特別支援学校の中で、「職業科」や「産業科」と言われる
卒業後の就労を 目標にした学校についての
批判や意見を 頂きました。
主な ご意見は
1 障害がある子どもは それぞれにあったペースで学ばせるべき。
特訓など すべきではない。
2 就労を目的とした学校の存在意義が疑問。
3 子どもたちが 教員の指示に従って動くロボットのようで、軍隊ではないか
主に この3つでした。
私の 次男が 高等特別支援学校に 入学を希望したのは、親や先生の押し付けで無く、
自分で 見学や 体験入学や 説明会に 何度も参加し、すべて理解いたうえでのことでした。
初めての説明会には、募集人員54名の所に、400名もの 希望者が
詰めかけました。学校側が カリキュラムや、学校の授業内容、
入学資格として「知的障害をもつ子どもの学校」であるので、障害者手帳が
必要である事を 説明した時点で、様々な質問が相次ぎました。
2回目の説明会では 半数の200名、
その後 体験入学や 説明会が 続くうち、参加人数は どんどん減っていきました。
受験当日は、あれほどいた志願者は、驚くほど少なくなっていました。
受験を あきらめた方の多くが 抵抗を示したのは、
「自力通学」「障害者手帳の取得」「朝7時、遅くとも7時半までの登校」
それと「携帯電話の所持禁止」でした。
我が家の場合、将来を見越して、苦手な乗り物に乗れるよう
幼児期から 修行していましたし、新しい行き先への行き方を教えれば
それでいいだけですから、親も子も大変な事とは 感じませんでした。
説明会や 体験入学の時も、親子で公共交通機関を使い、駅からは
30分ほど歩きました。
必要な書類等を 受け取ったり、記入の仕方を聞くために 私も行きましたが、
本人は 親と歩くのが 不本意のようで、さっさと歩き、私は置いてきぼり、という事が
しょっちゅうでした。
携帯電話は 子どもが料金を払えるまでは、持たせる気がなかったので、
逆に説明会で「他の子はみんな持ってるんだ」と知ってから、
しつこくねだられました。携帯代を捻出する余裕がないので
それを説明して放っておきました。学校の友人と固定電話で話すのが
不便だったようですが、それもいい経験だったと思います。
朝早い登校をするには、朝の早起きが不可欠で、バスの本数が少ない場所に
住んでいたので、本人はかなり気をつけて 遅刻をしないようにしていました。
通学にかかる時間が長いので、寮に入る事も勧められたそうですが、
入学前の何回かの面談で、本人が「家から通うので、寮には入りません」と
宣言したそうなので、私は「子どもの希望通りにしてください」と伝えておきました。
一時間半以上かかる通学時間、学校についてすぐに支度して 朝のランニング、
その後の授業。普通の椅子に座ってする授業だけでなく、立ったままの作業も
何時間もありました。危険な器具もあるので、先生の指導や指示に従えなかったら
怪我や 事故につながります。
そうした生活の中で、友人との楽しい時間もあり、今まで使うことのなかった
体の使い方を知ることで、得られたものは大きかったと思います。
私の子どもが 一番苦労したのは、知的に遅れがあったことで、
学習に 他のお子さんより時間がかかったことです。
授業を一回受け、テキストやプリントを見るだけでは 理解ができず、
テストの点数が悪い科目もあったのですが、
親に泣きつくことも 報告もせず、担任の先生に
「自分は一回では 覚えられないから、わかるまで教えてほしい」と
お願いし、その後の再テストでは 良い点数を取ったそうです。
私は そのことを全く知らず、先生との面談で 教えていただきました。
おそらく 同級生の中で、知的な能力は 一番低かったと思いますが、
努力を続け、叱られても めげずに 頑張れたのは、
「自分が選んでここに入ったんだ、入学したんだから 絶対に卒業して、
就職もするんだ」という 気持ちがあったからだと思います。
虚弱で、睡眠障害もあり、小学校時代には 遅刻が多く、登校しても
保健室のベッドや 教室の畳敷きスペースで 横になる事も多かったのですが、
体を 整え、家でできる関わりをしていくうちに
朝起きる事が 苦でなくなり、運動の面でも 学習の面でも、
進歩していきました。
無理です、と言われた 高等特別支援学校に合格し卒業し、
今 社会人として 頑張っている姿を見ると、
周囲から 「そこまで(障害のある子に)厳しくしなくても」と言われても、
家でのルール、社会のルール、園や 学校でのルールを
