マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

官僚が皇位を口にすると国が乱れる

2011年11月25日 20時33分41秒 | 古代史
あの禿げじゃなかった、羽毛田宮内庁長官ってまだその職にいたんだな・・・。
「宮内庁の羽毛田長官が、10月5日、野田首相と面会した際、女性皇族が一般の人と結婚すると、皇族の身分を離れる現行の皇室典範制度のもとでは、今後、皇族の数が少なくなるとの懸念を伝えていたことを明らかにした。」とのニュースが流れてきた。

いらんお世話なのだ、官僚や世論が皇位継承を動かすことはあってはならないことで、あくまで「お種」の継承は皇族が決めることである。もちろん外国の第二夫人がとやかく言うべき問題ではない。

今、韓流ドラマ「王と妃」全186話を見ているが、180話を突破しもうすぐ終わる。まったく逃げ場のない悲しい物語である。特に悲惨なのが燕山君という王で、彼の母親は中殿だったにもかかわらず陰謀により廃妃させられ、さらに賜死させられた。その事情は王に秘密にされていたが、即位するやその秘密を伝えたものがいて、激情した王は廃妃させた関係者を次々に処刑して行く。(有名なチャンゴムの父親は死薬を廃妃に運んだ一員である)
言うまでもなく廃妃させるというのは李王朝でなくても大変に難しいもので、名分なくして出来るものではない。ダイアナ妃も離婚してすぐに殺されたではないか。つまり王の生母は大変に権力を持つのである。
ドラマである以上、真実とはいえないものの、李王朝はその歴史を終えているため、韓国テレビはかなり赤裸々にその王朝の実態を描いている気がする。なぜなら、どう考えてもハチャメチャな王朝なのだ。特にひどいのは元老達で、王様よりも私有財産を築き、彼らの思惑で皇位継承も左右させていた。皇位継承が不安定なために、そこに権力の付け入る隙が出てくる。それは「女人天下」という同じく長編韓流ドラマにも描かれるが、日本で言えば大奥での暗闘と同様、陰謀、暗殺、濡れ衣・・・なんでもありである。

李王朝の弱点を指摘するなら、ひとつは中華の柵封体制に組み込まれていたという地政学的問題と明の承認を必要とする王朝の正当性、そしてあまりにも官僚・元老・外戚の力が強かったことであろう。
つまり、日本の皇室が今後とも継続されることを望むのなら、皇位継承は皇族たちで決めてもらうことで、ハゲみたいな官僚や政治家が介入することがないようにすべきである。

マヨちゃんは天皇制を望むのかって?
これは何度も言っているが、私はどんな政体でも構わない、共産主義でも社会主義でも、民主主義でも王政でも何でもいい。要は良い政治が行われればいいのだ。理想の政体などいまだかつてあったことなどないし、今後もないだろう。ただ、一番早いのは日本の天皇が王道を行えばいいのだ。現実は覇道だから困るのだ。

日本の場合、やはり権力は宮中(朝廷)にあった。戦後、天皇家が「金のユリ」作戦で得た資金からM資金が自民党にもたらされ、一党独裁の曲がりなりにも安定した政治体制が取られていた。それが中曽根の裏切りから行き詰まり、ついには電電公社の民営化で穴埋めされたのである。(このあたり、マヨのぼやきの記事を読んでください。またGoldwarriorsのダウンロードを希望の方はここをクリックしてください。もしくは直接PDFで第8章P80を参照してください。)

しかし、平成になりM資金は引き揚げられたと考えている。つまり、天皇が変わり、方針すべてが変わったのだ。それが現在の政治の混迷の始まりでもある。つまり、小さな金で政治が動くようになったのだ。
国民の貯金で財政投融資を行い公共事業で景気を支えるという角栄の開発した魔法の仕組みは封印され、国民の金を低金利で海外へ投資する仕組みが出来、日本国民は低成長で苦しむようになる。すべては「金のユリ」資金が国民のためではなく皇室のために使われるようになったからである。
以前に指摘した通り。日本の皇室は世界でも有数の金持ちで、豊富な金塊を売却し世界の株を買い占めているのだ。皇室が儲けることは結構なことだが、私は言いたい。それは覇道ですよと。
まあ、平成の覇道時代もそろそろ先が見えてきた、次は・・・という時にデビ夫人である。つまり、どっちかが覇道でもう一方が王道になるのかな?マヨちゃんには判断できません。現状では多少にしても愛子様の目が残っているということかな、まあ、我々がどうのこうのと言うことはないけど、デビさんはその目をつぶしたいと考えたのか。

さて、話は変わって亀井さんだ。新党を視野に「オールジャパンで我が国の国力をアップする方策を考えなければならない」と地方を含めた政治勢力を目指す考えを明らかにしたという。亀さんも郵政改革法案がいつまでたっても議題に上らないため、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。当然である。あれほど約束したのだから。
が、問題はここからだ、なんと石原都知事、立ち上がれ日本の平沼さんに新党構想を打診したとか。自民でも民主でもない第三極は私も待ちに待ったもので、亀井さんが先頭に立ってくれれば一番なんだけど、でもなぁー石原都知事はいやだな。
明日は大阪市長選。なんと石原さんが橋下氏の応援に駆け付けている。どうしたのか?石原氏は大阪都構想を笑い飛ばしていたはずだろ、何か変だが、ちょっと変わった風が吹き始めたようである。どっちが勝っても楽しみはないが、民主でも自民でもない勢力が増えて行くほうが多少はましなのかな。予想?さあ、橋下でしょう。

おまけ

いよいよ寒くなってきたので、カレーうどんの季節である。シメシメ・・・。で、マヨちゃんはここで秘密兵器を投入した。前から秘密裏に準備してきた超強力な武器である。
わがうどん店の主力は「カレーうどん」で、おおむね6割から7割のお客がそれを注文する。問題は480円という値段で、かなり原価的に苦しいのである。どうしてもう少し高く設定しなかったのか・・・・と悩んでも仕方がない、これで評判を得たのだから。
この地方にCoco一番屋というカレー専門店があるのだが、繁盛の秘密がトッピングにあるのを我が秘密諜報員から聞いている。つまり、マヨちゃんの今回の戦略は「パクリ」なのだ。
作ったのは三種類。一つはカツカレーうどん、そして「えび」カレーうどん、最後に「チーズカレーうどん」。価格も思い切って高額にした。カツとエビは680円、チーズは630円である。店員のみなさんは「たかっ!」っていうけど、やってみました。


これが揚げたてカツカレーうどん、680円。売れてます。

こっちはエビカレーうどん。カリカリのえびフライがうみゃーのだ。
結果は上々、おかげで売り上げもぼちぼちです。
今後もじゃんじゃんぱくりましょう。

いかさま裁判って、本当にあるの?

2011年11月21日 20時24分51秒 | ひとりごと
私にもネット仲間がいて、その中で話題になっているのが先日の戸籍改竄事件なのです。私が忙しくて記事にできないため、仲間の一人がわざわざ投稿記事を書いてくれました。
要は、先日の戸籍偽造事件の裁判が実は最初から最後まで偽装、つまりいかさまだったのではないかという疑惑なのである。そのいかさまの条件とは、相手の弁護士はもちろん、こちら側の弁護士も加担しているのだという、もし本当なら信じれるものは何もなくなるのですよ。

投稿内容は以下の通りです。

***********************

。。。2ヶ月程前トピックにあがった 「小川達夫」さんの裁判、弁護士も現れず申し立ても裁判官に却下され なんだかすっきりしない結末でしたが あの裁判は「偽装裁判」では?と疑問を投げかける静岡在住の方の説明と証拠をご紹介いたします。

静岡のこの方は自分が民事裁判を起こし、その経過が(弁護士の態度など) 腑に落ちず徹底的に調査しました。

カノジョに寄ると 日本には「偽装裁判」と「本物裁判」があり 見分け方は裁判所から送られてくる郵便法違反の書類。

全国どの郵便局も郵便番号以外に書留番号と言うのがあてがわれていて 差し出し住所とその郵便局の番号は一致しなければならない所が 一致していない。なぜなら「正規」のルートをとった郵便物ではないから。なぜ「正規」のルートをとっていないのか?「本物裁判」ではなく一部の悪徳弁護士と一部裁判所内の組織犯罪グループがでっちあげる裁判で、裁判所に記録の残らない偽裁判だからです。
小川さんの裁判所からの通信をチェックしたところ いずれも 郵便法違反の書類でした。

詳しい事は「びっくり写真集」をお読み下さい。
http://sinnjituhakokoniari.cocolog-wbs.com/blog/2011/09/post-3f5b.htm

一周間程前 仙台で弁護士事務所で働く人が裁判所ノ受付に偽装郵便(破産申告関係)を提出し 発覚 弁護士事務所の家宅捜査 及び偽装郵便を手渡した人が罰則を受けています。
************************

以上ですがいつもコメントを入れてくれる「ましゅうさん」が同じような意図でブログアップしています。そちらの方がリンクが詳しくて分かりやすいかも・・・。「ましゅうさん」をクリックしてね。

