マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

久しぶりに・・・

2022年06月26日 18時41分47秒 | S氏の告発

東京で発酵発芽玄米の拡販をしている大手大学病院のお勤めのT氏から久しぶりに連絡がありました。新しく二人ほど人員を確保し徐々に生産量を増強できる体制が整いつつあるとのこと。今は本当に個人商店の規模で、新しく顧客を増やすこともままならない状況だったのでやれやれというところです。

このT氏は東京にいるだけにS氏とも頻繁に面会・・・ていうか酒を飲んで夜を明かす・・・しているようで話の内容がS氏と似てきていました。両氏とも僕より若いのですがこの世界に歳は関係ありません。

そんな中で久しぶりにS氏から電話が来ました。要件はいろいろですが、目新しい話があったので急遽記事を起こします。

一つはウクライナ問題です。今わかっていることは「各国がウクライナへ送っているはずの武器弾薬が、実は現地に届いていないという事実。実に30%しか現地に着いていない。」のだそうだ。

実に70%の兵器・武器がどこかへ消えているわけで、国際的な兵器市場は空前の活況を呈しているという。

第三次世界大戦へ向かっているという陰謀論も承知しているが、状況としてはむしろ冷戦に戻っているのが現実なようだ。

ウクライナへ送られるはずの武器がアフガンとかシリアだとか、あるいはアフリカ諸国などに販売されると世界の紛争地域での争いは深刻度が増すに違いない。

今回の事態はトランプ政権が発足する段階にはすでに計画されていたそうで、トランプ氏はアメリカNO1を掲げ米軍の再編成を実施し、兵器を最新式へ入れ替えることを決定する。そして旧型の兵器の在庫一掃セールをすることにした。脱酸素の方針のもと、潜水艦の推進システムが原子力からコンプレッサーエンジンに代わる。戦車などもバイオエタノールなどへ変更してゆく・・・・これらは旧型の在庫処分が前提となる。

まあ、そんなわけで地政学的に選ばれたのがウクライナだったのだろう。トランプ氏もゼレンスキーもプーチンさんもそんなこと知るはずもなく、何となく戦争に引き込まれてしまったということのようだ。

まあ、冗談のような話で信じるかどうかは自由です。

もう一つ、実は河内王朝の話が聞きたくて「河内王朝があった時代に、いったい日本にはいくつぐらいの王朝があったのですか?」という質問をした。

その答えは驚くべきものがあった。

「河内王朝の時代に日本には数えきれないぐらいの数の王朝があったんだよ。ところで・・・日本には府というのがあるよね。行政府、立法府、司法府・・・三つあるよね。それとは別に大阪府と京都府という府が二つあるね。これの意味は分かる?」

「えー?わかんないですが・・・」

「要は府というのは独自の財源を持っているということだ。府とは倉庫のこと。また日本には道というのがある。これは?」

「これは榎本武揚の国家ということでしょう。」

「そうそう、榎本の共和国、つまり独立行政法人なんだ。」

時空さんは榎本氏を南朝のスパイと言われたが、実はもっと上の人間、つまり天神だと私は理解している。

ほかにもいろいろな話をしていますが、一番力を入れて説明されたのはフランク王国が三つに分かれるときの話。この話は簡単じゃないのでまたゆっくりと書きます。

今回はこれだけ。では

 


おわびします。

2022年06月23日 16時46分58秒 | ひとりごと

まずお詫びを申し上げます。

私はいただいたコメントには必ず返事をすることをモットーとしていました。が、今回あまりにも多くのコメントがきて、さすがに読むことが精いっぱいで、ましてや返事を書く時間などとても取れなくなってきました。

いただいたコメントの中には記事として取り上げるべき内容のものも多々ありますので時機を見て取り上げようと思いますのでしばらくお待ちください。

それから・・・時空行者さん、ミスターさんですよね、そうでないのなら結構ですが、同一人物が複数の名前で投稿することは私は好きではありません。もし同一人物ならミスターさん(時空行者さんでもいいですが・・・)で統一してください。

