マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

斎王制度のまとめ

2013年06月30日 07時33分44秒 | ABCDEまとめ
昨晩は深夜までSさんとチャットをしていたので今朝は眠いな。週に一回はブログの更新を・・というのが最低ノルマなので、なんとかがんばってみます。

まず最初は斎王制度について。
斎王制度とは、斎宮と斎院の二つを指し、前者が伊勢神宮で、後者が下鴨神社ということはよく知られている。それらの制度はもうすでに廃止されているように思われているが、実は現在も形を変えて存在している。これは何度も書いてきたことだ。
では、何をするのか? 斎宮は天皇の代わりに祭祀を行い、ついでに天皇の夜のお勤めの相手をする。斎院の仕事は文書の保管であり、外交文書、婚姻の記録などを秘密の保管庫へ保存する、と同時に、皇族方の夜のお相手をする。
まさか?と思うなかれ、
「売春婦の歴史は古い。とはいえ当初は金銭で春を売ったりはせず、宗教的な行為として行われていた。
古代、神に仕える巫女は、神がかりができて神の代言者であると信じられていた。
その一方、男たちは巫女とセックスすることによって神と交流できると考えられていたため、巫女は決して不浄なものではなく、むしろ神聖な存在と思われていたのである。
その結果生まれた子供はみんなで共有して大切に育てられた。」http://satoexe.tumblr.com/post/2696816769
とあるように、神社というのはひょっとするとバビロニアの淫婦のたまり場だったとか・・・?
で、この斎院制度を使って日本を裏から(寝床から)支配してきたのが八咫烏なのである。

さて、下鴨神社には八咫烏が祀られている。
「賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。」

要は、神武天皇の母親のお父さんが主祭神ということである。神話によれば八咫烏が神武を助けたという話である。
そしてこの下鴨神社には糺の森(ただすのもり)があるのだが、もともとは木嶋坐天照御魂神社にあったものが下鴨に移転したのだと。木嶋坐天照御魂神社は言うまでもなく秦氏を祀った神社で、太秦にあり蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。何度も説明している三柱鳥居がここにある。

秦氏三所明神というのがある。http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1050.html
「 秦氏本系帳(はたしほんけいちょう) 」 には、賀茂氏の 「 丹塗り矢伝説 」 とそっくりな物語が記されています。
昔々、秦氏の娘が葛野川で洗濯をしていた。 すると、上流から矢が一本流れてきた。  彼女はそれを持って帰り、戸上に刺しておいた。  やがて、娘はひとりでに懐妊。  男の子を産んだ。  あるとき宴会を開き、秦氏の祖父母が男の子に向かって、父親に酒を飲ませよと言った。  すると、男の子は戸上の矢を指差し、これすなわち雷公といい、そのまま天井をつきぬけて、天に昇っていった。
これにより、鴨上社は別雷神とし、鴨下社は御祖神と称す。  戸上の矢は、松尾大明神である。  以上、これら秦氏三所明神として奉祭(ほうさい)する。  しかして、鴨の氏人は秦氏の婿である。  秦氏は愛する婿のために、鴨祭を譲与する。  今日、鴨氏が禰宜(ねぎ=神官)として奉祭するのは、この縁があるためである。 
これから分かるように、賀茂氏の 「 丹塗り矢伝説 」 と違うのは、玉依姫が秦氏の娘になっている事で、秦氏の娘の婿は火雷神であり、娘婿ゆえ、秦氏は松尾大社を創建して、火雷神を祀ったことになります。  
また、突然に賀茂氏が登場し、賀茂氏は秦氏にとって娘婿で、愛するが故に、それまで秦氏が行ってきた葵祭りを賀茂氏に譲ったとしており、松尾大明神=火雷神が賀茂氏の祭神となります。
そして、 賀茂玉依姫 = 秦玉依姫 であり、やはり、秦氏と賀茂氏は一体であることが分かります。」

これらの資料から見えてくることは、日本を支配した神武を生んだ秦氏とそれを助けたヤタガラス=賀茂氏は区別がつかないということになる。まあ、表裏一体ということか。
彼ら、秦氏と賀茂氏が哲学とするのが陰陽道で、有名な安倍清明は陰陽道の宗家賀茂家で修業したわけだ。当時、陰陽寮という役所が事実上の最高権力を持っていた。安倍清明の五芒星はソロモンの星、九字を切るのがドーマンで、こちらは陽の部分で、六芒星はダビデ紋、十字はキリストで偶数はカバラとなります。

