食品スーパーに変わってから売り上げは急降下。こちらの運営にももちろん問題はあったが、やはり、そのスーパーも都会のスーパー運営のノウハウが不足しているようで、私の店の売り上げの増える見込みはまったくなくなってしまった。今年の正月に店に行ったところ、店長から、「私も65歳になりました。社長さんにこれ以上ご迷惑をかけたくないので、もう閉店されたらどうですか?」と言われてしまった。
確かにここ数年間は赤字で、今後も利益が出る可能性はないだろう。社員としても辛かったようである。
テナントの撤退はそれほど簡単ではない。撤退する半年前に申請し、退店する場合に原状復帰をしなければならない。つまり、撤退費用は結構かかるのだ。

現在は閉店売出し中で、在庫はいくらも残っていない。撤退費用や従業員の退職金を考えるとやや気が重いが、赤字の店がなくなるのだから長い目で見ればやむをえまい。
いずれにしても25年前と世の中は変わってしまったな・・・現在の主婦は手芸や編み物などほとんどしなくなり、仮に買うにしても100円ショップで間に合わせるようだ。もちろん手芸の店といっても売り上げの大半は婦人服だったわけで、ここ数年の低価格化で徐々に売り上げが減少してきたのだ。家賃は下がらない中で、この種の商売はもう限界である。
まあ、いつかはこのような日が来ることはわかっていたが、さみしいような肩の荷が下りたような・・・ちょっと複雑な心境である。
それにしても、飲食業も厳しいけど、物品販売はもっと難しい。たくさんの小売屋さんがあるけど、みんなよく頑張ってるな、僕には向いていなかったようだ、いまさら気付いても遅いけど。