大志を静かに抱く丘(14)
~クラーク先生と静岡学問所の学生たち~
目次・参考文献
終章 150年後の大志の丘
そして150年後の2023年12月、三人の青年たちが賎機山の頂に立っていた。クラーク6世のエリ、信次6世のノン、順三6世のジュンだ。偶然だが、三人とも2001年生まれだ。三人は2021年12月に静岡のグランシップで開催された「クラーク来静150周年記念シンポジウム」で会うことにしていたが、アメリカに住んでいるエリはコロナが収束していない日本への渡航を見合わせた。それで三人は、2年後の「大志の丘150周年」の機会には是非とも静岡で会おうと約束していたのだ。ノンとジュンがエリと対面で実際に会うのは初めてだった。この2023年12月にはクラーク著『勝安房<日本のビスマルク>――高潔な人生の物語』も静岡新聞社から翻訳出版されて、クラークの静岡での働きが再認識され始めていた。明治初期の静岡で青年たちが大志を抱いていたことは、三人の6世たちの励みになっている。
賎機山の山頂には「静岡市戦禍犠牲者慰霊塔」と「B29墜落搭乗者慰霊碑」が建っている。1945年6月19日の深夜から20日未明にかけて123機のB29が静岡市を爆撃した。この空襲によって静岡市の中心部は焦土と化し。死者1,952名以上,負傷者5,000名以上、焼失戸数26,891戸の戦災に遭った。それ以前にも静岡では三菱重工業の発動機製作所や住友軽金属プロペラ製造所などへの爆撃によって260名以上が死亡していた。クラークが58歳で亡くなった1907年頃まで、日米関係は良好であったが、その後は悪化に転じていたのだ。そして1941年12月に日本軍の真珠湾攻撃により日米開戦に至る。1871年12月にクラークが来静してから70年後に、日米関係は最悪の状態に陥った。
日本の多くの市街地がB29による大量の焼夷弾の投下によって焼かれ、静岡も1945年の6月19~20日の大空襲では上記の甚大な被害を被った。その際、2機のB29が空中衝突して両機の搭乗員23名全員が墜落死した。賎機山の「B29墜落搭乗者慰霊碑」は、この23名のアメリカ兵のために建てられた。終戦後に日米関係は再び良好な状態に戻ったのだ。しかし、沖縄を中心とした在日米軍基地の問題などが依然として残されていて、対等な関係にはない。広島・長崎への原爆投下を正当化する世論もアメリカには根強くある。核兵器を配備することで核戦争を抑止することができるという核抑止論を根拠に核保有を続ける国や、日本のように核の傘の下にある国も多く存在して、核兵器廃絶への道を険しいものにしている。順三6世のジュンは、核兵器の廃絶によって平和への道をつくる働きに携わっている。
核兵器の問題以外にも21世紀の現代にはクラークの時代には存在しなかった問題が様々にある。たとえば激甚な気象災害をもたらす気候変動の問題や、AIの負の側面の問題などだ。1870年にアメリカのロックフェラーがスタンダード石油会社を創立したことから始まる石油事業の本格化は化石燃料の使用を加速させた。石炭と石油の大量使用は大気中の二酸化酸素の濃度を増大させて、これが温暖化の主要な要因とされる。海水温が上昇したことで雨雲に大量の水蒸気が供給されて大雨が降りやすくなった。台風も勢力を増す傾向にある。2022年の9月には静岡市も台風15号によって土砂災害、河川の氾濫による浸水、長時間の停電と長期間の断水によって大きな被害に遭った。信次6世のノンは気候変動の問題に大きな関心を寄せていて、研究者を目指している。
クラークが51歳の時の1900年、物理学者のプランクがエネルギーの量子仮説を唱えたことで量子力学の扉が開かれた。その少し前の1895年には陰極線の研究をしていたレントゲンがX線を発見した。そしてX線を発生させる陰極線の正体が荷電粒子の電子であることをトムソンが明らかにしたのが1897年だ。電子の発見によって化学の研究が加速した。また1919年にはラザフォードが陽子を、1932年にはチャドウィックが中性子を発見した。原子の構造が明らかになり、物質の研究が進んで1947~1948年にショックレー、バーディ-ン、ブラッテンによって半導体素子のトランジスタが発明されたことで通信・計算の技術が飛躍的に進んだ。ハードウェアと共にソフトウェアも進化して21世紀にはAI(人工知能)が身近な存在になった。それに伴ってAIの負の側面も深刻化しつつある。クラーク6世のエリは、このAIの問題を憂慮している。
「ノンとジュンは『2001年宇宙の旅』を見たことがある?」
エリに聞かれた二人はうなずいた。1968年に公開されたこの映画をノンはネット配信で、ジュンは映画館で見たことがある。2001年は自分が生まれた年なので、タイトルに引かれて二人とも見ていた。エリは続けた。
「コンピュータのHALが宇宙飛行士を殺す場面があるでしょ?あの場面を見て、創世記3章の蛇とエバの会話を思い出したよ。」
ノンとジュンも聖書を読んでいることをエリは知っていた。