さて、八咫烏(やたからす)は熊野本宮大社が有名だけど、興味深い記事があるので紹介します。http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1046.htmlより
「神武東征の際、天照大神によって遣わされ、熊野国から大和国への道案内をした、3本足の八咫烏ですが、この話は、ギリシア神話とアレキサンダー大王東征の話が伝わってきたものと思われます。 」
 
詳しくはリンク先を見てもらうとして、要は、アレキサンダー大王の神話と神武東征神話がほとんど同じ内容で、同じ派閥の人間が書いたことがわかるのである。アレキサンダー大王に関してはいくつかの史実もあり、これをモデルとして日本の歴史を作る時借用したのだろう。
S氏によればこれらの種族が聖書を作り、古事記を作り、自らの人民支配を正当化しているのだという。さらに、それらはエルサレム教団なのだと・・・。この教団については今後の課題とします。

さて、ついでの話ですが、八咫烏のなかで唯一表に名前を出した人間がいるという。安岡正篤(まさひろ)である。
詳しくはWIKIに出ているが、金鶏会を作った人で、陽明学者。近衛文麿らとともに「国維会」を設立、広田弘毅らの名前も出てくるし、北一輝、大川周明らとのつながりもみられ、さらには玉音放送に加筆したというから皇室の奥深くまで入り込んでいたようである。つまり、八咫烏をなめてはいけないのだ。単なる諜報員ではなく、国家の行く末を左右する位置にいるのである。国民はその正体を知らないし、存在すら気がついていないだけなのである。




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三本脚巴が世界に広がった?

2013年06月23日 09時59分25秒 | 世界の支配者の研究
少しずつ書き加えて行きます。9時45分更新

ROMUJINさんからのコメント「 2013-06-21 15:14:36
『イギリス保存鉄道の旅』(NHK総合)というスポット番組の中で
三脚巴紋http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%84%9A%E5%B7%B4
マン島の国旗http://www.eigo21.com/tristan/mm/bounty2-2.htm
が出ていました。
だから?何?…みたいなコメントですが…」
マン島の紋章


同じようなシチリア島の旗


666のマークで三つ巴


神社などに多い三つ巴

おなじみサッカー協会

おまけ、熊野本宮大社にも三本脚カラスが・・・


ようは、ケルト繋がりなんだろうけど、日本では三つ巴、三本脚カラス、あるいは世界中の宗教の中に見られる三位一体の表現でもあるようだ。エジプトにはオリシス、イシス、ホルスの三位一体、ニムロデのミトラは母と息子と、その息子と母から生まれた不義の子の三人。キリストは父と子と聖霊?よく意味がわからんな・・・。やはり一神教に三位一体はなじまないな・・。
つまり、ニムロデの三位一体に反対したのがアブラハムで、彼の教えからユダヤの律法、戒律が出来て行く。しかし、キリストはユダヤ教の律法主義、つまりバリサイ派を批判し、挙句三位一体を唱える。要は、ユダヤ教をミトラに戻したのがキリスト教の実態ではないのか?まあ、この話は今日の本題から外れるので、また後日。

S氏から「紀元前2500年ごろスウェーデン南部からはるばる海路で日本の東北へ来た部族があり、その後BC1000年ごろ九州へ上陸した部族がいたということ。聖書に突然登場する海の民がこれらの動きの一つで、ヤペテ系に相当する流れです。」と聞いている。一か月以上も前に聞いた話だが、その後、例の集団ストーカー氏のブログなどを読み、勉強をしてきたが、なにせ文字のない時代の話である。確証が得られないまま妄想が膨らむばかりであった。

Sさんも集団ストーカーさんも共通して言われるのは、ケルトもゲルマンもフン族も匈奴も、要はドルイドに操られただけで、彼らは世界に広がり、そこで混血した地域もあれば、乗っ取った地域もあれば、消滅した地域もあると・・・。で、その手法は宗教だった。ユダヤ教もキリスト教も彼らドルイド教の枝葉にすぎないと。
エジプトが最古の文明であったとか、シュメールから文明が始まったというのは、あくまでもユダヤ人やキリスト側の主張であり、乗っ取った地域の歴史を破壊し、自分に都合のよい歴史書を捏造するのが彼らに共通する手法だったのである。中国でも日本でも、もちろん韓国でも、まったく同じ手法で歴史が改ざんされ、ドルイドの影を消し去っている。

