<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

調子に乗って飲むからこんなことになる

2018年01月30日 23時18分35秒 | Weblog

やっとやっとアルコール分が抜けた、ってところかな。苦しかった。調子に乗って飲むからこんなことになる。後遺症負担分がタイヘン。よろよろしながら、お風呂に。すぐに上がってきた。頭が痛い。晩ご飯はとうとう食べられなかった。同級生との話は楽しかった。喧嘩もしないですんだ。5時間いっしょにいた。

ベッドに入った。さあ、やすもう。

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同級生7人との昼間の同級生会 飲んだ飲んだ

2018年01月30日 20時14分05秒 | Weblog

いやあ、飲み過ぎた。頭ががんがんする。ビール、日本酒、芋焼酎と煽った。同級生7人との同級生会。みんな元気だった。福岡から2人が駆け付けていた。懐かしかった。5時間、飲み続けた。酒の量が凄かった。話も弾んだ。楽しい会だった。夕方帰宅。それから轟沈。炬燵に座った姿勢でぐうぐうぐうぐう寝た。頭が痛い。夕ご飯は食べられない。パスした。ひたすら回復を待っているところ。部屋が酒臭い。まだ、お風呂に入るのも無理だ。年相応に、セーブすればいいものを。

同級生で最近亡くなった人たちのことが話題に上った。死なないでいることを噛みしめた。いつまで生きられることやら、という不安感も互いに隠せなかった。

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昨夜は重苦しい夢のオンパレードでした 呻き疲れました

2018年01月30日 10時08分12秒 | Weblog

おはようございます。寒い朝です。いつもいつも寒い朝です。真冬ですからね。しょうがありません。日も射してきません。気温も上がりません。畑には雪が積もっています、パラパラパラとですが。霜のようでもあります。

昨夜は重苦しい夜を過ごしました。わたしの過去の悪行がドラマになって映し出されました。よくもまあこれだけ悪いことをしたもんだとあきれかえりました。わたしに気付かれていない悪行シーンも次々に露わになります。蛇蝎の如し、と親鸞聖人はご自分のことを述べておられますが、まさしく反吐(へど)が出るほどのわたしの蛇蝎ぶりでした。夢の中で呻きました。これじゃ、とても、すまし顔で念仏なんか称えられる自分ではないなと観念しました。今の自分が人間擬態に思えました。

夢で疲れました。夢の作者はわたしだったのかもしれませんが、自己呵責に苛まれます。自己嫌悪の深い穴に落ちていきそうです。

今日はお昼に同級生会が組まれています。久しぶりの久しぶりです。近いところで暮らしている同級生仲間です。ついせんだって、中学校の時の同級生が嫁ぎ先で亡くなったことを知りました。発病してまもなくで他界したようでした。みな大なり小なり病気を抱えています。次はわたしの番かな覚悟をしておく必要に迫られます。そんな話になるでしょう、今日も。

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彼らの禅の修行は桁外れだ 忍耐強い

2018年01月29日 11時24分43秒 | Weblog

さて、思い切って外へ出てみよう。畑を覗いて回ろう。風に吹かれながら。家の中ばかりは退屈だ。じゃ、まず着替えようか。それにしても、外はずいぶんと風が吹き荒れているなあ。寒いだろうなあ。冬の一月。寒いのは覚悟をしなきゃ何も出来ないよ。は~い。畑の野菜なんか寒さが押し寄せようとも、ムの字にして腕組みをして、じっと耐えているじゃないか。だよなあ。彼らの禅の修行は桁外れだ。

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空は鈍い重たい色をしている

2018年01月29日 10時13分26秒 | Weblog

午前10時を回った。日は射して来ない。空は鈍い重たい色をしている。風がある。枯れた苦瓜の蔓が糸のようになってひらひらと、花桃の木の枝から宙を舞っている。畑のブロッコリーの大きな緑色の葉っぱにヒヨドリが来て啄んでいる。大挙して来る。彼らは食欲旺盛で、豊かな葉もたちまちのうちに網の目状になる。することがない僕はそれをぼんやり眺めている。追いやる気持ちも動いてこない。サイクリングに出て行く計画があったのだけれど、計画倒れにする。寒い。ジョウビタキもやってきたぞ。こちらは庭に下りている。尻尾を細やかにちっちっちっと振っている。詩は今日も紡げない。

