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鹿島祐徳神社に初詣する

2018年01月14日 15時51分18秒 | Weblog

鹿島の祐徳稲荷神社に初詣をして来ました。正月明けて今日はもう14日になっているのに、なんと初参賀の参拝客の多いこと! 長い列を忍耐してやっと神殿に辿り着けました。みなさん神社神宮の初詣をしないと、なんだか新年が迎えたという落ち着きが出て来ないのでしょうね。車のナンバーを見ると遠いところから来られています。

振鈴をならし二礼二拍手一礼するのに、1,2分。神々をそこに見立てて問い掛け、語り掛けます。「(罪や穢れを)祓いたまへ、(新しい神霊でもって心身を)清めたまへ」とお祈りし、最後に「世界中の民幸いたまへ、国幸いたまへ、神々幸いたまへ」を言って結びます。そしてたちまちにその願いが叶ったような感じになって、玉砂利の上で清新溌剌となります。

日本の神々はその前身は我々と同じ普通の人間です。それが何かの事情があって神聖化されると途端に神格がつきます。おろがみたてまつられると位がとんとん拍子に上がります。八百万(やおよろず)の神々がいらっしゃいます。人間以外でも神々になれます。動物植物なんでも神聖化されます。木も岩も山も神として崇められます。

神々はどうもアセンデイッド・マスターズ(向上を果たした導き手)やハイヤーセルフ(より高くなったわたし自身)のようです。彼らは生まれ変わり死に変わりして次第次第に進歩向上をしていきます。そしてその都度、多くの先輩格の神々の助けと導きを得ながら、輝きを増していきます。輝きが最高潮に達するとそこから神々に化身します。他者を救済する能力・利他の能力が極度に高くなります。スーパーマン化するのです。

・・・子供じみていますが、わたしはそういう理解をしています。あくまでこれはわたしの邪推です。

神殿にあるのは鏡です。鏡にはわたしが映っています。成長を遂げていくわたしを拝んでいるのです。わたしが成長を続けていくとやがて神々の一人になって行くのです。明るい温かい楽観主義の発想、楽しい楽しい日本の童話的発想ですよね、これは。

あ、今日は神宮の上、山の背後の高い天空からまばゆいばかりの光の雲が降りて来ることはありませんでした。しばらくそれを期待して眺めていましたけど。期待だけに終わりました。

日本の神社神宮という場所は不思議なところです。なんとも清々しいところです。神を感じさえすればいいのです。

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