問題は、エジンバラ公こそこの海洋族の正当な末裔だと主張しているようなのだ。まあ、世界初の強盗団の正当な末裔がそれほど権威があるかはわからないが、明治天皇はここからガーター勲章をもらったわけで、たぶんそれは天皇家のお種が世界盗賊団と同祖だと認定されたのだろう。要は、日本もバイキング料理が好きなのだ。

話を戻すと、スカンジナビア半島を出発し、バルト海からスコットランドへ上陸、そしてオランダ、たぶんアムステルダムへ、そこからフランスとスペインの境目あたり、そしてリスボンを経て地中海に入り、サルデーニャ島、シチリアへ上陸する。そこを拠点とし、南はアフリカ大陸、そして北はイスタンブールをかすめ、黒海に入り最終的にアルメニアあたりに落ち着く。
それから推測すると、サヴォイアの出自はむしろこっちで、彼の立場が良くわからなかったのだが、むしろヘッセンより格が上で、エジンバラ公と同様、別格なのかもしれない。

さて、シチリアからアフリカ北部に上陸したドルイド神官は紅海を下り、アラビア半島を回り、現在のイラク方面とさらにインドを回り、現在のバングラディッシュに至る。

さて、別個にリスボンからわかれ、アフリカ大陸を回り、はるばる日本にやってきたグループがあったのだという。それが紀元前5000年ごろなのだが、台湾から上海に入り、青森を経て樺太に上陸し、最終的に南アメリカまで達する壮大なスケールである。紀元前5000年ごろにそのような航海が出来たのかどうか、やや懐疑的なのだが、あくまでも彼ら、つまりエジンバラ陣営の主張ではそうなのだそうだ。
まあ、これらの主張を裏付けるのがひとつには物証、つまり遺跡とか、今回の紋章とか、あるいは昔話などの伝説などである。

まあ、エジンバラ公の主張を調べてどうする?ってことだが、要は、彼らはそのようなことを根拠に「元をたどれば同祖ではないですか。我々は世界を支配する権利があるのですよ。一緒に千年王国を作りましょう。」と来るのでしょう。
で、彼ら古代ドルイド神官の足跡をたどりたいのだが、一人ではとても大変。
読者の方で興味のある人はぜひこの三本脚巴、あるいは三本足、あるいは三位一体に関する情報を探してほしい。情報をお願いします。

資料として地図を載せます。S氏から頂いたものが解像度が低く、わかりにくかったので僕が作ったものです。したがってそれほど正確ではありません。だいたいの概念と考えてください。これがBC2500年ごろの海洋族の移動だったそうで、もっと昔、BC5000年ごろの経路も存在するようですが、私はまだ見ていません。





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東武皇帝はご存じですか?

2013年06月23日 06時05分10秒 | 世界の支配者の研究
以前に、一番最初に日本を支配した縄文王朝はオロチョンとかツングースと呼ばれるバイカル湖周辺から南下した民族だったと書いた。彼らは黒曜石の交易を得意とする今でいうなら武器商人だった。十三湊を拠点としたが、首都は仙台だったという。この部族と紀元前5000年には日本にもやってきたと言われるドルイド部族とは侵入経路が違い、今のところそのあたりの確証は得られていない。S氏に聞いたら?いやいや、自分で調べることは自分でやらなくっちゃね・・・。

このことを頭に入れ、先日お勉強した久邇宮家に話を戻す。
日朝合同朝廷のやんごとなき血流の話の続きである。まずは、私がコメント欄に書いた内容をもう一度下に記します。

「久邇宮朝彦親王  伏見宮邦家親王の第四王子。「ともよし」とも読む。通称に中川宮。奈良興福寺塔頭・一乗院の門主となる。嘉永5年(1852年)、青蓮院門跡門主の座に就き、法諱を尊融(そんゆう)と改める。後には天台座主にも就く。公家社会に隠然たる勢力を保ち伊勢神宮の祭主を務めるなどした。かつて天台座主を務めたこともあることから、神道界と仏教界の両方における要職を務めた珍しい例といえる。神職を育成する数少ない大学、皇學館大学の創始者としても知られる。

梨本宮守正王  久邇宮朝彦親王の第4王子として1874年に誕生。梨本宮家相続にあたり、守正と改名した。梨本宮家は初代守脩親王のあと、山階宮家出身の菊麿王が後継者となったが、のちに実家を継ぐことになったため梨本宮家を離れ、代わって守正王が相続したものである。このため、実際には3代目であるが、公式には守正王が2代目とされている。

