<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

嫌われ役を買って出ているキャラクター鬼さんは偉い

2018年01月29日 05時18分51秒 | Weblog

今日は月曜日。週が改まっている。後残る三日で一月は終わる。さあどんな二月が待っているだろうか。ニコニコ顔をしてくれていますように。二月すぐに節分祭り。豆撒きの豆は神社参拝の時に買ってきている。どうして鬼は外の祭りになったのだろう。流行病を鬼に見立てたのだろうか。退治させられる赤鬼青鬼さんは、その役目を引き受けてくれた。だったら、報償ものではないか。豆をぶつけられてたんこぶを造るほどのヤワとは思えないが、診療所で擦り傷切り傷治しの軟膏でも塗って進ぜたいもの。

ところで、鬼さんの特徴はその角。尖った2本の角。左右の額から飛び出している。人間でも角を出すことがある。腹を立てたときだ。自制心を失った時だ。人に襲い掛かる時には角が生えてくる。そうしないようにという戒め役のキャラクターにも鬼さんが登場する。嫌われ役を買って出ている鬼さんさんは偉い。節分祭りが過ぎたら、甘酒を振る舞って癒してあげねばなるまいて。

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やさしく見下ろす手が冷えた樫の木の棒をやさしく摩っている

2018年01月29日 04時49分35秒 | Weblog

しばらく眠れた。もうすぐ5時というところで目が覚めた。体内ダム湖が満水したからだ。夜明け方は冷える。たった廊下を少しだけ歩いただけなのに、足裏が冷たくなっている。裸足だからか。家の中では靴下を履かない主義。慌ててお布団の中に潜り込んだ。電気毛布にあたたまる。ベッドは、便利。でも寝癖が悪くて、布団類がずり落ちそうになる。夜中何度も引き摺り上げる。

麻痺の左脚は樫の木の棒になっている。筋肉がまるでない。おまけに血流が悪くて、冬場は鉄の棒になる。死人の足のよう。冷たい。摩ってやる。やさしく見下ろす我が手がやさしく摩っている。電気毛布は慈悲深い。温めに掛かってくれる。

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目を閉じて眠ろうとするのだが眠れない さあどうしよう

2018年01月29日 01時33分21秒 | Weblog

目を閉じて眠ろうとするのだが眠れない。さあ、困った。眠られないのなら、灯りを点けて起きることにした。さてここからどうしよう、でも。

一人の部屋での寝起きである。どうしていたっていい。自由裁量である。強制はされない。起きていなければならないということもない。寝ていなければならないということもない。好きにすればいいのである。その好きが曲者なのだが。

取捨選択をして今は起きていることにする。目を開けている。ものを見るために目を開けているのではない。目が寝てくれないために起きているのである。司令塔の頭も起きている。開店している。店先にものを列べている。この真夜中に立ち寄る人はいない。しかもここは奥深い山里である。静寂が支配している。彼がここの支配者だ。

真夜中は冷え込む。出している腕と手指が寒い。仕方がない。明日のことでも考えてみるか。明日は何をしよう。何をして生きていようか。楽しむべきことはあるか。ないなら、あるようにすべきである。

明日こそ詩を紡ぎたい。一篇の詩を紡ぎたい。題材はあるか。長い年月を生きてきたのである。多くを見聞きしてきたはずである。材料が不足しているとは思えない。それを切って刻んで鍋に入れよう。グツグツ煮込んでみよう。いい味を出す茅の舎の出汁の元はあるか。そんなものは借りるな。あくまで自主創作しろ。

そうだ! サイクリングに出たらいいのだ。寒いなら手袋をして、マフラーを首に巻いて。ペダルを踏んで漕いで漕いで、城原川の川土手を南下しよう。するうちに汗を掻くはず。川土手にはそろそろ菜の花が咲き出して来る。