巨人も中日も日本そのものだね。

2011年11月19日 20時31分55秒 | ひとりごと
読売巨人軍の内紛は色々な意味で勉強になる。天下のナベツネこと渡辺会長というのは巨人の親会社の読売新聞グループ本社会長・主筆ではあっても、巨人では平取締役であり、「鶴の一声」で球団コーチ人事をひっくり返し、清武氏のGM職を剥奪しようとした事実が問題なのだが、日本社会には往々にしてこのようなことが起きるのである。

鳩山元首相が突然辞任したのも、菅さんが持論でもない消費税のアップを突然言い出したのも、野田さんが党内の意見も無視し、TPPへ参加表明したのも、すべては巨人軍と同じことで、いわゆる権力が二重構造になっているからだ。

巨人のゼネラルマネージャーとは、読売新聞のというか、ナベツネさんの意向を踏まえたうえで、その範囲の中なら自由にやってもいいよということだったのだ。これが暗黙の了解だろね。
で、日本の首相はどうなのか?本来は与党の代表が就任するのが普通だから、当然その方針は与党の方針そのもののはずである。しかし自民党時代と異なり、どうもそうなっていないのである。要は、自民党の議員たちは長い与党時代を経験してきたため、日本の政治の暗黙の了解、つまり二重構造を知っているのだ。
だから内閣の決定にはまず反対することは少ない。しかし、与党になって間がない民主党は、閣僚になって宮中で認証式を受けた時に初めて天の声の存在を知るのである。
「そんなこと聞いてないよ」では通らない。きっと彼らは驚いただろう。平安時代から続く大和朝廷がいまでも存在していることに。しかし、巨人軍と違うのは、その存在を口に出すことは許されない。

今、この記事を書いている間にドラゴンズが日本シリーズ第6戦を制した。勝つのが仕事である監督なのに、リーグ二連覇を達成した落合監督が中日を首になるのである。これも巨人軍とどっこいどっこいで、ファンよりも新聞本社の意向の方が重大なのだ。まあ、明日の試合がどうなるかはお楽しみだが、仮に日本一になったりすると、来年の高木監督はやりにくいだろね。


「アメリカから読んだリクルート事件の深層」の五回目(最終回)

2011年11月14日 17時11分23秒 | ひとりごと
ちょっと長かったね、なんといっても全280ページある中の90ページ分なんだから・・・。
さあ、もう一息、がんばろう。

*************************

国会議員がらみの金の動き

別のサンケイ新聞の元辣腕記者は政界に転身して、競艇のドンの笹川良一を義理の叔父に持ち、後藤田と並んで大量の選挙違反を出して赤じゅうたんを踏んだ、あの糸山英太郎議員の秘書になった。だから、理には目ざといこの投機が好きな政治屋議員は、このルートからNTTの長谷川取締役の女性スキャンダルや、真藤会長とリクルートの江副社長の問題をつかみ、糸山は一億五千万円の口止め料を要求したと言われている。だが、この要求は真藤側からの強い反撃にあい、NTTに天下りした警察官僚が行動を起こし、警視庁は三通の逮捕状を準備したらしいが、逮捕される直線に金丸の手で和解が成立して、金は要らないということでお開きになったそうであり、NTTをめぐって妙な動きが実際に起きたようである。
 世の中にはデスインフォーメションが多い。私は異なった三つ以上のニュースソースを確認しない限り、たとえ話がもっともらしく思えても情報と信じて書く真似はしないことにしているが、この話はなんと四人のジャーナリストが口にしていた。それからするとこの話はよほど具体的なものだったらしいが、とても感心できる内容のものではない。私の読者には新聞記者が多いこともあって、東京に行くたびに彼らとよく話し合うが、そんな時に生臭い話題も結構交わされるし、私も彼らに代わって日本では書きづらいことをアメリカのメディアを使って日付をつけて記録しておくのである。
 それにしてもこの話にはオチがあって、真藤と裏方役の熊取谷の間に連絡上のミスが生じたらしく、江副の頼みで熊取谷が融資した資金は三和銀行永田町支店の糸山の口座に振り込まれ、それがもとでしばらくごたついたという噂が面白おかしく尾ひれをつけて取りざたされ、外国の特派員までが知るに至ったそうである。
 糸山議員の口座の金の行方については伊東久美なる噂の人物に取材するのが最良だが、この種の政会を舞台に使った疑惑の追及において、なぜ検察庁が途中で考えを変えたのかを、検察長局が自らの口で明らかにする必要がありそうである。
 それにしても、一九八九年五月二十九日に東京地検が発表した吉永検事正による捜査の終了宣言には、不思議なことに、夢工場にまつわる疑惑や日本ダイレックス社とNTT社との取引などは全く視野に入っていなかったのである。
 また、ワシントンのウォーターゲート・ビルの事務所を自民党の山口敏夫議員が突然閉鎖し、樋口美智子元秘書がFBIに事情聴取を受けたことはリクルート事件がらみのカネにまつわるもので、スパコンがらみだという噂がワシントンで流れたのに、日本国内ではそんな報道は全くなかった。しかも、自民党の藤尾正行議員が栃木県足利市で開かれた議員在職二五周年記念の講演会の演説で、「スパコン購入で中曽根に数億円のリベートが渡っていた」と爆弾発言をし、疑惑があることを明言したのである。
 資料としては興味深いが内容としては首を傾けたいのだが、一九八九年四月八日づけの朝日新聞の記事らしいものから、藤尾の発言を参考までに孫引きすると次の通りだ。「クレイ社から大型コンピューターがNTTに買われた。最初の言い値は二億ドルだったが、いつのまにか四億ドル、六億ドルとなり、リクルートにわたった時は八億ドルになった。それだけのバックリベート(ワイロ)がヤミに流れ、渡った。それを知り約束した者が中曽根。中曽根の召喚要求が事件解決のカギになっている。・・・・中曽根がアメリカ人のレーガンにバックリベートをやる約束をして、それが渡っていると、それを追及していくと名前がでてきてレーガンがどういうことになるとすれば、日本国総理大臣中曽根康弘は米大統領レーガンに贈賄をしたということになる」
 藤尾は自民党きってのタカ派議員であり、反朝鮮の考え方をしていて、中曽根の半島人脈に強い嫌悪を示す国粋主義者の代表だ。いくら読売の元記者でも、どこまで確かなニュース源を持つかは分からないが、同じ自民党員にこれだけ強烈なことを言われてもお喋りの中曽根が沈黙しているのが奇妙である。
 また、その運搬役に、当時外交委員長だった山口を擬し、中曽根内閣の運び屋は誰だったかと囁かれていた。山口議員が江副と数十年来の友人であり、山口労働大臣への六三〇万円の政治献金や様々な形で行われた接待の関係だけでなく、リクルート疑惑が公然化する契機になった松原社勝室長が韮崎代議士に贈賄した工作や被差別問題に関連した事件についての事情聴取で、山口八県で大部油をしぼられたとも言われている。
 だから、リクルート事件の中核に位置して巨悪と呼ばれる中曽根が、総数でわずか二万九千株しか譲渡されていないことと並んで、株の譲渡リストに山口と小沢の名前がないのは、このリクルート疑獄の大不思議だと言われている。スーパーコンピュータにまつわる金の動きやそれに関連したモーデムと時分割多重装置などについて、それが国外のことだからという理由を口実に使い検察当局が頬かむりし続けてよい事柄ではない。
 「人の噂も七十五日」とばかり居直って、現在では正義の味方面をして国会で茶番劇を演じる、あのロッキード疑獄の要でもあったラスベガスのハマコー賭博事件の二の舞を再びここで繰り返してはいけない。そして、一億人の国民の期待を担っているからには、社会悪との対決の覚悟をはっきり示して最後まで徹底してやると断言するところから検察当局は出直さなければならないのである。

