マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

丸薬には夢が・・・・。

2020年11月15日 15時24分04秒 | 食品研究
この一週間、丸薬つくりに専念していました。詳しいレシピは伏せて欲しいということなので公開しませんが、それほど特殊な材料を使うものではなく、作るのも比較的容易な物でした。
一番悩んだのは粘りを出すための増粘剤を何にするかでしたが、今回はコンスターチを水に溶いて使ってみました。まあ、悪くない選択だったと思います。
材料を煮詰め、スピードカッターでペースト状に・・・・

冷やした後、手で丸めてみました。ちょっとおおきいかな・・・。

その丸薬で本当に「体の中の化学物質を排出する」ことができるとしたら、まさに画期的なことです。
とりあえず、一日2粒ほどを服用していますが、効果のほどを感じるまでは至っておりません。
作った本人も気長に服用する必要があるだろうと思っています。

今回のメソポタミア・ヴァレーでの重要な課題が予防医学であり、それを食事で実現することが私たちに課せられた役目の一つです。
この丸薬に限らず、丸薬には大きなメリットがあります。それは粉末でも液体でも、あるいはペースト状のものでは簡単に摂取することができるということです。また、大掛かりな設備を用意しなくても容易に薬品を提供できます。もちろん薬というと薬事法等の縛りがあり簡単なことではないのですが、いわゆる栄養補助食品と考えれば何ら問題は出てきません。医薬品ではなく食品であればハードルは低く、我々も販売をすることができます、しかも安価に・・・・。

丸薬で問題なのは、粒の大きさで、小さくきれいな丸薬を作ろうとすればやはり製丸機が必要です。また、保存性を持たせるには乾燥する必要があり乾燥機も備える必要があります。一日何粒を服用するかも大きな問題です。

栄養学を学ぶと当たり前のことですがすべての食品を幅広くつまりバランスよくとるように言われています。当たり前のようですが、これは大変に難しいことです。従って食生活を調べ、どうも摂取不足と思われるものをサプリで補うという考え方は合理的ではあります。
しかし、サプリは極めて幅の狭い特殊な栄養素をうたっているものが多く、体内に入った時、本当に所定の働きをしてくれるのかは疑う余地があります。というのも、確かに酵素であるとかアミノ酸とかホルモンであるとか研究所の中で抽出された成分に効果があることはおそらく疑う必要はないでしょう。しかし、その成分をサプリとして飲用した場合望む効果が出るかどうかは分かりません。体内には色々なホルモンや酵素、アミノ酸が分泌され、成分が必要なだけ必要なところへ届く保証はないのです。
つまりサプリよりも、その成分を含む食品を丸薬として接種するほうが間違いないと言えるのではないでしょうか。
例えばの話ですが、その人に合わせた食品エキスを混ぜ合わせ、オリジナルの丸薬を作ることができれば、それこそ理想の補助食品になるでしょう。
まあ、これができるかどうかは分かりませんが、丸薬にチャレンジしてそんな夢のようなことを考えてしまいました。


MMSの作り方講座

2020年10月01日 18時53分45秒 | 食品研究
何度も説明しているつもりですが、MMSの作り方がよくわからないという意見が多いのでここでもう一度書くことにします。
まず手に入れる方法ですが「セイバーオードリンST]で検索してください。大体10gX20錠で5500円ぐらいです。以前は20gでしたのでちょっと混乱しますが一錠10gとして話を進めます。通常であれば一年以上持つと思います。
まずMMSの代表的なページを見ていただきます。
http://www.mms12.jp/index.php?st
これ以上ないぐらい丁寧に説明されていますが、みなさんはおそらくppmで面喰い、理解がしづらいと思います。ppmは1リットルに対してどれだけ含まれるかの単位ですからもう少しわかりやすくしましょう。

①計量カップ(できるだけ大きいもの)に錠剤を2錠入れ水を注ぎます。完全に溶けるまで放置してください。
②2リットルのペットボトルにそれを移し、さらに水を注ぎ満杯にします。これを原液とします。これは必ず冷蔵です。(常温で保存するとただのくさい水になります。)

③原液200ccを取り別のペットボトルに入れ、さらに水で薄め2リットル満タンにします。これが毎日飲む健康飲料水になります。どれだけ飲むかはその人の状況によりますが、僕は朝晩、一日二回、100㏄ぐらいづつ飲みます。(もちろん冷蔵してくださいね。)

以上ですが、20gを2リットルに割り、さらにそれを十分の一に薄め、一日200㏄飲むわけですから一日に飲む二酸化塩素は0.2g、すなわち200㎎飲んでいることになります。結構濃いと思われるかもしれませんが、夫婦とも毎日飲んで5年ぐらいになりますが何ら問題はありません。風邪気味の時、何か悪いものを食べたようなときは多めに飲むこともあります。また時節柄コロナに感染したくないですよね、そんなときはおまじない代わりにMMSを飲みます。

さて、S氏と話をする中で、世の中には病気を作り出している派閥があることを知りました。医療業界はマッチポンプです。病気を作り薬を売って儲ける、治療しては儲ける・・・みたいな。ただ残念なことに、どの病気が意図的にばらまかれたかはわかりません。
ただ昨年の冬にインフルエンザの感染が異様に少なかった理由が不明ですが、コロナとの関連を疑わざるを得ません。

いずれにせよ我々一般国民は自己責任で自分の身を守らなければなりません。最強のウイルス対策はMMS以外にはないと確信しています。シバ教を信じるかどうかはあなたの自由ですが、病魔に侵された後では手遅れになります。今すぐにでもシバ神のお札をダウンロードし、セーバーオードリンを手に入れることをお勧めします。

いよいよベーシックインカムが出てくる。

2020年08月23日 09時00分01秒 | 食品研究
一般的なワイドショーの中でも一番左翼的な番組、サンデモーニングを見ていたら、ついにベーシックインカムを話題にしていた。世界のニュースを見ても徐々に導入の段階に入りつつあるようだ。
盆明けの今週、店の売り上げは非常に低調だった。ざっと25%ぐらいの落ち込みになるだろうか。まあ、この程度の落ち込みは想定内だから別にどうってことはないが、近所の錦3地域は目も当てられない惨状のようだ。まあただでさえ過当競争の地域だから何割かの店は閉店の憂き目にあうことだろう。もちろん潜在的に店が多すぎると言えばそれまでなんだが・・。
それにしても、大企業を中心にリモートワークというか、在宅勤務というか、とにかく会社へ出てこない割合が私の予想を超えているようだ。すなわち売り上げ減少分と同じぐらい、25%は引きこもっているのではないか。これは短期的な話ではなく、恐らくこのまま継続し、最終的にリストラ予備軍になる可能性がある
ということで、いよいよベーシックインカムでも導入しないと世間に不満が蔓延するという話になってゆくだろう。働かなくても所得が保証されれば一体人間はどうするだろう。悪いことばかり考えても仕方がないが、やはり人間として堕落してゆくのが道理でしょう。
コロナが始まったころからベーシックインカムが目標の一つに入っていたのは事実。逆に言うと、ベーシックインカムを導入するためにどうすればいいかからの逆算が今なわけで、あとは世間をどう動かし納得させるかという話になります。まあ、着実に人間牧場に向かっているわけです。
ただ、ベーシックインカムという素晴らしい制度を利用し、メソポタミア・ヴァレーに住み、読書や研究、あるいは家庭菜園などを楽しむという手もないわけではない。私たちは支配者側の裏を掻くことを考えているわけですから、仮に導入されれば積極的に利用してゆくのも悪くないですね。うん、ぜひ考えていきましょう。ヴァレーではとても安く生活できる仕組みが予定されていますから、むしろ歓迎しましょうか。

