マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

閑話休題の追加

2020年10月28日 17時06分12秒 | 日記
前回はとり急いだ記事だったのでやや説明不足だったような気がします。そこで補足する意味で記事をまとめました。

民間議員という言葉をご存知でしょうか、大辞泉を見ると「総合科学技術会議など内閣府に設置された重要政策会議の議員のうち、民間有識者を指す。」
よくテレビなどで言われるいわゆる「有識者」のことです。
「菅義偉政権が新たに設置する成長戦略会議(議長・加藤勝信官房長官)の第1回会合が開かれ、国部毅・三井住友フィナンシャルグループ会長や竹中平蔵慶応大名誉教授が有識者として参加した。」
  菅首相は、「わが国経済の成長に向けて、制度改正など成長戦略のための具体策を議論してほしい」と語った。今後、強靭(きょうじん)なサプライチェーンの構築やバーチャル株主総会の実現、ビジネス上のイノベーション推進を議題とする。今年末には中間的な取りまとめを行う。 
  同会議の設置によって、安倍晋三政権が設置した日本経済再生本部と未来投資会議は廃止した

他の有識者とは金丸恭文 フューチャー会長兼社長、桜田謙悟 SOMPOホールディングス社長、デービッド・アトキンソン 小西美術工芸社社長、南場智子 ディー・エヌ・エー会長、三浦瑠麗 山猫総合研究所代表、三村明夫 日本商工会議所会頭。

これらの人が有識者として提言を行い選挙という国民の信任を得ていない人たちが国会議員を差し置いて政策決定をするという話なのです。
日経によれば、「首相の菅義偉が指揮する政策推進体制が見えてきた。経済財政諮問会議を「司令塔」に首相官邸の政策会議を再編。目玉のデジタル改革の全体像を閣僚級で議論する場が複数あるなどなお試行錯誤も続く。実務者として前内閣で主導権を握った経産官僚グループが失速し、首相補佐官の和泉洋人(国土交通省出身)らが重みを増す。東洋大教授の竹中平蔵の影もちらつく。
まあ、これが前回の記事の裏取りになるわけですが、見る人が見れば今回の内閣が経済から財務へ重心が移ってゆくことが分かるのです。
ANAが多額の赤字を出すようで構造改革に着手するという。構造改革とはご存知小泉の大好きなフレーズですが、400人規模の出向、年収の30%カットなどなど、コロナ禍で減収だから仕方がないし、企業が存続するためにやむを得ない選択なのでしょう。
問題はコロナ禍の後に元に戻すとは約束していない。つまり、出向した社員は二度と戻れない可能性が高い、つまり準リストラではないのか?
恐らく今後多くの企業が同じような構造改革を始めるのではないだろうか。
私がブログを中断したころから景気は回復し始め、大企業の体力は劇的に強化され内部留保はかつてない規模に達した。この内部留保を生かし、今後のリストラの嵐を乗り越えろという指令があったのではないだろうか。そうでなければあまりにもタイミングが良すぎる。
あまり先行きに不安を覚えるような言動は慎まなければなりませんが、れこぽんさんのコメントの返事にも書いたように、必ずしもこれらを仕組んでいる派閥の思った通りに行くわけではなく、そうならないよう頑張っている派閥もあることを忘れてはなりません。
あくまでも冷静に判断をしてゆきましょう。

閑話休題・・・少し休憩

2020年10月24日 19時52分25秒 | 日記
実は・・・急ぎ過ぎたせいでコピペの多い記事を書いてしまい、少々反省してます。基本的に時間がなさすぎでした。もう少しペースを落として書いて行きます。

さて、今日の本題です。ここ十年ぐらい、つまりマヨの本音を休んでいた間、私は安倍政権を支持してきました。
彼らが・・・つまり安倍政権、経団連榊原氏、日銀黒田総裁が善政を行うと信じてきたわけです。それは正しかったと信じています。
結果、景気はそこそこ回復し、外交においても無難なかじ取りがなされたと思います。しかし、安倍政権の末期、首相が病気で辞任と言われていますが、政治はそんなものじゃない。国家のリーダーの体調は国家機密です。つまり安倍氏が何かを拒否し政権が立ち往生したと見ます。それが何かは今のところ不明ですが、菅政権になればそれはすぐにわかるでしょう。結局、首相になるに当たりいくつかの条件を飲まされたはずで、その中に必ず安倍氏が拒否したなにかが含まれているでしょう。もちろんこれは私の勝手な想像ですから絶対ではありませんが・・・。