 レーガンの金ピカの日本興行

日本のメディアからリクルート事件の影が消え、秋の収穫の季節の中でレーガン夫妻の訪日が終わり、選挙に浮きたった日本列島の上ではパチンコ業界の疑惑がひとしきり取り沙汰された。そして、ラスベガスの四億円の賭博で証人喚問騒ぎを起こし、福岡の「川筋男」としての侠気を持つ田中六助に倫理を説かれ遂に代議士を辞任せざるを得なくなった、あの脛に傷を持つ稲川会出身の浜田議員が居丈高に社会道義と政治倫理を笑止千万にも高言して、日本の政治も地に落ちたという感じを強めた。
 また、プリペードカードが論じられるなら、当然のこととして熊取谷稔の名前が登場してもいいのに、それに気づくジャーナリストも不在なようだ。しかも熊取谷の名前は、ハマコー議員が四億円の大金をすった、リベートの舞台として名高いラスベガスで賭博場を買ったり、名門のベブルビーチゴルフ場を買収した投資家として、太平洋の対岸ではその名が見え隠れしていたのである。 
また、五月にあったレーガン夫妻の訪日旅行の発表以来、アメリカのマスコミ界は賛否両論でにぎやかだった。三億円の講演料でフジ・サンケイ・グループが企てたこの旅行は、日本人が金の力で元大統領を雇いあげ、コマーシャル用のモデルに使う、とやっかみ半分に書きたてたが、その急先鋒は保守派のウィリアム・サファイアで、彼はレーガンの行動を「ニューヨーク・タイムズ」で、はしたないと決めつけていた。
 リクルート事件が未だ燃え盛っていた五月十八日の段階で「ロサンジェルス・タイムズ」のシェーンバーガー記者は「フジ・サンケイ・グループにとっては、それが宣伝費と考えるならば、二百万ドルなんか全く取るに足りない」というフジ・サンケイ・グループ内部の人間の発言を引用し、それを見出しに使って記事を書いていた。それにしても、この記者はレーガン訪日の政治的意味と、それが同じ時期に始まるリクルート事件の公判への波及効果について何も考える事がなかったのだろうか。
 そして、十月二十日に羽田空港に到着したレーガン夫妻は政府などの招待という八日間の公式滞在を終えたが、政府が招待した外交上の賓客なら、それに対して一民間企業が宣伝攻勢を狙って担ぎまわり、しかもそれがリクルート裁判へのデモンストレーションになるならば、これはあまりにも心が痛む組み合わせではないか。リクルート事件の始まりの部分が不透明である以上、国民は演技政治でだまされた中曽根時代を思い出しながら、欺瞞政策への警戒心を高めなければならないだろう。
 現に日本のマスコミ界はリクルート事件の教訓に目をつむり、この種の疑獄は過去のものと見て不正に対しての追及の鋭さが既に乏しくなっている。この点を「朝日ジャーナル」に登場した韓国の「KBS」の李特派員は「読売新聞、日経新聞などのマスコミ幹部にも株が渡っていた事情があるにしても、マスコミは批判精神を発揮していないし、正確に実態を判断し報道する姿勢が見えない。事実報道だけでなく、事実が社会に与える影響を考慮し国民を正しい方向に導くべきである」と発言している。また、有楽町の外国人特派員協会のアンディ・ホルバート会長も、日本は欧米のような議会制民主主義ではなく、利害制民主主義を採用していると発言した後で、「日本人は保守的で理念のない一大独占政党のもとで前代未聞の好景気を楽しんでいる。うまくいってるから、賄賂を受ける政治家がいてもいいじゃないかという気さえする。政治改革を成し遂げるためには危機感が必要だが今の日本にはそれがない。関与した政治家に辞職しろ、土下座しろ、というだけではうっぷん晴らしにすぎないのではないか。と結んでいる。
 それにしても、リクルート事件はその始まりの段階からくるっていて、警察が盗聴事件を逸らすために陰謀めいた手口を使ったし、検察当局は楢橋代議士の告訴で辛うじて重い腰を上げ、小物代議士を二人起訴しただけで幕を閉めたのだから、目の前で巨悪が胸をさすっているのを見せつけられて、一億の日本人は中途半端な気持ちに包まれながら空しさをかみしめざるを得ないのである。
 その原因になるものとしては、疑惑の中心人物の中曽根から事情聴取もしないし、アメリカに調査官を派遣しようとしなかった事実があり、検察当局は情けないほど及び腰だった。これは日本国憲法第十四条第一項の「すべての国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、または社会的関係において差別されない」という条項からすると、首相や前首相が事情聴取で特別待遇を受けたなら、これは検察庁が憲法違反の差別をしたことになる。その辺に弁解無用の検察当局の腰砕けぶりが望まれてなんとも侘しい気持ちになるばかりである。また、実際に事情聴取をしていたのなら、それを報道しなかったマスコミの怠慢の背景には何か特別な取引が存在していたのかもしれない。
 いずれにしても、アメリカ住まいの私が久しぶりに故国を訪れ日本人ジャーナリストや外国人特派員に会うだけで、次々とリクルート事件にまつわる新しい情報が集まるのに国内ではそのような情報が報道されないのは、実に不思議なことだという気がしてならない。
 監獄の塀の上を起用に渡っていく政治家たちが塀の内側の中庭に転落するのを免れて最後にはいつもきまったように天下の大道の側に飛び降りている時代は、はたしてこれからもつづいていくのであろうか。

  「日本、中古の大統領を購入」

 レーガン元大統領の金ピカの日本親善興行は、無事八日間にわたる日程を終えたが、レーガン訪日中のアメリカのメディアは講演料二百万ドルについて賑やかだった。特に、深夜のポルノ番組を売り物にするフジテレビとタカ派の論調が専門のサンケイ新聞による「商売と政治のごちゃまぜ屋のコングロマリット」と名指し,フジ・サンケイ・グループが何故七百万ドルもかけて一連のイベントと政治宣伝をしたのかと首を傾げた感じの記事を書いていた。
 素直に考えればこれは間接アプローチであり、ラスベガスで浜田議員が博打でリベートを渡したように、講演料の謝礼の形でリベートを公然と支払いそれがスーパーコンピューターに関係していたとなれば日本人はおめでたいと言うしかなく、米国ではミッキーマウスビジネスと表現するのである。
 「ニューヨークタイムス」は日本人の過度のもてなしだけでなく自制心を失っているレーガンを強く批判して「まったくの商業主義に、こんなにも図々しくのめり込んだ大統領経験者はかつて存在したことがない」と手厳しかったそれにしても、レーガンに一歩遅れた形だったが、ひっそりと行われた北京訪問によって却ってニクソンの人気と評判が高まり。帰米したニクソンはホワイトハウスに招かれブッシュ大統領と夕食をともにして中国の首脳との会談についての報告をしたのがめだっていた。
 これまでブッシュ大統領はニクソンとは電話連絡だけであり、ワシントンに正式に招いて協議したのは初めてだし、帰国報告を電話で済ませただけのレーガンとは実にその対象が鮮やかで、それはブッシュの日本への面当てのようだった。
 アメリカでは日本のような政治形態ではなく、長老支配や院政等のやり方は存在しないのに、なり金ボケした日本人は生き馬ではなく、英語でデッドホースと呼ぶ死に馬を買ったのか、或いは不動産屋と商売人が血道をあげているアメリカの買占めのやり口をまねて実に見え透いた愚劣なやり方をしたために、レーガンを死に馬にしてしまったのかもしれない。「麒麟も老いては駄馬に劣る」というが「死に馬」は更に劣ることを知るべきではないか。
 実際に、十一月六日の「ニューヨークタイムズ」は痛烈であり、あんぐりと口をあけたレーガンが箸で差し出された札束を呑みこむ挿画までつけて、「日本、中古の大統領を購入」と題した記事を掲載したのである。
 ワシントンでのレーガンの人気は暴落であり、「前大統領が日本で二百万ドルも稼ぐのに、なぜ米国の納税者が多大の負担をしてシークレットサービスが同行の警備までするのか」と反発したカジョルスキード下院議員を初め「アメリカは日本人や前大統領につべこべ言われる筋はない」と日本人を含めて強い反発の気持ちを表明したブライアン上院議員に見るように、成金ボケした日本人のお祭り騒ぎは多くのアメリカ人の心にしこりを残したのである。
 私の眼にはフジサンケイグループが企画したお祭り騒ぎは誰もその真相について触れなかったが、夢工場のえんちょうにあったように思えてならない。
 日米関係の将来と日本の運命を損なわないためにも、今の時点で、あのリクルート事件とレーガン訪日を結ぶ隠れた糸についてじっくりと考えて反省してみると言うのも、狂乱の一九八〇年代を総括してみる上で意義ある試みになるかもしれないのである。