さて、今週は結論から言うと勉強の成果はありませんでした。何を勉強しようとしたかと言えば、波動関数です。シュレリンガー方程式という関数式なんですが、これが全く分からない。
ここに張り付けるのもなんですから興味がある人は見てください。
http://ne.phys.kyushu-u.ac.jp/seminar/MicroWorld2/2Part3/2P32/hydrogen_atom.htm
ここを一週間もあれば理解できると思ったのですが、そうは問屋が‥‥。
実は私は工学部出身なのです。が、我々の年代はいわゆる全共闘世代で、学生時代は全く勉強をしませんでした。先日手を出したフーリエ変換も、今回問題になった偏微分も行列式もたぶん大学の授業では習ったはずです。残念ながら大学を出てすでに四十数年、四則演算はよく使いましたが微分積分を使うことはまったくありませんでした。こんな歳になってからもう一度学び直すのは限りなく無理なのですが、今から思えばもったいない話ですね。
思い起こせば大学の一番最初の数学の授業が行列式でした。有名な教授でしたから期待して授業に出ました。いきなり黒板に行列式を書き、「これが行列式という。計算はこうだ。」と、行列式とは何のためにあるのか、どのように使うかは一切説明してくれなかった。まあ、それが大学と言えばそれまでだが、せめて「将来波動を学ぶのならこれは知っておくべきだ」ぐらい言ってくれたら多少は授業を受けたかもしれないが、その授業の後、その教授の授業は一度も出なかった。あーあ、もったいなかったな。
しかし、反省するのは、やはり森を見ずに木を見てしまったということ。量子学のすべてを知る必要はなく、量子学で何ができるのかが大事だった。どうも難しい関数を見ると悔しくなって知りたくなってしまう。残念だけど、私にはその時間と知識は備わっていないのでした。まだ頭の柔らかい人はぜひ先ほどのページを見てください。人生の短さを嘆くこととなるでしょうね。

そう言えば煩悩さんのブログコメントの中に
「やんごとなき血筋の方はもったいないの?
前々から感じていたことなのですが
先生といわれる方は数年前のマヨさんの頃から
なぜ?すべて第三者である他者のブログを通して情報発信されるのでしょうか?
カラスの勝手でしょ~かもしれませんけどw
今回のこの構想企画なんか特にそう感じます。」

この件ですが、結論から言うと逆なんですね。最初に構想企画があり、そのための兵隊?が必要だった。
で、色々なブログから「金のために動いている人」、「どこかの組織の手先になっている人」
「性格が悪そうな人」・・・・みたいなのを排除し、たまたま現在の三人を選んだということでしょう。
私たち三人はみんな共通して「お人よし」「金に無頓着」「ものすごく物好き」なんですよ。
コメントの「もったいないの?」の意味は分かりませんが、知識を出し惜しみしているの?ということかな・・・。
実際の話、S氏が真実を発信したら世の中ひっくり返ります。我々はすべてを聞いているわけではなく、真実の一部をお聞きし、あとは自分の判断と憶測で発信しているわけで、よく勘違いも起こります。勘違いした間違った憶測を含めた情報があるから生きているわけで、すべてが真実なら抹殺される可能性が高いですね。
ではまた。


