2月23日と25日にFacebookへ下記2件の記事を投稿しました。
【2025年2月23日】
今朝は川崎に向かっています。午前は以前住んでいた辺りをブラブラした後で出身教会の礼拝に出席、午後はミューザ川崎で浜松国際ピアノコンクール優勝者の鈴木愛美さんのコンサートがあるので、聴きに行きます。寒波のためか新幹線はやや遅れ気味ですが、大きな遅れではないので感謝です。

【2025年2月25日】
一昨日の2月23日(日)に川崎へ行き、午前は出身教会の礼拝に出席、午後はミューザ川崎での鈴木愛美さん(昨年の浜松国際ピアノコンクール優勝者)のコンサートを聴いて来ました。
浜松国際ピアノコンクールのことは恩田陸『蜜蜂と遠雷』で知り、強い関心を持ちましたが、あくまでも小説やテレビ取材や映画の中だけのことであり、自分で聴きに行こうとは思っていませんでした。それが、友人がチケットを買って聴きに行くつもりだという話を聞き、ナルホドと思って僕も聴きに行くことにしました。その友人とは昨年の11月11日の第1次予選3日目を共に聴き、浜松の駅ビルで共に食事もしました。その彼が2月23日のミューザ川崎の演奏会のチケットも買ったと言うので、ナルホドと思って僕も買い、共に聴くことにしていました。
この友人と初めて会ったのは20年前の2005年1月8日の東工大での映画『チルソクの夏』上映会と佐々部清監督講演会の懇親会の時で、それ以降、彼とは何度会ったか数え切れません。広島で偶然にバッタリ会ったこともあります。40代で知り合った友人と学生時代の友人のような付き合いができたことが楽しくて仕方がありませんでした。彼は僕が姫路にいた時にも会いに来てくれました。
さて2月23日の2日前に、僕は彼に「ミューザ川崎、明後日ですね。楽しみです☺」というLINEメッセージを送りました。しかし、既読にならなかったので23日の午前、川崎に着いた頃に別のチル友(『チルソクの夏』で知り合った友人)さんに彼へのメッセージが既読にならないことを知らせると、そのチル友さんは半月も前から彼とは音信不通であることが分かりました。そのチル友さんから音信不通の彼の自宅に一緒に行かないかと誘われたので、コンサート後に一緒に行くことになりました。そういうわけでコンサートのピアノ演奏中は音信不通の彼のことが心配で音楽を楽しむどころではありませんでした。そして、川崎駅から電車を乗り継いで1時間ほどの所にある自宅へ行きましたが、その日は音信不通の原因は分かりませんでした。
そうして僕は23日の夜に静岡に戻りましたが、チル友さんは昨日と今日の25日も引き続き音信不通の彼の自宅を訪ね、その他にも調べてくれました。そして、彼が昨日の24日に亡くなっていたことが分かり、その後、LINEトークが既読になり、彼の親戚から葬儀日程の連絡が入りました。
2020年3月31日の佐々部清監督の訃報も突然でしたが、彼との別れも突然でした。彼からの最後のLINEメッセージは、浜松国際ピアノコンクールを「3年後も聴きましょう!」でした。それは叶わないことになりましたから、残念でなりません。
しかし一昨日の23日のことを思い返すと、僕が彼のことを思っていたのはピアノコンサートの時だけではなく、教会での礼拝の時も彼のことを思っていました。僕は彼のことを思いながら賛美歌を歌い、祈り、聖書のメッセージを聴いていました。説教ではサムエル記第二6章の、ダビデが神の箱をエルサレムに運び入れた時のことを記した箇所が開かれました。
出身教会での礼拝は約1年ぶりでした。懐かしい会堂に久し振りで入ることは心躍ることです。その喜びに浸る僕の心の中には彼がいました。つまり、僕は彼と一緒に神様を心一杯賛美し、礼拝することができました。そのことを、とても感謝に思っています。



