マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

たいくつ連休スタート、コロナに感謝?

2021年04月29日 07時33分56秒 | ひとりごと
連休と言いますが、僕はカレンダー通りだからそれほどたいした連休ではないです。非常事態宣言が愛知も発令されると思っていたので、予定していた旅行は取りやめました。読みたい本がそれこそ山積みになっているのでこの際読書三昧と行きたいですね。
さて、先日週刊誌のライターがうどん屋に取材に来たとお伝えしましたが、現物の週刊誌が送られてきました。週刊大衆という本で、実のところ開くこと自体がやや恥ずかしいような本です。4月の19日に発売されたこの本の巻末に掲載されています。「はんつ遠藤の美味巡り、極うま麺」というコーナーで、当店のカレーうどんが紹介されました。一応ご紹介だけしておきます。この週刊誌を職場に持ち込み開いたとたん「セクハラ行為」とみなされることがありますから要取り扱い注意とだけ書いておきます。

先週の日曜日、暇だったので女房が録画していた韓流映画「悪人伝」を見ることにしました。主役はマ・ドンソクという役者で、こわもてながら笑うとちょっと愛嬌のある人気俳優です。内容はここでは触れませんが、まあサスペンス物です。言いたいのは韓流のドラマつくりは世界でも一流で、面白さはとびぬけている。とにかく目が離せないし飽きることがない。その昔、韓流の歴史ドラマにはまったことがありましたが、現在は当時よりさらに洗練されてきている。映画やテレビ、さらに新聞は大衆洗脳の有効な手段として支配者の道具であり、いわゆるユダヤ系の映像技術が世界を支配しているとされる。映画を見て楽しくさせたり悲しくさせたり、怒らせたり、要は人の心を簡単に支配する。この様な技術は戦争に向かうときに威力を発揮する。電通の前身を調べると国策会社で太平洋戦争を推進するために設立されたことが分かる。映画をこんなことを考えながら見る必要もないけど、あまり面白いとちょっと心配になりますね。気をつけないと知らないうちに竹やりを手に持ってたりしないように・・・・。

名古屋市長選は河村氏の再選が決まり県知事と市長のバトルが始まっている。二元論的に言うと河村氏は民族自決側、やや右翼に近いかな。対する大村氏は最近はグローバリストの仲間入りか‥‥?
以前、名古屋は南京市と姉妹都市だったが、中国側から南京虐殺を認め謝罪しろと言われ姉妹都市契約を取り消すという事件があった。まあ、筋金入りなわけです。で、今もめているのは名古屋城建て替えにおいて、木造で残っている図面通りに再建したい河村氏に対し、一つは「石組み」の再調査と徹底的な保護を要求する派閥(穴太衆か?)との対立、そしてエレベーター設置をし、足の不自由な人の観覧を可能にせよとの要求など、グローバリストとの対立はそう簡単に収まりそうにない。
また、コロナ対策では名古屋に重点を置く大村氏に対し、コロナなどたいしたことはないとする河村氏との対立はもはや感情論となっている。まあ、市長選で河村氏が勝ったことで、大村氏はやややりにくくなったということですね。これはよかったですね。

さて、連休ですが、パソコンんの前に5冊ぐらいの本が積んである。とにかく時間がなくてじっくりと読めなかった本で、そのほかにもう一度読み返したい本を探せば10連休ぐらいでは片付きそうもない(100連休ぐらい欲しい)。まあ、そう言う意味で今回の連休はとても貴重なものです。正直、ちょっとうれしい。
渋沢栄一(鹿島茂著)は前巻しか読んでないけど現在NHKで放映してるから後巻は止めよう。母が勧めてくれた本で光圀伝という本がある。まだ開いてもいないけど、近衛家から来た嫁が中心の話らしい。「近衛 尋子(このえ ちかこ、寛永15年(1638年)10月 - 万治元年閏12月23日(1659年2月14日))は、江戸時代前期の女性。水戸藩第2代藩主・徳川光圀の正室。通称は泰姫(たいひめ)、台姫。院号は法光院。諡号は哀文夫人。」(wiki)、うーん、これは読まなければ…。
そして、前に読んでるけど「歴史は西から東へ」(稲葉太郎)と鹿島昇の歴史捏造の歴史②もこの際読んでしまおう。これはオリエントの歴史とアジア史は実は同じものだという論考で、ものすごく面白い考え方です。が、なかなか現実には納得できないところがあります。しかし、ここに真実の歴史があると信じています。鹿島昇の著書を私は多数持っています。彼の主張を正しいとは思っていませんが、オリエントから中国、朝鮮、日本へやってきた渡来人が自分たちの歴史も同時に持ち込んできたという認識はまったく正しいものと考えるのです。
最後にどうしても読みこなせない本、「ユダヤ人の起源」(シュロモー・サンド)も絶対に読もうと思います。

