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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

連載31(続編17)イエスの公的な言動を記した旧約聖書

2025-01-30 11:19:52 | クラーク先生と静岡学問所の学生たち
福音の新発見(17)
~続・クラーク先生と静岡学問所の学生たち~

目次・参考文献

イエスの公的な言動を記した旧約聖書
「あっ、分かった!私も分かったよ!そうか~、そういうことだったのか~。」
 今度はジュンがまた何かを発見したらしい。
「何が?」
「何が分かったの?」
 エリとノンが聞いた。
「以前から私は『公(おおやけ)』ということばがヨハネの福音書の何箇所かで使われているのが気になっていたんだよね。たとえば次の3箇所なんだけど…」

ヨハネ7:3 そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った。「ここを去ってユダヤに行きなさい。そうすれば、弟子たちもあなたがしている働きを見ることができます。
4 自分での場に出ることを願いながら、隠れて事を行う人はいません。このようなことを行うのなら、自分を世に示しなさい。」

ヨハネ7:10 しかし、兄弟たちが祭りに上ったとき、イエスご自身も、にではなく、いわば内密に上って行かれた。(新改訳第3版)

ヨハネ 11:54 そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをせず、そこから荒野に近い地方に去って、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された。

 ジュンは続けた。
「3番目のヨハネ11:54が分かりやすいと思うけど、『イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをせず』って、ヨハネ8章でイエス様が献金箱に隠れた状況と似ているんじゃないかな。マナセ王とアモン王の時代には預言者が殺されて律法の書も失われていたから、神のことばが何も語られていなかったでしょ?」
「うん。」
「うん。」
「同じように、マラキ書が書かれた後はバプテスマのヨハネとイエス様が現れるまでの約400年は神のことばが語られていなかったでしょ?だから、ヨハネ11:54の『イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをせず』は、旧約聖書の記述がマラキ書で終わったことを示しているんじゃないかな。」
「うん、うん。」
「うん、うん。」
「そうすると、ヨハネ7章3~4節でイエス様の兄弟たちが『ここを去ってユダヤに行きなさい。そうすれば、弟子たちもあなたがしている働きを見ることができます』と言ったことも、6章で北王国が滅びた後は旧約聖書が北について何も記述していないことを指しているんだよね。北王国が滅びた後も預言者たちは北に残っていて神のことばを語っていたと思うんだけど、そういうことは旧約聖書には書かれていないからね。」
「なるほど。」
と、エリがうなずくとノンがジュンに聞いた。
「じゃ、この10節の『イエスご自身も、にではなく、いわば内密に上って行かれた』は、預言者たちが北から南へ移動した、ということ?」
「ハッキリしたことは言えないけど、そういうことじゃないかな。北王国が滅びた後、預言者たちの多くが南王国に移動したみたいだからね。ただし、聖書には預言者たちの北から南への移動については書いていないから、『内密に上って行かれた』とうことじゃないかな~。」
 エリが何度もうなずきながら言った。
「きょうは次々と新しい発見あるね~。ヨハネの福音書って、まだまだよく知られていないことが、たくさんあるんだね。」
 ノンも感動に浸りながら言った。
「きょうの三人の語り合いは本当にすごく面白い会になったね。こんなに新しい発見が次々とあるなんて、ぜんぜん予想していなかったよ。」
 ジュンが言った。
「私は何となく、そんな気がしていたよ。ヨハネの福音書って。高い所から全体を見るといろいろなことが分かる書なんだね。」

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