おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

母さん、事件です! いや。母さんが事件だ…。その13。

2016-09-25 21:59:43 | 我思う、故に書くなりよ。
…大騒ぎの原因は歯ブラシ・化粧水・シャンプー…。

んま、毎度の事なんだけれどね…。

今度はメガネが無くなった…って事でね、探してみなさいよ…ってアドバイスをした。またどこぞのバッグだかトートだかに入れて、そのバッグをまたどこかへしまい込んでいるだけなので、探せば出ては来るのだが、奇妙な事に、全てのバッグやらトートを探すわけでは無いのである。

自分の周囲に見える範囲の物を執拗に探しはするけれども、ちょいと自分から離れたところのバッグやトートは触りもしないんである…。

…あっちのもお母さんのでしょ? あっちもちゃんと探さないとダメだよ…。

「あっち」って言っても、3mも離れちゃいない…。なぜだか知らないが、空間の失調に近いのかな? 

私がそれらに触ろうとすると、露骨にイヤな顔をするので、そうはしないけれども、いずれは探さないと困るねぇ。この露骨にイヤな顔…って表情の豹変が大騒ぎの前兆とかサインとでも言うのかな。

んまぁ、そんな調子だから、時間が掛かって見付かれば御の字。見付からない、見付け出せない事がほとんどであり、概ね泥棒の仕業に転化される。

つまりは、私が犯人だ…って事。

ところが、そうは言わないあたりを考えると、自分で…って記憶が少なからずあるみたいだ。なにか、どこかへメガネをしまい込んだ記憶が薄っすらあるらしい。こうした時は、薄っすらを濃く出来る様なヒントを与えてあげている。例えば、どうした時に出掛けて失くしたとか、どこまでは覚えているかとか、その時には何をしていたのかとか。

ま、そうやって会話していても、どれだけどこまでアタマに入っているのか見当も付かないが、発見に近づくにも違いは無いと考えている。

んでまぁ、未だに見付かってもいないので、それはそれで困ったもんだが、探し物ついでに出て来たモノで大騒ぎになってしまった…。

要は、自分の知らない歯ブラシだの化粧水だのシャンプーだのが出て来て、気味が悪い、恐ろしい、って事。

歯ブラシは半年以上前に母が歯科医院で貰って来て、頂いて来たからあなたも使いなさい…と手渡された物の余りである。いったい、幾つ歯ブラシをもらったんだか…。ひょっとしたら、非合法に持って来ちゃったんじゃないかとの心配もあるが…。

化粧水はおそらくは自分で買って、ちょっと使い、自分なりに特徴のあるクリップでこぼれないように封をしたもので、当然使いかけのモノである…。入手先など知らんがな…。

シャンプーの入手先も知らない。シャンプーに関しては、以前にも大騒ぎがあり、これは風呂場に置いてある使い掛けの物で、これも自分のではなく、どうしてここにあるのか知らないし、判らない…と。私が使うものではないコトは一目で判るし、詰め替えタイプの詰め替えるストックだと思ってたが、急に現れた物ではない。少なくとも数ヶ月前には風呂場に並んでいたものだ。

…それでまぁ、そんなこんなの話を一応はしてみても、聞く耳も持たなければ、理解も記憶もしないワケで、毎度御馴染みの大騒ぎって事なのだが、こうした時に必ず現れる人がいる…。

「オマエの彼女が来て置いてったんだ!」

重ね重ね言うが、そうした人間は実在していない。存在していないが、母のアタマの中には存在しているみたいで、その容姿を見たのか尋ねると「女の感でわかるんだよっ!」との事である…。要は、視覚化はまだされていない存在って事なんだろう。ささやくんだろうな、母のゴーストが…。

現実に存在する歯ブラシだのなんだのと、妄想だか空想だかに住む私の彼女の混在のコンボ技なんだろう。

こうなると、まともに取り合うのも難しい。懇切丁寧に説明でもしようものなら、それこそ1晩中かかる。そうやって飽きさせるか、疲れさせるかしないと終わりが見えても来ないので、今では適当に切り上げている。

そりゃ、大騒ぎする度に、またか…と思うが、母だって好き好んでこうした症状の出る病気になったワケでは無いのだから、気の毒に間違いも無い…。だからと言え、全部が全部でも無い。そんな事を始めたら、こっちのアタマもおかしくなってしまう。

恐らくはこの大騒ぎは明日も続編がありそうだな…。なんせ、物探しする度に、その物たちがあった場所が変わってしまう。動かしても、戻るべき場所を正しく与えられていれば、消えてなくなるコトはない。何もかもが元あった場所から離れて、新たな居場所を与えられてしまうことが大騒ぎの原因のひとつだ。

