おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

母さん、事件です! いや。母さんが事件だ…。その12。

2016-09-25 19:51:42 | 我思う、故に書くなりよ。
今朝は…そこそこ良く寝る事が出来たとのこと。

確かに、良く寝ている感じで、ゴソゴソと何かをやっている風には思えなかった。外出する心配も無さそうだったので、こちらも寝たが…。

朝食も簡単な調理はしてあるし、量的にも問題ない。問題があるのは、食べるか食べないか…である。
んまぁ、朝食だし、半分も無い胃の持ち主だから、1人前ってのは多過ぎるって事だろう。そこそこは食べたのを確認して、薬を渡し、飲んでもらう。

薬も2週目を迎えて、徐々に成分の含有量が増えている。都合4週間継続し、4週目のものが最大量となるが、飲む分にはどれも1錠である。

…基本、あまり薬飲んでも変わらない感じだが、飲まないよりは飲んでいる時の方が、落ち着いた時間が保てている感じには受け取れる。んまぁ、こうした病のこうした症状なんてのは、薬でどうにかなるってのも滅多には無いもんだと聞く。むしろ、食事くらいは集中して食べて欲しいのだが、食事の途中で庭掃除に出ちゃったり、なんでそうするんだかサッパリ判らないが集中しない…。そうした事を注意しても止む事は無いし、繰り返すと逆ギレする…。食事に意識が戻って少しでも食べてくれるならと、あまりしつこくは言わない様にしてはいるけども。

昨日は妹がやってきて、母を買い物に連れ出してくれた。そうした気晴らしも必要なのだが、普段は散歩程度にしか外出しない。もちろん、買い物だのなんだのってのは1人で行かせるワケには行かないので、私が同行するのだが、そうした最中でも絶えず周囲を気にしている。

「…近所の人がジロジロ見ている…私の事が変に見えるのか、ひそひそ話してる…。」

どこを見渡しても私と母以外に人もいなけりゃ歩いてもいない。たまにクルマが通るくらい…。ある種の被害妄想なんだろうね。

んま、そうしたことで、母に5千円を手渡す。食料品であれば、スーパーならたんまり買える金額だが、5千円じゃ不満そうだった。とりあえず、私が管理しているうちからのお金なので、失くさないように言い、管理を母に任せた。

小一時間の買い物は、渡した金額の半分程を使い、帰って来た。

本来ならお釣りとレシートを回収するのだが、レシートだけ回収し、お釣りの分は母に管理してもらう。幾ばくか所持金があれば不平も言わないだろうとの考えで。ただし、私の預かり知らないお金が既に4千円消えちゃっている。これは探せば出て来るだろうものだけれど、例によって例のゴソゴソで消えちゃっている。

自分で管理するように言われた記憶が残っていたのか、消えちゃっても大騒ぎはしていない。なにかアタマの中の記憶で、どこかに移動した、移動させた、自身で…ってのが残っているみたいなのだ。

そうした記憶がおぼろげにも残っていれば、盗まれたのでもなく、落したのでもない…って認識も出来るわけだ。

対して、そうした記憶が全くなくなってしまうと、消えたのは「盗まれた…」に変わる。さすがに盗まれて失くしたものが家から出て来たし、自分でそれを見付けてもいるので、そうは言わなくなったものの、当人の記憶には移動した・片付けた・しまった…なんて事が全く残ってもいないのだから、そう考えるのもムリも無く、気の毒である…。

少しでも記憶にとどめてゆく…って事が習慣化していければ良いかなとも思うが、今の進み具合を考えると厳しいかな…。

天候も回復に向かうようだし、おだやかな日曜日であって欲しいもんだけどね…。


…午後になり、万が一の時の連絡先などを辿ることに…。

まぁ、母の親戚筋ってのは物故者もいれば概ね母より高齢なので、恐らくは存命されているであろう方を探り出したものの、その家族とは全く面識も無いので、マジで万が一な時に…って事で。

