思いついた写真をアップする家

写真を撮ってコメントを書く。それだけ。

4月4日の過ごし方

2010年04月05日 21時54分00秒 | 日常的電脳日記
この時期は桜(ソメイヨシノ)が満開の頃。去年も殆ど同じ時期に満開を迎えました。なんだかんだ言いながら、この頃になるんですよね。時期が狂ったとしても、精々プラスマイナス1週間程度じゃないかと思います。桜の咲く時期は、前年秋の落葉の頃から少しずつ決定されているんだとか! 落葉直後から、既に花芽が準備されているそうです。そして、冷え込みが有ってから、咲く時期が設定されるそうでして! 要するに、一度寒くならなきゃ春に咲かないみたいなのです。まぁ、中には寒桜とか、十月桜みたいに真冬でもボチボチと咲き続ける物も有りますが。

さて、2010年4月4日の、ヒマジンが送った1日をご紹介。そう、無理やりご紹介。

先ず、ベタな一枚を押さえる為に音戸の瀬戸公園にやって来ました。厳密には、音戸の瀬戸公園エリアは、高烏台公園付近までの一帯らしいのですが、普通は、駐車場があって、音戸大橋が見えるココら辺を言いますなぁ。順光で撮るためには、午前10時頃に来なきゃダメです。朝があまりに早すぎると、逆に光が回らないので撮りづらいんですよね。ですから、9時から11時頃に訪れるのがベストなんです。(※:写真は、トップ画像を御覧下さい)

そこから、少し休山方面へ登りまして、阿賀方面へ降りる林道沿いにあるヤマザクラを見に行きます。この場所のヤマザクラ、正直、写真は少々難しいです。ただ、肉眼で楽しむには優秀な木でしてね、立派なんですなぁ。但し、駐車スペースは精々2台まで。オイラはスクーターで来ていますからw 離合の邪魔にならない位置へ停めてノンビリと眺める事が出来るんでありました。



遠くの斜面にも、僅かに時期の異なるヤマザクラが咲いています。自生なのか、かつて誰かが植えた物なのか分からないのですが、近くから見るのは難しいようです。完全に山の中ですからねぇ。


この後、灰ヶ峰へ上がってみたんですけど、この辺りの桜は正直良く分からないんです。小ぶりの花で随分とピンクが強い。品種をご存じの方は教えていただきたいです。ここからの写真は、今回アップしませんw 撮ることは撮ったけど、去年のこの頃に撮った写真と同じ場所なのでw 去年のこの頃の記事を探して御覧下さい。

灰ヶ峰に居た時間は短くて、直ぐに下りてどーしよー・・・ とか考えていたんですが、そーいやぁ、江田島の術科学校が一般開放日だったよなぁって事でして、江田島へ行ってみる事にしたのであります。フェリーを使おうとしてフェリー乗り場まで行ってみたのですが、次の便まで30分程度あります。んー、自走した方が早いんじゃなかろうか。って事で、走ります。

さて、着きましたw 江田島の海上自衛隊術科学校は、旧日本海軍の海軍兵学校なんです。こので学ぶ生徒は、将来の幹部候補生たち。エリートなのです。しかし、最近の子供達が学ぶ所ですから、なかなかねぇ、難しいようですよ。お互いを高め合う訓練をやっていたり、移動は行軍様式でやってるんですが、なんか、気迫に乏しい・・・ 日本を守る立派な軍人として通用しようがしまいが、彼らが国防の現場で指揮を執る立場になっていくのです。

入り口から入って、最初に見えてくるのが大講堂です。旧日本海軍はイギリス様式を取り入れていました。建物は洋風建築なんです。主要な建築物の多くは戦前からの物。この大講堂では、入校・卒業式などの主要儀礼の場となっています。大正六年(1917年)の建築だそうです。


赤レンガの建物は、幹部候補生学校庁舎。ここで生徒が暮らします。入り口から中庭までの短い距離ですが、通ることが出来ます。とても天井が高い洋館造りでして、床板は曲がったりしないよう、沢山の木釘で固定されています。明治26年(1893年)の建築。


教育参考館。すごく高さの有る建物なんですが、2階建てです。内部は沢山の資料が収蔵されており、内部の撮影は禁止となっています。オイラも入って見たかったのですが、残り時間の関係で今回「もw」断念。そのうち、見に来たいと思います。外からも見ることが出来る階段は、綺麗な絨毯が敷かれています。昭和11年(1936年)の建築。


この、教育参考館の周辺には、特殊潜航艇(甲標的)と海龍が展示されています。今回は撮影しませんでした。そう、俗に言う特攻兵器です。厳密には、特殊潜航艇は帰還も想定されてはいますが、航続距離は装備を考慮すると、帰ってくる方が難しいシロモノです。海龍は、特攻兵器そのものです。

代わりに撮影してきたのが、以前撮らなかった戦艦主砲の砲弾。撮らなかったというよりも、撮れなかったんですよねww 時間の都合が一つと、人が周りに終始いたので難しかったという理由。小さい方は、日清・日露戦争時の旧日本海軍の装甲艦(巡洋艦)であった、三景艦(「松島」「厳島」「橋立」)の砲弾。


隣にある大きい方は、大和型戦艦の砲弾です。戦後、海へ投棄されたものを引き上げて、江田島術科学校へ寄付されたものです。大和型戦艦の砲弾は、即ち世界最大の徹甲弾であり、これを凌駕する砲弾は今後作られる事は無いでしょう。なにせ、今ではミサイルが有りますからねぇ。これら砲弾は、雨に打たれると容易に水垢やサビを生じますので、毎日生徒が磨いております。


その奥の飲食可能エリアには、旧日本海軍駆逐艦「雪風」の主錨が置かれています。この雪風という船は幸運の船と呼ばれ、第二次大戦中における主要海戦に従事しながらも、その度に無事帰還し、日本海軍最後の艦隊作戦であった菊水沖縄特攻作戦においても、撃沈された艦艇の生き残り船員を救助し、日本へ戻ってきたと言う経緯があります。戦後賠償として中国に渡された後、錨だけが日本へ帰国したのでありました。


軍歌で「貴様と俺とは、同期の桜♪」と謳われた「同期の桜」が健在だったりします。っていうか、オイラもつい先日、新聞で読んで知った訳でしてw 有ったんかい!というのが正直な感想であります。先に紹介した、幹部候補生学校庁舎を通り抜けた中庭に植えられていました。倉庫やらw 電源やらに囲まれてw そんなに良い条件ではないみたいですが、長寿を誇っている様です。ソメイヨシノとして、広島で最古とも言われているそうです。真新しく、とって付けたような「同期の桜」という看板が、やけに違和感を醸し出していました。


術科学校を出まして、帰途に就いたのでありますが、海上を見ると先日来気になっていた船が比較的近くに見えました。海上自衛隊最大の艦艇(通常、船は最大積載量で大きさを比較します)である、輸送艦「おうみ」が停泊しています。オイラ、最初は同型艦ネームシップ(1番艦)の「ましゅう」かと思ったんですけど、「ましゅう」は滅多に来ないはず。1週間近く呉湾に居ましたから、余計に???だったのですが、近くから見て、やっと「おうみ」だと分かりました。「おうみ」なら、普段は佐世保に居ますから、呉に来ても不思議じゃないんですねw しっかしまぁ、デッカイ船だなぁ。タンカーと変わんない大きさです。
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