●ヨハネ4:25-27 キリストとの出会いは魂の領域の個人的なこと
女はキリスト(メシヤ・救い主)に出会った。はじめはイエスをキリストと認識していなかったが、イエス自身が自らをキリストと明かしたことで目が開かれたのだった。
そこへ弟子たちが帰って来た。弟子たちがイエスと女の会話に割り込まなかったのは、人とキリストとの出会いは魂の領域における極めて個人的なことだからだ。また、イエスと女は永遠の中にいるが弟子たちは「使徒の時代」にいるからということもあるだろう。或いはまた、弟子たちは後の節に出て来る「種蒔き」(ヨハネ4:37)の現場にいなかったということもあるだろう。
25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」27 このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。(ヨハネ4:25-27)
女はキリスト(メシヤ・救い主)に出会った。はじめはイエスをキリストと認識していなかったが、イエス自身が自らをキリストと明かしたことで目が開かれたのだった。
そこへ弟子たちが帰って来た。弟子たちがイエスと女の会話に割り込まなかったのは、人とキリストとの出会いは魂の領域における極めて個人的なことだからだ。また、イエスと女は永遠の中にいるが弟子たちは「使徒の時代」にいるからということもあるだろう。或いはまた、弟子たちは後の節に出て来る「種蒔き」(ヨハネ4:37)の現場にいなかったということもあるだろう。