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得ていることに手が合わさるのは失ってからのことである

2018年01月29日 00時45分30秒 | Weblog

失うと有り難さが分かる。不自由するとその価値に気付く。手が使えなくなると、手の存在が蘇る。眼鏡を置き忘れると目が見えることの重大さに至り着く。歩けなくなると途端に歩けたことへの感謝が味わえる。なくなった後で気付くことが多い。幸福もそうかもしれない。不幸になってやっと気付くもの。貧しさもそう。平和の有り難さもそう。いのちもそう。死んでからでないと生きていることの大切さを見抜けない。

目が見える。耳が聞こえる。口でものを食える。足で立てる。歩ける。走られる。でもそれは、それができなくならないと、実感できない。不自由しないと自由を尊重できない。健康もそう。病気になって初めて健康が見えてくる。

どっちがどっちなのだろう。失うことが優先事項なのだろうか。得ることが優先されるのだろうか。得ていることに手が合わさるのは失ってからのことである。

ときどき失ってみる機会に恵まれるといいのかもしれないが、好き好んで不幸になる者はいない。好き好んで病気になる者もいない。好き好んで障害者になる者もいないが、なってみると、そこが幸福のど真ん中であることが知らされて来る。不思議不思議不思議。あることはないことで証明される。そこでやっと喜びが沸き上がる。グツグツ沸き上がる。

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いのちの芯があたたまるにはどうすればいいのかなあ

2018年01月29日 00時27分14秒 | Weblog

いのちの芯があたたまる詩がありそうな。いのちの芯があたたまる歌がありそうな。いのちの芯があたたまる絵がありそうな。詩でもいい、歌でもいい、絵でもいい、傍に来て、温められたい。温めてくれる人がいてくれたらよさそうな。

いのちの芯があたたまるにはどうすればいいのかなあ。酒はどうだろうなあ。旅に出るのはどうだろうなあ。お寺だとか神社だとか教会だとかへ行くのはどうだろうなあ。頬を伝う涙は温かいなあ。そういう涙を零すにはどうすればいいのかなあ。

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おやすみなさい もうやすみます

2018年01月29日 00時10分30秒 | Weblog

みなさんおやすみなさい。もうやすみます。寝て起きて寝て起きて寝て起きている内に朝が来ているだろう。子守唄ならぬ爺守唄というのはないか。ないなあ。なくてもやすまなくちゃならないね。爺さんのための夜伽噺というのはないか。それもないなあ。

一人で寝る時にゃよー、膝小僧が寒かろう。そういう加藤登紀子さんの歌謡曲があったような。形のある膝小僧は電気毛布で温められるけれど、形を持たぬ膝小僧が寒がるなあ。老いてくれば、いのちの芯が冷えるなあ。しんしん冷えるなあ。

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美人だった人も例外なく

2018年01月28日 23時38分10秒 | Weblog

シワシワ。老いるとシワシワ。美人だった人も。例外なく。美男子も跡形なく。今日のお寺参り。お堂に座って列んでいる人はどの人もどの人も。シワシワシワシワ。皺は老いの勲章か。シワシワもそれなりに美しい。かって満ち満ちていたことの証しだものなあ。

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小松菜の胡麻和えが美味しい 意外と柔らかだし

2018年01月28日 23時30分58秒 | Weblog

我が家の畑には小松菜がふんだんにある。栄えている。豊かな葉をつけて伸び伸び伸びて、元気色をして、青々。根も深い。朝のお粥に、小松菜の胡麻和えを載せて頂いた。根元近くの茎はシャキシャキ。歯応えがあった。日本には美味しい野菜があるもんだ。

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朝が来ているかとおもったのになあんだまだ今日か

2018年01月28日 23時22分19秒 | Weblog

まだ、今日のうちだった。11時20分少々。なあんだ、と独り言。年寄りは夜が長い。とりわけ冬の夜は。時間を折り畳むということはできぬものか。二つ折り三つ折りしたら、一分で夜明けなのになあ。

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詩はとうとう紡げなかった

2018年01月28日 23時16分20秒 | Weblog

蜘蛛は毎朝必ず紡ぐのになあ。

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