マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

国債は誰が返すのか?

2010年01月31日 08時00分39秒 | ひとりごと
まいったね。「ねえ、いつまで寝てんのよ!」とパリからどなられ、時計を見ると7時半、「体の調子が悪いの?」、「いやー、三度寝かな?」
たいていは日曜でも5時には起きるのだが、今朝は異常だった。
何ででしょうね、自分でも不思議・・・・。
で、今サンディー・モーニングを見ているが、さっそく鳩山政権批判。国債大幅増額で借金の残高が九百七十三兆になるとかならないとか・・・、日本の中には多くの財政緊縮論者がいる。特にマスコミ関係者にはその手先が入り込む。「そのツケを自分達の子孫に払わせるのか?」、「このままいくと日本は財政破綻に・・・」

本当に「馬鹿」の一つ覚えである。

このブログをお読みの皆様はこんな報道に騙されないとは思うが、あまり腹が立つのでいつも私が自分に言い聞かせている事を言っておきます。いいですか、報道で国債残高が空前の規模にふくらんでいるといわれるたびに自分でつぶやくのですぞ、「負債に見合う資産があれば国債残高は問題ない」、「日本は世界一の債権国である。」、「需給ギャップが70兆ある。日銀が金を回さない限り、国債発行はやむを得ない」・・・・と。

関口さんも「この国債を誰が返すんですかね・・・」といかにも民主党が悪いように批判するが日銀が責任を取るしかないのである。国債残高を減らすのは日銀の仕事で、こっそりと紙幣を印刷し償還するしかない。いっぺんにやるとインフレになるからみんなの知らないところで上手にやってね。


いまこそ省庁分割、企業分割を

2010年01月30日 09時40分54秒 | ひとりごと
いやー、長かったね。なにが?鳩山さんの演説が・・・・。
昼の一時に会社を出て、桑名のお客さんのところへ着いてもまだ演説していて、カフェで御馳走になり、車に乗ったら菅さんの演説が終わったところだった。つまり、鳩山さん以外はあっという間に済んだという事だ。

中身はほとんど知っていることばかりで目新しいことはないが、何度も「政権交代の成果」を強調したから、自民党の議員にとっては実に腹立たしいことだっただろう。だけど、いくつかの改革案はまさに政権交代なくしてできないことだから、これは事実と受け止めるしかないだろう。くやしかったら選挙で勝ちな。

あまりにも長文で全部を読んでいないが、女房よれば幼稚園と保育所を統合するようなことを言っていたという。これは厚生省と文部省の権益を侵すことで、なかなか難しいことだろうな。とにかく厚生労働省というのは巨大すぎて、しかも農水省ともダブるところもあり、なんとか分割しないと旧内務省のように権力が集中しすぎる。麻生政権で急に分割案が出て、すぐにつぶされたけれど、めずらしく私はそれはいいことだと思った。なぜ急にあのような動きがあったのか、今でも釈然としないのだ。
なんにしてもひとつの省庁が総予算の3割ももっていくのは異様であり、行革という名のもとに二つの省庁をあわせたのは大いに間違いだったと感じるのである。
この失われた平成の二十年間は合併と併合の二十年だった。無駄を省くのは結構に思えるが、あまりに大きな省庁、あるいは企業グループの誕生は決して国民に利益をもたらさないことは十分に証明されている。
政権誕生をきっかけに企業も省庁も再編するべきではないか。この小さな国土で多くの国民が平和に暮らすためには合理化だけでは解決されないこともあるのだ。つまり、無駄飯食らいの人たちにも生活させなければならないっていう事。

民意をうけとめない?

2010年01月29日 06時12分19秒 | ひとりごと
名護市長選の結果を受け、平野官房長官が「それにこだわることはない。」と述べたことで結構反発の声が多い。しかし、以前から、もちろんのことだが、自民党が民意を誠実に受け止めてきたことはほとんどない。当たり前である。
「税金をすべてただにします。」という公約をして当選してもそれは単にポピュリズムであり、民意を反映すれば国は亡びてしまう。原発、ダム、ゴミ処理場などの建設で地元の賛成など得られるはずはない。たくさんのダム建設反対の民意をすべて無視し、自然を破壊してきた自民党に「民意」を語る資格などない。石破氏が「市長選の民意をなんと考えるのか?」と平野氏を批判しているが、民意とは基地移設反対なんですよ、いいんですか石破さん、民意を聞いても。逆じゃないの?
伊吹さん、民意をあなたたちは尊重してきたのですか?まさかね・・・。

冗談じゃない。沖縄の民意は昔からはっきりしている。何度やっても同じである。単に、自民党が民意を受け止めてこなかっただけである。国会の討論でも今のところ自民党は何も言えない、前原さんのように、「あなた達が何をやってきたのですか!」といえば、自民党は黙るしかないのだから。

さて、平野さんの発言は内閣の一員として当然である。国家の方針を一地方の首長選挙で左右してはいけないのである。つまり、民意は受け止めるがそれで方針が決まるわけではないというのは当然なのである。
ただし、基地容認派が勝利していたとしたら民主党の打撃は計り知れないものがあっただろうから、内閣としても「やれやれ、助かった」が本音である。
首相の「5月に決めます。」という意味は「すべてをグアムへ移転」にかかる費用分担の話し合いがアメリカと出来ていないという事である。

