昔親戚が集まる中に、ヤギおじさんと呼ばれる人がいた。物腰の柔らかな人で、気前が良いので子ども達にも人気があった。
ヤギおじさんがなぜヤギおじさんなのか。姓が八木な訳でもなく、住まいが八木と呼ばれる地域と言うのでもない。ヤギを飼っているのでもなく、長いヒゲがあるのでもなかった。
ヤギおじさんは泣き上戸で、お酒が進むと涙ぐみ、そのうちに愚痴を言い出すのが癖だった。おじさんは何人もお姉さんがいて、長男ではあるが末っ子の常で、お姉さん達にからかわれいじられて育ったと言う。
末っ子なので高齢出産で、お母さんも疲労困憊でお乳の出も悪かったらしい。おじさんはヤギのお乳で育ち、育児もお姉さん達が担ったそうだ。
おじさんは両親とお姉さん達に可愛がられて育つのだが、おじさんが何かヘマや失敗をすると、お母さんが「この子はヤギの乳で育ったから(普通でなくても仕方ない)」と言う。お姉さん達も二言目には「この子はヤギの・・・」と言い出した。昔のことだからそれを耳にした同級生や友達もからかいの種にした。
小さかったおじさんは、家の中でも外でも度々ヤギがどうのとからかわれ、それが心底嫌だったそうだ。
笑い飛ばせる子もいるが、気の弱いおじさんはやめろとも言えず、ただ耐えるしかしなかったそうだ。
成長して学校を卒業し、就職をし、おじさんは家庭を持ち、お父さんになった。職場で出世して部下を持つようになっても、何かの拍子に、「この子はヤギの乳で育ったから」と言われる。自分に責任のないことを言われ続けるのは嫌なことだ、とおじさんは何度も口にした。
おじさんが生まれるのをおじさんのお父さんは早くから楽しみにしていて、「男でも女でも、この子は忍と名付ける」と決めていたそうだ。
ひ弱で色白な上に、名前のせいで女の子と間違えられたり、おじさんにとっては辛い思い出もたくさんあったようだ。
歳を取って足が弱ったからと親族の集まりにも顔を出さなくなったおじさん。孫やひ孫に囲まれて楽しく過ごしていると聞いた。
ひ弱で両親や姉を心配させたおじさんは、親の年を超えて長生きをして、きょうだいの中で一番長生きをした。小さい時にひ弱でも、その後のことはわからない。
おじさんが亡くなってから何年か経つ。あちらで両親やお姉さんにヤギの乳で育ったひ弱なお前が一番長生きしたねえ、と言われたかもしれない。
ふと思い出したヤギおじさんの話。
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