「私たちはAIが人を殺すような社会にならないことを願っていて、AIに携わる技術者や研究者もそうならないように、様々に努力しているよ。でも、実はもう殺されているのかもしれないよ。」
エリが何を言いたいのか、ノンとジュンは次のことばを待った。エリはスマホを取り出して、旧約聖書の創世記3章を朗読した。
創世記3:1 さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。」
ここまで読んでエリは言った。
「アダムとエバは園の中央にある木の実を食べたけれど、すぐには死ななかった。つまり、蛇が言った通りだった。でも実は、肉体は死ななかったけれど、魂は死んでしまったんだよ。そうして魂が死んだ結果、二人の心は神から離れてしまった。」
「AIの問題も、魂の死の問題だとエリは言いたいの?」
「そうだよ、ノン。ジュンはどう思う?」
「つまり、こういうこと?AIはまだ『2001年宇宙の旅』のHALのような殺人はしていない。しかし、創世記3章で蛇がアダムとエバの魂を殺したように、AIはすでに人の魂を殺しているのかもしれない。エリはそう考えているということ?」
「ジュン、その通りだよ。AIが人の魂に与えているダメージは相当に深刻だと私は考えているよ。」
確かにその通りかもしれないと、ノンとジュンも思った。札幌に住んでいるノンは静岡や東京との行き来のために鉄道や飛行機をよく利用している。ノンは本来、沿線や地上の景色を窓からのんびりと眺めることが好きなほうだ。しかし、最近は移動中にスマホやノートPCの画面を見ていることのほうが多い。調べ物をする時にはAIが素早く答を出してくれるので重宝している。すぐに答を求めるようになり、不思議な存在である神様のことにゆっくりと思いを巡らすゆとりを失っている。AIは人間からゆとりを奪うことに加担していると、エリの話を聞いてノンは思った。
静岡に住んでいるジュンは広島と長崎の平和公園で平和のための祈りを長くささげた経験がある。しかし、最近はゆっくりと祈る時間を持つことが少なくなっていると、やはりエリの話を聞いて思った。自分の魂も深刻なダメージを受けているかもしれないとジュンも思った。祈ることとは、神と魂の交流を持つことだ。魂が生きているなら神の導きの声を祈りの中で聞くことができる。魂が死んだ状態で祈っても、人間からの願い事の一方通行になってしまう。
エリは言った。
「核兵器の問題も気候変動の問題もAIの問題も、どれも創造主から与えられた地上の管理の働きを適切に行えていないからだよ。蛇に惑わされてエデンの園の管理をしくじって以来、ずっとそれが続いているんだと思うよ。イエス・キリストが地上に遣わされたことで神と人間の関係は回復へ向かった筈なんだけど、蛇が執拗に反撃を続けているから、完全な回復になかなか至らないんだよね。蛇の反撃の中でもAIの問題は最も手ごわいものではないかな。」
「私たちはもっとゆったりとした時間を持って、万物の創造主に思いを巡らさないといけないね。」
そうジュンが言うと、ノンも続いた。
「神様はビッグバンによって宇宙を創造し、宇宙が膨張する過程で様々な物質が生成された。それらが凝集して太陽や地球ができ、地上には生命が誕生した。神様の創造の手の業は本当にすごいよね。」
150年前のクラークは、科学を学ぶことは聖書を学ぶことと同じであり、どちらも神の働きを知ることだと信次や順三たちに教えていた。その教えは6世たちにも引き継がれていた。クラークが不思議に思っていた万有引力は、アインシュタインの一般相対性理論によって秘密が解き明かされた。クラークの死後の1910年代のことだ。アインシュタインによれば、離れている月と地球が互いに引力を及ぼし合うのは、重力によって時空が歪んでいるからだ。そして、一般相対性理論の発表から100年後の2015年には、重力波がアメリカとヨーロッパの重力波望遠鏡で観測された。ブラックホールの合体によって13億光年の彼方で発生した重力のさざ波が、13億年という途方もない時間を掛けて地球に到達して観測されたのだ。この宇宙の壮大さ、そして重力による時空の歪みも、まさに神の手の業によるものだ。万物の創造主の神秘的な働きに思いを巡らす時、エリはうっとりとした心地になる。
「私たちは創造主から託された地上の管理の働きを蛇に妨害されないように、しっかりと行わなければならない。そのためには神を畏れ、神の創造の手の業にゆっくりと思いを巡らす時間をもっと多く持たなければならないと思うな。」
「本当にそうだね。」
ノンとジュンも同意した。そして、ノンが言った。
「キリスト教って、天国へ行って幸せになるための宗教だと思っている人が多いような気がするけど、ちょっと違うと思うな。イエスが弟子たちに『御国が来ますように』(マタイ6:10)と祈るように教えたことからも分かるように、いつか天と地は一つになるんだよ。そのことはヨハネの黙示録21章にも書いてあるよ。
黙示録21:1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
