<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

トンボの愉快と全体の愉快。

2022年08月22日 16時55分40秒 | Weblog

すいすいと飛ぶ空間を飛び得ざるいきものどもはトンボ恋ひ恋ふ

    山鳩暮風

 

空間はすいすいと、すいすいすいと飛ぶためにある。はずである。だがそれをそうできないいきものもいる。たしかにいる。トンボはそれができる。トンボになりたいと思う。恋い焦がれる。

 

可能なものと不可能なものとが、此処では共存している。

 

すいすいすいと飛び回れない多数が、飛び回れずに、地上で蹲る。

 

トンボが願いを叶えた代表者として、すいすいすいと飛んでみせる。トンボのその愉快を、全体の愉快とすればいいだけの話なのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この世を生きるすべてのいのちと触れ合いたくなる。

2022年08月22日 16時45分04秒 | Weblog

生きているうちしか句を作れない。

作らなくたっていいのだが。

句の中に情がある。

人間の情に、あたたまりたくなる。

風景が、そうしないでいると、知らん顔をしてしまうのだ。

なんだか、関係を作っておきたくなる。

句を作って風景に触れてみる。

その手触りで、生きている感覚を確かめようとする。

句にはヘタとウマイがある。

相手に伝わらない句がヘタの句である。相手にするすると伝わって電流が流れ込むのがウマイの句である。

結局は、交流を欲しがっているのだろう。風景との交流と読者との交流を。

手と手ですべてのいのちと触れ合いたいのだろう、とどのつまり。

蟷螂の斧をかざして我を止む     山鳩暮風

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三尺のお下げ髪なりササゲ豆  わたしの落選の句、これもまた。

2022年08月22日 16時31分25秒 | Weblog

三尺のお下げ髪なりササゲ豆     山鳩暮風

申し訳ない。これも落選の句。入選の句がないからいたしかたもない。

句が醸し出す風景のうちに情を感じられたら、句が成立する。そんなふうに思っているのだが。それが難しいのだ。

三尺ササゲ豆が畑に実っている。名が示すとおりこの豆は三尺の長さになる。蔓が竹棚を這い回る。棚からお下げ髪のような細く長い豆を垂らす。豆は緑色をして幼く鮮やかである。それが、お下げ髪をしている初々しい少女のように見えて来る。

みなこの世でいのちを繋いで生きている。人間の少女だろうと植物のササゲ豆だろうと、そこは同等同質だろう。幼いときには幼くして時を過ごしている。

見過ごされてしまう風景の中に、句を発見しようとしているのだが、徒労に終わったようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間が好きな燕の無人駅 わたしの落選の句。

2022年08月22日 16時04分44秒 | Weblog

人間が好きな燕の無人駅      山鳩暮風

またまたわたしの落選の俳句である。

☆ 

燕は人間が好きだ。人間のいるところに巣を作る。巣は蛇や鼬や烏に狙われる。燕は賢い。人間が守ってくれることを知っている。古くなった小さな無人駅がある。ここで乗り降りする人は少ないけれど、入口の天井近くに巣を作っている。こうやって人間を待っている。朝方、7時。人が電車に乗ろうとして走って来た。燕が嬉しそうにして頭上を舞った。

そんな風景を句にしてみたのだが、無理があったのであろう、伝わらなかったようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしはまだ少年でいるしかない。

2022年08月22日 15時34分10秒 | Weblog

「偶成」  朱子

 

少年老いやすく学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋声

今日の詩吟教室は七言絶句のこの「偶成」の詩だった。

いつまでも少年ではいられない。またたくまに老いて老いてしまうが、若くして為すべき学問は遅々として進まない。与えられている時間を有効に使ってひたすら学問を追究すべきだという思いが増すばかり。池の周りに柔らかな草が伸びている春に夢見ていた夢が実現を見ないのに、堂に上る階段の前の青桐の葉には秋風が吹いてからからと乾いた音を立てている。無為のうちに、あたら人生が易々と暮れて行くばかりだ。

 

☆ わたしが高校生の頃に国語の授業でこの詩をお習いした。あれから60年の月日が流れている。

学問が少しも進まなかったので、わたしはこの通りまだ少年でいる。幼い少年のままだ。悔いているのは老醜を曝しているわたしの形骸である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ついに畑に出た。日中の暑さにもめげずに、草取り作業をした。

2022年08月22日 15時20分22秒 | Weblog

暑い昼間の2時から夕方の6時半まで畑に出て草取りをした。畑に出たのは2ヶ月ぶりだった。熱射病症状になら内容に、水分補給を怠らなかった。

☆ もうすぐ秋野菜の種蒔きをすることになる。それまでに土を耕して、肥料をして、土を肥やして整えておかねばならない。

☆ 畑はおもいっきり伸び伸びと夏草が繁茂していた。わずかな面積しか草取りができなかった。それでもそこだけは耕せるようになった。

☆ 汗を掻いて、着ている下着が汗でびしょ濡れになった。それでもそれが爽快だった。

☆ これだけ老いているのに、今年もまた農作業に取り掛かることができたことが嬉しい。

☆ 秋野菜の大根、白菜などの種を蒔いて、土に親しんで、土に生きる植物のいのちを喜ばせつつ、栽培を楽しんで、冬を迎えようと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしの今日の即興詩 「願い」

2022年08月22日 15時06分53秒 | Weblog

わたしの今日の即興詩 「願い」

 

この世を生きて/そこに共に生きる他者に/悲しみを/与えるよりは/この世を生きて/他者に/大地を流れる川のような喜びを/与えられるようでありたい/わずかのわずかであろうとも

 

この世を生きて/そこにともに生きる他者に/苦しみを与えるよりは/この世を生きて/他者に/青空のような愉快を/与えられるようでありたい/わずかのわずかであろうとも

 

この世を生きられたのだから/この世を生きられる者でありえたのだから/この世を生きられるすべての条件を/満たしてもらっていたのだから

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

互いに利益し合う共存共栄の共生関係が生物進化の鍵となる。

2022年08月22日 14時56分28秒 | Weblog

我が家の庭の松が枯れてしまった。松食い虫のせいのようだ。虫は寄生して、寄生主をも枯らしてしまう。枯れたら、虫はそこを出て別の松に移動しなければならない。これはよい進化とはいえない。共生できたら、いつまでもそこにいられるのに。片方の利益だけで、依存関係が終わりとなってしまう。やはり互いに利益を与え合う関係の構築こそが、進化の鍵を握っているようだ。

コロナウイルスもこの共栄共存関係にいずれ進んで行くことだろう。

枯れた松は、チェンソーで切り倒してもらった。父の代からの見事な松が終焉を遂げた。悲しいことだ。

この世を生きて他者に悲しみを与えるよりは、この世を生きて喜びを与える方でありたいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家の庭にブーゲンビリアが咲きました

2022年08月22日 13時05分43秒 | Weblog

我が家のこの夏の、赤いブーゲンビリアが咲きました。2輪だけ。嬉しい。

 

沖縄の夏になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする