徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

石牟礼道子の遺言 ~新作能「沖宮」~

2019-08-16 17:23:17 | 音楽芸能
 昨年2月10日に90歳で亡くなった作家・石牟礼道子さんの遺作である新作能「沖宮」がDVDで帰って来る。昨年10月、水前寺成趣園能楽殿で行われた初演は、たまたま熊本城薪能と重なり観ることはできなかったので映像でじっくり観てみたい。なお、9月7日(土)には熊日本社でDVDの上映会も行われる。

【あらすじ】
 新作能「沖宮」は石牟礼の育った天草を舞台に、
 戦に散った天草四郎と生き残った幼い少女あや、
 そして、人々の死と再生の物語である。
 干ばつに苦しむ村のために、雨の神である龍神への人柱として
 亡き天草四郎の乳兄妹であるあやが選ばれる。
 緋(ひ)の衣を纏ったあやは、舟に乗せられ一人沖へ流されていく。
 やがて稲光とともに雷鳴が轟き、
 あやは、天青の衣を纏い現れた天草四郎に導かれ
 妣(はは)なる國である“沖宮”への道行きが始まる。

 戦に散った天草四郎と生き残った幼い少女
 そして、人々の死と再生の物語


東雲節と「愛のコリーダ」

2019-08-15 21:43:55 | 音楽芸能
 熊本民謡の一つともなっている「東雲節(しののめぶし)」別名ストライキ節。元唄は、

 〽なにをくよくよ川端柳 こがるるなんとしょ
  水の流れを見てくらす
  東雲の暁の鐘 ごんとつきゃ辛いね
  てなことおっしゃいましたかね―

という、遊客が遊女との後朝の別れを惜しむ情歌だったが、明治30年代から全国的に起きた娼妓解放運動にひっかけて、次のような替え歌が普及した。

 〽祇園山(花岡山)から二本木見れば 倒るるなんとしょ
  金は無かしま(中島) 家も質(茂七)
  東雲のストライキ 斎藤は辛いね
  てなことおっしゃいましたかね―

 この替え歌の東雲というのは二本木遊郭の大店・東雲楼をさし、経営者の米相場師中島茂七や番頭の斎藤を唄い込んでいる。90人の娼妓を抱える御殿のように豪勢な東雲楼だったが、全国的な娼妓解放運動の中で、熊本でも明治33年(1900)10月から12月にかけて110人程の廃業届が出た。そんな世相を風刺したストライキ節が流行したのである。

 この中島茂七を母方の曾祖父として二本木で生まれたのが女優中島葵(1945-1991)である。名優森雅之を父に、元タカラジェンヌ梅香ふみ子を母として生まれた。数多くの映画、テレビ、舞台に出演したが、彼女が女優として特筆されるべきは、何と言ってもあの日本初のハードコア・ポルノとして物議を醸した大島渚監督の「愛のコリーダ(1976)」に出演したことではないだろうか。無修正のフランス語字幕版で見た彼女の怪演は忘れられない。


念仏踊のはなし。

2019-08-14 20:13:20 | 歴史
 台風10号の接近で阿波踊りがあと2日間を残し中止になった。山鹿灯籠おどりも15日は中止となり、16日の千人灯籠おどりが催行されるかどうかが心配だ。
 こうした盆踊り系のまつりの原点は「念仏踊(ねんぶつおどり)」にあるといわれる。文化デジタルライブラリーの「念仏踊」の項には次のように説明されている。

 念仏踊は平安時代に始まったといわれる。お盆や仏事のときに念仏などを唱えながら、鉦太鼓を打ち鳴らし踊る。もともとは宗教行事だったが、室町時代には娯楽としての意味合いが強くなった。念仏を唱える間に恋の小歌などを交え、それに合わせて踊るようになった。出雲の阿国はこうした娯楽としての念仏踊をかぶき踊りのなかで踊ったようだ。


阿国歌舞伎で念仏踊りをしている。(国女歌舞伎絵詞より)

▼阿国歌舞伎における念仏踊の詞章

 かぶき踊りを現代風にアレンジした「阿国歌舞伎夢華」(2012年日本舞踊協会公演)における念仏踊


 阿国歌舞伎からずっと時代が下り、江戸後期になると歌比丘尼らの門付芸として念仏踊が行われた。

臨時ヘアサロン開店!

