徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

民謡魂 出演者のことなど

2024-02-11 19:44:16 | 音楽芸能
 今日はNHK総合で「民謡魂 ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」が放送され、曲目もさることながら、存じ上げている出演者が多く、いつもとは違う楽しさを味わった。
 まず舞踊で華やかな雰囲気を醸していた「舞踊団花童&はつ喜」は15年ほど前から応援団の一員となり、メンバーがまだ幼い頃から知っているので彼女たちの成長ぶりをテレビ画面で見ることができて感慨深かった。
 牛深高校郷土芸能部も初めて見たのが10数年前。もちろんメンバーは年々入れ替わって行くのだが、毎年数回、高校総文祭などで見て先輩から後輩へと受け継がれていくさまを見せていただいている。
 民謡歌手の梅元遥香さんは彼女が中学生の頃から民謡コンクールやいろんなイベントなどで注目していた。この出演をきっかけに民謡歌手として大成していただきたいと願っている。 


舞踊団花童&はつ喜の二人の名取、はつ喜月桂華さんとはつ喜月寿々さん


お姉さんたちに負けじと頑張る花童の皆さん


今年の「牛深ハイヤ節」の仕上がり具合は?牛深高校郷土芸能部の皆さん


「熊本自転車節」を唄う梅元遥香さん

いったい “能” って?

2024-02-10 23:10:38 | 古典芸能
 ブログをフォローさせていただいているcakeさんが、鶴岡市黒川の春日神社に500年に渡って継承されてきた「黒川能・王祇祭」における神事能をリポートされていた。記事を拝見しながら、演能が行われた公民館はお世辞にも立派な舞台とは言い難いが、本来、能というのはこういうものだったのではないかという思いを強くした。
 ちなみに鶴岡市は加藤清正公・忠広公の終焉の地という熊本市とゆかりの深い町。平成23年の清正公生誕450年・没後400年行事の際には、黒川能(国指定重要無形民俗文化財)が熊本に招かれるなど、これまでも人の往来や文化の交流があった。
 熊本の能楽関係者にとって公立の能楽堂建設が悲願だと何人もの関係者からお聞きした。現在、熊本市内の常設能舞台はすべて神社の所有。しかも客席は野天。たしかに使いづらいこともあると思う。福岡の大濠公園能楽堂のような施設があればと願っておられるのだと思う。公立能楽堂を能楽振興の拠点とし、天候も心配しないで開催できるので喜ばしいことだとは思う。
 能を観るようになって15年が過ぎた。大濠公園能楽堂のような立派な舞台でも観たし、出水神社薪能で土砂降りに見舞われたりもした。正直、屋根付きの能楽堂がほしいと思ったこともある。しかし3年前「翁プロジェクト熊本公演」を観たあたりから、能って立派なホールで観るものなんだろうかと疑問を抱くようになってきた。神仏をお迎えする影向の松。赤々と燃える薪の灯り。月や星の煌めき。鳥のさえずり、虫の鳴声等々。それらが混然一体となって初めて能という芸能は成立するのではないかと思うようになった。時には雨風に曝されることもあるだろう。しかし、それも含めて能なのではないかと思う。「草木国土悉皆成仏」


出水神社薪能(舞囃子)


出水神社薪能(火入れ)


かつて水前寺成趣園にあった土壇の能舞台


土壇の能舞台で行われていた薪能


令和3年3月9日 水前寺成趣園能楽殿 翁プロジェクト熊本公演


春の調べ

2024-02-09 22:07:07 | 季節
 今日は夏目漱石の誕生日。ちょうど1年前、「夏目漱石内坪井旧居」が7年ぶりに再公開された。それからあっという間に1年が過ぎ、ふたたび訪れた春をたしかめに野辺を散策してみた。吹きわたる風はまだ冷たさが残るものの、木々のそよぐ音や鳥のさえずりは春の訪れを喜ぶ歌のようにも聞こえる。

  三味線に冴えたる撥の春浅し(夏目漱石 大正初期頃)


成道寺川のせせらぎ


八景水谷の水辺で泳ぐマガモ


咲き始めた河津桜を横目に通り過ぎるくまモンラッピング電車


2014.4.6 水前寺成趣園能楽殿 水前寺まつり
  笛 藤舎元生
三味線 松野孝子
  筝 井上洋子
  唄 杵屋六花登・宇野民子
小 鼓 中村花誠・今井冽・鬼塚美由紀
大 鼓 今村孝明
蔭囃子 上村文乃
立 方 舞踊団花童

民謡魂 ふるさとの唄 熊本県芦北町

2024-02-08 20:27:52 | 音楽芸能
 今度の日曜日2月11日にNHK総合で「民謡魂 ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」が放送されます。熊本県の民謡を中心に熊本ゆかりの出演者たちによって12曲が披露されます。ぜひご覧ください。
※放送時間:午後3:05~3:50

