徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「花燃ゆ」 あれこれ

2015-09-27 19:49:05 | 歴史
 明治の御世となって長州藩の奥御殿も閉じられることになり、藩主一家は江戸へ。美和は長年慈しみ育てた興丸との哀しい別れ。萩へ戻った美和は末弟の敏三郎と再会する。
 今夜の「花燃ゆ」はそんな話があった。そこで僕がふと思ったこと二つ。

1.興丸といえば後の毛利元昭公のこと。元昭公は防府に邸宅を築き、東京にいるとき以外はいつもそこで暮らしていたという。それが現在の毛利博物館および毛利氏庭園(通称毛利邸)。僕は防府在勤の頃、親族や知人が訪ねてくると必ずここに案内した懐かしい場所である。

▼毛利邸



2.美和の弟・杉敏三郎は生まれながらの聴覚障害で話すこともままならなかった。兄の吉田松陰はそんな弟を思い、熊本に遊学した1850年、本妙寺へ赴き、加藤清正を祀る浄池廟に難病平癒を祈願した。当時、加藤清正は難病患者の信仰対象になっていた。

▼本妙寺・浄池廟