2019-08-13 20:39:41 | ファミリー
 今日は盆休みということで、わが兄弟姉妹とその子供たちがわが家に集まった。今回は東京でヘアサロンを経営している甥の卓が家族連れで帰って来たので、この時とばかりにヘアカットを希望するもの多数。パソコン室が臨時のヘアサロンとなり、会食の合間に一人ずつ順番にカットしてもらい、結局9人がお世話になる。卓君ご苦労さま。


山鹿灯籠おどり異聞

2019-08-12 20:45:59 | 歴史
 台風10号が襲来しそうで今週15・16日の山鹿灯籠まつりへの影響が心配だ。
 4年ほど前、山鹿の文化振興に永年携わって来られた木村理郎先生に、先生のお父上・木村祐章先生の書かれたNHKラジオドラマ「ぬれわらじ」の脚本原稿を見せていただいたことがあった。以来、理郎先生の著書を読んだり、お話を伺ったりしたが、山鹿灯籠おどりについてとても興味深い話をされている。
 その一つは、山鹿灯籠おどりで主に踊られるのは「よへほ節」だが、今日では野口雨情作詞となっているが、実は野口雨情が作詞したものも含まれると表現した方が正しいそうだ。たしかに昭和9年に雨情を招聘して作詞を依頼したそうなのだが、それ以前に山鹿協友会という地元の町興しグループが作った「山鹿温泉小唄」というのがあり、それに雨情が作詞した「山鹿小唄」を合わせて今日の「よへほ節」が出来あがったという。また、明治初期頃からお座敷唄として芸者さんたちが唄っていた古調の「よへほ節」も当初は「ようへほ節」と呼んでいたらしく、その由来はよく言われる「酔え、ホー」と酒を勧める言葉ではなく、酒造りの時の囃子言葉から来ているという説もあるそうだ。近代史でもよくわからないことが多いものだ。

▼よへほ節


   ▼山鹿盆踊唄(作詞:木村祐章)

そんな時代もあったねと…

2019-08-11 20:04:37 | 歴史
 熊本はかつて「芸どころ」と謳われていた。それは熊本市が官衙、学都、軍都として栄えていたからでもある。昭和10年(1935)に、国内外から約106万人(当時の熊本市人口の5倍)を集めたという「新興熊本大博覧会」が水前寺公園北郊で行われた。約16万平方㍍の会場に40数館が建ち並び、その中には演芸館もあった。その演芸館では、50日間にわたった会期に、大和券番の芸妓たちによる舞台が隔日(計25回)開催された。大和券番はこの博覧会の前年、旭券番、西券番などが合併した券番で、100名を超える芸妓を抱えており、もう一方の雄、熊本検番と覇を競っていた。下の番組表を見ると「清元 四季三葉草」「清元・常盤津掛合 幾菊蝶初音道行」「長唄 総踊 輝く肥の國」となかなか豪華な内容の様だ。
 今や消え去りつつある熊本の花柳界もこんな華やかな時代があったのだ。



   「新興熊本大博覧会」の開催に合わせて作られた「五十四万石」

舞踊団花童8月度公演

2019-08-09 22:07:50 | 音楽芸能
 今日は城彩苑わくわく座で舞踊団花童の8月度公演を見た。今回は大分の栗田さんのFB友であるフランス人のゲール・フォンスさんが来日され、この公演を見に来られるというので中村花誠先生も演目を工夫されたようだ。熊本を始め日本各地の民謡、俚奏楽、熊本城時代絵巻の曲等々、バラエティに富んでいた。栗田さんのお話ではフォンスさんにもご満足いただいたようで何より。
 ただ残念だったのは、僕の大好きな岩手県民謡「からめ節」がCDの音飛びのトラブルのため途中で踊りを断念せざるをえなかったことだ。花童まい・あい・ひなたの三人組には気の毒だった。また次の機会にぜひ拝見したい。


熊本城時代絵巻より

※写真集はフェイスブックに掲載します。

 口直しと言ってはなんだが、今年1月の熊本県邦楽協会演奏会での「からめ節」を聴いてみた。

俚奏楽 南部育ち(南部牛追唄/外山節/からめ節)
2019.1.20 熊本市国際交流会館7Fホール
 唄 :原田靖子・斉藤省子・宮本道代・島村克美
三味線:本條秀美・本條秀咲・蒲原サヤ子・松本美恵子・牛島君子・高木テイ子・平田三枝子
    立石松子・星野秀子
低 音:小佐井濯

四百年を超える歴史の「御能奉納」

2019-08-08 19:21:55 | 歴史
 一千年の歴史を有する藤崎八旛宮の例大祭ですが、文禄・慶長の役後に始まった随兵とともに行われるのが、御旅所での御能奉納で、今年は第411回を迎えます。

 ◆日時:2019年9月16日(月・祝)9:00~14:00
 ◆場所:段山御旅所(熊本市中央区新町3丁目)
 ◆番組:金春流 半能「高砂」 田中秀美
     金春流 半能「葛城」 秋山純晴
     喜多流 半能「松虫」 友枝真也
     喜多流 半能「熊坂」 狩野祐一 etc.


