おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

母さん、事件です! いや。母さんが事件だ…。その16。

2016-09-28 23:48:51 | 我思う、故に書くなりよ。
今日は介護保険関係の方が訪問調査にやってくる日である…。

んで、やって来た…。

とりあえず、私は面談調査ってのに同席し、調査員から何か求められたら発言するというスタンスで、調査員と母の会話を黙って聞く。

んまぁ、型通りの質問を…って感じだが、あれやこれやと巧みに聞き取っていくのは専門家ならでは…ってコト。あらゆる点を網羅している感じで、特に何か不満があったワケではない。

不満があるとすれば…母の回答なのだが、これはまぁ病気なので致し方ない。自身について、それほど重大な…って症状でもなければ、病気でもなく、単なる物忘れなのだと主張していた。

これまでにしでかしたコトってのが、ほぼ全部記憶に無いみたいで、全く語られなかったし、盗まれたとして警察を呼んだこともスルーしてた。何かしら負い目とか、自責ってものがあるのか、自ら語らないって感じ。

まぁ、その辺は、調査終了後に私からの聞き取りを行ったので、調査員が全く知らないで帰るわけじゃなかったので、問題も無い。

調査員の印象としては、身体的な支障が大きいわけでもなく、むしろ元気な部類に該当するので、介護認定では「要支援」という範疇になるのではないかと言っていた。身体的な…ってところに重きを置いての「介護認定」であり、行動に支障が無ければそうにもなる。

支援となった場合でも、受けられるサポートは数多くあるので、そうした中から母に適したものを見付け出す事になる。

ま、どうした形で決定がなされるかは待つ他になく、決定後にケアマネージャーってのが現れるのだそうな。

平行して、病院での診察なども行われる予定で、これもまぁ型通りって事なんだろうけれども、そうしたあれこれを加味した上で最終的な決定がなされるものだから、ちょいと先の話しになるんだろうな。

そんなこんなの訪問調査ってのが終ったが、母としてみれば不満な面もあったらしく、大騒ぎにはならなかったものの、小騒ぎ程度には騒ぎ出していた。何か言い足りない事でもあったのかは判らないが、受け答えを見ている限りでは概ね問題も無かったと思う。

ただ、質問の内容が簡単であるにも関らず、前ヒレ、中ヒレのついた難解にも聞こえてしまう回答が幾つかあったりもしたので、こうした場合は調査員も聞き返すので、そうした面でイラっと…来たんじゃなかろうかな様子。

そんなこんなを明日にどのくらい記憶しているのか定かじゃないが、何かしら不満の形で記憶に薄くでも残っている場合には、思い出し笑い…ならぬ、思い出し憤怒…って状態もあるので、楽しい会話を過ごした風に見えても、油断禁物なのである…。そうなっちゃうと、例によって例の通り、どうしたって荒れるにも違いが無いけどね…。

…夜になり、母と話す機会があった。

母に言わせると、私の存在自体が不快であり、信用出来ないので今後は関らないで欲しいとのこと。

母の異変を感じてあれこれとやってきたのだが、関係機関への相談や連絡、失くしたものの回復や、貴重品の管理、介護保険の申請等、そうした一切が不快であり、不安だと言う。

今後のことは判らないが、それら一切を任せるに値しないとの事だった。まぁ、実際に長い間迷惑も掛けているので、信頼もクソも無いのは確かな事だ。それについては何ら異を唱える気もない。公的機関への支援等の手続きなどは継続中なので、これまた母の意に反して早速相談することとするが、母の本心として受け取るべきだとも考えている。

要するに…お役御免と言う事だな。成年後見人制度と言う制度も利用すべきだろうし、その方が母にも幸せなんだろう。これとて、医療機関とも相談が必要となるので、それも相談してくるか…。

ま、実際にはそんなこんなが決定されるまではああだのこうだのしなくちゃならないワケだから、今すぐに、やーめた…ってコトは難しいし、法的に責任を求められる立場にあるのも変わりないが、そうも望まれているのであれば致し方ない。様子が以前からおかしかった母を見守るって事でもあったが、それすらも不快と不安なのだそうだ。

…本格的に撤収フェイズに入るのも、ちょいと想定よりはだいぶ早いんだが、信頼の置けず、不安の種となる人間は近くにいるべきではないだろうし、おそらく母は良い方向に向かうでもない。いつまでだかは知らないが、可能な限りで、心安らかな日々を送って欲しいとは思うし、私も母の意に沿わない形で続けていくのは心苦しい。

残念ながら、母は認知症になってしまった。いつから、どこから…そうしたコトはもう判らない。今回の一連の騒動の中で、見聞きしたことから察すれば、かなり早い段階でそうした兆候はあったものの、何ら手を打てなかった事は間違いない。もしかしたら、かなり昔からそうした病気との境を行き来していた人なのかも…という話も聞いている。

ここまでを振り返ると…明らかにおかしい…って事を感じた時には、遅いのかもしれない。個人差は当然としてあるので、必ずしもこの限りではないが、一般の社会生活の中で、どう考えても理解出来ない言動が見られた時を、逃してはいけないと思う。

ウチの場合では明確な…ってのはココ最近だが、それに近い事は20年も前に見てるし、私が生まれる前から見て確信していた人も少なからずいたのである。そうしたサインを誰がどこで気付けるか? もしかしたら違う病気かも、そうした病気じゃないかも、誰もがそうは思う。だが、その時点を見逃してしまう、見ていて時間だけを過ごしてしまうのは危険だと思う。

一応、このブログはある程度までは書き進める。それは自分のため。いつまで続くのか判らない将来の自分のために書き残すつもりでいる。



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