山陽新聞ちまた欄に掲載になる飛鳥圭介氏の『おじさん図鑑』は愛読のひとつ。9月8日付の~『影を慕いて』出だしをギターで~には、我が意を得たりと、膝を打って拝読した。
そもそも六十の手習いで本腰を入れ始めた小生のギターだが、数えるほどのレパートリーに古賀メロディーがあるのは、生前の親父の影響が大。
「♪ま~ぼろしの~~~」、親父に一杯がはいり、興が乗ると口ずさむ十八番だった。如何せん当時の小生のギターの腕は心もとないもので、コードで伴奏を付けるのが精一杯だった。今ならもう少しはギターで興を添えることが出来たものをと悔やまれてならない。
親父への鎮魂歌のつもりで真っ先に取り組んだのが「酒は涙か溜息か(昭和6年)」「影を慕いて(昭和7年)」「湯の町エレジー(昭和23年)」「悲しい酒(昭和41年)」など。ろくに親孝行もできなかったせめてもの罪滅ぼしに、親父に捧げるつもりで爪弾いている。
まさに『孝行のしたい時分に親はなし。さればとて石にふとんも着せられず』の心境。(お断り:facebookに同文掲載)
そもそも六十の手習いで本腰を入れ始めた小生のギターだが、数えるほどのレパートリーに古賀メロディーがあるのは、生前の親父の影響が大。
「♪ま~ぼろしの~~~」、親父に一杯がはいり、興が乗ると口ずさむ十八番だった。如何せん当時の小生のギターの腕は心もとないもので、コードで伴奏を付けるのが精一杯だった。今ならもう少しはギターで興を添えることが出来たものをと悔やまれてならない。
親父への鎮魂歌のつもりで真っ先に取り組んだのが「酒は涙か溜息か(昭和6年)」「影を慕いて(昭和7年)」「湯の町エレジー(昭和23年)」「悲しい酒(昭和41年)」など。ろくに親孝行もできなかったせめてもの罪滅ぼしに、親父に捧げるつもりで爪弾いている。
まさに『孝行のしたい時分に親はなし。さればとて石にふとんも着せられず』の心境。(お断り:facebookに同文掲載)
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