徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

坂東三津五郎と越後獅子

2015-02-23 16:18:19 | 音楽芸能
 昨日、「邦楽新鋭展」での素晴らしい演奏を聞きながら、家を出掛ける直前に聞いた坂東三津五郎さんの訃報が頭の片隅に引っかかっていた。昨日の演目の中には地歌三絃曲「越後獅子」や同じく地歌「晒(さらし)」をもとにした「さらし幻想」などが演奏されたが、これらの地歌はいずれも歌舞伎舞踊「越後獅子」のもとになったといわれている。聞きながらふと、「越後獅子」は坂東三津五郎といわく因縁のある演目であることを何かで読んだ記憶があることを思い出した。
 帰ってからネットで調べてみた。こういうことらしい。江戸時代後期の文化文政時代、三世坂東三津五郎の七変化舞踊が市村座で大当りをとっていた。おかげで客足が落ちた中村座は、その対抗策として三世中村歌右衛門が急遽、地歌の「越後獅子」「晒(さらし)」や民謡などをもとに江戸市中を歩く角兵衛獅子の姿を描いた「越後獅子」を含む七変化舞踊を創作、大当たりをとった。つまり、三世坂東三津五郎の人気が宿敵の三世中村歌右衛門に火をつけ、「越後獅子」が生まれたというわけだ。
 その後は代々の坂東三津五郎も「越後獅子」を演じ、得意な演目の一つとなったという。昨夜はそんなエピソードを思い出しながら、先日の「第50回熊本県邦楽協会演奏会」における「越後獅子」を見直し、十世坂東三津五郎さんの在りし日の姿を偲んだ。合掌

※晒(さらし)
  染物に用いる布を川に晒すこと。これを模した角兵衛獅子の芸が歌舞伎舞踊などにも取り入れられた。


「第50回熊本県邦楽協会演奏会」における全出演者による合同演奏「越後獅子」