そして、残念ながら今回の菅政権は嫌な予感がしています。
え?まだ何もしていないのでは・・・・と思われるかもしれませんが、実はS氏から至急の連絡で「菅政権は竹中平蔵を顧問に迎え入れた。そしてもう一つ、財務省が経産省の上についた。これは決定である。」と。これは何を意味するのか。

竹中氏の提言は「年金の廃止、生活保護の廃止、そしてベーシックインカムの採用」だそうで、現在世の中でささやかれるのは月々7万円の支給になるとかならないとか・・・。そんな支給額でどうやって生活しろというのか。
もう一つの経産省の話ですが、要は経産省の行っている中小企業に対する支援策や産業育成に対する支援などを縮小させる方向に持ってゆく。つまり緊縮財政である。

コロナ禍の結果はほぼ見えてきている。全産業でリストラの嵐と給与ベースの引き下げ、そして最終的に不景気。
街には失業者があふれ貧困が蔓延する・・・・そして行き着く先は戦争っていうか、そこへ持ってゆこうとしている。
というのが近未来の日本の姿となる。

世界中が現在幻のコロナに揺れている。そして世界中がに貧困に苦しむ。金がない、職がない、兵隊になれば飯は食えるし金はもらえる。こんな世の中はリセットしてしまえという声が起きてくる。
世界大戦は必ず貧困が引き金になる。イルミナティーの描く世界最終戦争の予定表からすると2020年までに始まっていなければならないので彼らは少し焦っているかもしれない。コロナのわざとらしい騒ぎがその証拠じゃないだろうか。もう少し本当らしくすればいいのに、もう待てないってか?

彼らは100年のスパンで物事を進めているのですぐにこれらが見えるわけではないが、あとになり思い当たることが出てくるのです。少々心配になってきます。

さて、懸案の水戸家と大内家の関連は今のところ例の牛久の山口家以外何も見つかりません。でも締め切りがあるわけじゃないし、調べるうちにいろいろな新しい発見もあるし、もう少し時間をいただきます。

明治維新の考察ー2(長くなってしまいました。)

2020年10月18日 07時23分03秒 | 世界の支配者
明治維新を調べると言ったものの、すごく欲が出てきてしまい、どこから書けばよいのか迷っていますが、でも行けるところまで頑張ってみます。
先ほどS先生から電話をいただき、少々手直しをしました。

〇〇宮は100年先を見ているという話だそうですが、それでは明治維新のプロジェクトはいつごろから実行に移されたのか?そして何を目指したのか?
前回少しだけ書きましたが英国とロシアのグレート・ゲームですが、これぞまさしく地政学(英国のですが)というものそのものです。メソポタミアからスタートしたウバイドが東の果てに行き着いたのが日本、西へ向かった先が英国、その両国が同盟を結んだのが日英同盟。これは日露戦争を起こすためのものって言うか、ロシアとの戦争に日本を巻き込むためのものだった。英国の最大の敵となったロシアという国はもともとはドルイドが一番最初に上陸した、言ってみれば同志ではないのだろうか。要は、ドルイドからすれば右手と左手みたいなものだろうか、そこまでは僕にはわからない、玉ねぎの皮のようにどこまで行っても答えは見つからない。
ただ言えることは、私の読者は英国、ロシア、米国などという国家という概念は間違っていることを知っている。だからあくまで便宜上であり、実はヘッセンの中のイエズス会なのかシオニストなのか、あるいは米北軍、南軍なのか、あるいは〇〇宮なのか・・・などを考えてゆかねばならない。国境で区切られた国で考えるほうがよほど簡単なのだけど‥‥。
英・ロのグレートゲームの本質はヘッセンのロマノフ王朝の持つ金塊の強奪ですが、実はギリシャ正教への妬みもあったとみるべきでしょう。まあ、第一次大戦でその決着がつきますが、よもやその金塊が最終的に中野学校の手に落ちるとは、歴史というのはたまには小説より奇なりということが起きるものですね。
とりあえずグレートゲームを調べると「第1期のグレート・ゲームは、一般にほぼ1813年から1907年の英露協商までの期間を指し、狭義には、グレート・ゲームとは専らこの時期の英露によるアフガニスタンを巡る抗争を指す。この時期の英露抗争は中央アジアからインド洋を目指すロシアの南下と、インドの征服事業を進めた英国との間で争奪ポイントとなったアフガニスタンにおいて争われた。」とある。いずれにしても不凍港を求め南下するロシア、それを封じ込めたい英国の思惑、それが日本を明治維新に導く大きな要因だったことは言うまでもない事です。
さらに英国は南アでのボーア戦争を戦っており、さすがに手一杯なので日本を味方にするか占領してしまうか慎重に調べていたことでしょう。
さて、話を日本に戻し、一体○○宮は明治維新のプロジェクトをどのあたりから始めたのかを考察してみましょう。
まず一番最初のスタートは光格天皇までさかのぼらなければならない。即位が1780年のことだから、明治維新の王政復古が1868年、本当に100年を見通しているのかも・・・。
「光格天皇は、日本の第119代天皇(在位: 1780年1月1日〈安永8年11月25日〉 - 1817年5月7日〈文化14年3月22日〉)。傍系・閑院宮家の出身であるためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。父・典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。
安永8年10月29日(1779年12月6日)、後桃園天皇が崩御したとき後継候補者として伏見宮貞敬親王・閑院宮美仁親王と美仁親王の弟・祐宮師仁親王の3人がいたが、先帝の唯一の遺児欣子内親王を新帝の妃にするという構想から既婚の美仁親王が候補から消え、残り2人のうち近衛内前は貞敬親王を、九条尚実は師仁親王を推薦した。会議の結果、貞敬親王の方が年下で内親王とも年が近いものの、世襲親王家の中で創設が最近で、天皇と血筋が近い師仁親王が選ばれ、急遽養子として迎え入れられた。」(以上wiki)
つまり、近衛(北朝)と九条(南朝)という東西両巨頭の間で張り合った中で九条家が勝利したということかな。
で、光格天皇には特筆すべきことが3つあります。
一つは天明の大飢饉の際に幕府に民衆救済を申し入れるという禁中並公家諸法度に対する違反を犯したが、幕府にも落ち度があるとして不問にとされたこと。天皇が幕府に口をはさむ最初だったと。
2つ目はゴローニン事件では幕府に経過を報告させるという強い態度を示したこと。これがのちの日米和親条約を幕府が勝手に調印した時に前例として効いてくる。
ゴローニン事件とは・・・・1811年(文化8年)、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴローニンらが、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、約2年3か月間、日本に抑留された事件である。ディアナ号副艦長のピョートル・リコルド(ロシア語版)と、彼に拿捕そしてカムチャツカへ連行された高田屋嘉兵衛の尽力により、事件解決が図られた。
3つ目は光格の息子が中山家に養子に出され、ここが京中山家となる。実にここからあの天誅組が始まるわけです。この派閥は現在でも北朝勢力として力を持っているとか…。
「京中山家初代忠伊(ただこれ)卿は119代光格天皇の第六皇子で、幼名武生長仁中山大納言家に臣籍降下し忠伊と名乗る」(観命学とはなにか?より引用)
まあ、尊王の芽生えはこのころからかな・・・・という感じですか。
さて、話は変わり、水戸へ移ります。(歴史探偵さまの記事をお借りします)
「改めて攘夷の"夷"は「えびす」で野蛮な外国人のこと。"夷"と反対の漢字は"華"。世界の真ん中で最も高い文明と華麗な力を誇る国=中華の国=中国を指す。
しかし光圀時代の日本に、日本こそ中華な国である、という意識を光圀に植えつけた人物がいた。それが明国の儒学者・朱舜水。
朱舜水は儒教の国・明の崩壊を目の当たりにする。その際、皇帝に対する忠臣が少ないことに絶望した。一方で彼は日本で水戸光圀に会う。光圀の政治家としてのふるまい、楠木正成のように後醍醐天皇への忠誠に殉じた忠臣の存在、古代から連綿と続く天皇家の存在などを知り、日本こそ、本当の中華であり、理想国家なのでは、と考えた。そしてその考えを光圀に伝えた。これが水戸藩の中に「日本こそ理想の儒教的国家であり、中華な国である」という意識を植えつける端緒となった。
また朱舜水は、そのような素晴らしい日本の歴史を日本人自身が確認するため、司馬遷の『史記』のような歴史書の編纂を光圀に勧めた。光圀はすでに『大日本史』の編纂を進めていたので、中国の学者からお墨付きをもらう形になった。」(引用以上)
以前、水戸家と近衛家のつながりは自給さんのブログが明らかにしていましたが、徳川家というよりも近衛家の血流として明治維新の役割を果たすことになったのでしょう。
「近衛 尋子(このえ ちかこ、寛永15年(1638年)10月 - 万治元年閏12月23日(1659年2月14日))は、江戸時代前期の女性。水戸藩第2代藩主・徳川光圀の正室。通称は泰姫(たいひめ)、台姫。院号は法光院。諡号は哀文夫人。」(wiki)
安政の大獄と桜田門外の変など水戸藩が中心となった幕末の出来事は多く興味深いのですが、明治維新の一連の改革が終わり、世間が落ち着いてみると、水戸藩の果たした役割は単なるきっかけ作りに過ぎないことが分かるのです。
例えば天狗党の乱などを調べると、いくら命が安かった時代とは言え、人命がいかにぞんざいに扱われたものかと思わざるを得ません。
攘夷とは、開国やむなしという幕府に対しいちゃもんをつけたい勢力が主張した無理筋の思想であり、その証拠として各陣営とも明治新政府になると攘夷どころか世界に追い付け追い越せとなんてしまったではないですか。要は、そのようなものは看板程度のものだったわけです。
さて、キリシタン禁止令だったにもかかわらず、全国にイエズス会の代理店がいくつもあったことは今ではよく知られています。例の松平姓を賜った有力大名たちです。
前田、伊達、島津、毛利、黒田、浅野、鍋島、池田、蜂須賀、山内の各大名たちで、松平姓と四品の格を当てていました。つまり、天皇の妃になることができ、つまり次期天皇を生むことができる資格を持っていたということです、キリシタン禁止令の中ですよ。
〇〇宮はイエズス会を操ることで徳川幕府を存続させながらもいつでもそれを覆せる体制を作っていたことになります。長州や薩摩、あるいは伊達家など日本の中心部から比較的離れた地域に起爆剤を埋め込んでいたことになります。
彼らを次期政権の中心に据えてやろうと誘えば喜んで参加してくることは火を見るより明らかだったはずです。