李 方子(り まさこ)、1901年(明治34年)11月4日 - 1989年4月30日)は、日本の元皇族。梨本宮家に生まれ、旧大韓帝国の元皇太子で日本の王公族となった李垠の妃。

梨本伊都子 1882年(明治15年)2月2日、駐イタリア特命全権公使・鍋島直大の次女としてローマで生まれた。母は広橋胤保の五女・榮子。

東伏見慈洽(じごう、1910年5月16日 - )は、日本の僧侶。旧華族、旧皇族。今上天皇の叔父に当たる。
久邇宮邦彦王の第3王子、旧名邦英王(くにひでおう)。夫人は伯爵亀井茲常の二女保子。
1943年(昭和18年)に京都の青蓮院門跡の門主となって法名を慈洽と称し、長らく門主の地位にあった。
1982年(昭和57年)から1988年(昭和63年)まで京都市と京都府仏教会・京都市仏教会とが深刻な対立抗争を繰り広げ、ついには多くの寺院の拝観停止や行政訴訟の提起にまでいたった、いわゆる「古都税問題」では、仏教会の理事長あるいは会長として反対運動の先頭に立った。
また、青蓮院が属する天台宗の主要寺院が住職の世襲を認めていないのに対し、青蓮院門主の地位を子息に譲ることを強く望んで天台宗教団と鋭く対立し、一時は教団離脱をほのめかして教団に圧力をかけ、ついに世襲を認めさせた事件も起こしている。その結果として2004年(平成16年)2月に青蓮院の執事長であった次男の慈晃に門主の地位を譲った。現在は、京都仏教会会長・青蓮院門跡名誉門主である。2010年(平成22年)5月16日、100歳を迎えた。現在、今上天皇の叔父・叔母にあたる昭和天皇・香淳皇后の兄弟姉妹の中で存命しているのは自身と三笠宮崇仁親王のみとなる。

香淳皇后 良子  久邇宮邦彦王の第一女子。母は12代薩摩藩主公爵島津忠義七女俔子(ちかこ)。祖父・久邇宮朝彦親王は男子9人を儲けており、東久邇宮稔彦王は叔父の一人である。また、五女・島津貴子の夫島津久永は母方の従弟に当たる。」

さて、今日問題にしたいのはこの久邇宮の親である伏見宮邦家の弟9王子である。簡単にWIKIでおさらいしよう。
北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさ しんのう、1847年4月1日(弘化4年2月16日) - 1895年(明治28年)10月28日は、幕末・明治時代の皇族、陸軍軍人。

伏見宮邦家親王の第9王子。生母は堀内信子。幼名は満宮(みつのみや)。嘉永元年(1848)青蓮院宮御相続、安政5年(1858)輪王寺りんのうじ宮御相続、公現こうげん法親王(俗名能久よしひさ)と称せられ、上野寛永寺の門跡もんぜきとなられる。
最後の輪王寺宮(りんのうじの みや)として知られる。慶応3年(1867年)5月、江戸に下って上野の寛永寺に入り、同月慈性入道親王の隠退に伴って、寛永寺貫主・日光輪王寺門跡を継承した。院号は「鎮護王院宮」、歴代門主と同じく「輪王寺宮」と通称された。
慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いののち、公現入道親王は幕府の依頼を受けて東征大総督・有栖川宮熾仁親王を駿府に訪ね、新政府に前将軍徳川慶喜の助命と東征中止の嘆願を行う。しかし、助命については条件を示されたものの東征中止は熾仁親王に一蹴された。その後、寛永寺に立て篭もった彰義隊に擁立されて上野戦争に巻き込まれ、その敗北により東北に逃避、仙台藩に身を寄せ、奥羽越列藩同盟の盟主に擁立された(一説には俗名(諱)を「陸運(むつとき)」としたという)。

問題は奥羽越列藩同盟の盟主と言われているが、実は東武皇帝として即位していた。しかもその同盟の中心は仙台だった。
当時、ニューヨーク・タイムズの記事の書き出しはこうである。(逸見英夫氏訳)
 「日本の政治でもっとも重要なニュースは、新しいミカドの擁立である。これは日本の北部における内乱、あるいは将軍家の内紛によってもたらされた。新しいミカドは大兄宮(おおえのみや)といい、高僧のひとりである。この動きによって、いまや日本にはふたりのミカドが存在する事態になった。従来のミカドは依然として南部で権力を保持している」

要は、日本はこの時点で東西(南北なのかな?)分断したのである。
まあ、天海(天台宗)まで話を戻すときりがないが、寛永寺と日光に、いざとなったら徳川家が天皇を擁立できる「玉」が用意されていたということ。