 エピローグ リクルート疑獄の総括 「不透明のために見えない結社」

迷宮入りしたリクルート事件

 リクルート事件は奇妙な性質を持つ疑獄であり、表面的には収賄と贈賄によって構成された犯罪だが、その背景には社会のタブーが関係している特殊な集団が関係していたために、一種の迷宮入り事件として終わっている。政治家や官僚を初め幾人かの関係者が逮捕され、贈収賄に関与した人間が指弾されたが「巨悪」と呼ばれて中心的存在の中曽根はおろか、その周辺でプロットに関わっていたグループは上手に立ち回って網の目を逃れている。
 その理由は、権力の中枢にいた者の責任追及をせず適当にごまかしてうやむやにすると言う長年培われた日本的信条の特殊性が作用していた。二・二六事件の臣の首謀者を隠蔽したり、太平洋戦争の責任者の裁断を回避したのと同じで、いつもながらの、汚点を嫌う民族的な心理と伝統が目覚めてここで再び機能してしまったのである。
 日本は欧米や中国のような契約社会ではなく、国家の成立をはじめすべてが自然発生的であり、運命共同体としての国家が社会生活を規定し、独特の文化とサブカルチャーを育てている。
 公害を例にして公的な社会分析を行い、深刻な構造的アノミーの拡大再生産のメカニズムを抽出して日本人の民族性を論じた小室直樹博士は、経済社会学における名著「危機の構造」(ダイヤモンド社刊)の中で「日本では機能集団としての共同体を媒介することなしには社会的地位は保てず、社会的生活を営みえない。企業共同体における生活の終焉は社会的生活の終焉を意味する。しかも、共同体の機能的要請はすべてに優先し、これが内部倫理によって規範化される。他方、外部の人間は倫理外的下等動物であるから、この下等動物の生命を企業共同体の利益より優先させることなどは許すべからざる反逆である。このようにして、企業共同体のための活動はすべて正当化され、その結果に対する社会的責任が意識に上ることはあり得なくなる」と指摘している。
 この鋭い分析の手法を作業仮説として借用し、次に次元の展開を行い体制の議論に移すために、企業共同体を国家やエスタブリッシュメントと読み替えてみる。すると、体制の内部倫理が外部の社会倫理に整合せず、しかも、上等であるはずの内部倫理が劣等の場合、非常に始末の悪い問題を生みだすことがわかるし、それがリクルート事件だったことが理解できるのである。
 このアナロジーの体系は似たものを探す行為だが、哲学の父と言われる多―レスの時代から、現代数学の先端を行く群論やトボロジーに至るまで、変形、交換、置換を含むメタファーにおいて、もっとも基本かつ原理的なモデルとして類比は威力を持つのである。
 リクルート事件の犯罪としての追及に関しては、検察当局が捜査の終了を宣言して打ちきっているので、今後はアカデミック病跡学の検討の場において、精神医学の専門家に任せるのが最良だろう。特異な時代精神や政治家を動かす歴史分析としては。マザーの「政治家としてのヒトラー」(サイマル出版会刊)の手法が有効だし、権力の異常な行動を衝き動かす心理と病理の問題になると「ヒトラーとスターリンの精神医学」(牧野出版刊)のような優れた仕事があり、その道のプロがメスをふるっている例もある。
 リクルート事件に関しての情報を米国で発表し、歴史の証言として活字にした私の仕事に多くのジャーナリストが注目してくれたおかげで、予想もしないほど多くのアプローチがあり、情報が私に向かって押し寄せる現象が起きて、それがジグゾーパズルを組み立てる上で貢献した。それは私がジャーナリストの同業者ではなく、一種のアウトサイダーとして診断する立場にいたので、このようなチャンスに恵まれたと言っていい。
 医者に向けて患者が基礎データを提供するように、日本人記者だけでなく多くの特派員を始め、在京の外交団や情報筋の人までが読者の立場で私にアプローチしてきた。そして、私が持つインテリジェンス能力に期待する形で議論や太刀合わせする機会に恵まれたおかげで、多くの人たちが苦労して集めたり、裏を取る努力をした成果に属するものを、東京訪問の度に私は手に入れる事が出来た。その情報をここで公開することも必要だろうし、ジャーナリズムの遊軍として独立の立場で取材を行い、国際的な視野と人脈を動員して集めた情報を整理して、地球の歴史を扱う歴史学徒の史眼に基づき、事件の真相を含むメタ構造を眺めながら何らかの総括を引き出すことも必要だろう

 世紀末の東京の上海化とベルリン現象

 情報化の進んだ現代はディスインフォメーションの時代であり「インテリジェンス戦争の時代」で論じたように、情報操作は非常に巧妙に行われているし、油断していればたちまち相手に取り込まれて攪乱されてしまう。だから、ディスインフォメーションに対しての私の防衛策は、異なった種類の三つ以上の情報源がない限り、噂に類したものは一切信じないことと、スクリーニングとしていくつかの質問を浴びせ、相手の目と表情の動きをNLP(ニューロ・リングィスティック・プログラム)の手法で読み取り、それを総合判断して信憑性の格付けを行ってきた。これは情報を扱う人間にとって素養に属するものであり、任務を帯びて東京に滞在している外国人ならこのトレーニングは十分に受けているはずだが、日本人のほとんどはこの面で隙だらけである。東京には様々な肩書や役割を持った外国人が住み、国会議員や財界のトップと付き合って生活し、日本の国家機密に属す情報を収集しているが、これは自民党員が騒ぎ立てているようなスパイ罪的な低級レベルの問題ではなく頭脳ゲームとしてのインテリジェンスに属するものである。
 インテリジェンスは総合的な判断力の問題であり、姑息なスパイとは無縁ものであるが、この面での日本の水準はあまり高いとは言えず、日本人は情報のインフォメーションの側面に拘泥しがちである。
 仮に問題にして真相追及の必要があるとすれば、自民党幹事長がソ連大使館の情報官と車に同乗したり、首相の最高相談役がKGBとの関係を疑われ、総理のブレーンが外国のコネクションの指図に従って日本のメディアで派手に動いていることの方が優先であろう。あるいは、朝鮮半島の八紘一宇である統一教会に取り込まれて国会議員や学者がそのエージェントになったり、蔵相や外相が利権のために青幇と結ぶのを見破るのが、真に優れたインテリジェンス
ではないだろうか。ソウルに行って骨のあるジャーナリストと茶飲み話をすれば、日本人は余り知らない自民党の新井議員について、「あれはウチの人間であるだけでなく統一教会のほうが国会よりも活躍の場です」という話を幾らでも聞けるのである。
 石油産業は二十世紀を支配した王者のビジネスであり、帝国主義を体現して世界に君臨したが、石油の周辺にはスーパー級の詐欺師やぺてん師が横行して、紳士然とした顔で凄いイカサマをやってのけ、時には国がつぶれたり戦争がおきたりもする。
 運のよいことに私はこの石油ビジネスの参謀として二十年以上も世界中で生活してきたおかげで、情報の真偽や人間を識別する修行を積み、勝負の決め手になる眼力や洞察力を磨く訓練を受けてきた。そのせいだと自信を持って断言してもいいが、兆候から将来ありうることを予測したり、目の前で進行中のことの正常と異常に関してかなり的確に評価や診断を下せるまでになった。そして、洞察と診断がインテリジェンス能力だと理解して、そこに頭脳ゲームの基盤を認めるだけでなく、その価値を正当に評価できるようになっている。
 その蓄積が過去に積み重ねてきた二十冊ほどの著書だが、二十年近く前に予告した東京の上海化は、中曽根内閣時代に顕在化したヤマトニズメーション(『虚妄からの脱出』参照)とともに残念ながら現実ものになってしまった。
 政治は腐敗して利権の周辺で動いており、国益よりも党利党略や私益が我が物顔で横行し、東京に一種の国際租界に似た放埓がはびこっている。しかも、退廃的ムードが国の隅々に拡散すると、日本はヤクザ政治とカジノ経済に毒されて、ほとんど亡国に近い現象に包みこまれている。この上海化は第二次大戦前のベルリンの頽廃を含み、ポルノや倒錯精神が射倖的な投機と結びつき、踏みにじられて空洞化した憲法に見る通り、日本列島の上に世紀末的な世相を出現させ信頼感の崩壊と秩序の混乱が広がっている。
 田中内閣時代は金脈政治の形で札束のあらしが吹き荒れて、土地ころがしやロッキード疑獄を生んだが、中曽根時代になるとバブル経済の狂乱が起こり、裏の世界と表の世界の境界が無くなったところにリクルート疑獄などのスキャンダルが多発したがこれは完全に社会の病理現象の顕在化である。

 海外の方がよく知っている日本の恥部の秘密


  皇民党事件は竹下内閣誕生に深く関係した。暴力団がらみの不可解な事件と考えられているが、その発生はもっと古い時代に遡るものであり、中曽根の兄貴分の児玉誉士夫が政界の黒幕として健在だった、あの一九七〇年代にその源流に相当するものがあった。しかし、その問題はリクルート事件から逸脱するから、ここではキーポイントだけを報告すると、それはアングラ世界の国際化が大きな意味を持っていた。
 ヤクザがいち早くハワイやタイに進出を果たしたり、台湾や韓国にも拠点を築いているだけでなく、外国のマフィアと事業協力をしている点については既に日本でも広く知られているにしろ、この面での事実の掘り下げをするのが急務だろう。
 皇民党事件を最初に詳しく報道したのは伊勢暁史で、一九八八年二月号の月刊「現代」の誌上であり、この記事は皇民党事件を知るバイブルとして、事件記者をはじめ多くのジャーナリストに読まれたが、情報源は日本人ではなく外国の情報機関だと言われている。
 日本の暗黒街や特殊集団の情報に関しては、タブーに縛られて明確に報道できない日本人より、大胆にペンをふるうことが可能な外国人の方が、深く鋭い分析を活字にしているようだ。それは犯罪地下帝国を扱った「ヤクザ」(第三書館刊)や国家の諜報を論じた「日本の情報機関」(時事通信社刊)が明示している通りである。また、最近では表の世界に関しても優れたアナリストが登場し、オランダ人のヴァン・ウォルフレンが書いた「日本/権力の構造の謎」や、ロンドンの「エコノミスト」記者のウッドが著した「ババウル・エコノミー」のように、日本人には書けない分析を含む本が、力作と言える内容を伴って次々と出版されている。だから、複雑な内容のサブカルチャーやアングラ世界は、国外に恥部として伝わっていないと日本人が安心すれば、「悪事千里」の譬えが明示しているように、それはとんでもない油断を生んでしまうのである。 
 副総裁時代の二階堂進がワシントンを訪問して、東京の内密な動きについて得意げに耳打ちしようとした時に、ホワイトハウスの主人公であるレーガンが「我々は東京に四百人以上の人間を置いていて、日本のことはなんでも詳しく知っている」とほのめかしたことは、有名な語り草としてワシントン雀の間に伝わっている。しかも、児玉や小佐野がCIAのエージェントだったことは、現在ではすでに衆知の事実に属しており、米国の情報機関は日本のアングラ人脈を使って、政治や経済の操作までやっていたのである。
 同じことは韓国のKCIAについても言え、金大中拉致事件や文世光事件の背後には山口組の中の半島人脈が関係していたし、それは再び児玉コネクションに結びついて、児玉の舎弟の中曽根にと係り結ぶことになるのだ。このような視座を持てば、裏と表の世界の一体化が何故中曽根時代に起こり、それが戦後の日本の社会システムを解体し、結果的に戦後の総決算になったかについて、初めて明確な形で納得できるようになるのである。
 米国には情報公開法が存在しているから、ワシントンの国立公文書館を訪れて調べれば、日本では入手できない数々の極秘文書やタブーとして触れることのできない分野の情報が研究のために幾らでも閲覧が可能である。そこを突破口にして秘密の扉を開かない限り、日本でタブーになっている領域についての情報は残念なことになかなか手に入らないし、永久に問題提起も解決もできないのではないか。