塩の話の続きですが・・・

2020年08月08日 08時09分29秒 | 食品研究
今日はまたしつこく塩の話から始めます。
と思いましたが、ちょっと脱線します。前回の塩の話の中で述べたように、食卓塩への転換、塩業の近代化、塩田から工業コンビナートへの転換が同時に行われたわけです。チッソへの支援、日本の工業の近代化、あるいは安価な食塩の専売による国家財政の安定化・・・などなど、どれが重要かと言うよりすべては同時進行で行われたのです。
その中でも四日市コンビナート注目してみると・・・・。
もちろん塩田をつぶしコンビナートと言う工業団地を作るのですから、塩業に従事する人以外には悪い話ではなかったかもしれません。もちろん四日市ぜんそくなどの公害をその時に予測できたかどうかは定かではありません。
この四日市近辺は遠浅の海岸で大型貨物船が着岸する埠頭を作るのはなかなか大変だったはずです。それをあえて強行したのには理由があります。
以前日本を東西に分けようと考える派閥があったという話をしたことがあります。有名なところは大野伴睦ですが、四日市から琵琶湖、そして敦賀につながる運河を作るという大きな構想が実際あったわけです。四日市コンビナートのオーナーは加賀の前田家、イオンの岡田家、そして海賊の九鬼家でした。彼らの目論見と言うのは、四日市から敦賀へというだけではなく、韓半島、満州、シベリアと鉄道をつなぎ、そこから西はヨーロッパ、東はアラスカ、最終的には南米までつながる流通網を構築しようという壮大な計画だったと。要はシベリアを東西に結ぶユーラシアの穀倉地帯を縦断する、つまり食物の流通を独占しようという構想だったわけです。これが緑のカラスたちの目論見だったのですね。
まあ、結果的に頓挫したわけですが、塩業、つまり海産物も緑の支配下にあるわけですね。
話はちょっと脱線、レバノンで爆発事故がありましたが、ここレバノンの杉こそがウバイド人の心のふるさとです。そのレバノンで硝酸アンモニウムという火薬が爆発したのです。これは偶然と考えることは難しいですね。おそらく貧乏人を追放し、理想的な別荘地に作り替えたいってことでしょう。
で、偶然ですが、チッソの作っていたのがこの硝酸アンモニウムなどの火薬です。
脱線ついでに、先日メソポタヴァレー仲間の中で発酵麦芽米が話題になりまして、いったいコメを炊飯し発酵させるとどうなるという話でした。
これは糖尿病に悩まされている自給さんがなんとか血糖値の上昇を抑えつつ、炭水化物を食べたいという相反する条件を満たそうという試みで、これを待っている人は結構あるのではないかと。問題はおいしいのかということです。
発酵麦芽米というのは二種類あり、一つは玄米を発酵させる、いわゆる原料自体を発酵させるものと、炊飯し三日間熟成発酵させるという物とがあります。おいしいかどうかはここでは問題ではなく、このままコメを発酵させると最終的にアルコールになるという話が重要。このアルコールをバイオエタノールと呼びます。最近急にレジ袋が有料になりました。無料が当たり前だったレジ袋がどうして?
まあ、プラスチックごみによる海洋汚染、ごみ問題、確かに悩ましい問題です。
そんなエコが叫ばれる中での出来事で、なんとなく理不尽な気がしていたわけですが、要は日本中にある政府の備蓄米を原料としプラスチック原料のレジ袋を追放してしまえという話だったのです。消費者は金だけ払わされ、エコエコの大合唱の後ろでは石油業界の再編が進められているという落ちだったのですね。この運動の結果、豚や牛の餌に使われていた穀物、トウモロコシや麦、コメなどはおそらくアルコール燃料の原料へと向かい、では家畜の餌はというと・・・人間の出したバイオプラスチックのごみでも食べさせようという話になるのかも・・・。
で、ようやく塩の話にいくかとおもいきや、味噌の話になります。活性酸素というのは皆さんご存知かと思いますが、体内で細胞を錆びさせるもので、老化、ガンの増殖、動脈硬化などが懸念されます。その活性酸素の動きを妨げる動きをするものを抗酸化物質といいます。それがビタミンとかポリフェノールなどになります。
その抗酸化作用のもっともすぐれた食品が味噌なのです。まあ、味噌といっても大豆、麦、コメなど種類も多く一口にどれがと言い難いのですが、これはまた課題として残しておきます。なぜ味噌がいいのか、それは塩を使っているからです。