S氏を軍関係とおっしゃっていますが、正式な役職を私はわかりません。私が言えるのは「何でも知っている意地悪なおっさん」ですね。

もう一つ、前田家がイエローとおっしゃっていますが、ブラックです。

さて、半年ほど前からPOP制作に使っていたillustratorCSⅡというソフトが壊れ、カフェとうどん屋のPOPが作れなくなりとても困っていました。年に一度か二度程度しか使わないので、高価なアドビ社のソフトはとても手が出ません。そこでネットで探してみたらinkscapeという無料ソフトが見つかりました。もう十年以上もillustratorCSⅡを使っていたため戸惑うことだらけですが、無料だから・・・がまん、がまん・・・。

で、練習がてら系図を書いてみました。これぐらいならWordで簡単と言いたいところですが、Wordも持っていません。

ヤペテの系譜を作ってみました。

この家系からスキタイもフンもカザールも出てきますね、ゲルマンも・・・。以前、コーカソイドとはハム・セム・アーリアだと聞いてますが、ノアがコーカソイドと考えればヤペテがアーリアってことか・・・。

うーん、アダムとイブの子供も調べないとだめだな・・・・。

 


こちらにどうぞ

2022年06月12日 07時25分01秒 | ひとりごと

さてと・・・コメント欄がとんでもないことになっています。まあ皆さんが楽しんでいただければそれはそれでいいと思っています。ただ、時間的にも精神的にもいただいたコメントへの返事は難しくなっています。申し訳ございません。(コメントはすべて読んでいます。)

ミスター氏ともう少し対話がしたかったのですが、この世界の方(諜報のという意味)はもともと口数が少なくキーワードのみのやり取りに終始します。こちらにそれなりの素養が備わっていないと「ふん、その程度か・・・」となってしまいます。まあ、私の力不足ということでしょう。

まあそれでも「義和団の乱を調べろ」ということと、「倭人とは?天皇をスメラ?スメル族!崑崙山クル族!大本教グループも崑崙山を重視していた!十王戦争!」というワードに注目しました。

ただ、前回も触れましたようにカフェの店長が退職したことによる影響で、私の仕事内容の変更を余儀なくされ、研究する時間が十分に取れない状況です。仕事優先ですから‥‥仕方がないですね。

義和団の乱に関しては、以前考察した明治維新での世界情勢とそれほど変わりは無いのでそれほど困難ではないと思いますが、要は世界を動かす支配者の派閥が一体いくつあるのかということになるのかな・・・。

まあシオニスト、イエズス会、東インド会社、〇〇宮、フリーメーソンと、ここまでは簡単に思いつきますが、他がなかなかですね。そこにツランとか女真とか、スメル族?スメル族って要はシュメールですよね。

私はメソポタミアの文明をウバイドから始めましたが、なぜかシュメールは触れてきませんでした。S氏はメソポタミア文明はシュメールではないと言われたからです。私はその時点でシュメールを研究する必要はないのだと考えました。いま思えばもう少し突っ込む必要がありましたね。

ではクル族とは?インド・アーリア人の一部族の名称で、十王戦争に勝利したバラタ族は、インド・アーリア人の諸部族における覇権を確立した。そして次第に、十王戦争において戦った相手であるプール族と融合し、支配階層を形成して、クル族と呼ばれるようになったという。これ以上はマハーバーラタの研究が必要で今はとても対応できません。十王戦争・・・うーん、ちょっと面白そうです。

天山山脈と崑崙山脈に囲まれたホータン近辺がスメル民族発祥の地と言われている。「シュメール民族の謎」より引用すると「高楠順次郎は仏典の研究から、メソポタミアのシュメール民族と、インド文明を築いたアーリア民族、あるいはポリネシア、メラネシア、マレーシアのマライ族、インドネシア太平洋海洋民族のルーツはただ一つ、中央アジアのコンロンの大平原のコタン文明を築いたシュメール族にあるとした。また、釈迦の出自も「世界最の知識民族であったシュメール族」王家の子孫であるとした。先祖に須彌(スメル)王が居たとして、仏典「仏本行集経」から系図も示している。」・・・と。ただし、「岩田明、太田龍、中丸薫などのシュメール民族中央アジア起源説の根拠としているようである。」とあるようにこの説が正しいという確証は得られない、ていうか、このあたりの考え方がドイツ民族と日本に共通する遺伝子があるという思想の元になっていて、ハウス・ホーファーが那智の滝で学びナチスドイツのアーリア至上主義が完成したという。まるで紅卍の世界に入って行くようでやや気色悪いのですが仕方がない。