教えてGOOから引用すると、この奥州越列藩同盟の顛末は・・・・「会津と米沢の両藩が同盟を結んだのでは、東北諸藩は力量的に仲間に加わるのが常道です。
そこへ、仙台藩が世良修蔵の事件により、会津の味方に付くという決定打が加わり、奥羽列藩同盟が出来ました。その後、越後の諸藩も加わり「奥羽越列藩同盟」となります。
仙台藩はその後、倒幕軍に加わり会津に出兵しましたが、現実的には両藩対峙したことが何度かありましたが、仙台藩士は形だけの戦闘をし、本気で会津と一戦を交えたことはありませんでした。三春藩は倒幕軍の力にはかなわないとみると、早々に二本松藩に出兵しています。
こうしてみると、「強いものには巻かれろ」という図式が見えてきます。
それにしても、寝返ることがなんとも簡単なことか・・・。」

明治以降、伏見宮から 梨本宮家、山階宮家、久邇宮家、華頂宮家、小松宮家、北白川宮家、東伏見宮家、賀陽宮家、朝香宮家、竹田宮家、東久邇宮家を輩出していることを考えると、明治維新の意義とは何だったのかは簡単ではないなと思うのである。

さてもう少し追及してゆきたいところだが、ROMUJINさんのコメントから別のお仕事が入った為、この件に関してはまたの機会にということで・・・。
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真逆になったって?

2013年06月16日 07時36分53秒 | 世界の支配者の研究
「マヨさんのブログはよく知っています。私が知る限り、マヨさんは何度か方向転換されていますが、最近書かれている内容はぞの直前まで書かれていたものとは真逆なことを書かれている印象ですが、私は好きではありません。好きではないというのがここでの精一杯のわたしの意思表示でもあります。」
これはまゆみさんのあるコメントに対する返事の一部です。

まゆみさんとはとても古いお付き合いです。お付き合いといってもただネット上だけですから、誤解のないよう。
で、僕がマヨのぼやきというブログを始めたころ、まったくどこからもコメントがなかったんだけど、たまたままゆみさんのところへコメントを入れ、その後マヨ家にコメントを入れてもらったり、あるいは当時ものすごくアクセス数が多かったまゆみさんのブログにリンクしてもらったりして、とにかく初心者の僕をここまで?育てていただいた大恩人なのです。
私にとってまゆみさんはやはり巫女ですね。彼女にはその感性というか、鋭い直感というか、並はずれたものがあるな・・・という印象です。
そのまゆみさんのご批判ですから、反発するどころか、本当にありがたいことだと思ってます。特に「ここでの精いっぱいの」というところに彼女のやさしさが溢れていて、うれしいな・・・・喜んでどうするって声が聞こえそうだが・・・。
まあ、ここは反論ではなく、言いわけですが、ちょっと聞いてください。

真逆なことを書いている自覚は十分すぎるほどあります。それはS氏に出会い、その衝撃的な話から、私はそれ以前に主張してきたことをすべて白紙に戻し、新しく研究を始めるとお知らせしています。もう一年以上も前の話です。
自分の言ってきたことを覆すことは大変に勇気がいることです。今まで応援してくれた読者を裏切ることにもつながります。しかし、それ以上に、真実を明らかにすることを優先したかったのです。そのことで、いくらかの読者が離れて行ったことはあったでしょう。しかし、それよりも私にとってABCDE理論が重要だったのです。自分の評判より、自分の疑問を明らかにする方が大事なのです。少しぐらいの批判を受けても私は一向に構いません。

私は心情的左翼でしたが、ある意味右翼でもありました。つまり、反米、反戦、でツラン同盟大好きでした。しかし、米国が一枚板ではなく、私が嫌っていた米国産軍共同体のトップにいたのが日本のやんごとなき血流の御方で、なおかつ日朝共同朝廷の王様だったと聞けば、今までの考え方を変えざるを得ないでしょう。

最初のアプローチは言うまでもなくGoldwarriarsの内容に関してで、簿外資金に関する話からでした。この簿外資金のことは先日記事にしましたが、あれ以上のことはお話しできません。国家機密というか、世界的な機密ですからこのことを知る人は本当に限られているわけです。そのような物が存在するということを知り、日本がアメリカに何百兆円を貢いだなんてデマを見抜いて欲しいということで書いただけで、S氏のように世界の金融を正常にするために努力している組織があることを知って欲しいということです。
世界にはカジノ金融で世界の富を独占しようとする派閥があり、これらが自体経済に与える影響を深刻に受け止め、それを防ごうという動きもあるのです。