  日本のタブーを構成するアングラ世界の構図
  日本では年間に数万冊の新刊書が出版されているが、地下帝国の内容について論じた本は非常に少なく、「黒の機関」(ダイヤモンド社刊)、「内幕」(学陽書房刊)、「腐蝕の系譜」(三省堂刊)。「日本の地下人脈」などが目につく程度であり、そのほとんどが絶版になっている状態だし、おしいことに最新のデータが含まれていない。
 その中では最も新しい岩川隆の「日本の地下人脈」には中曽根をめぐる人脈や性格分析とともに。「上海ダマ」と呼ばれる大陸の謀略人脈のスケッチがあり、表と裏の接点の灰色ゾーンの顔ぶれが紹介されている。だが、それがアングラ世界につながる肝心な部分や、爛れと汚れが絡む醜悪なものを慎重に避けて、なんとなく口籠った感じで筆を進めているからどうしても歯切れが悪い印象が残ってしまう。
 「上海で鍛えられて日本に帰ってくると、内地に住む日本人が単純な子供に見えて、なにをするにも赤子の手をひねるようなものでした」という実業家の言葉を引用しながら、上海体験者は上等な国際感覚も養われるが、志が低ければ人の動かし方やカネの使い方だけに長じて帰ると書いて、岩川は利権を漁る偽愛国者たちの姿と行動を描き出し、それ以上については読者の想像に一任している。
 このあたりの感傷を振り切るレポーターが現れ、現代の秘境に果敢に挑まない限りは、グレイゾーンを徘徊するアングラ紳士の告発はできず、すべてが歴史の彼方に霞んでしまうが、それにしても、上海ダマに関しての岩川のレポートは貴重である。
 血と涙を流して多くの代償を払って綴った歴史が、生き証人の死とともに民族に教訓を残さないまま、過去の出来事の集積として終わってしまえば、実に惜しいことだと言わざるを得ない。しかも、現在再び目の前で進行している不祥事やそれを生みだす構造を照らし出さないで、次の世代に同じ過ちの繰り返しをさせれば、暗黒街の帝王やその構造の解体は不可能だ。そして、タブーに護られて聖域から仕掛けられる巧妙な犯罪行為はなくならないに違いない。
 現在の日本でタブーになったまま放置され、誰も正面から挑んで取り上げようとしていない灰色の霧に包まれたアングラ世界の構図とは何か。なにがタブーに護られた見えない結社であり日本のアングラ世界を構成するのかといえば、それはいわゆる日陰者に属する存在の総体を指している。
 そこには大別して二種類のものが存在しており、最初のものはヤクザや暴力団に属していて、アウトロー集団の主体を構成しているし、過激さでは極右と極左の団体がそれに続く。また、日本の特殊性でアングラ的な存在に位置づけられ、長らく差別によって虐げられてきたのが、半島人脈や被差別に属す日本人であり、これは個人として不当な差別を受けた犠牲者も中に含んでいる。職業や出身地のせいで一般社会から疎外され、就職や居住地の選択などの面で差別を受けるために、彼らはアウトロー集団の予備軍になりやすい立場にあるが、これは本人には責任のない不当な差別である。憲法はこの種の差別を禁止して平等を保証しているが、思想の自由に反して極右と極左が危険視され、警察などが監視しているのと同じ状況に置かれている。弱者の立場を集団の力で克服しようとして、団体行動を起こす時にトラブルを起こすという理由で、半島人脈や被差別出身者に対しての差別は現実に日本では厳然として続いているのである。
 二種類ある日陰者集団のうちのもう一つの構成員は、微妙な存在として精神病理学がカバーする領域に属し、正常と異常の色分けをするのが非常に難しい、性的な倒錯趣味を指向するグループである。この集団を果たして独立させて考えるべきかは昔からいろいろと議論があったところだが、極端なケースを取り上げると異常心理が犯罪と結びつき、社会的にその存在と行為はアウトローになる。特にこのグループが排他的な結社を構成して、ナチスのように政治集団として権力を握ると、社会病理学帖の大問題を発生させるのであり、リクル―ト事件はその要因を内包していたが故にウヤムヤの内に迷宮入りで操作が打ち切られている。しかし、貴重な歴史の教訓として忘れてはならないことは、革命にまつわる天意を描いた「捜神記」が指摘する通り、天下に大騒乱が起きて白虹が立つ前には陰陽が乱れて倒錯が顕在化することが多いのである。

  病理としての倒錯精神の位置づけ

 大学の教養課程で学ぶフロイトやコフートの学説は、精神の発達段階やナルシズムなどについて、生理と心理の両側面からアプローチしており、普通の男女の友情や自己愛について正常な心理領域の問題を中心に取り扱っている。しかし、私がフランスの大学に留学した時に聴講した「全体主義の病理」という抗議のナチズムの分析では、分類上の順序としてナルシズムに始まって、フェティシズム。服装倒錯、サディズムとマゾヒズム、そしてホモセクシュアルという段階があり、それが異常の度合いを示していると教わった。
 今から三十年も前に聞いた授業の内容だから、果たして現在でも有効かどうかはわからないが、友情や自己愛が過度になって病的になり、エリート意識や排他主義に結びつくと、そこから異常性愛の問題が始まるのである。そして、ナチズムを倒錯の原理として理解することが政治の生態を診断する上で有効だと知り、私はじぶんなりに人間性の指標を作ってみた。これは私の頭の中にだけある物差しであり、仮説を学問的に検証したわけではないが、それぞれがオーバーラップしながら次のように並んでいる。

  聖者君子型人間(倫理人間)
  健全な人間(普通人間)
  コンプレックス型人間(ストレス人間)
  倒錯型人間(精神病理患者)
  ハレンチ型人間(犯罪病理容疑者)