さて、重要なことを書きます。おそらくほとんどの人が知らないことだと思いますが水戸藩というのは実は牛久で勢力を広げていた長州の大内家が作ったものだということです。大内家は田布施、その前が多々良、その前が済州島、その前が百済王、そして実態はヒッタイトの鉄鋼部隊だった。その大内家は地元長州では毛利家に滅ぼされたように見えるが、実は毛利家に名を変えただけで生き延びており、さらに牛久に移り住んでいたのだと‥‥。まあ、びっくりですね。
そんなことで、水戸学と吉田松陰が結び付き尊王攘夷の旗印を掲げるのは至極当たり前のことだったでしょう。
この水戸から出たのが榎本武揚だそうで、彼の話と輪王寺天皇の件は次回に書く予定です。

薩摩と長州が手を取り合う状況に至るまでの経過は長いだけでたいした意味がないため割愛します。なぜなら〇〇宮のシナリオに沿って、なおかつ明治以降に書き直され正当化された歴史になっているだけですから巷にあふれる歴史小説でお楽しみください。

要は、○○宮は自分の右手、北朝を公武合体へ、南朝を尊王攘夷派へと分断し、なおかつシオニスト=マセソン、つまりフリーメーソンを使い日本の現体制を転覆するように仕組んだということです。