対して…亡き父方の親戚筋はまだ元気な方も多いはずだが、なぜだかここ数年以上は連絡が途絶えている。まぁ、概ね高齢ってこともあるし、父が亡くなりゃそうそう用事もないだろうから…と、思っていたのだが、実は全然理由が違っていた…。


10年ほど前の父の葬儀の後、母が一方的に父方の親戚に対し、縁を切ったのだと言う。

なんだそれ…。言葉を失うってのはこうした感覚なのか…。

どうりで何も音沙汰が無いわけだ…。なにか伝えたい事があっても、そう言われてそうにもなれば、連絡など来ようハズも無い…。父の故郷だった東北には幾人か親戚が残ってもいたし、被災して行方の判らなくなった家族もいたハズなのだが、親戚から届くハズの続報が一切無かった。縁を切れば届くワケもないか…。

父方の親戚筋は、誰もが快い人ばかりで、おじさんもおばさんも父が病に倒れた時も力になってくれた人ばかりだ。会う機会は減ってはいても、イヤな思いなどした事も無く、明るく楽しい人ばかりで、会えることは楽しみでもあった。

それなのに、なぜ母が縁を切ってしまったのか、皆目見当も付かない。勝手過ぎる不義理に相違ないが、今更何を聞いても事情は判らないだろうな。

とりあえず、現状を改めて伝えて不義理を深く詫びる。心底、申し訳ない気分ってのはこうした気持ちのことだろう。確かに、行き来が頻繁にあるワケでもなく、家族の交流も薄かったのだけれど、まさか、母がそうした事をしていたなど、知る由も無かった…。

「…おまえたち兄弟がまともでよかったよ。亡くなった兄貴も安心だと思うよ…」

…叔父から掛けられた言葉に軽くショックを受けた…。

私が生まれる前から母を知ってもいた叔父だが、その当時から違和感はあったと聞いた。兄である私の父が、なぜにこの人を嫁さんにもらうのかが理解できなかったそうだ。それから、月日が経ち、私や妹が生まれたワケだけれど、その都度に母の奇妙な言動は続いていたとも聞いた。それは病的と言うよりは、性格的だったり、慣習的なものだったり、いわゆる普通の…って感覚から遠のいたものだったと聞いた。手っ取り早く言えば、世間知らず…ってものがそこに当てはまるんだろう。

「…そうは判っていてもよ、そんな話できないじゃないか…」

父方の親戚筋からは、かなり古くから奇異な存在として知られてもいたため、縁を切る話が出た時も、あまり驚かなかったという。全く知らなかった事を詫びると…

「そうだろうな。だから子供のおまえ達に責任なんか無いし、おまえ達のせいなんかじゃないんだ。俺たちはおまえ達がしっかりしてる事も知っている…」

当時、幾分か奇行もあった母だが、それは今の様な病的なものが原因では無かったハズである…。あれほど父の身や、私たち家族を気遣ってもくれていた人たちに、なんて言うことをしてしまったのか…。恥ずかしいやら情けないやら…。重ね重ね丁重に不義理を詫び、現状の理解をお願いした。

…あの時にもう少し早く気付けば良かったんだよなぁ…。

父の葬儀にあたり、喪主となる事を理由も無く強硬に辞したり、病気をおして参列してくれた母自身の兄を追い返したり…奇行に面を喰らったことは記憶に残っている。そこまでする理由は判らなかったが、そうするだけの理由がきっとあったからだろうと、その時は考えてもいたのだが、多くの親族と縁を切るなんてのはどう考えてもおかしいし、あるとすれば身勝手な理由でしかないと思う。

私個人で言えば、父の喪主になる事を頑なに固辞したのが理解出来なかったし、なんら我々が納得できるだけの説明も無かった。ただ、イヤだ…と。これは未だに許せない事でもある。

…私が子供の頃に抱いた母への違和感ってものが、この歳になってこんな形で、こんなにも明らかになるとは予想だにしていなかった。自分さえ良ければ…って考えなんだろうと、行き付いたのもそう昔の事では無い。しかし、私が生まれる前から、やはり一般とは違った感覚が強く出ていた人だったと知った時、人の縁ってものも怖いものなのだと知る。


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