多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

自閉っ子への周囲の方の評価

2018-03-31 13:39:16 | 修業について
先日 駅で思わぬ方に出会った。


夫の父と親しかった方で、自閉っ子や兄ちゃんを 小さな時からご存知の方である。


私は 気付かなかったが、向こうから話しかけてくれ、


「こないだ 自閉君と バスで一緒になったんだが、


聞いたことにはきはき答えるし、昔と違ってしっかりしてるなあ、と思って


びっくりしたよ。」とおっしゃる。


近況を聞かれたので、今は 自閉っ子も 兄ちゃんも働いている事と、


ひ弱だったどちらの子も 健康に過ごしていることを お伝えした。


幼い時には、まっすぐ歩くこともできなかった。


あいさつができるまでの 道のりも長かったし、


その「あいさつ」が 自分と相手との コミュニケーションの道具であることに


気付くまでにまた もう一山あった。


そうして 大小の 山や谷を越えながら、楽しみつつその歩みをし、


今の 自閉っ子と 兄ちゃんがある。


幼い時の姿しか 知らない人には 信じられない姿だが、


それぞれ 自力で 歩み、転んだり 息を切らして時には休んだりしつつ、


最後に 自分の 目的地に着いた。


「あんな状態だった子が どうして自立できたんだろう」と


大抵の方が 不思議に思うようだが、


人の育ち方は 皆違って当たり前なので、


「多分 将来こうなるだろう」という 周囲の予想とは


違う姿になることの方が多いと思う。


優勝候補が 予選で脱落したり、思わぬダークホースが出て来たり。


人生は レースとは 違う。何回予選落ちしようが


それは 他人が決めた枠でしかないので、他の所で


チャレンジしてもいい。人生の初めから終わりの瞬間まで、


自分が人生の主人公なのだから、


どんな筋書きになっても 自分が悔いなく生きられれば


それが一番いいのではと思う。


トレーニングも 装備も無しに、


「ラクして 優勝したい」は ありえないように、


人生には 修行が付き物だと思う。


夫も 私も、息子達も、それぞれ


自分なりの 修行をしながら、自分の人生を


精一杯生きている。そういう家族の 帰宅を


迎えられる日が とてもうれしい私である。


わが家の チャンピオンたちの 晴れ姿を、


朝夕見られるのは 私だけの 特権である。






藤家寛子の就活記
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