それが…母には理解出来ない。出来ないのではなく理解する方法も無い。そもそも、そうした記憶が無いのだからね。そこはそこで気の毒とも思うのだが、そんな毎日に慣れつつも、イヤだ。

平行して…あちらこちらから情報を得ている。まぁ、粗相をしていないかどうか、ご迷惑を掛けていないかどうかがてらに、現状をお話し、理解を得ておかないとやがては実害が出たりもするだろうから。

そうした中で、いち早く母の異変に気付いた方から話を聞いた。

病院の待合室で程ほど長く世間話をした後に判れ、30分後に近くのスーパーで再会した時のこと…。

「あら! お久しぶり! どうしてたの?」

そう声を掛けられたという。冗談かと思ったそうだが、真顔だったので、さっき病院で長話したことを母に話すと、途端に顔つきが変わったので、その顔つきに大変驚いたそうだ。これは8月の初旬だと言う。私の彼女が突然現れた時期と合致する。当初はなんの話しなんだか見当も付かなかったが、彼女は今じゃ毎日レギュラーだ。

さて、そのお方はあきらかな異変を感じたものだから、近隣の友人にも伝え、様子を見てくれるように伝えてくれたという。

ただ、頼まれた友人が母を訪れた時には、至って普通に会話して、お茶飲んでお菓子食べて過ごしただけだったとの事で、たまたま調子が悪かった程度に考えていたそうだ。現状をお話し、万一ご迷惑な状況になれば一報を私に頂ける様にお願いする。

「えええーーーっ…」

本当に認知症なのだと明らかにした途端に絶句された。以後、こうした毎日だとも説明したが、信じられないとも言う。その前にも、毎日の様に会えば会話する間柄であっても、急変は信じられないようだった。

そうした方もいれば、薄々ではあるものの、何かおかしい…って感じ方をしていた方もいた。私が身体を壊し、母と生活を一緒にする事になったのを知り、幾分かの安心が出来たと考えていたそうだ。具体的に何が…とはお話しされなかったものの、古くからの近隣の方であるし、当然、私も知った顔である。

「変なこと言い出したのはちょっと前よね…物忘れとか、そうしたのじゃなくて。」

ちょっと前ってのが気になるが、少なくとも5年、10年って単位だそうだ。んま、そのあたりになると、母の元々の気質とか性格じゃなかろうかと思うが、おかしいと言うのが適当なのか、変…って言うのが適当なのか、いずれかではなく、どっちも…ってのに近かった事が多かったそうだ…。

「息子さんが一緒にいてくれる様になったから、大丈夫だろうと思ってたのよ…」

…どれだけ警戒されてたんだか…。そして、何を?

そう、お話してくれる方がいるだけ母も私も幸せである…。なかには「…ごめんなさい…」ってだけの人もおられる。どれほど近しい間柄だったのかは知らないが、幾度も母と会話を交わしているのを昔から知ってもいるが、そうした方もおられるわけだ。

日曜日くらいはおだやかであって欲しかったのだけれど…病気にゃ休日もへったくれもない…って事だね。







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母さん、事件です! いや。母さんが事件だ…。その12。

2016-09-25 19:51:42 | 我思う、故に書くなりよ。
今朝は…そこそこ良く寝る事が出来たとのこと。

確かに、良く寝ている感じで、ゴソゴソと何かをやっている風には思えなかった。外出する心配も無さそうだったので、こちらも寝たが…。

朝食も簡単な調理はしてあるし、量的にも問題ない。問題があるのは、食べるか食べないか…である。
んまぁ、朝食だし、半分も無い胃の持ち主だから、1人前ってのは多過ぎるって事だろう。そこそこは食べたのを確認して、薬を渡し、飲んでもらう。

薬も2週目を迎えて、徐々に成分の含有量が増えている。都合4週間継続し、4週目のものが最大量となるが、飲む分にはどれも1錠である。

…基本、あまり薬飲んでも変わらない感じだが、飲まないよりは飲んでいる時の方が、落ち着いた時間が保てている感じには受け取れる。んまぁ、こうした病のこうした症状なんてのは、薬でどうにかなるってのも滅多には無いもんだと聞く。むしろ、食事くらいは集中して食べて欲しいのだが、食事の途中で庭掃除に出ちゃったり、なんでそうするんだかサッパリ判らないが集中しない…。そうした事を注意しても止む事は無いし、繰り返すと逆ギレする…。食事に意識が戻って少しでも食べてくれるならと、あまりしつこくは言わない様にしてはいるけども。

昨日は妹がやってきて、母を買い物に連れ出してくれた。そうした気晴らしも必要なのだが、普段は散歩程度にしか外出しない。もちろん、買い物だのなんだのってのは1人で行かせるワケには行かないので、私が同行するのだが、そうした最中でも絶えず周囲を気にしている。