先日少し話をしましたが、米国が落としたと言われている原爆が実は日本製で、特にその起爆装置は日本の花火と乳酸菌技術が使われており、日本人により地上で起爆されたという話。これは断固、真実です。あまりにショッキングなので、これ以上は話をしたくはありません。でも、それだけでも、日本を支配している派閥は日本人の顔をした渡来人であることは間違いないでしょう。311事件でも同様で、日本で起きることは日本人(の顔をした渡来人)が起こしていることなのです。
911で破壊されたワールドセンタービルの設計は日本人が行い、その設計図はある設計会社に保存されていた。
その設計図には最初からどこを爆破すれば破壊するかが書き込まれており、そこへ爆薬を仕込めば簡単に崩壊するわけだ。
早い話、主犯は日本にいたということです。この話も同じブログ記事に書かれており、これも断固真実です。犯人を知れば、あなたも一週間ぐらい寝れなくなるかも・・・。

中国の所有者の一人である李氏が実はレビ族で、朝鮮の王室である李氏も同族、そしてベトナムをかつて支配したことがある王家も李家だったと。その血を引くレビ族が日本にも渡来しており、裏の天皇になったという。これらはおそらくどこの本を調べても書いていないことで、現場でヤタガラス達と丁々発止のやりとりをしている人間にしかわからない極秘事項でしょう。
第二次大戦の後に勃発した朝鮮戦争は、日韓合同朝廷の起こした李氏朝鮮の独立運動で、これは半分成功し、北部は日韓合同朝廷が支配した。ベトナム戦争も同様な構図で、合同朝廷のやんごとなき血流の御方が米軍の司令官となり、この方が負傷した時点で失敗に終わる。ベトナムは解放され、現在は東南アジアでも有数の工業国へ発展しつつある。
韓国は現在は米国の管理下にあり、今でもそれほど幸せな国ではない。しかし、日本統治以前の李王朝時代が幸せな国だったかは調べるまでもない。韓国人こそ歴史認識を改めるべきだというのは・・・・要らんお世話かな。

あと、日本人があまり知らないのがイエズス会だ。江戸時代に日本はキリスト教を禁止していたはずですが、実はいくつかの藩はこっそりと交易を続け、明治維新ではそれらが革命の中心となったわけだ。島津、富山、毛利、津軽、九鬼、伊達・・・。
以前にも述べてきたように、徳川幕府は表向きキリシタンを禁止していたわけだが、それはあくまで特定の藩の権益を守るためで、台湾、フィリピン、福建省を結ぶルートで奴隷、麻薬、武器の取り引きがあったということである。

まあ、S氏から生の情報をたくさんいただいてきたが、あくまで自分の言葉で語ってください。ということで、彼の情報を私が裏を取り、確証を得てからブログの記事にしてきたわけです。しかし、問題は、私の裏取りの時間がかかり過ぎるということで、昨今、名無しさんとして何度もコメントが入っているのは「早く書かないと彼ら(Bのことだが・・・)の行動に間に合わないだろう!」というプレッシャーを私にかけてきているということです。
つまり、彼らBの予定表として、2014年から2020年を青い馬(剣・飢餓・死病・獣)として予言しており、それに向かって動いていることは間違いないのだ。人類の四分の一が死亡するという第三次大戦を本気で引き起こそうとしている。
異常気象による飢饉、イランとイスラエルとの核戦争、北朝鮮の暴発から日本を巻き込むアジア戦争などを本気で考えているということ。まあ、平和ボケの日本人にはにわかに信じられないことかもしれないが、シリアやアフガン、あるいはイランなどの状況を見れば、いつ核ミサイルが発射されてもおかしくないわけだ。
問題は、日本の中でそれらに同調する派閥があることで、そのことに関して一連のコメントやサイトの紹介があったわけです。
要は、世界最終戦争を目標に、円が暴落するだの、株価が暴落するだの、米国債がデフォルトするだの、危機感を煽るサイトなどは同罪で、S氏が言いたいことは、それらのBの謀略を封じ込めるために動いている世界組織があり、ほぼそれは正常に機能しているから彼らの策謀はうまくいかないだろうということです。もちろん安心しろというのではなく、奴らの狙いを見抜けと言っているわけです。
アメリカの大統領でモルモン教のロムニー氏が負けたり、イランの大統領が穏健派のロウハニ師に決まったりと、ややイラン戦争の可能性が遠のいた。このように、地道な努力もされていることを知って欲しいということだろう。