【司 会】城島茂、近藤泰郎
【ゲスト】駒井蓮、かなで(3時のヒロイン)
【出 演】田中祥子、藤永翠珠、松阪ゆうき、平山美里、梅元遥香
     笹本壽、笹本寿之、米谷和修、荒井ふみ子、堅田喜代実
     西田美和、西田和菜
     芦北町相撲甚句会、熊本県立牛深高等学校郷土芸能部
     西﨑緑祠、西﨑恭千織、はつ喜月桂華、はつ喜月寿々、舞踊団花童&はつ喜

【曲 目】
  • 相撲甚句・・・・・・・・・(柝、唄、合いの手)芦北町相撲甚句会
  • 牛深ハイヤ節・・・・・・・(唄、三味線、太鼓、はやし詞)熊本県立牛深高等学校郷土芸能部
  • 筑後酒造り唄・・・・・・・(唄)松阪ゆうき
  • 佐賀箪笥長持唄・・・・・・(唄)藤永翠珠
  • シャンシャン馬道中唄・・・(唄)平山美里
  • キンキラキン・・・・・・・(唄)平山美里
  • 球磨の六調子・・・・・・・(唄)藤永翠珠
  • おてもやん・・・・・・・・(唄)田中祥子
  • 熊本自転車節・・・・・・・(唄)梅元遥香
  • 田原坂・・・・・・・・・・(唄)松阪ゆうき
  • のんしこら・・・・・・・・(唄)田中祥子
  • ポンポコニャ・・・・・・・(唄)田中祥子、藤永翠珠、松阪ゆうき、平山美里、梅元遥香



運転免許センターにて

2024-02-07 22:39:15 | 
 今日は2度目の運転免許高齢者更新をしに熊本県運転免許センターへ。3年前の更新の時、「これが最後の免許更新になるかもしれない」な~んて思ったりしたものだが、3年経ってみるとトンデモナイ!車への依存度はますます高くなるばかり。自分の運転能力の低下という現実は認識しており、いつかは免許を返納せざるを得ない時が来るのは覚悟しているが、今の生活から車というものが無くなった時のことを考えると空恐ろしい。
 思えば、昭和42年(1967)に初めて運転免許を取得し、翌年大学卒業と同時に両親にブルーバードの中古車を買ってもらい、その後何台も乗り替えながら今日まで56年。各地を転勤してまわった会社員生活の時も、いつも車は一緒に異動した。そして車と別れなければならない日も近づいている。


初代マイカーのブルーバード

伊豆の踊子は何を踊った…

2024-02-06 19:37:28 | 映画
 大林宣彦監督が亡くなられてやがて4年。生前、いつか「伊豆の踊子」を自分の手で映画化したいという夢を語っておられた。「伊豆の踊子」はこれまで6回映画化されているが、1974年に山口百恵主演の映画化の際、実は大林監督にオファーがあったそうだ。ところが、当時は百恵ちゃんの人気絶頂期、彼女のスケジュールがタイトで撮影に3日しかとれないとわかり、それでは無理とお断りしたそうだ。しかし、その後も「伊豆の踊子」への思い断ちがたかったらしい。そして作るに当たっては、過去の作品がすべて踊子薫が17、8歳の設定だったが、原作に忠実に13、4歳の幼い美しさを描きたいとも述べておられた。大林宣彦監督版「伊豆の踊子」が見たかった。
  • 恋の花咲く 伊豆の踊子(1933)田中絹代
  • 伊豆の踊子(1954)美空ひばり
  • 伊豆の踊子(1960)鰐淵晴子
  • 伊豆の踊子(1963)吉永小百合
  • 伊豆の踊子(1967)内藤洋子
  • 伊豆の踊子(1974)山口百恵
 ところで、「踊子」という役柄上、踊るシーンは欠かせない。戦前の田中絹代の薫だけは見ていないが、後の5本は見ている。見ているのだが、かなり昔になるので記憶が曖昧になっている。特に美空ひばりは何を踊ったか思い出せない。この人は幼い頃から芸達者だったので民謡、端唄など何でもござれだったのだろう。次の鰐淵晴子は「銚子大漁節」を踊ったことを憶えている。ほかにも「ノーエ節」なども踊ったかもしれない。「ノーエ節」は静岡県の民謡なので伊豆を舞台とした「伊豆の踊子」では何度か使われた記憶がある。吉永小百合は「ハイカラ節(自転車節)」が印象深い。ほかにもたしか和歌山県民謡の「串本節」も踊ったと思う。次の内藤洋子がどうも思い出せない。太鼓を叩いている姿は浮かぶのだが。最後の山口百恵は「ストトン節」が印象に残る。いずれも原作者の川端康成が伊豆の旅をした大正7年頃流行っていた歌で、当時の時代背景を表しているのだろう。
※写真は吉永小百合主演「伊豆の踊子(1963)」より

