徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

そんな時代もあったねと…

2019-08-11 20:04:37 | 歴史
 熊本はかつて「芸どころ」と謳われていた。それは熊本市が官衙、学都、軍都として栄えていたからでもある。昭和10年(1935)に、国内外から約106万人(当時の熊本市人口の5倍)を集めたという「新興熊本大博覧会」が水前寺公園北郊で行われた。約16万平方㍍の会場に40数館が建ち並び、その中には演芸館もあった。その演芸館では、50日間にわたった会期に、大和券番の芸妓たちによる舞台が隔日(計25回)開催された。大和券番はこの博覧会の前年、旭券番、西券番などが合併した券番で、100名を超える芸妓を抱えており、もう一方の雄、熊本検番と覇を競っていた。下の番組表を見ると「清元 四季三葉草」「清元・常盤津掛合 幾菊蝶初音道行」「長唄 総踊 輝く肥の國」となかなか豪華な内容の様だ。
 今や消え去りつつある熊本の花柳界もこんな華やかな時代があったのだ。



   「新興熊本大博覧会」の開催に合わせて作られた「五十四万石」