 倫理人間は私の造語で高い徳性に象徴されているし、ほとんどの人は健全な人間として社会生活を営み、コンプレックス型人間はストレスに支配されている為に、灰色ゾーンの上部領域に位置している。私の規範だとこの水準までが生理に属していて、それから下が社会病理対象のアングラ世界であり、日陰者が君臨している地下帝国になる。この指標を使って善悪や可否を判定して、過去二十年間に歴史の証言を著書に記録し国際政治や日本の運命について論じてきたが、大枠として私の診断は正鵠を得ていたようである。
 最近の世紀末的な世相との関連で日陰者現象を捉え直すと、意識下における異種性恐怖コンプレックスの肥大化のせいで、視力障害なしの「黒メガネ症候群」の顕在化が目立つ。この病理グループの代表がゲイ族であり、社会で特殊な生態を営んでいるが、これは慢性的な快感倒錯に支配された集団である。「間脳幻想」の著者としての視点で診断すると、これは間脳の機能障害による内分泌異常が関係し、精神作用の逸脱や退行が進んでしまい、幼児から獣類に近いレベルに近接する時が多いために、精神が肉体に溶融した状態から脱却できなくなる。だから、かつては変態と呼ばれるグループに分類されて、社会的に大きな差別を受けて抑圧される立場を甘受してきた。しかし早発性痴呆症の早発性が否定されたり、性絵院分裂症(スキゾフェラニア)と精神病の位置づけが不明確になっているように、ホルモンや脳機能の関係にはファジーなものが多く、精神疾患の領域には多くの疑問が残っているのである。
 生理と病理の境界ははっきり確定しておらす、常に表の社会の体質の強靭さの関数であるが、それは生命体におけるがん細胞の存在と同じで、正常はいつも異常を要素として内包している。病理現象が潜在の状態に留まっていれば、それはノーマルであると診断しているが、潜在化して発病状態を呈するなら要注意になる。それが社会のレベルで問題化する時が世紀末や末世と呼ばれる症候群になるのだし、コミュニティである集団や会社などで起きた時にはスキャンダルや犯罪になると私は考えている。
 だから、精神病理や犯罪病理に属しているものが、強烈な自己主張を通じて表の世界に台頭しないで日陰者として地下に潜っている限りは、たとえスキャンダラスでも社会は健全性を維持できる。ところが、表の世界の体質が弱まって感染症を呈すとそこに時代精神が病むような現象が一般化し、規範の崩壊と価値の転倒が蔓延することに通じ、その社会は発病状態に陥ってしまうのである。
 この病理の診断には二種類のアプローチがあって、病因のパターン認識をする西洋医学の方法と病症のパターン認識に基づく東洋医学があり病院除去か変更是正かをめぐって根本的なアプローチ上の違いが存在し、私は病因の除去は不可能と考える立場をとる。
 それが治療において消極的だと承知の上で、私は漢方医学の証という概念を導入する。そして、社会の健康度と指導的立場の人間の資質からまず病質を理解してから病位の診断を試み、更に病性をみたうえで病勢を観察することで私流のダイアグノシスをしてきたのだし、リクルート事件の持つ意味の考察も行ってきた。こうして精神病理と犯罪病理が事件の主役を構成したが、同時にグレーゾーンに位置するコンプレックスが絡み合い、特殊な病理現象を発生したと結論したのである。

  リクルート症候群と中曽根発疹

 一九三四年六月三十日は「長いサーベルの夜」と呼ばれ、第三帝国の分岐点になった日だが、突撃隊(SA)の幕僚長エルンスト・レームを始め突撃隊が殲滅されたことによって、親衛隊に守られたヒトラーの独裁制が確立し、全体主義が世界史を狂わせる時代が始まった。病理学的にはマゾヒスト集団がサディスト集団を襲い立場を逆転してSMコンプレックス化したのであるが、本質的には倒錯集団相互の権力争奪戦により、ゲーリング=ヒムラー枢軸が基盤を固めて犯罪集団として驀進を開始したことでドイツは熱病に狂い立って暴虐の限りをつくしたのである。
 アナロジーを通じて人類の精神史を描くことに我々は未だに成功する段階に至っていないが、ナチスの歴史の教訓を下敷きにすると、倒錯集団の台頭を放置することの危険性が理解できる。しかも、三島事件の洗礼を既に受けている日本にとっては、血の盟約やエリート集団が友情の美学に陶酔しながら、倒錯グループとして権力を握りひそかに結束するのを放置すれば、社会病理上の兆候として非常にクリティカルである。
 時代精神が似た因子を多大にふくむだけでなく、精神構造や病跡上で三島に似た中曽根が権力を握って倒錯人脈の集団に取り囲まれた時代があり、そこにリクルート事件の基盤が築かれたのだから日本の運命にとって悪夢をそこに予想せざるを得なくなる。 既に幾つかの不吉な兆候を掴み取っていたし、それとなくカルテに記録したものを読んだ読者が、新たな監察結果を情報として提供してくれたからアメリカにいながら私は日本の様子がよくわかった。そして、東京地検の特捜部の検事たちが研究しているのがヤクザや秘密結社についての文献であることや特捜部には連日にわたり多数の情報が寄せられ、倒錯グループや被差別集団からの密告が多いことも知った、また、ヤクザ、半島、、ホモの四つの人脈がリクルート事件の核心を構成すると考えて捜査を進めているという情報もあり、私は自分の歴史分析の手法を使った診断に対し大いに自信を持って全体像を描きながら北極星の上にいる気分で捜査の進展を眺めたのである。
 リクルート社が就職情報誌を出すに当たって最も苦慮したのが被差別と半島出身者の扱いであり、就職あっせんが差別の拡大に結び付いていた点が問題を非常に複雑な方向に押しやっていた。だから、その方面に強いコネを持っていたので、森永事件の仲介役や労相をやった山口敏夫や、解放同盟大阪府連青年部長だった上田卓三などがその方面に強いということでこの事件に議員として関与した。しかも、リクルートコスモスは大阪を中心にして京都、神戸、堺などの周辺都市に大型プロジェクトで次々にマンションを建て、その地上げや底地買いあげの先兵要員にヤクザやアウトロー予備軍を使っただけでなくマンション販売の価格維持を考えて入居者の選択にも差別原理を適用したのである。 
 リクルート社にそのような意図があったことに加えて、江副や中曽根に女装趣味があったが故に予想外の内部告発が大量に行われたのだし、五百人を超す事情聴取を伴う大捜査になった。しかも、中曽根政権が旗を振った民活と諮問委員会政治は自愛と自虐に彩られた時代風俗として隠避な空気を国政の中に持ち込んだためにアノミー化した社会が熱病で痙攣したのである。
 そのような状況を太平洋の対岸から観察していた時に、日本の記者だけでなく特派員までが動いて、色んな形で取材をした興味深い情報を私のデーターベースの中に提供し続けた。その中には普通のルートでは入手困難な「バラ族」とかいう特殊な雑誌の編集長を取材した話として、その人物が大阪の地検に出頭を命じられて訊問を受け、議員会館に美少年を配達している会社の名前や、議員や財界人で誰がその種の愛好者かに関し、知っていることをすべて調書に取られたエピソードも含まれていた。東京地検は事件記者や外国の情報機関が二四時間体制で見張っていたから地検はノーマークの大阪を使って捜査を進めたのである。また日米協会が倒錯集団の巣窟であるのは有名だし、日本文学をやる外人に倒錯趣味が多いうえに政治家や財界人にも精神の退行現象は珍しくない・また、かつて田中角栄を取り囲んだ「維新会」のメンバーがそうだが、老人になって性的にインポテンツになると、えてして権力指向の活動にのめり込む財界人が多いのである。
 このような問題はどこの国にもあるだろうが、ジャーナリズムが健全な感覚を維持している限りは、ペンの力を使った予防医学のキャンペーンを通じて病理現象の顕在化を防ぐうえで貢献が続くはずである。それがタブーをタブ―たらしめる行為であり、社会の側から個人を見る目の力の方が個人の側から社会を見る視線より強ければ、社会規範が恣意的な自己主張より優位を保つのである。 
 最近のアメリカで脚光を浴びている話題は、四八年間もFBIの終身長官として君臨を続け大統領以上に権勢をふるったエドガー・フーバーが倒錯精神で女装趣味の持ち主でありケネディを脅かしてジョンソンを副大統領にして戦後の米国の政治を狂わしてきた物語が発掘されている。病理人間が地下の世界を支配する限りではそれほど大騒ぎをする必要はないであろうが、逆に表の世界の権力と結びついて采配を振るうと大問題を起こすのである。
 リクルート事件の背景に見え隠れしたように、アングラ勢力が紳士スタイルで権力と結びつき倒錯の美意識が表の世界を闊歩し始めれば中曽根時代のように価値の体系が逆転してしまう。そして、人目を忍ぶ湿疹が熱を帯びて発疹状態になり、さらに勢いづいて発疹からバブルが発生して、財テクが空気伝染で投機熱を高めれば狂乱の狼藉が社会を荒廃させてしまう。こうして日本が健康を損ねて生命力を放蕩したのが中曽根バブルの病跡学の記録として残り、秘苑の狂宴の裏で巨悪が微笑するのを放置し、それがリクルート事件以来のヤクザ政治を招いたのである


