おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

おもむろに免除だな…。

2007-06-13 15:21:50 | 我思う、故に書くなりよ。
裁判員、日当上限は1万円…最高裁が制度の細則決定(読売新聞) - goo ニュース

逆恨みとかお礼参りとか、その他諸々の諸費用含めて日当が1万円なら、誰も引き受けないだろうなぁ…。

うっかり選ばれると、それなりの責任も引き受けなきゃならないワケで、ヒマな人なら問題も無いだろうけれど、ただ拘束されてナンボ…ってワケでは、世の中無いのである。

たとえば、子供をどこぞに預けなきゃならなくなったり、そうした付随する問題をも考慮しておかないと、1万円貰っても…

『出向くだけ赤字じゃんかよ…』

ってのが現実の世の中なのだ。そうしたその他諸々にあたり、何か免罪符的なものでもオマケにあれば別だろうけれど、あるとも聞かないしねぇ…。理由無く断ると罰金だか反則金だかを課せられるらしいが、金額によっては払っちゃった方が身のため…って場合も出て来るな、これ。

暴力団絡みの裁判なんか、罰金と同等かそれ以上貰っても全く割りに合わないし、警察が24時間身辺警護してくれるなら、まぁ引き受けてもいいかな…って感じ。やつらは絶対組織で御礼しに来るからね…。社会的に無い…って事をやる連中だから。

お礼が先立って行われる『買収』って事も考えられる。応じても、応じなくてもやがて恐ろしい目に遭いそうな事は予想出来たりするので、その辺をどう考えているんだか? 僅かな日当で刺されるのも困るしなぁ…。刺されるくらいなら、お礼貰ったほうがよほど身の為だしなぁ…。

そうした『危険』をも含めた金額が、いったいどれくらいになるのか想像し難いのだけれど、現状ではおそらく1円たりとも含まれていないのは確かなワケで、場合によっては…

『国家的ロシアン・ルーレット』

って事に…。まぁ、そんな裁判にヒットしちゃったら、裁判員同士で徒党を組んで、被告が二度と陽の目を見られないようにするとか、あっさり極刑にしちゃうとか、そうしない限り、おちおち寝られなくなると言う事だ。

裁判官は自ら選んだ道なので、そうした恐れがあったとしても構わないが、無作為に選ばれて逆恨みでもされたんじゃ、たまったもんじゃない…。組織犯罪なんか裁かなきゃならぬ事になったら、例え「極刑」で被告が消えても、組織の恨みは買いそうだからねぇ…。

この辺は、たとえばアメリカなどではどうしているのかねぇ? 

穏やかに買収だの、意識操作だの、なんて話もあったりするし、陪審員に対するネガティブなアクションが実際にあったりするらしいが、その辺に対する対策なんてのも一緒に明らかにして欲しいトコロ。

ま、現状じゃとても割りに合わない『貧乏くじ』にヒットしちゃった…って感じがぬぐえるだけのモノが無い…って事だな…。

そうした、いかにも「中途半端」な感じで始まってしまう「裁判員制度」なのだが、おそらく頓挫する。年金にしても、介護にしても、詰めが甘すぎたまま始めるのが日本の常なのだから、問題続出…で途中で止めるか、考え直して、仕切りなおす…って事にはなるんだろうと思う。

やるならキッチリ…って事が、だいたい無い。大方が「見切り発車」なワケでね、それらに付き合わされる国民がどう考えているかとか、どう思っているかなんてのは、政府筋としては全く関係無い事なのだ。

で、まぁ、後から担当の大臣だとか、関係者が突っ込まれて大騒ぎになるのだけれど、役人は「とりあえず、やった…」ってだけで評価されるモンだから、細かい事はどーでも良かったりしている。ここ数日の環境省の『クールビズ広告費ぼったくられ問題』にしても然り。「やった…」だけの話で、そこからいかような問題が出たとしてもあまり眼中に無い。責任を問われる事も無いのだから、「やった」だけで良いのである。

てなワケで、例え10年、20年かけても、キッチリと、その他諸々を詰め直してから始めた方が良い制度なのである。でないと、法律、司法、法務と言う、おおよそ一般からは雲の上であろう存在に等しい、最高学府卒は当たり前な連中が…

『バカじゃん、あいつら…』

で、終わってしまうのである。そんなのを、改めてご披露するだけの制度であるならば、国民がわざわざ付き合わされる必要も、また改める事無く、ないんである…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャストミートがもったいない。

2007-06-13 09:23:00 | 我思う、故に書くなりよ。
例の『ハニカミ王子盗聴工作買収失敗事件』で、TBSは改めて問題を掘り下げるつもりは無いらしい…。

まぁ弁護士一家をオウムに売っちまったテレビ局なので、さもありなんだから、テレビ局がどうのこうのはもういい。

ジャストミートで名を馳せた「福澤 朗」と言う逸材がもったいない…。自分の番組でしでかした事件を視聴者に対して「うやむや」で終わらせる他に術も無いと言うのが、番組や局の汚点ではあるものの、司会者としての彼に飛び火するのは間違いないワケで、諸事情のためとは言え、付かなくて良い汚点がついてしまう。

早々に局を諦めて、他に移っても、彼なら存分に視聴者を満足させるだけの技量があると思うのだが、そうしないのはなぜなんだろう…? この局じゃ始めての汚点でもないだろうに…。

単なる雇われアナウンサー…って域を出ないで良い物かどうか、微妙なのだけれど、そうしたトコロから変わっていかないと、TVをメディアとするジャーナリストが全然育たないのである。以前、日本とアメリカでは「キャスター」の意味合いが大きく違う事を書いた。失って欲しくないキャスターの訃報に触れれば、それはそれで大きな悲しみを受けるんだが、日本の「キャスター」の中にそうした人がいるだろうか?

タレントやアナウンサーの域を出ずに、キャスターもどき…を生業にしていいる人は多いけれど、真にその人の口から出る言葉、その人の視線で報じられる映像を共感し、信じられるだけの人物が日本にいるだろうか?

そろそろ、そうした人物が日本に現れても悪く無いと思う。そうした人物の候補として挙げても悪く無いのが彼だとも思う。芸人もどき、タレントとして…って事ならそれでもいいのだが、報道に携わったり、ジャーナリストとしての可能性をも持ち合わせるならば、少なくとも局は選ばないと…。

安心して、なおかつ、信頼して見ておけるTV番組が減っているだけに、残念な話だと思うんだよねぇ…。さて、洗濯でもするかな…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする