2020年4月2日祈り会メッセージ
『モーセの姉ミリアムの功績と罪』
【出エジプト2章、4章、15章、民数記12章】
はじめに
前回はモーセにはヘブル人の母とエジプト人の母がいたこと、そしてこの二人の母がいたことがモーセの人格形成に与えた影響について思いを巡らしました。
きょうはモーセの姉のミリアムに注目します。
ミリアムの第一の功績
モーセの姉ミリアムの第一の功績は何と言っても、赤ちゃんのモーセがエジプトの王女に保護された時に、ヘブル人の実際の母のもとで育てられるようにしたことでしょう。
先週も読みましたが、出エジプト記2章をもう一度、簡単に振り返っておきたいと思います。
2節でモーセが生まれます。この時、モーセの母は我が子を殺すことができなかったので、三か月の間育てていました。しかし隠しきれなくなったので、籠に入れてナイル川の岸辺に置きました。
そして4節でモーセの姉のミリアムが登場します。4節、
そうして見守っていると、エジプトの王女が弟のモーセを保護しました。それでミリアムは王女に言いました。
ミリアムは最初からそうするつもりでは無かっただろうと思います。ミリアムは機転が利く頭の回転の速い少女だったようです。そして8節と9節、
こうしてモーセは幼い間はヘブル人の実際の母のもとで育てられることになりました。このことが80年後にモーセがイスラエル人を率いてエジプトを脱出することにつながります。もしモーセが最初からエジプト人の乳母に育てられていたら、モーセがイスラエル人のリーダーになることは決して無かったでしょう。或いはまたモーセがずっとヘブル人の家で育てられていたなら、やはりファラオとの交渉が必要なエジプト脱出のリーダーにモーセがなることはなかったでしょう。
ですからモーセが後にイスラエル人のリーダーになったことに姉のミリアムは大きく貢献しています。これがミリアムの第一の功績ですね。
ミリアムの第二の功績
次にミリアムの第二の功績ですが、出エジプト記の4章27節から31節までを交代で読みましょう。ここでモーセは兄のアロンに会います。
ここに姉のミリアムは登場しませんが、隠れたところで大きな働きがあったことでしょう。兄のアロンはモーセがエジプトの王家で豊かな暮らしをしていることを決して良くは思っていなかっただろうと思います。創世記の時代のヨセフの兄たちも弟のヨセフを良くは思っていませんでした。それは父のヤコブがヨセフを可愛がっていたからです。
モーセの兄のアロンも弟のモーセが豊かな暮らしをしていることを妬まなかったはずがないと思います。それなのに、再会したモーセとアロンの関係が非常に良かったのは、姉のミリアムが中に入っていたからだろうと想像します。こうしてモーセとアロンは二人三脚でイスラエル人をエジプト脱出へと導きました。
ミリアムの第三の功績
続いて、ミリアムの第三の功績です。それはミリアムが女性たちのリーダー的な存在であっただろうということです。イスラエル人たちの内の半分は女性です。ミリアムが女性たちのリーダー的な存在になったことでエジプト脱出も成功したのではないかと想像します。
出エジプト記15章の19節から21節までを交代で読みましょう。
これはエジプトを脱出した直後のことでした。20節に、ミリアムがタンバリンを手に取ると、女たちもみなタンバリンを持ち、踊りながら彼女について出て来たとありますから、ミリアムはイスラエルの女性たちのリーダー的な存在になっていたことを伺わせます。男性のモーセとアロンだけでは女性たちを率いて行くことは難しい面もあったと思いますから、ここでもミリアムは良い働きをしただろうと思います。
ミリアムの罪
さて最後にミリアムの功罪の罪の方も見ておきたいと思います。ミリアムには功績だけではなく、罪もありました。民数記12章にはミリアムが犯した罪のことが書かれています。先に13章を見ておきましょう。13章には主がイスラエルの12人の族長たちに約束の地のカナンを偵察に行くように命令したことが書かれています。カナン偵察はエジプトを脱出してから1年あまりが経ってからのことです。ミリアムが罪を犯したのは、このカナン偵察よりも少し前のことでした。
ミリアムは主の怒りに触れてツァラアトに冒されます。12章10節です。
何が主を怒らせたのか、それは12章の1節と2節に書かれています。1節と2節、
これの何がいけなかったのか、少し分かりづらいので注解書を調べてみました。1節のクシュ人の妻についてはいろいろな解釈があるようですが、こちらは単なる言い掛かりでミリアムとアロンの不満は2節にあったようです。どうやらミリアムとアロンは、モーセばかりが表舞台に立っていることが気に入らなかったようです。そして注解書には、この不満はアロンの姉のミリアムの方から言い出したことではないかと書かれていました。なぜならツァラアトに冒されたのはミリアムの方だけだったからです。
なるほど、そうなのかもしれませんね。女預言者のミリアムは自分に対しても主の預言があったのにモーセばかりが目立っていることを面白く思っていなかったというのは、確かにありそうなことですね。ちょうどヨセフの兄たちが弟のヨセフを妬んだように、ミリアムも弟のモーセを妬んだということなのでしょう。或いはまた、アダムとエバの息子のカインが弟のアベルを妬んだこととも似ています。
カインから始まった妬みの罪は、私たち人間の間にしっかりと巣食っていると感じます。パウロも妬みが罪であることを何度か手紙に書いていますね。たくさんの功績があったミリアムもまた妬みの罪からは逃れられなかったようです。
ミリアムは七日間宿営の外に締め出された後に戻りましたから、ツァラアトも癒されたのでしょう。そうして、ミリアムは民数記20章1節で死にました。
ミリアムが死んだのはエジプトを脱出してから40年目の、イスラエルがカナンに入る直前のことのようです。そうすると、ミリアムは40年間の荒野の放浪の間、ずっとモーセと共に過ごしたということになります。この40年間、モーセは姉のミリアムに随分と助けられたことでしょう。ミリアムは妬みの罪に囚われたこともありましたが、大部分の時はモーセの助け手として良い働きをしたことでしょう。
おわりに
これまで私はミリアムの生涯について考えたことはありませんでしたが、モーセが良い働きをした陰にはミリアムの存在があったことに思いを巡らすことができて感謝に思います。
今の時代の私たちの教会運営にも荒野の中を歩むような困難を覚えますが、皆で協力して進んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
『モーセの姉ミリアムの功績と罪』
【出エジプト2章、4章、15章、民数記12章】
はじめに
前回はモーセにはヘブル人の母とエジプト人の母がいたこと、そしてこの二人の母がいたことがモーセの人格形成に与えた影響について思いを巡らしました。
きょうはモーセの姉のミリアムに注目します。
ミリアムの第一の功績
モーセの姉ミリアムの第一の功績は何と言っても、赤ちゃんのモーセがエジプトの王女に保護された時に、ヘブル人の実際の母のもとで育てられるようにしたことでしょう。
先週も読みましたが、出エジプト記2章をもう一度、簡単に振り返っておきたいと思います。
2節でモーセが生まれます。この時、モーセの母は我が子を殺すことができなかったので、三か月の間育てていました。しかし隠しきれなくなったので、籠に入れてナイル川の岸辺に置きました。
そして4節でモーセの姉のミリアムが登場します。4節、
2:4 その子の姉は、その子がどうなるかと思って、離れたところに立っていた。
そうして見守っていると、エジプトの王女が弟のモーセを保護しました。それでミリアムは王女に言いました。
2:7 その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」
ミリアムは最初からそうするつもりでは無かっただろうと思います。ミリアムは機転が利く頭の回転の速い少女だったようです。そして8節と9節、
2:8 ファラオの娘が「行って来ておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来た。
2:9 ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
2:9 ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
こうしてモーセは幼い間はヘブル人の実際の母のもとで育てられることになりました。このことが80年後にモーセがイスラエル人を率いてエジプトを脱出することにつながります。もしモーセが最初からエジプト人の乳母に育てられていたら、モーセがイスラエル人のリーダーになることは決して無かったでしょう。或いはまたモーセがずっとヘブル人の家で育てられていたなら、やはりファラオとの交渉が必要なエジプト脱出のリーダーにモーセがなることはなかったでしょう。
ですからモーセが後にイスラエル人のリーダーになったことに姉のミリアムは大きく貢献しています。これがミリアムの第一の功績ですね。
ミリアムの第二の功績
次にミリアムの第二の功績ですが、出エジプト記の4章27節から31節までを交代で読みましょう。ここでモーセは兄のアロンに会います。
4:27 さて、主はアロンに言われた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。
4:28 モーセは、自分を遣わすときに主が語られたことばのすべてと、彼に命じられたしるしのすべてを、アロンに告げた。
4:29 それからモーセとアロンは行って、イスラエルの子らの長老たちをみな集めた。
4:30 アロンは、主がモーセに語られたことばをみな語り、民の目の前でしるしを行った。
4:31 民は信じた。彼らは、主がイスラエルの子らを顧み、その苦しみをご覧になったことを聞き、ひざまずいて礼拝した。
4:28 モーセは、自分を遣わすときに主が語られたことばのすべてと、彼に命じられたしるしのすべてを、アロンに告げた。
4:29 それからモーセとアロンは行って、イスラエルの子らの長老たちをみな集めた。
4:30 アロンは、主がモーセに語られたことばをみな語り、民の目の前でしるしを行った。
4:31 民は信じた。彼らは、主がイスラエルの子らを顧み、その苦しみをご覧になったことを聞き、ひざまずいて礼拝した。
ここに姉のミリアムは登場しませんが、隠れたところで大きな働きがあったことでしょう。兄のアロンはモーセがエジプトの王家で豊かな暮らしをしていることを決して良くは思っていなかっただろうと思います。創世記の時代のヨセフの兄たちも弟のヨセフを良くは思っていませんでした。それは父のヤコブがヨセフを可愛がっていたからです。
モーセの兄のアロンも弟のモーセが豊かな暮らしをしていることを妬まなかったはずがないと思います。それなのに、再会したモーセとアロンの関係が非常に良かったのは、姉のミリアムが中に入っていたからだろうと想像します。こうしてモーセとアロンは二人三脚でイスラエル人をエジプト脱出へと導きました。
ミリアムの第三の功績
続いて、ミリアムの第三の功績です。それはミリアムが女性たちのリーダー的な存在であっただろうということです。イスラエル人たちの内の半分は女性です。ミリアムが女性たちのリーダー的な存在になったことでエジプト脱出も成功したのではないかと想像します。