以上でした。お疲れ様。

「アメリカから読んだリクルート事件の深層」の四回目

2011年11月13日 15時37分43秒 | 古代史
そろそろ佳境に入ってきました。
今日で四回目です、明日ぐらいで終わるかな・・・。

*******************************

歴史の証言 リクルート疑惑(その3)
 雲散霧消のリクルート疑獄

 連日にわたるトピックスとして騒ぎ立てていたのに、一九八九年の五月末に検察庁が捜査打ち切り宣言をした途端に、日本人はリクルート疑獄について考えるのを忘れたらしく、疑獄事件はもはや存在しなかったように見えるほどだ。はっきりとした歴史的総括をするのが苦手で、すべてを「台風一過」のように考えて、同じパターンの疑獄の繰り返しが民族性を特徴づけているが、それにしても、今度は些かボケが過ぎていないだろうか。
 あれだけ悪質な政界の買収と疑獄が発覚して、金権に汚れた政治業の奢りに満ちた生態が、いかに虚飾に満ちたものかを露呈したのだから、汚染されていた自民党と政府の首脳だけでなく、それを支えていた腐食構造の全体を切開して、きちんと結末をつけてほしいものである。
 こうして戦後四十年続いてきた一党独裁が、権力者達だけにとって都合のよい、いたってインチキな支配機構にすぎないとわかったのに、残念なことに日本では東ドイツやハンガリーで起こっているような、政治の行き詰まりの根本的な大掃除は始まりそうもない。
 それは飽食に酔って感受性をマヒした国民と、記者クラブ制の安易な取材態度に慣れた、日本のマスコミ界の弛んだ社会主義者への感覚が、リクルート事件の追及を中途半端なものにしたからだ。しかも、日本国内での収賄事件として騒ぎ立てられた報道が、リクルート疑獄の一部分にすぎず、日本人は事件の本質と全体像について、余り知らされていないままだというのが実態と言えるのである。
 日本の書店にはリクルート事件を扱った単行本が並んでおり、その数は十指に余るほどだと言えるが、それらの全部を懸命になって読破しても。リクルート事件の始まりがはっきりする保証はなさそうだ。
 それはラスベガスのハマコー博打リベート事件が、賭博ツアー同行者にメディア関係者がいたために、うやむやになって深追いしなかった時と同じで、自己啓発する勇気のないマスコミ界と、戦後政治を情報操作と利権誘導で動かしてきた、日本の警察当局の体質が深くかかわっているからだ。特にリクルート事件は汚染がひどく、メディアの人間が株を買ってかなり利益を上げ、収賄の政治家と同じ立場にいるから、仲間を撃つ感じで筆が鈍るのかもしれない。
 新聞に公表されたリストを眺めても壮観であり、メディア関係の人間がずらりと並び、役職ともらった株数を比較してみると、所属していたメディアの悩みが伝わってくるし、疑惑追及の声が細くなるのもわかるような気がする。
 森田康 (日本経済新聞社長)
 丸山巌  (読売新聞副社長)
照井保臣 (フリージャーナリスト)
歌川令三 (毎日新聞編集局長)
丸山雅隆 (「財界」主幹)
村田博文 (「財界」編集長)

 利害が直接結びつかない民間人であるならば、株式の購入は何もやましいことではなく、貯蓄の一貫として認められるべきだと思う。また、仮に江副の古い友人でお祝いに株主になったというのなら、最低数の千株をご祝儀として現金購入したのであれば、日本は資本主義の国だから個人の自由だが、それでもジャーナリストには職業倫理が必要である以上は、軽率だったと言わざるを得ないだろう。責任の取り方はいろいろあるだろうが、ジャーナリストとしては失格だったことは疑いなく、同じことは政治家や役人にも言えるはずだ。昔から「李下に冠をたださず、瓜田に靴を入れず」というが、情報時代の現在は情報操作が行われるので、おおいに用心することが必要になるのである。

 情報操作とグレイ・ジャーナリズム

一九八九年春の日本では中曽根の証人喚問の実現を要求したが、応じない中曽根のために国会の審議が完全に停止し、世論も卑劣な「ミスター巨悪」の態度に怒りを示した時に、奇妙にも竹下や安倍の疑惑が各紙の一面を飾った。これは検察当局の捜査を告げる情報に対抗するために、警察庁や警視庁筋の公安情報のルートで、警察出身の自民党代議士の口を通じて、情報がタイミングよくリークされ、情報操作が試みられていたわかりやすい例だが、それを指摘したジャーナリストは皆無だった。
 警察や業界紙などが奇妙な情報を流して、特殊な目的を実現しようとするのはよくあるが、日本人の純朴さを逆用して意図的な捜査をしかねない点で、知能の高い権力者には注意が必要である。
 情報メディアを武器に使いゆすりやタカリを行う手口は、洋の東西や何時の時代でも存在しており、そのようなビジネスをシンポライズして、人はブラック・ジャーナリズムという言葉を作りだしている。補助金や協賛金を稼ぎ出すのを目当てにして、それが丸見えの提灯記事専門の業界紙から、恐喝まがいの醜聞のすっぱ抜きを専門にするものまで、様々なメディアが世の中に存在していて、あるひとにはそれが生活の糧になっていたりする。
 カリフォルニアの日系企業のトップと話すと、「最近の見返りは提灯記事や対談相手で、大分お手柔らかになりましたが、かつては広告を出さないと悪口を書かれるので、日系企業相手のビジネス・ニュースを謳った、ロスで出ているタブロイド版の新聞には、随分とお賽銭を払わされたものです。これもブラック・ジャーナリズムの海外進出でしょう」という話がよく話題になったものだが、この点で日本はメディア活用の技術では先進国に属しているのである。
 このテクニックをもっとスマートな形でビジネス化し、文化的な衣の中に情報をソフトに包み込み、特に日経連と経団連の強い支持を受けて、カルチュア・メディアとして財界と緊密に結んできたのがサンケイ新聞である。共産党員から戦後に転向した水野成夫を先陣にして、視聴率に命をかけた鹿内信隆流の院政は、財界切り込み隊長として一時代を画したが、同じ新聞メディアとしては『朝日』や『毎日』には比べようもなかった。また、急進撃の『日経』や『読売』にもはるかに遠く、ローカル・メディアの「東京・中日」や「TBS」グループの後塵を拝して、どうしてもサンケイは泥臭さを払拭し得なかったのは、日経連と富士銀行がスポンサーだった出征の秘密が関係している。
 それでも、この泥臭さは事件記者魂の育成に貢献し「日本の危険」(東明社刊)に紹介したように、かつて幹事長時代の中曽根が築地署管内で交通事故を起こし、ソ連大使館の情報官と同乗していたというスクープを行い、中曽根とKGBの関係を予想させるベタ記事を書く、骨っぽい社会部記者もサンケイ健在で、その辣腕記者ぶりが評判になったりもした。
 そのベタ記事には日本の政治高官と書いてあっただけだが、記事が出た後で新聞社に電話がかかり、政府高官とはいったいだれかと尋ねたので、電話の主にあなたはだれかと聞くと石田弘英と答えた。そこで担当記者につないで「中曽根幹事長だ」と返事をしたら、電話の向こうで「なるほど、中曽根なら分かった」と呟く声が聞こえたと教えてくれたのは、信頼できる私の読者の新聞記者だったので、中曽根という一面を示すエピソードである。
 いずれにしても、折から神風のように列島の上を吹きだした、経済活動を包んだ発展の追い風に乗って、広告料が急激に増大したという僥倖のおかげで、メディアのビジネスが拡大化したことも利いたにちがいない。サンケイ新聞を中核にしたこの情報グループは、リクルート社とは少し違った隙間産業の雄として、文化事業を中心にメディアの一角に地歩を築きあげ、フジ・サンケイグループがその頂点に君臨していた。

 強請のメディアと倒錯政治の時代

 時代が移って院政を敷いていた鹿内信隆に変わり、二代目の鹿内春雄がフジ・サンケイグループ議長として、銀座を舞台にして派手にふるまうようになっていたし、同じように隙間産業で成功していた江副浩正も、わが世の春で銀座で遊び歩く身分になっていた。ノエビア化粧品の大倉社長に招待された江副は、中曽根首相を取り巻く鬘愛好グループの仲間である、社会工学研究所の牛尾治朗社長などとともに、豪華クルーザーを使ったスワッピング付き沖縄旅行に参加したが、それが一九八五年十月二五日づけの週刊誌「フォーカス」にでたために、夫婦喧嘩や娘の家出などで家庭に波風が立ち、生活が非常に荒んでいた時のことでもある。銀座のあるクラブのママにまつわることで、隙間産業の両雄がなりふり構わず争った挙句、江副がこの時は勝者の立場を手に入れたので、鹿内議長は面目を失ったと考えて、密かに仁義なき戦いを挑むことにした。そして、配下の腕利きの事件記者に指令して、鬘をかぶって喜ぶ女装趣味を持ちそれを武器に中曽根首相に取り入ることに成功し政治部の舞台で派手に立ち回っていた江副の周辺を徹底的に洗ったのだそうである。こんな下世話テーマの問題を私が扱うのは感心しないのだが、ここにリクルート事件の発端があるらしいし、この喧嘩に関しては一九八七年の夏ごろの朝日新聞にもちょっとした記事が書いてあるそうだから、それを未確認のまま一応事件の概要を書くことにした。
 中曽根政権を包んでいる倒錯人脈は、「アメリカから日本の本を読む」(文芸春秋社刊)に書いてある通りで、実に淫靡(いんぴ)で凄まじい内容と人脈であり、そういった爛れた人間関係に属すものが、江副に対しての中曽根による特別の引きにある点は、知る人ぞ知る中曽根政治の恥部であった。それにしても、中曽根時代を特徴づけた倒錯政治は、スキャンダルとしては超一流とはいえ、余りに多くの政・財・官界の上層部が関与していたので、その暴露は日本の支配機構に打撃を与えて、体制を大崩壊させるインパクトを持つ。だから、財界のマスコミ抜刀隊長を引き継いだ鹿内議長としては、直接それを使うのはあまりにリスクが大きいので、どうしてもためらいの気分を感じたらしい。
 ちょうどそんな時に入ってきたのが一流クラスの情報であり、NTTにリクルート関係の未公開株が流れており、しかも、それが真藤NTT会長の稚児趣味との関係で、鹿内にとっては天敵のようになっている江副の重要な役割と関係する事実がわかった。この段階では誰もリクルート事件の存在を考えるはずがなく、今だ中曽根政権が派手な演技政治を行い、国を挙げて財テクと投機に熱中して、大国意識に陶酔していた時でもあったから、一攫千金が享楽的な時代精神になっていた。だから、ちょっとした出来心で始めた日遊びがそのまま燃え広がって大火事になってしまい、体制の天守閣延焼の危機に発展するとは思わずに、昭和の振袖火事が点火されたのである


