「昭和2年3月25日」に本校で撮影された写真です。正座で整列する子どもたち,段に飾られた人形,そして日米の国旗…。そう,これは有名な「青い目の人形」の日米親善事業が,本校でも行われた時の写真です。
当時,日米関係悪化を憂えたギューリック博士の呼びかけにより,全米から集められた12,739体の人形が日本へ贈られました。日本の渋沢栄一らが中心となって受け入れ,お返しとして最高級の市松人形58体が贈られました。
事業に託された願いもむなしく,昭和16年に日米開戦となり,人形もほとんどが焼かれたり壊されたりしました。しかし,昭和48年のあるテレビ番組がきっかけとなり,かろうじて各地に残っていた人形が脚光を浴びるようになりました。
残念ながら本校に人形は残っていません。でも,約80年の歳月を超えて写真から伝わってくる平和への願いは,これからも大切にしていきたいものです。
当時,日米関係悪化を憂えたギューリック博士の呼びかけにより,全米から集められた12,739体の人形が日本へ贈られました。日本の渋沢栄一らが中心となって受け入れ,お返しとして最高級の市松人形58体が贈られました。
事業に託された願いもむなしく,昭和16年に日米開戦となり,人形もほとんどが焼かれたり壊されたりしました。しかし,昭和48年のあるテレビ番組がきっかけとなり,かろうじて各地に残っていた人形が脚光を浴びるようになりました。
残念ながら本校に人形は残っていません。でも,約80年の歳月を超えて写真から伝わってくる平和への願いは,これからも大切にしていきたいものです。