静岡のクラーク先生と札幌のクラーク先生(2)
~化学・物理と聖書を中心に~
静岡のクラーク先生の化学教育への熱い想い
既述の通り、クラーク先生が教師を務めていた静岡学問所には立派な実験室がありました。写真を再掲します。
ここに写っている試薬や器具類はクラーク先生がアメリカで購入して静岡に船便で送ったものと、静岡学問所が彼に買い与えたものの両方があると思われます。親友のW.E.グリフィスに宛てて書いた手紙にはクラーク先生自身がニューヨークで実験用の資材を購入して日本に送付する手続きをしたことが書かれています。また、クラーク先生の著書には静岡学問所について次のように書かれています。
当局は頗る気持ちよく科学器具や物理機械を与えてくれたので、物理、化学の諸原理と問題を、学生の前で例証することができた。実験は少々危険なものがあったが、日本人は夢中になって喜び、最も危険な実験にも平気で立ち向った。[E.W.クラーク著『日本滞在記』(飯田宏訳、講談社)p.46]
静岡学問所の学生たちは実験だけでなく理論の習得にも熱心に取り組み、クラーク先生を大いに喜ばせ喜ばせました。1872年6月27日付のNew-York Evangelist紙に掲載されたクラークの友人宛の手紙(4月12日、静岡)で彼は次のように書いています。
君にはいつか火曜か木曜か金曜の午後、2時から4時までの間、私の教室に足を踏み入れてもらいたいものだ。そうして、何人かの私の生徒が、バーカーの『理論化学』[George F. Barker, A Text Book of Elementary Chemistry: Theoretical and Inorganic, 1870]の原理を明晰至極に、ただもう単刀直入に解説する、なんとも素晴らしい様子に耳を傾けて欲しい。この本を修得するのに私は懸命に勉強して何ヶ月もかかったのに、この日本人たちの何人かは驚異的な速さで把握してしまう。毎日私は、長くてしばしばとても難解な学課を黒板に(一枚か二枚の非常に大きなものがあるのだ)書き連ねて、その後で全部を2時間かけて説明する。そのすぐ次の授業で、多くの学生は全体をすらすらと復唱してみせるのだ。彼らは私の実験を全部絵にも描いて、素晴らしく理解している。私は力が漲(みなぎ)る思いで、一生懸命に働いている。ここにいられることの特権をありがたく思っていて、最善を尽くしたいという思いが強く湧く。今我が家に4人の学生を同居させているが、彼らは急速に進歩している。[今野喜和人訳(『翻訳の文化/文化の翻訳』第18号 静岡大学人文社会科学部翻訳文化研究会 2023年3月 p.71)]
このバーカーの化学の教科書については、本ブログの2024年2月20日の記事でも取り上げて紹介しています。原子・分子について静岡学問所の一部の学生が「驚異的な速さで把握してしまう」とは、まさに驚異です。原子・分子については何も知らなかったであろう学生たちが、なぜそんなに速く理解できたのでしょうか?このことにも興味が尽きません。