2018年 御旅所御能奉納 喜多流 半能「高砂」


2018年 御旅所御能奉納 金春流 半能「竹生島」

立秋

2019-08-07 20:28:26 | ファミリー
 8号台風は、熊本市は芯を外れたようで、再び猛暑が戻ってきた。しかし、明日はもう立秋。庭の片隅に、いのちを全うしたアブラゼミが横たわっていた。夏の終りの始まりを感じさせる。

足もとに 蝉のむくろや 今朝の秋


熊本市の北東・立田山の向こうの朝焼け

山鹿灯籠おどり

2019-08-06 20:25:25 | イベント
 今年の「山鹿灯籠まつり」が迫って来た(8月15日・16日)。今や日本にとどまらず、世界的に知られた祭になりつつあるようだ。
 この祭の起源は二千年の昔、景行天皇の九州巡幸に遡るというが、今日、この祭の目玉となっている「山鹿灯籠おどり」が始まったのは昭和29年、まだ65年の歴史しかないともいえる。「山鹿灯籠おどり」を創り出し、今日の姿まで育てて来た多くの山鹿の人々に、ただただ敬意を表するばかりだ。
 三味線音楽の大御所・本條秀太郎さんが作られた「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」は、山鹿の古謡を掘り起し、新しい感覚でアレンジしたもので、5つの曲で構成される。出端(プロローグ)に始まり、「いらんせ」「古調よへほ節」「山鹿ねんねこ節」「山鹿盆踊り」「よへほ節」、そして入端(エピローグ)で終わる。また、出端も「でたげなたん」という山鹿の古謡がベースとなっている。「山鹿灯籠おどり」の前史を知るよすがとして、山鹿の古謡を甦らせるのはとても意義深いことだと思う。



   ▼山鹿の古謡で構成される「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」
2019.5.12 八千代座「第二回山鹿をどり」より
唄と三味線:本條秀太郎
  三味線:本條秀五郎・本條秀慈郎・本條秀英二
  踊 り:はつ喜流月若・はつ喜流月乃・花童ゆりあ

出水神社薪能観能記

2019-08-04 17:21:34 | 音楽芸能
 今回の第60回記念大会の目玉の一つが十四世茂山千五郎演じる狂言「彦一ばなし」。熊本ゆかりの劇作家・木下順二の「彦一ばなし」を狂言にしたもの。熊本ではおなじみの「天狗の隠れ蓑」などの肥後民話を題材としたお話でオール熊本弁。千五郎師の熱演感が際立っていた。


熊本弁の狂言は皆さんやはり親しみやすかったようで…


 今回の能「羽衣」は「替ノ型」ということで、破ノ舞がなく、キリの謡に緩急がつくなど、より華やかさを増しますとのことだったが、まだ素人レベルの僕には、これまで5~6回観ている「羽衣」との大きな違いは感じとれなかった。気づいたのは作り物の松がキザハシの右上あたりに置かれていて、ここに羽衣が掛けられていた。今まで観た「羽衣」では橋掛かりの欄干あたりに掛けられていたような。初めて観るシテの本田光洋師には、静止していてもにじみ出てくる風格を感じた。


明治三名人の一人、櫻間伴馬の流れを汲むのか、本田光洋師の風格に惹きつけられる


 台風接近でハラハラした一昨年や、土砂降りに見舞われて途中までしか観ることが出来なかった昨年とは打って変わって今年は天候に恵まれたが、日没後もむし暑さが続き、じっとしていても汗が滲んでくるのがわかるほどだった。主催者の金春松融会の司会の方が開口一番「サンバおてもやんをさしおいて薪能を観に来ていただき…」と感謝の言葉を述べられたが、これは同時間に街中で行われている「火の国まつり」の「おてもやん総踊り」のことで、それにもかかわらず大勢の観客が能楽殿を選んだことに対する偽らない感謝の気持なのだろう。僕が嫌いな「サンバおてもやん」を例えにあげられたのが可笑しかった。
 この薪能には毎年、熊日新聞の女性記者が取材にやって来る。気付いたので声をかけてみた。入社したばかりの新人らしい。「どんな写真が掲載されるか、毎年楽しみにしてますよ!」と言うと、「エッ!そうなんですか!」と困ったような笑顔を見せた。

コンコンチキチン コンチキチン ~北岡神社祇園まつり~

2019-08-02 17:16:35 | イベント
 やっぱり「コンチキチン・・・」という祇園囃子の鉦の音が聞こえないと祇園まつりらしくない。今日も37℃超という猛暑とあって、昨年同様、花童の子たちの参加は見送りかと思ったが、なんと今年は初参加の小さな子も含め、元気にご神幸行列に加わった。以前のように最後までつきあう自信はとてもないので早々に失礼させてもらったが、みんなこの猛暑の中、ごくろうさん!





今日は八朔

2019-08-01 20:54:59 | 
 今日は八朔。熊本市は今日も37℃という猛暑。夕方になって急に雷鳴が轟く。しかし、小さな雨粒がパラつくのみで、いっこうに本降りにはならない。夕立の冷却効果も期待薄。坪井川を見ると驚くほど水嵩が増している。上流ではだいぶ降ったようだ。今夜も眠れない一夜になりそうだ。


新町交差点

 テレビニュースでは京都祇園の八朔の恒例行事、芸舞妓さんたちが日頃お世話になっているお茶屋さんや踊りの師匠などを挨拶回りする様子を映し出していた。


江戸時代から200年間続く老舗のお茶屋「富美代」への挨拶に赴く祇園甲部つる居の芸舞妓さんたち
(竹中邦彦さんのチャンネルより)