このホータンを起点とし、世界にアーリア人が散らばったという考え方は研究する価値はある。

まあ、もう少し勉強ですね。

さて、先日S氏と少しだけ話をしたのですが、「マヨ君に絶対的に欠けているものがある。それはデーン人だ。バルト海沿岸やスウェーデンなどの北欧諸国にはそれぞれたくさんの神話があるのだよ。ケルト文化をもっと勉強しなさい。」と。ドルイド神官とはいったい何者かをもっと知りなさいということです。

要は世界の歴史は紀元前1万年とも5000年ともいわれますが、いずれも氷河期ですべてが滅び、新しい文明が始まって現在に至っているという考え方で、そうではなく、少数ではあるがその氷河期を生き延び、現在の文明に何らかの影響を与えた民族があるのではないかと言っている。それがノアの箱舟の意味ではないか?あるいはアトランティック大陸があったというような考え方か?

具体的には聖書に書かれている中のヤペテをもっと調べろという。私たちはもっぱらセム、ハム人の研究が主でヤペテ系はあまり問題にしていなかったな。

WIKIによると

『創世記』第10章の系譜によるとヤペテの息子はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスといい、それぞれが以下の地域の民族の始祖とされた。
ゴメル→ガラテア
マゴグ→スキタイ
マダイ→メードイ
ヤワン→イオニア・ギリシャ
メシェク→カッパドキア(ここの町にマザカというものがありヨセフスはこれをメシェクが訛ったものとしている)
ティラス→トラキア
これらのうちゴメルとヤワンの息子はさらに植民を広げ、以下の人々の始祖とされた。

とある。

よく考えるとこれはほぼアーリアのことではないか。あるいは正教側というべきか・・・・。

聖書も史記も記紀も物語であり歴史書と考えていない。しかし、支配者たちが真実を隠蔽しながらも何らかの真実を後世に伝えるために残したものである。つまり無視できるものではない。

藤原4家が問題となっていたが、ノアの子供も同様で合成家系だと考えている。

天武や天智が新羅か百済かの論議もあるが、それ以前に平安京以前の歴史が正しいといえるのだろうか。藤原京から平城京、そのあと都は何度か移転している。

WIKIによれば

斉明天皇元年(655年)冬、難波京(難波長柄豊碕宮)から飛鳥川原宮)へ遷都。
斉明天皇2年(656年)、飛鳥川原宮から岡本宮(後飛鳥岡本宮)へ遷都。
斉明天皇7年(661年)、後飛鳥岡本宮)から朝倉橘広庭宮へ遷都。
天智天皇6年(667年)、朝倉橘広庭宮から近江大津宮へ遷都。
天武天皇元年(672年)、近江宮から飛鳥浄御原宮へ遷都。
持統天皇8年(694年)、飛鳥浄御原宮から藤原宮へ遷都。
和銅3年(710年)、藤原京から平城京へ遷都。
天平12年(740年)、平城京から恭仁京へ遷都。
天平15年(743年)、恭仁京から紫香楽宮へ遷都。
天平17年(745年)、紫香楽宮から平城京へ還都。
延暦3年(784年)、平城京から長岡京へ遷都。
延暦13年(794年)、長岡京から平安京(京都)へ遷都。

S氏によれば遷都するというのはそれだけの王朝があったと考えるべきだという。

つまり大化の改新645年から794年平安京まで日本は大荒れだったということです。

百済、新羅、高句麗の三国が争ったという歴史が本当に韓半島で起きたことなのか?白村江の戦いが本当は大阪湾で起こった争いじゃなかったのか?

まだまだ私の妄想は止まることはない。あーあ、時間が欲しい!