出エジプト記15章の19節から21節までを交代で読みましょう。
15:19 ファラオの馬が戦車や騎兵とともに海の中に入ったとき、主は海の水を彼らの上に戻された。しかし、イスラエルの子らは海の真ん中で乾いた地面を歩いて行った。
15:20 そのとき、アロンの姉、女預言者ミリアムがタンバリンを手に取ると、女たちもみなタンバリンを持ち、踊りながら彼女について出て来た。
15:21 ミリアムは人々に応えて歌った。「主に向かって歌え。主はご威光を極みまで現され、馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。」
15:20 そのとき、アロンの姉、女預言者ミリアムがタンバリンを手に取ると、女たちもみなタンバリンを持ち、踊りながら彼女について出て来た。
15:21 ミリアムは人々に応えて歌った。「主に向かって歌え。主はご威光を極みまで現され、馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。」
これはエジプトを脱出した直後のことでした。20節に、ミリアムがタンバリンを手に取ると、女たちもみなタンバリンを持ち、踊りながら彼女について出て来たとありますから、ミリアムはイスラエルの女性たちのリーダー的な存在になっていたことを伺わせます。男性のモーセとアロンだけでは女性たちを率いて行くことは難しい面もあったと思いますから、ここでもミリアムは良い働きをしただろうと思います。
ミリアムの罪
さて最後にミリアムの功罪の罪の方も見ておきたいと思います。ミリアムには功績だけではなく、罪もありました。民数記12章にはミリアムが犯した罪のことが書かれています。先に13章を見ておきましょう。13章には主がイスラエルの12人の族長たちに約束の地のカナンを偵察に行くように命令したことが書かれています。カナン偵察はエジプトを脱出してから1年あまりが経ってからのことです。ミリアムが罪を犯したのは、このカナン偵察よりも少し前のことでした。
ミリアムは主の怒りに触れてツァラアトに冒されます。12章10節です。
12:10 雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリアムは皮膚がツァラアトに冒され、雪のようになっていた。アロンがミリアムの方を振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。
何が主を怒らせたのか、それは12章の1節と2節に書かれています。1節と2節、
12:1 そのとき、ミリアムとアロンは、モーセが妻としていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女を妻としていたからである。
12:2 彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのか。われわれとも話されたのではないか。」主はこれを聞かれた。
12:2 彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのか。われわれとも話されたのではないか。」主はこれを聞かれた。
これの何がいけなかったのか、少し分かりづらいので注解書を調べてみました。1節のクシュ人の妻についてはいろいろな解釈があるようですが、こちらは単なる言い掛かりでミリアムとアロンの不満は2節にあったようです。どうやらミリアムとアロンは、モーセばかりが表舞台に立っていることが気に入らなかったようです。そして注解書には、この不満はアロンの姉のミリアムの方から言い出したことではないかと書かれていました。なぜならツァラアトに冒されたのはミリアムの方だけだったからです。
なるほど、そうなのかもしれませんね。女預言者のミリアムは自分に対しても主の預言があったのにモーセばかりが目立っていることを面白く思っていなかったというのは、確かにありそうなことですね。ちょうどヨセフの兄たちが弟のヨセフを妬んだように、ミリアムも弟のモーセを妬んだということなのでしょう。或いはまた、アダムとエバの息子のカインが弟のアベルを妬んだこととも似ています。
カインから始まった妬みの罪は、私たち人間の間にしっかりと巣食っていると感じます。パウロも妬みが罪であることを何度か手紙に書いていますね。たくさんの功績があったミリアムもまた妬みの罪からは逃れられなかったようです。
ミリアムは七日間宿営の外に締め出された後に戻りましたから、ツァラアトも癒されたのでしょう。そうして、ミリアムは民数記20章1節で死にました。
20:1 イスラエルの全会衆は、第一の月にツィンの荒野に入った。民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死んで葬られた。
ミリアムが死んだのはエジプトを脱出してから40年目の、イスラエルがカナンに入る直前のことのようです。そうすると、ミリアムは40年間の荒野の放浪の間、ずっとモーセと共に過ごしたということになります。この40年間、モーセは姉のミリアムに随分と助けられたことでしょう。ミリアムは妬みの罪に囚われたこともありましたが、大部分の時はモーセの助け手として良い働きをしたことでしょう。
おわりに
これまで私はミリアムの生涯について考えたことはありませんでしたが、モーセが良い働きをした陰にはミリアムの存在があったことに思いを巡らすことができて感謝に思います。
今の時代の私たちの教会運営にも荒野の中を歩むような困難を覚えますが、皆で協力して進んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。