ノーエ節

ストトン節

ハイカラ節(自転車節)

初午大祭 ~福迎え御神幸行列~

2024-02-04 19:22:59 | 日本文化
 今年の初午は12日。熊本城稲荷神社では今日、初午大祭のプレ行事「福迎え御神幸行列」が行われた。献弊式に続き、宮司や今年の福男と福娘たちが街中を練り歩き、商店を巡りながら「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願した。また街行く人々にはお守りや福餅を配布した。
 稲荷神社の主祭神は、商売繁昌・五穀豊穣の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)という名の女神。そしてその使いが白いキツネ。加藤清正が熊本城築城の際に城の守護として勧請したという熊本城稲荷神社にはもう一つ別のキツネ伝説がある。
 加藤清正が羽柴秀吉の小姓として仕えていた近江長浜で、侍同士の喧嘩の仲裁に入った清正の見事な振舞いに、二匹の兄弟キツネが感服。将来を見込み、二匹のキツネは霊狐として清正を守護することになった。清正が24歳の時、秀吉から肥後北半国19万5千石を与えられ、肥後国に入るが、二匹のキツネも一緒にやって来て、兄のキツネは「清藤大明神」として花岡山に、弟のキツネは「緋衣大明神」として茶臼山に祀られた。今日も熊本城稲荷神社境内に祀られている「緋衣大明神」がそれである。


街中を練り歩き、商店を巡って「福拍子」で気勢を上げ、商売繁盛を祈願する御神幸行列

熊本城稲荷神社音頭
作詞:南良輔 作曲:本條秀美 唄:米田寅男
踊 り:舞踊団花童  
三味線:本條秀美と秀美社中
囃 子:中村花誠と花と誠の会

厄除け虎くぐり

2024-02-03 22:23:22 | 季節
 今日は節分。加藤神社の節分祭が行われた。神事の後、参拝者は虎口をくぐって厄除けを行なう「厄除け虎くぐり」をし、本殿に参拝し福豆をいただいていた。
 毎年この日は虎口をくぐることにしている。「虎穴に入らずんば虎子を得ず、か」なんてわけのわからないことを考えながらくぐると、気のせいか年々くぐるのが窮屈になってきたような気がする。参拝した後、家族人数分の福豆をいただいて帰った。


体が硬くなった年配者はくぐるのに苦労する方も多いようだ。

   この行事は朝鮮出兵時の加藤清正公の虎退治伝説にちなんだもの。

加藤清正朝鮮国ニテ猛獣ヲ退治スルノ図(珍齋呂雪 繪)

長唄 加藤清正公

俚奏楽 民謡七福神

2024-02-02 17:34:26 | 音楽芸能
 先日行われた「第57回熊本県邦楽協会演奏会」で、本條流直門師範の本條秀美さん率いる「秀美会」の皆さんが演奏した「俚奏楽 民謡七福神」。この唄は本條流家元の本條秀太郎さんが創作され、豊漁や五穀豊穣を七福神に祈願する民衆のこころが唄われています。「伊勢音頭」風の軽やかな節に乗って本條秀美さんの透明感のある唄声が魅力です。
 本條秀太郎さんは自らの著書「三味線語り」のなかで、「俚奏楽」に対する想いを次のように語っておられます。

 私が創作している三味線音楽は「俚奏楽(りそうがく)」と名づけています。鄙唄(むらうた)である民謡を昔は「俚謡(りよう)」といいました。私は「俚」という字を「人」に「田」と「土」と解しています。田舎を連想するこの文字は、より広い意味で日本人そのものを表しているような気がします。自然とともにその土地に生かされている人間の営みを「俚」という文字から感じるのです。
 しかし、鄙の世界は鄙のみでは成り立たず、都の世界も鄙なしではその存在があり得ません。この相対する世界の連関のなかで文化の成熟と、新しい世界が開かれるのではないでしょうか。「鄙」と「都」この二つの世界の融合が「俚奏楽」なのです。古典といわれる作品と俚謡、地方に残されている小さな“うた”、日本人のもつ土俗的・普遍的な“モティーフ”を三味線音楽として昇華させ、現代に生まれた伝統三味線音楽として「俚奏楽」に命を与えたいのです。俚謡は素朴で美しく、短い旋律であるのに感動を与えることのできる“ちから”をもっています。それが田舎唄と片づけられてしまうのは悲しすぎます。この小さな“うた”たちを継承し、後世に伝えることも「俚奏楽」の使命の一つなのです。


2018年4月、山鹿八千代座での「山鹿をどり」において「お練り」の先頭車に乗り込んだ本條秀太郎さん

2024.1.28 国際交流会館 第57回熊本県邦楽協会演奏会
演奏:秀美会
舞踊:藤間きみ藤社中