今、私はミトラ教のお勉強中なのだが、時間もないし、なかなか進まない。
例の文鮮明の統一教会だが、彼は弥勒なのだそうで、その源流をたどると、新羅の花郎に至る。要は、男巫女みたいなものかな・・・。
http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_History_EastProp.html
これは有名なサイトで、順々に読んでいるものの、なかなか手ごわい。
まずは中国と弥勒の記事に注目しよう。
「明の創始者である朱元璋〔しゅげんしょう〕は弥勒教を支持基盤として皇帝になったが、天下を取った後は弥勒教(白蓮教・明教など)を厳しく取り締まった。そのため、弥勒教は秘密宗教という形態をとるようになり、清代になると、弥勒教系の秘密宗教と秘密会党が多数生まれた。弥勒教系結社は、禁じれば禁じるほど盛んになり、王朝とは別の勢力を形勢し、たびたび大規模な叛乱を起こした。中国第一歴史档案館の記録によると、清代における民間の秘密宗教の数は215にも達し、紅幇・青幇などの秘密会党も全国的に流行した。」
以前、S氏に中国の状況をお聞きしたら、中国ほど複雑な国はない。米国の状況すら十分に理解できないのに、中国が理解できないでしょう。と言われたことがある。つまり、中国人は秘密結社が大好きなのだ。その中の弥勒は政府の弾圧の中で福建省に逃れそこで地下に潜るのである。

「朝鮮半島の花郎〔ファラン〕は、弥勒尊を祭神としていた。花郎の弥勒尊は、朝鮮半島から弥勒像とともに持ち込まれ、聖徳太子に大きな影響を与えた。」とある。
先日京都へ旅行し、広隆寺の弥勒菩薩を見てきたが、秦氏のお寺なんだよね・・・。うーん、やはり聖徳太子って何者?

で、日本への伝来だが・・・、「これらは、朝鮮半島の花郎〔ふぁらん〕の強い影響のもとで、弥勒信仰の中にまとまった。弥勒信仰は、弥勒の化身とされる空海の密教と役行者の修験道*という二つの流れを生んだ。これとは別に、いわば第三勢力として、陰陽道・道教をとりこんだ天台系の北斗妙見信仰が成立し、密教・修験道とともにミトラ教の諸要素を伝える三大勢力の一つになった。」とあり、北斗?・・・出ましたね、要は、もともとの道教の思想、北極星信仰と習合したのかな?

いずれにしても現在私の課題は、聖書を作ったのは誰?という話なのだが、東方ミトラと西方ミトラがわかれたのがヘレニズム時代。この後、例のヨハネの登場となり、エッセネ派が出てきてイエスが現れる。そのイエスの話はミトラそのもの。つまり、キリスト教とはミトラの多神教を一神教に改め、ユダヤの律法を捨てたものと言えるのかな・・・?もう少し勉強だね。

うわー、長い記事になってしまった。自分の言葉で語るってのは難しいですね。



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国内に潜む反乱勢力を探す。

2013年06月09日 09時30分10秒 | 世界の支配者の研究
昨晩は女房の知り合いのピアニストの演奏会に付き合ったのだが、この会は打ち上げパーティーが主だったようで、東京や大阪からわざわざやってきた連中と深夜までドンチャン騒ぎである。まあ、新参者の私だが、マヨちゃんですと自己紹介すると、「本当だ川崎まよそっくりだー」との声、「いえいえ、嫁がカイヤみたいにわがままだからなんですよ。」と言い訳しましたが、まあすっかり盛り上がってしまいました。おかげでコメントの返事が出来なくなってしまった。申し訳ないです。

先日私はコメント欄に四方拝のことを書いた。

天皇が拝される神々・天皇陵は伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮である。
平安時代初期の嵯峨天皇の御代に宮中で始まったとされている。儀式として定着したのは宇多天皇の時代とされ、『宇多天皇御記』の寛平2年旧暦元旦が四方拝が行われた最古の記録である。・・・以上WIKIより

まず地祇の天皇さんと自分の先祖様、そしてレビ様の賀茂神社、そして日本国を平定した戦闘部族?である伊勢、鹿島、香取、熱田、このあたりいわゆるヤマトタケルが関東平定のコースそのものだね。

で、石清水八幡か・・・? 祭神は 中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと) だから、宇佐八幡の出先機関みたいなものかな、宇佐がヒッタイトだから、京都に都を定めるにあたり、本社をこちらに移転したってことか?