あきらめずに 一つずつ教えていったことも 今役に立っていると思い
良かったと思います。
「企業にとって 都合のいい 子どもに育てただけではないか」という声も
いただきましたが、土日はパートさんが 休みの事が多いので、土日は ほぼ出勤し、
月曜には そのパートさんからいただいたお土産などを 鞄につめて
持ち帰ってくる様子をみていると、いきいきしていて
頼もしく成長したと感じます。
会社からも 評価されて 見合ったお給料をいただき、
余暇は 友人との外出や 時には 泊りがけで旅行に行ったりもしています。
親には 言わない苦労もあったと思いますが、
体力がなく、朝起きられず、気が乗る事しかしない、親の車でしか
移動ができない、という 幼児期の状態のままでいたら、
今の 息子の 楽しさは 得られなかったと思います。
障害、と言っても様々ですから、すべてのお子さんが
わが家の息子と 同じ進路を選ぶ必要はないですし、
お子さんの適性や個性、親御さんの考えも入れて 学校やその後の
行き先を 決めて行かれればいいと思います。
「障害のある子に 無理はさせるな」も 一種の差別だと
私は 思います。「みんな ちがって みんないい」が
進路選択にも 職業その他の選択にも 反映されることを願います。
卒業後の就労を 目標にした学校についての
批判や意見を 頂きました。
主な ご意見は
1 障害がある子どもは それぞれにあったペースで学ばせるべき。
特訓など すべきではない。
2 就労を目的とした学校の存在意義が疑問。
3 子どもたちが 教員の指示に従って動くロボットのようで、軍隊ではないか
主に この3つでした。
私の 次男が 高等特別支援学校に 入学を希望したのは、親や先生の押し付けで無く、
自分で 見学や 体験入学や 説明会に 何度も参加し、すべて理解いたうえでのことでした。
初めての説明会には、募集人員54名の所に、400名もの 希望者が
詰めかけました。学校側が カリキュラムや、学校の授業内容、
入学資格として「知的障害をもつ子どもの学校」であるので、障害者手帳が
必要である事を 説明した時点で、様々な質問が相次ぎました。
2回目の説明会では 半数の200名、
その後 体験入学や 説明会が 続くうち、参加人数は どんどん減っていきました。
受験当日は、あれほどいた志願者は、驚くほど少なくなっていました。
受験を あきらめた方の多くが 抵抗を示したのは、
「自力通学」「障害者手帳の取得」「朝7時、遅くとも7時半までの登校」
それと「携帯電話の所持禁止」でした。
我が家の場合、将来を見越して、苦手な乗り物に乗れるよう
幼児期から 修行していましたし、新しい行き先への行き方を教えれば
それでいいだけですから、親も子も大変な事とは 感じませんでした。
説明会や 体験入学の時も、親子で公共交通機関を使い、駅からは
30分ほど歩きました。
必要な書類等を 受け取ったり、記入の仕方を聞くために 私も行きましたが、
本人は 親と歩くのが 不本意のようで、さっさと歩き、私は置いてきぼり、という事が
しょっちゅうでした。
携帯電話は 子どもが料金を払えるまでは、持たせる気がなかったので、
逆に説明会で「他の子はみんな持ってるんだ」と知ってから、
しつこくねだられました。携帯代を捻出する余裕がないので
それを説明して放っておきました。学校の友人と固定電話で話すのが
不便だったようですが、それもいい経験だったと思います。
朝早い登校をするには、朝の早起きが不可欠で、バスの本数が少ない場所に
住んでいたので、本人はかなり気をつけて 遅刻をしないようにしていました。
通学にかかる時間が長いので、寮に入る事も勧められたそうですが、
入学前の何回かの面談で、本人が「家から通うので、寮には入りません」と
宣言したそうなので、私は「子どもの希望通りにしてください」と伝えておきました。
一時間半以上かかる通学時間、学校についてすぐに支度して 朝のランニング、
その後の授業。普通の椅子に座ってする授業だけでなく、立ったままの作業も
何時間もありました。危険な器具もあるので、先生の指導や指示に従えなかったら
怪我や 事故につながります。
そうした生活の中で、友人との楽しい時間もあり、今まで使うことのなかった
体の使い方を知ることで、得られたものは大きかったと思います。
私の子どもが 一番苦労したのは、知的に遅れがあったことで、
学習に 他のお子さんより時間がかかったことです。
授業を一回受け、テキストやプリントを見るだけでは 理解ができず、
テストの点数が悪い科目もあったのですが、
親に泣きつくことも 報告もせず、担任の先生に
「自分は一回では 覚えられないから、わかるまで教えてほしい」と
お願いし、その後の再テストでは 良い点数を取ったそうです。
私は そのことを全く知らず、先生との面談で 教えていただきました。
おそらく 同級生の中で、知的な能力は 一番低かったと思いますが、
努力を続け、叱られても めげずに 頑張れたのは、
「自分が選んでここに入ったんだ、入学したんだから 絶対に卒業して、
就職もするんだ」という 気持ちがあったからだと思います。
虚弱で、睡眠障害もあり、小学校時代には 遅刻が多く、登校しても
保健室のベッドや 教室の畳敷きスペースで 横になる事も多かったのですが、
体を 整え、家でできる関わりをしていくうちに
朝起きる事が 苦でなくなり、運動の面でも 学習の面でも、
進歩していきました。
無理です、と言われた 高等特別支援学校に合格し卒業し、
今 社会人として 頑張っている姿を見ると、
周囲から 「そこまで(障害のある子に)厳しくしなくても」と言われても、
家でのルール、社会のルール、園や 学校でのルールを
あきらめずに 一つずつ教えていったことも 今役に立っていると思い
良かったと思います。
「企業にとって 都合のいい 子どもに育てただけではないか」という声も
いただきましたが、土日はパートさんが 休みの事が多いので、土日は ほぼ出勤し、
月曜には そのパートさんからいただいたお土産などを 鞄につめて
持ち帰ってくる様子をみていると、いきいきしていて
頼もしく成長したと感じます。
会社からも 評価されて 見合ったお給料をいただき、
余暇は 友人との外出や 時には 泊りがけで旅行に行ったりもしています。
親には 言わない苦労もあったと思いますが、
体力がなく、朝起きられず、気が乗る事しかしない、親の車でしか
移動ができない、という 幼児期の状態のままでいたら、
今の 息子の 楽しさは 得られなかったと思います。
障害、と言っても様々ですから、すべてのお子さんが
わが家の息子と 同じ進路を選ぶ必要はないですし、
お子さんの適性や個性、親御さんの考えも入れて 学校やその後の
行き先を 決めて行かれればいいと思います。
「障害のある子に 無理はさせるな」も 一種の差別だと
私は 思います。「みんな ちがって みんないい」が
進路選択にも 職業その他の選択にも 反映されることを願います。
支援者なくとも、自閉っ子は育つ 親子でラクになる34のヒント | |
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うちの場合は、高等養護学校は不合格で、普通科の養護学校でしたが、卒業後5年かけて、今年3月に就職にこぎつけました。
うちの自閉症の息子(23歳)も、以前からやる気満々で家のお手伝いやってましたが、就職(パートですが)してからますます張り切っていまして、指示しなくても食器洗いや掃除などをやってくれるようになりました。
就職して2か月たったころ、「職業ライフは気持ちい~な~」と、ぼそっと言いましたので、「働く幸せ」を感じながら生活しているんだと思いました。
子どもがそういう生活を経験する機会、可能性を、誰かが、少なくとも親が奪ってはいけないという思いでやってきました。
障害があっても、できることはできる。今できなくても教えればできる、成長すればできるようになる。そう信じています。
「話を聞かせてほしい」と頼まれればそういう話をしています。でも、あくまでも私がそう思うだけで押し付けはしません。
・・・長くなってすいません。またおじゃまさせていただきます。よろしくお願いいたします。
私は 自分の子どもたちが選んだ生き方を認めて少し手助けはしましたが、それはあくまで我が家の子どもや私にとってベストであったというだけで、そうでない道を選ばれる方がいても 当たり前だと思っています。
ですが お子さんが「あの学校に行きたい」「仕事はこういうところにいきたい」という意志があるのに、それに 挑戦せずストップをかけることや、出来る能力があるのに それをさせないという場面をみると、残念に思います。
ただ そのご家庭によって考えがあるでしょうから、依頼を受けて出向いた場所や、友人・知人との集まりでは、私の考えや 子どもたちの事を話したりしています。
また お越しください。こちらこそよろしくお願いします。