退屈だけど、水戸で起きたことを「少しだけ書いておきますね。退屈だから読み飛ばしても結構です。

安政5年8月8日(1858年9月14日)、水戸藩は、幕府による日米修好通商条約調印を不服とする孝明天皇から直接に勅書を下賜されたと称した(戊午の密勅)。折しも将軍継嗣問題を巡って前藩主徳川斉昭らは、一橋徳川家当主で斉昭の実子でもある一橋慶喜を擁立し(一橋派)、大老井伊直弼と対立していた。直弼は、一橋派の中心人物は斉昭であり、密勅の降下にも彼が関与していたとの疑いを強めた。やがて直弼によって一橋派や尊攘派への大弾圧が開始され(安政の大獄)、水戸藩に対しては、斉昭に永蟄居を命じて再び失脚させ、京都での工作に関わったとみられる藩士に厳しい処分を行った。
ペリーの黒船来航のころアメリカ。軽工業が発達し、製品輸出のための市場を欲していた。ペリーは英国に対抗し中国市場を獲得すべく、太平洋航路を開きたい。そのため日本を拠点としたい。そのための最新鋭の軍艦で日本にやって来た。
ペリーに相対したのが老中・阿部正弘だったのは幸いだった。彼はアヘン戦争のことも知っており、日本が開国して豊かになり、強い軍隊を作らないと清のようになってしまうこともわかっていた。
尊王攘夷運動 八月十八日の政変
「尊王攘夷運動の展開地図 ©世界の歴史まっぷ」より引用
この前後、京都の動きに呼応して、公家の中山忠光(1845〜64)、土佐藩士の吉村虎太郎(1837〜63)らが大和五条の幕府代官所を襲った天誅組の変また、福岡藩を脱藩した平野国臣(1828〜64)、公家の沢宣嘉さわのぶよし(1835〜73)らが但馬生野の幕府代官所を襲った生野の変、藤田小四郎(1842〜65)ら水戸藩尊攘派が筑波山に挙兵した天狗党の乱など、尊攘派の挙兵が相ついでおこったがいずれも失敗に終わった。

倒幕に成功したが新政府内にはまだまだ尊王攘夷を捨てられない人がいた。そのため大久保らは彼らの価値観を転換させることを目的として、欧米外遊を決める。それが岩倉使節団。大臣の半分以上が二年も欧米に外遊するという無茶な話だったが、リーダー層の価値観を転換させるのには奏功した。
また岩倉使節団は日本と世界の国力を正確に分析していた。使節団がめぐった国の順番はGDPの大きさ順になっている(アメリカ→イギリス→フランス→ドイツ)。」

〇〇宮は公武合体で北朝の天皇を維持するつもりだったのに明治維新では南朝になってしまった。さらに、廃藩置県で今までの既得権益が大きく棄損される、さらにさらに廃仏毀釈では従来の寺社権益の多くが神社へと移ってしまった。要は、〇〇宮は大敗北だったのか?いえいえ、これらを仕組んだのは岩倉具視です。つまり、彼は〇〇宮の上、さらにはマセソン陣営の上、両者を天秤にかける地位にいたということになります。
岩倉は北朝孝明のすぐそばに居ながら南朝に政権を与えるという裏切りをする。彼が天皇を殺したとは言わないが、真剣に攘夷を主張する天皇が邪魔だったのは間違いないでしょう。また、德川に対しては和宮を家茂に降嫁させることで公武合体を進め、慶喜には身の安全を保証することで江戸城を無血開城させる。要は両天秤を掛ける役目を持っていたということです。
つまり日本の〇〇宮はあくまでも日本の支店であり、この上にさらに本店の〇〇宮があるということで、動いている当人ですらその上がどう動いているかはわからないわからないというのだという。ここが世界支配の奥深いところで、どこまでが手のひらの上なのか各陣営のトップでもよくわからないという話です。
岩倉具視をもう少し書いておきます。堀川康親の次男に生まれ岩倉家へ養子となる。妹の紀子は孝明天皇の側室に入る。できた子供が堀河辰吉郎である。この辰吉郎が上田なにがしである。ここから大日本皇道会となり大本、北朝鮮・・・・怖くて書けない・・・となってゆく。日本の中に当時大きな起爆剤が埋め込まれたということで、明治が南朝になったとしてもいつでも体制をひっくり返せる準備は整えたということになります。
S氏から聞いた話によれば、〇〇宮は第二次大戦を南朝のせいにし、大戦後は北朝に戻そうという意図があり、そのために大正時代は昭和へのつなぎでしかなく、最初から短期で終わることは決まっていたという。そのため裕仁の兄弟はすべて父親が違いいくつかの派閥が相争っている状況だったそうです。
とりあえず、今回はここまでにします。長くてごめんなさい。でもまだまだ書かなければならないことがたくさんあるのです。