だから、天が降って来る時に備えて、私たちは地上を良くする働きにもっと熱心になる必要があると思うよ。そのためには神様が天地を創造した創世記1章の非常に良かった時にもっと目を向けるべきだよね。アポロ8号の乗組員が創世記1章の最初の10節を朗読している音声をYoutube (https://www.youtube.com/watch?v=njpWalYduU4)で聴いたことがあるけど、あれは素晴らしいことだったと思うな。」
ノンが話したYoutubeの音声とは、1968年の12月24日――すなわち蓮永寺でのクリスマス・イブのバイブル・クラスから97年後――に月の周回軌道からアポロ8号のクルー(乗組員)のアンダース、ラヴェル、ボーマンの3名が地球に向けて発信したクリスマス・メッセージのことだ。
・ビル・アンダース:
「我々は間もなく月でサンライズ(日の出)の時を迎えます。アポロ8号のクルーより地球の皆さんにメッセージをお伝えします。」
「はじめに神が天と地を創造された。地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。」
・ジム・ラヴェル:
「神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。神は仰せられた。『大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。』神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。」
・フランク・ボーマン:
「神は仰せられた。『天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。』すると、そのようになった。神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。」
「最後にアポロ8号のクルーからグッド・ナイト、グッド・ラック、メリー・クリスマス。良き地球のすべての皆さんに、神様の祝福がありますように。」(参照サイト:Wikipedia「アポロ8号での創世記の朗読」)
ノンの話を聞いてジュンが言った。
「月の周回軌道からの『地球の出(Earthrise)』の有名な写真も、確かアポロ8号のクルーが撮ったんだよね。」
「その通り!この写真だね。」
ノンはスマホに保存してあった「地球の出」の写真をエリとジュンに見せた。

月の周回軌道からアポロ8号の乗組員が撮った「地球の出(Earthrise)」の写真(NASAホームページより)
この地球を様々な災いから守り、良くしていかなければならない。そのための働きをしたいという志を、丘の上の三人はそれぞれ静かに抱いた。
それから三人は互いの将来のために丘の上で祈り合った。祈りの後、ジュンが言った。
「それぞれ専門があるけど、できる範囲で静岡学問所に関することを調べて、分かったことを残して行く活動を、私たちの世代もする必要があると思うんだけど。」
ノンも賛成した。
「そうだね。そうした取り組みも必要だね。何てったって、静岡学問所は当時の国内最高の教育機関だったんだからね。私も大吉さんが建てた学問所の校舎や実験室、それからクラーク邸について、静岡の親戚に資料がないか調べてみるよ。」
「ありがとう、ノン。1945年の戦災で資料の多くが失われたと聞いているけれど、探せば残っているものがまだあるかもしれない。このままだと、いま残っている資料さえも失われてしまうと思うんだ。」
「私もクラークについての資料がもっとないか、アメリカで探してみることにするよ。」
「サンキュー、エリ。クラーク先生のことももっと知りたいから、新しい資料が見つかるといいな。SNSのクループで報告し合うようにしようね。」
ノンが続いた。
「SNSだけでなく、またこの丘に一緒に登れると良いな。エリがまた日本に来てくれるとうれしいんだけど。」
「もちろんだよ、ノン。また日本に来るよ。」
「じゃ、決まりだね。次に会える時を楽しみにしているよ。」
次にこの丘の上に立つ時には、お互いどのような道を歩んでいるだろうか。三人は丘の下に広がる静岡市街をバックにスマホで記念の自撮りをした。そして「静岡市戦禍犠牲者慰霊塔」と「B29墜落搭乗者慰霊碑」の前でもう一度黙祷をささげてから丘を下り、それぞれの場所に向かった。
【謝辞】
1904年のクラークの著作『Katz Awa, “The Bismarck of Japan” Or, the Story of a Noble Life』(邦題:『勝安房<日本のビスマルク>――高潔な人生の物語』静岡新聞社、2023年)の翻訳グループの皆さんにはブログ掲載前の原稿を読んでいただき、様々な助言やコメントをいただきました。深く感謝いたします。ブログ掲載に当たって参考にさせていただきましたが、筆者の力不足で十分に反映できていない点があることを、ご容赦いただければと思います。
原稿執筆中には静岡朝祷会のメンバーの皆さんが祈って下さり、大変に励まされました。また、知人・友人・家族の助言とコメントにも大きな力をいただきました。併せて深く感謝いたします。