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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

連載19(続編5)変貌山の体験は1世紀の特例か?

2024-12-23 06:53:01 | クラーク先生と静岡学問所の学生たち
福音の新発見(5)
~続・クラーク先生と静岡学問所の学生たち~

目次・参考文献

第1章 響かない福音
変貌山の体験は1世紀の特例か?

 第12回浜松国際ピアノコンクールの入賞者披露演奏会で最後に演奏したのは優勝者のNo.74鈴木愛美だった。繊細な音が後方の4階まで届いて来る。2,000名を超える大ホールの観客全員の耳がピアノの音色に釘付けになっている。日常とはまったく異なる空間に置かれている幸福感に、エリもノンもジュンも浸っていた。
 演奏が終わり、舞台の袖に引き揚げた後も鳴り止まない拍手に促されて演奏者は再び舞台の中央に戻り、深々と頭を下げた。これが2度繰り返された後、今度は演奏者全員が舞台の袖から出て来たので拍手は一層大きくなり、カーテンコールが繰り返された。こうして11月8日から25日に掛けて行われたコンクールが幕を閉じた。
 午後9時にホールを出た三人は、静岡に帰るべく新幹線の改札に向かった。三人とも演奏会の余韻にそれぞれ浸っていた。まだ互いに感想を語り合う段階ではなく、もうしばらく余韻に浸っていたかった。21:35浜松発・22:01静岡着のこだま号に乗った後も、周囲の乗客への配慮もあって、互いにほとんど話さずに過ごした。やはりまだ一人で余韻に浸っていたかったのだ。
 コンクールで優勝した鈴木愛美は2002年生まれの22歳で、2001年生まれの三人とほぼ同世代だ。優勝者は再来年3月までの間に世界各地で約20回の演奏の機会――オーケストラとの共演とリサイタルがほぼ半々――が与えられる。多くの経験を積むことにより、優勝者は世界に向けて大きく羽ばたいて行くことができるのだ。
 今回のコンクールには世界47ヶ国1地域から638名が応募したとのことだ。応募者は音源と映像をアップロードする。それを審査委員が聴いて審査して、25ヶ国1地域の94名が出場資格を得た。
 出場者638名から94名に選ばれるだけでも大変なことだ。まして、1次~3次の予選を勝ち抜いて本選の6名に残り、さらに1位になることがどれほど大変なことか。静岡に向かう新幹線の中でエリはそのことを考えていた。エリは宇宙飛行士になりたいと思っている。NASAの宇宙飛行士の募集は数年に1度しか行われず、しかも2万人近くが応募して、そのうちの10名程度しか合格しないそうだ。つまり合格率は0.1%以下だ。数字上は浜松国際ピアノコンクールで勝ち抜くよりも難しいということになる。それでもエリは、次にNASAが宇宙飛行士を募集する時には応募したいと思っている。形だけの応募ではなく、合格するつもりで臨みたいと思っている。NASAは月や火星への有人飛行を目指している。単なる探査のためではなく、将来的には居住地とすることも目指していると聞く。エリの祖先のE.W.クラークは150年前に静岡で最初に聖書や理化学を教えたり、フロリダで農園を始めたり、開拓者精神に富んだ人だった。自分がその血を受け継いでいることを宇宙飛行士に応募する際にはアピールポイントの一つになるかもしれない。
 ノンは、大ホールの音響の良さの秘密を知りたいと思い、新幹線の車内ではずっとスマホで調べていた。2千人を超える聴衆が入っている大きなホールの一番後ろの方まで、どうしてピアノの音があんなにクリアに届くのだろうか。鍵盤を激しく叩いた時の大きな音なら不思議ではないが、繊細で微妙なタッチの音までが4階席にしっかりと届いていた。このことにノンは驚き。音響設計に関する解説を興味津々で読みふけっていた。
 ジュンは中ホールで感じたことと大ホールで感じたこととの違いについて考えていた。大ホールでは1階席のチケットが取れなくて4階席に座った。その4階席からはホール全体を俯瞰することができた。ピアノとピアニストだけでなく、1階席の観客をも見下ろすことができた。この高い所から見下ろす感覚について、宇宙飛行士にあこがれるエリと『荘子』の大鵬を愛するノンとで、語り合ってみたいと思っていた。
 こだま号が静岡駅に近づいて「間もなく静岡です」の車内放送が流れた時、ジュンはエリとノンに提案した。
「駅の近くの店に入って、三人で話がしたいな。明日も皆で会うけど、演奏会の感動の余韻が醒めないうちに分かち合いたいんだけどな。」
 エリとノンはすぐに反応した。
「ワタシも同じことを思ってたよ。」
「僕も。」
「じゃ、決まりだね。」


国際宇宙ステーションと地球と天の川(NASAホームページより)

 改札を出て三人は駅に近い店に入った。ドリンクと簡単な食べ物を注文すると、まずジュンは二人に謝った。
「きょうは4階席のチケットしか取れなくて、ごめんね。」
「大丈夫だよ。会場でも話したけど、国際宇宙ステーションから地球を見下ろしているような感覚で良かったよ。」
「僕もだよ。大鵬の気分だったし、あと羽田に着陸する前の飛行機からの夜景も思い出したな。」


