うまくいったときに、われわれはよく「憑いているなあ」という。そういう表現をする。では、何が憑いているのだろう? その「憑きもの」の正体は何? 適格には掴めない。でもともかく目覚ましくいい方向へ動いていく。幸運としかいいようがない。
たぶんそれは後方でいわゆる「正義の味方」に回ってくれている何物か、だよね。目には見えていないかも知れない。あまりにも誠実な、健気な、一途な生き方暮らし方をしている人を見て、もうじっとしていられない、後方支援をしたくてたまらない、守りたい、背中を押したいというふうになるのだろう。この空間にはたしかにそういう意思を持つ「大いなる存在」「善なる存在」が、いるんだろうねえ。いるように思える。
「憑かない」ともいう。逆のケースの時だ。何をやっても巧く行かない、そういう時がある。「おれは憑いていないなあ」と嘆く。がっかりする。肩を落とす。決まって、背後に応援部隊を感じないときだ。前方に導き手を得ないときだ。ギャンブルで大負けしたときなどにそういう台詞が聞かれる。
なんだろうね。憑くとか憑かないとか。そういうふうに感じているだけだろうかね。其れは単なるフィーリングなんだろうか。己の努力はしないでおいて、それを当てにするだけではいけないだろうけど。神の加護を願って祈る、祈りは世界中何処ででも行われていることだ。祈ると言うことは、そういう摩訶不思議な、得体の知れないパワフルな存在の援護を請うことでもあるのかもしれない。
「ああ、自分はいつも憑いているなあ」という実感をもって暮らして行けたらいいだろうなあ。「導き」「後押し」、目に見えない援護パワー、それを己の全方位にムズムズと感じて。
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