徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

熊本の風景今昔 ~ 熊本城・頬当御門 ~

2011-07-03 22:39:44 | 熊本
 現在、熊本城に入園する正門となっている頬当御門。天守閣を顔に見立てると、御門が兜の頬当に見えたところからこの名がついたといわれているが、明治4年(1871)の頃の写真では鳥居になっている。これは明治元年の神仏分離令により、加藤神社が本妙寺と別れて城内に移ってきたためである。現在、大小天守と宇土櫓の間にある広場のところに神社があり、錦山神社と呼んでいたそうだ。神社と一緒に移ってきた茶屋などが見える。この天守も写真の6年後の西南戦争の時に焼け落ちる。僕が幼稚園に通っていた昭和25、6年頃はまだ、宇土櫓以外は何もなく、単なる見晴らし台のような有様で、この頬当御門も通園路の一つだった。加藤神社もその頃は新堀町にあった。もっぱら退園時に通っていたが、不開門から登っていたのか、須戸口門から登っていたのか記憶がさだかではない。天守閣が復元され、入園料を払わなければ通れなくなったのは昭和35年のことである。


明治4年の頃の頬当御門付近。


今日の頬当御門付近


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
熊本城 (ひろ)
2011-07-04 12:33:52
この写真は始めて見ました。貴重な写真を見せて頂き有難うございます。
私もまだ宇土櫓しかない時代に熊本城には新町方面からよく登りました。二の丸付近には大学付属病院、大学医学部、少年鑑別所、現在の加藤神社の場所には図書館がありました。
返信する
Re:ひろ様 (FUSA)
2011-07-04 16:16:47
そうでしたね!
観光地とはほど遠い印象のところもありましたね。今の細川刑部邸があるところには化血研があって売血者が並んでいた光景を思い出します。戦後の日本はそんな時代だったんですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。