<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

脅すのは宗教ではない。宗教は無有恐怖(むうくふ=恐れがない、恐怖心のない)である。

2022年08月14日 10時55分03秒 | Weblog

脅すのは宗教ではない。

仏陀は人を脅さない。

人間界でしか通用しないお金を差し出せとは言わない。それを欲しがるのは人間界の煩悩組織である。組織は騙すことに長けてくる。

脅したり罰を与えたりするのは人間界のみ。

仏のいます世界ではそれがない。

それがないところが仏の世界である。

地獄はない。あるのは人間界の地獄である。

煩悩も悪行も、罪も罰も、人間界で終わりだ。

仏の国、仏国土には、人を裁く閻魔大王はいない。仏陀しかいない。

10

安心していい。やすらぎを与えてくれるのが仏さまだ。

 

 

これもわたしの仏教理解である。仏教は何処までも何処までも安心の世界である。救われていく世界である。煩悩に逆戻りするところではない。

 

無有恐怖(むうくふ)。恐怖有ることなし。涅槃寂静、こころの平和平穏を説いているのが仏教である。

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ヘチマの初収穫

2022年08月14日 10時44分12秒 | Weblog

今年の初なり。我が家の畑の、初なりの糸瓜。

 

これは食べられる糸瓜。

仏壇にお供えした。

 

ヘチマちゃんぷるにして頂く。

 

やや、癖があるがおいしい。

 

沖縄あたりでは郷土料理らしい。

 

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お萩が出来上がった

2022年08月14日 10時27分27秒 | Weblog

今日はお盆。お盆の中日。

 

午前中に、小豆たっぷりのお萩が出来上がった。

ご先祖さまご到着の仏壇に、できたてのお萩が供えられる。

 

湯気の上がるお萩を。

 

ああ、そろそろ萩の花が咲くころだ。

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両岸に咲く鬼百合の群落の揚羽蝶多く川を行き来す

2022年08月14日 10時04分53秒 | Weblog

両岸に咲く鬼百合の群落の揚羽蝶多く川を行き来す      山鳩暮風

 

 

わたしの短歌。この作品が、S新聞読者文芸短歌部門、松尾選で入選を果たしていた。この選者からはこれまで、なかなか入選が得られていない。で、余計嬉しくなった。

 

夏の城原川が流れている。水量はそれほど多くない。川面がきらきら光っている。土手に夏草が茂る。土手草の草丈を抜いて鬼百合が伸び上がるようにして咲き誇る。群落が両岸のあちこちにある。

 

鬼百合は揚羽蝶が好きな花。一つの茎に花房が幾つも連なる。10花瓣をつけているのもある。花びらはみな後ろに反り返っている。雄蘂雌蘂が前方に突き出ている。揚羽蝶は蘂の色に染められる。

 

群落が、川の長さに続いているので、揚羽蝶は忙しくなる。両岸をしきりに行き来することになる。ひらひらひらひら、揚羽蝶が川面の上空を飛び交う。いかにも山里らしい風景が夏の間見られる。

 

 

ところが、夏場はここらは痴漢が出没する。痴漢防止作戦が実行される。土手道を覆い尽くす川岸の夏草は、ある日突然、4輪の草刈り機械で、またたかくまに刈り取られてしまう。鬼百合の群落も切られてしまう。

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赤ん坊ニコリ買い物客ニコリ わたしの川柳

2022年08月14日 09時47分24秒 | Weblog

赤ん坊ニコリ買い物客ニコリ        山鳩暮風

 

 

わたしの投稿した川柳が、なぜか入選していた。落選の山があまりも高くなっていたので、もう駄目かとあきらめていたところに。

 

わたしはお爺さん。もうすぐこの世を去ることになっている。で、これからを生きて行く赤ん坊に目が行く。見て、赤ん坊にはち切れているのエネルギーを称賛する。赤ん坊は生きているエンジェルだ。

 

