多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

働く大人を目標にして

2019-01-03 14:38:22 | 修業について
子ども達に 発達の凸凹があると気づいた日は、


遠い昔の話になってしまった。兄ちゃんの発達のヌケに気付いたのは、


寝返りしても いい体勢が取れず、キーキー泣いていた事や、


はいはいをせずに いきなり立った事からである。


自閉っ子は 生まれてすぐ、病院にいた頃、おむつや母乳へのこだわりから


「自閉症じゃないか?」と思った。


どちらの子も、健診では「異常なし」と言われ、相談しても取り合ってもらえなかった。


自閉っ子は 音に反応せず、呼んでも振り向かない。でも ちょっとした音に


体をびくつかせ、泣き出したりする。それを話したら難聴の疑い、と言われ


何度か 検査をし、「聞こえていますね」で それきり何もなかった。


数年後、どちらの子も「発達障害」の診断が下りるのだが、


診断が下りる前に、私は 自分ができる範囲で、自己流の修行を


子ども達にさせていた。


私の目には この発達の凸凹は自然に治るものに見えなかった。


これは 何かしたほうがいいでしょう、と 誰かから言われるのを


待ってはいられなかった。


私が子ども達の世話に割ける時間は 十分ではなかったし、


訓練を受ける施設など 近くにはない。


自己流で 遊びや 家事の手伝いをさせながら、毎日何かしらの


刺激を与えた。


こつこつこつこつ、その子の出来る事できない事を観察しながら、


体を使わせた。


私の目標は、「子ども達を働く大人にする事」「人に迷惑をかけない」だった。


わが家の周囲には、療育施設もなかったし、作業所もない。


考えられる進路は、「学校に通い、その後は働く」だけである。


その頃の 子ども達の様子を見たら、普通の親はそんな無謀な事はしないだろうと思う。


私は 子ども達の今の限界は無視せず関わり育てたが、


将来の可能性はここくらいだろう、と勝手な思い込みは持たなかった。


私も 発達凸凹であるが、学校を出て就職し その後は結婚して


出産育児をこなしている。私が結婚する、といったときに、


「おめでとう」という言葉は聞けなかった。皆「できっこない」


「やめておきなさい」と言った。そんな私でも 主婦として母として


何とかやっていけるようになったのに、まだ成長過程の子どもに


「これは無理」と変なブレーキはかけたくなかった。


学校生活で 本人たちは いろいろ苦労もあったろうが、


それは どんな子どもでも同じだろうと思う。


無理はしなくてもいいけれど、努力をあきらめたら終わりだと思った。


子ども達は 心身共に 成長し、どちらも「働く大人」になった。


社会のルール、職場のルールも 理解し、社会人として


生活している。


仕事を始めた時と 今とを比べたら、格段に進歩している。


まず働く事を目標にしてよかったと思うし、その仕事に行きつくまで、


本人たちが 努力してくれた事がうれしい。


兄ちゃんは 元旦から 仕事、自閉っ子は2日から 仕事である。


子育ての時期は とうに過ぎ去り、私は夫と二人で 静かなお正月を過ごす。


夫への 年賀状を書き、投函したものが 今日夫に届いた。


「今 子ども達が 頑張って働けるのも、お父さんの背中を見ていたからだと思います。


子ども達の 支えや目標として 頑張ってくれて、ありがとう」


夫は 「年賀状が来たぞ。あれ?お前からか。」と言って


文面を見ていた。


夫も 子ども達と同じように、自分の課題と向き合って努力して、


ここ数年で 様々な事ができるようになった。


新年初売りの スーパーで妻の買い物に付き合い、


外食をするなんて 以前の夫にはできなかった事である。


夫や子ども達に負けないように、私もできる事を増やしていこうと思う。









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