名古屋には八丁味噌という赤味噌があります。八丁味噌の商標をめぐり本物が偽物になったり何かと騒がしくなっていますが、大豆と塩だけで一年以上かけて熟成発酵をさせている非常に貴重な生産物なわけです。
あとは麦みそ、コメ味噌・・・種類は色々ですが、安く売られている味噌は生産効率を上げるため自然発酵ではなく加熱発酵をさせたりし、本来のパワーを出せているかはやや疑問は残ります。まあ、今後はこれらの味噌を高性能な分析器を使い、本当に体に良い味噌はどれかを探す作業が必要となります。メソ・ヴァレーではこんなこともやっていきたいと考えています。
日本では玄米とみそ汁という質素な朝食が主流だったのですが、質素と言われながらもそれらに含まれているミネラル分は豊富で、人間の健康を保つに十分だったと言えます。ところが玄米が精米された白米となり、減塩味噌と化学調味料で出汁を取ったみそ汁ではミネラル分は十分ではありません。
ハナマルキの宣伝から引用します。
「みその主原料である大豆は、良質の植物性たんぱく質を多く含む食品です。みそは発酵によって、大豆にはない、またはあっても少量のアミノ酸やビタミンなどが多量に生成され、栄養的にさらに優れたものになっています。酵素によって加水分解されたたんぱく質はアミノ酸になり、その中には生命維持に不可欠な必須アミノ酸9種類がすべて含まれています。その他ビタミン、ミネラル、食物繊維、炭水化物など多くの栄養素を含むみそ。ひとつの食品でこれほどたくさんの栄養を含むものは、他にありません。」
手元に食物の因果表という表があります。食物を陰陽とアルカリ度で分類したもので、現在これを徹底分析中です。今後メソポタ・ヴァレー用に作り直そうと作業を始めています。その中で中庸でアルカリ食品でもある味噌は中心に来る食べ物となるでしょう。
塩の話の次は味噌になるかな…。
で、ようやく塩の話になります。
食卓塩等いう単なるNaClと言う化合物とお塩と言うミネラルを豊富に含む食品はまったく次元の違うものだということは皆さんおそらく気づいているものだと理解しています。では、そのお塩の中でもこれはすごいという物を紹介します。
藻塩という物です。海を浄化する藻と言う海藻、その海藻はたっぷりと海水を含みます。
藻塩とは「藻塩(もしお)とは文字の通り、海水と海藻を原料としてつくられた無添加の塩のことをいいます。 海水を煮詰めるところまでは通常の塩づくりと同じですが、海藻の一種である「カジメ」を天日干しにしたものを入れて煮ることにより、カジメに含まれているエキスが凝縮され、口当たりの良いまろやかな藻塩が完成します。」
まあ、究極の塩と言ってもいいかもですが、やはり、かなり高価ですね。
と言っても、現在家庭で使う塩の量などたかが知れています。一か月千円もかからないでしょう。現在我が家は岩塩を使っています。プラスチックの容器に入りゴリゴリ擦りながら使います。気分も良いし、味もなんとなく良い気がします。
日頃あまり贅沢とは縁のない私ですが、とりあえず高価な藻塩を取り寄せてみようと思います。
そういえば、先日クッキーの中に岩塩を入れてみたのですが、食べると岩塩の存在ははっきりわかります。食卓塩なら必ずしょっぱいと感じるはずですが、むしろ甘く感じます。
さてと・・・脱線ばかりで塩の話が少なかったですね。まあ、この話は今後も続きます。
ところで、私の日記代わりのこのブログですから愛知県が独自の緊急事態宣言を発令したことは記録しておかなければなりません。まあ、知事として名古屋の繁華街である錦3、栄地域を限定して自粛要請したわけですが、どう考えても異例です。これは名古屋市の河村市長と愛知県知事との関係が修復不能になっているのが原因で、あおりを受けた飲食店はたまったものではないと言えます。
以前に述べたように、世界の支配者が集まり「戦争に代わる大騒ぎ」として開始された一大イベントが「コロナ」だったわけで、第一波だけで終わるわけがありません。最低でも一年、完全に回復するには3年から5年は覚悟しなければならないでしょう。出口は・・・・たぶんですが、ワクチンが流通し、世界の製薬業界が大いに潤うことが確定すれば、そしてワクチン接種が条件として東京オリンピックが開催されれば・・・・この辺でとりあえず幕が下り、そのあとは10年ぐらいかけて回復。そして次のイベントが始まる・・・と。キリがないですね。
それでは