うーん、コロナのおかげで自由な時間が手に入る。悪い事ばかりではないな。


系図のお勉強です。

2021年04月19日 17時46分30秒 | ひとりごと
やれやれ、マンボウだけでは物足りず、さらに再びの緊急事態宣言が発せられるみたいですね。前回の二回目の非常事態宣言は比較的緩やかだったため、三回目の宣言は一回目並もしくはそれ以上の厳しい措置も予想される。
ゴールデンウイークの旅行はもうあきらめました。後ろめたい気持ちで旅行してても気分が悪いですからね、また別の機会にします。
今日、うどん屋へ来た若いお客に聞いてみた。「おたくの会社は在宅勤務はあるんですか?」と。すると「あるもなにも、ずーっと在宅ですよ。たぶんコロナが終わっても変わらないと思いますよ。」だって・・・・。
うーん、世の中は僕が思っているよりも早く進んでいる。今後はオフィス街という概念すらなくなるかもしれない。まあ、老人となった僕にはもはや対応する必要はないが、メソポタミア・ヴァレーに住み、月に何度か東京へ出勤するというスタイルが、10年後にはごく普通の生活になる可能性は高いのかも・・・。

さて、菅さんが米国を訪問しバイデン氏と会談をした。内容は特に注目する必要はない。肝心なことは、この首脳会談でバイデンはようやく大統領として世界にデビューできたことと、菅首相は次期首相として米国に認めてもらう儀式が済んだことを意味すると理解している。おそらくバイデンは制限付きで大統領になったということ、つまり、認めてやる代りに重点項目は北軍に従えという意味だろう。それは中国に対する姿勢でわかる。要は、北軍側は選挙の不正の証拠をちらつかせながらバイデンを自在にコントロールすることにしたのだろう。
また、かつて福田氏が総裁選の前に訪米し、帰国した途端総裁選に出馬しないと発表し周囲を驚かせたことがある。これは機構側と会談し色々な条件が提示され、彼はそれを飲めなかったと考える。
今回菅さんはどうだったのかな・・・・?

さて、名古屋が今大変です。河村憎しで、大村愛知県知事は名古屋いじめをしています。河村4選を阻止すべく、自民党はもちろんのこと、立憲、国民、社民(そんなのあったかな・・・?)、共産までもが名古屋市議だった自民党の横井氏を応援、さすがの人気者河村氏も今回はちょっと?という感があります。確かに河村さんの人気は未だにすごいものがあります。さて、どうなるでしょう。
マヨ君はどう思う?
そうですね、この河村市政の3期、名古屋は時代もあるかもしれないけど「まあまあだったんじゃないかな」というのが僕の個人的な印象です。あとは市民がどう考えているのか、非常に興味深いところです。さて、結果はどうなるか?

歴史の勉強ですが、現在は津軽藩を調べてみました。特に結論も何もありませんが、系図を調べていると思わぬ発見があります。面倒なら読み飛ばしてください。ただ、何が知りたかったかはわかっていただけると思います。
津軽家 弘前藩主
初代 - 津軽為信(ためのぶ)(1550-1608)近衛前久の猶子  上洛した際に元関白近衛前久を訪れ「自分は前久公の祖父・尚通殿が奥州遊歴なされた際の落胤」と主張した。近衛家に限らずその頃の公家は窮乏しており、関白職に就きたいが家柄の無い羽柴秀吉を猶子にして藤原姓を授けた近衛前久は、為信からの財政支援増額により為信も猶子にした。

2代 - 津軽信枚(のぶひら)慶長18年(1613年)に下総関宿藩主・松平忠良の妹であり、徳川家康の養女・満天姫(再嫁。前夫は福島正之)を妻に迎えたことも、江戸幕府体制下での津軽氏の地位を固めた。信枚には辰姫を正室としていたが、満天姫を迎えるにあたり正室から側室に降格させている。 

3代 - 津軽信義(のぶよし)
4代 - 津軽信政
5代 - 津軽信寿(のぶひさ) 正妻 綱姫 - 梅応院、近衛家熙の養女、醍醐冬基の娘。嫡男・信興が早世したため、享保16年(1731年)5月16日に信興の嫡男、つまり嫡孫である信著に家督を譲って隠居

6代 - 津軽信著(のぶあき)藩を継承した信著の治世期は不運にも、凶作・松前大島噴火による津波・数度の洪水、疫病の大流行、害虫の大発生、城下や青森町の大火、蝦夷地の有珠山の噴火の影響による群発地震、果ては領内大地震など、天災が相次いだ。領民は困窮を極め、結果として藩財政も著しく悪化した。