「…近所の人がジロジロ見ている…私の事が変に見えるのか、ひそひそ話してる…。」

どこを見渡しても私と母以外に人もいなけりゃ歩いてもいない。たまにクルマが通るくらい…。ある種の被害妄想なんだろうね。

んま、そうしたことで、母に5千円を手渡す。食料品であれば、スーパーならたんまり買える金額だが、5千円じゃ不満そうだった。とりあえず、私が管理しているうちからのお金なので、失くさないように言い、管理を母に任せた。

小一時間の買い物は、渡した金額の半分程を使い、帰って来た。

本来ならお釣りとレシートを回収するのだが、レシートだけ回収し、お釣りの分は母に管理してもらう。幾ばくか所持金があれば不平も言わないだろうとの考えで。ただし、私の預かり知らないお金が既に4千円消えちゃっている。これは探せば出て来るだろうものだけれど、例によって例のゴソゴソで消えちゃっている。

自分で管理するように言われた記憶が残っていたのか、消えちゃっても大騒ぎはしていない。なにかアタマの中の記憶で、どこかに移動した、移動させた、自身で…ってのが残っているみたいなのだ。

そうした記憶がおぼろげにも残っていれば、盗まれたのでもなく、落したのでもない…って認識も出来るわけだ。

対して、そうした記憶が全くなくなってしまうと、消えたのは「盗まれた…」に変わる。さすがに盗まれて失くしたものが家から出て来たし、自分でそれを見付けてもいるので、そうは言わなくなったものの、当人の記憶には移動した・片付けた・しまった…なんて事が全く残ってもいないのだから、そう考えるのもムリも無く、気の毒である…。

少しでも記憶にとどめてゆく…って事が習慣化していければ良いかなとも思うが、今の進み具合を考えると厳しいかな…。

天候も回復に向かうようだし、おだやかな日曜日であって欲しいもんだけどね…。


…午後になり、万が一の時の連絡先などを辿ることに…。

まぁ、母の親戚筋ってのは物故者もいれば概ね母より高齢なので、恐らくは存命されているであろう方を探り出したものの、その家族とは全く面識も無いので、マジで万が一な時に…って事で。

対して…亡き父方の親戚筋はまだ元気な方も多いはずだが、なぜだかここ数年以上は連絡が途絶えている。まぁ、概ね高齢ってこともあるし、父が亡くなりゃそうそう用事もないだろうから…と、思っていたのだが、実は全然理由が違っていた…。


10年ほど前の父の葬儀の後、母が一方的に父方の親戚に対し、縁を切ったのだと言う。

なんだそれ…。言葉を失うってのはこうした感覚なのか…。

どうりで何も音沙汰が無いわけだ…。なにか伝えたい事があっても、そう言われてそうにもなれば、連絡など来ようハズも無い…。父の故郷だった東北には幾人か親戚が残ってもいたし、被災して行方の判らなくなった家族もいたハズなのだが、親戚から届くハズの続報が一切無かった。縁を切れば届くワケもないか…。

父方の親戚筋は、誰もが快い人ばかりで、おじさんもおばさんも父が病に倒れた時も力になってくれた人ばかりだ。会う機会は減ってはいても、イヤな思いなどした事も無く、明るく楽しい人ばかりで、会えることは楽しみでもあった。

それなのに、なぜ母が縁を切ってしまったのか、皆目見当も付かない。勝手過ぎる不義理に相違ないが、今更何を聞いても事情は判らないだろうな。

とりあえず、現状を改めて伝えて不義理を深く詫びる。心底、申し訳ない気分ってのはこうした気持ちのことだろう。確かに、行き来が頻繁にあるワケでもなく、家族の交流も薄かったのだけれど、まさか、母がそうした事をしていたなど、知る由も無かった…。

「…おまえたち兄弟がまともでよかったよ。亡くなった兄貴も安心だと思うよ…」

…叔父から掛けられた言葉に軽くショックを受けた…。

私が生まれる前から母を知ってもいた叔父だが、その当時から違和感はあったと聞いた。兄である私の父が、なぜにこの人を嫁さんにもらうのかが理解できなかったそうだ。それから、月日が経ち、私や妹が生まれたワケだけれど、その都度に母の奇妙な言動は続いていたとも聞いた。それは病的と言うよりは、性格的だったり、慣習的なものだったり、いわゆる普通の…って感覚から遠のいたものだったと聞いた。手っ取り早く言えば、世間知らず…ってものがそこに当てはまるんだろう。

「…そうは判っていてもよ、そんな話できないじゃないか…」

父方の親戚筋からは、かなり古くから奇異な存在として知られてもいたため、縁を切る話が出た時も、あまり驚かなかったという。全く知らなかった事を詫びると…

「そうだろうな。だから子供のおまえ達に責任なんか無いし、おまえ達のせいなんかじゃないんだ。俺たちはおまえ達がしっかりしてる事も知っている…」

当時、幾分か奇行もあった母だが、それは今の様な病的なものが原因では無かったハズである…。あれほど父の身や、私たち家族を気遣ってもくれていた人たちに、なんて言うことをしてしまったのか…。恥ずかしいやら情けないやら…。重ね重ね丁重に不義理を詫び、現状の理解をお願いした。