スーパーで買い物をしているとお母さんの背中や胸や、ベビーカーの中から、その宝石の赤ん坊が笑いかけることがある。ニコリ。ニコリのダイナマイトが瞬間炸裂する。

 

で、こちらもニコリとする。元気を頂く。お母さんに気付かれないようにして手を振る。もう一度ニコリをしてくれる。

 

それだけのことなんだが、過ぎ去って行っても、この日がビッグデイに思われて来て、思い出し笑いをして、寝覚めて、またニコリとする。

 

赤ん坊は偉大なり。ニコリの和顔は大いなる布施の菩薩行なり。意図なくしてこれを行う。

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植物は、夏を元気いっぱいに過ごしている。

2022年08月14日 08時05分47秒 | Weblog

裏の畑の、三尺ささげ豆、棚に垂れ下がる。

 

植物は元気いっぱいだ。

毎朝毎朝収穫。

 

食べきれない。

 

まわりは薩摩芋の畑。これも元気いっぱいだ。

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カタツムリ這う雨上がり

2022年08月14日 08時02分13秒 | Weblog

カタツムリ這う雨上がり。

ノロノロのろりと、ニガウリ棚を這い上る。

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にっこりの夕焼け雲がある。

2022年08月14日 07時07分28秒 | Weblog

にっこりの夕焼け雲にお辞儀して少年野球練習終わる     山鳩暮風

 

 

これがS新聞の、昨日の朝刊の読者文芸欄で2席入賞していた。入賞なんて何年ぶりだろう。歌が映し出す風景を眺めて下さったのであろう。

 

 

選者評にこうあった。

 

練習風景ではなく、練習を終えた少年たちの「お辞儀」に目をとめて一首に仕立てた。きびきびした少年たちの動作に作者も元気をもらった気分だろう。練習を終えた清々しさと充実感が「にっこりの夕焼け雲」で巧みに表現されている。

 

 

にっこりの夕焼け雲。そういう夕焼け雲に出遭う。夕焼け雲の下で少年たちが野球に興じている。練習が終わった。にっこりしてお辞儀をしている。こちらもついついにっこりとなる。

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これはわたしのわたし流の仏教理解である。

2022年08月14日 06時52分23秒 | Weblog

わたしはわたしなりの仏教を理解している。

 

あくまでこれはわたしの表面的な仏教理解である。

 

だからもちろんのこと、深奥の仏教理解ではない。

 

わたしはこのブログでさまざまに仏教を題材にして書いている。書いて、わが独断と偏見の迷路を歩いている。

 

だから、このブログを読んで下さった読者諸氏の参考になれるものではない。

 

読者の一人一人は一人一人の自由な仏教理解があるはずである。

 

 

わたしはわたしの歩みを進めていきたい。

 

仏陀の教えを聞いて、導かれて、守られて、一歩一歩を歩んで進んで行きたい。

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今日はお盆の中日。

2022年08月14日 06時36分02秒 | Weblog

今日はお盆の中日である。

 

往生浄土されていったご先祖様の在りし日を懐かしむ日である。

 

この人たちがなかったならば、わたしたちもなかったからである。

 

ご先祖様が、わたしたち子孫になされたさまざまな功徳回向(くどくえこう)を賛嘆する日である。

 

賛嘆ができたならば、次には施餓鬼(せがき)をすることになっている。

 

施餓鬼は、この世を苦しんで生きているこの世の餓鬼に布施の思いをめぐらすことである。

 

この世の餓鬼とは誰か。わたしのことである。わたしを仏にすることが布施である。餓鬼の思いに囚われて生きているわたしを救出することである。

 

わたしはこのようにお盆を考えている。

 

死者を弔う日ではない。

 

死者は死んで即時に往生浄土、往生成仏を果たしている。地獄の釜が開くのは、わたしの煩悩の煮えたぎる釜が開くということである。

 

開いたらどうなるか。寂滅寂静の涅槃が、この世に出現するのである。

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