7代 - 津軽信寧(のぶやす)明和3年(1766年)7月8日、地震のために弘前城が壊れて、幕府から4000両を借り入れた。さらに天明元年(1781年)から起こった天明の大飢饉は藩にとどめを刺すこととなる。天明3年12月25日(1784年)、幕府から飢饉対策のために1万両を借り入れる。このため信寧は財政改革に乗り出そうとしたが、その矢先の天明4年(1784年)に急死。
正室:綾姫 - 松平明矩の娘
 
8代 - 津軽信明(のぶあきら)信明はさらに倹約令や出費の大幅削減、義倉設置による食糧備蓄、藩校の開設と教育の普及、藩法の制定、年貢徴収方法を定免法から検見法に改めるなどして、着実な改革を行なって財政を再建した。
正室:松平朝矩娘・喜佐姫

9代 - 津軽寧親(やすちか)本家の藩主であった津軽信明が若死にしたため、その養嗣子として跡を継いだ。
10代 - 津軽信順(のぶゆき)信順は内大臣・近衛基前の娘と婚約したが、2年後にこの娘は夭折する。次に信順は田安徳川斉匡の六女・鋭姫と婚約する。斉匡は11代将軍・徳川家斉の弟である。これにより将軍の一門衆となった。しかし、文政3年12月(1821年)に鋭姫は夭折する。翌文政4年(1821年)4月に、今度は斉匡の九女・欽姫と婚約し、文政5年12月(1823年)に結婚した。藩主の無軌道ぶり、藩の経済的危機、これらの責任の所在を巡って津軽藩の家臣団も派閥争いを繰り広げていた。親族の将軍家や幕閣としては、蝦夷地防衛の観点からもこれを静観できなくなり、天保10年(1839年)、幕府は40歳の信順に強制隠居を命じた。家督は支藩である黒石藩主の津軽順承(元は三河国吉田藩主・松平信明の五男)が相続した。

11代 - 津軽順承(ゆきつぐ)三河国吉田藩主・松平信明の五男。安政2年(1855年)、蝦夷地警固を命じられ、宗谷(稚内)に藩兵を派遣した。その際、ビタミンB1不足由来の浮腫病(ニコチン酸欠乏症)防止のために、コーヒー豆を支給している。安政6年(1859年)2月7日、婿養子・承昭に家督を譲って隠居。

12代 - 津軽承昭(つぐあきら)熊本藩主・細川斉護の四男として江戸にて誕生。初名は細川護明(ほそかわ もりあきら)。安政4年(1857年)6月28日、弘前藩11代藩主・津軽順承の婿養子となり、その偏諱を受け津軽承烈(つぐてる)と名乗り、後に承昭と改名した。明治元年(1868年)の戊辰戦争では、当初は新政府に従う。しかし5月、奥羽越列藩同盟に参加する。7月に中央の政局の情報を受け、官軍に与して箱館戦争などで功績を挙げたため、戦後に新政府より1万石を加増された。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により知藩事となる。
正室:津軽順承四女・常姫 側室 近衛尹子(ただこ)関白近衛忠煕の六女。慶応2年(1866年)5月、津軽藩主・津軽承昭と婚約する。

13代 - 津軽英麿(ふさまろ)近衛忠房の次男として東京に生まれ、旧弘前藩主である津軽承昭の養子となった。妻、津軽照子は旧小倉藩主小笠原忠忱の娘である。夫婦ともに甥の近衛直麿を養子にすることを望んでいたが実現せず、尾張徳川家の徳川義恕の次男義孝が津軽家を継いだ。
14代 - 津軽義孝1907年12月18日、尾張徳川家分家の男爵徳川義恕の次男として東京府で出生した。母が津軽家12代当主の津軽承昭の娘であり、13代当主の津軽英麿に継嗣がいなかったことにより、1919年、津軽家に養子の形で入り、英麿薨去後に14代当主として家督を継承し伯爵を襲爵した。
妻: 子爵毛利元雄(毛利元敏は父)長女・久子 四女に常陸宮正仁親王の妃 華子((1940~)

おつかれさま。ようやく華子さんまで達しました。養子や猶子が多く、油断すると見逃してしまうことが多い系図です。津軽家だけでも大変なのに、尾張徳川家、近衛家、細川家ついでに毛利家まで調べると大変な作業になります。
調べてなんになるって話ですが、少なくとも津軽家の実態はほぼ近衛家だとわかります。細川家、毛利家、近衛家、尾張徳川家の血が脈々と流れ、元の津軽はどんだけー?ですよね。
系図を調べることは歴史を学ぶ基本でもあります。
最終的に近衛家を調べることになると思いますが、子だくさんだから全部は無理だろうな…。まあ、究極の暇つぶしですね。

手直ししてます。

2021年04月19日 05時49分53秒 | ひとりごと
昨日更新した記事ですが、修正していますので今しばらくお待ちください。
明日から愛知県にもマンボウが発せられます。慣れてきたといえばそうなんですが、どうなることか。
我がカフェもうどん屋もほとんど感染予防対策はされていません、ていうか、する気がないのだけど、見回りが来たらどうしましょ。ただ、協力金など1円も頂いていませんので義務はないんだよね。まあ、なるようになるさ。
でわまた。

恥を知りなさい!

2021年04月04日 06時37分36秒 | ひとりごと
4月に入りましたね。1日は街全体に活気があり、うどん屋の数字は全盛期に近い良い売り上げを記録したが、次の日はその半分だった。まあ、こんな乱高下に働く者の精神状態は穏やかであるはずはない。とはいえ、飲食業に限らず世間全体が同様なのだから仕方がない。
大企業の勤務体制を私たちは知る由もないのだが、おおむね週一から二の在宅と週休三日体制のようで、全体として出勤するサラリーマンは平均して70%ぐらい?とすると、ビジネス街での昼食需要は3割減が当たり前になる。売り上げ3割減でやっていけるところはまあ今後も頑張れるだろう。皆さんご苦労様です。
大阪知事がここにきて頑張っちゃってる。維新の会ってどっち側?って話になりますが、昔、S氏に聞いたことがある。橋本は被差別出身を公言して芸能界で活躍、そして政界進出。Dそのものですよね・・・って話でした。まあ、シオニスト側になりますね。
小池都政?大阪と競ってコロナ推進を図っている、つまりこちらもシオニスト。対する菅政権は?政府自体は各省庁の集合体だからABCDEすべてが絡んできますが、主体は〇〇宮(C)ですね。つまり、基本的には「コロナはたいしたことはない派閥」、トランプ同様民族自決派閥と考えられる。
オリンピックを人質に、だいぶ残りが見えてきた簿外資金を巡り交付金の分捕り合戦と見るとわかりやすいか。宮城県などもここへ来て交付金が欲しくなったのだろう、黙っていると大都市に全部取られてしまう、いま声を上げなければ損するという話でしょう。
コロナのおかしさはまゆみさん家を見れば十分説明されているからここでは触れませんが、飲食業界が時短すると不思議に感染者数が減るのだから尾身氏が「飲食業界はずっと時短をしてもらわなければ・・・」発言になるのも当然だ。
気のゆるみがリバウンドの原因?・・・・・気のゆるみ?誰が、どのように緩んでる?どのぐらい?
夜の飲食はだめだが、八時前の飲食は問題ないというのは合理的な説明にならないし、4人は良いが5人はだめというのも合理的ではない。テレビなどで解説する人、インタビューに答える医師たち、みんな自分がしゃべっていることに責任を持てるのだろうか、タレント議員の誰だっけ・・・三原順子が最近には珍しい名言を吐きましたね、とても印象的な一言「恥を知りなさい!」
うーん、実に心に響く一言でした。声を大にして言いたい!「恥を知れ、恥を!」
先日、やや遠い親戚が亡くなられ、通夜に参列した。結構な金持ちで盛大な方だったのだが、非常に質素でややさみしい会だった。時節柄案内も控えめで、参列は控えるような傾向なのだそうだ。たぶん、今後もこの傾向は維持され盛大な葬式や式典などはなくなってゆくのだろう。さみしいと思うかこの方が楽だと思うかは個人の自由だが、近い将来、必ずあるであろう自分の葬式も簡素にできそうだ。助かるな・・・・白洲氏と同様「葬式不要、戒名不要」と決めてます。
まあ、コロナを奇貨とし、何か我々も得るものがあってもいいだろう。それが無用な行事、式典などの廃止だ。昔から形式として残っている儀式などはこの際止めてしまおう。本当に必要で参加したい人だけが参加するような会として開催すればいいのだ。

話は変わります。異様な株高状態に沸く株式市場ですが、ニュースで「米ヘッジファンド「アルケゴス・キャピタル・マネジメント」に絡んだ巨額損失が次々と明らかになっている。2200億円の損失の可能性を発表した野村ホールディングスを皮切りに、クレディ・スイスと三菱UFJ証券ホールディングスが続いた。三菱UFJ証券は欧州子会社関連で約330億円の損失が見込まれている。
「巨額損失を発表する金融機関はさらに続き、トータルの損失額が1兆円を超えるのは濃厚とみられています」(兜町関係者)」との記事があった。一兆円の損失程度ならそれほどのインパクトはないだろうが、疑心暗鬼に陥ると影響は計り知れない。
リーマンの再来とならなければいいが、やや不吉な話ではある。