…あの時にもう少し早く気付けば良かったんだよなぁ…。

父の葬儀にあたり、喪主となる事を理由も無く強硬に辞したり、病気をおして参列してくれた母自身の兄を追い返したり…奇行に面を喰らったことは記憶に残っている。そこまでする理由は判らなかったが、そうするだけの理由がきっとあったからだろうと、その時は考えてもいたのだが、多くの親族と縁を切るなんてのはどう考えてもおかしいし、あるとすれば身勝手な理由でしかないと思う。

私個人で言えば、父の喪主になる事を頑なに固辞したのが理解出来なかったし、なんら我々が納得できるだけの説明も無かった。ただ、イヤだ…と。これは未だに許せない事でもある。

…私が子供の頃に抱いた母への違和感ってものが、この歳になってこんな形で、こんなにも明らかになるとは予想だにしていなかった。自分さえ良ければ…って考えなんだろうと、行き付いたのもそう昔の事では無い。しかし、私が生まれる前から、やはり一般とは違った感覚が強く出ていた人だったと知った時、人の縁ってものも怖いものなのだと知る。

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焼き鳥が美味しかった件。

2016-09-25 14:36:17 | 我思う、故に書くなりよ。
…買い物ついでに、屋台の焼き鳥を買って食べた。

まぁ、肉類はあまり食さなくなり、専ら野菜中心の生活になってしまったが、鶏肉はちょくちょく食べる。
脂肪分が少ないところの胸肉とかだが、これはまぁ焼いても煮てもあまり味が変わらず、ジューシーとかではなく、どちらかと言えばボソボソな食感。

肉は何を食べても悪くはないが、なるべく血液によろしい影響となって現れてくれる事を期待しているから鶏肉に絞ったのだが、ふいにお買い物先の駐車場の屋台で焼き鳥が売られており、お昼時ってこともあって、買ってみた。

自分で焼くのではなく、スーパーのパックでもなく、レンジでチン…でもない、炭火で炙られて、丁度良い加減で手渡される焼き鳥を食べるなんて、いったい何年振りなんだろう…。

会社員していた頃は、ちょくちょく飲み屋にも行っていたし、鳥専門店なんてのも訪れたりしていたが、そうした生活から離れてからは、そうした食事からも離れている。

遠い昔に友人と焼き鳥屋でしっかり食べた記憶が残っているが…それ以来だとすると、ゆうに十数年は経っている。

3本以上は1本100円になる…と言うので、4本頼んだ。モモ、つくね、ねぎま、ぼんじり。
どれもを塩で焼いてもらう。タレは好まない。

「昼からつまみですかぃ?」

全部塩を頼んだので、酒のつまみと思われたらしい。

「んいや、塩の方が鶏の味がわかると思って…」

正直なところ、タレだっていい気がする。自分としては塩を軽くふってくれただけの方が判り易いだけ。選んだのも、既に串に刺されて焼く用意の出来たものばかりである。

番号札をもらい、焼きあがるのを待つ。丁寧に焼くのが見られるのも良い。

手渡された焼き鳥を持って、近くの神社の境内でお昼ご飯とする…。主食焼き鳥、副菜焼き鳥。焼き鳥だけ。

何の塩か知らないが、食塩とは違う塩味が鶏の油と混ざって舌に染みていく。この塩加減。舌に刺さらない塩味と脂の旨味。

「…んめえな、これ…」

レンジでチン…じゃ、こうにはならない。乾燥気味にカリッとした外側を噛み破ると、中のジューシーが旨味と共に口に広がる。

どれもが美味しい。無造作に並べて焼かれただけって話もあるが、素材の美味しさ、焼きの美味しさ、どちらもが欠けちゃこうにはならない。

スーパーとホームセンターが一緒になった駐車場の角で、こうも美味しい焼き鳥に会えるとは…少々感激したが、いつもならこうした屋台を避けていた事を思い出した。

決して、不衛生だとか、そうした理由で避けていたのではなく、本来の目的ではないからってだけである。今日を例えると、ここには作業靴と防水スプレーを求めてやって来たので、焼き鳥は目的に無い。

…もうちょっと、寄り道してもよかったのかな…。

寄り道ばかりも困るが、もうちょっと寄り道していれば、もうちょっと美味しい物に出会えてたんだろうな…。
そうは思ったが、先を急ぐ理由もある。だが、のんびりと焼き鳥を味わう時間がこんな最中にあってもいいと思った。

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