  NTTをめぐるプリペイド・カードの隠れた秘密
  優れたルポライターとして多くのスクープを誇る歳川隆雄の「NTT事件の金脈と人脈」(アイペック刊)の中に。「真藤の『稚児』はNTT社内に二人、社外に三人いた。社内の二人は逮捕された長谷川寿彦、式場英の両元取締役。社外の『稚児』は江副のほかに二人。ベンチャービジネスの花形企業コスモ・エイティの碓井優社長と、件のゼネラルコースト・エンタープライズの熊取谷(いすたに)稔社長である」という記述があるが、これはリクルート疑獄の全体像をつかむうえで大変重要な意味を含んだ指摘である。
 ここを突破口にして事件の公判を追っていけば、検察当局での上層部の及び腰のために、不様な状態で一度取り逃がした巨悪安眠させずに、今度は取り押さえる決め手があるかもしれない。更には、前回は嫌疑をうまくのがれて胸をなでている多くの腐敗政治業者やその周辺に出没する悪徳人脈の一掃が可能になりそうである。
なぜならば、リクルート事件に続いて黒い煙が立ち上り、今度は自民党が居直っているパチンコ疑惑が、熊取谷の存在によって点が線に変わり、パチンコのプリペイドカードがらみで警察官僚出身の自民党議員に懐疑的打撃を与える天の授けた神風になるかもしれないからだ。なにしろ、「警官汚職」(角川書店刊)が明らかにしている通り、パチンコの主力のパチスロ業界は「日本電動式遊技機工業協同組合」という団体を作り、役員には警察庁の幹部OBがずらりと顔を並べているのである。
 
 理事長  元警視庁防犯部長
 専務理事 元山形県警本部長
 事務局長 元関東管区警察局外事課長
 事務次長 元警視庁王子署長
 技術部長 元四国管区警察局通信部長

元警察庁長官で悪名高い買収選挙で国会議員になり、中曽根改革や総務庁長官や幹事長を歴任したカミソリの異名で日本全土に睨みをきかせ、日本のアンドロポフ役を演じる後藤田正晴が、入閣前まではこの賭博機組合の顧問をしていた。
 なにしろ、一九七四年七月に行われた参議院の選挙では、警察庁長官を退官した後藤田は大量の選挙違反で、検挙者の数は二百五十人以上を数える凄まじさだった。その後に彼が公安委員長に就任しても同じであり、徳島の選挙区では激しい選挙違反が続き、泥棒が十手を預かるのと同じで示しがつかず、暴力団員から「自分の親分を取り締まれ」と嘲笑され、現場の警察官が歯ぎしりしたほどである。
 民間組織としての博徒は多くの場合が暴力団であり、制服を着た国営の暴力団が警察だから、暴力団と警察は根で繋がっているとよく言うが、警察の元高級官僚の選挙違反と同じで、警察という組織が潔白で正義の味方ではないということは、今後パチンコ疑惑の解明が進むことによって誰の目にもあきらかになるだろう。
 日本の社会では利権の根が深く張っており、しかも、国会議員の職業も利権化してしまい、二世議員と高級官僚の慰安所になりはてたが、これが現代日本を支配している悲しい現実である。そして、四十年近く続いた単独政権の弊害のために、利権化した政権に対しての姿勢が固定化すると、政府と政党の区別ができなくなってしまい、自民党員と同じような発想で党との一体感を持って、警察は自民党の安泰が国家の安泰だと考えている。
 いずれにしても、パチンコ業界は警察にとっての利権の場だがパチンコにプリペイドカードを導入した熊取谷は、真藤会長とくんだNTTのテレフォンカードの経験を生かして磁気カード事業のパイオニア役を果たしてきた。実際に、真藤の紹介で自民党の渡辺美智雄政調会長に接触した熊取谷は、大蔵省に働きかけた結果が成功して、大蔵省銀行局が都銀各行に協力を要請したのが功を奏し、日本カードシステム会社を発足させている。しかも、その出資社には都銀十三行のほかに政府系銀行と、NTTや日本たばこ産業などが名を連ね。渡辺蔵相時代にノンキャリアから印刷局長に抜擢された石井直一が初代社長に就任したのである。
 熊取谷はNTTの長谷川取締役の女性スキャンダルにも関与し、将来の社長候補のトップランナーだと言われていた長谷川が、トラブルでNTTを退任せざるを得なくなり、国際リクルート社に重役として転職した時に自民党の有力者や暴力団関係者に働きかける仲介役をした。また、真藤会長のもう一人の社内稚児と言われ、企業INSの布教師と呼ばれた式場取締役は、NTTの看板男という評判を駆使して荒稼ぎして、成田に一件と都内に二件のマンションを持つほど蓄財に励んでいたらしい。
 この時期のサンケイの鹿内議長にとっては、NTTの長谷川や式場などのスキャンダルよりも、リクルートの江副と結びついた真藤会長の方が獲物としての価値がより大きいと判断する理由があった。取締役という個人レベルの醜聞よりも、NTTという日本一の企業を相手にした方が、ビジネスとして有利な展開ができると読んだのである。


 夢工場というイベントの怪

  フジ・サンケイ・グループは大イベントを計画し、一九八七年の東京と大阪の会場を使って、劇団四季を主体にした「夢工場」という催し物を行った。その演出は江副と中曽根を鬘趣味で結びつけ、二人の会談に常に立ち会う浅利慶太であり、影のスポンサーは自民党の中曽根と金丸だと言われている。夢工場の公式ポスターはロスの山形画伯に依頼したが、それはヒロ山形として知られた画伯の絵を当時の皇太子夫人が非常に愛好しており、現に記念のオープニング・パーティーへ、美智子さんがお忍びで姿を見せたように、この企画はフジ・サンケイにとっては、スーパー級の人を動かせる大宣伝の機会だった。
 そして、このイベントをダシに使った鹿内は、NTTに五十億円の予算で参加することを迫り、もし、この申し入れが受け入れられない時には、リクルートの未公開株にまつわる不正行為について記事として公表する可能性をちらつかせたらしい。
 この話を聞いたNTTの真藤会長は非常に腹を立て、「わが社には警察庁のOBを十人以上も飼っているのに、こんな脅迫を始末できないとは何たること」と言って、警察OBを叱咤して鹿内議長の周辺を洗ったのだが、結局は、事を荒立てては勝ち目がないと判断して、四十億円に値切ってイベントに参加することにした。費用の内訳は広報予算から三十億円を出し、子会社から十億円を集めたと言われているが、火のない所に煙は立たないの譬えもあり、一九八九年五月の「週刊新潮」が事件の輪郭をレポートしている。
 だが、肝心なことは未だメディアの追及を得ておらず、夢工場プロジェクトには若山正敏という人物が関与し、どうも胡散臭い感じが付きまとうのである。しかも、彼は社長をしていた日本ダイレックス社の脱税事件で、東京地裁から一億三千万円の罰金と懲役二年六カ月の刑を執行猶予の形で一九八三年八月に言い渡されている。
 その上、この日本ダイレックス社はNTTの輸入代理店として、最終的にはリクルート社が引き取ることになった。莫大な数のモーデム(変復調装置)とTDM(時分割多量化装置)をNTTに納入しており、クレイ社のスーパーコンピュータよりも巨額の取引がNTTやリクルート社の間で実現している。
 その内容を証明するものとしては、一九八六年一月二七日にフロリダ州サンライス市の本社で、ブルックナー社長が記者会見した時に、「NTTがレイカル・ミルゴ社から二十億円を超す通信機器を導入することを決めた」と発表があり、それがモーデムの取引の一部を構成したのである。
 また、その後の時間の経過によって、サンケイ新聞の辣腕記者たちの運命が変わり、一人は中途採用方式で門とを開いた朝日新聞に入り、リクルート事件を掘り起こした川崎支局で大活躍をしている。しかも、神奈川県警では共産党幹部宅の盗聴事件が起こり、それを取材していた社会部記者に対して、矛先を変える目的で試みたと思われるが、捜査二課の警部が記者に向かって、「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が党著事件より大きなスキャンダルがものにできる」とリークしており、ここに何か警察の謀略のにおいが感じられる。リクルート事件がこれほどの大疑獄になるとは当人たちも予想しなかったのだろうが、政治の中枢にOBを大量に送りこむのに成功して、司法権を好き勝手に支配している警察官僚なら、奢りの気持ちに支配されたとしても不思議ではない。

********************

はい、お疲れ様。明日またね。