広いお心の持ち主です

2010年01月28日 09時39分48秒 | ひとりごと
月刊日本の今月号は「天皇論」の特集です。私のような全共闘世代の人間はとても天皇論など語る資格はない。とりあえず「国家は敵だ。天皇?ナンセンス!」という時代の人間なのだから、とても文章に出来ない。もし文章にすれば、街宣車に囲まれ、生命の危険が伴うだろう。(怖いよ・・・)

怒らないで聞いてくださいね。本音をいうから、
「私にとって天皇とはピカソの絵のようなものだ。つまり、世界中でものすごく大事にされるが、私にとっては単なる絵に過ぎない。」

しかし、天皇のその価値はピカソの絵の比ではない。つまり世の中に比較することが出来ないほど貴重なものなのだ。なぜなら世界中の指導者たちは競って会いに来てひざまずくのだから・・・。姫さまが昨日問い合わせてきたように、「その秘密はなーに?」なのである。誰もわからないけれど、天皇陛下はとてつもないお種をお持ちなのだ。(たぶん)
日本の代表というだけなら鳩山さんで十分だろう。でも、首相を辞めたらただの人だもんね。
だからこそ、この「お種」の秘密を知ることが日本の歴史を知ることなのです。

天皇は政治に口を出さない。これは平安時代からの原則だった。それを誤ったおかげで南北朝の争いが起きたのである。これのきっかけは、皇位継承に時の政権が干渉したからである。もうひとつ、天皇が引退し上皇になるというシステムも悪かった。北条氏も将軍としての親王に文句を言ったために亡ぼされた。信長はキリスト教を広めようとして殺された。秀吉は天寿を全うした。家康も無事だった。徳川家は外圧を恐れ、天皇家に大政奉還をし亡ぼされなかった。
自民党は歴史を学ばなかったために亡ぼされた。

私が言いたい事は、天皇を怒らせるとただではすまないほどの力があることを知るべきだという事と、皇位継承には誰も口を出すなということ。これ以外は何を言っても大丈夫。広いお心の持ち主だから、私も無事にブログを書けるのです。

公的行為は誰の責任?

2010年01月27日 08時38分20秒 | ひとりごと
毎月楽しみにしている月刊日本、落合莞爾さんの「疑史」が今月号は予定変更で、例の「小沢さんが習近平氏を無理やり天皇へ引見させた件」の投稿になっている、残念だ。
今月号で興味深いのは、この件に関し、まったく反対の意見が複数載っていることで、そのあたりが月刊日本の良いところかな・・・・。

小沢氏の発言、即ち「国事行為は内閣の助言と承認に基づき天皇が行なうべきものなれば、内閣がご引見を必要と考えた時は、その実現を図って当然」に対し、共産党から、「引見は公的行為であって、国事行為ではありません。」と指摘がなされた。小沢氏は再び記者会見で、「憲法の精神からすれば、公的も国事も似たようなもの・・・」と発言した。ここが落合氏に言わせれば重大な憲法違反であるという。
彼の論理でいくと、「国事行為以外は公的行為と称し、国事行為の如き内閣の助言と指示には服さない。公的行為はロボット的性格の行為ではなく、天皇御自身の御判断で行動を取捨されるのである。」という。
さあ、憲法の精神をどのように解釈するかであろうが、これはおそらく水掛け論のような議論になってしまうだろうな。憲法は法律と違い理念が大事なのである。

私の考えでは現憲法が作られたきっかけは、天皇という類まれな「玉」を政治利用させないように歯止めをかけるべきだという事と同時に、何があろうが絶対に天皇に責任が及ばないような安全弁を作る必要があったのだと思う。
例えば、次期中国の首席になる可能性の高い習氏を引見させなかったことで、将来の対中関係にひびが入った場合、一体誰が責任を取るのかという問題である。はたして宮内庁長官はその責任を取れるのだろうか。あるいは、天皇には責任が及ばないのだろうか。落合氏の論で行くなら、国事行為以外は天皇御自身の判断ですることになっている。つまり、習氏の引見を断るのは天皇の判断という事になるではないか?これではその責任が天皇にかかってくるのではないか?

このような重大な案件は内閣の責任で行なわれなければならない。つまり、公的行為であっても国事に順ずるものは国事行為と判断すべきであることは論を待たないのである。その判断が内閣の責任であることはいうまでもないことである。
憲法の精神とは、「公的行為の中でも特に重大なものに関して内閣が責任を持ち、天皇に責任が及ばないようにする」ためにあるのだ。

現在の憲法は天皇を機関として扱い、天皇をないがしろにするものだという意見はわからないではないが、天皇を縛るためばかりではなく、お守りするためでもあるのだという事を知るべきではないのか。

少なくとも現憲法下では、国事行為以外の公的行為は内閣の助言と承認を必要としないとの解釈は出来ても、天皇自身の判断ですればいいと判断するのは天皇自身の立場にとって非常に危ない考え方であるといわざるを得ない。

私の尊敬する落合莞爾さんだが、小沢さん嫌いなのかな、そうでなければ自民党政権時代、どれほど天皇の権威を傷つけてきたか考えて欲しい。一番ひどいのは、公の場で皇位継承に関する干渉したことである。天皇の「お種」は世界の重要事である。畏れ多くも賢くも、天皇以外がこれを口に出すことははばかられるのでごじゃりますぞ。