 

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そこになければわたしの目には見えてこない

2018年01月29日 09時57分36秒 | Weblog

水に月が映る。水の月は、空にあるときと同じくらいに美しい。空にもある。水の中にも在る。在るというのは、しかし、別々の有り様をしている。しかし、そこになければ、わたしの眼には見えて来ない。空の月も水の月も。

水の月を掬い上げようとしても、それはできない。掬っても掬ってもそこに在るだけである。減りもしない消えもしない。大きくも小さくもならない。

わたしのこころにも月が映っているだろうか。水の月と同じように。わたしのこころの中にゆたかな水が在ればそれは映るはず。美しく映るはず。丸く大きく黄金色をして。

では仏はどうだろうか。わたしのこころに仏は映っているだろうか。映っていてもわたしはそれを掬い取ることは出来ないだろう。そこに映しているだけだろう。

月のような丸い大きな黄金色の仏をわたしの中に映し出して、それでもう満ち足りていていいに違いない。水の中に映っている月を映し出している水のように。

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高齢者はみなさんそうなのかもしれませんね ラスト

2018年01月29日 09時46分29秒 | Weblog

なんだか愚痴っぽくなってしまいました。「小人閑居して不善を為す」の喩え通りです。淋しいというのは感情です。わたしの全体ではなく、わたしの感情が、淋しがっているのです。そこへ感情を向けないようにしていればいいのかもしれません。いつものようにバイオリンの名曲集を聴くことにします。

淋しい日暮らしを送るというのは、ただただわたしのこころの貧しさのせいかもしれません。人格者であればもっとあたたかくしておられるはずです。わたしの心得違いというところに起因しているのかも知れません。

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高齢者はみなさんそうなのかもしれませんね その3

2018年01月29日 09時44分59秒 | Weblog

それでは少し淋しくもあります。それも贅沢と戒めています。自戒します。それというのは、淋しさを埋めることです。老いたらいつも淋しいのが当たり前のはず。それ以上はみな贅沢なのかもしれません。

その代わり、何をしてもいいという自由がふんだんにあります。寝ててもいい、起きててもいい、家の中にいてもいい、外に出てもいい、帰ってこなくてもいい、いつ死んでもいい。いいこと尽くめです。

 

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高齢者はみなさんそうなのかもしれませんね その2

2018年01月29日 09時43分17秒 | Weblog

夫婦は元は赤の他人。助け合う他人同士が寄り添って暮らしているだけのことなんですけどね。いまもわたしたちは、修行僧尼僧のごとくにして暮らし、お互いの手に触れるというこすらありません。部屋も別々。台所で顔を合わせるぐらいです。

でも、朝昼晩の食事の世話をして貰えます。洗濯もして貰えます。掃除もして貰えます。できるだけぶつからないようにしています。相手の機嫌を損ねないように距離を十分にとって。無用の諍いを起こさないように努めて。高齢者ですから、意外とみなさんそうなのかもしれませんね。いや、中には、僅かな距離も置かず、とっても仲睦まじくしておられるところもありますけどね。

 

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高齢者はみなさんそうなのかもしれませんね その1

2018年01月29日 09時11分28秒 | Weblog

おはようございます。もう、しかし、遅いですよね。9時を回りました。さっき起き出して朝ご飯を食べました。鰹節をまぶした高菜の一夜漬けをご飯に載せて。ご飯は茶碗に半分ほど。白菜と茸の味噌汁も啜りました。

家族だからしてもらえんるんですよね、無料奉仕で。しかもそれをそれとも思わないで。レストランだったら、ご飯も味噌汁も値段表がついていてその代金を支払わなければならないところ。家内はわたしよりも早く起き出して台所に立ちます。それが当然のようにして。わたしもまた食べるのを当然のような顔をしながら。

 

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