明治維新の考察ー1

2020年10月11日 08時05分57秒 | 世界の支配者
ここのところケトン食の研究をしながらも歴史の勉強を続けています。現在のテーマは明治維新です。WIKIを読めばわかるという話ではなく、明治維新はどうして起きたのかを世界史の中でとらえるというのはそれほど簡単じゃないのです。
日本で明治維新の起きた19世紀を知るには最低でも18世紀からの世界を十分に知らなければならないでしょう。
かと言ってすべてを調べることなどできるわけもないし、要はポイントを押さえなるべく簡略化した中で大きな流れをつかむという、言葉では簡単だが、非常に難しい作業になっています。
18世紀で最も変わったことはやはりアメリカでしょう。1776年の独立戦争まで米国はスペイン、フランス、英国などの植民地だったのです。植民の時期、そして場所、派閥により出来上がった13州が団結し独立を勝ち取ったわけですが、やはり一つになるには無理があり南北戦争が起きる。ちょうどこの南北戦争の前後と明治維新が重なるわけで、本来ならわざわざ東南アジアの小さな国、日本にやってくる理由はどこにあったのだろうという話になりますね。もちろん当時、クジラの油がもてはやされていてその船の補給基地が欲しかったという理由はありますが、そろそろ石油の時代が来ていたわけで、実際のところフリーメーソンによる世界制覇がすでに始動しつつあったというのが正しい解釈ではないでしょうか。
例の南部の将軍、アルバートパイクの書簡は有名ですが、彼がマッチーニにあてた手紙の内容とは、
「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう」
「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである」
「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」
「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……」
あまりにも有名で深刻な内容で、すでに百年以上の予定表がそこには書かれているのです。まあ、本物かどうかは定かではないのですが、残念ながらこの予定表の少なくとも二回の世界大戦で実現しているだけに、彼らの組織は間違いなく最終戦争を予定していることは間違いのないところです。ちょっと明治維新とかけ離れた話になりますが、ここは絶対に抑えておくべき話でしょう。
ちなみに以前読んだ本「11の国のアメリカ史」に書かれているのはアメリカは11の国に分かれていて現在もそれは続いているという。ただし、この本はユダヤ人移民の問題を完全に無視しており、この本の内容にユダヤ人の移民の波を付け加えないと実態は見えてこないでしょう。トランプの支持者の多くは低賃金の白人たちだと言われるが、多くはスコットランド、アイルランド移民でアパラチアに住み各地に散っていった白人である。彼らの敵は自分たちの仕事を奪う黒人や東洋人で、もちろん日本人もそこに含まれるのです。アメリカ人はそれほど優秀でも優しくもなく、粗野で無教育な素朴な者どもが多い。それがトランプの支持者であり、彼らが米国の本音でもある。きれいごとばかり述べる民主党にはうんざりしているです。トランプの再選はもろ刃ですが、それほどシオニスト達の考えが危ないという北軍の判断なのでしょう。

さて、18世紀はやはり英国が中心で、特にナポレオン戦争の終結しウイーン体制が始まる。「ウィーン体制(ウィーンたいせい、Vienna system, Vienna Settlement)とは、ウィーン会議(1814-1815年)以後のヨーロッパの国際秩序である。1848年革命を経てクリミア戦争(1853年-1856年)によって完全に崩壊するまで続いた国際的体制であった。」とある。さて、この体制が崩れる。
19世紀の開始を告げる戦争といわれた「ナポレオン戦争」の勝者はイギリスとロシアでした。その後、この2カ国が世界帝国としてユーラシア大陸の各地で対峙したことを「グレート・ゲーム」と言います。海洋国・イギリスと大陸国・ロシアの対立でもあり、衝突点はバルカン半島、中央アジア(今のアフガニスタンあたり)、そして東アジアの3カ所でした。
要は、日本が鎖国している間にもオホーツク海も含む日本周辺では英国、オランダ、スペイン、そしてロシアの艦船がうようよしていて幕府はそれらに全く無頓着だったかと言うとそうではなく、十分に注意を払っていたのです。
特にアヘン戦争が幕府に与えた影響は大きかったと思います。
その前にグレート・ゲームをもう少し勉強しなければなりません。
英国に関しては日本人は結構詳しいと思いますが、ロシアについてはそれほど知らないと思います。
さて、「神道8道、仏道12道と言われていますが‥‥」とS氏は語る。
「実は日本の神道はギリシャ正教の流れで、東ローマ帝国からロシア、日本へと伝わってきたのですよ。それが八つの流れで、もう一つ丸を増やすと九鬼の紋章になります。」
うーん?九鬼が親玉?さてさて、わからない。これはもう半年前に聞いた話なのですが、いまだにその答えは見つかっていない。
でもこれだけは言える。つまり、ドルイド神官がロシアに上陸し、それから左右に分かれ遠路はるばる日本にもたどり着いたのだと。この派閥は今でも日本に存在する。つまりロシアにシンパシーを持っているグループがあるのだ。
はて?この流れとスキタイの流れはまったく同じではないのか?ロシアには「スク」という地名が多いのはお気づきかと思いますが、これはスキタイの名残と考えます。世界で一番スキタイの遺跡を残しているのがロシアです。さらに私が興味が尽きないのが「好太王」です。これはそのまま読めば「スキタイ王」、高句麗の王がスキタイ王だったという話。要は、扶余から始まる満州の強国はスキタイの流れであり、その流れは中臣鎌足となり現在もその派閥が日本に存在しているという話になる。
先ほどの神道の流れと高句麗の流れは一見関係ないようにも見えますが、実はギリシャから始まりロシアを経て、草原のシルクロードを通り沿海州で栄えた縄文文化と、朝鮮半島を経て日本に上陸した派閥はいずれにしてもツングース系のオロチョン同士だったというのが私の結論であります。
さてと・・・明治維新の話をしようと思ったのに、周辺の話だけで十分に長くなってしまった。今回はこれぐらいにしないときりがない。まだまだオランダや清、イエズス会、フリーメーソン・・・・調べることが多すぎる。