ながーい、塩の話

2020年07月31日 15時50分35秒 | 食品研究
あまり皆さんの興味の外かもしれませんが、私たちの健康に非常に重要である塩についてもう少しだけこだわってみたいと思います。
細かい話が多くて恐縮です。しかしどう考えても削れないところが多く結果こんなに読みにくい記事になりました。面倒なら読み飛ばしてください。
先日の記事の中で天然塩には塩化カリウム、塩化カルシウム、塩化マグネシウムなどのいわゆるミネラルが豊富に含まれると述べました。が、我々が今普通に使っている食卓塩はNaClという化学物質であります。どうしてこうなったかを調べる必要があるのではないか‥‥と思うわけです。
引用はじめ
まず、ある法律ができました。塩業近代化臨時措置法であります。
「塩業近代化臨時措置法は、正式名称を「塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法」と言います。
1971年(昭和46年)4月に施行されました。
内容は、かいつまんで言うと
1.民間企業が日本の海水から塩を製造してはならない
2.民間企業が独自に海外から塩を輸入してはならない
というものでした。
自由に塩を作ってはいけない、という法律です。
日本専売公社(後に日本たばこ産業:JT)が国内需給確保を目的として
イオン交換膜製法によって塩を製造販売しました。
製塩工程全体が装置産業化する、日本の製塩史上で稀に見る大改革だったのです。
これに伴い昭和20年代後半から始まった全国の流下式塩田すべてが廃止されました。
その背景には日本の工業化推進の為という理由がありました。
塩化ナトリウムは、多くの工業製品の基礎素材であるソーダ生産には欠かせない原料です。また、海に面した広大な塩田は工業用コンビナートの恰好の立地場所でした。
工業用地と工業素材の必要性、工業立国という国家の一大方針によって、塩が塩と呼べない化学物質に置き換わりました。
1985年(昭和60年)に日本専売公社が民営化(日本たばこ産業に移行)し、塩の販売も専売制から徐々に自由に販売できるようになりました。
1997年(平成9年)4月塩専売法は、国の自由化政策の一環として廃止され、塩事業法の制定のもと、国内で自由に塩を作れるようになりました。
2002年(平成14年)4月から塩の販売が自由化され海外の塩が輸入できるようになりました。
これが現在流通している塩がミネラルをほとんど含まない塩化ナトリウムの塊になった経緯です。塩が自由に製造販売できる今日でも、設備が揃っていて安く作れるイオン交換膜製法が主流になっています。
塩業近代化臨時措置法が施行されたことのツケが今でも残っていると言えます。
以上 引用元 https://www.kanzen-tenpiboshi-shio-japan.info/blog/2015/01/25/engyo-kindaika-rinjisochiho/より
法律と言うのは建て前の名前が付けられます、が、実態はそんなにきれいなものではないのです。
水俣病が発生したのです。
昭和31年(1956)、水俣市に住む少女が手足がしびれ、口がきけず、食事ができないなどの重い症状を訴え、チッソ水俣工場附属病院に入院する。これが水俣病の公式確認の最初である。
昭和34年、熊本大医学部水俣病研究班は「水俣病の原因物質は水銀化合物、特に有機水銀であろうと考えに至った」ことを報告。
昭和40年、新潟で有機水銀中毒と思われる患者が発生した。昭和42年、昭和電工の排水が原因であると厚生省に報告が入る。
昭和43年、厚生省及び科学技術庁は熊本で発生した水俣病についてはチッソ水俣工場の「アセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物」が原因であり、新潟水俣病については昭和電工の「アセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀化合物う」がっ中毒発生の基盤であると発表した、
ここに至るまでの騒動に関して今回割愛せざるを得ないが、地域を真っ二つに割る大騒ぎだったことは間違いない。
チッソの水俣工場は昭和43年(1968)、アセトアルデヒドの生産は停止、昭和電工は昭和40年(1965)にはアセトアルデヒド生産工程は閉鎖されている。
さて、この両者がどうして有機水銀を排出したのかと言うと、水酸化ナトリウムを得る方法として電解ソーダ法の中の水銀法を使用していたからである。
水銀法とは「電解槽の床面に水銀を敷き、それに対向するように黒鉛陽極または金属陽極を配置し、その間に食塩水を通じて電解すると、陽極では塩素が発生し、陰極は0.2~0.5%のナトリウムを含むナトリウムアマルガムとなる。これを黒鉛粒子を充填(じゅうてん)した分解塔へ水とともに送り込むと、分解してカ性ソーダと水素が生成し水銀に戻る。」当時隔膜法と比べ高純度な水酸化ナトリウムが得られるということで主に本法が採用されていた。
水銀法による損失水銀量の問題は第 3 水俣病が発表されて以来,社会不安を激化させるに至り,政府は 1973(昭和 48)年,水銀法苛性ソーダ製造における水銀の損失を低減させるためのクローズドシステムの徹底と 1978 年までに水銀法を全て隔膜法に転換することを決めた。