で、この四方拝に触れたのは、多くの歴史書をひっくり返すより、日本の支配実態を簡単に理解できるからで、皇統譜の意味するところは、日本書紀や古事記では真実を知ることは出来ないということかな。まあ、「古事記と易」で古事記の解読が試みられているが、それが正しいかどうかの検証は私には出来ない。一番肝心なことは皇紀元年というのが易で決められたということか。

鹿島・香取はいつもセットで語られるが、この地域での戦闘が行かに激戦だったかを現わしている。平将門の乱とは縄文勢力の再結集なのか、天孫族同士の仲間割れか判断を迷うところだが、当時としては国体の大きな危機だった事はまちがいないのである。しかし、平定されたのちもこの地域には不穏な空気がみち溢れている。
日月神示というのがある。スピリチュアルに関し私はまったく興味がないが、その名前は聞いたことがあり、この宗教?の出自は麻賀多神社だということはすぐにわかる。ここには出雲文字の文書が残る。伊都許利文書は「ホムタノスメラミコト二十年に・・・」と始まる。つまり時代は応神に設定されており、4~5世紀の事である。
土蜘蛛と蔑まれた縄文人を天津神の部族が駆逐し、あるいは混血によって先住民の影を消し去ってしまった記録である。つまり、怨念の地と言える。

話は少しそれるが、先日の集団ストーカー氏のブログはとても面白く、正しいかどうかの判断は大いに悩むところだ。が、トンデモと退けるには面白過ぎるのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/small_creeps/47108962.htmlから引用する。
「中臣氏は、トルコ人の祖、テイレイ、高車、突厥やマッカツ、ユウヨウなど満州族の祖を代々支配した。東胡を形成した中臣氏は、アケメネス朝ペルシア帝国の中枢と欧州から来たキンメリア人の末裔連合「匈奴」に敗北したが、崇神天皇の頃に黒龍江に来たガド族が鮮卑を形成して匈奴を負かした。
その頃の日本には、失われたイスラエルの10支族のガド族の「熊野国」「吉備国」とフェニキア人の末裔多氏の「出雲国」、多氏とビン人の連合国家「大和国」があった。その後、サルマタイ人の物部氏、ガド族の蘇我氏、タカミムスビの系統の中臣氏・大伴氏が大和国を争い、最終的に大和国は中臣氏のものになり、後裔の藤原氏が栄え、藤原氏の系統から出た平氏や源氏が出た。だが、大和国のもともとの主だった多氏は納得せず、坂東八平氏を形成し、坂東八平氏の土肥氏、三浦氏、千葉氏、長尾氏などが源氏を背後から指揮し、中臣氏系の伊勢平氏・藤原氏を退け鎌倉幕府を成した。」
この歴史観は好きだな・・・スケールが大きいよね。日本の歴史を中国や朝鮮半島の関連でしか語らないのでは世界は見えてこない。前回提示したような古代ドルイド教の世界進出というスケールでしか歴史は見えてこないのではないかな。
上の引用が正しいとすると多氏は秦氏=レビ=天神となるはずだが・・・、整合性はとれるかな・・・?

本人の話として、「おじいさんは多分、自分の出自、そして創価学会の出自の両方を知っていたんだろう。
祖父=「多氏+坂東八平氏」VS創価学会=「ウクライナから帰還した伊勢平氏」という構図を理解していたのだ。 そのせいでオレも執拗な嫌がらせを受けていると言うわけだ。じつはお袋も坂東八平氏の子孫ということで目を付けられていたらしい。」

何が言いたいか?私が今日言いたいことは、日本の中で国家転覆を狙う勢力がいるわけで、それはこの筆者の論理で言うと「壇ノ浦のことを根に持つ伊勢平氏は、坂東八平氏(源氏を指揮していた)の末裔を警戒しており、同時に創価学会・天理教・統一教会はシルクロード連合として、2000年前から敵対してきたフェニキア人の末裔である多氏の末裔をも敵視しているのだ。
オレにはどうやらフェニキア人の末裔、多氏と多氏の末裔、坂東八平氏(土肥氏・小早川氏)の血の両方が流れている。ということで、創価学会(ウクライナ帰りの伊勢平氏)、天理教(トルコ帰りの中臣氏)、統一教会(満州藤原氏)、日本のプロテスタント(藤原氏)の連合ににらまれている。」と書いている。
正しいかどうかはともかくとして、読み応えのある記事である。
コメント (2)
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