煩悩さんがトランプ再選?を書いてますが、私もそう思います。今回の対戦相手はやや弱すぎる。今回の民主党は本気ではないと感じますね。トランプが前回当選したのはペンシルベニアの意向だったわけで、つまり米国北軍はより危険なシオニストより民族独立派である〇〇宮のトランプを選んだのであり、今回も同じ結論になるということでしょう。トランプが勝てばコロナ騒動もやや収まる可能性があり我々もそのほうが嬉しい。

中途半端な記事で申し訳ない。

MMSの作り方講座

2020年10月01日 18時53分45秒 | 食品研究
何度も説明しているつもりですが、MMSの作り方がよくわからないという意見が多いのでここでもう一度書くことにします。
まず手に入れる方法ですが「セイバーオードリンST]で検索してください。大体10gX20錠で5500円ぐらいです。以前は20gでしたのでちょっと混乱しますが一錠10gとして話を進めます。通常であれば一年以上持つと思います。
まずMMSの代表的なページを見ていただきます。
http://www.mms12.jp/index.php?st
これ以上ないぐらい丁寧に説明されていますが、みなさんはおそらくppmで面喰い、理解がしづらいと思います。ppmは1リットルに対してどれだけ含まれるかの単位ですからもう少しわかりやすくしましょう。

①計量カップ(できるだけ大きいもの)に錠剤を2錠入れ水を注ぎます。完全に溶けるまで放置してください。
②2リットルのペットボトルにそれを移し、さらに水を注ぎ満杯にします。これを原液とします。これは必ず冷蔵です。(常温で保存するとただのくさい水になります。)

③原液200ccを取り別のペットボトルに入れ、さらに水で薄め2リットル満タンにします。これが毎日飲む健康飲料水になります。どれだけ飲むかはその人の状況によりますが、僕は朝晩、一日二回、100㏄ぐらいづつ飲みます。(もちろん冷蔵してくださいね。)

以上ですが、20gを2リットルに割り、さらにそれを十分の一に薄め、一日200㏄飲むわけですから一日に飲む二酸化塩素は0.2g、すなわち200㎎飲んでいることになります。結構濃いと思われるかもしれませんが、夫婦とも毎日飲んで5年ぐらいになりますが何ら問題はありません。風邪気味の時、何か悪いものを食べたようなときは多めに飲むこともあります。また時節柄コロナに感染したくないですよね、そんなときはおまじない代わりにMMSを飲みます。

さて、S氏と話をする中で、世の中には病気を作り出している派閥があることを知りました。医療業界はマッチポンプです。病気を作り薬を売って儲ける、治療しては儲ける・・・みたいな。ただ残念なことに、どの病気が意図的にばらまかれたかはわかりません。
ただ昨年の冬にインフルエンザの感染が異様に少なかった理由が不明ですが、コロナとの関連を疑わざるを得ません。

いずれにせよ我々一般国民は自己責任で自分の身を守らなければなりません。最強のウイルス対策はMMS以外にはないと確信しています。シバ教を信じるかどうかはあなたの自由ですが、病魔に侵された後では手遅れになります。今すぐにでもシバ神のお札をダウンロードし、セーバーオードリンを手に入れることをお勧めします。