羽田着陸前の飛行機からの夜景(2024年10月7日 筆者撮影)

「ありがとう。そう言ってもらえて安心したよ。私も中ホールの1階と大ホールの4階とで違う気分を味わえて良かったよ。ふとイザヤ書40章の聖句が思い浮かんだよ。」
 ジュンはそう言ってスマホの聖書を見ながらイザヤ書40章31節の聖句を小声で読み上げた。

イザヤ40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。

 ノンが言った。
「この鷲って、『荘子』の大鵬みたいだね。」
「うん、私もそう思う。よく言われることだけど、新しく得る力とは聖霊の力だと思うんだよね。主を待ち望む者は聖霊の力を受けて、鷲が上昇気流に乗って天高く舞い上がるように私たちも神様に近い高い所まで昇って行くことができるんだよね。」
 エリが大きくうなずいて言った。
「神様に近い高い所に昇るというと、それは傲慢だと嫌う人がいるよね。バベルの塔の時代の人々は、そういう思い上がりのために神様に罰せられたと言って。でも、聖霊を受けていないバベルの塔の時代の人と、聖霊を受けるようになって以降の人とはぜんぜん違うと思うんだよね。」
「僕も同感だよ。聖霊が上に所に昇らせてくれるのだから、それは神様が高い所に連れて行ってくれるということだよね。バベルの塔を造ろうとした人々は自力で高い所に行こうとしたから、神様が阻止したんだ。」
「神様が人を高い所へ連れて行った例が、他にもあるよ。」
 ジュンがそう言ってスマホの聖書を見ていると、エリが聞いた。
「エゼキエル書かな?確か40章の始めの方に、エゼキエルが非常に高い山の上に降ろされたという箇所があるよね。」
「うん、それもあるよね。でも、もっと良く知られている箇所があるよ。イエス様が高い山の上で神の姿に変貌したという記事だよ。」
 そう言ってジュンはマタイの福音書17章の1節と2節を読み上げた。

マタイ17:1 それから六日目に、イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2 すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。

「ナルホド!この変貌山の記事はマルコの福音書とルカの福音書にもあるから、エゼキエル書よりも、よく知られているね。」
「うん。ペテロとヤコブとヨハネはイエス様に連れられて高い山に登り、神としてのイエス様の姿を見たんだよ。下界では人間としてのイエス様の姿を見ていたけど、神様に近い高い所に連れられて行ったことで、神様の姿を見ることができたんだよ、そして、これは21世紀の私たちも経験できることだと私は思っているんだよ。」
「でも、イエス様と一緒にいた1世紀のペテロたちとワタシたちとは違うよね。どうして21世紀のワタシたちがペテロたちと同じ経験ができるの?」
「私たちもイエス様を信じて聖霊を受けるなら、心の目で神様を見ることができるようになるでしょ。」
「心の目って、霊的な目のこと?」
「うん、そうだよ。聖霊の力を受けて鷲のように高い所に昇ると、神様としてのイエス様の姿が心の目で見えるようになるんだよ。だから、21世紀の私たちでも神様としてのイエス様の姿を見ることができるんだよ。」
「そうかー。ワタシがモヤモヤしていたことが、晴れてクリアになった気がするよ。サンキュー、ジュン。」
「どういたしまして。でも、エリは何にモヤモヤしていたの?」
「21世紀になってから、国際宇宙ステーションにはいつも人がいる状態になったでしょ。1世紀の人たちは高い所に行くと言えば高い山に登るくらいしかなかったけど、20世紀以降は飛行機やロケットで山よりも高い所へ行くことができるようになったよね。しかも、21世紀になってからはSNSを通じて誰もが手軽に国際宇宙ステーションからの地球の画像を見ることができるようになったでしょ。NASAや宇宙飛行士たちが毎日のようにSNSで発信してくれているからね。そういう21世紀を生きる私たちは、20世紀までとは違う聖書の読み方があるんじゃないかと、前から思っていたんだ。でも、もしかしたらそれはバベルの塔を造った人たちのような思い上がりじゃないかという気もして、何となくモヤモヤしていたんだ。でもジュンがイザヤ書とマタイの福音書を引用して説明してくれて、それが思い上がりじゃないと分かってスッキリしたよ。自力じゃなくて、神様が高い所へ連れて行って下さるんだからね。」
「お役に立てて、うれしいな。」
「科学の発達に伴って聖書のことばが届きにくくなり、福音が以前よりも響かなくなっているよね。でも、科学によって人類は高い所からの視座を新たに得たのだから、むしろ福音が響きやすくなっていると思うんだよね。だから21世紀のワタシたちは、高い所からの視座を意識した聖書の読み方をもっと取り入れるべきだと思うな。これが思い上がりじゃないと分かってスッキリしたよ。ありがとう、ジュン。」

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