【2025年2月23日】
今朝は川崎に向かっています。午前は以前住んでいた辺りをブラブラした後で出身教会の礼拝に出席、午後はミューザ川崎で浜松国際ピアノコンクール優勝者の鈴木愛美さんのコンサートがあるので、聴きに行きます。寒波のためか新幹線はやや遅れ気味ですが、大きな遅れではないので感謝です。

【2025年2月25日】
一昨日の2月23日(日)に川崎へ行き、午前は出身教会の礼拝に出席、午後はミューザ川崎での鈴木愛美さん(昨年の浜松国際ピアノコンクール優勝者)のコンサートを聴いて来ました。
浜松国際ピアノコンクールのことは恩田陸『蜜蜂と遠雷』で知り、強い関心を持ちましたが、あくまでも小説やテレビ取材や映画の中だけのことであり、自分で聴きに行こうとは思っていませんでした。それが、友人がチケットを買って聴きに行くつもりだという話を聞き、ナルホドと思って僕も聴きに行くことにしました。その友人とは昨年の11月11日の第1次予選3日目を共に聴き、浜松の駅ビルで共に食事もしました。その彼が2月23日のミューザ川崎の演奏会のチケットも買ったと言うので、ナルホドと思って僕も買い、共に聴くことにしていました。
この友人と初めて会ったのは20年前の2005年1月8日の東工大での映画『チルソクの夏』上映会と佐々部清監督講演会の懇親会の時で、それ以降、彼とは何度会ったか数え切れません。広島で偶然にバッタリ会ったこともあります。40代で知り合った友人と学生時代の友人のような付き合いができたことが楽しくて仕方がありませんでした。彼は僕が姫路にいた時にも会いに来てくれました。
さて2月23日の2日前に、僕は彼に「ミューザ川崎、明後日ですね。楽しみです☺」というLINEメッセージを送りました。しかし、既読にならなかったので23日の午前、川崎に着いた頃に別のチル友(『チルソクの夏』で知り合った友人)さんに彼へのメッセージが既読にならないことを知らせると、そのチル友さんは半月も前から彼とは音信不通であることが分かりました。そのチル友さんから音信不通の彼の自宅に一緒に行かないかと誘われたので、コンサート後に一緒に行くことになりました。そういうわけでコンサートのピアノ演奏中は音信不通の彼のことが心配で音楽を楽しむどころではありませんでした。そして、川崎駅から電車を乗り継いで1時間ほどの所にある自宅へ行きましたが、その日は音信不通の原因は分かりませんでした。
そうして僕は23日の夜に静岡に戻りましたが、チル友さんは昨日と今日の25日も引き続き音信不通の彼の自宅を訪ね、その他にも調べてくれました。そして、彼が昨日の24日に亡くなっていたことが分かり、その後、LINEトークが既読になり、彼の親戚から葬儀日程の連絡が入りました。
2020年3月31日の佐々部清監督の訃報も突然でしたが、彼との別れも突然でした。彼からの最後のLINEメッセージは、浜松国際ピアノコンクールを「3年後も聴きましょう!」でした。それは叶わないことになりましたから、残念でなりません。
しかし一昨日の23日のことを思い返すと、僕が彼のことを思っていたのはピアノコンサートの時だけではなく、教会での礼拝の時も彼のことを思っていました。僕は彼のことを思いながら賛美歌を歌い、祈り、聖書のメッセージを聴いていました。説教ではサムエル記第二6章の、ダビデが神の箱をエルサレムに運び入れた時のことを記した箇所が開かれました。
サムエル記第二6:14 ダビデは、主の箱の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
出身教会での礼拝は約1年ぶりでした。懐かしい会堂に久し振りで入ることは心躍ることです。その喜びに浸る僕の心の中には彼がいました。つまり、僕は彼と一緒に神様を心一杯賛美し、礼拝することができました。そのことを、とても感謝に思っています。