ところが,隔膜法では苛性ソーダ中に NaCl が1% 程度混入しており,酸化力の強い塩素酸ソーダも多く,化学繊維,セロファン,無機薬品,調味料,有機化学,石油化学等には利用できないことがわかった(苛性ソーダ全消費量の約 25% に相当)。また,塩素ガスについても塩化ビニルの原料等,41% の分野で使用不能であった。更に,昭和 50 年における新設の隔膜法は既存の水銀法に比べ,約 4 割高くなることが見込まれた。しかしながら,苛性ソーダの製法転換,即ち,水銀法から隔膜法への転換を徹底させるため,通産省は隔膜法および水銀法両製品の等量交換並びに価格差決裁制度の設立によるコスト差額の上乗せを実施し,97.5 万トンの苛性ソーダに対し 38.7 億円を支出し,転換を促進した。政府は電解苛性ソーダの製法を水銀法から隔膜法へ転換することを決定したものの,隔膜法は水銀法にくらべて消費エネルギー及び品質の点でも劣っていた。水銀法を隔膜法に全て転換することは,産業の国際競争力維持の観点からも困難であり,イオン交換膜法等の革新技術の開発が望まれていた。
旭化成は昭和 50 年,イオン交換膜のガス付着防止,プラズマ溶射による陰極活性化を実現し,イオン交換膜法苛性ソーダ 4 万トン / 年の世界初の商業ベースを実現した。旭硝子も昭和 49 年,カルボン酸系イオン交換膜を合成し,昭和 58 年には高性能膜,低過電圧陰極,ゼロギャップ電解槽からなる省エネルギー型電解システムを開発した。旭化成,旭硝子およびトクヤマの 3 社の技術が海外でも広く使われるようになってきた。
要は何が言いたいかと言うと、有機水銀で大きな公害を引き起こした原因はソーダ電解にあったわけで、その解決策として苦労して開発したのがイオン交換膜法だったということです。
ところが、同じイオン交換膜法で苛性ソーダを作るのは何の問題もないが、なぜ従来の塩の製法をイオン交換膜方式に変えなくてはならないかの説明はとても不可解なことではないだろうか。
これにはチッソと言う会社を調べなくてはならない。実はWIKIを調べるまでもなくこの会社は日膣コンツェルンの中心に位置する会社だった。
日本窒素肥料の発展(wiki)
当初の石灰窒素事業は必ずしも順調ではなく、藤山が世界で初めて連続的生産方法を開発したものの、製品の窒素含有量が少ないなど技術的課題があった。工場で製造を指導していたのは藤山であったが、創業間もない企業として製品化を急いでいたこともあり、野口は藤山を押しのけ悪戦苦闘の末に最初の製品を作り上げた。しかしこのことで藤山は日本窒素肥料を去り、三井の資本で電気化学工業を設立し強力な競争相手となった。
1914年の第一次世界大戦の影響で、それまで日本市場の過半を占めていたイギリスからの硫安の輸入が途絶し、硫安の市場価格は3倍近くに急騰し、高値は1918年まで続いた。日本窒素肥料は国内原料と自家発電を利用していたため生産費の上昇がなく、大戦中に大きな利益を上げた。得られた資金を原資に事業拡大を考えていた野口は、戦争が終結したヨーロッパに1921年赴き、ドイツのグランツシュトフ社のビスコース人造絹糸技術、イタリアで最新のカザレー(イタリア語版)法アンモニア合成技術の導入を決めた。この二つの技術を実現するために、ベンベルグ絹糸製造の旭絹織物、アンモニア合成の延岡工場が建設された(いずれも現在の旭化成の前身)。人絹糸を処理するときに得られるニトロセルロースは綿火薬の原料であり、平和産業から戦時産業へ転換可能な製品である。またカザレー式アンモニア合成法の導入により、森矗昶の昭和肥料(現・昭和電工)と激しく競争しながら日窒は国内総生産高の多くを占めるにいたった。(以上WIKIより)
要はこの会社の本性は粉屋だったということ。粉とは火薬のことです。そうそう、プルトリウムも粉屋の仕事です。粉屋というと貧弱な商売を思い浮かべるかもですが、実はとんでもない。要は黒のカラスの本業、仕事場所なのです。
彼らの別名は戦争屋、あるいは死の商人です。この部分については〇〇宮もシオニストも手は出せません。
フランク帝国の時代、大王の妾腹の子の嫁ぎ先、カスティーリャとアラゴンに黒の権益を定めたわけで、のちにこれはスペインになる。そして大航海時代となりはるばる日本にもやってきたと。これが前田家と七福無尽につながり、北陸宮と旭将軍との話になります。
ちなみに緑は主に農業、資源、黄色は主に兵器。従って日本製原爆でおなじみの原爆の起爆装置は黄色、爆弾は黒の商材となります。
長々と書いてきましたが、粉屋のチッソが崩壊の危機に陥っていた場面で国を挙げて危機を救ったという話なのです。そして国民はその分高くてしょっぱいだけの食卓塩を使わざるを得なくなったということになります。まあ現在は自由に塩を選べるようになり塩の持つ魅力を再認識できるようになったのは喜ばしいことですが、国民の健康よりも粉屋のほうが大事だったことは忘れてはならないですね。

実は明後日東京へ行き第二回目の打ち合わせが予定されています。できれば今回の話の中で私が調べられなかったところ、知りえなかったところを聞くことができればいいなと思っています。
メソポタミア・ヴァレーの進捗状況を教えていただく予定です。また報告します。